明治時代はじめの日本における「読者公衆の形成」と「読書空間の成立」について,主として雑誌の読者調査結果の資料を通じて分析した本.すでに読んだ最新刊・永嶺重敏『〈読書国民〉の誕生:明治30年代の活字メディアと読書文化』の先駆にあたる著作.古資料の丹念な読み解きから,すでに失われた「読書習慣」と「読者文化」の復元を試みる.書物とその内容そのものではなく,それを読む読者の側に視点を当てたアプローチが新鮮で,意外な事実にいたるところで出くわす愉しみが潜む本.
同じ著者による『〈読書国民〉の誕生』に比べて,詳細なデータの開示がやや多めで,必ずしもすべてに眼を通す必要はないのかもしれない.明治初期に生じた読書文化の大転換を著者は次のように要約する:「一言でいうなら,共同体的な音読的・均一的な読書形態から,個人的な黙読的・多元的読書への移行と要約されるが,いうまでもなくこの移行過程は決して単線的・直線的に進行したわけではなく,他の章でふれるようにそこには階層・地域等によるかなりの時間的偏差がみられる.なかでも特に,共同体的・音読的読書形態は根強くその伝統を保ち続けていく」[p. 9].
W・J・Ong のいう〈声の文化/文字の文化〉という対置に言及しながら,著者は音読から黙読への移行を推進した社会的規範の強制・活字出版物の変容・文字リテラシーの浸透をさまざまな角度から論じる.第6章で取り上げられる“国民的雑誌”としての『キング』の場合は,一度は絶えたかに思われた「音読的伝統」が実は草の根的に残っていた事例として注目される.また,現在もみられる子どもたちへの〈読み聞かせ〉活動あるいは,ごく近年,社会的になった〈声に出して読みたい日本語〉という動きも,日本の伝統としての「音読」習慣の根強さを物語るものかもしれない.
本書第1章では,明治初期におけるさまざまな読書空間(自宅・学校・鉄道・公共図書館・新聞縦覧所など)での新旧の読書習慣のあり方と衝突を詳細にあとづける.続く第2章では,地方での読者層の代表として教員の読書文化をテーマに取り上げて論じる.
前半が明治期における「読者」の習慣と文化の変遷に関する一般論だとすると,後半の諸章はその各論にあたる.当時の代表的な雑誌を取り上げ,それらのメディアを読み支えた当時の読者コミュニティについて考察する.
第3章は,百科型総合雑誌として創刊後短期間のうちに頭角を現した雑誌『太陽』について論じる.徳富蘇峰が率いた雑誌『国民之友』に対抗して,高山樗牛が主幹となった雑誌『太陽』の基本戦略は増頁化とビジュアル化による消費的読書だった(p. 127).対抗誌『国民之友』が旧来的な音読習慣を前提していたのに対して,『太陽』はまったく異なる読書文化を広めたということだ.
続く第4章では,いまも発行されている『中央公論』誌の特異な変遷史を振り返る.ぼくはまったく知らなかったが,『中央公論』誌の直接的祖先にあたる雑誌は,京都のある仏教系禁酒会が会員に配布していた機関誌『反省会雑誌』だったそうだ.後に当時の日本を代表することになる子孫誌からは想像もできないマイナーな出自だ.東京に進出してからも,雑誌としての出自を10年あまりも引きずり続け,発行数も少なかったのだが,編集主幹に滝田樗陰を迎えてからというもの,文芸小説や評論記事にウェイトを置く総合雑誌として大変身を遂げ,わずか数年のうちに知識人の必読雑誌としての地位を固めた.
著者は『中央公論』が体現したサクセス・ストーリーの背後に,知識階層と庶民階層という対極への読者コミュニティの分化があったことを指摘する.前者の階層的シンボルが『中央公論』誌だったとするならば,後者の読者に広く深く受容されたのが毎月100万部の売り上げを誇った『キング』誌だった.第6章では,この国民的大衆誌『キング』の読み手と読まれ方を考察する.軍国主義の草の根的浸透を担ったとされるこの雑誌は,旧来的な共同体的音読習慣を残していた地方社会に広がっていった.
書物に関する資料と比較して,それらを実際に手にした「読者」についての資料はきわめて乏しいと著者は繰り返し言う.そのようなかぎられた資料の綿密な掘り起こしと読み解きがたいへん興味深い.
三中信宏(29/January/2005)