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oude dagboek

日録2004年1月


31 januari 2004(土)

◇この週末は「とある特務」にて,都内某所に潜伏.斥候として足を棒にする.

◇またしてもウルトラ最節約的な記述.

◇本日の総歩数=14685歩.


30 januari 2004(金)

◇明日からの「とある特務」のため,いろいろと準備する.こまごまと.

◇なんて最節約的な日録.

◇本日の総歩数=6278歩.


29 januari 2004(木)

◇穏やかに晴れ渡る.『生物科学』55巻3号(Feb/2004)の到着――特集〈アカデミズムと動物園〉.〈“みなか”の書評ワールド(3)〉も載ってます(pp.186-192).

◇ゔ,マジやばいっす(もろもろ)――クラカトアのように大噴火してみるか(たまには).

◇夕方,わざわざ電話をいただく――そうですか,ほとんど一方的に話を聞いただけなのに「対談」とはねえ.やり口,きたな過ぎ.でも,いくら太っ腹ったって,それって利用されてるだけですよ.え,I佐さんは6時間やりあったんですか(さすがー).はい,了解しました.お忙しいところ,遠くから申し訳ありませんでした.

◇〈SARS〉感染率は使用する「言語」によって決まっているという新説――『The Gurdian』(20 January 2004)の記事「The English disease」によると,中国が原産地とされる〈SARS〉の感染率はアメリカ人は高いのに,日本人は低い.大妻女子大の Sakae Inouye の仮説では,その原因は中国の土産物店で中国人の店員(潜在的キャリアー)が英語で来客に話しかけるときと,日本語で話しかけるときとでは,会話時の〈飛沫量〉が違っているからだとのこと.要するに,子音の多い言葉(たとえば英語)で〈つばぜり合い〉しているうちに〈SARS〉に感染するのだそうだ.これに対して,日本語の会話では〈つば〉が飛ばないので感染しにくいとか.う〜む.元論文は,かの『The Lancet』誌に掲載されたというから,あながち〈と〉ではないみたいだし.

◇言語学メーリングリスト〈The LINGUIST List〉で,この Inouye 論文についてのディスカッションがあった(投稿NO: 15.323, 29/Jan/04).もしも飛沫量が〈SARS〉感染の率を左右する重要なファクターであるとしたら,とりわけ子音〔p〕は致命的(文字通り!)だろうとのこと.〔Please!〕などという常套句は最悪とか――使用言語によってある病気の生存/死亡率が左右されるというのは,進化的にはとてもおもしろい話題かもしれない.※話題性の割には,日本でまったく報道されなかったような気がするが.

◇〈R〉伝道の旅(みちのく篇)――農水省畜産局の依頼により,白河にある中央畜産研修施設にて今年11月に開催される「畜産統計研修」で,〈R〉の集中講義を二日間やることになった.研修生は各自ノートパソコンを持参するとのことなので,昨年方々で行なった〈R〉研修とほぼ同じスタイルが踏襲できるかな.毎年つくばでやっている統計研修よりは実務向けだそうな.スケジュールなどは未定.※ま,「公務」のひとつということですな.

◇考古学への分岐学の関わりを論じた本が昨年暮れに出版された――

  • Michael J. O'Brien and R. Lee Lyman 2003. Cladistics and Archaeology. The University of Utah Press, 288 pp., US$ 35.00 (hardcover), ISBN: 0-874-80775-1.

――〈Res:もの研究会〉にも連絡しておこう.

◇ひとつのツールとしての〈分岐学〉ではなく,ものを見る視点としての〈分岐学〉はいつでもどこでも表面化する.研究領域の壁を越えてパラレルに出現するように見えるけれども,根はつながっている.

◇最新号の〈Cladistics〉誌に,ドイツにおける系統学の歴史をまとめた大きな論文が出た――

  • Rainer Willman 2003. From Haeckel to Hennig: the early development of phylogenetics in German-speaking Europe. Cladistics, 19 (6): 449-479. [December 2003]

――1999年にゲッティンゲンで開催された〈Hennig XVIII〉のオープニング・レクチャーに基づく論考だ.Haeckel と Hennig を節点としてドイツの体系学史を時間的あるいは時空的に補間しようとするとき,数々の内点(Walther Zimmermann, Othenio Abel, Konrad Lorenz, Adolf Naefら)の配置が問題になる.Willmann 論文はその点で役に立つ.

◇本日の総歩数=9988歩.


28 januari 2004(水)

◇零下4.0度!――パシッと冷えてます.予報された雪のちらつきもまったくなく.ただただ快晴の冬空がひろがる.

◇研究室ひきこもり状態で原稿のお仕事(ごめんねごめんね待っててねー)――こういうときなので(?)シベリウスの交響曲全集の通読ならぬ通聴を敢行する.やはりオケのプログラムによく登場する〈Sym 1〉とか〈Sym 2〉は,それなりに「ぱあ〜っとやりましょうかぁ」という色合いがある(ま,もちろん陰翳付きではあるが).でも,〈Sym 3〉〜〈Sym 7〉になると,こりゃほとんど〈内的引きこもり状態〉ではないのか? 「内省的」というよりは,「閉じこもっている」と言うべきだろう.トゥオネラの白鳥が何羽も飛び回っている感じ.

◇ティンパニー奏者から言えば,シベリウスはとても「やな曲」.ティンパニーのパート譜を見ればすぐそれとわかってしまう.いたるところ演奏不能な「トレモロ」が混ざったり,「体育会系フォルテ」が続いたり,そのくせ微妙な「ソロ的むき出し」があったりとか.厳しい曲.

◇〈シベ2〉――よくやりました.7交響曲中で最長,しかもたいへんな曲.弦楽器や管楽器は随喜の涙を流すかな.ティンパニー,きついきつい.フィナーレなんか「おらおら〜,やったらんかいっ」て風な(冒涜かな).でも,シベリウスのマジでやっかいなところは,弱奏部分でごちゃごちゃと複雑なことをさせること.主旋律に合わせて,トレモロが息をするように強弱するとかね.

◇オケ団員の「同時感覚」は楽器によってちがうでしょう.銅鑼だったら拍の0.5秒くらい前に叩かないと他の楽器と「同時に聞こえない」だろうし,逆にトライアングルやグロッケンシュピールみたいな金属系打楽器はミリ秒単位で打点がズレてもわかってしまう(ブラームス〈Sym 4〉第3楽章のトライアングルが極度に怖れられている由縁).ティンパニーとか大太鼓みたいな皮系打楽器だったら「ワタシがリズムよ」と強弁すればいいのかもしれないが(ちがうか……).かつてのマントヴァーニ管弦楽団のように,あえて弦楽器をズラすことで特有の音色を醸し出すこともあるし(ベテランほど後ろのプルトに座るのだとか).もちろん,同時感覚をもち合わせていればこそ「ズラす」わざが活きるのだろうけど(「ハズす」のと「ズラす」のは天地の差).東大オケに入ってすぐ,ラヴェルの〈ラ・ヴァルス〉の小太鼓をやったことがある.あのウィンナ・ワルツのリズムが難しくてね.「2拍目はやや早く,3拍目はやや遅く」と口では言えるのだが,つい同期してしまったりすると,ただの〈ジンタ〉と化す.

◇遅まきながらジャン=バティスト・ラバ『仏領アンティル諸島滞在記』(2003年12月25日刊行,岩波書店,ISBN: 4-00-008845-9)を書店へ取りに行く――〈17・18世紀大旅行記叢書(第II期)〉の1冊.この手の「昔の旅行記」は,原書では何巻にも及ぶ大部の書籍であっても,翻訳されるときに,「現代の日本の読者から見て不用と思われる部分」は削られることがほとんどだ.この本も例外ではない.もちろん,そこには翻訳者による取捨選択の基準が反映されるわけだが,本書に関して言えば「植物,動物などに関する,ラバの同時代人たちの興味を最も引いたと思われる博物誌的な記述は省略することが多かった」(p.410)と書かれている.「亀とトカゲ」,「キャッサバについて」,「サソリ,蛇,ヤシオオオサゾウムシについて」,「マングローブ」などなどカリブ海島嶼地域の自然誌を述べた諸章が軒並み「省略」されている.そういう記述が貴重であると感じるのは必ずしも「ラバの同時代人たち」だけではないのにね.せっかく訳されたものの,本書の価値は大きく損なわれている.ダメじゃん.

◇『生物の科学・遺伝』編集部から書評依頼――倉谷本,注目されていますね.別の書評原稿を用意しましょう.

◇本日の総歩数=6655歩.


27 januari 2004(火)

◇またも氷点下の朝――ソール・A・クリプキ『名指しと必然性:様相の形而上学と心身問題』(1985年4月1日刊行,産業図書,ISBN: なし)なんていう本を引っぱり出してる余裕はないはずだ!>ぼく.

◇確かに,LaPorte 本は,クリプキの理論が〈natural kind〉たる〈biological kind〉にも当てはまることを主張するための本だと思います.生物学の【種】や【分類群】は,その主張をするためのダシに使われているのでしょうね.一般哲学的にはおもしろいテーマかどうかは判断できないものの,少なくとも生物学哲学的にはおもしろくないような気がします.体系学という個別科学にとって役に立たないだろうということ.

◇おもしろいかどうかは個人の関心のありようによってどうにでも変わる.しかし,役に立つかどうかはもっとはっきり確定できるように思う.すでに読了した Ereshefsky本 と LaPorte 本とを比較すれば〈お役立ち度〉に歴然としたちがいがあるのは明白だ.哲学が個別科学に接近するということは,個別科学から見た哲学の「評価」が相対的に行われるということ.成層圏の高みから一方的に論評したり,論拠もなく何か言い放つことはもうできなくなる.地対空ミサイルの射程に入るということだ.

◇でも,LaPorte本はまだ全体の1/3しか読んでいないので,とりあえず執行猶予ならびに保護観察処分としておこう.※ちゃんと更生するのだよ.

◇夕方から雪がちらつくという予報.日射しもなく冷え冷えしている.筑波颪が吹きつけないだけマシ.

◇午後は農環研の主要成果検討会でプレゼン――はいっ,ご指摘の通りで;ははっ,改善いたします;ほいっ,再検討させていただきますっ.なかなかすんなりとはいかんもんですな.ちょっとだけ疲れました(また仕事増えたし).

◇いくらなんでも限度っつうもんがあるでしょ――〈EVOLVE〉で退会処分1名.「復帰」があるなんて期待しないでねー.※10年間〈EVOLVE〉を運営してきたが,初の栄誉ある(笑)退会処分者ということ.

◇本日の総歩数=9822歩.


26 januari 2004(月)

◇氷点下3.3度――昨日に続きバシっと寒い朝.ん? 研究室の椅子の配置が何だか乱れている,何やらアヤシい雰囲気が.ふむ,引き出しも局所的に無作為化されているようだし.やられたね.朝イチで事務から【盗難事件】通報メール.先週末にヤられたらしい.どうやら現金のみを狙った犯行のようで,ノートパソコンとかデジカメはそのまま,おそらくこの部屋でもっとも高価なはずの携帯用プロジェクターと『動物系統分類学(全巻)』も被害なし.次に高価なはずの『言語学大辞典』,『中世哲学原典集成』,そして『ダーウィン全集』と『T・H・ハクスリー全集』も無事,ということでここの部屋では実害なし.(こんな部屋に忍び込んだドロボーさんはご愁傷さま) ※でも,防犯にはくれぐれも気を付けよう.

LaPorte 本のさらなる続き――もしも,この本のメッセージが「心理的本質主義の Kripke 化」であったとしたら,著者の言わんとすることはたいへんよく理解できる.同時に,この本が〈進化〉や〈系統〉とはもちろんのこと,ぼくが関心をもつ〈分類〉とも無縁の本であることがわかってしまう.※早々に引導をわたしてしまってどーするって?(失せる読書慾)

◇お待ちしていた太い本が2冊届く――A・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』(2004年1月16日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07081-2)とサイモン・ウィンチェスター『クラカトアの大噴火:世界の歴史を動かした火山』(2004年1月31日刊行,早川書房,ISBN: 4-15-208543-6).インフルエンザ本は lv+420 ページ,クラカトア本は 466 ページなので,ほぼ互角の重量級.ほくほく.このボリュームにしては,とても安い価格設定だと思う.インフルエンザ本の 3,800 円はみすず書房の価格設定から言えば安い方だし,クラカトア本の 2,900 円も十分に手ごろな価格(早川書房にしては高いのかもしれないが).

◇クラカトア本の原本では,冒頭の地図にクラカトアの位置が記入されていなかったが,訳本ではそれがちゃんと訂正されている.ポイント高し.期待度アップ.

◇お,ウィンチェスターの未訳本『世界を変えた地図』も今年の夏に翻訳予定なんですね.期待しましょう.原本『The Map That Changed the World: William Smith and the Birth of Modern Geology』(2001年,HarperCollins)は,出たばかりのとき,オレゴン州立大学の書籍部で平積みされていたのを思い出す./いま amazon.com でチェックしたら,『博士と狂人』の姉妹本として『The Meaning of Everything: The Story of the Oxford English Dictionary』(2003年10月刊行,Oxford University Press,ISBN: 0198607024)が出ていた.知らなかった.今度は〈OED〉そのものを主役に据えたということかな.

◇(株)図書新聞社から書評掲載号(2663号)が届いた.

◇気分よく原稿書いてます(書いてますってば)――原稿ファイルを3本並べて.

◇ほー,「指示の因果理論」が LaPorte 本の伏線ですか――確かにイントロの最後のところで,〈causal theory いのち/Quine 逝ってよし〉みたいな書き方がしてありますね.参ったなー.で,この本はこのまま読んでも体にワルくないでしょうか? 種社会が認知できなくなるとか(笑),脳伝子が傷んでしまうとか(爆).>N部さん(頑張ってねー).

◇本日の総歩数=11186歩.


25 januari 2004(日)

◇うむむ,こりゃ寒い.眠たい.

◇せめて,新刊チェックだけでも――TRC週刊新刊案内1358号.※昨年暮れに出た谷沢永一『日本近代書誌学細見』のあとがきを見ると,今回新刊の『本はこうして選ぶ買う』は〈序説〉に相当する部分だとか./個人的には日外アソシエーツの『動植物名よみかた辞典』が気になる./『CDエクスプレス〜』シリーズはこれからどう化けるのか? /すでに現物が手元にある「●本」あるいは事前に出版情報をもっていた本が多かったので,イマイチ新鮮味のない週でしたな.「おおぅ,こ,これは!……[絶句]」というふうでありたい(なんのこっちゃ).

LaPorte本の続き――この著者,わかってないね.というか,なんでもかんでも〈Kripke化〉すればすむと思いこんでいるようだ.たとえば,哺乳類(Mammalia)クレードの共通祖先を G とするとき,次のように言う――

Mammalia therefore has some necessary properties. It is necessary such that it includes all organisms in G or descended from G. And it is necessarily such that it includes only organisms in G or descended from G. [p.12]

――要するに「having G for a stem」があるクレードの本質的性質であるという主張である.そして,続く第2章では,このような本質的定義をもつタクソンは,Kripke 的な意味での「rigid designator」(p.36)であると主張される.すなわち〈可能世界〉のすべてにわたって,そのタクソンの同一性がいえるということらしい.

◇まったく「なに言ってんだか」って感じ――

Scientists are free to pick an expression, say 'G-clade', and just stipulate that it does refer to that group. If they do so, then 'G-clade' rigidly designates, de jure, that group. So there is no worry that 'G-clade' fails to designate the right group rigidly. [p.47]

――それがどーした? ある研究者が「これはクレードね」と言ったからといって,それが何らかの経験的基盤の上で意味のある発言かどうかは,それが〈kind〉だとか〈rigid designator〉であると指摘したところでプラスにもマイナスにもならない.「可能世界」?――可能な系統樹からなる広大な探索空間を考えれば,あるクレードは別の可能世界では消えてなくなるはずだ.経験科学の中で〈可能世界〉を論じたいのであればそれなりの覚悟が必要だろうと思う.※この本,ダメじゃん.

◇本日の総歩数=0歩.※一転,固着性生物化.


24 januari 2004(土)

◇またも早朝から所用にて取手へ――Joseph LaPorte『Natural Kinds and Conceptual Changes』の1/3(第1〜2章)を読む.

◇著者が,Kripke / Putnum のラインで分類学を再構築しようというのは少なくともムリがあるように感じる.もちろん,「可能世界」論の観点から〈natural kind〉を復権させようという意図はよくわかる.しかし――

[A] natural kind is a kind with explanatory value. (p.19)

――というような「再定義」と随所で出くわす.〈natural kind term〉が日常語由来であるという認識があるのであれば,そして,何よりも〈kind〉という概念が日常会話の中で発生するというのであれば,〈natural kind〉はほかならない認知心理的産物であると言うのが適切だと思うのだが,この本ではそういう「認知科学」との関わりはいっさい触れられていない.

◇【種】や【分類群】が Kripke 的な意味での〈rigid designator〉であるというのが前半章の主たる論点の一つらしいが,ぼくには説得力のある論議の展開であるとは感じられなかった.対立枠と成り得る Ghiselin や Hull の「個物説」へのコメントも,「反駁する必要はない」(p.17)でおしまい.要するに,日常的な意味での「kind」が構築できれば,あとの Kripke 的議論は自由に編み出せるということか.はずしている.

◇JR取手駅ビルのくまざわ書店にて,『図書新聞』の最新号(2004年1月31日発行・2663号)を買う――第5面に,みなか書評「進化学の〈オリジン〉はどのような社会・文化・学問的な環境にあったのか:ダーウィンをめぐる歴史学のスタンスを問う」が載っています.小川真里子『甦るダーウィン』の書評です.

◇何となく疲れてぐたっとする.

◇本日の総歩数=15374歩.※なんだか動き回る.


23 januari 2004(金)

◇冷えたと思ったがそれほどでもないか,氷点下2度ほど.ぴりぴり乾いている.静電気ピシピシ.

お,さっそく出ましたね――サイモン・ウィンチェスター『クラカトアの大噴火:世界の歴史を動かした火山』(2004年1月23日刊行,早川書房,ISBN: 4-15-208543-6).bk1にはまだ入荷していないか(>早く入荷しましょう,S尾さん).昨年,ニューヨークで原本(『Krakatoa: The Day the World Exploded - August 27, 1883』,2003年,HarperCollins)を買ったが,スリリングでとてもおもしろい本だと思う(まだパラ読みしかしていない).火山国・日本ではなおいっそう売れるんじゃないかな.地図上にある「島」が文字通り〈消えうせる〉というのはショッキングだ(原本のp.229の比較地図).原本では,火口から噴き上げる真っ赤な溶岩の写真で本全体がくるまれていて,一瞬「熱っ!」と引いたが,訳本では原本の(とっても太い)オビの図柄を借用したようだ(穏当な選択).著者ウィンチェスターは,〈オックスフォード英語大辞典(OED)〉の成立を描いた『博士と狂人:世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(1999年4月30日刊行,早川書房,ISBN: 4-15-208220-8)がすでに同じ早川書房から訳されているが,もともと地質学が専門とのことで今回の新刊は楽しみだ.翻訳までのタイムラグがほとんどないのにも感心する.原本で400ページあまり.森山日記(22/Jan/04)によると,訳本は相当に「分厚い」そうだ.期待しましょ.厚いというだけでヨダレを垂らす条件反射.

◇新刊『英国オックスフォードで学ぶということ:今もなお豊かに時が積もる街』(2004年1月20日刊行,講談社,ISBN: 4-06-212219-7)の著者・小川百合さんは「図書館を描く画家」だという.図書館を尋ね歩いて世界を回るのが仕事だそうな.そういううらやましい生業があるのか.この本もタイトルを見ただけだときっと買わなかっただろうが,図書館がらみとわかったのでゲット.オックスフォード大学の図書館群をめぐり歩いた紀行文.表紙カバーが実にいい.古びた革装丁の本たち.※はてさていつ読もうかしらね.

◇わわっ,ウィンチェスター新刊本が bk1 に速攻入荷されたっ→『クラカトアの大噴火』 ※ほとんど「以心伝心」だっ(遠隔力というウワサも……).

◇そういえば,昨日,吾妻の友朋堂書店で,山本義隆『磁力と重力の発見』が平積みされていた.もう「第8刷」なのか.実に驚異的な売り上げですな.

◇さてと,懸案の原稿をひとつ仕上げましょ(センセ,ごめんねー.もうコワレないでねー)――

◇昼休みに〈EVOLVE〉改造――前からやろうと思っていた「htmlメールの駆除」と「添付ファイルの撲滅」を実行.「config.ph」を書き換える.

◇〈日本蛾類学会〉のサイトを散歩させていただく.〈TAXA〉を宣伝していただき感謝です.ほほぉ,〈MJ〉こと『日本蛾類大図鑑』をウェブ変身させるんですね,神保さん――〈Tortricism〉.おそるべしハマキガ主義.※でも,この蛾類リスト〈List-MJ〉ですが,なんだかリンクが乱れている箇所がありますよ.「References」が「トラガ」のリストになってたりとか,「コウモリガ」が〈うつぎ〉化していたり(笑),「ヒラタモグリガ」が「ふりだし」にもどっていたり,「ボクトウガ」が実は「スイコバネガ」だったり,etc....※神保さんからのご連絡によると,このようなトラブル報告はこれまで届いていないとのこと,ワタシの Safari on Mac OSX がわやになったんでしょうか(原因不明のまま).

◇その『日本産蛾類大図鑑』(1982年9月20日刊行,講談社,ISBN: 4-06-993822-2)のこと――出版後20年以上経っているのに,今年になって通算三度目の重版とは長命な本.蛾類学会サイトによると,今月末締切で重版の購入予約を受付けているそうだ.定価「10万円(2巻セット予定価格)」ですって!――初版(1982年)が出てすぐにえいやっと私費購入したときはまだ56,000円(セット)だったのに,その2倍の値段が付くようになるとはね.でも,だいぶ前に北大で聞いた話だと,古書店価格ではすでに20万円を越えているらしい(いやはや).でも,日本の〈むし屋〉はこういうことにはサイフのひもがゆるゆるだそうだから,完売はまちがいないだろう.昆虫関係の[超]高額図書が日本で書籍市場として成立するのは〈むし屋〉がいればこそ.こういう日本の昆虫書籍は外国の研究者にも注目されているようで,この間も〈TaxaCom〉に「日本の“Mushi-Sha”からのどんな昆虫図鑑が出ているのか知りたい」というオーストラリアからの質問が届いていた.

◇『日本産蛾類大図鑑』の重版は今回が最後とのこと.あとは「電子化」する以外に方策はないのかな.

◇参りましたな,なかなか進捗しませんな.こら,参ったー.ああ,今日は残照が美しいな(すでに逃避モード).

◇夜,Simon Winchester『Krakatoa』をつい読んでしまったりして(懲りないやつ).クラカトア火山の噴火に言及した,散在する断片記録をかき集めている.

◇本日の総歩数=8988歩.


22 januari 2004(木)

◇久しぶりの氷点下の明け方――〈TAXA〉の会員数が500名を突破した.

◇実にタイムリーな本『史上最悪のインフルエンザ:忘れられたパンデミック』(2004年1月刊行,みすず書房)の著者アルフレッド・W・クロスビーが,2ヶ月前に出たばかりの『数量化革命:ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』(2003年11月1日刊行,紀伊國屋書店,ISBN: 4-314-00950-0)と同一著者だとは瞬間的には思い至らないよねえ,つう.

◇おいっ,メーリングリストで街宣車まがいのことをするなよ.※あ,ついホンネが…….

◇すぐしなければならないことを絞りこむ――必修タスクがふたつ,選択タスクもふたつ.

◇毎年この時期に届けてもらっている『Annual Review of Ecology and Systematics』誌が,最新刊(Volume 34, December 2003)からいきなり『Annual Review of Ecology, Evolution, and Systematics』と誌名変更されていた.この年報,毎年「進化」関連の記事が多いので,誌名に「進化」の1語が挿入されても何の不思議もないのだけど,そもそもなぜこの言葉が入っていなかったのかがむしろフシギだ.「生態学」と「体系学」を合体させた年報を発刊しようとした動機が気になる.研究室にはこの年報がコンプリートにそろっている.さっそく創刊号(Volume 1, 1970)の序文(p.v)を見直してみると,冒頭にまさにそう書いてあるのを発見――

Some ecologists and systematists will wonder at the combination of ecology and systematics in this new Review. Others will recognize the unity of the disciplines but wish that some unit term had been used for the title. The Editorial Committee Members acknowledge the problem in both its taxonomic and nomenclatural guises.

でもって

The title nevertheless greatly impeded consensus, and the one we now use is a major compromise. One of the lesser vertues of the title is that it gives us a euphonious acronym ARES, which has a certain classical vigor; and, with hindsight, it is preferable to others that might have been chosen.

――うーむ,とても苦しい弁明だと思う....ギリシャ神話のΑρησ神(語末の「σ(別字形)」が書けない……)をもちだされましてもなあ.何かウラの事情があるのかな.あえて「進化」を外したという背景には.創刊当時の編集長は数量分類学の Richard F. Johnston であり,副編集長のひとりとして当時はまだ表形学者だった C. D. Michener が名前を連ねている.システム生態学者のオダムも編集委員のひとりか.ま,何となく〈アンチ進化〉なバックグラウンドが見えてくるような気もする.

この創刊号の論文は下記のように並んでいる:

  • Richard C. Lewontin: The Units of Selection. (pp.1-18)
  • David L. Hull: Contemporary Systematic Philosophies. (pp.19-54)
  • ...

――創刊号にしては「予言的」なテーマ設定だったように感じる.自然淘汰単位論争や体系学方法論論争が始まる直前(あるいは論争初期)だったしね.

◇創刊30年にして誌名変更というのは,それなりの重みがあることなのだろうと思う.

◇夜になってますます寒くなってきた.北風強し.ぴゅ〜.

◇本日の総歩数=9062歩.


21 januari 2004(水)

◇ここ数日は冬型気圧配置が強まるという予想だが,今朝は冷え込みなし,霜なし,凍結なし.しかし,晴れ間もなし.

◇はてさて何から手をつけていいものやら――まずは,主要成果書類の手直しからか.と言いつつ,昼休みに『のだめカンタービレ』を全巻読破してしまったり(引導わたさんといてや).あ,また督促メールが雪国から(壊れないで,センセー).すみません,教科書の原稿書きます.え,大会シンポの企画立案,はいはい夕方までに(ひー).こらッ,池波正太郎本なんぞに手を伸ばすな.まったくぅ,添付ファイル付きのメールなんぞをメーリングリストに流さないでねっ(と指導メールを書いたりとか).え,来週の主要成果検討会に出席するんですかぁ(きー).つい,『ビュフォンの博物誌』に現実逃避したりとか(う,いかんいかん).進化学会の大会企画も間に合わん!〜.あれやこれや,それやどれや.

◇Pickering版の〈ダーウィン全集(全29巻)〉がなんとか入手できそうだ――年度末のお金をひねり出して購入しよう.日本は紀伊國屋書店経由か.セット価格が「半額」になっているとは知らなかった.※何とかアノお金が使えるめどが立った.らっきー.

◇今月のbk1書評担当本は『動物進化形態学』に決定.

◇やっぱり昨夜の〈夜なべ〉――もう死語らしいが――が効いたのか,動作がとても緩慢になってきたよーだ.寝よう,寝よう,さあ寝よう.

◇本日の総歩数=7294歩.


20 januari 2004(火)※振替休日

◇再出勤して数時間後の午前1時過ぎ――主要成果書類(わーど)と業績リスト(えくせる)を完了.両方とも日頃まったく使わないから,おたおたしてしまう.図なんかpdfからカット&ペーストしただけなのでイマイチ感は否めないが,ま,これでいいでしょ.いーやいーや.

◇午前2時――返す刀で,方々の非常勤出講大学にシラバスをばしばしと送りつける.よろしくお願いします.統計あり系統あり形態あり.

◇午前2時半――さらに刀を振り回し,『ダーウィンと家族の絆:長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』のbk1書評(800字)を仕上げて,送信してしまう.

◇午前3時――なおも刀をぶんぶんさせて,〈まりまりフォーラム〉の書類もどかどかと書いては投げ,ちぎっては踏みつぶし.※送りましたのでご心配なく.

◇というわけで,午前4時にやっと一段落――これでしばらくばたばたせずにすむかなー.アヤシイけど.

◇今日はまたまた振替休日で,東京に潜入します.

◇でもって,へろへろな3時間仮眠の後,なおへろへろのまま常磐線に転がり込む.生活リズムっつうもんがあって,そうそう自由には寝られませんな――Ereshefsky本の最後の章を読み進んでも,やはり睡魔はやってこない.※この本,phylogenetic taxonomy 支持派であることは確かだけど,〈PhyloCode〉登場の前にフライング出版されてしまったということかな.もう1〜2年出版が遅ければさらにホットな話題を提供できたのではと思われる.やや強引な話のもっていき方をしているところもあるけど.

◇大塚と巣鴨で用事をすませ(〈すがも園〉で塩大福なんぞ買ったりして),昼前に本郷へ出撃.〈ミュン本郷店〉で鳥カレーをばと思ったところが,時間帯が悪かったのか階段の下まで長蛇の列.いったん退却して,本郷三丁目駅近くの〈大学堂書店〉で崩壊しそうな本棚の間を徘徊.腹が減っていたのか,喰いもんの本ばっかり買ってしまう――

  • 池波正太郎 『散歩のとき何か食べたくなって』,1977年12月2日刊行,平凡社,0095-826230-7600(※ ん,これはISBNではないな)
  • 石毛直道編『モンゴルの白いご馳走:大草原の贈りもの「酸乳」の秘密』,1997年10月13日刊行,チクマ秀版社,ISBN: 4-8050-0316-2

――池波正太郎本はタイトルに惹かれて.よく食べ歩いてるねえ,この人.食欲増進本.『モンゴルの〜』は好奇心増進本.かの〈カルピス〉がモンゴルの〈酸乳〉をヒントにして考案されたものだとはまったく知らなかった.※確かにカルピス株式会社ウェブサイトの『カルピス・誕生の〈うらばなし〉』には創業者・三島海雲がモンゴルで酸乳に出合ったエピソードが記されている.へぇ〜.この本自体もカルピス株式会社の創業80周年記念事業の一環として出版されたものだという.

◇レジで大学堂の店主と長々お話し――神保町ではこのところ大手の古書店が四つつぶれたそうな.後継者がいない古書店が多いので,先行きは見えないらしい.オンライン古書店は「手の内」まる見えで,書店側にとってはロングタームな利益にはならないだろうとのこと.店も客も「足で稼ぐ」ということをおろそかにしているとボルテージ高し.とても便利だけど対価は意外に高いのか.

◇再度〈ミュン〉にトライ.今度はすんなり入れました.鳥カレー,とっても美味でした(これで600円は安い!).

◇さらに転戦.東大生協書籍部に潜入する――『ほん』2004年1月号がもう出ている.〈特集:若書き〉の書評「グールドのデビューは2回あった」(p.7).意外に速攻で出ましたな.前から感じていたことですが,『ほん』の書評はすべて「署名書評」にした方がいいですね(今号はぼくだけやん!).せっかくの長文の書評も書評者が隠れていたのではインパクトに欠ける.

◇ついでに前の号(2003年12月号)もゲット――お,倉本さんの記事「サイエンスウォーズは何を残したのか?」(pp.6-7).う〜む,記述のバランスがよ過ぎて〈毒〉が足りないんじゃないかなあ.※ほんを買わずに,『ほん』だけもらってくるワタシってほんのわるもの.

◇みすず書房の『丸山眞男書簡集』は,隔月で刊行される予定であることを知る.

◇東大から上野まで歩いてそのまま帰還――不忍池の底からぼこぼこと空気が出ていたのは,新しい換気装置を付けたということね.※カモを見るたびに〈きゅっと締めたくなる〉のは『大人袋』の読み過ぎか.

◇夜,Ereshefsky『The Poverty of the Linnaean Hierarchy』を読了する.忘れないうちに書評を書かないと.

◇これも忘れないうちに――TRC週刊新刊案内の2週間分をチェック:1356号1357号.真冬のせいか,ほとんど「凶作」に近い不作ぶり.※結核本『サナトリウム残影』でも買うてくれようか(うぅっ,喀血が... ウソつけ).確かに,結核やハンセン病は文学・文化を生む力があった.エイズもそれに次ぐくらいのパワーがありそうだ.しかし,SARSやKJDはどう考えても「文化創造力」に欠けているように思えるのはなぜだろう.マスク軍団の行進はイマイチ「陰翳」に欠けるということだろうか.牛に由来する病原体には「文化」は感じられないということか.病気にすら厳然とした社会的・文化的ランキングがあるのか.

◇本日の総歩数=20145歩.


19 januari 2004(月)

◇明け方から小雨.気温がもっと低ければ雪になっていたのだろう.研究室で某事務所類にまだ噛りついている.

◇〈ariadnet〉からフリーの総譜をダウンロードできるサイトを教えてもらう――〈The Sheet Music Archive〉.こりゃ,すごいですな.バッハの教会カンタータの総譜なんか200曲もまるまるダウンロードできる.試しに,お気に入りの「BWV 199: Mein Herze schwimmt im Blut」をダウンロードしてみる.おお,確かに総譜そのものではないか(原本をスキャンしてpdf化したということね).うむ,譜面を見ながらだとアリアがよりいっそう美しく聞こえますな.※その他には,ベートーベンの交響曲全曲とか,モーツアルトのカルテットとか,ブクステフーデのオルガン曲とか,いろいろと.「秘曲」のたぐいはまだアップされていないが,それでも重宝するサイトです.探せばあるんですねえ.

◇雨足は少し強くなる.でも午前中で上がるかな.主要成果書類は昼前に完成――しかし,なお InDesign から「わーど」へのファイル変換という作業が残っている.「えくせる」ちくちく入力もある.

◇火を煽るように,「アレはどーなった?」メールがまたも別方面届く.う゛,それ,積年の積み残し残務ですよね.マジやばいっす.

◇佐藤俊哉さんから送っていただいた『宇宙怪人しまりす,生物統計を学ぶ(豪華愛蔵版)』が届いていた――ありがとうございますです.雑誌 Estrela に昨年連載されていた生物統計学記事をまとめたもの.いくら「来なくていいよ」と言われても毎月やってくるしまりす君,いいキャラだと思います.

◇午後からは晴れ間が覗く.でも気温は意外に低かったりする.

◇まだ所用終わらず――いったん帰宅して,また「再出勤」となるか.

◇朝のうちにピーターパン吾妻店に予約しておいたドイツパン〈フロッケン・ゼザム (Flocken-Sesam)〉の1.5kgブロックを引き取る.いろいろ試してみて,このパンが今のところこの店のイチオシかな.もっと穀粒のプレザーブされたドイツパン(ヴァイツェンミッシュブロート)も触感はいいが,物足りない気がするしね.シンプルなプンパーニッケルはそれだけ食べ続けると飽きる(他のブロートと組み合わせるべきか).その点,クルミとレーズンに黒胡麻がトッピングされたフロッケン・ゼザムは飽きがこないように感じる.

◇え,かの〈きつね丼〉を知らないとは…….シンプルで飽きがこない飯ものだという確信があります.レシピは極度にシンプル――まず,大量の油揚げを用意します(一人あて4〜5枚はいける).鍋に味醂と酒を煮立てて(出し汁もあっていいかな),短冊切りした油揚げをどかっとぶちこみ,薄口醤油でざっと味つけ,刻んだねぎ(浅葱はダメ)で香りがついたところで,そのまま丼飯にかける.ポイントは「少し甘めの調味」をするという点.醤油味はごく控えめに.ヴァリエーションとしては「卵でとじる」ということもありますが,ぼくの好みは「卵なし」の油揚げのみのキツネ丼.できるだけ肉厚な油揚げをつかうのが美味の秘訣.京都ではどこの食堂でも定番メニューだが,関東ではとんと見かけたことがない.これまた〈食の方言〉か?

◇本日の総歩数=11534歩.


18 januari 2004(日)

◇未明に地面が濡れていた――農環研の守衛さんに早朝訊いたところ,夜中に雪が舞っていたとのこと.気温が高かったのですぐに融けたのか.低気圧は南岸を通り過ぎ,天気は回復するようだ.

◇LaPorte の新刊『Natural Kinds and Conceptual Changes』の目次細目を追加して,再度アップ.この本,相当に「分類学哲学」寄りの本であることを知る(タイトルだけからはとても想像できないが).

◇かつての【種】問題に加えて,これからは【分類】問題も生物学哲学の観点から再びクローズアップされてくるのだろう.かつては体系学派の抗争が焦点だったが,今回は分類体系の構築にからむ概念的問題群(【種】と高次分類群)ならびに実践的問題群(命名法やランキング)が縦糸となり,一元論/多元論が横糸となる構図か.分類パターン認知というテーマも論議の端々に顔をのぞかせているので,論議の土俵そのものもこれから推移していくかもしれない.リンネ分類体系の認知的特性は Scott Atran (1990) の本『Cognitive Foundations of Natural History』(Cambridge University Press)が典拠として繰り返し登場しているから.

◇分類学とかナチュラル・ヒストリーは,確かに現代科学としてはマイナーであって(とくに他の“ビッグ・サイエンス”と比較すると),そこで得た結論を〈一般化〉できないのではないかという危惧は科学論の側にはあると思います.しかし,そもそも〈一般化〉された科学論すなわちさまざまな科学に適用し得る言説を論じる価値はもうないのではないかとぼくは考えます.仮説のテスト可能性とか最節約性というかつては〈グローバル〉な科学の話題とみなされていたものが,いまでは〈ローカル〉な個別科学の話題として経験科学的な科学論解析にまわされるようになってきたのはその現われでしょう.

◇科学論の大きな流れとして〈グローバル〉から〈ローカル〉へという潮流があるのでしょう.科学論(科学哲学や科学史)は科学の「外」に超然と立って見下ろすというスタンスではもうダメで,科学の系譜の「中」に入り込み,個々の科学クレードに寄り添いつつローカルな科学論的論議を展開していくという方向がすでに確定しているという気がします.博物学をケーススタディーとして得た科学論的考察を他の学問分野にそのまま拡張しても当てはまらないかもしれない.しかし,そもそもそういう科学論的な「拡大解釈」とか「使いまわし」はもう不可能だろうというのがぼくの予想です.科学そのものが「系譜(lineage)」の集まりであって,けっして「クラス」ではないということから導かれる帰結です.魅惑的に見える〈壮大な科学論〉にはもう出番は回ってこないでしょう.

◇Larry Laudan の〈規範的自然主義〉なんかローカル追認そのものに見える.アブナイといえばアブナイ(それが“歯止め”になるのか).でも,科学の「外」から科学論的ブレーキをかけるのではなく,むしろ「中」に科学論的制御棒を最初から仕込んでおくということなら,なかなか賢いことを考えてるなと感心したりする.共生の道を選ぶということかな.ある意味では捨て身の戦法か.Laudan (1984)『Science and Values』(University of California Press)はひもとく価値があるかも.

◇2008年にメキシコで開催される予定の第7回国際系統進化学会〈ICSEB-VII〉の情報が届く――予想通り UNAM の Jorge Llorente-Bousquets 教授が大会委員長の候補者となっている.実行委員会(IOSEB)の会議が今年の夏にメキシコシティーで開催される段取りになっているので,そろそろ前準備の心づもりが必要だ.その前に会議出席の返事をしないといけないが,Hennig XXIII(パリ自然史博物館)の日程はどうなってるのかな? この時期はいろいろと国際会議が予定されているようなので調整がたいへんではないか.

◇夕方になってやっとダイヤルアップ接続がつながるようになった.

◇追い詰められて事務書類づくりを再会――あ,またおなかの調子が…….※ほとんど登校拒否児童並み.

◇他にも「集中講義シラバスを送れ」とか「あの原稿を出さないとギロチンだっ」とか「科研費報告書の準備を」とか「昨年積み残しのアレを」とか……とか……とか.いやはや続々と督促メールが.※もう逃避しようかな.

◇所用があってある人に連絡――ご無沙汰しています.日吉の研究室におじゃましたのは,もう四半世紀も前のことかと.紅茶にハチミツを滴らすというスタイルはとても新鮮でした.※生態学の会話は何も覚えていないのに,些細なことばかり記憶に残っている.さっそく登録させていただきます.

◇本日の総歩数=1668歩.※またも「引きこもり」かっ.


17 januari 2004(土)

◇積み残し文書ファイルとともに帰宅する深夜の敗北感.くぅ〜.※なんとかしんとあきまへんなあ.

◇あれれ,自宅からのダイヤルアップ接続がつながらない.メールサーバーからの応答なし.今日はシズカな一日となるか.

◇朝から取手に用事.待ち時間ありまくりで,長らく中途挫折していた本の登攀をほぼ達成―― Marc Ereshefsky『The Poverty of the Linnaean Hierarchy』(2001年,Cambridge University Press).2001年はじめに本が届き,その年の暮れに「Part I」の部分書評をメーリングリストに流したまま,あとが続かず(なんだかノリが悪かった記憶がある)まる2年が空しく過ぎ,ここにきて再度トライということに.「途中から読み継ぐ」というのはほとんど「最初から読み直す」に匹敵するのでつらいものがある(「書く」場合もおんなじだけど).「Part II」全部と「Part III」のほとんどを読み,残りはリンネ分類体系の代替を論じる最後の章のみ.書評の完成版がやっと書けるようになったと思うとほっとする.

◇Ereshefsky本の「Part II」では,「いかにして〈多元論(pluralism)〉を守りきるか」ということに勢力が傾けられている.【種】カテゴリーと【分類】に関する〈一元論(monism)〉を一方で否定し,他方では〈Anything goes〉という〈アナーキズム批判〉を躱さねばならないということ.著者は Larry Laudan の〈規範的自然主義(normative naturalism)〉を拠り所にして,ローカルな個別科学での学説のランクづけが可能だ(だから〈Anything goes〉ではない)と言いたいようだ.でもねー,ぼくが理解できた範囲では,規範的自然主義は通常の「規範」ではなく,単にローカル科学者集団の「内部了解事項(“党綱領”)」の追認に過ぎないでしょう.もちろん,大風呂敷(グローバル)な規範ではないという点では評価できるのだが.研究伝統(research traditions)ごとに内部的な学説ランキングができていればいいということかな(Laudan的に言えば).

◇ローカル科学者集団での論議をしたいという意図はわかる.でも,それを言うなら「どのような科学者集団が“ある”のか」という〈存在論的問題〉を Ereshefsky は最初に解決すべきだろう.彼は「体系学」という科学者集団が存在するものとして,規範的自然主義をそこに適用しようとする.そして,各〈学派〉――進化分類学・表形分類学・プロセス分岐学・パターン分岐学――に共通する「一般的目標」を抽出しようとする.彼が得たのは「生物学者がそこから推論ができる,経験的に正確な分類」(p.175)だった.でも,これって「目標」といえるしろものではないだろう.無理に「共通点」をひねり出したような感じさえする.※著者自身は「一般的目標」のもつ“あいまいさ”について弁明はしているけど(p.177).

◇むしろ,体系学の〈学派〉ごとに別々の「一般的目標」があると考えた方が現実的ではないかな.コンパクトでアクティヴな科学者集団はもっと小規模なわけだから.でも,そんなことを言い始めれば,究極的には規範的自然主義そのものが消滅してしまうことにもなってしまうか(科学者“個人”の内部に収束してしまいかねない).

◇〈眼力のある多元論者(discerning pluralist)〉となる修業はイバラの道.誰にでもたどれるわけではない.しかし,そういう多元論者である必要はもともとないのではないか.【種】や【分類】にはいろいろ「あるのだ」と考える前に,そういうものはもともと「ないのだ」という選択肢があったはず.【種】や【分類】の一元論/多元論はどちらも「ある」派という点では同じ穴のムジナだろう.

◇この本を途中で投げ出したのは,著者の主張にイマイチついていけなかったからかもしれない.

◇Laudan の「規範」に対しては疑わしく思うが,後半の「自然主義」に対しては大筋でその通りだと思う.ローカル個別科学の一般的目標を達成する方法論的規則を選択する際に,科学に関するデータ(科学史や概念分析など)によって経験的なテストが可能なスタイルをとろうとするのは妥当な方策だろう.

◇残る〈Part III〉ではリンネ分類体系への批判と phylogenetic taxonomy へ方向づけがなされているが,これまたイバラの道じゃないかなあ.

◇あれれ,自宅からのダイヤルアップ接続がつながらない.メールサーバーからの応答なし.今日はシズカな一日となるか.

◇野瀬泰伸『全日本「食の方言」地図』(2003年12月17日刊行,日本経済新聞社,ISBN: 4-532-16451-6)を読み進む――「天ぷらには天つゆかそれともソースか?」,「カツ丼といえば卵引きかソース味か?」,「お赤飯に入れるのはアズキか甘納豆か?」,「紅しょうがを天ぷらにするか?」…….確かに,食文化の〈方言〉はあると思う.それは転居や旅行の機会に初めて明らかになる(しかも他人には言えなかったりする).「ミズナの漬物には必ず味の素と醤油がつく」,「焼き魚にはかかさず醤油をかける」,「目玉焼きにはソースをかける」,「天ぷらにもやっぱりソース」,「きつね丼をよく食べる」――ぼくの実家での経験から.

◇雪が降ると予報だったが,茨城あたりはまったく降らず.

◇本日の総歩数=12119歩.


16 januari 2004(金)※振替休日

◇夜中に季節風が吹き荒れたみたい.明け方とても冷え込んだが,今日は休みにしてしまったので,寒冷直撃出勤からは免れた.晴れているが,下り坂の予報は.明日は雪になるそうだが,ほんと?

◇生物学での〈本質主義(essentialism)〉の位置づけについて,家の中をごそごそ資料探し.とりあえずは Sober 本あたりから――

  • Elliott Sober 1984. The Nature of Selection: Evolutionary in Philosophical Focus. The MIT Press, Massachusetts, xii+383 pp.
  • Elliott Sober 1993. Philosophy of Biology. Westview Press, Boulder, xx+231 pp.

――かな.本質主義が〈natural kinds〉に付随する概念であることがまずポイントだ(1993, p.145).自然界の「自然な分節」としての〈natural kinds〉には,それを定義できる〈本質〉が必然的になければならないということ.ただし,この必然性を文字通りとらえる〈本質主義物語〉が分類学史の解釈としてどれくらい妥当なのかがいま問題視されているのだろう.Mary Winsor もそうだし,Joseph LaPorte もそのようだ.LaPorte の新刊は Contents に掲載されていない目次細目が付いているので,そのうち入力しておきます.

◇〈本質〉のもうひとつの側面は,Sober(1984)に出てくるアリストテレスの〈自然状態モデル(natural state model)〉に即した因果メカニズムとしての〈本質〉解釈だ(p.157).「力(forces)の理論」としての自然淘汰理論を明示化する中で,Soberは外からの介入力が作用していないときには,物体はある「自然状態」をとるとアリストテレスは考えたという.【種】のもつ〈本質〉もまたアリストテレスの「自然状態モデル」のもとではある因果メカニズムと解釈できる(p.162)――すなわち変異がなかったならば,それぞれの【種】はある「自然状態」にいたるという観念である.進化的思考がこの「自然状態」観とごく根本的なところでクラッシュすることは当然のことだ.

◇こう考えてくると,〈本質〉は何も論理分割をするための静的な形質や特性だけにとどまる概念ではなく,もっと動的なプロセスをも含むことになるでしょう.したがって,不要な波風を立たせる〈生気〉という概念をもちこむまでもなく,〈本質〉さえあれば十分だと思います.

夜9時過ぎに夜陰に乗じて農環研に潜入.「ふふふ,意外な時間だろ」と研究室に忍び込んだところ,ぐわー,十重二十重の献本また献本(感涙にむせんでまーす.というか,何が好みかをしっかり読まれてるいう感じで.はい,今回もアタリですぅ)――む,出ましたな,マグナムばくだんこと倉谷滋『動物進化形態学』(2004年1月8日刊行,東京大学出版会,ISBN: 4-13-060183-0);おお,ウワサをすれば何とやら,ジョン・オルコック『社会生物学の勝利:批判者たちはどこで誤ったか』(2004年1月15日刊行,新曜社,ISBN: 4-7885-0882-6);さらには,ヒソカに狙っていた長澤和也編『フィールドの寄生虫学:水族寄生虫学の最前線』(2004年1月20日刊行,東海大学出版会,ISBN: 4-486-01636-X).こりゃあ,腹風邪ひいてるヒマなんぞありまへんな.

◇それにしても,倉谷さんの饒舌なスタイルは実に好ましいな(いつものことながら).こういうふうに,非最節約的に揺れつつ,大きく脇道しつつ,しかも本来の噺ができるこのジェネレーションの研究者は日本にはあまりいないように思う.※はー,それにしても「xiv+611pp.」ですか.ちっ,150ページほど負けたぜ…….捲土重来かはたまた臥薪嘗胆か.(闘志を燃やしてどーするって?)

◇おお,そんな脇道をしている余裕はなかったのだった――ささっと事務書類をつくらねば,とフリだけ反省してみる夜10時半.

◇日が変わる直前に,培風館『植物育種学辞典』の2項目改訂を完了――うう,そういうことをしている場合ではないのだぁ.

◇気力と体力の限界を感じつつ,日はさくさくと変わる.

◇備忘録――房総〈弁天鉱泉〉の吟醸酒〈陽向[ようごう]〉,フロッケン・セサミ(吾妻ピーターパン),マイク・ダッシュ新刊『難破船バタヴィア号の惨劇』(2003,アスペクト),麻生圭子本.

◇本日の総歩数=4189歩.


15 januari 2004(木)

◇Keith Jarrett〈The Köln Concert〉とともに氷点下の朝.今日は事務書類仕上げの日.※現実逃避インタールードありか?

◇主要成果の報告書を書く――いろいろと細かい書式指定が(汗&涙).図表の貼りこみねえ.それ以前に Word に移すというハードルが…….エクセルで業績リストをつくるという作業もあるし.まったくぅ.期限は明日か.え,特許出願の締切も発生するんですね.うぐ.

◇〈Bogen〉に関する昼下がりの打合せを少々.Branch-swapping のできぐあいがいいようだ.テスト計算結果をもらう.主要成果提出についての報告と打合せ.頑張って宣伝行脚に努めましょーね.※ほぼ仕事一筋でんな.

◇BGMとして武満徹全集のCDを流していたりするのですが,数ある管弦楽曲の中でも〈系図〉は突出してタケミツらしくない曲だなあと再認識する.この調性といい,節回しといい.お,〈From me flows what you call time〉――スチールドラムがころころしてる.※そういえば,とどクンちには〈タケミツ函〉だけはなかったよーな.「壮大なるマンネリズム」と評していたよーな記憶も.

◇いろいろと本が届く――ブライアン・ボイド『ナボコフ伝:ロシア時代(上・下)』(2003年11月20日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-07071-5 / 4-622-07072-3).新刊では手が出ないので,オンライン古書店経由.さすがにボリュームありますねえ.上下巻あわせて700ページを越える大冊.しかも2段組み.まだ訳されていない姉妹編の『アメリカ時代』もあることだし,伝記としてはとてつもない本だと思う.※ああ,現実逃避したいなー.

◇しばし,「わーど」地獄と「えくせる」苦界から逃れて,ナボコフの蝶の世界へトリップ――

「蝶が私を選んだのであって,私が蝶を選んだわけではない」(上巻,p.75)

――う〜む,インタビューでとっさにこういう表現ができてしまうのがうらやましいではないか.ん? こりゃ翻訳のまちがいかな――

彼[ナボコフ]はまた,ザイツの何巻にもおよぶ『世界蝶大図鑑』を「読破することを夢見て」いたし,英語やロシア語の昆虫学雑誌に目を通し,『エントモロジスト(昆虫学者)』(十年後,彼の最初の鱗翅学論文がここに掲載される)誌で知った専門語を用いて,採集した蝶の特徴を英語で記述してもいた.彼はすでに分類学上の大変革を知っていて,旧式でアマチュア的な蝶の分類体系を打破しなければならないことを理解していたし,進化や擬態に対しては,もう積極的な関心を示していた.(上巻,p.91)

――ザイツの図鑑(『Die Gross-Schmetterlinge der Erde』)は,ぜったいに『蝶図鑑』(→名詞翻訳ミス)でもなければ『大図鑑』(→接頭辞翻訳ミス)でもないから.

◇ナボコフが蝶や蛾の分類に関心をもちはじめた時期(20世紀前半)は,ちょうど英語圏で〈The Evolutionary Synthesis〉がかたちを成し始めた時期と一致する.それがナボコフにもたらした影響ははっきりとあるらしい.『Nobakov's Blues』(1999年)とか『Nabokov's Butterflies』(2000年)などをごそごそ引っぱり出すのは現実逃避の証拠かっ.そういえば,Robin Craw の分岐学史論文「Margins of cladistics」(1992. Pp.65-107 in: Paul Griffiths (ed.), Trees of Life. Kluwer) の冒頭にも,ナボコフがタイプ標本を調べるためにドイツ昆虫学研究所を訪問したときのエピソード(1930年のこと)が載っていた.

◇アマゾンからも2冊着便(いややなぁ,せっかく仕事したいのにぃ,ホンマ迷惑やなぁ)――1冊は,Joseph LaPorte『Natural Kinds and Conceptual Changes』(2004年1月刊行,Cambridge University Press, ISBN: 0-521-82599-7).ウェブサイトだと Michael Ruse の名前が入っていたから論文集だとばっかり思っていたら,単著だった(Ruse は Series Editor ね).あとで EVOLVE / TAXA に撒いておかないと.もう1冊は,Mary Ann Caws 編『Joseph Cornell's Theater of the Mind』(1993 [2000],Thames & Hudson, ISBN: 0-500-28243-9).この日記帳,まるで〈植草甚一〉ではないか!

◇あ,また〈現実〉に引き戻されて…….

◇イマイチ体調が本調子ではないよーな.クスリを飲み続ける.明日は振替休日にしてしまおう.

◇本日の総歩数=8131歩.


14 januari 2004(水)

◇午前2時に起床してしまう――昨夜は一時的に風が強かったが,明け方にはおさまった.処方してもらった薬を飲みつつ出勤.ヒンデミットのビオラ協奏曲〈Der Schwanendreher〉を聴きつつ,溜まったことどもを消化する.今日はグループ内の成績検討会議で一日がつぶれるので,よろよろしてはいられないのだ.

◇なんのかんので明け方までにヒンデミットの管弦楽作品 CD 三枚を聴き通してしまった.締めは交響曲『世界の調和』――ヨハネス・ケプラーにインスパイアされた同名の歌劇をベースにしたシンフォニー.

◇おお,キンタの強引な〈幕引き〉があ〜(そこまでやるかぁ)――つい勢いで『震える山:クールー,食人,狂牛病』の書評を書いて流してしまう.※そんなことをやってるヒマがあるんですかー?

◇午前10時から生態システム研究グループの成績検討会議(午前の部)――物質循環するリモセンの嵐.GPS首輪をはめられて,ぐわ.

◇やっぱり食欲ないまま昼休み.パンをちょい齧ってクスリを飲む.外は快晴で,北風が吹き荒れている.土埃にかなたがかすむ.

◇午後1時から成績検討会議(午後の部)――またもリモセン嵐.その後,自分の発表と質疑,さらに主要課題候補についての討議.すべて終ったのは午後5時過ぎのこと.ま,年に一度のことだからねえ.※でも,また書類仕事が増えた気がする.気のせいか...(現実逃避).

◇イマニシな〈EVOLVE〉と分類/系統な〈TAXA〉――いずれも最近は流量がとても多い.しかし,どちらも今のところは【】脈に到達していないので,まだマシなのかもしれないが.〈TAXA〉の論議の方は し ば ら く そっとしておこう.〈EVOLVE〉での〈種社会〉論議については,新版でも旧版でも【種】を前提としていることは明白.したがって,形而上学的問題から逃れることはできない.このスレッドの流れも傍観することにしよう.

◇本日の総歩数=8326歩.


13 januari 2004(火)

◇明け方,吐き気と生つばの目覚め――やば,これは何ものかが〈憑いた〉にちがいない.昨夜からの雨はまだしとしとと降り続いている.「彼は誰時」はいつも怪しい.※なら,ごそごそ起きるなよ.

◇やっぱり調子がよくない.明るくなっても吐き気とまらず.そうとうなモノが憑いたと見える.明日の成績検討会議に提出する主要成果報告書をなんとかつくり終えたのが.午後1時すぎ.InDesignでちゃちゃっと整形して,pdfに出力する.※でも,あとでWord文書にしないと「正式提出」にならないらしい.くそー.

◇さらに体調が低下し,こめかみに影が横切るようになる.昼飯を喰うどころではなく,マジやばいかも――ということで,ささっと早退(こういうときだけすばやいっ).帰宅してふとんにくるまる.うーむ,なかなか寝られませんな(午後3時すぎに寝るというのがそもそもムリか).

◇ふとんの友として,昨日買ったばかりのクリッツマン『震える山:クールー,食人,狂牛病』を読み始める.お,なかなかおもしろいやんか.Ed Hooper の HIV ルーツ探索記『The River: A Journey to the Source of HIV and AIDS』(1999,Little, Brown and Company, ISBN: 0-316-37261-7)にも似ている.しかし,「医学文化人類学」と銘打つだけあって,プリオン病〈クールー〉が発生したニューギニアの文化的背景の方に重きが置かれている.民俗医学にも触れている.もちろん,本書のメインテーマである〈饗宴〉――「おれは脳を喰った」とか「お前の腕はうまそうだな」とか「私は指だけ」というカニバリズムの記述を読み進むには腹具合がよろしくないかもしれない.※というか,体調を考えると「もっとも歓迎されざる本」だったのかも.

◇でもって,食欲回復せず,夕ご飯も絶食し(ぐぅ〜),さらに食人の記録を読む(代償行為とか言うなよ).クールーの潜伏期間は個人差はあるものの20〜30年はざらだという.それも,たった一度〈饗宴〉に加わっただけで,発病するというデータを現地で得たそうだ.著者は,狂牛病とクロイツフェルト・ヤコブ病についても,長期にわたる潜伏期間がありえると警告している.

◇とくにおもしろかったのは,呪術師たちとの対決場面――クールーという病気に対して,調査地であるニューギニア先住民〈フォレ〉の呪術師たちは「呪い」が原因だと言い張る.著者は彼らに対して,伝染性タンパク質が病因だと説得しようとするが,「目に見えないもの」は信用できないという呪術師たちの反論をなかなか論破できない.そのやり取りと著者の心理をたどっている.著者は〈フォレ〉の呪術文化にたいする敬意を忘れてはいない.

◇なんやかんやで結局『震える山:クールー,食人,狂牛病』を読了.心地よく寝入ったのは10時すぎのこと.

◇本日の総歩数=6559歩.


12 januari 2004(月)※成人の日

◇新年会の翌日は惰眠を貪る.ああ,ゴクラク.

◇夜になって雨模様.ひょっとしてことし初めてか? お湿りお湿り.

◇本日の総歩数=0歩.※今日1日っていったい何だったんでしょ? 完全ブランクな日.


11 januari 2004(日)

◇またまた常磐線で上京.今日は北風がとても強い.前線が通過して典型的な冬型気圧配置か.

◇分類連合シンポ第2日――今日は〈新種記載をスピード・アップする方策を探る〉.おお,昨日ほどではないが,今日も百人以上の参加者がある.タクソノミストたちの会合にしては,よく人を集めたもの.

◇今日のシンポのメインテーマである「分類情報」をほんとうに必要としているのは狭い意味での分類学者たちだけではなく(ひょっとしたら彼らにとっては不要なシンポとさえいえるかな),環境コンサルタントや学校教育の関係者かもしれない.琉球大学の太田英利がコメントしていたように,分類情報の発信者と受け手の give and take がどのようにスムーズに進められるのかは実は大きな問題かもしれない(それらの情報の公開のあり方とも絡む).

◇個々の生物群ごとに形質情報をどのように収集していくのかという技術的な面での発展はもちろんあるだろうし,それが他の分類群の研究にも共有できる要素があればそれに越したことはない.この点では第2日目のシンポは表面上は成功したといえるかな.ただし,大方の参加者の問題意識(あるいは分類学会連合それ自体の動機づけ)の底流にある「どうすれば分類学者を増やすことができるか」に関しては議論すべき点を外していたと思う.松井正文さんの講演「分類学研究者を増やす方策」ではそのあたりの具体的方法が言及されていたのは確かだが,その前に「分類学とは何なのか/分類学は他者に教えるべき内容をもっているのか」という点を論議しないかぎり,対症療法の域を越えるものではない.

◇ぼく自身は「体系学者(systematists)」は日々増え続けていると感じる.系統樹をベースにした研究が日常化しているということは体系学者が増え続けているということだ.系統樹思考あるいは体系学的思考はその意味ですでに定着していると思う.とすると,そういう潮流の中であえて「分類学」という幟を立てるためには,系統学とは別のところに分類学の占めるべきニッチを見出すしかないと思う.松井さんが何と言おうが,分類学と系統学は別の学問だ――問題設定が根本的に異なっているのだから当然の帰結だろう.そういう論議を抜きにしての〈人口増加政策〉を論じるだけムダだろう.説得力がないし,人心掌握も望めない..

◇午後1時半近くになってやっとお開き.なかなか盛況だったのではないか.積み残しの論議は〈TAXA〉で続行してほしいな.

◇白山さんから得た情報によると,やはり〈seto.kyoto-u〉は死んでいるそうだ.ウィルスに斃れたとか.合掌.

解散後,新大久保駅までの途中で,またまた〈古書・畸人堂〉に引き込まれる――クリッツマン『震える山:クールー,食人,狂牛病』(2003年11月10日刊行,法政大学出版局,ISBN: 4-588-77201-5)をほぼ半額で入手.買わなきゃと思っていた本.法政大学出版局にしては印象的なカバーですな.

◇その後,青山の紀伊国屋に直行.フィンランドのパンとチーズを仕入れて,東大オケ打族新年会がある墨田区京島へ.北千住から東武浅草線で曳舟へ.こりゃディープな下町ですな.長年住んでいた千駄木がかつての地上げで多少ともアーバナイズ?されたのと比較すると,京島あたりはその気配すらない.路地と長屋,銭湯と豆腐屋,職人と家庭内工業――いい雰囲気ですねえ.昨年末の〈アド街〉で京島が取り上げられたのもむべなるかな.

◇京島真っ只中にある一軒家が新年会会場(とどクン夫妻はよくこんなとこに転居したものだ).「おお,迷子にならず,よくたどり着きましたな」(※だったら駅から矢印貼っておいてよね)との第一声.新年会,なかなか盛り上がりましたな.みなさん,年を経てもお変わりないようで.おお,そうですか,九大理学部も法人になるといろいろとたいへんなようで.『のだめカンタービレ』は必読書と(メモメモ).

◇うむむ,とど君ライブラリーはただごとではない――CDがついに5,000枚を越えたって? なになに,メシアン函が二箱に,オルフ函もあるのか.今度あらためて探索に来させていただきますです.

◇夜10時前にディープ下町を通り抜け,曳舟→北千住→ひたち野うしくというコースで帰還.今日は疲れましたです.

◇帰りの常磐線の中で田口久美子『書店風雲録』(2003年12月15日刊行,本の雑誌社,ISBN: 4-86011-029-3)を読了.1970〜80年代にかけての池袋西武〈リブロ〉の中心となって,この“前衛”書店を切り盛りした社員の回顧録.とてもおもしろい.当時の本の流通のあり方,ベストセラーの売り方,取次店との確執,そして百貨店の一部門としての書籍部という特殊な場が印象に残る.なつかしい本のタイトルや作家が,著者の記憶の底から紡ぎ出されるように浮かび上がっている.徳田御稔の『二つの遺伝学』などをかつて出していた理論社がばりばりの左翼出版社だったこと,紀伊國屋書店は第二労組ができるほど労働運動がさかんだった話,そして堤オーナーの失脚とともに,〈リブロ〉もフロントから退いていったこと――文脈はいささかちがうが,リン・ティルマン『ブックストア』の物語りに相通じるものがある.オモテ/ウラの挿話が散りばめられた本書はお薦め.

◇本日の総歩数=20793歩.※当然,予想される歩数ではあった.


10 januari 2004(土)

◇今日と明日は〈日本分類学会連合第3回シンポジウム〉のため,日帰りの東京出張.国立科学博物館分館(新宿区百人町)に出撃.つくばでぐでぐでしていたので,予定していた常磐線に乗り遅れ,10時半からの連合総会になんとか滑り込みセーフ.分類連合の事業の一つとして〈TAXA〉メーリングリストの説明をしたり.

◇とくに紛糾するよーな議題は何もなく,余裕ありまくりで総会はお開き.午後のシンポジウムまで時間があったので,新大久保駅前で生物地理学会の森中さんと向井さんと昼食.その後,時間潰しに百人町の〈古書・畸人堂〉に立ち寄る.

――ところがぜんぜん時間潰しどころか,収穫物ありまくりでほくほくしてしまう.ずっと探していた荒俣宏編の『ビュフォンの博物誌』(1991年11月10日刊行,工作舎,ISBN: 4-87502-190-9)を安く入手.ビュフォンの『一般と個別の博物誌』の全図版を収録したこの本は,すでにもっているジャック・ロジェ『大博物学者ビュフォン:18世紀フランスの変貌する自然観と科学・文化誌』(1992年4月10日刊行,工作舎,ISBN: 4-87502-196-8)の姉妹書.ロジェの英訳はつい数年前に英訳されたばかりだから,日本語訳ははるかに先行していた.

◇ビュフォン本を撫でつつ,科博分館に戻る――第1日目のシンポは〈移入種と生物多様性の撹乱〉.おお,こりゃたいへんな客の入りじゃないですか.ざっと見たところ150名は優に越えている.保全生物をテーマにすると集客力があることを再認識する.クワガタとタンポポのお話し,あるいはブラックバス問題はすでに知られていることだが,興味深かったのは大塚攻「バラスト水によるプランクトンの導入」.貨物船の航海中のバランスを保つために貨物室に大量に組み上げられるバラスト水が行き先で廃棄されることにより,海洋生物の人為的移入が起こっているという話題だった.

◇夕方,少し早く退散.帰路,積ん読状態にあったウンベルト・エーコ『カントとカモノハシ(下)』を読了――なんだか,つまんなかったぞ.分類カテゴリーとしての〈TC=認知タイプ〉すなわち「個人的認知」/〈CN=核内容〉すなわち公共的共通認知/〈CM=モル内容〉すなわち拡大された知識(科学を含む)というカテゴリー構造の仕分けはまだいいとしても,エーコが言っていることは認知カテゴリー論の記号論的言い換えにすぎないのではないか? 上巻ではまだ記号論独特のオーラが香っていたが下巻ではそれもなし.ハズレでした.

◇しかし,エーコの本領は細部にこそ宿る――同一性論議ではつねに言及される〈テセウスの船〉のパラドクスを,エーコは実在する17世紀の〈戦艦ヴァーサ号〉のそれに置き換えている(pp.147以降).帰りがけに再び〈古書・畸人堂〉に立ち寄ったら,その名も『戦艦ヴァーサ号』という大版の本に遭遇しました.でも,いくら「定価20,000円が8,000円に!」と言われてもふつう買いませんわな.それよりは,『世界温泉文化史』(1994年,国文社)の方が魅力的だった.

◇本日の総歩数=13835歩.


9 januari 2004(金)

◇ここ一両日,明け方の満月がとてもきれいに見える.でも真冬の満月はあまりじっと見つめない方がいいのかもしれない――もの狂わしい.アルノルト・シェーンベルク作曲の〈Pierrot Lunaire〉あるいは萩原朔太郎の詩集〈月に吠える〉.いずれも〈狂〉を意味する.そういえば,G. G. Simpson が汎生物地理学の支持者を指差して〈lunatic fringe〉と言ったのは,科学論文での表現として考えてみると稀有の罵倒語だったのだろうと今にして思う――「お前ら,憑かれているぞ」って.当人たちはそうとは気づいていないし,むしろそれが幸せなのかもしれないけどね(相対的にみて).

◇今日は一日中,書類づくり.年度末の成績検討会議が立て込むこの季節としてはしかたがないことかもしれませんがね.1枚刷仕上げました(遅くなってすんません).あとは主要成果の1枚をなんとかしないと.その後は個人の業績評価審査が待っててるしね.

◇やっぱ,アレは〈lunatic fringe〉ですな――〈月〉しか見てないもん.

◇本日の総歩数=8063歩.


8 januari 2004(木)

◇朝から冬晴れ,北風強し.湿度低く,ひりひりする寒さ.

◇朝から原稿督促メールが2件.く....この〈砂嵐〉さえ乗りきれば.

◇やってますやってます.書いてます書いてます.怠けてませんて! ひー.

◇お,やっと対戦者の登場か――リングの上が賑やかになってきたぞ.※つい,よそ見して返事なんか書いたりして.ごめんなさいごめんなさい.

◇〈全出力/全活動〉チェック完了.「1枚刷」はもうすぐ仕上がる.「主要成果」の書類も書かないとか.ぎー.※え,アレは「1枚刷」じゃなかった? あちゃ,失礼.つくり直します.何年やっても慣れたためしがない.

◇国立大学が法人化されると,非常勤講義の「枠」が狭くなるというのは全国一律のようですね.「とにかく中でまかなえ」という方針は,企業論理に基づく健全経営を目指すという建前か.

◇Joel Hagen 論文の続き――R. R. Sokal and F. J. Rohlf の定番教科書『Biometry』(1969)が登場するまでは,生物統計学といえば,G. G. Simpson and Anne Roe の『Quantitative Zoology』(1939)が唯一の教科書だったそうな.そういう位置づけの本だったとは知らなかった.Simpson は自分が学んだ George Snedecor の『Statistical Methods』(初版は1937年)は生物学者には「難しすぎる」と考え,それに代わる統計学教科書をつくろうと思い立ったそうだ.妻である Roe は病院に勤める心理学者であり,少数例に基づく統計解析の本にするというのが執筆方針となった.後年,『Quantitative Zoology』の改訂(1960年)にあたっては第3著者として Richard C. Lewontin が加わった.この人選もまた奇異に思えたのだが,Simpson と Lewontin との間では統計学に対するスタンスに大きなちがいがあり,出版にいたるまでに対立や論争が絶えなかったらしい.Lewontin は世代としては Bob Sokal に近いからか.もちろん Lewontin が集団遺伝学者なので,もともと統計遺伝学に強いということもあったのだろうが.

◇Simpson 関連の資料を掘り起こしておこう――

  • Léo F. Laporte (ed.) 1987. Simple Curiosity: Letters from George Gaylord Simpson to His Family, 1921-1970. University of California Press, Berkeley, x+340 pp., ISBN: 0-520-05792-9.
  • Léo F. Laporte 2000. George Gaylord Simpson: Paleontologist and Evolutionist. Columbia University Press, New York, xviii+332 pp., ISBN: 0-231-12065-6.

――Simpson のヘタウマ?イラストはおもしろいのだが,エキセントリックな人柄だったようだ.

◇本日の総歩数= 8896歩.※館内徘徊のみ.


7 januari 2004(水)

◇ほどよく寒い朝――昨夜はリング上よりもリングサイドの方が賑やかだったか.「レフリー」はたくさん集結しているみたい.すでに〈電柱〉も乱立しているよーだし.ところが,肝心の「挑戦者(たち)」がまだ現われないのですが――などとうだうだ言っているうちに,観客どうしの乱闘が始まっていたりして.すかさず水をかけて消火(したつもりだが).※〈今錦〉って闘牛士の「赤い布」みたいなもんなんですかね?――棲み分け法悦・プロトアイデンティティ涅槃・スペシアいのち.盛り下がる.〈Qshinka〉から〈EVOLVE〉に場を移したからにはそのうち引導を渡してあげようね.もう逝っていいんだよ.RIP.

◇〈砂塵〉ではなく〈砂嵐〉か.※心理的には.

◇予想通りの多大なる収穫であった――

Joel Hagen 2003. The statistical frame of mind in systematic biology from Quantitative Zoology to Biometry. Journal of the History of Biology, 36: 353-384.

――を昼休みに羽成公園にて読み進む(夜,読了).この論文,EVOLVE / BIOMETRY / TAXA の3メーリングリストすべてに関係する内容を含んでいると思う.甲虫学者 R. E. Blackwelder が〈the old systematics〉の代表,世代的な「中点」としての G. G. Simpson が〈the new systematics〉のシンボル,そしてより若い世代の R. R. Sokal が〈数量分類学〉の旗手としての役回りを演じるとき,統計学を分類学者がどのように受容していったのかがきれいにたどられていると思う.いわば統計学マインドあるいは統計学リテラシーの生物学者による受容史.

◇とりわけ,Simpson が統計学に対して「和魂洋才」的な二律背反スタンスに立っていたことが印象に残る.統計学は必要な「わざ」だが,それに溺れてはいけないとつねに慎重であり続けたらしい.それでも old systematist からは「数値汚染」と糾弾され,新興の数量分類学派からは「なまぬるい」と突き上げられたとか.

◇生物統計学に関して,Simpson と心情的に同調していたバイオシステマティスト E. Anderson は Iris の分類学者で,イギリス滞在中に Ronald A. Fisher にそのデータを渡した人. Fisher はそのデータをテスト例として〈判別分析〉を考案したが,Anderson 自身はそういう「複雑な統計解析」には信頼を置かなかったとか.さらに,後年,Anderson が1950年代にグラフ的な定量的データ解析法を考案したとき,John Tukey との共同研究を企てたことがあった.その企画はつぶれたのだが,後に Tukey がかの『Exploratory Data Analysis』(オレンジ本)を1977年に出し,やはりグラフ的なデータ解析のアプローチを打ち出したことはその影響かもしれないと Hagen は示唆している.

◇こういう thought-provoking な論文は充実感がある.

◇本日の総歩数=13210歩.※ウォーキング+公園+読書の3点セットの成果.


6 januari 2004(火)

◇夜明けが早くなってきた.氷点下の気温は相変わらずだが,季節は確実に進んでいる.ヒリヤード・アンサンブルの〈Songbook〉を聴きつつ.

◇吹きつけてくる〈砂塵〉のような雑用がしだいに痛くなってくる.‘1枚刷’・業績報告・主要成果課題 etc.Annual Report の最終ゲラもチェックしないと.昨年10月のつくばGBIF会議の英文原稿の締切は今月末だったっけ.

◇〈BOGEN〉関連の打合せを少しばかり――アオコの葉緑体DNAデータと分子系統解析.その他,これからの仕事の方針について.すぐに機能タンパクに直結するわけではないですね,確かに.

◇JST異分野交流フォーラム〈進化生物学によって人間観は変わるか?〉事務局から連絡――本日,実行委員と講演予定者宛に参加登録に必要な書類を発送するとのこと.※これは1ヶ月後のこと.

◇昼休みのお散歩持参本・高橋隆太『究極のお箸』を羽成公園ベンチで読了.津軽の‘乾漆蒔箸’がほしくなった.津軽塗にしろ輪島塗にしろ,漆箸は手間暇かけまくりの食器であることを認識する(値が張るのはしかたないか).シュッと音を立てて出てくる銀製の‘振り出し銀箸’もいいっすね.象牙の箸ねえ――昨年,ヘルシンキでトナカイの角からつくった箸というのを買いましたが,このたぐいなんでしょうか.象牙の箸は「折れないかぎり」一生ものらしいが,漆箸はもっと長命で実に3000〜4000年も持ちこたえるのだそうだ(どうやって調べたかは別として).のけぞる.※いまや漆の大部分は中国からの輸入で,国産物は希少価値だとか.岩波現代文庫に松田権三『うるしの話』という漆師の聞き書きをまとめた本があるが,時間があったら少し覗いておこう.著者の店〈銀座夏野〉にも惹かれる.

◇神奈川県水産試験場からの統計学講義の依頼文書が届く――「研究人材活性化対策事業研究推進支援研修」という漢字の多い事業のひとつらしい(引く...).でもねー,統計曼荼羅の噺でしょう.人材活性とか研究推進につながるんでしょーか(うむぅ).「え〜,毎度ばかばかしいお笑いを一席〜」とはいかない? ※これまた,来月のこと.

◇計量生物学会の編集の仕事とか.〈JBS〉メーリングリストがほぼ死んでいるので,そろそろ心臓マッサージしないと蘇生しないかもしれない.計量生物セミナーの印刷出版もそろそろリミットだ.※〈砂塵〉にときおり混じる〈礫〉みたいなもんかな.

◇みすず書房の新刊であるブライアン・ボイド『ナボコフ伝(ロシア編)』(上・下)に食指が伸びてしまう.オンライン古書店だと定価の2/3か――えいやあっ(←このかけ声はいったい...汗).当然,近い将来「アメリカ編(上・下)」というのが出るんでしょうな,きっと.計4冊か(重厚高の三拍子).※それにしても,みすず書房のホームページは,年明け早々,山本義隆『磁力と重力の発見』一色に埋められているなァ.トリプル受賞だから当然のことではあるのだけど.

◇この PNAS の論文はとても挑発的でおもしろそう――「Markov chain Monte Carlo without likelihoods」(PNAS, vol.100, no.26, pp.15324-8. 23/Dec/2003).最尤法の枠組みを外して,なお MCMC だけは利用しようということか.Simone Tavere ら集団遺伝学者の論文だが,要旨には「[Bayesian 逝ってよしの]frequentist だって使えるぞ」などと書いてある([ ]はみなか戯れ言).明日にもブツを入手してこよう.集団遺伝学の祖先推定問題が例として解析されているらしい.

◇〈砂塵〉をかわすために,〈全出力〉&〈全活動〉のアップデートをした上で,作業を進める――ところがところが,アップデートが一苦労.どこで何をしゃべったか,どんなことを書いたかの記憶が薄らいでいることに愕然.そのたびにこまめに記録しておけばよかったものを,ついつい先延ばしにするとこういうことになる.学会要旨やら雑誌のバックナンバーやら過去1年の「行状」を洗い直し.〈個人業績評価〉がやかましく言われるようになってから,こういう作業がとみに細かくなってきたと思う.〈全活動〉をとりあえず片づけよう.学会役員経歴・論文レフリー・併任での非常勤出講・JICA講義・統計研修 etc.etc.etc..次は〈全出力〉か.げー,果てしない〜.

◇夜,小尾俊人の論集『本は生まれる。そして、それから』(幻戯書房,2003年2月5日,ISBN: 4-901998-00-5)を見返している.ゾルゲ事件,ロマン・ロラン全集など著者が関わったこととともに,丸山眞男との交流が随所に出てくる.※この本,とても上品な装丁だと感じる(装画は滝口修造,装丁は緒方修一だからね).みすず書房からあえて出さなかったのは,ここに理由があるのかな.

◇本日の総歩数=13312歩.


5 januari 2004(月)

◇久しぶりの職場――と言いたいところだが,年末年始も断続的に出没していたので新鮮味はまったくない.いつもの場所という感じ.そろそろ「成績検討会議」なる恒例イベントが所内外(農水系独法の内側の話)のいたるところで開かれる季節なので,気分的にはバタバタしてくる.というか,バタバタしている人を見ると,こちらにもそのバタバタが伝染してきてうっとおしい.ただし,他人事ではなく,いくつかの書類を作ったりしないといけないみたい(\ぽか)なので,それを考えるとまたまたうっとおしい.うちの研究グループは14日(水)が検討会議日(→関係者のみなさんは頑張ろう.ぼくも).

◇昨年からの積み残し原稿の備忘録(忘れるなよっ)――現代新書原稿,生態学会編「はじめての生態学」分担原稿,『生物科学』太田邦昌追悼原稿.ぐー.

◇年度末だし,予算残額の執行もしないとか.※公費でまた大量に本を買いこむか.「G5」どーしましょ? 

◇そろそろ〈全出力〉と〈全活動〉をウェブ公開しないと.元テキストファイルが巨大なので,ついつい後回しにしてしまったのだけれど.

――てなことを考え出すと,実はたいへん忙しい羽目に陥っているのではないのかといきなりバタバタしだす.

◇実にタイミングよく現実逃避の解発因が郵送されてきた――R. W. Purcell and S. J. Gould (1986), 『Illuminations』(W. W. Norton)が Alibris から着便.同一著者による写真エッセイ集の第一作.この本,ハーバード比較動物学博物館(MCZ)の紹介本でもあるわけか.博物館の原型としての〈驚異の部屋(Wunderkammer)〉を体感させる構成.第二作目の『Finders, Keepers』(1992)では,レイデンの Naturalis やアメリカ自然史博物館など世界中の博物館に射程が広がったのと対照的.第三作目の『Crossing Over』(2000)は,出版社も別だし,初出が Harvard Magazine と The Sciences のエッセイをコンパイルしたものだから,前二作とは異なる.

◇昼休みの初歩き.5kmほど.

◇秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密2』読了――うーむ,前著以上に美味ではなかった.被害妄想・誇大妄想ではないことを示すだけの証拠が提示されたとは言いがたい.隠された地下砲台を掘り起こすとか,ル・コルビジュの著作のすり替えを報道するくらいのインパクトがないと,立てたテーマだけが独り歩きすると思う.イマイチ.ま,リアルっぽい小説として愉しめたと思うことにしましょ.

◇まだ〈テポドン〉は発射されていないようだ.(笑)

◇本日の総歩数=13264歩.※この調子でウォークしましょ.ワークもね(さぶ...).


4 januari 2004(日)

◇またまた読書マルチタスキングの日――『丸山眞男書簡集 1: 1940-1973』(2003年11月20日刊行,みすず書房,ISBN: 4-622-08101-6)・秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密2』(2004年1月5日刊行,洋泉社,ISBN: 4-89691-784-7)・高橋隆太『究極のお箸』(2003年12月20日刊行,三省堂,ISBN: 4-385-36192-4).※『究極のお箸』は銀座の箸専門店〈銀座夏野〉店主が書いた本.カラー図版で箸の「標本」を観察するのは,一寸見には奇異だが,いいアイデアかもしれない.日常的なものほどしげしげと観察する機会がないから.〈伝統こけし〉と同じように,地域によって形状や塗りの様式が異なっているのがおもしろい.ふだんは津軽塗の箸を使うことが多いが,他にも選択肢がたくさん開かれていることを知る./『帝都東京〜』:前著に続く続刊だが,地下というだけでワクワクしてしまう読者はみーはーか.オランダの城郭都市 Naarden が〈地下城塞〉の例として出てくるが(函館五稜郭のモデルとなった),確か何かの戦争で壊滅したはずだが./『丸山眞男〜』:千通余りの書簡を全5巻に分けて出すそうな.恥ずかしながら丸山眞男の著作って読んだことないのです.これが初めて.みすずから出版するだけあって,みすず書房創業者・小尾俊人の手紙が多数所収されている.存命者についてはコメントが付されている.ま,ぼちぼち読んでいきましょう.

◇『ダーウィンと家族の絆:長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』の書評を EVOLVE / Darwin に配信する.bk1書評はまだ.出版元の白日社にも正誤表を含めて書評を送っておく.

◇〈中村主水〉がああいう最期を遂げるとは,今の今まで知らなんだ〜.※WOWOWネタです.

◇明日からは「平常営業」か....もう少し逃避していたいのだけれど.

◇本日の総歩数=2701歩.※く゛,これではいかにしてもよくない....


3 januari 2004(土)

◇今年の正月三が日は穏やかな天気だ.今日もまた日射しがあって,北風なく,空気は乾燥している.

◇正月の初仕事――ランドル・ケインズ『ダーウィンと家族の絆:長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』の書評を書き上げる.興に乗ってついつい書き込んでしまった(400字詰で10枚あまり).明日にでも EVOLVE / Darwin に流すことにしよう.bk1用の書評原稿には大幅に長すぎるので,ばさっと短縮する必要がある(1/5程度まで).ランドル・ケインズのような〈身内〉の伝記作家というのは,親族だけが利用できる情報源をもっているという点では有利だが,subject に対する距離感が保てないという点ではマイナスにもなりえる.もちろん,著者とチャールズ・ダーウィンとは血縁とはいえ親等が大きく離れているので,ある程度は突き放して見られる立ち位置にあるのかもしれないが.このあたりのバランスが危ういし,またおもしろいところでもある.

◇Biographer とその subject との関わりあいの問題――生物学史研究者の Vasili Smocovitis が伝記対象である進化学者 G. L. Stebbins との関わりについて2,3年前の Journal of the History of Biology に書いていたことを思い出した.彼女の場合は,「存命中の subject」とどのように関わっていくかという,ケインズの場合とはまたちがった問題に直面している.〈存命〉というのは「科学史」の俎上に乗せるには時期尚早ということになるのか.しかし,生物としての〈存命〉以外に,心情的な〈存命〉をも考える必要があるだろう.世間的にはすでに「物故した過去の人」であっても,〈身内〉の感覚では「まだ生きている人」という心情は拭い去れないからだ.〈身内〉と〈外部〉では心理的時間にズレがある.

◇ケインズの本(グウェン・ラヴェラの『思い出のケンブリッジ』もそうだが)を読むと,とうの昔に死んでしまったはずなのに,すごそこに生きているかのような錯覚をおこす記述に遭遇する.〈身内〉のスタンスで書かれた内容に,読者が subject との距離的なバランス感覚を撹乱されているのだと思う.アニーは1世紀半前にこの世から消えている.にもかかわらず,『ダーウィンと家族の絆』を手にする多くの読者は,アニーが「そこにいる」ような錯覚を覚えるだろう(著者自身,そういうスタイルを意識して書いているのだと思う).その錯覚そのものをエンジョイするというのは確かにひとつの読み方だが,それだけですましていいのかという「引き」がまだ残っている.

◇きのう読了した大貫伸樹『装丁探索』に山藤章二の装丁家としての仕事を論じた箇所があったことをいま思い出した.ハードカバーの本を紙ではなくビニールの透明カバーでくるむという装丁が流行した1970年代のことだが,山藤章二は石川英輔『大江戸神仙伝』(1979年,講談社)の装丁を担当したと書かれている.『大江戸神仙伝』はぼく大好きなSF時代小説で,かつてテレビ映画化されたのも見ている(正確な年は忘れたが,主人公の‘速見’役は滝田栄,相手の‘いな吉’役は叶和貴子だったことだけは覚えている).この本は買おうと思ったときはすでにハードカバー版は品切れで,講談社文庫のものしか手に入らなかった.その後,1992年に評論社という別の出版社からハードカバー初版が復刻されて,やっとこの[今となっては特殊な]ビニール装丁の本を手にすることができた――で,本題.主人公の速見は1世紀半前の江戸時代にタイムスリップする能力をいつの間にか身につけたのだが,江戸時代の愛人‘いな吉’との心理的距離感をはかりかねている戸惑いぶりがこの小説のもともとの真髄なのだろうと思う.タイム・スリップする前後で心理的距離が揺れ動く.死んでいるはずなのに,生きているというフシギ感覚.(後に続く『大江戸〜』シリーズは,むしろ回顧的エコロジー小説に変化していった気配があるが).

◇パリ第八大学の小坂井敏晶さんから突然メールをいただく.ぼくのサイトで公開している小坂井さんの著書『民族という虚構』や『異邦人のまなざし:在パリ社会心理学者の遊学記』の書評や紹介をたまたまインターネットで発見されたとのこと.ご連絡いただきありがとうございます.夏にぜひ機会をつくってお会いしたいと思います.>小坂井さん.

◇サイトを公開して以来,上のような思わぬ出会いやつながりが増えてきた.リアル社会にいただけではこういう接点はなかなかもてない(というか不可能に近い)と思う.それだけを考えてみても,研究者個人が,サイトをつくり,コンテンツを公開していくのは利己的に見て明らかな benefit があると信じる(もちろん cost を伴うことも否定はしないけれど).

◇本日の総歩数=1527歩.※ううむ,ほぼ固着性生物と化している.


2 januari 2004(金)

◇明け方にまたゴソゴソと研究所に向かう.下り坂の天気とのことで,冷え込みはなし.最低気温1.2度――いくつかのメーリングリスト宛に Monthly Greeting を流す.みなさん,今年もよろしくねー.※ふむ,ちょっと管理アンテナの感度を上げておこうかな.即座に措置できるように.

◇もしどなたかご存じでしたら教えて〜――京大瀬戸臨海実験所のドメイン名(seto.kyoto-u)は変更されてます? 昨年後半から瀬戸臨へのメール送信がすべてエラー返送されています.先ほど,瀬戸臨の〈EVOLVE〉会員のステータスをすべてオフにしました./それから広島大学(ipc.hiroshima-u)もすべてダメですね.こちらも一括オフにしました.※メーリングリスト参加者が想像する以上に多くのエラーメッセージが管理者のもとに返ってきます.昨年は適当にあしらっていたのですが,今年は1ヶ月メールが届かなかったら,即オフという体制でさばいていきたいな(世話するメーリングリストの数も増えたし).※あ,どうも,調べていただきありがとうございます(>のぞみさん).白浜の方は「mermaid」への「Connection timed out」による,鏡山の方は「ipc」の「Host unknown」による,いずれも「permanent fatal errors」でメールが弾かれています.

◇組版工学研究会編『欧文書体百花事典』読み進む――装飾記号と Dutch Roman の2章.ダッチ・ローマンの起源である17世紀の〈Van Dijck〉は,かのエルゼヴィル社と連なっているらしい.プリンターズ・オーナメントは魅力的.とくに花形装飾文字が.アステリスク記号(*)は,もともと15世紀のアルダス・マヌティウス工房では花形装飾文字のひとつとして用いられていたそうな.この本は貴重な資料図版がふんだんに貼りこまれているので本当に楽しめる.スタン・ナイト『西洋書体の歴史:古典時代からルネサンスへ』と並べ読みするといいのかな.※そんなに広大な机をもってませんて!

◇もうひとつ気付いたこと――この本でもそうだが,書体を語るときには〈文字形象〉の継承性がことのほか強調される.ある祖先書体の〈形象〉がどのように子孫書体に伝承されるかということだ.この〈形象〉を文字に内包される〈イデア〉とつい考えがちだが,それは月並みな受け取り方だろう.むしろ,おおもとの祖先書体(たとえばローマン体なら2世紀のトラヤヌス帝碑文)からの系譜で,どのような modification(共有派生形質)が蓄積されていったのかをたどってみたい.書体としての歴史が長いローマン体,ギャラモン体,キャズロン体,あるいはブラック・レター系がやりがいがありそう.

◇いったい何なんでしょうねえ,この“暖かさ”.昼下がりに6kmほど近場をお散歩したら,暑かったです.※最近は元旦営業の店が増えたとはいえ,いちおう今日が「初売り」日.クレオ近辺の交通渋滞甚だし(いつものことか).学園郵便局をまわって,エポカル→電気街から帰還.エ・ビスコム・テック・ラボ『HTML+CSS Webデザイン・スタイルガイド』(2003年5月6日刊行,毎日コミュニケーションズ,ISBN: 4-8399-1073-1)などという“語学書”をつい買ってしまう(まだ勉強中なもんで....でもってつい CSS をいじったりしてみる).※最高気温は15度くらいあったのではないか?

◇新年早々〈Qshinka〉が荒れ含み――ん,まあね,正月休みに戦略的に動こうという意図はみえみえなんですけどね.おお,マジンガー! 遠距離ミサイルの発射間近かっ!(わはは) ん? 〈EVOLVE〉に飛び火させたいの? やだなあ,もう...(汗)

◇夜,大貫伸樹『装丁探索』(2003年8月6日刊行,平凡社,ISBN: 4-582-83166-4)読了――第1部「装丁探索」と第2部「針金縢製本と洋本化」に分かれている.第1部は明治以降の書物装丁史.いろいろな本の書影とともに,装丁家の人物エピソードが綴られている.『週刊新潮』の谷内六郎,特殊装丁の斎藤昌三,『暮しの手帖』の花森安治ら著名な装丁・装画家が登場する.後半の第2部はやや通向き? 糸ではなく針金を使った製本法である「針金縢」の由来に関心をもった著者は,国内外にわたって針金縢の〈標本〉を蒐集する.こんな1節もある(p.193)――

牧野正久氏からは「『Nature』(Macmillan, 1869)創刊120周年記念に配られた創刊号の復刻本は針金中綴なので,元本も針金綴の可能性がある」との連絡をいただく.この元本はまだ確認していないが,もし「Nature」が針金綴であったなら,針金綴は1860年代に始まった可能性も出てきた.

――と書かれている.Nature創刊号をもっている国内の図書館は少ないと思う(東大総合図書館にあることは知っている).ただし,どこの図書館でも雑誌類は裁断製本した上で書庫に入れているはずなので,刊行当時の雑誌がどのような製本様式だったのかを知るのは意外に難しいことなのかもしれない.著者は保存のためのこのような細工には反対の立場に立つようで,元本の装丁を破壊する行為であるというような書き方がされていた.10年ほど前に,手元にある Léon Croizat の著作群『Panbiogeography』(全3冊),『Principia Botanica』(全2冊),『Space, Time, Form』を製本し直そうと業者に見積もりに来てもらったことがあった.Croizat の本はどれもこれも分厚いペーパーバック版なので,裁断してハードカバー版にしてもらうつもりだった.ところが,元本を一目見た業者は「この本はソフトカバーのままにしておく方がいいですよ」とのコメント.装丁史の上からも,また美的規準からも,必ずしも一律にハードカバー製本に仕立て直すのが望ましいわけではないことをそのとき知った(耐久性というのは多くの規準の中のひとつに過ぎないということか).

◇『装丁探索』には多数の写真が掲載されているのはありがたいのだが,どれもモノクロの小さな図なのでイマイチ迫ってくるものがない.西野嘉章『裝釘考』の方がこの点では勝っているかな.

◇ケインズ『ダーウィンと家族の絆』の書評はまもなく仕上がり.ん,自動詞的に言ってはいかんな.仕上げますです.はい.

◇予報では雨になるはずだったのに,結局降らずじまい.暖かかっただけ.

◇本日の総歩数=11488歩.※「初歩き」ですな.


1 januari 2004(木)

Een gelukkig nieuwjaar!――正月とはいえ休日であることになんら変わりはない.淡々と2004年初日の夜が明け,淡々と元日の時間は過ぎていく.何人かおられる〈日録〉読者のみなさん,明けましておめでとうございます.今年もよろしく.〈日録(dagboek)〉は〈ログ(logboek)〉に通じ,日々の航海日誌という性格をもともともっています.研究者の日常的な「航海」の中でのできごとを書きとめるとともに,これからやるべきことの備忘録,出会ったことやものの感想を記録するのがその目的です.昨年と同じく今年も書き続けます.

それにしても,偶然の妙には驚くばかり.こんなことってあるんですねえ――2004年の元旦は詩人チャールズ・シミックの『コーネルの箱』(2003年12月10日刊行,文藝春秋,ISBN: 4-16-322420-3)とともに明ける.この本,【箱】の芸術家として知られるジョゼフ・コーネルの作品【箱】にシミックがエッセイを付けたもの.コーネルという芸術家についてはそれまでまったく知らなかったが,新刊チェックで目をつけていたことと,たまたま書店でブツを見かけたのでゲット.【箱】の中に世界をつくってしまうという前衛的な芸術実験が魅力なのだろう.コーネルという人は〈日記〉をずっとつけていて,それもまたひとつの作品のように扱われているらしい.シミックのこの本のいたるところで,コーネルの〈日記〉への言及がある――

  • 「すべての些細な物に意味がみなぎる,完璧な幸福な世界に没入していく」[p.52]
  • 「妄執[オブセッション]に形を与えようとする懸命の企て」[p.10]

さらに,シミックのこういうことばも――

  • 子供たちは,自分がいまだ世界の主人公である,時計のない日々の幸福な孤独を生きている.箱は想像力が君臨していた日々の遺宝箱なのだ.むろん箱たちは,子供のころの夢想に立ち戻るよう私たちを誘っている.[p.90]
  • 小さな箱は子供のころを覚えている
    そして切ない切ない願いによって
    彼女は再び小さな箱になる.
    [p.89:ヴァスコ・ポーパの詩から]

――【箱】に対する偏愛(オブセッションか?)と言ってしまえばそれまでだが,年越しの書評本であるランドル・ケインズ『ダーウィンと家族の絆』を読んだ直後だったので,〈アニーの文箱〉は〈コーネルの箱〉そのものだと直感した.家族の問題としていえばダーウィン家にとって10歳で身罷ったアニーは確かに偏愛・妄執の対象だっただろうし,ケインズの本は確かにその通りだという確信を強めるものだった.エマ・ダーウィンが亡き娘の遺髪や遺品を愛用の文箱に納める場面(pp.372-373)は,その【箱】が身内にとって特別な意味をもつものという印象を読者に刻印する.

◇そう思いつつ,もういちど原書『Annie's Box』を見直して初めて気が付いた.著者の祖母マーガレット・エリザベス・ケインズ(「M.E.K.」)に捧げられた献呈ページ(訳本ではp.18)の下にちゃんと書かれているではないか――

「小箱を定義するとしたら,“もう誰も覚えていない遊戯”,詩の世界にあるような魔法の“可動部”付きの現実離れした玩具のようなものと言ってもよいかもしれない」――ジョーゼフ・コーネルの日記(1960)より

――なあんだ,著者はコーネルの「【箱】の芸術」はもちろん知っていて,その上に〈アニーの文箱〉を重ね合わせたということか.お見逸れしました.

◇『コーネルの箱』と『ダーウィンと家族の絆』は奇しくも同年月日の翻訳出版だ――たまたま連続して読んでそういう関連性があったことに気がついてちょっとだけトクをした気分.

◇でもって,気分がよかったので,ジョゼフ・コーネルの〈日記〉なるものを amazon.com で検索し,元旦早々の書籍発注とあいなった次第――Mary Ann Caws 他編『Joseph Cornell's Theater of the Mind: Selected Diaries, Letters, and Files』.日記・書簡・資料などのセレクションらしい(600ページほどある).※ついでに,Joseph LaPorte & Michael Ruse 編『Natural Kinds and Conceptual Change』(ケンブリッジ生物学哲学シリーズ)も発注したよん(>N部くん).昨年12月に出版されたらしい.

◇明日こそは『ダーウィンと家族の絆』の書評を仕上げないと.

◇本日の総歩数=0歩.※またも出現,「不動の男」!


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