【書名】動物進化形態学
【著者】倉谷滋
【刊行】2004年1月8日
【出版】東京大学出版会,東京
【叢書】Natural History Series
【URL 】http://www.utp.or.jp/shelf/200312/060183.html
【頁数】viii+611 pp.
【定価】7,200円(本体価格)
【ISBN】4-13-060183-0

【書評】※Copyright 2005 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

まず「森」を見よう,「木」を見るのはその後でもいい

形態学者・発生学者の書く本が例外なく〈聳え立つ宮殿〉となるのは,何かしら「本質」的な理由があるのだろうか.今世紀にかぎってもアドルフ・レマーネの比較形態学本(1956),セーレン・レプトループのエピジェネティクス本(1974),ルペルト・リードルのシステム形態学本(1975),そしてブライアン・ホールの進化発生生物学本(1992)などなど,いずれもきわめて心理的ハードルのきわめて高い〈城〉の様相を呈している(とぼくには感じられる).

もちろん,ここで取り上げる倉谷本でも,形態学・発生学の長い系譜に連なる「本質的カテドラル性」は遺憾なく発揮されている.キュヴィエ対ジョフロワ,そのアカデミー論争を観戦するゲーテ,大陸の超越論的形態学に感染するスコットランドの形態学者たち,そしてフォン・ベアにヘッケル,ゲーゲンバウア,リチャード・オーウェン――あまたの役者に彩られた19世紀以降の比較形態学と発生学の系譜を行きつ戻りつしながらも,著者自身が貢献者のひとりである最先端の分子発生学に軸足を置き,さらには進化生態学との「新たな総合」まで目論んでしまう.おそらく登攀を試みようとする命知らずの読者は,著者独特の目線の確信犯的揺れ動きや路地に迷いこむような不安感に「悪酔い」してしまうのではないだろうか.

もちろんそれは現代の読者の多くが,このタイプの重厚な専門書に「酔い慣れていない」からであろう.ぼく自身も出版されてすぐに読み始めたものの,ちょうど中腹の第5章を読み終えた時点で力尽き,半年あまりもビバークしてしまったほどだ.各章の終わりに置かれている,章ごとの「まとめ」なる箴言は,少なくともぼくにはスフィンクスが旅人たちに科した「難問」のように謎めいていた.旅人や登山者を惑わす著者は罪作りだ.

しかし,たとえこういう“樹海”のような本であっても,地図もランドマークもなかったとしても,完読サバイバルできる道はある.簡単なことだ.旅人(読者)は,逡巡せず,とにかく〈倉谷ワールド〉に入ってしまえばいいのだと思う.「木も見て森も見られる」のは著者のためにとっておいて,この本に取り組む読者にはまずは「木を見ず森を見よう」とアドバイスしたい.たとえ,前世紀の豪傑ヘッケルや悪魔オーウェンが傍に近寄ってきたとしても震えあがることはない.文豪ゲーテが論じたロマン主義的メタモルフォーゼ論も解剖学者グッドリッチが提唱した体節起源論もどちらも形態学の歴史の中にあり,直接的・間接的に現代の問題状況と結びついている.

生物学が生き物のもつ「形態」に関心をもちはじめた,まさにその問題設定が生物学の始まりである.『Biology Takes Form』というリン・ナイハートの動物形態学史本(1995)のタイトルは,まさに表と裏のふたつの意味を生物の「かたち」に与えている.形態学や発生学の問題状況はもともとそれにふさわしい長い系譜をもってきたのだ.倉谷本は形態学の学問としての系譜をきちんと跡づけた上で,分子発生学という新しい視点から長らく論じられ続けてきた形態学の問題にアプローチしている.けっして誰にでも書ける本ではないからこそ,読者は現代の進化形態学のありさまを上空から鳥瞰できる得難いチャンスを手にすることができた.過去から現代へと継承されてきた「生物形態」の論議は,現代の知見のもとでどのように再評価されるのか,あるいは新しい方向へと道が開けていくのか.

形態学や発生学は時には観念論と叩かれ,あるいは超越論と罵られても,この学問系譜は「解かれるべき問題群」を確かに提示してきた――原型,バウプラン,ファイロタイプ,拘束など本書のキーワードとなる語はいずれも長い歴史をもち,さまざまな観念と思想が絡みついている.科学史を踏まえた現代的視点のもとで著者がこれらのキーワードが指し示す「問題群」にどのようなアプローチを取るのかが本書を読み進む愉しみと言えるだろう.

三中信宏(13/January/2005)


【目次】
はじめに――少々長めの序 i

第1章 脊椎動物の基本形態――バウプランと形態発生的拘束 1
1.1 脊椎動物とは 1
1.2 脊椎動物のバウプラン 11
1.3 第1章のまとめ 26

第2章 比較骨学による頭部分節論事始め――原型と相同性 27
2.1 ゲーテの椎骨説と原型 27
2.2 オーウェンの原動物 32
2.3 発生学とのつながり 36
2.4 反復説 45
2.5 第2章のまとめ 61

第3章 グッドリッチの遺産――分節性のスキーム 63
3.1 椎骨説の発展――比較発生学時代前夜 64
3.2 サメの発生学と頭腔 69
3.3 中胚葉分節(筋節)に依拠した一元的分節性 76
3.4 第3章のまとめ 87

第4章 解剖学的形態学――胚に由来する形態 89
4.1 咽頭胚以前――神経胚に見るバウプランの起源 89
4.2 咽頭胚と咽頭弓 97
4.3 第4の胚葉?――神経堤細胞 103
4.4 末梢神経とそれをパターンする胚環境 123
4.5 頭部形態を反映するパターン――脳神経 135
4.6 もうひとつの頭部分節性――ニューロメリズム 172
4.7 咽頭胚から見た筋形態の発生と進化 204
4.8 第4章のまとめ 221

第5章 形態パターン生成の発生学的基盤――頭蓋骨の形態と進化 224
5.1 頭蓋骨の一次構築プランとその吟味 225
5.2 椎骨と脊柱 233
5.3 神経頭蓋 275
5.4 鰓のかたち――鰓弓骨格系 288
5.5 取り残された要素 314
5.6 内臓性と体性,細胞系譜の二元性は存在するか
    ――胚葉説,比較形態学との折り合い 323
5.7 第5章のまとめ 333

第6章 発生生物学と頭部進化――頭部分節性の再登場 336
6.1 頭部中胚葉と体節 336
6.2 体節分節性と鰓弓分節性――形態発生的拘束とは? 355
6.3 ローマーの二重分節説 361
6.4 脊椎動物の起源に関するコメント 367
6.5 第6章のまとめ 371

第7章 発生拘束とその解除――相同性と進化的新規形態 373
7.1 耳小骨の起源 374
7.2 顎の起源 396
7.3 第7章のまとめ 435

第8章 脊椎動物の進化――形態的変容のパターン 437
8.1 頭部形態の胚発生――脊索動物から脊椎動物,顎口類へ 437
8.2 無顎類――あるいは脊椎動物の失われた原始形質 444
8.3 汎脊椎動物的バウプランの獲得 450
8.4 第8章のまとめ 456

第9章 発生拘束と相同性――概念 457
9.1 拘束の認識とは 459
9.2 発生に関わる遺伝子レベルでの各種の拘束 466
9.3 胚発生に関わる形態パターンの拘束 478
9.4 解剖学的相同性と発生拘束 488
9.5 形態発生の進化 493
9.6 第9章のまとめ 499

第10章 発生拘束――統合 501
10.1 確認事項――概念 502
10.2 反復を考える 503
10.3 反復を可能にする進化機構――エピジェネティクス・バウプラン・相同性 510
10.4 展望:エコロジーとの結合――進化生物学と発生生物学の統合へ向けて 520
10.5 第10章のまとめ 535

おわりに――これからの進化発生学 537

引用文献 542
付録――現代によみがえるオーウェンの業績 592
索引 602