第I部「概念と論争」では,ダーウィニズムの伝播の過程で生じた科学史的エピソードが取り上げられる.〈ダーウィンを消した女〉は,ある科学理論が受容される際の社会的・文化的基質について,『種の起源』仏訳版をめぐる翻訳史を手がかりに解明しようとする.続く,〈カプセルの中の科学〉では,ハーバート・スペンサーとアウグスト・ヴァイスマンとの間で闘わされた自然淘汰と獲得形質遺伝をめぐる論争を題材として,科学者と一般社会との対話のあり方について考察される.続く章では精神医学や文化人類学における進化学の刻印づけがレビューされている.一見,影響がなかったようにみえても,進化学は個別の周辺諸科学に対してさまざまな深さと変容とともに影響を及ぼしてきたことがわかる.
第II部「進化論から見た社会」では,進化思想を一般社会のあり方に反映させようとしたいくつかの試みが科学史的に回顧される.〈闘争する社会〉はポーランドのグンプロヴィッチが提唱した社会進化論を,続く〈『動物社会』と進化論〉はエスピナスの人間社会論を,それぞれとり上げる.〈加藤弘之の進化学事始〉は天賦人権論を捨て弱肉強食を唱えた加藤弘之の進化論的的転向と国家主義的旋回をたどる.また,〈群体としての社会〉と〈個体としての生物,個体としての社会〉は,それぞれ明治時代以降の日本における進化思想の普及に努めた丘浅次郎と石川千代松の事績を掘り起こす.これらの章は世界的に拡散したダーウィニズムがそれぞれの国に上陸したあと,どのような変容と受容を遂げたかを垣間見させてくれる.
第III部「人種と優生学」は,優生学と優生運動を思想的に支えたバックボーンを検証する.〈人口とその徴候〉は,優生学の祖であるフランシス・ゴルトンの生物統計学の理論を再検討することにより,優生学の理論的ベースとなった統計学の思想的背景に切り込む.〈アメリカ人類学にみる進化論と人種〉では,アメリカという国に固有の事情を背景にしたアメリカ人類学派の活動を見渡し,ダーウィン進化論に対する二律背反的な独特の受容のあり方を指摘する.人種概念が重視されたことが後年のフランツ・ボアズに帰せられる文化相対主義の基盤をつくったとのことである.続く〈人種主義と優生学〉では,アメリカにおける人種概念の社会的影響を同国の移民政策に関連づけて論じる.進化思想の社会的発現のひとつである優生学は科学史的な分析の格好のテーマだと思う.日本における優生学・優生運動を概観する章があってもよかったのではないか.
第IV部「ダーウィニズムの現在」は,進化思想の現代的諸問題を論じる.〈「ダーウィン革命」とは何であったか〉は現在進行形としてのダーウィン革命のあり方を世界観・歴史性・目的論などいくつかの視点から鳥瞰する.〈必然としての「進化の操作」〉はさまざまな生物に対してこれまで行われてきた実験的・遺伝的・遺伝子的操作は人間が「進化の操作」の技術をすでに手にしていることを意味すると指摘し,その延長線上に「文化としての自然」という考えを提示する.著者は自然という文化をどのようにコントロールするのかが現代の人間社会に科せられた課題だと言う.最後の〈進化経済学の現在〉は,人間の経済活動を進化学の観点からどのように説明するのかについて,いくつかのモデルを提示し,今後の進むべき方向を示唆する.