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日録2005年1月


31 januari 2005(月) ※ ぎゅっとプレスされる月末

◇5時前に起床する.寒波襲来で凍りつくかと思いきや,意外にも最低気温は氷点下にならず.研究室にて,中尾佐助著作集月報ゲラをスキャンして,北大出版会にpdfとして送る.朝型の書き手には朝型の編集者.類は友?を呼び,午前7時に受領の返事.早し(速し).

◇そろそろ確定申告に必要な書類を集めないとか.

◇筑波事務所となりの農林水産研究情報センターにて雑誌を閲覧.マジでその規則を適用するわけですね:「最新号の学術誌については複写不可.閲覧のみ」.確かにねえ,著作権がらみのことを考慮するとこういう適用もありなのかと思いますが,はっきり言ってそういう適用をされると「どうしようもない」んじゃない.最新の研究成果は次号の雑誌が届くまではユーザーの手元に置けないということ.解決策:1)当該雑誌を自費購読する;2)当該論文を筆写する;3)当該論文を暗唱する.はてさて.情報センターに雑誌があるから各研究所で雑誌購読は不要というリクツはすでに崩れましたね.必要な雑誌は万難を排して購入し続けなければならないということ.※「もう論文は読まない」という第4の選択肢もあるのだが…….

◇シカゴ大学出版局新刊2冊 ―― James E. Miller『The Chicago Guide to Writing About Numbers: The Effective Presentation of Quantitative Information』(2004年11月3日刊行,The University of Chicago Press, ISBN: 0226526313 [pbk.] / 0226526305 [hbk.]).※「数字」や「量」をどのように英語表現するかの手引き./Mark L. Taper & Subhash Lele (eds.)『The Nature of Scientific Evidence: Statistical, Philosophical, and Empirical Considerations』(2004年10月1日刊行,The University of Chicago Press, ISBN: 0226789578 [pbk.] / 0226789551 [hbk.]).※こういうテーマ設定の本,ぼくの好みです.

◇ウォレス本書評1件 ―― John van Wyne「Alfred Russel Wallace: In a Court of His Own [Review] The Heretic in Darwin's Court: The Life of Alfred Russel Wallace (by Ross A. Slotten, 2004, Columbia University Press, ISBN: 0-231-13010-4)」Evolution 58(12): 2840-2841. December 2004. ※この書評をコピーできるのは来月までおあずけだと.

◇寒波がやってくるとの予想だったが,意外にも昼休みは過ごしやすく,歩き読み日和 ―― 戸田山和久カミングアウト本『科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる』(2005年1月30日刊行,NHK Books 1022,ISBN: 4-14-091022-4)を第I部を含めて150ページほど読む.まだ前半部分だけだが,主要な論点が整理されていて,よく書けていると思う.著者によると,科学哲学の第1の存在意義は,科学について論議するための〈組織化され制度化されたフォーラム〉を提供することにあるという(p. 29).生物学の中でも体系学(systematics)について言えば,生物学者自身がまさにそのような場を『Systematic Zoology』誌とか『Cladistics』誌において提供してきたとぼくは理解している.著者の言う科学哲学の第2の存在意義は,科学を論じる際に用いられる〈さまざまな概念の分析〉にあるという(p. 32).確かに,科学を論じる立場にある人にとっては,そういう意義があることは重要なのだろう.しかし,科学を行なっている者にとっては,科学を実践する際に用いられる〈さまざまな概念の分析〉の方がより身近な重要性をもつ.個人的にはローカルな科学の内部での概念分析を科学哲学は分担してほしいと思う.生物学哲学は実際にそういう方向に展開してきたわけだし.本書全体のスタイル−“リカさん”と“テツオ君”の対話形式−はなかなかいいんじゃないですか(キャラクターとしては“リカさん”の方が魅力的かも).第2章でのデイヴィッド・ヒュームの〈帰納懐疑論〉はまだいいとしても,同じ章にあるネルソン・グッドマンの〈グルー・パラドックス〉とか,第4章ではウェズリー・サーモンの〈統計的関連性〉の議論まで出てきてのけぞる(学部生の主たる死因になりません?).かつて訳語の選択に苦しんだ経験がある Screening-off の解説はわかりやすいと思う(いたずらに確率論的因果性にもぐり込まなかったところとか点数高し).また p.51 の表にあるように,「帰納(インダクション)」の中に「アナロジー」や「アブダクション」まで含めてしまうと(第2章),けっきょく帰納的推論とは演繹的推論ならざるものすなわち〈非演繹的推論〉と同義になるのではないかという気がする(それはそれでいいのだろう).あ,それから,索引がないのはちょっと減点.

◇昆虫分類学若手懇談会の創立時を回顧する越中殿の原稿をチェック完了.太田邦昌特集に関わる Panmixia への投稿原稿はほぼそろったことになる.※「ほぼ」ですので,心当たりの方は revision よろしく(笑)./『生物学史研究』の最新号に載った遺稿についての情報もいただいた(感謝).

◇進化学会新編集長からの依頼 ―― 書評は何でももってって下さい.※収奪されまくり.

◇ううう,四方からプレスされまくり…….※ごめんなさいごめんなさい.

◇諸方面に謝りつつ,2月へと休みなくなだれこんでいく(休符まったくなし).

◇本日の総歩数=18898歩[うち「しっかり歩数」=8328歩/73分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.4kg/−0.5%.※げげ.


30 januari 2005(日) ※ 寒波で冬眠

◇5時前に起床する.さむ.丸くなって冬眠しましょ.

◇問合せ:「『博物学のロマンス』はおもしろいのでしょうか?」.お答え:一般読者にとってはきっとおもしろくないでしょう.アップしたばかりのオンライン書評に下記の一節を付け加える:

ただし,当時の博物学の文学的・美学的側面を強調するあまり,体系学や進化学の母体として博物学がもっていた「サイエンス」としての側面を著者はやや軽視しているきらいがあるとぼくは感じた.ある特定の社会や文化のもとで開花したナチュラル・ヒストリー運動は,必ずしもその状況のみで開花したわけでは必ずしもなく,条件がそろえばいろいろな場で発現し得たかもしれないことは,たとえば西村三郎『文明の中の博物学:西欧と日本(上・下)』(1999年08月31日,紀伊國屋書店,ISBN: 4-314-00850-4 / 4-314-00851-2)が詳細に論じた論点だ.人間がもともともっていたジェネラルな分類学的衝動(“オブセッション”とは本来そういうものだろう)の個別的な現われのひとつとして,ヴィクトリア朝のナチュラル・ヒストリー運動を理解することができるのではないか.その意味では,本書の基本的な視線の当て方には疑問がある.また,冒頭のカラー図版数葉を除いては,全編を通じて挿絵はまったくなく,「博物学」とか「ロマンス」という言葉に惹かれて本書を手にした一般読者は失望するかもしれない.明らかに本書は博物学史の研究書であり,一般向けに書かれた本ではない.

まあね,「言葉によるいきいきとした描写(word painting)」がヴィクトリア朝イギリスで流行した文体だったという著者の主張をそのまま具現したものが,ほかならない本書が目指した文体だったというオチをつければいいのかもしれませんけど.それにしても illustrated でなさすぎるのはちょっとねー.手元にある“アラマタ本”を何冊か広げておくといいのかも.まだ入手していないけど,本書のいたるところで引用されているリン・バーバー『博物学の黄金時代』(1995年,国書刊行会)ぜひ見たし.

◇晴れ上がる.ふとんを干してから,歩く.Book-Ace にて新刊2冊:戸田山和久『科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる』(2005年1月30日刊行,NHK Books 1022,ISBN: 4-14-091022-4).※おお,なるほど,かのギョーカイでは,「科学的実在論」への支持をおおっぴらに表明するということは,覚悟を決めてカミング・アウトすることにほかならないわけね.なーるほど.期待してます./秋庭俊『帝都東京・地下の謎86』(2005年2月10日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-888-6).※前2作『帝都東京・隠された地下網の秘密』(2002年12月10日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-680-8)と『帝都東京・隠された地下網の秘密[2]』(2004年1月10日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-784-7)に続く3作目.見開き1項目という形式なので個々の説明は簡略化され過ぎかな.今夏開通予定のつくばエクスプレス「寿トンネル疑惑」なんてのがあったりする.これはこれでおもしろいぞ.

◇〈太田邦昌(1944.1.28〜2003.3.8)著述目録〉の最終改訂を完了.テキストファイルをつくり,わーどが好きな「越中殿」上申用に InDesign→ rtf という一手間をかけてしまう(まったく……).これで,大量の「落ち穂拾い」をするようなことは今後おそらくないだろう.あとは昆虫分類学若手懇談会事務局に原稿を送るだけ.越中殿は1年かけて刷上がり30ページも書いたそうな(げ).やっと終わったって感じ.

―― 太田邦昌にしても中尾佐助にしても,ものを書く人は後の“コンパイラー”担当が苦しまないように,パーフェクトな〈出力リスト〉を遺しておいてほしいと切に希望したい.自分が書いたりしゃべったりしたことは,ほかならない自分がいちばんよく知っているわけで,それを刻むように記録していくのは義務だと思う.その際,重要なことは「選択をしない」というシンプルな基準.査読論文だろうが和文総説だろうが新聞記事だろうが,区別なく「すべて」を記録するという心構えだ.書いたものはちゃんと覚えているなどというのは幻想で,気持ちいいほどどんどん忘れていくのが常態だと思う.記憶に関してはとても性能の悪いアタマを信用したりせず,紙に書きつける,ファイルに記録する,他人と共有するというフェールセーフを家訓とすべし.

◇年越ししてしまったJSTワークショップの報告書とか./信州大の成績報告も一両日中に./運営交付金とと科研費がらみの発注やら書類やらわらわら./朝倉重版本の訂正もしないと.

◇本日の総歩数=8575歩[うち「しっかり歩数」=4340歩/37分].全コース×|×.朝△|昼○|夜△.前回比=+0.5kg/+1.7%.※げ.


29 januari 2005(土) ※ くすぶる週末,焦げつく仕事

◇午前6時前に起きる.即ウォーキング.1万歩あまり.永嶺重敏『雑誌と読者の近代』(1997年7月16日刊行|2004年2月10日オンデマンド版復刻,日本エディタースクール出版部,ISBN: 4-88888-803-5)の残りの章を読了.→ぼくの書評と詳細目次はこちら

―― 前半が明治期における「読者」の習慣と文化の変遷に関する一般論だとすると,後半の諸章はその各論にあたる.当時の代表的な雑誌を取り上げ,それらのメディアを読み支えた当時の読者コミュニティについて考察する.第3章は,百科型総合雑誌として創刊後短期間のうちに頭角を現した雑誌『太陽』について論じる.徳富蘇峰が率いた雑誌『国民之友』に対抗して,高山樗牛が主幹となった雑誌『太陽』の基本戦略は増頁化とビジュアル化による消費的読書だった(p. 127).対抗誌『国民之友』が旧来的な音読習慣を前提していたのに対して,『太陽』はまったく異なる読書文化を広めたということだ.続く第4章では,いまも発行されている『中央公論』誌の特異な変遷史を振り返る.ぼくはまったく知らなかったが,『中央公論』誌の直接的祖先にあたる雑誌は,京都のある仏教系禁酒会が会員に配布していた機関誌『反省会雑誌』だったそうだ.後に当時の日本を代表することになる子孫誌からは想像もできないマイナーな出自だ.東京に進出してからも,雑誌としての出自を10年あまりも引きずり続け,発行数も少なかったのだが,編集主幹に滝田樗陰を迎えてからというもの,文芸小説や評論記事にウェイトを置く総合雑誌として大変身を遂げ,わずか数年のうちに知識人の必読雑誌としての地位を固めた.著者はこのサクセス・ストーリーの背後に,知識階層と庶民階層という対極への読者コミュニティの分化があったことを指摘する.前者の階層的シンボルが『中央公論』誌だったとするならば,後者の読者に広く深く受容されたのが毎月100万部の売り上げを誇った『キング』誌だった.第6章では,この国民的大衆誌『キング』の読み手と読まれ方を考察する.軍国主義の草の根的浸透を担ったとされるこの雑誌は,旧来的な共同体的音読習慣を残していた地方社会に広がっていったと著者は言う.

◇曇りがちだが日射しがあり,さほど寒くはない.日中はずっと引きこもり状態だった.まったくヘルシーではない.

◇忘れないうちに,リン・L・メリル『博物学のロマンス』の書評も仕上げてしまう.明日にもメーリングリスト送りかな.※息を吸えば,息を吐く;本を読めば,書評を書く.これ自然の道理なり.息を吸ったまま中に貯めてしまうと苦しくてしかたがない.間髪入れずにぶわっと吐いてしまわないと,次の息ができなくなるから.

【欹耳袋】―― Windows用の暗合化ソフトウェア〈bmpPacker 1.2a〉.指定ファイルを「bmp」形式の“画像”ファイルに encode / decode してくれるそうだ.フリー.

◇夜10時近くになって,いきなり雨が降る.明日からは寒波が入って一気に寒くなるらしい.「冬眠」するしかないか……な.

◇本日の総歩数=13761歩[うち「しっかり歩数」=11798歩/89分].全コース×|×.朝○|昼△|夜△.前回比=−0.1kg/−0.9%.


28 januari 2005(金) ※ 月末近し.雪だるまから火だるまへ

◇午前5時起き.マイナス2.2度.冷える冷える.凍る凍る.

◇3月の〈上方・統計三題噺〉の場所が決まったそーな.※「雲の上」らしい.天上の声ですか? それともワルモノ降臨?

◇惹かれるなあ ―― 昨年全3巻が完結した『アーレント=ヤスパース往復書簡』(2004年9月〜11月,みすず書房:第1巻第2巻第3巻).その前に出た『アーレント=ハイデガー往復書簡 1925-1975』(2003年8月22日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07055-3)に釣られて./お,「月刊みすず<読書アンケート特集号>2月1日発売!」とのこと.もうすぐ.

◇アクアリウムの発明者 Philip Henry Gosse の最新の伝記はコレ: Ann Thwaite『Glimpses of the Wonderful: The Life of Philip Henry Gosse』(2002年刊行,Faber and Faber,ISBN: 0-571-19328-5).タイトルはゴス自身の著作からとったもの.そういえば,リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2)のタイトルもゴスの本からの借用.19世紀の経験なクリスチャンにして,頑強な反ダーウィニストだったゴスは,文学的博物学あるいはネイチャー・ライティングの世界では現在にいたるまで著名人であり続けたということか.

◇年末からずっと熟成?させていた中尾佐助著作集V:『分類の発想』(2005年5月刊行予定)の月報ゲラ:三中信宏「書かれなかった“最終章”のこと:中尾佐助の分類論と分類学」(中尾佐助著作集・月報5,pp. 1〜4)の加筆修正をすませる.早田文蔵に関する加筆と,いくつか文献を追加した./『古生物の形態と解析』(1999年11月30日刊行,朝倉書店,ISBN: 4-254-16642-7)の重版改訂は本文の最後の節の書き換えにとどめよう.あとはぼくのサイトに掲載されている資料(参考文献リスト)を参照していただくということにする.井伏鱒二や水上勉のように「旧作」に延々と手を入れ続けるくらいだったら,新しいのをドン!と書いてしまった方が早いしね.自然科学の場合.※知らないとモグリだと言われるほどの“有名本”(成典化して)になったなら,改訂を重ねることに付加価値があるだろうけど.

◇ああ,またなんて罪な本が(仕事をさせまいとする天の意思か) ―― 福井優子『観覧車物語:110年の歴史をめぐる』(2005年1月17日刊行,平凡社,ISBN: 4-582-83251-2).ちょっと周縁的なテーマの選び方といい,錦絵のようなダストジャケットといい,「平凡社」以外の何ものでもないな.見ているだけで十分に愉しいです.

◇やや暖かめの昼休みに歩き読み ―― 永嶺重敏『雑誌と読者の近代』(1997年7月16日刊行|2004年2月10日オンデマンド版復刻,日本エディタースクール出版部,ISBN: 4-88888-803-5).序章から第2章まで100ページほど読む.ポット珈琲はグァテマラで.明治時代はじめの日本における「読者公衆の形成」と「読書空間の成立」について,主として雑誌の読者調査結果の資料を通じて分析した本.すでに読んだ最新刊・永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化』の先駆にあたる著作.古資料の丹念な読み解きから,すでに失われた「読書習慣」と「読者文化」の復元を試みる.書物とその内容そのものではなく,それを読む読者の側に視点を当てたアプローチが新鮮で,意外な事実にいたるところで出くわす愉しみが潜む本.『〈読書国民〉の誕生』に比べて,詳細なデータの開示がやや多めで,必ずしもすべてに眼を通す必要はないのかもしれない.明治初期に生じた読書文化の大転換を著者は次のように要約する:

一言でいうなら,共同体的な音読的・均一的な読書形態から,個人的な黙読的・多元的読書への移行と要約されるが,いうまでもなくこの移行過程は決して単線的・直線的に進行したわけではなく,他の章でふれるようにそこには階層・地域等によるかなりの時間的偏差がみられる.なかでも特に,共同体的・音読的読書形態は根強くその伝統を保ち続けていく.[p. 9]

W・J・Ong のいう〈声の文化/文字の文化〉という対置に言及しながら,著者は音読から黙読への移行を推進した社会的規範の強制・活字出版物の変容・文字リテラシーの浸透をさまざまな角度から論じる.第6章で取り上げられる“国民的雑誌”としての『キング』の場合は,一度は絶えたかに思われた「音読的伝統」が実は草の根的に残っていた事例として注目される.また,現在もみられる子どもたちへの〈読み聞かせ〉活動あるいは,ごく近年,社会的になった〈声に出して読みたい日本語〉という動きも,日本の伝統としての「音読」習慣の根強さを物語るものかもしれない.本書第1章では,明治初期におけるさまざまな読書空間(自宅・学校・鉄道・公共図書館・新聞縦覧所など)での新旧の読書習慣のあり方と衝突を詳細にあとづける.続く第2章では,地方での読者層の代表として教員の読書文化をテーマに取り上げて論じる.書物に関する資料と比較して,それらを実際に手にした「読者」についての資料はきわめて乏しいと著者は繰り返し言う.そのようなかぎられた資料の綿密な掘り起こしと読み解きがたいへん興味深い.

◇月報ゲラ追加分の清書/朝倉本の改訂をちょいちょいやる.※ちっとも終わらず.参った.

◇迫りくる月末がとってもコワイなー.

◇本日の総歩数=19746歩[うち「しっかり歩数」=9526歩/79分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.1kg/+0.1%.


27 januari 2005(木) ※ こちんと冷えてきた

◇5時半起床.最近,目覚めが遅い.たるんでいるな.マイナス0.1度.低気圧が抜けて,放射冷却が始まる.

◇【論】と【学】の相互関係について ―― 昨夜遅くメールで質問あり.確かに「〜論」という表現は,「〜学」という言い方と比べて,緩く・自由で・放恣な感じがしますね.しかし,それは「〜」の部分が evolutionary biology であろうが,taxonomy であろうがまったくかまわないわけで,「論」と「学」との仕分けの基準が一般的にあるということかもしれません.傾向としては「学」というのはことさらに形式的・不自由・窮屈なというイメージで一般にとらえられているのではないですか(不思議は好きでも思議は嫌い).中尾佐助著作集V:『分類の発想』の月報に書きましたが,中尾は,活字にならなかった手書き原稿の中で,【論】と【学】の相互関係についてこう言っています:

「“学”と“論”は相似,近縁であるが,異なったパラレルタクソンの関係にあるとみることであろう」

と言っています.そしてさらに,続けて:

「論は水平思考に特色があり,学は垂直思考に特色が認められると言えよう」

という展開にもっていきます.一般的な「受け取られ方」はそのままにしておいて,そこに彼独自の「正当化の理屈」をつけたということでしょう.

◇文庫化された1冊 ―― 森まゆみ『とびはねて町を行く:「谷根千」10人の子育て』(2004年12月20日刊行,集英社文庫,ISBN: 4-08-747771-1).地域雑誌『谷中・根津・千駄木』の創刊号は1984年10月15日に発行された.ぼくは当時の下宿近く,不忍通りに面した千駄木の清水書店でこの創刊号を買った.表紙を含めて12ページというぺらぺらの黄色いパンフレットは〈菊まつり特集号〉と銘打たれている.その頃,学位論文の作成に追われていたぼくは,原稿の清書に謀殺されていて,とあるつてを頼って「谷根千」三人組のおひとり(森まゆみさんの本にも登場する“ヤマサキ”さん)に清書を手伝ってもらったことがある.『谷根千』創刊の忙しいときに,ワケわかんない原稿の清書をしていただいたことには今でも感謝している.年4冊の季刊発行だった『谷根千』は,千駄木に住んでいた間はほとんど欠かさず買い求めていた.だから,つくばに住むことになった1989年10月に出た第21号まではコンプリートにそろっている.それ以降は,千駄木に立ち寄るたびにぽつぽつと買っていたので方々に欠号があるが,それでも昨年夏の第77号までは買い続けている.20年にもわたってよく続いていると感心する.森まゆみさんにはすでにたくさんの著書があるが,最初の本『谷中スケッチブック』(1985年12月10日刊行,エルコ,ISBN: なし)はいい本だったと思う.

◇蘭語独習のこと ―― ここ10年くらいの間に,日本でオランダ語を勉強するための参考書や辞書はずいぶん充実してきたと思う.しかし,その前は,ほとんど沙漠のように不毛な時代が長らく続いていて,かつて“蘭学”が栄えた国とはとても想像できないほどだった.手元にある昔の辞書を列挙しておく:南親会編『蘭和大辞典』(1943年6月20日刊行|1986年1月25日復刻,第一書房,ISBN: なし).※かつての日本の「南方領土(蘭印)」用に出た辞書だろう./P・A・ファン・デ・スタット編『日蘭辞典』(1934年12月10日刊行|1989年5月31日復刻,第一書房,ISBN: なし).※いまなお日本で唯一の「日→蘭」辞書だ./『Cassell's Dutch Dictionary』(1963年,第6版).※英→蘭|蘭→英の合体辞書.神保町にかつてあった辞書専門の進海堂書店にて,1970年代末に数千円出して買ったもの.当時はそういうふうにして辞書を入手するしかないほど,蘭語独習者にとっては厳しい時代だった.

◇届いた新刊 ―― R. J. Henry (ed.)『Plant Diversity and Evolution: Genotypic and Phenotypic Variation in Higher Plants』(2005年刊行,CABI Publishing, ISBN: 0-85199-904-2).※植物における倍数性の進化に関連して“homoeolog”という言葉が出てくる(pp. 106-7).おなじみの“ortholog”や“paralog”に加えて.

◇蘭語独習のこと(続) ―― ごく少数の“メジャー”な言語を除けば,日本ではまともな辞書は入手できない.在庫がないのはもちろんのこと,価格とか取り寄せの手間や費用を考えると,現地に行って辞書を買い漁るというのが実はもっとも手っ取り早い.講談社の蘭和辞書『講談社オランダ語辞典』(1994年11月10日刊行,講談社,ISBN: 4-06-154801-8)は画期的な出版で,当時としてはこれでやっと一息つけると感謝感激だった.さらに,1999年にオランダのレイデンに滞在した機会に,Van Dale社の蘭語辞書を大量に買い込んで,日本に郵送した.まずは,“広辞苑”的役回りの蘭語大辞典『Grote Van Dale』(1999年,第13版,ISBN: 9066484217[3巻セット]).この蘭蘭辞書はとにかく役に立つ.あとは,同社の『蘭英辞典』(1999年,ISBN: 9066481471)と『英蘭辞典』(1998年,ISBN: 9066481439),ついでに『蘭独辞典』(1995年,ISBN: 9066481269)と『独蘭辞典』(1995年,ISBN: 9066481226).辞書も含めて,レファレンス・ブックは側にないと話にならないのでね.

―― 付けたしですが,農環研の情報資料課が数年前に〈松村松年文庫〉を放出したときにも,独羅辞書・羅独辞書とともに,松村蔵書の蘭独/独蘭辞典『Kramers' duitsch woordenboek』(出版年不明,第7版)を入手したこともありました.

◇よく晴れた昼休みに歩き読み ―― 本日は開拓したばかりの新規コースに沿って,珈琲を飲んで返ってくる.6kmあまり.その往復の道すがら,リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2)の残りの章を読了.書評はすぐにもアウトプットされるだろう.随所に印象に残る記述あり.その都度,marginaliaに書き込んでいく.博物学のスタイル(文体と様式)が文学と美術にじわりじわりと影響を及ぼしていく過程を再現し,文芸と芸術が滑らかにつながっていたヴィクトリア時代の雰囲気がよく描き出されていると感じた.アクアリウムの創始者であるP. H. ゴスは本書後半部の主役級だが,最近になってやっとまとまった伝記が出た.

◇『古生物の形態と解析』(1999年11月30日刊行,朝倉書店,ISBN: 4-254-16642-7)の改訂は,ソフトウェアのアップデート,関連サイトURLの更新,文献リストの修正,そして文章のバグ取りで終わりそう.

◇農環研玄関ロビーに立てるパネルの原稿を仕上げる.図とキャプションをぺたっと貼り付けてと.※注文に応じての改訂はまだこれからの作業だが.

◇分子生物地理の方法論について質問を受ける.ちょっと考えてみますね.Brooks parsimony analysis(BPA)はやめといた方がいいですよ(基本的仮定に無理があるので).イベント・ベースかプロセス・ベースかで方法の選択も変わってくると思います.個人的には,高次元ステップ行列を組み込んだ最節約法かネットワーク法で地域分岐図を推定するというのが妥当だろうと思います.

◇本日の総歩数=17783歩[うち「しっかり歩数」=9246歩/81分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.2kg/+1.6%.


26 januari 2005(水) ※ 夜半から雪が積もり始める

◇5時起床.予報通り,外は雪で白くなっている.すでに3センチほど積もっているが,まだ降り続く.プラス0.4度.

ヘッケルつながり ―― ダーウィンもさることながら,ドイツ語圏でのエルンスト・ヘッケルの人気はいまだに衰えていない.久しぶりに検索してみると,耳寄りな情報がいくつも得られた.たとえば,ドイツで発行されている『Theory in Biosciences』誌(ISSN 1431-7613) — もともとは1世紀以上の歴史をもつ雑誌(Biologisches Zentralblatt)だったが,例によって最近 Elsevier の傘下に入った — では,2002年にヘッケル特集を組んでいる(Vol. 121, no. 3, November 2002).Supertree で名を馳せた Olaf Bininda-Emonds が寄稿していたりとか.また,ヘッケルとその愛人との往復書簡集(『Das ungelöste Welträtsel』)を編纂したゲッティンゲンの Norbert Elsner が科学と文学に関する論集(『»Scientia poetica«』)を編んでいたりとか.その Elsner 氏は本職は脳神経科学なのだが,勤務しているゲッティンゲン大学で来月開催される神経科学会議で表彰されるそうだとか.いろいろと.

◇昨夜からの雪は午前中に止み,曇り空になった.路面が悪くて歩くには不適ね(と言い訳してみる).

◇原稿ぱたぱた ――『生物科学』の原稿査読は終わったみたいで何より(汗)./『遺伝』へ出す予定の倉谷本(『動物進化形態学』)の書評原稿は「800字以内」というきびしいダイエットに苦しんだものの,昼休みに仕上げて送信.※滑り込みで間に合ったらしい.セーフ!

◇『日経サイエンス』の最新号(2005年2月号)に,中尾佐助著作集・第III巻『探検博物学』(2004年12月25日刊行,北海道大学図書刊行会,ISBN: 4-8329-2851-1)の書評が載っていた.大場秀章:「秘境ブータン」に見る学問の喜びと共同研究のモデル像(p. 112).同著作集・第I巻『農耕の起源と栽培植物』(2004年12月25日刊行,北海道大学図書刊行会,ISBN: 4-8329-2861-9)の書評はまだ見ていないですね.

◇首都大学東京での非常勤講義(来年度:生物統計学)に関わる人事書類が届く.また,書類づくりか…….(_| ̄|○)

ヘッケルつながり(続) ―― Webcatで調べると,『Das ungelöste Welträtsel』は国内の機関にはまったく入っていないような気配.元の書簡の独語版『Franziska von Altenhausen』(1927)は関西外大と東大教養学部のふたつに所蔵されている.さらにそれを英訳した『The Love Letters of Ernst Haeckel』(1930)はお茶の水女子大のみにある.

◇農環研玄関ホール用の展示パネル原稿を速攻で仕上げる.絵ぇ貼って〜,字ぃ書いて〜 .※大脳もっと使えよ.>ぼく

◇日本進化学会ニュース(Vol. 5, no. 3, December 2004)が届く.「海外研究室だより」が2つ.おもしろい.遠藤一佳さんのコンウェイ・モリス訳本は今年中に出るそうな(講談社から).※あ,また尻に火が〜.

―― 日本進化学会第7回仙台大会のウェブサイト.コンテンツはまだほとんど詰まっていない(当然のことながら).会期は2005年8月26日〜29日.場所は東北大学川内キャンパス(予定).

◇午後になって急速に晴れ間が広がってきた.積もっていた雪もだいぶ融けたようだ.

◇ちょいと1冊 ―― 増田真樹『超簡単!ブログ入門』(2005年1月10日刊行,角川ONEテーマ21[B-63],ISBN: 4-04-704187-4).読了.2週間前にいきなりブログを始めてはみたものの,そういえば「ブログってなんじゃらほい?」ということをいまだに何も考えていなかった.でも,「毎日更新」と「2週間続けよ」という訓示はいまのところ守れているので,ま,いーか.とりあえず.第1章〈入門編〉が教育的で役に立った.他の章は参考になるという程度かな.

◇本日の総歩数=7417歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.2kg/−1.7%.


25 januari 2005(火) ※ 積ん読本のリベンジ

◇5時半起床.ここんとこ冷え込んで,朝型人間にはとてもキビシイのだ.気温−1.4度.車のフロントガラスがばしばしに凍りついている.

◇ちょうど1年前,読み始めてすぐに放り出してしまった Joseph LaPorte『Natural Kinds and Conceptual Change』(2004年1月刊行,Cambridge University Press, ISBN: 0-521-82599-7)が,次の号の『生物科学』(56巻3号,2005年2月刊行予定)で書評されるという.ほほー,書評者は? 「小野山敬一」.おおー.ということで,1年前の“いらいらコメント”を添付して,LaPorte本の〈紹介〉を更新した.残りの部分も読まないと,と思いつつ長期間“積ん読”してしまった報いなんでしょーかね.【教訓】どんな本であっても,最後まで読んであげようね.

―― すみません,上の書評(というか文句たれ)は悪態をついているだけですので,つっこまれるとぐうの音も出ず.>のぞみさま.

―― 昨年,浪岡さんから教えていただいた LaPorte 本のオンライン書評(John Dupré)をメモしておきます.『Notre Dame Philosophical Reviews 2004.06.01』というレビュー誌.

◇【重要】私信で問い合わせがあったので,ここでお答え:ぼくの「日録」へのリンクは完全自由です.ご連絡していただく必要はありません.Google でときどき検索して新しいリンクを見つけるたびに“ぐふふ”とクラく愉しむひとときをぼくから奪わないでください.

おお,なんというアクロバティックな解釈か!―― よくわかりました.ワタクシ,みごとに救済されました.おおきに,ありがとう,ダンケ,メルシー,グラッチェ.(いやー,すごい,ホンマに)

◇つぶれた学会事務センターの「空きニッチ」を大学生協が狙っているという.〈大学生協学会支援センター〉という名称で昨年12月に発足したとか.ビジネスチャンスは逃さずということですな.※ビジネスモデルとして有効?

◇1991年に日本学術会議動物学研連(丸山工作委員)の下部委員会として活動した「進化系統学広域大学院検討委員会」についての問い合わせあり,当時のぼくら委員が集めた資料(分類学関係の人材リストやカバーできる分類群領域など)はすべて保存してあります.最終的に東大理学部に生物多様性大講座ができるまでの紆余曲折はなかなかドラマティックでしたね.※追想モード.

◇昼休みは北風強し ―― 今日のウォーキング・コースは,新規開拓の〈北中島〉方面.複雑に入りくむ高速道の下をくぐりつつ,隠れ家のごとき「Cafe de しっぽな」と「Trattoria del Mare」の横を通り過ぎる(農環研から徒歩30分で行けるとは意外).往復の歩き読み:リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2)の第5〜6章の100ページほど.博物学が19世紀イギリスの文学や美術の世界にどのように浸透していったかを論じる.nature writing の成立史とか.テニソンが強度の近視であり,そのせいで顕微鏡的ミクロの博物学に沈潜していったと書かれている.当時のパノラマ/ジオラマ観とからめた論議も(p. 205).こんなくだりがある:

しかし,なぜ集めなければならないのか.集めること — それは個々の自然物を環境やコンテクストから引き離し,それらを蓄積し,称賛することである — は,そもそも人間に生まれながら備わっている衝動ではない.それはある時代と文化特有の営みである.集めるということが重要だと考えるには,以下の前提に同意してからでないといけない.まず,対象を目で丹念に吟味すること — これこそ美を発見する手段である — が価値ある行為であること.そして,自然の中の新奇さには価値が潜むということ.コレクターたちは,新奇さの範囲をさらに押し広げることにとりつかれている.基本タイプだけでは,じゅうぶんでないのだ.・・・ 多様性,新奇さ,そして形態の複雑さこそ,コレクターが追い求めてやまぬものなのである.[p. 179]

蒐集慾ってもとはとっても「生得的」だと思うけど,後半部分は納得できる.よくわかる,その通りって感じ.

◇〈年貢〉の取り立ていろいろ —— 書評年貢をいくつか納めないと.うわ,年貢の追加っすか?>U田編集長.今日中に送りますので.>K藤さん.アタマ抱えてます.>K治さん.

◇展示情報いくつか —— ABAJ創立40周年記念〈「世界の古書・日本の古書」展〉.1月28日〜29日:六本木ヒルズ・アカデミーヒルズフォーラムにて.ケルムスコット・プレス刊『チョーサー著作集』,2500万円! 遠目にでも見てみたい気がするが./東京大学総合研究博物館〈「『Systema naturae』〜標本は語る〜」展〉 去年10月から展示されていたとは知らなんだー.

◇うー.

◇本日の総歩数=16763歩[うち「しっかり歩数」=9427歩/79分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.4kg/0.0%.


24 januari 2005(月) ※ それなりマンデー

◇午前6時まで眠りほうけてしまった.こりゃダメだ.夜中に雨がぱらついたらしく路面が濡れている.気温は−0.8度.朝から雲が多い.

◇農環研の次期中期計画に向けての意見を上にあげる.これからこういうやり取りが増えるのは確実.最初の素案は柔らかくても,練り上げられるにしたがって次第に固くなっていくわけで,どの段階で意見や意向がどういうふうに反映されていくのかをチェックすることがたいせつ.まだ,アモルファスなステージでスローガンが鳴り響いているよーな.

◇〈Catalogue of Life 2004〉のCD-ROMが届く.まだ中を見ていない.

◇昼休みの歩き読み.今日は薄雲がかかって時おり陽射しがのぞく空模様.気温は8度ほど.ジョン・マリー『熱帯産の蝶に関する二,三の覚え書き』(2005年1月20日刊行,ソニー・マガジンズ,ISBN: 4-7897-2442-5)の表題作「熱帯産の蝶に関する二,三の覚え書き」(pp. 7-74)を含めて100ページあまりを読了.これ,なかなかおもしろい短編ですねえ.全体としてはひとつのストーリーを成しているのだが,中は4つの節に分かれている:〈オオカバマダラ〉,〈アレクサンドラトリバネアゲハ〉,〈ハードウィックウスバとマハラジャウスバ — ヒマラヤのチョウたち〉,そして〈カバイロイチモンジ〉.チョウのコレクターをもって任じる3世代にわたる物語.小説らしい色づけがされているのはもちろんだが,ダーウィンやウォレス,そしてベーツなどチョウの擬態に関する進化学研究への言及が随所にある.Evolution誌が引用されていたりとか.場所的にも北米と南米はもちろん,ニューギニアやインド亜大陸までひろがりをもつ.これ以上書いてしまうと,この短編小説のネタばらしになってしまうが,ひとつだけ:主人公たちが本職とする脳外科医療と密接に関連する“クールー”の話題がスパイスのように効いている.→参照:ロバート・クリッツマン『震える山:クールー,食人,狂牛病』(2003年11月10日刊行,法政大学出版局,ISBN: 4-588-77201-5)

◇もうすぐ日が変わる.朝早い分,夜はどうしても早寝になってしまう.ねむねむ.

◇本日の総歩数=14043歩[うち「しっかり歩数」=7434歩/57分].全コース×|×.朝○|昼−|夜○ .前回比=+0.4kg/+1.7%.


23 januari 2005(日) ※ 冷え冷えサンデー

◇午前4時に目覚める.さすがに早過ぎるのでうつらうつらして,5時に完全起床.夜明け前のウォーキング.雲が多く厳しく寒い.

―― 曽田英夫『幻の時刻表』(2005年1月20日刊行,光文社新書190,ISBN: 4-334-03290-7)を最後まで読了.国内の鉄路の変遷に関するディテールはさすがに歩き読みしながらフォローするにはつらいものがある.しかし,旧日本領の台湾や樺太に敷設された鉄道に関するエピソードは興味深い.20年以上も前に,オホーツク岸の浜頓別を出発して,興浜北線を北見枝幸まで南下し,路線バスで興浜南線の雄武にたどり着き,さらに南に下がって純粋盲腸線である渚滑線を往復したことを思い出す.道北のこれらの路線はもちろんいまはすべて廃線になってしまった.

◇どこも同じだろうが,連日大量に届くスパムメールには手を焼いている.とくにウェブでメールアドレスを公開してしまうと回収ロボットに拾われてスパム先にされるというのだからタチが悪い.フリーソフトの〈HTMLエンティティ生成〉は,ウェブで公開する際のメールアドレスやURLを「無作為暗合化」してくれるという.Win / Mac の両方で使えるそうなので,さっそく利用させてもらおう.

◇読了したばかりの本に影響されたのだろうが,忘れないうちにぴぴっとメモ ―― リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2)の第1章の中で,19世紀のイギリス全土に張り巡らされつつあった鉄道網の利用客によって習慣化しつつあった“車中読書”が博物学書の普及に大きく貢献したと書かれている:

19世紀中葉には,多くの本はとくに「列車の中,あるいは海辺で読む」ことを目的として生産された.旅行客の癒されることのない読書欲は,小説のみならず,旅行記や博物学書の人気を高め,そしてその多くが大ベストセラーとなる.[p. 24]

“車中読書”の習慣が読書という行為にもたらした影響はちょうど同時代の日本でも見られた.長嶺重敏のユニークな本『〈読書国民〉の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化』(2004年3月30日刊行,日本エディタースクール出版部,ISBN: 4-88888-340-8)が当時の状況を活写している.※“車中読書”ならぬ“歩行読書”ってculturgenとして適応的ではないかもしれない.

◇とあるパーティ用に卵20個を使ったスペイン風オムレツを焼く.フライパンをもつ手がだるくなった.※単に焼くだけで食べるわけではないのがカナシイ.

◇新刊 ―― ジョン・マリー『熱帯産の蝶に関する二,三の覚え書き』(2005年1月20日刊行,ソニー・マガジンズ,ISBN: 4-7897-2442-5).出版元にやや違和感を覚えながらも,タイトルに釣られてつい注文して後悔してしまったなどという昆虫学者が……いるわけないか.はい,もちろん小説です.ただし,表題作「熱帯産の蝶に〜」はほとんどナボコフの蝶の世界じゃないか.全編にわたって蝶蛾の学名がちりばめられている.表紙のオオカバマダラの写真については国立科学博物館のクレジットが掲げられていたりして.基本的に小説はまったく読まない主義なのですが,ま,たまには例外もありということで.

◇午後,北風を突いて自転車でつくばセンターまで買い出し.帰りに小野崎にある〈Shingoster LIVING〉の蔵の2階でブラジル・サントスを飲む.BGMはボサノバ,深炒りのサントスを味わって,林芙美子の巴里日記を読む:「銀行へ行つて八百フラン出す.一寸はかない」.たゆたうような文.彼女がパリに滞在したのは二十代後半のこと.そして急死したのは47歳のとき.

◇夜,きりたんぽ鍋をつつきながら,リーフェンシュタールの伝記の続きを読む:Jürgen Trimborn『Riefenstahl — Eine deutsche Karriere: Biographie』(2002年,Aufbau-Verlag, ISBN: 3-351-02536-X).第9章「Perfekte Körper: Olympia. Fest der Völker / Fest der Schönheit」.ナチス・ドイツの党大会記録映画で成功したレニ・リーフェンシュタールが,映画監督としての代表作であるベルリン五輪のドキュメンタリー映画(1938)を手がけるまでの経緯をたどる.彼女はその映画を単なる「ルポルタージュ」にするつもりはまったくなく,競技のようすを「芸術家的な表現に移し替える(in eine künstlerische Darstellung zu überführen)」と決意していたそうだ(p. 244).

◇“根雪”になりつつある仕事たちをなんとかしないとね.すでに何層にも堆積しているので切り崩しが心理的に厄介だ.仕事は貯めてはいけませんよとつぶやいてみる.スカイフックはないのだ.

―― 観念して査読原稿を仕上げ,書評を書いてしまおう.

◇本日の総歩数=11949歩[うち「しっかり歩数」=9645歩/65分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.7kg/+0.1%.


22 januari 2005(土) ※ 週末ワーキング

◇5時半起床.学園郵便局まで歩く.明け方は冷え込むという予報だったのだが,北風もなく固まらなかった.郵便局のポストに学会役員の投票用紙を投函し,Book-Ace経由で帰還.ちょうど1万歩ほど.

―― 歩き読み:曽田英夫『幻の時刻表』(2005年1月20日刊行,光文社新書190,ISBN: 4-334-03290-7)を第3章まで読了.200ページほど.国内の廃線がらみの話題は他の本でも読めるが,第1章(幻の「東京発パリ行き」時刻表)など戦前の日本の旧領土を走っていた鉄道に関する話はおもしろい.“廃線本”とか“廃墟本”を読み込むというのは,なんだか不健康で病的な気がしないでもないのだが,ワタシ大好きですよ.丸太祥三の有名な“棄景写真集”2冊:『棄景:廃墟への旅』(復刊:1997年6月20日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-269-1)と『棄景II:廃墟への旅』(1995年2月25日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-159-8)は繰り返し読んだ(その後も『棄景』続刊があるが,廃墟に少女を立たせて写すというような趣味の悪い写真が多く,買っていない).その流れで,宮脇俊三(編)のシリーズ『鉄道廃線跡を歩く:失われた鉄道実地調査60』(1995年11月1日刊行,JTBキャンブックス,ISBN: 4-533-02337-1※以降,第X巻まで続刊)に入っていった.ただ,その後,ブームに乗って山のように出版された“廃墟本”はどことなく“ネクロフィリア”的な陰湿さが感じられ,できるだけ近寄らないようにしている.

◇からっと晴れて,北風が強くなってきた.静電気がぱちぱち飛ぶ.午前中,ずっと引き蘢る.原稿.

◇学問は「クラス」ではなく「リネージ」ですから,生まれたり死んだりするのは当然だと思います.ただし,そういう学問の“系統”がそれを実践する人間を担体としているので,フクザツでもあり,またおもしろくもあるのでしょう.生まれつつある学問を実感できる人間はそれなりに幸せなのかもしれませんが,死につつある学問もリネージとしてそれなりの繁殖を過去にしてきたと思います.担体たる人間がある学問リネージにどのようにコミットしていくのかは,多くの場合,偶然の要素が少なくないだろうし,またそれに対してどのように見切りをつけるのかという点でも一筋縄ではいかない.学問の系統樹の方に視点を置くとき,担体たる人間は自由に水平移動したり,絶滅したり,duplicateしたりするのだろうと考えています.

◇朱文金の水槽にヒーターを取り付けたり,ふとんを干したり,ヒレカツを揚げる下準備をしたり,外で北風に吹かれてみたり.※脈絡ない昼下がり.

◇今川英子(編)『林芙美子 巴里の恋:巴里の小遣ひ帳・一九三二年の日記・夫への手紙』(2004年11月25日刊行,中公文庫,ISBN: 4-12-204454-5).分野を問わず,日記と伝記は守備範囲ということで.出世作『放浪記』の印税でパリ外遊を果たした林芙美子の旅程が解説に載っている.それを見ると曽田英夫『幻の時刻表』(2005年1月20日刊行,光文社新書190,ISBN: 4-334-03290-7)の第1章に書かれている「東京→巴里」の鉄路がそのまま再現されていてびっくりする.当時は航路よりも鉄路の方がヨーロッパにたどり着くための最短コースだったということ.意外や意外.

◇〈書評〉を書く文化環境 ―― 日本では「理系の本」を書評する人が圧倒的に少ない[と思われる]ので,新聞や雑誌でも「理系の本」の書評に出くわすことはあまりない.もちろん,短めの新刊紹介ならばまだ目にする機会は少なくないのだが,長目の書評となると毎月あたり片手で数えられるほどのものしかないように感じる.もともと長い書評をものする文化が日本にはないのかもしれないが,それにしても標的本をクリティカルに論じるような書評を書こうという姿勢(相関してそういう書評を読もうとする姿勢)が,とくに日本の自然科学系の読者層の間では乏しいように思われる.ぼくがいつも書くような備忘録のような書評メモでさえ,ずいぶん珍しいと思われているようで,東京での進化学会大会の懇親会の折りだったか,ほとんど初対面だった尾本恵市さんに「SHINKAに書かれていたあなたの書評特集はとてもおもしろかった」と褒められて恐縮したことがあった.理系の研究者は日本にも山ほどいて,それぞれ自分が関心を持つ専門分野についてはそのおもしろさを熟知しているはずだから,その「外」にいる者よりもはるかに眼力なり心眼なりを持ち合わせているはずだ.研究者向けの専門書であれ一般向けの啓育書であれ,それをクリティカルに見る目をもった人がもっと読後メモを兼ねた「長い書評」を公開してほしいと思う.もともと,書評をするということは,書かれたものに対して,自分の見解を重ね合わせた比較論評がベースになるはずだ.ということは,短い書評は原理的にありえないわけで,日本のメディアによく見られるような「短評」とか「紹介」は本来の書評ではないとぼくは思う.少なくともそういうものを書評とみなしてはいけないのではないか.著作の内容に踏み込まない(分量的に踏み込めないというべきか)文章が書評のような顔で通っているうちは,書評文化も何もあったものではないという気がする.名の通った書評誌に載るような「書評」のありようを考えてみれば,書評のデフォルト形式は自ずと決まってくると思う.

―― けれども,現実には「何字以内でお願いします」という書評依頼がほとんどなので,〈EVOLVE〉や〈BIOMETRY〉などメーリングリストへの書評配信とか,あるいは〈leeswijzer〉へのオンライン掲載によって,ちょっとばかりの鬱憤晴らしをしているという面もあるのです.※なんというしょぼいオチか.

―― 以前,書評論の新刊書評をしたことを思い出した:赤坂憲雄『書評はまったくむずかしい』(2002年5月19日刊行,五柳出版,ISBN: 4-906010-98-9)この際だから,その書評も〈leeswijzer〉送りにしてしまおう.

―― 例を挙げると,オンライン書評サイトである〈The Complete Review〉には模範となるような書評記事が掲載されているばかりでなく,同一書の「書評一覧」のようなコラムがあって,なかなか楽しい.同じ本が異なる書評者によってどのように読まれているかという比較ができるというのは,それ自体うらやましいことだと思う.たとえば,前に挙げたドーキンスの『虹の解体』の〈評価結果〉も載っている.さまざまな雑誌や新聞などの書評を比較しても毀誉褒貶が激しく,コンセンサスは「ない」と結論した上で,The Complete Review は「A−」という評定を下している.著者にとっても緊張する書評メディアであるばかりでなく,書評者にとってもなかなか厳しい場であると思う.書評は書きっぱなしではすまされないということだ.

◇ああ,もう日が変わってしまうなー.し・ご・と.(汗)

◇本日の総歩数=14939歩[うち「しっかり歩数」=10118歩/75分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.1kg/0.0%.


21 januari 2005(金) ※ 独楽鼠か,曲芸熊か,あらら

◇午前5時起き.気温2.1度.その割には北風が強く,寒い.

◇「統計」な話題あれこれ ―― おお,またも〈R〉本が出るのですね(←中澤メモ):舟尾暢男The R Tips:データ解析環境 R の基本技・グラフィックス活用集』(2005年2月刊行予定).詳細についてはまだ情報ありません./埼玉県農林総合研究センターからの依頼出張高座の日程は3月9日(水)〜10日(木)に確定./福井県から「乱塊法くずれ」な実験計画の可否についての問い合わせ.

◇悩める院生から質問:「〈MrBayes〉で系統推定したら,尤度が“inf”(無限大に発散)になってしまったのですが」との問い合わせ.系統樹のベイズ推定は勢力を広めつつあるので,このような質問はきっとおびただしく発生しつつあるのだろう.ぼくは MrBayes ユーザーではないので治療することはできないのですが,きっとこんなところに原因があるのではないかと推測するのですが――

私はMrBayesを本格的に使ったことはないので,こういう事態への対処については,ぜひEVOLVEに質問を投げた方がいいと思います.最近は MrBayes のユーザーも増えていますので,きっと反応が返ってくるのではないかと思います.

想像するに,対数尤度が発散(inf)するというのは,ある推定された樹形のもとで,形質データが生じる確率がかぎりなくゼロに近い(「あり得ない」)ということですね.とすると,マルコフ連鎖モンテカルロ(MCMC)での事後確率空間からのサンプリングの過程で「へんな」樹形をつかまされて,その樹形が厚かましくも観察データに対して「ノー!」と叫んでいるという状況が想像されます.

とすると,MCMCの探索方法を少し変えてみるということで事態が改善される可能性はあるかもしれません.ただし,お送りいただいたデータの場合,OTU数が300超でinformative sites数が100そこそこですので,格段に系統推定の解像度が改善されるわけではないような気が します.とにもかくにも,ベイズ使いの英知は必要ですよ.BIOMETRYには質問のポイントのみを転載させていただきます.

お送りいただいたデータセットを見てみますと,たしかに近縁なサンプルからの配列情報の思わせる informative site 率の高さ(全サイト中900サイト近くが変異なしですね)が特徴です.この配列の短さと変異性の低さを考えますと,情報損失のある近隣結合法は最初から問題外ですね.最節約法か最尤法(ベイズ)がリーズナブルな選択でしょう.少なくともNJは「正しくない」――というか,系統推定ではもともと正しい/正しくないという論議そのものが無意味なのですが.

◇ちょこっと新書たち ―― 曽田英夫『幻の時刻表』(2005年1月20日刊行,光文社新書190,ISBN: 4-334-03290-7).※廃線と時刻表の本./村上征勝『シェークスピアは誰ですか?:計量文献学の世界』(2004年10月20日刊行,文春新書406,ISBN: 4-16-660406-6).※計量文献学での祖本構築が,系統推定ではなく,クラスタリングによろめいてしまうというのはよくある症状だ.

◇おお!な新刊 ―― 福井優子『観覧車物語:110年の歴史をめぐる』(2005年1月刊行,平凡社,ISBN: 4-582-83251-2).※歴史的写真がたくさん載っているそうな.

◇年越ししてしまった『Panmixia』の太田邦昌追悼特集は,越中の御前がやっと腰を上げてくれたようだ.ありがたやありがたや.原稿をヨロシクっ.

◇昼休みの読み歩き...げ,この北風の強さはいったい何なのだ.ぶわっと吹かれつつも,リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2)の第4章(pp. 122-168)を読了.19世紀における科学と文学との乖離(C. P. スノウの言う〈ふたつの文化〉の相克)を論じる.この著者はへんにまわりくどい言い方をしないで,すぱっと言うのが小気味よい.この章では,科学と文学という対置の中で,博物学の占めるべき中間的立ち位置(「雑種的学問」,p. 166)について,著者はこう言う:

科学にくらべると博物学は図式的枠組みにこそこだわってはいないものの,それでも自然界についての詳細な情報をひとつとして見逃すまいとする情熱は,科学に劣らなかった.ただし,自然の事実が集まると,そこから先はそれをどう利用するかによって,科学と博物学とは袂を分かった.科学はそうした事実を理論へとまとめあげる.博物学は,もっと美的な目的をもっていて,自然に関する事実を文学テクストに変える.[p. 123]

著者は,「科学」をやや狭くとらえているような気がするんだけどな.たとえば.科学の「美」についての著者の見解:

科学にもある種の美は存在するかもしれない.−−数学者は方程式に簡潔な美しさを見いだすかもしれないし,化学者は実験そのものを,物理学者は理論そのものを美しいと感ずるかもしれない.だが美は科学の目的ではない.科学の目的は知識である[p. 165]

を見ると,その感を強くする.18世紀以降に戦わされたという「科学対文学論争」の中で,文学側が抱いた危機感を象徴する〈虹の解体〉という詩人キーツの言葉を著者は引き合いに出している(p. 161).リチャード・ドーキンスの『虹の解体:いかにして科学は驚異への扉を開いたか』(2001年3月31日刊行,早川書房,ISBN: 4-15-208341-7)は,メリルの原著が出版された頃(1989年)はまだ影も形もなかったんですね.まったく同じキーワードの解釈がこれほど正反対になり得るとは.

◇午後6時の時点で〈leeswijzer〉へのアクセス数が5000を越えた.本の極私的セレクションのBlogにもかかわらず,多くの方の来訪を感謝します.>来ていただいたみなさん.

◇昼間,ぱたぱたしているせいか,夜に睡魔のやってくるのが早い気がする.寝よう寝よう,そうしよう.

◇本日の総歩数=13399歩[うち「しっかり歩数」=5539歩/47分].全コース×|×.朝△|昼○|夜○.前回比=−0.5kg/−2.0%.


20 januari 2005(木) ※ Le massacre du printemps

◇5時半起床.気温1.1度.ここ数日は明け方も氷点下にならない.

◇今年もまた〈Hennig Society Meeting〉がやってきた.といっても,まだ先のことだが(7月か8月だろう).今年の年会はノルウェーのFagernesで開催される.オスロの北にある都市らしい.

―― 2005年は国際会議の「当たり年」だそうで,7月には国際植物学会議(IBC)がウィーンで,そして8月には国際生態学会議(INTECOL)がモントリオールで,相前後して開催されるそうだ.日本からも研究者や学生の「夏の民族大移動」があるのだろう.※個人的にはウィーンに行ってみたいな(物見遊山かいっ).

◇系統学ブログ(PhyCom)の登場 ―― できるべくしてできたということだろうね.ちらっと眺めたが,おもしろそうな新鮮ネタがいろいろ取り揃っているような.レスポンスもきびきびしているから登録する tree-builder は多いと思う.※〈TaxaCom〉の向こうを張って〈PhyCom〉なんですかね.

◇午前のグループ内会議.研究成果の展示資料の準備は月内に.次期研究組織のあり方についての報告.※今年はこの方面で忙しくなる可能性大./ほったらかしにしてしまった一枚刷の修正をすませて,成績報告書類のたぐいをへろへろと改訂する./計量生物学会の事務仕事とか./大阪で明日あるはずの共同研究発表の電話打合せとか.etc.

◇昨日,丸投げされた成果 ―― 埼玉県農林総合研究センターから統計研修の依頼あり.熊谷にある本所にて1泊2日の研修コースをお願いしたいとのこと.内容的には,演習を含めて実験計画法に焦点を当てた統計学的手法の高座をする.了解の返事を出す.

◇“奇書”と呼ばれる J・C・カリエール&G・ベシュテル『珍説愚説辞典』(2003年9月26日刊行,国書刊行会,ISBN: 4-336-04521-1)には,1913年5月29日にパリで初演されたあるバレエ音楽に関してこんな1項が立てられている(pp. 321-322):

ストラビンスキー

  • 最初の小節から最後の小節まで,期待した音はなにひとつ聞こえず,決して聞こえるはずのない別の音しか響いてこないのである.[1913.6.3.]
  • おぞましいバレエ,『春の祭典(Le sacre du printemps)』というより,『春の殺戮』(Le massacre du printemps)を思い出す.人間の耳に対するあれほどの挑戦はかつてなかった.[1914.6.6.]

初演後まもないからこそこういうストレートな評が出るんでしょうね.総譜を見ると,第1部の終わり近くの〈賢者の行進〉がとてもわくわくするものがある.トロンボーンとチューバによる4拍子の主旋律のうしろで,大太鼓が3拍ごとにストロークし,次いで銅鑼がその3拍を2等分する裏拍を打ち,クライマックスではギロが大太鼓と銅鑼の掛け合いを4分割するリズムを刻むという念の入れよう.ぞくぞくする.よく引き合いに出される第2部終曲〈いけにえの踊り〉の変拍子パッセージ(5/18+2/8+1/8 etc.)は,いったん覚えてしまえば[きっと]たいしたことないと思う.それよりも拍子が混ざる方が演奏する方はくらくらする.

◇ううむ,やりきれない.仕事が.

◇本日の総歩数=6759歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼−|夜△.前回比=+0.6kg/+0.2%.


19 januari 2005(水) ※ 消しゴムで時間を消される

◇午前4時半起床.気温4.1度(暖かい).研究室をうろうろする.

◇朝もはよから“一枚刷”の書類訂正とか./履歴書を書いたり./早く会計システムに入力しないと予算消化が./あ,本が.※『のだめカンタービレ』の最新刊(第11巻)が1月13日に出版されたそうな.

◇中央農研センターから丸投げ ―― 埼玉県農業試験場から「統計学講師」の派遣を依頼されたとのことで,年度内に出張高座が可能かどうかの問い合わせ.とくに障害はなさそうなので引き受ける.詳細未定とのことだが,1泊2日の日程になるかもしれない.内容的には統計学概論と実験計画法を中心にしてほしいとのこと.※この内容なら明日でもだいじょーぶでっせ.

◇朝は曇っていたが,昼前には日が射すようになった.歩き読み:リン・L・メリル『博物学のロマンス』(2004年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0507-2→目次)を第3章まで読了.120ページほど.「博物学は科学であってはならない」というのが著者のモットーらしい ――

批評家や歴史家はふつう博物学を科学の項目に入れてしまうが,これは不幸なことである.博物学を科学として扱い,博物学が現代的に意味で言う科学的になることを期待するのは,博物学にとって好ましいことではないし,博物学の類まれな魅力をまったく無視することになる.[p. 18]

私としてはこう言いたい ―― 博物学の文章は文学と見なされるべきである.[p. 37]

本書の前半では19世紀のイギリスにおける〈文化現象〉としての博物学を論じている.

◇ちょっと逃避 ―― Johann-Wolfgang Wägele『Grundlagen der Phylogenetischen Systematik, Zweite Auflage』(2001年刊行,Verlag Dr. Friedlich Pfeil,ISBN: 3-931516-93-8)の目次をチェック(→詳細目次).ぼくが想像した以上に,“モダン”な内容の系統体系学の教科書にしあがっているようだ.伝統的な Willi Hennig 流の系統学をベースにしているのだが,近年の分子系統学の最先端ツールまでほとんど漏れなく言及され説明されている.Swofford たちの総説(1996)や Felsenstein 聖書(2004)にさんざん痛めつけられた学習者は,きっと本書に[少しばかりの]救済を求めるのではないか.教える立場からいえば,かなりいい線を行っているテキストで,かつての Peter Ax の『Das phylogenetische System: Systematisierung der lebenden Natur aufgrund ihrer Phylogenese』(1984年刊行,Gustav Fischer Verlag, ISBN: 3-437-30450-X ※英訳あり.超高い!)の後継に位置づけられるだろう.系統推定論だけでなく,系統的分類体系についても詳しく論じられている(ただし PhyloCode は含まれていない).

◇うー,終わらん.書くべきもの,いっぱい.手は2本しかないし./今年の国際研究集会のアプリケーションを出さないとか.※目指せ,オスロ!

◇〈ネット喧嘩〉の消火方法 ―― あらきけいすけの研究日誌いわく,「このような火消しの知恵が表に出てくることは (争い事が表に出る頻度に比べて) 滅多に無い」.なるほど,メーリングリストやネット掲示板の管理運営者はそれぞれ“秘伝のワザ”を経験的に培ってきていると思うのですが,なかなかオモテには出ないのか.そーかそーか.困った経験のある方はどんどん周囲に公開しましょうね.ネット管理者の「虎の巻」としては,江下雅之『ネットワーク社会の深層構造:「薄口」の人間関係へ』(2000年1月15日刊行,中公新書1516,ISBN: 4-12-101516-9)をお薦めします(※以下は,かつて流した書評文です)――

ネットワークがライフスタイルに及ぼす影響だけではなく、その逆のライフスタイルがネットワークに与える効果(p.iii)を本書では論じます。最初の2章は、メディア産業の観点から見たネットワーク論です。続く第3章では、コミュニケーションの「場」としての電子ネットワークを「形成し維持する原理」(p.78)すなわち何がネットワークを形成する「求心力」(p.78)となっているのかという問題提起です。

著者の見解は、電子コミュニティのスケール効果(pp.82-83)もさることながら、結局は「場」を支える人間(とくに主催者)が求心力の本体であると結論します:「結局のところ、テーマないしは個人が求心力とならないかぎり、〈場〉は維持できないのである」(p.87)。第4章では、ネットワーク・コミュニティに特有の現象−匿名性に基づく騙し,ROMによる発言・聴取の非対称性に由来する監視状態,発言権力者をめぐる覇権争い,ネティケット論議,フレイミングなど−を個別事例的に論じます。こんなくだりも:

「参加者の一部だけが活発にメッセージを発し、圧倒的多数はそれを読むだけという状態はめずらしくない。むしろ、そうでなければ〈場〉は物理的に成り立たない(p.149)。」

「利用者はメッセージを読むために〈場〉へと集まっている以上、メッセージを活発に発信する人がその〈場〉の覇権を握るのは当然のことである(p.150)。」

確かにそうだ! 本章は私にも思い当たる事例が数多く紹介されています。続く第5章では、第4章で挙げられたような事例が生じる原因をコミュニケーション心理の観点から分析します。電子コミュニティでは「実時間が共有されないこと」(pp.196ff.)/「自意識の膨張」(pp.203ff.)/「距離感覚の錯覚」(pp.212ff.)/「人格の断片化」(p.218)などいくつもの要因が指摘されています。さらに本章では、こういうコミュニケーション論を逆手に取った対処の仕方がいくつか提示されており、私にはたいへん参考になりました。

MLのような電子コミュニティの参加者にとっては、きっと参考になる本だと私は思いました。

◇夕方5時半から組合の“旗開き”―― ちょっと飲み食いする.

◇朝がことのほか早かったので,意識がもーろーとしてきた.ただいま23時45分.寝るか,起きないか,どっちかに決めよう.

◇本日の総歩数=17242歩[うち「しっかり歩数」=9322歩/78分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.3kg/−0.8%.


18 januari 2005(火) ※ 原稿を書き,本を買う日

◇5時起き.気温プラス1度.ゲルギエフ指揮〈春の祭典/法悦の詩〉(UCCP 1035)を聴きつつ.ストラヴィンスキー〈春の祭典〉の第1部(大地礼賛)の終曲「大地の踊り」が沸き立つようでいいですね.第2部(いけにえ)には「祖先の呼び出し」というこれまた刺激的なパッセージあり.

◇きのう某メーリングリストで下した処分について,十分に予期された展開の投稿があったので,即座に水をかける.固有名詞をすべて省いた私の返答の本筋部分だけ抜き書きしておくと――

あまりにも予期された通りの流れになってきましたね.あらぬ方向の投稿が増えないように,ここで歯止めをかけておきましょう.「退会処分」にせず「無期限投稿禁止」にしたのは,復帰の可能性を残すためです.今回の関係機関に対しては,その後のやり取りを連絡していただくように私から求めています.その結果を受けて,復帰させるかどうかを私が判断します.

メーリングリストはリストオーナーの専決ですべてが決まります.その意味では「独裁」です.それ以外に何かあります? ただし,現実社会での「独裁国家」と異なっている点は,それがいやになった会員はいつでもメーリングリストを退会できる自由をつねに有しているという点ですね.驚くようなことではないでしょ?

さて,こういう投稿の流れが加速しますと,多くの会員が危惧するように,メーリングリストは荒れていきます.本筋とは関係のない論議がメーリングリストのログの大半を占めるようになり,他の会員は嫌になって離れていくというのがよくあるコースです.しかし,それに抗する対応策もまた単純でして:「本件に関する意見はリストオーナー個人宛に」.ということで,みなさんよろしくお願いいたします.

◇おお,こんな論文が(N部くん,さんきゅ)――

Elliott Sober & Steven Hecht Orzack
Common ancestry and natural selection.
The British Journal for the Philosophy of Science, 54: 423-437 (2003)

さっそく複写依頼出しました.※農水省関係の研究機関はさすがに〈BJPS〉を購入するほどフトコロが深くないので,こういう新着論文情報はタイムラグが出てしまうな.

―― と思ったら,なーんだ Sober さんのホームページで全文ダウンロードできるじゃない(蕎麦教授は太っ腹).この論文のアブストラクト(これは BJPS 誌のサイト掲載)から推測するかぎり,自然淘汰仮説は共通祖先(common ancestry)と量的遺伝(quantitative genetics)の背景理論がないかぎりテスト不能になるというのが彼らの主張ですね.この論文の前降りとして,次の論文(これも蕎麦サイトからダウンロードできます):

Elliott Sober & Michael Steel
Testing the hypothesis of common ancestry.
Journal of Theoretical Biology, 218: 395-408 (2002)

で展開されている論議が必要になるでしょう.

◇〈群淘汰〉の総説論文ですか? Sober & Wilson 本(『Unto Others : The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior』)の前半部分が群淘汰論争の適切な総括になっていると思います.

◇ゲルギエフのスクリャービン〈法悦の詩〉もなかなかしびれますな.Campanaの叩きまくりってとこかな.※Campanelli の音色がきらめいているが,奏者がうまいんだろうけど,楽器もいいんだろう.ここで午前7時.

◇農業気象のオゾンゾンデ・データからの統計解析についての質問.プロファイルのデータがそろっているようなので,クラスター分析するのは原理的には問題なさそうです.実際上の問題は,果たして数千もあるというプロファイルをOTUとするクラスタリング計算が,通常のパソコンで可能なのかどうか.もちろん,〈R〉を使う予定ですが,これだけ大きいデータからの計算はできますかね?? ※ダメだったら,〈Bogen〉をもってくるだけのことなんだけど.

◇実に5年ぶりの増刷 ―― チョー高いことで学生や研究者をうるうるさせてきた朝倉書店の叢書〈古生物の科学〉の第2巻『古生物の形態と解析』(1999年11月30日刊行,朝倉書店,ISBN: 4-254-16642-7)が思いもかけず増刷されることになった! こりゃサプライズだ. 朝倉から連絡があり,増刷に際しての修正箇所を連絡してほしいとのこと.いくつかのミスはすでにフィックスしてあるのですが,もし他に発見されていた場合にはご連絡ください.

◇久しぶりのいい天気なので歩き読みの再開 ―― ロバート・アンジェ(編)『ダーウィン文化論:科学としてのミーム』(2004年9月7日刊行,産業図書,ISBN: 4-7828-0149-1)読了.個人的には,ドーキンスの“ミーム”ではなく,もう一つの“延長表現型”に由来する〈ニッチ構築〉論がとてもおもしろく思えました(第6章).書評は記憶が揮発しないうちにぱぱっと書いてしまうにかぎる.※通読してみて,本書の訳文のクオリティがとても低いことを再確認した.名文を書けというのではない.せめて,ゲラくらいちゃんとチェックしてね.>訳者諸氏.

◇テレビドラマ〈不機嫌なジーン〉あれこれ ―― 結局,昨夜の第1回放映をぼくは見なかったのですが,見そうな人(失礼)のウェブ日記を拝見すると,みなさん,ほとんど同じ場面が記憶に刻み付けられたようですね(サンプル数3=「NATROMの日記」,「 空飛ぶ教授のエコロジー日記」,「あらきけいすけの研究日誌」).空飛ばない南原教授がドーキンスの『The Selfish Gene』のハードカバー版(ということは例のサイケなイラストにくるまれた初版本か?)を手にして浮気の責任を利己的遺伝子に転嫁する場面とか,彼が諫早湾を見下ろして慨嘆する場面とか.狭い「業界」の中ではけっこうな視聴率をとったのではと推察される.

◇日経サイエンス2005年2月号(Vol. 35, no. 2)から ―― 「生物命名法に革命を」(pp. 108-109).PhyloCode の主導者である Kevin de Queiroz 氏の登場.昨年夏の Paris での Hennig Society Meeting(→羅甸方画記)の直前(6-9 July 2004)に PhyloCode の第1回国際会議が同じ場所(パリ国立自然史博物館)で開催された.

◇するするっと1日が終わったな.

◇本日の総歩数=20870歩[うち「しっかり歩数」=10430歩/88分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.1kg/+1.4%.


17 januari 2005(月) ※ 忙中閑あり振替休日

◇なんだか午前2時半に目が覚めてしまうが,再び沈没,次に起きたのは6時前.気温はさほど下がらず(マイナス0.1度).路面凍結なし.いつも思うのだが牛久学園線(国道408号)を南下すると,榎戸交差点を越える前後で微気象がはっきり異なっていることに気づく.今朝は路面の濡れ方がちがっていた.以前にも榎戸の北側では夕立があったのに,南側では晴れていたということがあった.自宅と職場とは直線距離にして4キロほどしか離れていないのだが,こうもちがうというのは何かある?

◇スペインのソプラノ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスが81歳で亡くなったという新聞報道.カタロニア出身の大歌手ということで,バルセロナでの葬儀は公葬並みになるようだ.ヴィラ-ロボスの〈ブラジル風バッハ no. 5〉を歌った昔のLPをもっている.

◇国際日本文化センター,なかなかやりますなあ ―― 話題を呼んだ〈怪異・妖怪伝承データベース〉に引き続いて,その姉妹編ともいえる〈怪異・妖怪絵姿データベース〉を公開.ただし,画像閲覧のためには〈Gigaview〉という IE 用の無料プラグインをダウンロードしてインストールしないといけないとのこと.

◇日録から派生した本のブログ〈leeswijzer〉を開設して昨日でちょうど1週間が経った.きのうの午後6時の時点で計3200を越えるアクセスがあった.どうもありがとうございます.これからもよろしく.

◇今日は振替休日なので,研究所にたてこもる義理はどこにもないんですけどね.※そのうち消え失せよう.

◇いろいろ届く ―― 香内三郎『「読者」の誕生:活字文化はどのようにして定着したか』(2004年12月10日刊行,晶文社,ISBN: 4-7949-6640-7).※2段組で500ページ超とは.シンプルに重いんですけど./富山太佳夫『書物の未来へ』(2003年10月20日刊行,青土社,ISBN: 4-7917-6062-X) .※漏れ落ちの遅ればせでした./池内紀『二列目の人生:隠れた異才たち』(2003年4月30日刊行,晶文社,ISBN: 4-7949-6566-4).※これまた遅ればせ.同年9月5日の第8刷.よく売れたみたいですね.とりあえず,「中尾佐助」の節(pp. 188-199)を先に読んでしまう.

◇コピーすべきもの ―― D. L. Hull (1995), La filiation en biologie de l'evolution et dans l'historie des langues. Pp. 99-119 in: J. Gayon (ed.), La paradigme de la filiation. Editions l'Harmatten, Paris. ※〈系譜パラダイム〉を唱った論集らしい./S. Atran et al. (1999), Folk ecology and common management in the Maya highlands. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 96: 7598-7603. ※まあ必読ということで.だって Atran だしぃ.

◇吾妻の〈珈琲亭なかやま〉に移動.カール・ジンマー『「進化」大全 ―― ダーウィン思想:史上最大の科学革命』(2004年11月25日刊行,光文社,ISBN: 4-334-96173-8)の目次と紹介文.それから,例の新書原稿.んでもって,倉谷本の『遺伝』用書評原稿.※ここは書くための喫茶店ですねえ.

―― ついでに,ロバート・アンジェ(編)『ダーウィン文化論:科学としてのミーム』の目次も打ち込んでしまう.両方とも近日中にちゃんとした書評を載せる予定.

◇“第2章”書いてます,ハイ.

◇本日の総歩数=7324歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.1kg/−1.3%.


16 januari 2005(日) ※ 雪ならぬ雨の北千住

◇午前5時起床.一晩中,雨がざーざー降っていた.風も強い.気温が高めに推移したので,けっきょく雪にはならないようだ.

◇所用で北千住に出かける.JR北千住駅前にて,裳華房の倉谷本書評原稿を書いたり,日録を書いたり,現代新書の続きを夢想したり.

◇車中読書:ロバート・アンジェ(編)『ダーウィン文化論:科学としてのミーム』(2004年9月7日刊行,産業図書,ISBN: 4-7828-0149-1).いわゆる「ミーム本」の多くが“讃美者”の手になるものであるのに対して,本書は〈文化遺伝子〉としての〈ミーム〉がはたして何らかの科学的論議の対象となりえるのかどうかという編者(ならびに執筆者[の一部])の問題意識に沿って編まれた論文集だ.その点だけでも類書にはない魅力を本書は持ち合わせている.ドーキンスが最初に造語して以来,〈ミーム〉はすでに十分に広まっているわけだが,そのような「ことば」としての普及とは裏腹に,「ミームが存在するという何らかの証拠が必要だ」(p. 232)とか「ミーム論はどこへ向かうのか?」(p. 5)という根源的な問いかけがいまだになされているというのは驚き以外のなにものでもない.ミームにとって代わる代替理論がすでにいくつもある現状では,ミームってもう必要ないんじゃないかという気さえしてくる.執筆者のひとりであるデイヴィッド・ハルが書いているように,しのごの言っていないで実際にミームが「存在している」とかミーム的過程が「作用している」事例を“野外”で示したらどうかと逆にハッパをかけられているような現状では,編者が言うように「みのりあるミーム論の実証的研究にどの程度見込みがあるのかを考えると,気が遠くなると言いたい」(p. 257)という本音が漏れるのも当然のことだろう.タイトルからは想像できないほど「悲観的」な基調の論文集だが,それだからこそむしろぼくは読む意欲が湧いてしまう.

―― この本は昨年『図書新聞』から書評依頼されたものだが,すみません,まだ書評原稿は書いてません.ごめんなさい.でも,日録や〈leeswijzer〉に登場するようになったからには,近日中に書けてしまうものと思います.きっと.

―― 本筋には関係ないことだが,この論文集は編集上の「凡ミス」が多すぎるように感じる.ちゃんと校正ゲラのチェックをしなかったのだろうと推測する.※「R. Dawkinns」(p. 27)という名前の研究者は[ぼくの知っている範囲では]どこにもいません.

◇本を読むということ ―― 行く先々で知り合いに会うたびに「よくあれほど本を読めますね」と言われることがある.でもヘビーな読書家と呼ばれる人は世の中にたくさんいるわけで,本を読むことそれ自体に何かしらの価値を置く必要はないと思う.どのようなジャンルの本であるかによっても読書行為のありようはちがってくるだろうし,読書に関してみだりな一般論を開陳してもしかたがない.ぼくに関して言えば,効率的に本を読むためには「一定速度でページをめくること」に尽きる.加速をつけて読み飛ばしたり,ゆっくり読み込んだりしないで,定速で着実に読み進む.ただし,定速は低速ではない.ふつうに書かれてある文章ならば,1時間で100〜150ページという定速読書が基本ペースとなる.千ページを越えるような大著であってもこの原則には変わりがない.読書速度×読書時間=総頁数によりすべては解決される.新しいページをめくったらできるだけいっぺんに多くの行を視野に入れて写真を撮るように「見て」しまう(ひょっとしたら「読んで」いないのかもしれない).著者に関する事前知識があれば,すべての単語に眼を通すまでもなく,キーワードを節点として“スプライン近似”しながら読み進むというワザも[たまには]使える.もちろん,書評を前提とする読書の場合は,1)本への書き込み(marginalia);2)論点のメモ書き(jottings);3)付箋紙の貼付け(Post-It)という「3点セット」は不可欠だ.もともと,読んで覚えるという習慣(能力?)がぼくには欠落しているので,記憶にとどめるためにはひたすら「書きこみ」をする必要がある.昨年から習慣化してしまった「歩き読み」でも携帯筆記用具を持ち歩いている.要するに,「定速読書」と「書きこみ」がぼくの場合の本読みの秘訣ということになるのかな.

◇夕方になっても冷たい雨が強く降り続く.気温は日中でも零度近かったのではないか.もう少し寒ければ大雪になっていただろう.雨に打たれつつ北千住から帰還する.夜になってやっと小止みになった.

―― 帰りの車中で,アンジェ本のハルの章(「ミーム論をまじめに取り扱う――ミーム論は我らが作る」,pp. 51-79)を読了.ミーム学は科学における概念的系統発生の復元と継承過程のメカニズムの解明を目指すべきだという指摘(p. 62)はその通りだと思う.非生物の系統学と関連づけられるならば,“ミーム”にも存在価値がないとはいえない.しかし,そのときにはわざわざ“ミーム”という言葉をつかう理由はどこにもないだろう.ハルはドーキンスに先立つこと70年前にドイツの Richard Semon が提唱した“ムネーメ”という概念が“ミーム”の先駆であると指摘した上で,ミーム学はドーキンス以降このかた「20年間」の停滞に陥っていたというのは間違いで,実は「100年間」近く何一つ進歩していなかったのではないかと言う(p. 59).手厳しいこと R. A. フィッシャーのごとし.

◇ワルター・シュピースに呼ばれたのか,ガムラン音楽の本棚のCDが奥深くから浮き出ていた.バリとジャワがそれぞれ1枚ずつある.どちらも20年近く前に買ったものだが,その存在をすっかり忘れていた(〈Gamlan Music in Bali〉[CBS/SONY 32DG 58]と〈瞑想変幻:ジャワのガムラン〉[K30Y 5109]).ここしばらくは明け方の農環研にガムランが鳴り響くのだ.

◇近くの新古書店にて:『飯島耕一・詩と散文・第2巻』(2001年2月1日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-04732-2).う〜ん,シュールレアリズム詩に格段の関心があるわけではないんだけど,いくら新古書店で売れないからといって,定価「3,500円」をたった「300円」で叩き売ることはないんじゃないの?(それで買えたのはうれしいんだけど) 瀧口修造と西脇順三郎に関する評論が大半を占める.前の持ち主が挟んだと思われる書評記事の切り抜き(『週刊朝日』30 March 2001, p. 121)あり.これも何かの縁ですな.一期一会.※全5巻とのことだが,他の巻も出ているのだろうか?―― と思って調べてみたら,2001年のうちに全巻刊行されていたようです.

◇明日の朝は路面の凍結がやや心配.

◇本日の総歩数=11744歩[うち「しっかり歩数」=1411歩/11分].全コース×|×.朝○|昼△|夜×.前回比=+0.6kg/+0.9%.


15 januari 2005(土) ※ 雪の予感の週末ほっこり

◇昨夜は午前1時過ぎまでごそごそ夜更かししていたので,遅起きの午前6時.この週末は南海上を通過する低気圧のせいで,関東は積雪が予想されている.朝から弱い霧雨.気温は高く体感的に5度くらいはありそう.歩きましょうね.>ワタシ.

―― 早朝の歩き読み:昨年末に松本で買った伊藤俊治『バリ島芸術をつくった男:ヴァルター・シュピースの魔術的人生』(2002年1月23日刊行,平凡社新書126,ISBN: 4-582-85126-6)読了.200ページあまりの新書.先日〈leeswijzer〉に書評を書いた坂野徳隆『バリ,夢の景色:ヴァルター・シュピース伝』(2004年12月3日刊行,文遊社,ISBN: 4-89257-043-5)の「復習本」として読むつもりだったのだが,意外にも新書の割には視野がより広いように感じた.シュピース本人だけではなく,バリ島のヒンズー教文化の流れそのものに力点を置いた書き方だからかも.

―― Book-Ace にて新刊棚を物色する.お,ついに全5巻が完結しましたね:津金澤聰廣・土屋礼子(編)『新聞社会事業と人物評論:大正・昭和の風俗批評と社会探訪[村嶋歸之著作選集第5巻]』(2005年1月25日刊行,柏書房,ISBN: 4-7601-2616-3).今回が最終配本か.そのうちまとめて買ってしまおう(古書店でね).このジャンルの本はまたいで通るわけにはいかないのだ.高校時代に読んだ横山源之助『日本の下層社会』(岩波文庫)の記憶がまだ刷り込まれたままだからだと思う.※編者のひとりである土屋礼子さんは明治初期の錦絵新聞に関する著作を何冊か出しているが,どれも魅力的だ.

◇日経サイエンス編集部から書評依頼あり ―― カール・ジンマー『「進化」大全 ダーウィン思想:史上最大の科学革命』(2004年11月25日刊行,光文社,ISBN: 4-334-96173-8)の書評原稿を2月上旬までに送ってほしいとのこと.※訳師さまの一念が日経に通じたか.

◇昨日の成績検討会議での討議に沿って,来週中にも報告書類の書き直しをしないといけないのだが,それはどこかの隙間時間にちょいちょいとすませることにする(ぜひそうしたい).それよりもおおもんの原稿がいくつか年末から滞ったままなので,そちらを進めておかないとまたえらいことになる.「一難去ってまた一難」ではなく,「一難そのまままた一難」.

◇来週早々にも届くはずの『書物の未来へ』(2003年10月10日刊行,青土社,ISBN: 4-7917-6062-X) がやってくる前に,富山太佳夫の青土社本の蔵書チェック:富山太佳夫『シャーロック・ホームズの世紀末』(1993年11月15日刊行,青土社,ISBN: 4-7917-5273-2)と富山太佳夫『ダーウィンの世紀末』(1995年1月20日刊行,青土社,ISBN: 4-7917-5354-2).いずれも10年ほど前の本だが,19世紀イギリスの社会と文化・世相についての論集.ダーウィンの進化思想をめぐる波紋についても言及が多く,参考になる.進化思想の社会的・文化的インパクトの論議では,「富山太佳夫」の名前を目にすることが多いようにかつて感じた.

◇毎年,年のはじめに届く ―― Annual Review of Ecology, Evolution, and Systematics, Volume 35(2004年,Annual Reviews,ISBN: 0-8243-1435-2).昨年から誌名(書名)に“Evolution”が付け加わり,厚さがさらに増した.700ページ超.おもしろそうなのは,まず【種】の操作的判定基準を論じた J. W. Sites, Jr. & J. C. Marshall「Operational criteria for delimiting species」(pp. 199-227)と動物系統を論じた K. M. Halanych「The new view of animal phylogeny」(pp. 229-256)かな.※Annual Reviews の正誤表はオンラインで公開されているのですね(知らなかった).

◇『Academic Resource Guide』の最新号(No. 204: 15 Jan. 05発行)からの情報 ―― 日外アソシエーツが〈レファレンス・クラブ〉を公開.オンラインの難読語辞典(「固有名よみかた辞典」)が無料で使えるようになった.「なまえ」に関するリンクがリストアップされている.

◇雪の予報だったが,朝からずっと降り続いているのは冷たい雨.気温がやや高めだったからか.

◇午後,某誌[学術誌ではない]への投稿原稿の査読を1件進める.再レフリー.前回よりは視野が広がってよくなっているように感じる.科学史的な論文の評価については,科学史を専門とする人と科学を専門とする人とでは評価の基準や着眼点にちがいがあることがある.科学史的におもしろいことは科学的にはつまらないことがよくあるし,科学的には関心を引いても科学史的には論議のしようがないということもあるだろう.ただし,雑誌や他のメディアに「活字」として公開され,科学と科学史のいずれもが読者になり得る場合は,もっと実利的な基準すなわち「この媒体の想定読者がこの記事を読んでおもしろいと思うかどうか」を予測的に判定することが査読者の主たる役割となるだろう.

―― 2年ほど前に,京大人文研の報告書である阪上孝(編)『変異するダーウィニズム:進化論と社会』(2003年11月1日刊行,京都大学学術出版会,ISBN: 4-87698-621-5)の書評を公開したとき,ぼくは相当に辛口の評価をした.後に,ぼくの書評に言及した発言がインターネットで引っかかってきたのだが,それには「理系の人の評価と文系の人の評価では大きなちがいがある」という趣旨の反論がなされていた.もちろん,学問的出自によってものの考え方とか価値観が左右されることは多かれ少なかれいつでもあることだ.しかし,いったん「活字」となってオモテに出すからには,理系・文系という“見かけの壁”はもう関係なく,その媒体が「中心テーマ」についてどれほど能弁に語っているかが共通の基準になると思われる.科学者の立場から見て実にみごとな論を展開する科学史・科学哲学のプロもいればそうでない人もいる.結局は個人の力量の問題なのだろう.

◇夜になっても,雨がざあざあ降り続く.雪にはならないらしい.しかし,低気圧がまだ通り過ぎないので,風雨はまったくおさまりそうにない.

◇本日の総歩数=11834歩[うち「しっかり歩数」=9007歩/70分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.5kg/+0.5%.


14 januari 2005(金) ※ 会議な1日の始まりと終わり

◇午前5時に起床するはずが,6時前まで寝過ごしてしまう.(アホバカ)

―― 氷点下3.1度の研究所に到着.昨夜じたばたつくった書類をプリントアウトし,20部コピー,ステープラーで綴じて,やっと会議前の作業が終わる.

◇午前10時から来賓室(!)にて成績検討会議の始まり ――

◇短い昼休みに,ひさびさの歩き読み ―― 成績検討会議で向かい側に座っているデイビッド・スプレイグさんの『サルの生涯,ヒトの生涯:人生計画の生物学』(2004年5月15日刊行,京都大学学術出版会,ISBN: 4-87698-313-5)を読了.200ページほどの本.フェイントかまされました.ソフトな語り口にダマクラかされて,人生の「大問題」(〈あなたは「人生の駆け引きに勝ちましたか?〉そして〈あなたの人生に悔いはありませんか?〉)を突きつけられた気がした.京大刊行会からではなく,もっと別の“人生論”関係の出版社から出ていたら,ひょっとして大ブレークしたのじゃなかろうか? >スプレイグさん.

―― [夜]速攻で書評を書き上げる.→〈ここの書評〉と〈leeswijzer〉.

…… うへぇ.午後5時半にやっと成績検討会議が終了.こら,たまらんなあ.“会議ちう”についワルいことしてしまいました.(オフレコ) ま,今日のオシゴトからはこれにて放免でございますです.

◇リチャード・モラン『処刑電流』(2004年9月17日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07104-5)が,思いがけずbk1の「今週のオススメ書評」に選ばれました.たまーに書評投稿してみるもんですな.※3,000ポイント,ゲット!

◇なんだか〈灰〉になったよーな心地.もう寝よかなー.

◇本日の総歩数=12614歩[うち「しっかり歩数」=4607歩/38分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=−0.6kg/−1.4%.※「書類書きダイエット」ってある?(ポカ)


13 januari 2005(木) ※ とても長い「登攀」の旅であった

◇午前4時起床.ブラス0.1度.北風が強い明け方.体感温度は低い.研究所にて書類作成の続き.

◇プチ現実逃避 ―― 倉谷滋『動物進化形態学』の書評を公開.読み始めてからちょうど1年.半年に及ぶ中腹でのビバークを乗り越え,やっと下山できた.この本の書評は,聞くところでは,遠藤秀紀さんが『哺乳類科学』誌に寄稿された以外はまだないそうだ.想像するに,登攀中にクレバス滑落や雪渓踏み抜きなどの不慮の事故で帰らぬ人となった読者はきっと少なくないだろうと思う.こういう厚い本を読むときには,むしろ〈鳥〉に進化して空から見下ろし,ここぞというところに着地して読み込むというのが,哀れな読者の特権だろうと考える.

◇日が高くなっても北風が冷たい.風速3.8m/秒.さらに書類を書き続ける.ゑくせるのごたごたが終わったと思ったら,こんどはわーどですか(_| ̄|○).

◇倉谷本の書評を EVOLVE / TAXA 送りにして,ついでに〈leeswijzer〉にも掲載.倉谷さん本人にも通知する.この本は“読み手を選ぶ”専門書だと思われるが,出版後に出た書評としては,1)国立科学博物館の遠藤秀紀さんが哺乳類学会の『哺乳類科学』誌(2004)に書いたもの(光明さん情報);2)奈良先端大の安田さんが『蛋白質・核酸・酵素』(2004年7月号)に書いたもの(倉谷さん情報);3)静岡大学の生形貴男さんが古生物学会和文誌の『化石』76号(2004)に書いたもの(樽さん情報)があるそうです.それ以外に,東大の佐々木正人さんが東大出版会の『UP』(2004年4月号)で新入生に勧める本として紹介された記事があります(確認済み).※しかし,この本を新入生に勧めると即死者続出だと危惧されるのですが.

―― オンライン書評を出したと思ったら,すかさず『生物科学』編集長から〈“みなか”ワールド〉にピックアップするとの通知.内容的にもっと書き足さないと許してくれないそーな(オニ)./裳華房『遺伝』編集部からメール.倉谷本の書評文は800字までに抑えないとダメらしい.ということは,書き足すどころか逆に削らないと.

◇信州大学集中講義のレポートが続々と届く.※明日が締め切りなので,単位が必要な〈受講生〉諸氏は遅れないようにね.

―― 今回は,講義室と演習室とが別々だったので,行ったり来たりで緊張が緩んでしまったきらいがある.また,パソコン実習室だとひとりひとりの学生にどうしても目が行き届かないので,へたをすると「実習」のはずが「自習」になってしまうということも起こりえる.できれば,ノートパソコンを一人一台もてるようにして,講義と演習とがシームレスになるのが理想的だ.今回はティーチング・アシスタント役をしていただいた何人かのおかげで助かったが,それでも50名以上もの学生を相手にするのは厳しかった.「集中講義ではない方がよかった」という声もアンケートに書かれてあった.確かに,教える側の教員がうまく用意できるならそれがもっともベストの選択肢なのだろうと思う.

◇吾妻の〈ピーターパン〉に新製品「イチジクのドイツパン」が登場.※美味.

◇メーリングリストで宣伝すると効果ばっちり ―― leeswijzerへのアクセスが急増して,24時間で700アクセスに達した.カテゴリー内ランクはこの時点で「28位」.

◇わーどでまだまだもがく夜.じたばたする.寝たのは午前1時をまわっていた.明日が成績検討会議の本番.

◇本日の総歩数=8023歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.3kg/+0.1%.


12 januari 2005(水) ※ 寒い夜はとっても長いぞ

…… 前夜からそのまま居座っている.年に数えるほどしかない「ゑくせる苦闘」とかしたりする.ほかにもいろいろと書類があってですねー.まったくねー.

◇ウェブログ〈本録[leeswijzer]〉さらにその後 ―― 2日後の昨日午後6時の時点でアクセス数が1000を越えた.ほぼ500アクセス/日という率になる.〈人気blogランキング〉の「本・読書」カテゴリー内の順位は,日が変わる頃から第50位に上がった.

◇某MLでのトラブルに関して関係者から苦言メールがくる.まあ,しかたがないことなのですよ.メーリングリストでのトラブルをリストオーナーとして回避しようとするときの鉄則のひとつはいずれか一方に肩入れしてはいけないということです.リストオーナーが積極的に介入したために泥沼に陥ったケースはたくさんあります.当事者にしてみれば,確かに不満が残る場合もあろうかと思います.それにもかかわらず,リストオーナーは“中立的”な立場から事態を解決しなければならないのです.多くの先例が物語るように,ネット・コミュニティでの「論争」は早期消火が大原則で,ずるずると先延ばしにするというのは禁物です.いつまでも反論が続くという可能性がきわめて高いこと.これはまちがいないです.したがって,一方がどれほど反論をしても,他方は負けずにエンドレスな論争が続くという事態が往々にして生じます.これはメーリングリストの運営にとってマイナス以外の何ものでもないことは明らかです.さらに,おそらく消耗的な論争をずるずる続けていくと,その過程で他の部外者からの賛否の意見(的に当たっていたり外れていたりする)が続出して,収拾がつかなくなる事態も予想されます.いったんそうなってしまいますと,リストオーナーにはもはや手に余ることにもなりかねません.ネットコミュニティでの争いは誰にとってもプラスになりません.他の会員が離れていくことにもなりかねません.リストオーナーとしてはこのような危険性を考え,早期に公開の場での論議を打ち切るという選択をしました.

◇〈これから出る本[2005-No.2:1月下期・2月上期合併号]〉から期待本 ―― 戸田山和久『科学哲学の冒険』(NHK出版[NHKブックス1022],ISBN: 4-14-091022-4)/アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』(京都大学学術出版会[西洋古典叢書・第III期],ISBN: 4-87698-157-4)/竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う』(人文書院,ISBN: 4-409-53030-5)/神坂次郎『南方熊楠の宇宙:末吉安恭との交流』(四季社,ISBN: 4-88405-304-4)/根本幾・川勝真喜『詳解・独立成分分析』(東京電機大学出版局,ISBN: 4-501-53860-0).

◇明け方は冷えました(氷点下4.1度).午前8時前にいったん帰宅,がーっと食べて,すぐ寝る(不健康きわまりない).ごそごそと再起したのは正午前(どこぞの寮生みたい).研究所への重役?出勤.また書類づくり.ぬかるみなお続く.

◇某MLでの某トラブルの火消し後始末(「灰」の掃除)は後回しね.※優先順位低いです.

崇文荘書店から洋書古書目録が届く.今回は〈日本古書籍協会創立40周年記念即売展:世界の古書・日本の古書〉(1月28日〜29日:六本木ヒルズ)のカタログをも兼ねているので,いずれも稀覯書ぞろい.とても「買う」を実現できる価格帯ではない(ゼロの数が多すぎる).それでも「見る」愉しみだけは残されているのが幸い.自然科学系の古書をピックアップ ―― Ernst Haeckel『Kunstformen der Natur』(1924年,彩色・白黒図版100枚,80万円[No. 19]).※あの美麗な大版図版が百枚も! もちろん,現在では,この本の図版をすべてオンラインで見ることができ,ヘッケルのなみなみならぬ画才を鑑賞することはできる.でも,“モノ”としての図版はそれとはちがうからねえ.見るだけでなく買える人がうらやましい./Charles Darwin 自筆書簡1通(58万円[No. 58]).※未発見の書簡? /Francis Galton『Finger Prints』(1892年,9万円[No. 339]).※指紋による生体認証法の最初の文献./Alexander von Humboldt『Kosmos』(1845-1862,全6冊,48.3万円[No. 414])./その他,ケルムスコット・プレスの本や彩色博物図鑑も多数出展されるようだ.

◇新発売の〈iPod Shuffle〉―― 音楽を聴く装置というよりも,1GBの USB メモリー[に毛が生えたもの]と考えた方がいいのかな.USBに差し込むところとか,サイズ的にもまさにそのものだし.

◇来年度,東大農学部での非常勤講義の提出書類 ―― 2年前と同じく〈保全生態学特論〉という名前の〈生物系統学〉の講義(15時間).大筋はそのときの講義題目(→体系学講義資料)に準拠するが,アップデートしなければならない箇所もある(分子系統学のモデル選択の論議とか,参考資料リストとか).人事の履歴書を送らないと.

◇昨年暮れの信州大学集中講義の課題レポートがぽつぽつと集まり始めている.こういう出前高座のときにはいつも講義アンケートを取るようにしているのだが,「個人的には一時間で区切られていたのがうれしかったです」という声があった.大学での講義は「90分」が単位だが,集中講義の場合,ぼくは心して「60分」ごとに休憩を取るようにしている.かつて予備校で講義していたときのリズムが残っているせいもあるが,聴く側も短いインターバルで休憩を入れた方が気分転換とリフレッシュになっていいのだろう.都立大学での集中講義のときにも受講生から「ゆったりとした時間の取り方でした」という評価をもらったのはそのせいだろう.

◇〈leeswijzer〉またまたその後 ―― ちょうど3日経った午後6時の時点で「1529アクセス」.きれいに「500アクセス/日」を維持しているようだ.〈人気blogランキング(本・読書カテゴリー)〉で「43位」につけている.

◇あ,また夜がきたか.ここのところ1日のサイクルが早い気がしている.

◇本日の総歩数=7938歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼−|夜○.前回比=0.0kg/−0.1%.


11 januari 2005(火) ※ もう後がないというハナシも……

◇4時半起床.マイナス3.1度.せっぱつまる.

◇〈生物学の哲学〉ネタ ―― 確かに,1月7日付の〈Diary〉で伊勢田さんが書いているように,潜在読者層の掘り起こしなく,いきなり“電話帳”こと D. L. Hull & M. Ruse (eds.)『The Philosophy of Biology』(1998年刊行,Oxford University Press, ISBN: 0-19-875212-1)を全訳しようというのがムリっぽかったのかもしれませんね.とすると,まずやるべきことは読み手の発掘か.手頃なのは,単一著者の教科書だったら,Elliott Sober 『Philosophy of Biology, Second Edition』(2000年,Westview Press, ISBN: 0-8133-9126-1)かな(230ページというのは入門書として適切な分量だと思う).もしアンソロジーをということなら,Michael Ruse (ed.)『Philosophy of Biology』(1998年,Prometheus Books, ISBN: 1-57392-185-8)でしょうね(分量的にも Hull / Ruse 本の半分だし).もちろん,「生物学の哲学」の入門書を書いてくれそうな若手が育ってくれるのであればそれに越したことはありません.そうあってほしいものです.暮れにぽしゃった本の打合せ会議の席上でも,どういう層を読者として想定すればいいのかという論議が続きました.たとえば,大学などで教科書として採用されることが[ほぼ]確実な本であれば,出版社側も安心して出せたのではないかと今にして思ったりもします.この点であの“電話帳”はまちがいなく損をしたようです.※いまになって「if」を言ってもしかたないのですがね.

◇備忘メモ ―― 年末にゲットした府川充男『難読語辞典』(2005年1月1日刊行,太田出版,ISBN: 4-87233-901-0).とても読めそうもない漢字熟語がこれでもかとリストアッブされている.ひとつ気になるのは,外国の国名・地名の「漢字表記」が見出しに載っていないこと,“亜米利加”とか“巴里”ならまだしも読めない漢字表記はたくさんあるから.固有名詞の漢字表記については,前著である府川充男・小池和夫『旧字旧かな入門』(2001年3月1日刊行,柏書房,ISBN: 4-7601-1997-3)の方がもっとたくさん載っていたと思う.

◇リチャード・モラン『処刑電流』(2004年9月17日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07104-5)の書評に関して,うれしい言葉をいただく.感謝です.>I原さん.

◇泥沼に引きずり込まれるように書類作成中.初代・空飛ぶ教授のように「さささー」と書類をつくり,「しししー」と耳を揃えて提出できるようになりたいものだ.※そういうウワサでしたが.

◇早田文蔵論文のコピー取り ―― Bunzô Hayata 1921a. An introduction to Goethe's Blatt in his “Metamorphose der Pflanzen”, as an explanation of the principle of the natural classification of plants. Pp. 75-95 /Bunzô Hayata 1921b. The natural classification of plants according to the dynamic system. Pp. 97-234 in: Icones Plantarum Formosanarum, Vol.10.[臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料・第拾巻]臺灣總督府民政部殖産局編.ページをめくるたびに紙の破片がコピー機のガラス面に舞い落ちたとのこと.紙も製本もほぼ崩壊寸前だと思われる.コピー後,農林水産政策研究所(旧:農業総合研究所)に返却する.

◇連日の冬晴れは続く.昼休みの歩き読み.気温7.1度.ジャック・レプチェック『ジェイムズ・ハットン:地球の年齢を発見した科学者』(2004年10月20日刊行,春秋社,ISBN: 4-393-32219-3)をまるまる読了.260ページの本.字詰めが緩い本だったか? 17世紀末のダリエン事件に端を発するスコットランドとイングランドの確執(闘争)を背景に,18世紀のエディンバラに活躍した科学者ハットンの生涯と彼の学説(「火成説」)の辿った運命を描写する.多くの北都を特徴づける多くの科学者や思想家が登場する.ハットンが明文化した「斉一主義」は,19世紀に入って,チャールズ・ライエルの地質学やチャールズ・ダーウィンの進化学に決定的な影響を及ぼした.本書は,一般向けに書かれた伝記なので筋を見通しやすくするためか,いささか“直線的”な書き方が鼻につく箇所もある(とくに後半の章で).しかし,ウェルナーの「水成説」と対決しつつ,さらに当時主流的な考えだった「聖書地質学」をも敵に回しつつ,ハットンの「火成説」がどのように形成され,広まっていったのかがよくわかる1冊になっていると感じた.なお,文中でA. G. Wernerの活動した地を「フライブルグ」(“Freiburg”の意味)と書いているが,正しくは「フライベルク」(“Freiberg”)である.

第3回毎日書評賞を受賞した『書物の未来へ』(2003年10月10日刊行,青土社,ISBN: 4-7917-6062-X) の著者・富山太佳夫さんのインタビューでの言葉:[自分にとって書評とはという問いかけに対して]「読書の一部ですね。一番楽しいのは本を読むこと自体ですが、その喜びを引きずっていては、次の本を読めません。だから書評を書くことで、自分なりにその本にけりをつけるんです。大好きですね。本当は毎日書きたいんですよ」だそうだ.御意.※それよりも,買いそびれたこの書評集を買わないと.蒐書の漏れ落ち[ここのところ]多し.

―― さらに本メモ:坂野徳隆『バリ,夢の景色:ヴァルター・シュピース伝』(2004年12月3日刊行,文遊社,ISBN: 4-89257-043-5)の書評が毎日新聞に載っていた.いい本は黙っていてもちゃんとピックアップされる.

◇午後10時に研究所に再出勤.でもって,アタッカで翌日に続く ――

◇本日の総歩数=19359歩[うち「しっかり歩数」=10837歩/90分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=+0.6kg/+0.1%.


10 januari 2005(月) ※ なおドロナワ続く成人の日

◇5時半起床.夜明け前に読み歩く(活字がほとんど読めないぞ).氷点下の気温.乾いてぴりぴりする.Book-Ace に立ち寄り Blog に関する情報収集.クーロンヌでパンを買って帰還.1万歩ほど.

―― 長山靖生『おたくの本懐:「集める」ことの叡智と冒険』(2005年1月10日刊行,ちくま文庫,ISBN: 4-480-42047-9)を200ページほど読み歩いて読了.やっぱり文庫化に際しての改題は失敗だったと思う.現題『コレクターシップ』(初版は1992年4月1日にJICC出版局から出た)をそのまま残すべきだった.日本のコレクター伝(荒俣宏,澁澤龍彦,南方熊楠らを含む)はなかなかおもしろかった.そもありなんという点も多々ある.著者は言う:

集めるという行為が我々の精神にどんな変化をもたらすのか,集めるということがいかに我々の思考に関与するのかを考えてみることにしよう.(p. 158)

著者は,コレクションをつくろうとするコレクターの目指すべき目標として〈体系化(systematize)〉を掲げる:

コレクターたるもの,目利きを超えて“目明け”を目指す気概が必要だろう.規制の価値観に捉われず,本当に自分が嗜好するところにしたがって,自分だけの体系を創っていくのである./自分自身の眼を頼りに,良いと思うものを「良い」と断言する.それが目明けだ.これを成し得た時こそ,我々は,本当に自分自身の眼で世界を眺め,自分自身を獲得することができるのである.それこそがコレクターシップの神髄なのだ.(p. 216)

コレクションを築きあげていくことは自分自身をかたちづくっていくことにほかならない./コレクターシップとは,生活の姿勢のことである.日々のライフスタイルであり,周囲に向ける“眼差し”である.(p. 233)

―― なるほどコレクションづくりとはコレクターにとっての Bildung ということですか.ところどころ散漫な文体が気になるが,考えさせる論点はもっと多い.※読了してみてやはり『おたくの〜』というタイトルは不適切であることを再認識した.サブタイトルの方がずっとよく内容と合致している.

◇新刊メモ ―― 篠田有子『家族の構造と心:就寝形態論』(2004年12月15日刊行,世織書房,ISBN: 4-902163-10-1).※家族の〈川の字〉についての社会学的論考[だと思われる].立ち読みしたかぎりでは,専門書のようで読みづらかったが,アンケート調査などを踏まえた,家族の「就寝スタイル」に関する本.おもしろいテーマなので新書だったらきっと買っただろう./アンドリュー・ドルビー『スパイスの人類史』(2004年12月24日刊行,原書房,ISBN: 4-562-03800-4).※香料史っていうのは世界史と食文化史のはざまでとりわけさかんな研究分野なのだろうと思う.

◇〈空飛ぶ教授〉から釈明あり ―― な〜んだ,やっぱり“暖簾分け”してもらったんじゃないですか.空飛ぶ教授の「極意」とかも免許皆伝?

◇日中はず〜っと籠りっきりです.ず〜っとね.不健康の極みだ.そのまま夜に突入してしまう.まずいなー.

◇ウェブログ〈本録[leeswijzer]〉その後 ―― 昨日午後6時に公開した leeswijzer は24時間経過した今日の午後6時までに500アクセスを越えた.これが多いのか少ないのかまだよくわからないのだが.ちょこちょことスタイルやらコンテンツを変更しつつ,大筋は固まりつつあるようだ.〈ハウルの動く城〉ではないが,とにかく動きながらあちこち修正して進むしかないだろう.「本録」を訪問された方,ありがとうございます.これからもよろしく.

◇今日は不夜城かな〜.

◇本日の総歩数=16484歩[うち「しっかり歩数」=10563歩/80分].全コース×|○.朝○|昼○|夜×.前回比=−1.1kg/+0.2%.


9 januari 2005(日) ※ クラい連休の“はてな”

◇5時起き.気温マイナス3.7度.かなり冷えている.夜明けが早くなってきた東の空には,明けの明星と糸のような三日月が朝焼けに浮かんで並ぶ.

―― 早朝の研究室にて引き続き書類づくり(クラい……).これでワタシは連休をつぶすのでせうか? ねえ.

◇朝からからっとすきっと冬晴れ.あらゆるものをとりあえず干してしまう.洗濯物からふとんから何から何まで.

◇家に持ち帰りの仕事.乗らない乗らない.ぜんぜん,はかどらない.まずいまずい.

◇現実逃避(其の壱)―― ちくまから新刊文庫がぞろぞろと:長山靖生『おたくの本懐:「集める」ことの叡智と冒険』(2005年1月10日刊行,ちくま文庫,ISBN: 4-480-42047-9).※なんでまたこんな変なタイトルをつけたんでしょ.1992年刊行時の『コレクターシップ』の方がはるかに適切だと思う.1/3ほど隠れ読みしてしまった./岡崎武志『古本生活読本』(2005年1月10日刊行,ちくま文庫,ISBN: 4-480-42043-6)./松田壽男『古代の朱』(2005年1月10日刊行,ちくま学芸文庫,ISBN: 4-480-08900-4).※日本の水銀をめぐる技術史.

やはらもすなる“はてな”―― では,ワタクシめも公開しましょ.

◇現実逃避(其の弐)―― 日録に散在する【本】の情報(新刊・古書を問わず)だけをピックアップして,“はてな”に置くことにしました.せっかく日録でメモしたのに,買わないまま記憶から消え去った本がどれほど多いことか.新刊・古書に関するきわめて selfish な備忘録として〈leeswijzer〉を公開します.この〈leeswijzer〉はもちろん〈日録〉とは姉妹群関係にあります(内容的には明らかに祖先子孫関係にあるのだが).とりあえず,今年の元旦からのコンテンツを置きました.※「leeswijzer(蘭)」とは「ブックマーク/読書目録」のこと.dagboek が「日録」なら,leeswijzer は「本録」.

―― とコッソリ公言したつもりが,ほとんど間髪入れずにikushimoさんにトラップされてるし…….

◇〈空飛ぶ教授〉異聞 ―― ぼくの記憶では〈Flying Professor〉という「称号」は,この春に放送大学をリタイヤするI槻さんの登録商標のはずだったんだけどなあ(北白川のM上くんからそう聞いた記憶がある).しかし,Y原さんがそう自称するからには,ある時点で初代から二代目への商標委譲がなされたということか(蕎麦屋の“暖簾分け”あるいは芸道の“一子相伝”みたいなもんかいなあ).>二代目〈空飛ぶ教授〉は釈明する義務がある(爆).

―― そんなアホなこと考えてるヒマがあったら書類を作りましょ.あー時間ない時間ない.>ikushimoさん,時間ありますぅ?(イケズ)

◇そう,時間なんかいつもないもんね.だからこその「寄り道」だったりする ―― “はてな”の「ヘルプ」はぜんぜんわかりませんなあ.とにかく,html文を〈dagboek〉から〈leeswijzer〉にコピー&ペーストしてしまう.こういうときに「完璧主義」は禁物.とにかく「拙速主義」あるのみ.しのごの言わずに早くやれということ.※あ,また自分にはね返ってくる言葉.

◇こんなにいい天気だったのに,終日“引きこもり”だった.不健康なシアワセ.

◇本日の総歩数=1413歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=−0.3kg/+0.2%.※歩数千歩台の生き物を「ほぼ固着性生物」と呼ぶ.


8 januari 2005(土) ※ 真夜中のマリア,百人町うろうろ

◇午前3時半に目覚める.気温はプラス3.1度なのだが,北風が強くとても寒い.研究室もよく冷えている.

―― BGMはアストル・ピアソラのタンゴ・オペリータ〈ブエノスアイレスのマリア〉.1996年にスペインで販売されたCD2枚(DISCMEDI / DM 156CD).全曲83分という長さはアルゼンチン・タンゴの曲としては例外中の例外かも.1968年の録音でモノラルだが,いい音質だと思う.御大のバンドネオンが印象的なのは当然か.それよりもスペイン語の語り(オラシオ・フェレール)がしみ込んでくる.リブレットが付いていないので歌詞(と語り)がよく理解できないのだが,紹介ページなどを見てみるとなんとなくわかる.

◇合間にちくちくと事務書類をつくる.とても不健康かもしれないが,今日は分類学会連合の総会と公開シンポジウム〈種の違いをどのように見分けるか:生物を種の単位で見てみよう〉があるので,朝から新宿まで出かけないといけない.それまでにやることやっておかないと.

◇分類連合シンポジウムとぶつかるように,今日の午後に駒場で〈公開シンポジウム「世界の科学教育」〉が開催される.出演者には有名人が多いが,事前アナウンスがほとんどなかったのはどうしたことか.

◇リチャード・モラン『処刑電流:エジソン,電流戦争と電気椅子の発明』(2004年9月17日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07104-5)の書評を公開した.ついでに,数ヶ月ぶりにbk1への読者書評として投稿した.

◇新宿区百人町にある国立科学博物館分館に到着.常磐線に乗り遅れてしまい,分類学会連合総会(10:30〜12:00)の会場に15分遅れでたどり着いたと思ったら,すぐに〈TAXA〉の運営に関する報告の順番が回ってきた.滑り込みセーフ.開設1年にして700名近くの会員が集まっているので,メーリングリストの規模としてまずまずといったところ.いまも平均して月に10名ほどの新規登録者あり.大学・研究機関に所属する職業的研究者だけでなく,小中高の学校の先生,アマチュア,そして環境コンサルタント業界からの参加者も多い.来年の総会とシンポジウムは2006年1月7日(土)に予定されている.

◇百人町の古書畸人堂にて ―― ウラディミール・クリチェク『世界温泉文化史』(1994年12月10日刊行,国文社,ISBN: 4-7720-0371-1).※種村季弘の訳書としてはもっともゴージャスかも./高橋俊哉『ある書誌学者の犯罪:トマス・J・ワイズの生涯』(1983年5月25日刊行,河出書房新社,ISBNなし).

◇JR大久保駅ガード下の喫茶店にて,メールを送ったりもらったりする.

◇午後1時半から,分類学会連合公開シンポジウム.ほぼ会場いっぱいの聴衆.遅れて着き早く抜ける.出版会の方々と雑談.執筆者への教訓:1)自らが律速段階となるべからず.2)時間がないからこそ書くべし.3)残り10%の作業に90%のエネルギーが必要だ.※すべて自分にふりかかってくるやんか…….

◇往復の車中にて,山田実『サンクト・ペテルブルグ断章:遺伝研究者のロシア滞在記』(2004年5月25日刊行,未知谷,ISBN: 4-89642-107-8)を読了.トウモロコシ育種の専門家がサンクト・ペテルブルグのヴァヴィロフ研究所に3年間滞在したときの記録.農水省研究機関で見かける名前がちらほらと(農環研の元所長もいたり).研究の話ではなく,むしろ周辺のことどもの描写がおもしろい.たとえば,ここの出身者であるショスタコーヴィッチの第7交響曲〈レニングラード〉のライヴで第二次世界大戦のレニングラード攻防戦を知っている関係者が落涙を流す場面に遭遇した話とか.

◇7時前に帰宅.早々に寝てしまう.

◇本日の総歩数=11746歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝−|昼○|夜○.前回比=−0.6kg/−0.1%.


7 januari 2005(金) ※ ダイエットな年度末

◇午前4時前に起きる.昨夕からの雨は上がったが,地面は濡れてところどころ凍る.氷点下1.2度.研究室に忍び込む.ごそごそする.

―― 年度末の書類づくりとか.いろいろ.

◇午前中のこまごま ―― 10時半からグループ内会議.部内のウェブ担当になる./某誌からまわされてきた査読原稿を受け取る.再投稿のもの./昼休みに強情な歯石を削ら取られる.痛…….※強制的ランチ抜き絶食(涙).

◇〈系統学的考古学〉近刊予定2冊 ――

  • Carl P. Lipo, Mark Collard, and Michael J. O'Brien (eds.) Mapping Our Ancestors: Phylogenetic Approaches in Anthropology and Prehistory. (2005年3月30日刊行予定,Transaction Publishers,ISBN: 0202307514)
  • Stephen Shennan, Ruth Mace, and Clare Holden (eds.) The Evolution of Cultural Diversity: A Phylogenetic Approach. (2005年2月15日刊行予定,UCL Press,ISBN: 1844720659)

いずれも論文集だが,個人的には『Mapping Our Ancestors』を早く手にしたいと思う.同じ編者を共有する『Cladistics and Archaeology』や『Style, Function, Transmission: Evolutionary Archaeological Perspectives』と同じ路線で,考古学における系統推定法を論じた本だと推測される.2冊目の『The Evolution of Cultural Diversity』は,どちらかっていうと進化人類学っぽい新刊かなー.

◇うっかりしてました ―― 池内紀『二列目の人生:隠れた異才たち』(2003年4月刊行,晶文社,ISBN: 4-7949-6566-4)の1章として中尾佐助が取り上げられているとのこと(「 中尾佐助:種から胃袋まで」).新刊で平積みされていた頃,書店で手にしたことはあったのだが,うっかりしていた.→晶文社の紹介ページ参照.

◇メーリングリストの大掃除 ―― 計算センターのシステム更新と同調して,AFFRC系の旧ドメイン名アドレスを一掃処分する.検索かけてチェックしていたら,いきなり落ちたりして,時間を取られてしまう.のべ100あまりのアドレスを削除する.とくに,人数の多い御三家(EVOLVE / BIOMETRY / Qshinka)が賞味期限切れのメールアドレスの巣窟と化していた.

◇掃除に手間取っているうちに,別件の原稿督促が(鳥につつかれた).

◇〈朱書〉による事務所類のフォーマルな訂正という初めての経験をしてしまった.※事務書類といっても年休届の訂正なんですが.

◇〈神の見えまくる手〉を行使する.※久しぶりのことだが,相手は同じだったりする.(まったくもう……)

◇いまいちパッとしないので,夜10時前に寝てしまう.

◇本日の総歩数=9487歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼−|夜○.前回比=−0.1kg/−1.9%.※空腹のため歩けず.


6 januari 2005(木) ※ 天罰下る? それとも天誅?

◇3時半に目覚めてしまう.もう一眠りと思ったのが運の尽き.再び目覚めたのは午前6時前.終わったね.気温マイナス2.0度.ほどよい冷え込み.

◇10時前にとある来訪者.さすがに[元?]アマチュア声楽家は声がよく通るなあ.いくつか新しいデータを前にしてディカッション.ひょっとしたらおもしろい研究展開になるかもしれない.午後の再訪予定.

◇インド洋津波のド迫力衛星写真 ―― こんなのにさらわれたらひとたまりもないよねえ.それにしても,衛星からこれほど鮮明に地表が撮影できるというのも驚きだ.画像の解説は〈つくばの日々〉を参照されたし(1月5日「no. 2235」).※林さん,情報感謝.

◇千葉大学から来月の非常勤講義(「動物系統学II」)の履修者名簿と成績報告用紙が事前に送られてきた.講義する前に成績報告の紙が届くというのはプレッシャーかかる.今回の受講生は理学部生30人あまり.今年度の巡業も千葉大をもってジ・エンド./あ,信州大のレポート課題を送るの忘れてた.

◇『だから系統樹!』はその後どーなったという声が方々から(汗)―― 年末年始にかけてつつかれっぱなし.痛い,痛いって.※吐くべきナイゾウをこれからつくらないと…….[お前は海鼠かっ]

まずは第2章を仕上げないことには,先に進めまっしぇん.※とどめの尻たたきが音羽から…….

◇はい,〈The Beach〉の分類カテゴリー論(1月3日〜4日),要チェックね.※カリフォルニア,愉しそうでいーなあ.

◇ML関連の投稿に伴うトラブル処理 ―― パブリックな場であるメーリングリストでは「私語」が私語ですまなくなるのだという事例.はいはい,どうぞパブリックに叩いてあげてください.そのうちリストオーナーの〈神の手〉を出す予定でいましたから.ただし,前科から考えて矯正はまったく期待できませんよ.

◇毎年恒例行事の「昇格書類」を出しなさいという指令が下る ―― おお,ついに〈一太郎で書類を提出すること〉という御触までついている.ごめんなさい,それには従いません.正確に言うと,分量がありすぎて「従えない」と言うべきだろう.※〈一太郎専任秘書〉を雇っていただけるのであれば従うことにやぶさかではありませぬ.

◇昼休みの読み歩き.気温3度台.昨日よりもさらに寒い.リチャード・モラン『処刑電流:エジソン,電流戦争と電気椅子の発明』(2004年9月17日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07104-5)の残りの章(4〜8章)を読了.200ページほど.多面的な内容をもつ伝記だと思う.読者のもつ問題意識や事前知識によってさまざまな読み込みができる本ではないだろうか.直流対交流の「電流戦争」は,電気椅子での史上初の犠牲者となった死刑囚ウィリアム・ケムラーの処刑を達成し,交流の人体への危険性を示せたという点では,直流派エジソンの戦略的勝利だった.しかし,その後,じわじわと交流が普及し最終的に直流を押さえ込んだという点では,エジソンの宿敵ウェスティングハウスの企業的勝利といえる.しかし,その後も数々の歴史的発明を量産し技術史に名を残したエジソンに対し,ウェスティングハウスの名はほとんど忘れ去られる.後年,皮肉にも「エジソン賞」を受賞することになるウェスティングハウスだったが,彼の起こした会社は20世紀後半になって企業としては没落した.一方,エジソン起業のゼネラル・エレクトリック社は世界に冠たる大企業としていまなお繁栄し続けている.1世紀以上にもわたる「電気の世界」での二転三転する勝者と敗者の関係を,歴史の裏面を埋もれた資料を発掘することにより明らかにした本書は,科学[者]の社会的波及効果についての格好の事例研究になっていると思う.たいへん興味深い疑問がひとつ残る ―― 電気椅子が処刑装置として効果的であると多くの科学者が認めてきたにもかかわらず,「どのようなメカニズムで電流が生物を死に至らしめるのか」という点がいまだに解明されていないという点だ.この〈科学的〉な問題点の解決が脇に追いやられ,政治・法律・業界・社会などの周辺世界に生じた波紋が思わぬ方向に広がっていく過程を丹念に後追いした著者の力量は本書を読めばきっと納得できるだろう.

◇午後のこまごま ―― 『The Philosophy of Biology』の翻訳企画は出版社側の事情によりつぶれました.原書が厚すぎる(800ページ近い)ことと購読者が見込めないことが主たる理由らしい.「生物学の哲学」を日本上陸させるいい機会だったのだが.関係者に連絡し,この件については終わりとする./〈Bogen / Balance〉:今月下旬に大阪にてプレゼンあり./信州大学集中講義のレポート課題をメールで出題する.締め切りは1週間後.

◇小雨降る夕刻に再訪者.実験系の植物生理学者との会話はシンクロするようですれちがう.同じ場にいてもちかうものをみているような心地.いろいろと情報をもらい,あとでやり取りする予定.

◇本日の総歩数=17746歩[うち「しっかり歩数」=9113歩/75分].全コース×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=−0.5kg/−2.2%.※乱高下ですな.体脂肪率って分散がとても大きいと実感.


5 januari 2005(水) ※ イマイチよろしくないなあ

◇怠惰にも午前6時前まで寝てしまう.あらら.気温は零度前後.

◇朝から書類づくりあれこれ ―― 出張届/復命書/一枚刷/様式なんやかんや.※まだまだ終わらん.今月はこういう仕事が多くなる.とりあえずは来週金曜の「成績検討会」に向けての資料づくりか.様式と書式のしばりがきつい.

ついでに,予算を年度末までに使い切るべく,物品購入費と旅費の残額を確認.かの〈会計入力システム〉とまたまた格闘する時間が増えるのかと思うと憂鬱だ.いやなのでいつも年度末にしか関わりを持たないようにしてきたのだが,早めにしておかないと圧力が高まるにちがいない(※用度係さん,ごめんなさいねー).

日本計量生物学会の学会誌編集関係の仕事.役員改選に伴う新しい編集スタッフによる体制をつくる.編集委員候補者への個別メール依頼とか.速攻で決まる.※気持ちよし.

◇昼休み.気温5度とはね.昨日より10度も低い.北風も強いし.リチャード・モラン『処刑電流:エジソン,電流戦争と電気椅子の発明』(2004年9月17日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07104-5)を歩き読み.第3章まで読了.140ページほど.発明王エジソンが〈オズの魔法使い〉のモデルだったとは知らなかった.エジソンの電灯会社(エジソン・エレクトリック・ライト)が後のGE(ゼネラル・エレクトリック)社の直接祖先だということも初耳.いままでは漠然としかエジソンの人となりを知らなかったが,そうとうアクの強そうな人生を送ったみたいね(敵も多かっただろう).この伝記はすでに新聞書評も出ているが,とてもいい本だと思う.直流(エジソン) versus 交流(ウェスティングハウス)の「電流戦争」が“電気椅子”の開発の個人的動機づけになったという筋書きが魅力的だ.アメリカでの死刑廃止運動の系譜が裏表で絡んでくるあたりも重層的で後半が期待できそう.

◇本あれこれ(其壱)―― ゲーテの〈植物変態論〉は,ゲーテ全集14『自然科学論』(2003年6月5日刊行,潮出版社,ISBN: 4-267-01674-7)に所収されている.この全集,新装普及版とはいえ,たった2000円で買えるというのはこのご時世では驚異的な価格破壊だと思う(560ページもあるし).

Francis Galton 伝(Karl Pearson編)『The Life, Letters and Labours of Francis Galton』(全3巻を4分冊化)がついに古書店に出たか! 最初の Volume I:〈Birth 1822 to Marriage 1853〉(1914)は,うちの研究室にすでにあったのだが(「種藝部備品」という大昔のラベルが貼られている),残りの巻 Volume II:〈Researches of Middle Life〉(1924)と分冊になった Volume IIIa:〈Correlation, Personal Identification and Eugenics〉 と Volume IIIb:〈Characterisation, Especially by Letters〉(いずれも1930)は欠けていた.3巻合わせて1400ページというとんでもない伝記.公費購入の道を探りましょうね.※国内でこの伝記をコンプリートにもっているのは京大・文・科哲と武蔵大のみ.他の機関は部分巻のみ所蔵している.

統計学の新刊たちをカタログでちらちらと眺める.購入伝票を書かないといけない予定本がもうすでに山積みになっているのだが,その書類を打ち込む気構えがまだできていないというのがまずは問題か.ひょっとしたら,その前に「本棚」を買わないとかな.あ,本棚を置くスペースがなかったー.

◇本あれこれ(其弐)―― 進化学本2冊:A. Lustig et al. (eds.)『Darwinian Heresies』(2004年,Cambridge University Press, ISBN: 0-521-81516-9).※進化学史本,編者のひとりである Michael Ruse はフロリダ州立大学の“Lucyle T. Werkmeister Professor”というポジションにあるのですね./Sean E. Carroll et al.From DNA to Diversity: Molecular Genetics and the Evolution of Animal Design, Second Edition』(2005年,Blackwell Publishing, ISBN: 1-4051-1950-0).※紙質とか判型とかいかにもブラックウェルな教科書./A. K. Konopka & M. J. C. Crabbe (eds.)『Compact Handbook of Computational Biology』(2005年,Marcel Dekker, ISBN: 0-8247-0982-9).※計算生物学という言葉に対しては「computer-assisted biology」という比較的“無色”な定義が広まっている?

◇本日の総歩数=16301歩[うち「しっかり歩数」=10585歩/87分].全コース×|×.朝○|昼○|夜 .前回比=+0.7kg/+0.4%.※実にマズい....


4 januari 2005(火) ※ 仕事始めのあれやこれや

◇午前4時半起床.1.6度.それほど寒くない.そのまま研究所に行き,出勤簿に押印.今日からもう仕事が始まるので,その準備[何の?].

―― とりあえずメーリングリストへの月例広報と事務的な通知をば.

◇〈だるま弁当〉も進化する ―― 元祖〈だるま弁当〉は有名だが,〈雪だるま弁当〉まで登場したとは.新潟駅の同名の駅弁とバッティングしてません? >中澤さん,追加情報よろしく.

◇Gareth Nelson and Norman Platnick『Systematics and Biogeography: Cladistics and Vicariance』(1981年刊行,Columbia University Press, ISBN: 0-231-04574-3)への Jottings(というか marginalia の進化形)はそのうちスキャンしておこうと思う.

◇新春の献本第1号 ―― いつもありがとうございます:ピーター・アトキンス『ガリレオの指:現代科学を動かす10大理論』(2004年12月31日刊行,早川書房,ISBN: 4-15-208612-2).500ページ近くある.電話帳みたい.

Biometrics の最新号(Vol. 60, no. 4, December 2004)が届く.

◇昼休み ―― 仕事始めのグループ昼食会.ほとんど飲み会パーティのごとき豪勢な食卓.昼間からこんなに呑んで喰っていいんですかあ?

―― 午後3時半に歩き読みに出発.気温は15度を越え,春先の暖かささえ感じるほど.1万歩あまり.家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行:14世紀イスラームの時空を生きる』(2003年10月20日刊行,平凡社新書199,ISBN: 4-582-85199-1)を読了.東洋文庫全8冊分の内容を新書1冊に詰め込むのはさすがに無理だったようだ.

◇〈だるま弁当〉も進化する(其の弐) ―― 夜,新津市出身の日録読者からメールをいただいた.「雪だるま弁当」は新潟県のJR新津駅が発祥地で,上越新幹線開業ととともにJR新潟駅に分散移動したのではないかとのこと.さっそく調べてみると,確かに〈三新軒〉という新津市の駅弁屋さんがこの「雪だるま弁当」がつくっている.しかも.定番の“白”だけでなく,“赤”“緑”“青”はては“黒”という色彩多型まであるらしい(→駅弁資料館).ということは,高崎駅で売られているという「雪だるま弁当」は,上越新幹線経由で新潟から侵入してきた新手の〈移入駅弁〉ではないかと推測されるのですが,いかがでしょうか? >中澤さん.[ラベルを見ればわかるはず]

―― 高崎の真っ赤な「だるま弁当」と姉妹群関係にあるのは,買うのがちょっと恥ずかしい「ハローキティのだるま弁当」だけだと思います.

◇うう,駅弁に逃避している場合ではないのだが…….

◇本日の総歩数=15848歩[うち「しっかり歩数」=10432歩/89分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.9kg/+0.6%.


3 januari 2005(月) ※ 天台宗華厳経でしたか……(_| ̄|○)

◇午前6時半起床.自宅の温度計は氷点下4度を指している.氷柱が下がる寒さの中を歩きまわる.冷えきる.

◇今月17日から放送が始まるテレビドラマ〈不機嫌なジーン〉の主役は動物行動学者という設定.もちろん「利己的遺伝子」とか「包括適応度」とか「配偶者選択」というタームが毎回午後9時のドラマ時間帯に頻出するのだろうな.

◇メモ ―― 古文書系統:〈新撰萬葉集〉の異本ステマに関するぺージを発見./ゲーム系統:オセロの〈定石分岐図〉という用語に遭遇.

二次文献をあれこれ詮索するヒマがあったら原典を見なさいなという訓話 ―― 年末からの早田文蔵からまりに決着をつけるべく:

  1. Bunzô Hayata 1921a. An introduction to Goethe's Blatt in his “Metamorphose der Pflanzen”, as an explanation of the principle of the natural classification of plants. Pp. 75-95 in: Icones Plantarum Formosanarum, Vol.10.[臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料・第拾巻]臺灣總督府民政部殖産局編.
  2. Bunzô Hayata 1921b. The natural classification of plants according to the dynamic system. Pp. 97-234 in: Icones Plantarum Formosanarum, Vol.10.[臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料・第拾巻]臺灣總督府民政部殖産局編.

に登攀開始.日本国内では早田の「動的分類(dynamic system)」という言葉だけが独り歩きして,その実質的内容についての論議はほとんどなかったようにぼくは思う.一方,世界に目を向ければ Hayata の学説に言及した多くの分類学[史]文献のほとんどは,植物分類への動的分類理論の適用を論じた第二の論文だけに着目しているようだ.しかし,実は第一の論文がその思想的ルーツを探る上で重要なキーになっているように感じられてきた.1930年代の後期論文はこのルーツの上での精緻化を目指しているが,その根源に関していうかぎりもっとも初期の論考に目を向けるべきだろう.

―― でもって,まずは第一の「ゲーテ論」(Hayata 1921a)の方からとりかかったのだが,いきなり「ぐわ〜」という感じでして…….まずは冒頭の問題提起から:

Current opinion demands that natural classification be based on the evolution theory, and consequently that the classification of plants should be in accordance with the phylogenetic tree. Much against my will, I have come to entertain strong doubts as to the correctness of this principle, so generally accepted by modern systematizers; for my twenty years' experience in systematic botany has steadily led me into quite a different channel of thought. (p. 75)

まあ,これはいいです.異論を唱えるにあたっての露払いということで.ところが,続く部分では,徐々に[というかいきなり]言説空間が歪んでくる.ゲーテのロマン主義的生物観に言及した部分がポイント.

Jedes Lebendige ist kein Einzelnes, sondern eine Mehrheit; selbst in sofern es uns als Individuum ersheint, bleibet es doch Eine Versammlung von lebendigen selbstständigen Wesen, die der Idee, der Anlage nach gleich sind, in der Ersheinung aber gleich oder ähnlich, ungleich oder unähnlich werder können. Diese Wesen sind teils ursprünglich schon verbunden, teils finden und vereinigen sie sich. Sie entweien sich und suchen sich wieder, und bewirken so eine unendliche Produktion auf alle Weise und nach allen Seiten. (Goethe: cited in p. 79)

「生き物は人間の目には“ひとつ”に見えても,実は複数の“生きた独立実体(lebendige selbstständige Wesen)”の集合である」というゲーテの言葉を引く早田は,その“独立実体”とは「遺伝子」にほかならないとみなす(p. 79).ここで〈天台宗〉が初めて登場する:

Goethe's idea also to some extent approaches to the doctorine of Tendai which in viewing sentient beings does not look at them as characters of on, ) quality , but beholds them s a collection of different qualities (or factorse which are sometimes latent and at other times apparent, according to the circumstances conditioning the inevitable causal nexus. (p. 80)

早田は,ゲーテの植物変態論を進化論的に解釈することに反対し(p. 81),彼の提唱する〈the participation theory〉に沿って解釈されるべきだという.この〈the participation theory〉という新しい名称を出した脚注で,早田は言う:

In formulating this theory, I have been influenced by a suggestion from Tendai's theory of mutual participation. (Footnote on p. 81)

天台宗の教義には「相互参与(mutual participation)」に類する言葉なり概念があるのだろうか.少なくともこの時点でぼくは力尽きました.宗教的な動機づけで科学理論を提唱することはとくに問題であるわけではないし(荘子や道教が好きな理論生物学者もいる),ひょっとしたら意識的・無意識的にそのような深層心理が科学の理論形成に作用している可能性はいつもある.早田の場合も天台宗の教義が「科学する心の支え」になっていたのかもしれない.ただ,この論文に続く Hayata (1921b) でも,進化理論に対抗する彼の「参与理論」を述べるにあたっては繰り返し天台宗(とくに華厳経)の教理が言及されている.動的分類の基盤となる生物と無生物をつなぐネットワーク概念の背後にはそのような宗教的信念があるとするなら,彼の論をたどることはぼくにはほとんどできない.同時代の植物分類学者は早田のどのように「受容」したのだろうか.支持・反論・遠巻き・無視などの反響に関心がある.

あるいは,そのような創始者の宗教的バックグラウンドはとりあえずこっちに置いといて,動的分類というツールだけを切り出して使えるかもしれないと考えたのが中尾佐助だったということなのかも.

◇ _| ̄|○ 天台宗とともにぼくの正月休みは終わった…….

◇本日の総歩数=12951歩[うち「しっかり歩数」=10406歩/82分].全コース×|×.朝○|昼△|夜△.前回比=0.0kg/+0.9%.


2 januari 2005(日) ※ 寒風突いて,初歩き

◇なんと午前7時まで寝てしまう.怠惰ここにきわまれり.贖罪のため,初歩き.今日は雲ひとつない冬晴れ.家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』を歩き読み.ページをめくる指が凍り付く感覚.約1時間半で11000歩あまり歩き,170ページほど読み進む.

―― 東アジア海岸地域一帯を〈サワーヒル(スワヒリ)〉と呼んだのはイブン・バットゥータが初めてとのことだ(pp. 155-156).ジブラルタル海峡のモロッコ側で生まれたバットゥータの旅行記はその移動距離の大きさ(十万キロを越える)と範囲の広さが特徴.手元にある岩波講座〈世界歴史〉の第10巻が『イスラーム世界の発展:7−16世紀』(1999年10月15日刊行,岩波書店,ISBN: 4-00-010830-1)と銘打たれていて,ちょうどバットゥータが旅した時代を含んでいる.メッカとメジナへの巡礼の旅を支援するさまざまな社会ネットワーク(巡礼団,宿場,庇護など)があったという.さらに,行く先々での異なる社会や文化を旅人が受容する精神的受け皿ができていたとのこと.ギリシャからイスラームへの知識の流れ込みがあった背景がうかがえる.

〈Jottings〉―― Joseph Cornell 資料である Mary Ann Cows (ed.)『Joseph Cornell's Theater of the Mind: Selected Diaries, Letters, and Files』(2000年刊行,Thames & Hudson, ISBN: 0-500-28243-9)の編者は,コーネルが死後に遺した膨大な日記・原稿・モノについて前書きを書いている.500ページほどもあるのに,それは「全体の1/30」にすぎないらしい(p. 56).コーネルの記録癖と蒐集癖はただごとではなかったのだろう.そういう「コーネルの遺物」のひとつに,蔵書に書き込まれたメモ書き(“jottings in books”)があるという.「ざっと書き留めておく」という意味の「jot」という動詞はこれまで知らなかったのだが,書き込みや走り書きをする癖があるぼくにはぴったりの単語だと思う.「jotter」はさしずめ「メモ魔」といったところか.私蔵本はもちろん jottings だらけだし,ウェストポーチにはいつも Post-It が入っているし,パソコンの付箋紙ソフトは常用しているし.もちろんA4反故紙を四分割したメモ用紙はいつも愛用している.

―― メンデルの『雑種植物の研究』の著者用別刷にはメンデル自身の jottings が書き込まれていたのだが,製本に伴う縁の裁断により切られてしまったという話をどこかで読んだ記憶がある.太田邦昌さんはぼくから本を借り出すときには必ず「きれいな本?」と確認していたことをいま思い出した.ぼくの本がいたるところ jottings だらけであることを知っていたからだろう.もちろん,太田蔵書も同程度以上に jottings が高密度で,まったく「きれいな本」ではなかった.自分は jotter なのに相手の jottings を忌避するとは実に罪深いな(selfish).その点ではワタシも同罪なのだが.

―― Jottings も後々のために遺しておくべきか.とすると,管理する本人はメモ類まで捨てるに捨てられない.ウェブに公開してしまえばいい? どーしましょ.

◇La La Garden のくまざわ書店にて:竹内啓・下平英寿・伊藤秀一他『モデル選択』(2004年12月22日刊行,岩波書店[統計科学のフロンティア3],ISBN: 4-00-006843-1).もう出ていたか.早く買わないと.下平さんのモデル選択の章は70ページほどもある.

◇プチ〈遣ろか水〉?―― 夕方,外が暗くなってきた頃,自宅の書庫(本部屋)に籠ってごそごそしていたら,窓際の壁からいきなり「水」がじくじくとしみ出してきて,床一面が水浸しになった.なんやこれ.真上の部屋の住人は正月は留守みたいなので,使い水が漏水してきたわけでもなし,今日は晴天で雨漏りのはずもなし.妖怪〈遣ろか水〉か? ブキミ.※だいぶ老朽化しつつある公務員宿舎ではあるのだけれど…….

◇本日の総歩数=16728歩[うち「しっかり歩数」=15852歩/127分].全コース×|×.朝○|昼△|夜×.前回比=−0.7kg/−1.0%.


1 januari 2005(土) ※ 凍える元旦,読み荒らし

◇大晦日はなんやかんやで午前1時に就寝.でもって,午前6時に目覚めたものの,また年初めの惰眠をしてしまう.7時前に起床.マシュー・バトルズ『図書館の興亡:古代アレクサンドリアから現代まで』(2004年11月1日刊行,草思社,ISBN: 4-7942-1353-0)を第3章まで100ページあまり読む.原書の短い書評はすでに書いたが,あらためて訳書を読むと,原書では読み飛ばしていた内容や見過ごしていた関わりがわかる.専門のライブラリアンはほんと博覧強記ね.

◇年賀状がどさっと届く.自分では書かないのにもらうとうれしいというのは,つくづく“馬鹿野郎”だと思う.bk1に投稿した書評を読みましたという文面に予期せず出くわしたりすると,なんとなくハッピーになれる.基本的に読了した本の個人的備忘メモというステージを超える書評は書かない[書けない]ので,欲目に見ても内容紹介に毛が生えた程度でしかないのだが.これくらいの書評でさえ書く人があまりいないというのが実は問題なのだろうと思う.本を読む/備忘メモを書く/ウェブに載せるという「三点セット」を読者がいつも心がければもっとたくさんのウェブ書評が出回るだろうと思う.とくに,サイエンス系の書評が他のジャンルと比較して寂しいかぎりなのは,日本のサイエンティストたちがもともと本を読んでいないか,読んでも書く手間を惜しんでいるかどちらかが理由にちがいない.

―― 科学コミュニケーションを話題にするとき,科学書に関する書評の果たす役割とかその意義について論議されてますかね? たとえば,生物科学系に限定するなら,The Quarterly Review of Biology 誌のような書評専門誌が海外では成立しているのだけれども,それに対応するようなメディアが日本にあるかといえばお寒いかぎり.商業メディアがダメとしたら,とりあえずは〈草の根書評運動〉を個人レベルで展開するしかないでしょう.

◇午後,牛久の田宮にある薬師寺に初詣(其の壱).寒いねー.ついでだからと,筑波山神社にもと思ったのが敗因で,上りの山道が麓から大渋滞,とても夕方までに神社まで行き着けるとは思えなかったので,途中で撤退し,一ノ矢八坂神社に初詣(其の弐).やっぱりとても寒い.真冬日とはいかないまでも,一桁台前半の最高気温ではないか.

◇少し前に出た本だが,家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行:14世紀イスラームの時空を生きる』(2003年10月20日刊行,平凡社新書199,ISBN: 4-582-85199-1)を並行読み.東洋文庫から全8巻で出ているイブン・バットゥータの『大旅行記』の訳者による本.モロッコに生まれたバットゥータは東は中国,南は西アフリカ,北はカスピ海まで探検し続けたそうだ.年末にインド洋津波が襲った地域を彼はクロスステッチのように行き来していた.しかも14世紀に.こういうスケールの大きい探検記は年の初めにふさわしい.

◇夜,越之寒梅でややよろめきつつも,マシュー・バトルズ『図書館の興亡:古代アレクサンドリアから現代まで』(2004年11月1日刊行,草思社,ISBN: 4-7942-1353-0)を200ページほど読んで,読了.罪深き本,罪深き読書,罪深き読者,そして罪深き図書館.著者の視線の当て方は,アルベルト・マングェル『読書の歴史:あるいは読者の歴史』(1999年09月30日刊行,柏書房,ISBN: 4-7601-1806-3)に通じるものがあると感じた.書庫の奥深くで「書物合戦」しないように〈鎖〉に繋がれてしまう“兇悪な”本たちの話は,ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』(2004年2月10日刊行,白水社,ISBN: 4-560-0289-4)にも出ていた.本をつなぐ〈鎖〉は,盗難防止のためか,乱闘防止のためか,定かではないな.

◇ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを聴く.ヨハン・シュトラウスのワルツにポルカですか.いつもながら新年らしい曲でした.団員は笑顔も見えたりしてリラックスしていた.日本人らしき聴衆の顔がバックにたくさん映っていたが,ツアーで行った人もきっと多いのだろう.ご苦労さんなことで.

◇日が変わった頃,心地よくご就寝.夜更かし.

◆日録の壁紙を換えてみました.これまでは〈襖の下貼り〉みたいな図柄でしたが,もう少し明るい色調の和紙風に.これまでも書評の背景には使っていたのですが,今年から日録の背景にも採用ということで.これまで同様,T-Time の「背景集」からの借用です.

◇本日の総歩数=5179歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.5kg/−0.2%.※元旦からこのていたらく…….


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