それでなくても宣伝力のない大学出版会の,しかも内容的にちょい硬めな理科系叢書の1冊である.読者が実物を手にする機会は,他の出版社と比べてもきっと少ないにちがいない.しかし,この本は明らかにフェイントだ.こんな(失礼!)シリーズに埋もれていることはないんじゃない,スプレイグさん.もっとメジャーな,“生き方系”の本をたくさん出している出版社から出た新刊だったら,ばばっとブレークしたんじゃないかな.
いきなり,第1章「生活史というあなた」.ダメなんですよ,こういう口調.ハマりすぎて.著者は生態学でいう生活史理論をヒトを含む霊長類・哺乳類の系統発生に適用し,その文脈の中でわれわれヒトの生涯の生物学的基盤を解き明かそうとする.ヒトはけっして特別な存在ではない.そのことはすでに十分にわかっているのだけれども,えてして社会的な論議の中で忘れられがちである.著者はしっかりとクギを刺す:
「『ヒトは特異なのか,ただの生物種なのか』という二極相反の問題は消滅してしまい,系統発生の思想が取って代わってしまったのである.系統発生の思想では,生物の各種は系統樹のなかでつねに特異性と普遍性を合わせ持つ存在としてとらえられる.ヒトもチンパンジーもニホンザルも,霊長類あるいは哺乳類として進化した共通の特徴を多く受け継ぎながら,それぞれの種の特異性を進化させてきたのである」(p. 136)
本書は,霊長類という系統発生的コンテキストの中で,生物としてのヒトがどのような生涯を送るよう進化してきたのかを進化生態学でいう「比較法」の視点で論じる.前半では,生態学の教科書などでおなじみの生存曲線について多くのページが割かれ,ヒトの誕生・成長・繁殖・老化・死を他の霊長類や哺乳類と比較して論じる.われわれは他の近縁生物たちと比べて,どれくらい似通っているのか,そしてどんな点で異なっているのか.読者は知らず知らずのうちに比較法的なまなざしで「人間」という存在を眺めていることに気づかされるだろう.もう著者の術中にはまってしまったということだ.
社会の中で生きるということ,配偶者をもつということ,子どもの世話をするということ,などなど,現代を生きるヒトが誰でも経験するであろうことを人間進化というまなざしで見ることの重要性が本書全体を通しての柱となっている.生涯のその時々で下す決断が,そのヒトにとってのその後の人生を決めてしまうという理不尽さ.われわれは生活史に関わる駆け引き(繁殖成功度もその一部分か)をいたるところでしなければならない.タイプとしての「Homo sapiens」ではなく,トークンとしての「ヒト」個人はそういうあやうい偶然と機会に翻弄されているかもしれないと思いつつ,この本をこわごわ読み進んでしまう.そして本書の末尾で,著者にソフトに問いかけられるのだ:「読者の皆さん,あなたは生涯の駆け引きに勝っていると思いますか」.ああ,なんという著者か.このような「人生の大問題」をいきなりさらりと問いかけないでほしい.
でも,ワタシひとりがこんな重い問いかけを抱えこむのはとうてい耐えきれない.この書評を読んだすべての人に丸投げしてしまおう:「あなたの人生計画はほんとうに正しかったですか? あなたの人生に悔いは残りませんか?」 気になって夜も眠れなくなった人は迷わずこの本を読みませう.男性は〈オタク〉や〈オヤジ〉である以上に〈オス〉だった.女性は〈オニババ〉になるよりも先に〈メス〉だった.そして現代人を蝕んでいるという〈希望格差〉よりも前にあるのはヒトとしての〈生活史戦略〉なのだ.