【書評】※Copyright 2004, 2005 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
本書は,種問題(the species problem)ならびに分類問題(the taxonomy problem)を俎上にあげて,生物学哲学の観点から論じた著作である.ところどころ主張が上滑りしている箇所もないわけではないが,全体としてはよくまとまっていると思う.特筆されるべき点は,リンネ階層分類の今日的意義についても述べている後半の章である.著者は種を含めリンネ階層分類を支えているカテゴリー,ランク,そしてその背景仮定を再検討することにより,同時にリンネ階層に代わる代案を考察することにより,最終的に「I believe the Linnaean system's days are numbered」 (p.ix)という結論を導く.
前半の〈Part I〉では,生物体系学の過去の論争を概観し,種(species)の存在論(ontology)に関わる問題に焦点を当てる.著者は,種タクソンと種カテゴリーで別々の論陣を張っている点にまず注意しよう.種タクソンの本質主義的解釈は population-thinking の浸透により駆除されたが,種カテゴリーの本質主義的解釈(species realism ないし species monism と呼ばれる立場)はいまなお消えていないと著者は指摘する.後者の種カテゴリー本質主義を駆逐するためには species pluralism という多元論的スタンスが必要となるが,多元論に対するごく一般的な攻撃――"anything goes"と揶揄される分類学的アナーキズム――をいかにして回避するかがポイントになる(〈Part III〉で詳述される).
第1章「分類の哲学」では,分類の基本方針を大別する:1)本質主義;2)クラスター分析(表形主義);3)歴史的分類.本質主義の論議で R. Boyd の「恒常性クラスター類」(homeostatic property cluster kinds)に言及している点,ならびにクラスター分析の説明の中で L. Wittgenstein の family resemblance への言及があることを除いては,全体として取り立てて新味はない.
著者は,分類学の歴史のトレンドは,最終的に歴史的方法の採用に収斂したと言う(p.30).そして,この生物分類の歴史的方法に付随する哲学的問題を以下で論じる(第3章「歴史と分類学」).歴史的方法の前提は,歴史的プロセスを担う「歴史的実体」(historical entity: 30-31)の特定に始まる.では,生物分類を歴史的に行なう上での「実体」とは何か? Michael Ghiselin は「種個物説」に立脚して,種こそ歴史を担う実体であると言うが,個体とは何かという説明をしていないではないかと著者は批判する(p.94,113).
Ghiselin の個物説を著者は批判的に検討する.とくに,「個物」のもつべき属性としては,時空限定性(spatiotemporal restriction)・「まとまり」(cohesiveness)・因果的統合(causal integration)がこれまで指摘されてきた(pp.112-119).しかし,そのいずれの属性も定義があいまいで,どうとでも言えるだろう.すなわち,Ghiselin らの主張する種個物説は,得体の知れない「個物」概念に依存しているだけではないかと著者は批判する.
歴史的方法の浸透とともに,生物のもつ歴史性が重視されるようになった.そして,集団的思考(population thinking)は,「種タクソン本質主義」は概念的にも経験的にも棄却されることになった(p.102).もちろん,Boyd の恒常性クラスター類は新たな本質概念の候補として少しはましだが,それでも論議に耐えうる概念ではない(p.108).
生物のもつ「歴史性」を強調するあまり,進化学は物理学などとは「別種」の科学であるとするスタンスに対して著者は同意しない(pp.119ff.).「法則を持たない」,「歴史叙述による説明」,「普遍化できない」などという,進化学の「特質」は,必ずしもそれを「別種の科学」とするわけではないと著者は言う(p.126).確かに厳密に言えばその通りなのだろうが,物理学が「歴史科学」であるという主張が奇矯に聞こえるのと同じ意味で,進化学は「普遍化科学」であるという主張はおかしいと私は考える.
種タクソンに関する本質主義が,歴史的思考・進化的思考の浸透とともに,概念的にも経験的にも失墜していった経緯は第1部で論じられた.しかし,種カテゴリーに関する本質主義はいまだに生き残っている(p.4).著者は,種カテゴリーを一意的に定義しようという企ては時間とエネルギーの無駄であると言う(p.5).
続く〈Part II〉では,種問題――とくに種カテゴリーに関する一元論と多元論――に焦点をあてる.最後の〈Part III〉はリンネ階層分類と命名法に関する論議である.
三中信宏(20/May/2005)