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oude dagboek

日録2005年5月


31 mei 2005(火) ※ 病み下がり,病み上がる

◇午前2時起床(あのなあ...).外はざーざーと雨が降っている音がする.また寝る.午前4時,また起床.さらに寝る.午前5時,いたたまれず?最終起床.活動開始.体温36.4度.許す.

— 雨はほぼあがったらしく霧雨が少し.気温は14.7度.研究所にて,ごそごそする

◇昨夜,数人に配信した“浮世絵”へのコメントがこっそりと返っていた.なるほど,実験分類学(ExpTax)のところは加筆が必要ですね.※スペースもあるし.

◇自宅に届いていた:『季刊 InterCommunication,No.53』(2005年7月1日刊行,NTT出版 ※→目次).特集「新教養零年」.三中信宏「新たなる〈系統学革命〉の波:普遍的思考としての生物進化について」は pp. 32-38.

◇しとしとと小雨が降り続く午前は,統計学予習と医者と統計学予習のサンドイッチ — 積率母関数(moment generating function)と多重積分の変数変換.いずれも確率密度関数を構築するテクニックとして.※ホコリ厚き置換積分・部分積分の記憶情報.

◇午後1時から〈統計学〉セミナー(第5回) —— 今日は第7章「One-sample Hypotheses」.標本平均を検定統計量とする母平均に関する仮説検定の例示.t分布を用いての両側検定と片側検定,そして信頼区間の構築.この手の“生物統計学”の教科書にはありがちなことだが,統計量の確率分布に関する理論的な背景についてはほとんど言及がない.だから,大幅な補足をする.正規母集団からの無作為標本に基づく標本平均が正規分布にしたがうことを積率母関数を用いて証明する.続いて,その標本から求められた平方和がχ二乗分布をすることを用いて,標準正規変量と分散推定値平方根の比(t統計量)の確率密度関数を変数変換によって導出すること.ただし,これは来週まわしになった.※登攀すべき峰が多すぎる.午後3時までの講義.

◇やっと晴れ間が見えてきた.

◇「浮世絵」の修正またも.実験分類学派を加筆したら,またまた予期しないネットワークが発見できた.※加筆するたびに錯綜する人間関係.

◇おお,東海岸からの“遠隔操作”っ! ※やりますねー.

◇本日の総歩数=10758歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.2kg/−1.0%.


30 mei 2005(月) ※ 小雨降る降る

◇午前5時起き,小雨.気温は14.7度.研究室にて,図の印刷.あ,コピーすると網かけが消えるっ.再度訂正.“曼荼羅”はとりあえず完成とみなすことにする.あとは本文だけ.※ほんま,エンドレス.

— しだいに霧雨状態になる.北東から風が吹く.

◇「落ち穂拾い」な進化学史挿話(其の参) — Julian Huxley の話.1942年に記念碑的著作『Evolution: The Modern Synthesis』(1942,George Allen & Unwin)を出した後,Huxley は当時の進化学コミュニティの舞台中央からあっという間に姿を消した.もともと学問的には outlier として組織・人脈づくりのネゴシエートに努めてきた Huxley が次なる舞台として狙いを定めたのが UNESCO 創設.戦中の1944年にUNESCO創設準備委員会を立ち上げ,その委員長として活躍した Huxley は,戦後,初代 UNESCO 事務総長の地位に就くことになる(1946〜1948).Ernst Mayr は進化学界では確かに巨大な community architect だったが,Julian Huxley もまた別の意味でただ者ではない negotiator / architect だったのだろう.

◇霧雨の昼休みの歩き読み[本がふやけた……]:金子務『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』(2005年3月10日刊行,中央公論新社[中公叢書],ISBN:4-12-003618-9)の残る章を読了.全部で170ページほど.第3章「世界最初の学術誌『トランザクションズ』の誕生」は,科学情報の流通媒体としての学術誌『トランザクションズ』の創刊にからむさまざまなことども.王立教会公認だはあったが,あくまでもオルデンバーグの「個人雑誌」として発行されたという.要するにオルデンバーグがひとりで全部やったわけですね.彼の死後,跡を継いだ仇敵ロバート・フック,ぜんぜんダメじゃん.続く第4章「共同研究の館,アカデミーの出現」は母体であるアカデミーすなわち王立教会の制度を他国のアカデミーと比較する.第5章「情報ネットワークの構築と郵便事情」は郵便制度史みたいでイマイチ消化不良.ジャーナルの流通を考える上で郵便制度がどれくらい確立していたかが重要な要因であることはわかるんだけど.終章「オルデンバーグの没後とその意義」.ん? ちょっと月並みな総括じゃないですか.

— これだけ歴史のあるアカデミーだと,一言一言が重みをもってくる.王立協会の格言のひとつ〈Plus ultra〉=「もっと先へ」は p. 214 に出てくるジョゼフ・グランヴィルの名言だが,もうひとつの〈Nullius in Verba〉=「だれの言葉でもなく」については言及がなかったなあ.

◇メモ — G. G. Simpson, Anne Roe, and R. C. Lewontin『Quantitative Zoology, Revised Edition』(2004年,Dover Publications,ISBN:0486432750).※初版(1939年)の改訂版(1960年)のリプリント.今になって復刻されるとは驚いた.R. R. Sokal and F. J. Rohlf『Biometry』(1969年,W. H. Freeman)に先立つ生物統計学の定番教科書だったという.

◇ダニエル・C・デネット『自由は進化する』(2005年6月15日刊行,山形浩生訳,NTT出版,ISBN:4-7571-6012-7).※献本していただきました.ありがとうございます.>山形さん.

◇昨日あたりから,咳がごほっと出るようになった.※ひょっとして,いま〈とあるブロガーたち〉の間で猛烈に広まりつつあるという“あの病”なんでしょーか? 「カミング・プレイグ」なんちゃって.ごほっ…….※de-Blog すれば直る...とか(まさか).ごほほ.

—— 咳やまず,洟も出る.喉痛い.ううむ,これはまずい体調.試しに体温をば:36.9度(19:00)/37.1度(21:00)…….ダメじゃん,これ.寝よう寝よう.午後9時就寝.

◇そういえば,今日って振替休日だったはず……(ぽつり).

◇本日の総歩数=16966歩[うち「しっかり歩数」=7746歩/67分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=0.0kg/+0.6%.


29 mei 2005(日) ※ これでよしとしよう

◇午前5時前に目が覚める.曇り.気温13.7度.北からの風が入って涼しい.研究室にて,図[右上]のテスト印刷.やっぱり気に入らない箇所が多々ある.こちょこちょと手直しする早朝.キャプション[右下]にも項目を追加したので,よりいっそう〈視力検査表〉に接近類似してきた.※それにしても,本文,どーしましょ.ケリつけないと,まずいっす(汗).

◇朝の歩き読み — 黒田龍之助『羊皮紙に眠る文字たち:スラヴ言語文化入門』(1998年12月20日刊行,現代書館,ISBN:4-7684-6743-1)の残る第3章「文字をめぐる物語」と第4章「現代のスラヴ諸語」を読了.スラヴ文字書体の歴史を論じた第3章がおもしろい.“キリル文字”の「キリル」が文字創始者の人名だとは知らなかった.しかも,キリル(=コンスタンチン)の造ったのは,実はいまの“キリル文字”ではなく,“グラゴール文字”だったという錯綜した書体誌が魅惑的.p. 167 に載っている“キリル/グラゴール文字対応表”を読み込む.ヤナーチェクの〈グラゴル・ミサ〉の歌詞は,もとはきっと“グラゴール文字”で書かれていたんだろうね.40年近く前の Acta Nova Leopoldina (*) の進化学特集号には,シンポジウムの際に演奏されたという〈グラゴル・ミサ〉の教会での演奏写真が載っていたことをふと想い出した.

*)【訂正】確認したところ,正しくは Nova Acta Leopoldina, N. F., 42 (218), 1975 でした.この進化学特集号自体が700ページにも及ぶ厚さがあるのだが,その中でもこのシンポジウムにあわせてマグデブルクで上演された〈グラゴル・ミサ〉に関係する記事は,pp. 419〜461の40ページにわたっている.ヤナーチェクの自筆譜はもちろん,Siegfried Kratzsch による「古代スラヴ語によるミサ写本について」という論文まで載っている(pp. 449〜458).グラゴール文字で書かれた写本のカラー図版も.ほほー.

◇「落ち穂拾い」な進化学史挿話(其の壱) — Edgar Anderson の話.植物分類学者だった Anderson は Iris 属のデータを Ronald A. Fisher に見せたことが,Fisher をしてかの〈判別分析〉の理論をつくらせた契機となったこと,さらに1940年代にJohn Tukey との研究上の交流があったことが,後に Tukey をして〈探索的データ解析(EDA)〉の構築の動機となったことはすでに知っていたのだが,もうひとつあった.1941年にコロンビア大学が主催する〈Jesup講義〉に Ernst Mayr とともに呼ばれた Anderson は植物の雑種についての話をした.分類学に関する講義をした Mayr は,それを踏まえて,歴史的な著作となる『Systematics and the Origin of Species』を翌年出版したのだが,Anderson はどうしても原稿をまとめあげることができず,結局出版にいたらなかったそうだ.「偉大な脇役」という印象が残る.

◇「落ち穂拾い」な進化学史挿話(其の弐) — Ernst Mayrの話.1940〜50年代の the Evolutionary Synthesis で中心的な役割を演じた Mayr は,事務能力にも長けていたらしく,気がつくといつも他人が避けて通るような雑用がまわされてくることが多かったという.J. Cain の論文「Epistemic and community transition in American evolutionary studies: The "Committee on the Common Problems of Genetics, Paleontology, and Systematics" (1942-1949)」(Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 33: 283-313, 1993)の一節:

Mayr repeatedly found himself at the administrative center of the infrastructure, while the others [Simpson and Dobzhansky] actively avoided it. This explains a frequent complaint from Mayr that while others always seemed to willing to be a society's president, they were less prepared to do the day-to-day tasks that led journals being printed and accounts being balanced. (p. 310: footnote 73)

◇本文に取りかかる午後…….

◇夕方の歩き読み第2段 — 速水融『歴史人口学で見た日本』(2001年10月20日刊行,文春新書200,ISBN:4-16-660200-4).第1章「歴史人口学との出会い」,第2章「『宗門改帳』という宝庫」,そして第3章「遠眼鏡で見た近世:マクロ史料からのアプローチ」まで読む.70ページほど.この著者の名前は,澁澤敬三・宮本常一の流れの民俗学コミュニティの中で最初に遭遇した.“白い街”リスボンでの挫折とフランドルのゲントでの肩すかしという度重なる「失敗」の果てに,歴史人口学という〈藁〉を見つけたという第1章は読ませてくれます.

◇夜はとても長いな…….ぐー.※寝るなーっ.

◇本日の総歩数=14037歩[うち「しっかり歩数」=9896歩/82分].全コース×|×.朝△|昼○|夜○.前回比=−0.3kg/0.0%.


28 mei 2005(土) ※ 終日 palimpsest しまくり

◇午前5時起き.晴れ.気温15.6度.

◇午前いっぱい,図とキャプションを書[描]いては消し,消しては書[描]き,あっという間に正午になる.湯水のように時間を使ってしまうのは,図表を描くときにはよくあることだ.要は,内容的および視覚的に妥協をしてはいけないということ.「読み手」(視覚言語の読者であって,「美術鑑賞者」ではない)にとって,解読しやすいかどうか,誤解されないかどうか,そしてきちんと“寓意”が伝わっているかどうかがポイントだ.さらに言えば,“すべて”を書き込むことはできないので,書[描]かれている“部分”から,全体のイメージがどれほどつかめるかどうかが肝要.

InDesign から pdf に出力しては,プレゼンしてみて,パーツの拡大表示に耐えるかどうかを検査する.ダメならやり直し.それを繰り返す.

◇作業は午後にずれ込む —— 雲がしだいに多くなってきた.

◇夕方の歩き読み — 黒田龍之助『羊皮紙に眠る文字たち:スラヴ言語文化入門』(1998年12月20日刊行,現代書館,ISBN:4-7684-6743-1)の第2章「中世スラヴ語世界への旅」を読了.70ページほど.偽書とか伝説とかいろいろ.スラヴ世界はさながら「異界」のごとし.愉しい.

◇夜も作業続行.疲れました…….

〈理系〉の本質/〈文系〉の本質 —— Susan A. Gelman『The Essential Child: Origins of Essentialism in Everyday Thought』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515406-1※→目次書評)を読んでもっとも印象に残った論点の一つは,心理的に認知された分類カテゴリーの「本質形成(essentialize)」の対象は,これまでの民俗生物学(folk biology)が論じてきたような自然物カテゴリー(生物と無生物を含む)だけではなく,“医者”とか“先生”という社会的カテゴリーをも含むという点だ.心理的本質主義のターゲットが自然界に限定されず,現代社会にもその候補者があるということは,いま話題(*)になっている「〈理系〉/〈文系〉」という社会的カテゴリーの認知にも関わりが生じるということだ.

*)たとえば,〈理系白書ブログ〉の「文系の科学力」とか「理系の社会力」(いずれも5月26日付),あるいはその反響としての〈Y日記〉の「専門馬鹿がなぜ悪い?」(5月27日付).

われわれが「〈理系〉/〈文系〉」という分類に何かしらの“こだわり”をもつとしたら,その理由の一端は,われわれが無意識のうちに「〈理系〉(または〈文系〉)の人間の“本質”は〜だ」という心理的本質主義に特有な「本質形成」をしている可能性がある.Gelman流のやり方にしたがえば,ひょっとしたらこの仮説は経験的にテストできるかもしれない.しかし,何よりも,「〈理系〉/〈文系〉」という主張を「それがわかりやすいから」とか「耳目を集めやすいから」という皮膚感覚的な理由で公言し続けることは,その分類が(ひょっとしたら)心理的に「本質形成」されやすいカテゴリーかもしれないという可能性を覆い隠し,さも「本質」がそこに実在するかのような印象を増幅する結果となる危険性がある.心理的本質主義を形而上的本質主義にすり替えるようとする動きに対しては,その幇助行為も含めて,怠りなく警戒し続けなければならない.われわれは“essentializing adults”だから.

◇朝倉書店から葉書:棚部一成・森啓(編)『古生物の形態と解析』(第1刷1999年11月30日,朝倉書店,ISBN:4-254-16642-7)の第2刷増刷(100部)の通知.定価1万円にしては堅実に売れていると思う.

◇本日の総歩数=11137歩[うち「しっかり歩数」=7471歩/63分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.1kg/+0.3%.


27 mei 2005(金) ※ やっと完成!

◇0時半にやっと完成した(と自分を説得できた).いったん寝て午前5時半に起床.外は曇って,予報通り霧がかかっている.気温12.7度.

研究室にてプリンター出力してみる.網かけ部分がちと危ういかもしれない.でも,細かいところの修正は,キャプションを書いてからにしよう.それよりも“本文”を書かないと(大汗).

◇〈メイキング・オブ・人形劇〉 —— なるほど,そういうきっかけだったんですか.なるほどなるほど.最後のくだりで立ち止まる:

ちなみに、この人形劇は、その学会で系統樹作成ソフト(人形劇では研究者の系統関係用にMacCladeを使った)を使った発表としてはかなり早い時期のものである。

Jim Carpenter がクラディストたちの“分岐図”を発表したのが1987年(Cladistics of cladists. Cladistics, 3(4): 363-375)のことですから(Steve Farris の PHYSYS で最節約系統推定),1990年頃の「生態学者分岐図」というのは先駆的でしょうね.MacClade の version 2.1 ですか? ※「公表」はされていないんでしょーね(きっと).

◇今日もよく晴れてきた.キャプション,キャプション — と思ったら,思わぬトラップ:Konrad Lorenz『The Natural Science of the Human Species: An Introduction to Comparative Behavioral Research — The "Russian Manuscript" (1944-1948)』(Edited by Agnes von Cranach,1996年,The MIT Press,ISBN:0-262-12190-5→※書評).久しぶりだなあ,この本をひもとくのは.第二次世界大戦が科学者の「研究生活」に及ぼした影響については,とりわけ The Modern Synthesis の後半期,そしてアメリカの進化学会(SSE)や体系動物学会(SSZ)そしてイギリスの体系学協会(SA)など英語圏ではぼちぼちと解明されつつあるようだ.G. G. Simpson は大戦末期に軍役についた経験があるし,Willi Hennig も軍人技官(熱帯医学班)としてイタリア戦線に送られた.そして,上の本の原稿(通称「ロシア草稿」)は Konrad Lorenz がアルメニアの Yerevan に抑留されていた1944〜1948年に書かれたものだ.

◇トラップされたまま昼休みに突入.晴れ上がり,気温は24.9度 — 金子務『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』(2005年3月10日刊行,中央公論新社[中公叢書],ISBN:4-12-003618-9)の第2章まで読了.120ページあまり.日射しが強いので目がちかちかする.遍歴者ヘンリー・オルデンバーグがヨーロッパをめぐり歩いた末に,ロンドンの王立協会(the Royal Society)の誕生とともにその事務総長の地位に就く(1662年)までの話.世界最古の学術雑誌 Philosophical Transactions を創刊するにいたるまでの物語は次章以降のことだが,ジャーナルという媒体がアカデミーに出現する前の状況について,著者はこう書いている:

オルデンバーグの仕事は,内外の科学者たちに他の科学者たちの活動状況を知らせることである.[……]当時の慣行で,その著書や論文を批判された著者に対しては,その内容を伝えて反論の機会を与えるのが,王立協会のやり方であった.それが公平な処置であることは明白である.[……]学問や科学に関するレターは,秘密の私信とは見なされなかったことも注意しなければならない.それは集会で他人によって読み上げられ,訪問者にも見せられ,引用され,コピーされ,印刷もされるのであった.[……]したがって,王立協会事務総長に宛てて手紙を書くものはだれでも,その内容がそこの集会で読み上げられ,『トランザクションズ』に印刷されることを期待していたのである.[……]こういう情報のやりとりによるシステムには,確かに誤解や悪感情を生むような欠陥があったにせよ,それでも十分に関係者は利益を得ていたのである.(pp. 101〜103)

当時の事務総長は,「人力」で学術情報の入手と配信をやりぬいていたということなのだろう.

◇午後は,ひたすらキャプションと本文を書き進める.

—— うわ,つら〜.作業量多過ぎ〜.“鳥瞰チャート”はまるまる1印刷ページが必要.キャプションもおそらく同じくらいの印刷面が要るみたい.ということは,“見開き2ページ”いただければ,当方としてはハッピーです.>『TAXA』編集部御中.

ひょっとして「本文」はいらんのとちゃう? ※百読は一見に如かず,っていうやん.

◇夜になってもキャプション書き.日が変わる頃にやっとめどがつく.※このキャプションだけで400字詰にして8枚!

— 寝よう!

◇本日の総歩数=16346歩[うち「しっかり歩数」=7545歩/64分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.1kg/−1.2%.


26 mei 2005(木) ※ モーメント熱,キュムラント酔い

◇つい5時半まで遅寝してしまう.からっとした初夏の朝.気温は11.9度.気候的には今がベストだろうと思う.気温も湿度もこれより増えると快適ではない.

◇9月12日(月)〜15日(木)に広島プリンスホテルで予定されている〈統計連合大会〉の事務連絡メールをいくつか.企画シンポジウムの日程に関する要望.別の用事とぶつかる可能性あり.うまくいけばいいのだが.

◇午前中はずっと地下書庫に籠ってお絵描きの続き.昼休みもなく.全体のデッサンはほぼ描き上がる.あとはディテールだけか.

◇午後1時から〈系統学的考古学〉セミナー(第5回).今日から分岐学の章に入る.最初の部分は分岐学の歴史の概略だったので,さっそく地下書庫で仕上げたばかりの“デッサン”を前にして,The Evolutionary Synnthesis の1940年代から,1960〜70年代の体系学論争までの学史について講義する.続いて,分岐学の基本概念と用語の説明.無根樹と有根樹の関係.形質の方向性(polarity)の決定.最節約原理にもとづく最適分岐図の推定.著者たちはどちらかというとパターン分岐学に近い立場にあるようだ.次回は外群比較による分岐分析の手順について.

◇こまごま —— 農環研の英文紀要に一文書けという依頼.へい./研究交流法による海外出張伺を出す.※行くかどうかわからんけど.

◇〈中谷治宇二郎〉のこと —— 哨戒地点(5月25日付)で言及されているが,中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』(1988年9月刊行,岩波文庫・緑(31)-124-1,ISBN:4-00-311241-5)のエッセイ「茶碗の曲線」について,しばし探索.このエッセイの主人公は,宇吉郎の実弟である考古学者・中谷治宇二郎(1902〜1936)だ.ウェブ公開されている東大総合研究博物館ニュースの伝記記事「考古学者中谷治宇二郎の記録」(西秋良宏)がとても参考になる:

「土器分析への数量的手法の導入、形式・型式・様式という今日の日本考古学がなお用いる分類学用語体系の整備は特筆される業績である。」

とすると,日本の考古学で使われてきた「型式学(Typologie)」という訳語も治宇二郎がルーツなのかな?

形態測定学の流れでいうと,1920〜30年代といえば,D'Arcy Thompson のデカルト変換格子理論(1910年代)か,あるいは Julian Huxley の相対成長理論(1930年代)くらいしか解析ツールがなかった時代だ.治宇二郎がいったいどのような“形態測定学”に関心を示したのか,出典を見ていないので今はなんとも言えない.

— 渡仏した宇吉郎・治宇二郎兄弟は,パリでやはり留学していた数学者・岡潔と親交を深めたと言う:高瀬正仁『評伝 岡潔<花の章>』(2004年4月20日刊行,海鳴社,ISBN:4-87525-218-8).

◇おお,この本が訳されるとは!— サラ・ブラファー・ハーディー 『マザー・ネイチャー(上・下)』(2005年5月25日刊行,早川書房,ISBN:4-15-208639-4[上]|ISBN:4-15-208640-8[下]).上下巻で計900ページ.いやあ,登攀意欲湧きまくり,ということで(筋トレ筋トレ).訳書価格も良心的(というか社会奉仕的でさえある).※原書は Salah Blaffer Hrdy『Mother Nature: A History of Mothers, Infants, and Natural Selection』(1999年,Pantheon,ISBN:0-679-44265-0).

個人的には,同じ出版社から出ている Frank J. Sulloway『Born to Rebel: Birth Order, Family Dynamics, and Creative Lives』(1996年,Pantheon,ISBN:0-679-44232-4)を誰か訳してくれないかしら.「出生順」がもたらす人生への波及効果を論じたインパクトのある本だと思うのだけれど.

◇夜はずっとお絵描きの続き.まだ終わらん.

◇本日の総歩数=5687歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.5kg/−0.3%.


25 mei 2005(水) ※ 六法全書か,旧約聖書か,クルアーンか

◇午前5時起床.雨は上がり,涼気が.曇り.気温12.9度.

— 依頼されていた論文査読の報告書を返送する./進化学会仙台大会に関する事務連絡メールいくつか./統計関連学会広島大会の講演依頼メールも.

◇先月から統計学の講義を始めるようになって以来,久しぶりに〈Kendall's Advanced Theory of Statistics〉(2004年,Vols. 1 / 2A / 2B,Edward Arnold,ISBN:0-340-814934)を手にする機会が増えてきた.数理統計学の「教典」みたいな待遇を受けている本なので,読まずに躱すという態度でもいいのかもしれないが,たまにはこのアズキ色の本を手にするのもいいかもね.

学部4年で,農学部の生物測定学研究室に入ったとき,年上の院生たちはちょうどこのアズキ色の本の“読破輪読会”をしている真っ最中だった.ぼくも4年の終り頃,一度だけこの“読破会”に参列したことがあったが,その苛烈な数式攻撃に蟲の息になった記憶がある.(命が惜しくない人はたとえば Volume 1 の「12.16節」をごらん下さいな.)

パラメトリック統計学に関するかぎり,他書でははしょられたりしている部分もこの「教典」には必ず載っている信頼感;他人からやっかいな質問を受けたら,すかさず「それはね“Kendall”の第〜節に載ってるよ」と丸投げできる安心感;だからといって全巻を熟読してはいない後ろめたさ —— こういったさまざまな感情がごっちゃになっているのがこの本だ.

いまも,積率母関数に関係するページを開いたりしているのだが …… モーメント,キュムラント,特性関数,ステュルテュス積分,くぇー.

◇10:30からグループ内会議.30分ほどでおしまい.

◇昼休みの歩き読み.晴れたり曇ったり.気温19.3度,湿度低し — ヒキタクニオ『アムステルダムの日本晴れ』(2004年5月25日刊行,新潮社,ISBN:4-10-442305-X)の残り160ページを読了.後半はオランダ語会話集みたいな…….フライドポテト&まよねーずぅ.

◇依頼されていたゲラ読み完了.100ページあまりなので,さほど時間はかからず.コメントを付けて編集部に返送する.※出版,待ってます.

◇メモメモ — 統計数理研究所・藤澤洋徳さんの〈統計日記〉(2004年〜),およびバックナンバー.※とてもたのしい日記に dank u wel!

◇2005年の Ebbe Nielsen 賞受賞者は Pablo Goloboff さんだったのですね.GBIF のニュース.4月18日にブリュッセルで授賞式と記念講演があったそうな.またまた〈TNT〉の炸裂かと思いきや,むしろ生物地理学の講演だったようだ.

◇論文「Do orthologous gene phylogenies really support tree-thinking?」(BMC Evolutionary Biology, 5: 33, 24 May 2005).※複数の遺伝子マーカーを“heat map analysis”という統計手法(Rでプログラミング)で解析したら,tree-thinking が揺らいだということか.「phylogenetic Tree of Life」ではなく「phenetic Trend of Life」などと書いてあるぞ.

◇夜,厚さ2cmのポーク・ソテーなど焼いてしまった.※とてもうまかった.

◇本日の総歩数=14541歩[うち「しっかり歩数」=7899歩/65分].全コース×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=+0.4kg/+1.3%.


24 mei 2005(月) ※ 雨上がり

◇午前5時起き.昨夜からの雨はすっかり上がっていた.湿度低め.気温13.6度.

— Susan A. Gelman『The Essential Child: Origins of Essentialism in Everyday Thought』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515406-1)の書評をメーリングリストに配信する.やはり,ぼくの場合は,1冊の本はその分量に関係なく1日以内で読み切ることを目指しているようだ.最初から長丁場で読むという姿勢を持ち合わせていないということだろう.もちろん現実問題として読み終えられないこともよくあるのだが,勢いというか心構えとしては「壱冊壱日」(「壱日壱冊」ではない).これが原則.だから,輪読やセミナーで少しずつ読んでいくというのは,昔からいまひとつノリが悪い.少し読んで「はい,ここでおしまい.また来週ね」というのでは,その都度“リセット”されてしまって,また一から読みなおすような心地がする.※だからといって,電話帳みたいなのを丸呑みするわけにはいかないんだけど.

◇献本感謝 —— 山極寿一『ゴリラ』(2005年5月20日刊行,東京大学出版会,ISBN:4-13-063324-4).※存在そのものにインパクトがある生きものだ.第4章「ゴリラを分類する」の物語はあなたも読むべし.

ほかにもわらわらと — ジョージ・G・スピーロ『ケプラー予想:四百年の難問が解けるまで』(2005年4月30日刊行,新潮社,ISBN:4-10-545401-3).※最終的にはコンピュータを使いまくって“解いた”というアノ難問ですね./角田光代・岡崎武志『古本道場』(2005年4月30日刊行,ポプラ社,ISBN:4-591-08627-5).※カバーに本の図柄が載っているだけで,手にしてしまうという“条件反射”をなんとかしないとな./小林しのぶ『ニッポン駅弁大全』(2005年4月10日刊行,文藝春秋,ISBN:4-16-366660-5).※ごめんねー,食欲に負けて./ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(2005年5月9日刊行,翔泳社,ISBN:4-7981-0657-7).※“クロニクル”は遺された.

◇午前中に届いたゲラを読み始める.こりゃ,おもしろいです.たとえ『動物進化形態学』に絶命した亡者たちであっても,この本によって救済されるのでは? 一両日中に読了予定.

◇五月晴れの昼休み,気温22.0度.ちっとも歩かず.

◇午後1時から〈統計学〉セミナー —— 今日は「正規分布」がメイン.のはずが,積率(歪度や尖度)あるいはその quantile バージョンにハマる.Zar せんせいはヘンなところにこだわりがあるみたい.正規密度関数の定積分に関する変数変換の板書をしてしまう(おお,置換積分).正規変量の標本平均の密度関数を出すには積率母関数法がラクなのだが,それは来週まわしか.午後3時まで.

◇夕方が近づき,曇ってきたなと思ったら,雷鳴が鳴り,いきなり夕立.もう夏ですか.

◇新刊メモ — G・ロスト『司書:宝番か餌番か』(2005年6月刊行予定,白水社,ISBN:4-560-00791-8).※復刊とのこと./吉永良正『〈パンセ〉数学的思考』(2005年6月刊行予定,みすず書房,ISBN:4-622-08305-1)./石鍋真澄『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』(2005年6月刊行予定,平凡社,ISBN:4-582-65205-0).

◇夜,査読レポートを書く.※遅れてすみません.明日,返送します.

◇冷たい雨が降り続く.「朝から晴れ上がる→気温上昇→積乱雲発生→雷雨襲来→気温急降下」というサイクルが繰り返されている.

◇「絵」の進捗が〜.

◇本日の総歩数=10793歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼△|夜△.前回比=−0.1kg/ー0.3%.


23 mei 2005(月) ※ 描画はじめ

◇5時半起床.雨上がりの朝.気温14.1度.今日も暑くなるのかな.

— 確かに暑いな.こら,たまらん./週末の出張関連書類を提出./統計関連学会大会(広島)の事務連絡.そろそろ演者を確定させないと./分類学会連合のML担当留任の件,了承通知.

【欹耳袋】 —— 南保くん発見!〈R〉の挙動不審現象:「1.1」を複数個もつデータを「x」として,

> x <- c(1.1, 1.1, 1.1, ...., 1.1)
> var(x)

にしたがって,その分散「var(x)」を計算する.その結果,ぼくの計算環境(Mac G4 / OSX 10.3.9)では,「1.1」が「5個以下」では正しく「分散ゼロ」を出力するが,「6個以上」だと「5.****** e-32」というまちがった分散値を返す(小数点以下は「1.1」の個数によって変動する).もちろん〈R〉は最新版 2.1.0 を使ってます.

— 南保くんの話では,システマティックに調べてみると,Mac / Win を問わず,OSによって“挙動不審”があったりなかったりするそうだ(Professional版はダメでも,Home版は大丈夫とか).あれまあ,いったいどーいうことなんでしょ? ※RjpWiki に投げるように南保くんをそそのかしておいたのですが,あるいはすでに知られている現象なのでしょうかね.

— 私信でのご教示,ありがとうございます.RjpWiki の Q & A に投げられた「var()関数の挙動不審について」へのコメントを見ても,やはり,R に限定されない,パソコン一般の計算精度にかかわる問題であることを再認識しました.[15:58]

◇晴れた昼休みの歩き読み.湿度やや高し.気温24.9度 —— ヒキタクニオ『アムステルダムの日本晴れ』(2004年5月25日刊行,新潮社,ISBN:4-10-442305-X).※さらに110ページほど読み進む.Oude Kerk 周辺の特有の雰囲気を想い出した(「赤い灯」とか……).

◇メモ —— URL圧縮サイト〈QRL〉.※こういうサービス業が成り立つわけですね.携帯電話読み取り用の「QRコード」も生成してくれるという.

◇北海道大学図書刊行会から刊行されている『中尾佐助著作集・第V巻:分類の発想』(第4回配本→参照)の月報・3校が届く.訂正すべき点はほとんどなかったのだが,いくつかの情報を得た.まず,第V巻の刊行予定は「2005年10月」.当初よりもずれこんでいる.また,「月報5」の構成は,三中信宏「書かれなかった“最終章”のこと — 中尾佐助の分類論と分類学について」;山野美贊子「中尾資料の分類 — 資料総目から著作集へ」;馬渡駿輔「文章と人柄」の3本立てとなった.馬渡さんの原稿が新たに付け加わったということ.

ゲラは明日返送します.>N田さん.

◇午後4時頃から雨が降り出す.最初は小雨だったが,夕暮れとともに雨脚が強くなり,風も出てきた.

◇Susan A. Gelman『The Essential Child: Origins of Essentialism in Everyday Thought』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515406-1).心理的本質主義のルーツを探る Part II を踏まえた Part III はたいへん刺激的だ.Part II で論じられている発達心理学のさまざまな研究事例は,心理的本質主義という事象を想定することで最節約的に説明できると著者は言う(p. 278).つまり,“本質形成”(essentialize)というプロセスの存在を仮定することで,カテゴリー化や帰納的推論などの現象が整合的に説明できるということだ.では,ヒトに固有の[と著者は考える:p. 284]心理的本質主義は,どのようにしてヒトの個体発生の中で生じ,子どもから大人への成長過程でどのように変化していくのか(あるいは変化しないのか)に関心が向く.Part III では,著者自身の推測も交えつつ,この問題にアプローチする.

生後1年未満の乳児までさかのぼって幼い子どもの時期にすでに芽生えた心理的本質主義は,生物学や一般の科学の知識に由来しているのではない;むしろ,成長の過程で学ぶそれらの知識は“本質主義的枠組み”に沿ったかたちで受容されると著者は言う(p. 285).それとともに,成長の過程で初期の本質主義もまた下記の2点で変容していく(pp. 286-287) — 1) 本質形成の対象がしだいに取捨選択され,本質主義が「緩和」される;2) 科学や文化の知識にもとづいて,本質形成作用を「制御」する.ただし,このような緩和や制御を経てもなお,心理的本質主義からは逃れられない.本質主義的思考と進化的思考とのせめぎ合いを示唆する下記のパラグラフは考えさせられる:

Can adults ever escape or transcend essentialist tendencies? [...] One possible answer is that we have replaced essentialism with a radically different conceptual framework, of the sort espoused by evolutionary biology. Evolutionary theory would seem to be a triumph of reason over naïve heuristics (Mayr, 1991). The problem is, as I have mentioned several times, that it appears to be exceedingly difficult for many nonbiologists (even adults) to grasp the basic ideas of evolutionary theory. What appears to be difficult is not just the complexity of the concepts, nor the scientific methods underlying the evidence, nor even the technical underpinnings of the work. Rather, even nontechnical concepts such as the following seem almost insurmountable: within-species variability, the lack of any single feature (either morphological or genetic) that is shared by all members of a species, and the lack of biological reality to “racial” groupings of people. These conceptual difficulties call into question whether true conceptual reorganization takes place , or whether instead we are looking at the coexistence of multiple frameworks. [...] At present, based on the anecdotal evidence, I would suggest that adults remain susceptible to less obvious but still potent essentialist assumptions. In other words, essentialism is not strictly a childhood construction. It is a framework for organizing our knowledge of the world, a framework that persists throughout life. [pp. 294-295]

心理的本質主義とともにヒトはその一生を送る.進化的な“ものの見方”の浸透に対する最大の障害はわれわれ自身かもしれないということだ.

— 著者は,心理的本質主義は何でもかんでも本質形成してしまう「演算子」すなわち「プレースホルダー(placeholder)」だと繰り返し強調する.では,そういう性向がなぜ進化してきたのかという大問題が残される.本質形成にはコストもベネフィットもある.何のための本質主義か?という問いに対して,著者は損得を越えたところに心理的本質主義のルーツがあるという答えを用意する(p. 297).必ずしも完全無欠ではないツールとして本質主義は進化してきた.

著者は本質形成性向を「進化的適応」(p. 15)とみなす.しかし,それをある「領域固有的(domain-specific)」なもの — たとえば“民俗生物学モジュール”のようなもの — とみなす見解とは一線を画し,著者はそれを「領域普遍的(domain-general)」に捉えようとしている(pp. 308-312).その理由は単純である:本質形成の対象が生物だけにとどまらず,非生物や社会的カテゴリーにまで及んでいる以上,生物学あるいは博物学のモジュールとして本質主義を理解することは難しいから.さらに,本質主義のルーツは単一ではなく,複数の領域に共有される「解釈モード(modes of construal)」に発していると著者は推測する(pp. 312-313).つまり,本質形成を駆動する根源は領域普遍的であり,それが対象となる各ドメイン(生物的/無生物的/社会的)で領域固有的に発現するというメカニズム仮説である(p. 321).

— 本書は,「心理的本質主義」に関する現時点での議論を総括し,今後の研究方向を示した意欲的な本だ.もちろん,さまざまな論争や対立,そして不明点がたくさん残されているのは当然のことだ.しかし,本書を読めば,「本質形成」がわれわれ(子どもでも大人でも)にとってなぜ不可欠であるのかがよくわかる.要するに,そうせずにはいられない生き物だからだ

Essentialism is something that we as humans cannot help but do. [p. 323]

◇夜の描画,なお続く.外は雨.

◇本日の総歩数=18095歩[うち「しっかり歩数」=7949歩/67分].全コース×|×.朝○|昼△|夜△.前回比=0.0kg/ー0.6%.


22 mei 2005(日) ※ 日曜絵師

◇午前6時前に起床.曇り.湿度が高く蒸し暑い.よろしくない季節がそろそろと近づいてきたのか.

— 「絵」の構図をどうするか考える.Ernst Mayr を中心に据えるとすると,当然 SSE と SSZ が真ん中あたりに,Julian Huxley など UK の“the New Systematists”は右端,Willi Hennig と Walter Zimmermann らドイツ系統学派は左端か.G. G. Simpson とか R. R. Sokal をつなぐ統計学的体系学の系譜を書き込む位置,そして the Evolutionary Synthesis を深く縫い込んだ Columbia Biological Series のスレッドをどうするかという問題が残る.本当は layer を複数重ねて描くのがいいのかもしれない.

◇LALA Garden まで歩き読み — 黒田龍之助『羊皮紙に眠る文字たち:スラヴ言語文化入門』(1998年12月20日刊行,現代書館,ISBN:4-7684-6743-1)の第1章「スラヴ語学入門」を読む.70ページほど.外はとても蒸し暑く感じる.キリル文字の使用表がとても参考になる.変なかたちのキリル文字ってあるんですねー.

—— くまざわ書店にて:小沼純一『武満徹:その音楽地図』(2005年3月30日刊行,PHP新書339,ISBN:4-569-64213-6).※武光の晩年の作品〈系図[Family Tree]〉から本を書き出していくというのはやはりそういうものなのかと思う.ぼくの『生物系統学』だってそうだったしね.※1週間で新書を1冊書いてしまえるとは…….とてもマネできないっす./金子務『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』(2005年3月10日刊行,中央公論新社[中公叢書],ISBN:4-12-003618-9).※なんだってこんな味気ないタイトルを付けたんだか.知らない方が悪いと言われれば返す言葉はないのだが,店頭で手に取るまで,この本が世界最古の科学雑誌であるイギリスの王立協会哲学雑誌(Philosophical Transactions of the Royal Society,1665〜)の創刊者ヘンリー・オルデンバーグに関する伝記だとはまったく気づかなかった.内容的にたいへんわくわくする本.それだけにタイトルを付けまちがったとしかいいようがない.広く読まれてほしくないの?

◇午後になって雲がだんだん厚くなり,夕暮れとともに雨が降り始めた.

◇Susan A. Gelman『The Essential Child: Origins of Essentialism in Everyday Thought』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515406-1)の Part 1 の総括(Chapter 6) —— 子どもたちが心理的本質主義者であるという十分な証拠が得られたことを踏まえて,彼らの“本質形成する心”(the essentializing mind: p. 152)のもつ特性をいくつかの観点からまとめる.

「どのようなカテゴリー(domain)に対して本質形成が作用するのか?」 — natural kind(生物・非生物)と social kind(民族・階層)に対しては本質形成作用のさまざまな要素が高く検出されるが,artifact に対する本質形成作用は一般に低い(p. 138: Table 6.1).明らかに,ドメインによって心理的本質主義の発現にはちがいがあるといえる.

「生物類(living kind)の本質形成のもつ特徴は何か?」 — 科学的生物学の知識を持たない未就学児童であっても生物類に関する本質形成をしていることを考えると,生物類の本質形成を行なう上で生物に関する科学的知識の獲得は必要ないということになる:

In all of these respects, certain entities — one that adults recognize as biological — engage in processes that are independent of human actions or desires. [p. 140]

心理的本質主義と[科学的]生物学に関して,後者が前者に対して関わりを持たないにもかかわらず,両者が整合的である理由は何かについて著者は興味深い指摘をする:

Why does essentialism of living kinds draw on the language of biology when it is not based in scientific biology? Biology appeals to people because it includes at least three crucial essentialist elements: (a) biological processes are natural (outside the realm of human control); (b) biological properties are inherent (inborn, and located within the individual); and (c) pursuit of biology entails a search for unobservables, including causally powerful unobservables. In all three of these respects, there is a dovetailing of naive folk-essentialist beliefs and biology as a science. [p. 141]

つまり,科学としての生物学が究明しようとする標的は,民俗生物学(folk biology)における心理的本質主義の標的と完全に一致する.だから科学的生物学は民俗生物学に強くアピールするのだということ.科学としての生物学の成果が一般社会に浸透する際に経験するさまざまな[予期しない]解釈・誤解・曲解を知るためには,現代社会の中で生き続ける民俗生物学とりわけ心理的本質主義について知っておく必要があるとぼくは感じた.とくに【遺伝子】や【種】に関する心理的本質主義は大きな社会的・文化的影響をもたらす.単に,生物学の“正しい知識”を普及させるという正攻法だけではなく,対する相手が生まれながらに熟練した“民俗生物学者=心理的本質主義者”であるという認識をもって対応しなければならないということになるだろう.

Ernst Mayr が1940年代にすでに指摘したように,類型的思考(typological thinking)は進化的思考を普及させる上で大きな障害になる.著者はこの点にも言及している:

[S]tudies of essentialism have educational and social implications. Some scholars suggest that essentialist assumptions impede attempts to teach evolutionary theory. [p. 14]

とすると,素朴生物学なり心理的本質主義について知っておくことは,単に乳幼児の頃からわれわれの「内」にある“いきもの”に関する認知性向(バイアス)を理解するというだけにとどまらず,ある個人が教育課程で経験する生物についての[科学的]知識をどのように身につけるのか(あるいはつかないのか)という点にも示唆を与える:

To repeat, my argument is not that essentialism derives from scientific knowledge . Instead, forl biology is a framework that captures several essentialist assumptions: that certain properties are inherent in an individual, present from birth, and resistant to modification from outside forces. [...] Over developmental time, folk biology undergoes enrichment in the fleshing out of this framework theory, but the fundamental structure does not change in childhood. Where we sometimes see genuine theory change is in the adoption of Darwinian evolutionary theory, though even here many adults may never fully drop their essentialist assumptions that contradict evolution. [p. 141:下線みなか]

【種】をめぐる論議に関して言えば,著者の指摘はたいへんよく当てはまっていると思う.〈species taxon realism〉にしろ〈species category realism〉にしろ,「【種】はある」という主張の背後には心理的本質主義が見えている.もちろん,taxon と category という階層レベルの異なる本質主義が同じものなのかそれとも異なるものなのかについては,著者自身は確たる回答を用意していないように見える(pp.150-152).しかし,taxon であっても category であっても同様に本質形成がなされるということは,「本質主義が domain-general な認知性向に由来する」(p. 152)という示唆を与えるものだと著者は結論する.

—— 続く Part II では,心理的本質主義の根源への考察がなされている.

◇「絵」の下書きのためのイメージづくり.※実際に下書きするわけではない.

◇本日の総歩数=7476歩[うち「しっかり歩数」=4374歩/36分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.2kg/+0.8%.


21 mei 2005(土) ※ 坂道上り下り

◇午前5時起き.晴れ.気温12.6度.研究所に顔を出す.

◇計量生物シンポジウムが開催されている慶応義塾大学・矢上キャンパスに向かう.朝9時過ぎに常磐線に乗り,北千住で千代田線に,渋谷から久しぶりの東横線に揺られておよそ20分で日吉.ここからがたいへん.慶應の日吉キャンパスを横切って,続く急坂を下って上がったところが矢上キャンパス.ここにたどりつくまでに3時間近くかかった.

計量生物学会の評議員会(兼 昼食会)に出席し,1時間も経たないうちにその場を立ち去る.往復所要時間を考えると滞在時間はとても短かった.銀座の山野楽器にて,鈴木秀美〈バッハ:無伴奏チェロ〉のビラをもらう.10年ぶりの2度目の録音.今回の CD(BVCD-34028〜29)は,マルチ・チャンネル対応の Super Audio CD なのだそうだ(通常のCDでもあるわけだが).※お,BCJ のバッハ・カンタータ全集はもう27巻まで出ているっ.

◇往復5時間の車中読書 —— Susan A. Gelman『The Essential Child: Origins of Essentialism in Everyday Thought』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515406-1).※未就学児童に対する実験と調査を通じて,「心理的本質主義」(psychological essentialism)による認知カテゴリー化とその因果過程を考察した本.“分類認知”の背後にどのような認知プロセスがあるのかを論じている.生物分類とくに【種】概念への言及が頻繁にあるので,【種】をこよなく愛する分類学者にとっても,また【種エクソシスト】にとっても本書は必読書だろうと思う.

日常生活における「本質主義」的思考が本書のテーマである.ここでいう「本質主義」とについて著者はこう説明する:

Roughly, essentialism is the view that categories have an underlying reality or true nature that one cannot observe directly but that gives an object its identity. In other words, according to essentialism, categories (such as “boy”, “girl”, or “intelligence”) are real, in several senses: they are discovered (rather than invented), they are natural (rather than artificial), they predict other properties, and they point to natural discontinuities in the world. [p. 3]

「カテゴリーの実在性」および「本質の不可視性」というふたつの信念がかたちづくる心理的本質主義にとって,本質というキーワードが重要である.ここでいう本質とは,伝統的な哲学でいう形而上的本質とは異なる.では,心理的本質を「経験的現象」として「科学研究」の対象とするにはどのようなスタンスで臨めばいいのか.著者は,それを一種の“思考バイアス” — 本質形成バイアス(essentializing bias) — とみなせば道が拓けるだろうと考える:

I contend that essentialism is a pervasive, persistent reasoning bias that affects human categirization in profound ways. It is deeply ingrained in our conceptual systems, emerging at a very young age across highly varied cultural contexts. Our essentializing bias is not directly taught, nor does it simply reduce to a direct reading of cues that are “out there”in the world. ... In a nutshell, I argue that essentialism is the result of several converging psychological capacities, each of which is domain-general yet invoked differently in different domains. [p. 6]

このように,心理的本質主義を domain-general な心理的要因(複数)が domain(「生物」,「非生物」,「人工物」,「社会的構築物」など)ごとに異なる“本質形成バイアス”の力を発現する現象ととらえることにより,関連するデータを実験的に得ることができるにちがいないというのが著者の構想だ.

— 〈心理的本質主義〉をひとつの経験的仮説とみなすとき,その対立仮説は何かという点に目を向ける必要がある.ひとつの対立仮説である〈歴史的偶然説〉(p. 14)は,本質主義は西洋文化の生んだ副産物であるとみなす.しかし,その仮説では,なぜ未就学児童が心理的本質主義者であるのかという点が説明できない.もうひとつの対立仮説である〈名づけ説〉(p. 16)は Saul Kripke や Hilary Putnum が唱導してきた立場である.固有名詞あるいは自然種(natural kind)に「命名」することを通じての一種の本質主義である.著者は,ことばが本質主義にとって不可欠だという立場には与しない.

— 続く第1部(第2〜6章)では,子どもを対象とする調査に基づいて,ヒトの心理的本質主義がどのような特徴を持っているのかを明らかにする.総括する第6章では,興味深いまとめが提示されている.※あとでまた.

◇日吉の丘陵地帯を登坂してきた日の夜は,再びもとの登攀にいそしむ.明日は「絵師」になろう.

◇本日の総歩数=16391歩[うち「しっかり歩数」=4380歩/39分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=0.0kg/−1.1%.


20 mei 2005(金) ※ また登攀中〜

◇午前5時起き.晴れ.気温14.1度.昨日は真夏日だったそうだが(引き蘢っていたのでようわからん),今日はどーかな?

◇ダイレクトメール —— 〈東京国際ブックフェア〉.場所はゆりかもめに運ばれて東京ビッグサイト.会期は2005年7月7日(木)〜10日(日).

◇新刊・近刊メモ —— ダニエル・C・デネット『自由は進化する』(2005年5月30日刊行予定,山形浩生訳,NTT出版,ISBN:4-7571-6012-7 ※→版元ページ)./ Boris Mirkin『Clustering for Data Mining: A Data Recovery Approach』(2005年4月刊行,Chapman & Hall/CRC Press,ISBN:1-58488-534-3).※UPGMAもすべて“過去のもの”にしてしまうということか? “K-means法”と“Ward法”によるクラスター分析の理論書./Fionn Murtagh『Correspondence Analysis and Data Coding with R and Java』(2005年6月刊行予定,Chapman & Hall/CRC Press,ISBN:1-58488-528-9 ※→版元ページ).※ソフトウェアに関するコンパニオン・サイトあり.

◇雑誌 Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences から現代体系学史の論文をいくつか(ABC順):

  • Joe Cain 2002. Epistemic and community transition in American evolutionary studies: The "Committee on the Common Problems of Genetics, Paleontology, and Systematics" (1942-1949). Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 33: 283-313.
  • Carl Chung 2003. On the origin of the typological/population distinction in Ernst Mayr's changing views of species, 1942-1959. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 34: 277-296.
  • John Dupré 2001. In defence of classification. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 203-219.
  • Jim Endersby 2001. 'The realm of hard evidence' : Novelty, persuasion and collaboration in botanical cladistics. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 343-360.
  • Marc Ereshefsky 2001. Names, numbers and indentations: A guide to post-Linnaean taxonomy. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 361-383.
  • Joel B. Hagen 2001. The introduction of computers into systematic research in the United States during the 1960s. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 291-314.
  • David L. Hull 2001. The role of theories in biological systematics. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 221-238.
  • Thomas A.C. Reydon 2005. On the nature of the species problem and the four meanings of 'species'. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 36: 135-158.
  • K. Vernon 2001. A truly taxonomic revolution? Numerical taxonomy 1957-1970. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 315-341.
  • Mary P. Winsor 2001. Cain on Linnaeus: The scientist-historian as as unanalysed entity. Studies in the History and Philosophy of Biological and Biomedical Sciences, 32: 239-254.

—— 生物学史系のジャーナルはつい見落としてしまう.※農水省系の研究機関では購読されるはずないし.

ということで,全件一括で複写依頼を投げた.ないもんはどーしようもないので,どんどん外に求めていくしかない.

◇薄曇りの昼休み.気温は20度そこそこ.歩き読み —— ヒキタクニオ『アムステルダムの日本晴れ』(2004年5月25日刊行,新潮社,ISBN:4-10-442305-X).※120ページほど読む.今日は紫外線が強いみたい.

◇午後は別件の原稿書きにいそしむ.Ernst Mayr / Willi Hennig の1970年代論争を中心にして.ただし,ここ数年,1930〜40年代の〈The Modern Synthesis〉にからんだアーカイヴ資料を踏まえた論文がたくさん出てきたので,それをちらちら横目に見ながら進む必要がある.

◇夕焼けが映えた.

◇夜,Ernst Mayr (1904-2005) が埋め込まれた“体系学史文脈”の再確認作業 ——

Joe Cain 2004. Launching the Society of Systematic Zoology in 1947. Pp. 19-48 in: David M. Williams and Peter L. Forey (eds.), Milestones in Systematics. CRC Press, Boca Raton.

The Society of Systematic Zoology (SSZ) 創立をめぐる経緯が,年単位どころか月単位であとづけられている.“解説者”Richard E. Blackwelder (1909-2001) が遺した発言は必ずしもそのまま鵜呑みにはできないということらしい.Ernst Mayr との個人的な確執を背景にしたバイアスがかかっているとの推測.当時の Synthesis 進化学者と分類学者とは必ずしも敵対関係にあったわけではなく,SSZ創立の立役者だった Waldo LaSalle Schmitt は,Ernst Mayr らが1946年に創立した The Society for the Study of Evolution (SSE) に対して,全面的に応援していたとのことだ.SSZの創立は翌1947年.体系学派間の分裂や論争の大波がやってくるのは20年も先のこと.幸せな時代だったのかもしれない.

第二次世界大戦の終戦を挟む10年間は,英語圏に限定しても,The Modern Synthesis / “The New Systematics” やら体系学関連学界の浮き沈み — 実験分類学派の活動 [米:1930年代〜] ; 統計学的体系学のはじまり [米:1930年代〜] ; The Society for the Study of Speciation [米:1939-1941] ; The Association for the Study of Systematics in Relation to General Biology [英:1937-1940] ; — がとても激しかった時期で,その内実についてはこれまでよくわかっていなかった.アーカイヴ資料を十分に使い切るとこういう調査も可能になるということか.※資料がきちんと保管されているという前提はあるのだが.

— 意外なことに,甲虫学者としての職をリタイアしたあとの Blackwelder は,『The Lord of the Rings』の作者として知られる J. R. R. Tolkien の研究家・蒐集家として名を馳せたという.→〈The Tolkien Society〉の参考図書リスト

◇本日の総歩数=15746歩[うち「しっかり歩数」=7814歩/67分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.2kg/+0.5%.


19 mei 2005(木) ※ 姑獲鳥が来る…

◇午前5時半まで寝てしまう.不覚である.生暖かい(気色悪い)風が吹いている.気温19.2度(!).曇り.

◇10:14分に少し揺れた.

◇慣性力 —— 昨日の続きで,第2章の原稿に手を入れる.動的分類学についての補足/社会生物学の帰結/認知分類学の加筆.ずっと地下書庫に引き蘢り,昼前に改訂稿をアウトプット完了.

◇ラテンアメリカの生物地理学 —— J. Llorente Bousquets and J. J. Morrone (eds.)『Regionalización Biogeográfica en Iberoamérica y Tópicos Afines』 (2005年,Universidad Nacional Autónoma de México,ISBN:970-32-2509-8).※この論文集には,ラテンアメリカ地域の生物地理学というだけにとどまらず,歴史生物地理学全般にわたる論文が集められているようだ.汎生物地理学は中南米で生き続けている? UNAM の同じ編者らによる,前論文集J. Llorente Bousquets and J. J. Morrone (eds.)『Introducción a la Biogeografía en Latinoamérica: Teorías, Conceptos, Métodos y Aplicaciones』(2001年,Universidad Nacional Autónoma de México,ISBN:968-36-9463-2→目次)と同じつくりなのだろうと推測される.

◇昼前,とても小さい“姑獲鳥”がやって来た…….

◇午後1時から〈系統学的考古学〉セミナー(第4回).今回は考古学における分類と系統の問題について.とくに,Gladwinの進化分類とMcKernの表形分類の比較.著者らはリンネ分類体系に対して辛辣で,おそらくもう一押しで〈PhyloCode〉派になるのは自然な流れと思われる.次回から分岐学の章.※昨年やっと読了したのに,書評をまだ完結していない Marc Ereshefsky『The Poverty of the Linnaean Hierarchy: A Philosophical Study of Biological Taxonomy』(2001年,Cambridge University Press,ISBN:0-521-78170-17→目次とメモ)をなんとかきれいにしておかないと.

【欹耳袋】 —— 日外アソシエーツ(編)『昆虫レファレンス事典』(2005年5月刊行,日外アソシエーツ,ISBN:4-8169-1921-X).※出版社コメントでは,「41種109冊の図鑑から延べ57,382件の見出しを収録した総索引です。チョウ・トンボ・甲虫・クモ・多足類など25,916種の昆虫・ムシ類がどの図鑑の何ページに掲載されているか一目でわかります。」とのこと.ほほー,と思ったら,同社からは,『魚類レファレンス事典』(2004年12月,ISBN:4-8169-1879-5)/『動物レファレンス事典』(2004年6月,ISBN:4-8169-1848-5)/『植物レファレンス事典』(2004年1月,ISBN:4-8169-1821-3)がすでに出ていた.※日外アソシエーツの「情報書籍」はアイデア勝負.

◇うわ,また「1冊」書いたんですかー(そのエネルギーたるや実におそるべし).※原稿,読ませていただきます.

◇4月24日付〈Academic Resource Guide〉の「作業メモ」から — 国立情報学研究所(NII)の〈GeNii〉(NII学術コンテンツ・ポータル)が正式公開されました.GeNiiは,これまで別個に公開されてきた Webcat Plus(書籍・雑誌検索)/ CiNii(論文検索) /KAKEN(科研費課題検索)/ NII-DBR(学術研究DB)の四つから構成されていて,横断検索ができます.また,今までは和文資料のみ検索できた Webcat Plus が,英文資料もカバーするようになったので,なかなか使い勝手がいいです.※英文だけではなくて「欧文」全般ですね.

— 従来からある文献検索システム〈Webcat〉は2005年度中に廃止され,〈Webcat Plus〉に一本化されるとのこと.

◇本日の総歩数=6794歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース ×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.4kg/−0.1%.


18 mei 2005(水) ※ マイナス0日目(大汗)

◇午前4時半起き.今日も晴れそうだが,いまは霧がかかっている.気温10.6度.

—— 書いてます,書いてます.

◇〈MrBayes 3.1〉配布開始(5月17日付).※ 次期 version 4 のベータ版は今年の秋に出るそうな.

◇午前いっぱい地下書庫に引き蘢る —— なんつうか“自己カンヅメ”状態.20枚あまり書いて,『だから系統樹!』第2章は計50枚あまりになった.午後1時前にアウトプット.研究室に戻ったら,現代新書編集部の担当者が狙いしまして来室.耳を揃えて“年貢”[の一部]を手渡しする.※ご苦労様でございました.>K治さん.

これからの“納税”予定について打合せ(“追徴金”についても).この夏までには全体の原稿を渡す予定.今の分量で残る章を書けば,分量的にはちょうどいいくらいになりそう.図版をどれくらい含めるかということもちゃんと考えないと.

— 図版を張りつけ,htmlにしたものをヒミツのサイトにアップする.

◇なんだか〈灰〉になったみたい…….

◇新刊メモ —— Denice E. Slice (ed.)『Modern Morphometrics in Physical Anthropology』(2005年,Springer-Verlag,ISBN:0-306-48697-0→目次).※今年はじめに近刊予告されていた論文集がやっと出た.ハードカバー・400ページで US$ 129.00.ま,手頃な価格でしょ.目次を見るかぎり,必ずしも landmark-based な方法ばかりではなく,outline-based なフーリエ法やinvariant法も含まれているようだ.

◇午後4時頃,雨が降り出したが,午後6時にはあがった.

◇夜,明日の〈系統学的考古学〉セミナーの準備をする.

◇進化学会東北大会の参加申し込みサイトが開設された.※皆の者,仙台に集うべし.

◇これはもう限界かもしれない…….へろへろになって早々と爆睡.

◇本日の総歩数=7522歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース ×|×.朝○|昼△|夜△.前回比=−0.3kg/−0.4%.


17 mei 2005(火) ※ マイナス1日目(汗)

◇午前5時前起き.気温11.2度.晴れ.心地よい涼気.しかし,早朝の研究室にて固まってしまう —— ぐわー,タイミング悪過ぎ〜.とても心臓に悪いですぅ.またまた,ストレッチャーに乗ってしまいそう…….※それにしても,「締め切り」のことを考えつつ,「吾妻ひでお」を読みこむとは.

◇某昇格書類の修正またまた.※何年やってんだか./住居調査票とか.ぐえ,セル入力できまっしぇん.※死ね死ねエクセル(何度でも).

◇最新号ジャーナルから —— 〈George C. Williams 記念号〉:The Quarterly Review of Biology(Vol. 80, no. 1, March 2005).※G. C. Williams の写真がいっぱい.ムカシからああいうお顔だったんだ./Trends in Ecology and Evolution(Vol. 20, no. 3, March 2005)のレビュー:Ruth Mace and Clare J. Holden 「A phylogenetic approach to cultural evolution」(pp. 116-121).※文化進化の系統学についての解説記事.

◇汎生物地理学(panbiogeography)に関する学史・哲学・理論 —— John R. Grehan の〈Panbiogeography Page〉に追加された「Michael J. Heads 文献リスト」から:

  • Heads, M. J. 2005. The history and philosophy of panbiogeography. Regionalización Biogeográfica en Iberoamérica y Tópicos Afines (J. Llorente and J. J. Morrone eds.), pp. 67-123. Universidad Nacional Autónoma de México, México.
  • Heads, M.J . 2005. Towards a panbiogeography of the seas. Biological Journal of the Linnean Society, 84: 675-723.
  • Heads, M. J. 2005. Dating nodes on molecular phylogenies: a critique of molecular biogeography. Cladistics, 21: 62-78.

これらはすべて pdf としてダウンロードできる.本のように長い論文たち(……).

◇晴れた昼休みの歩き読み(気温19.1度) —— ヒキタクニオ『鳶がクルリと』(2002年1月20日刊行,新潮社,ISBN:4-10-442302-5)読了.なかなかいいテンポで読める.

◇午後1時から〈統計学〉セミナー —— 今日は先週に引き続き,分散(variance)をはじめとする dispersion の尺度について.午後2時過ぎに終わる.

◇やっぱりシンポ企画を出さないとダメ?…….>きんた君

◇夕方まで書類修正.※“一太郎”は退場処分ね.

◇夜,「目次案」を再チェック.※あと「12時間」…….

◇〈物語り論〉 — 野家啓一『物語の哲学』(2005年2月16日刊行,岩波現代文庫・学術139,ISBN:4-00-600139-8)の第2章から:

過去の出来事は「描写」されるのではなく,こう言ってよければ想起的に「構成」されるのである.[p. 114]

著者の言う「過去の出来事」というのは,進化学者や体系学者が想定しているものとは相当にちがっていることは確かだ.過去の出来事は「描写」できないから,「想起」とか「物語」しかないというのは理解に苦しむ.その中間に,さまざまな段階の「推論」があり得るのではないか.

過去の客観的実在性を否定して過去と想起を同一視することは,真実と誤謬との区別をなくす余りにも乱暴な議論ではないか,という反問が直ちに返ってこよう.なるほど,乱暴な議論であるには違いない.しかし,議論の筋目を丹念にたどり直すならば,乱暴なのはむしろ健全な常識の方なのである.[p. 117]

リクツはどーでもいいという開き直りか.

こうした健全な常識を疑い,それに異を立てるところにこそ,哲学の面目はあると言わねばならない.[p. 115]

おお,なるほど! とすると,そういう哲学の“健全な常識”なるものを疑ってかかることは科学者の権利として残されているわけですな.よかったよかった.※『うたがいのつかいみち』を書いた人は,著者のすぐ近くにいるはずだが…….

◇睡魔.

◇本日の総歩数=14854歩[うち「しっかり歩数」=6745歩/57分].全コース ×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=0.0kg/+0.2%.


16 mei 2005(月) ※ マイナス2日目

◇午前5時半起床.晴れ.気温9.0度.山の上も平地も気温低し.

◇オランダ語オンライン辞書(メモ) — 一般の「多国語オンライン辞書」については,〈Language Resource〉社のウェブサイト「オンライン辞書データベース」がある.この中には「オランダ語辞書」のリストもあり,オランダ語からその他の言語への(およびその逆の)翻訳をするときに役に立つだろう.とくに,オランダの〈OnzeTaal〉という団体のサイトにある「辞書リスト」はさらに調べものをするときに有用.蘭蘭オンライン辞書としては,〈Van Dale taalweb〉が信頼できる[とぼくは思う].なお,蘭語大辞典として有名な『Grote Van Dale』の最新版(第14版)が今年10月18日に刊行される予定(→出版社サイト〈Van Dale XIV〉).

◇いろいろ — “マイナス2日”なので頑張ります./と思ったら,別件の書類修正の割り込み処理./東京農大からの辞令を事務に出して,学生受け入れ手続きがやっとはじまる./箱崎宛に返送完了./東大オケからサマーコンサートの案内:今年はショスタコーヴィッチ〈5番〉をメインとして,モーツァルト〈ハフナー〉とドヴォルザーク〈序曲・謝肉祭〉.※暑い季節に頑張ってねー.

◇昼休みの気温は19度台.暖かさがもどってきた感じ — ヒキタクニオ『鳶がクルリと』(2002年1月20日刊行,新潮社,ISBN:4-10-442302-5)を半分ほど歩き読み.※続編のための前哨戦みたいなもんでして.

◇ご指摘 — 14 日に書いた,疑似餌(フライ)とモデルとの関係は“ベーツ擬態”とみなすべきではない,とのメールが西方浄土より届く.不味いモデルに擬態している場合が“ベーツ擬態”であって,フライのように魚にとって美味?な生き物に似せて釣るというのは,むしろ“攻撃的擬態”と呼ぶべきだろうとのこと.なるほど.花弁に擬態するハナカマキリとか,あるいはチョウチンアンコウみたいなケースにあたるということか.

◇時間がさらさらとこぼれ落ちる…….

◇野家啓一『物語の哲学』(2005年2月16日刊行,岩波現代文庫・学術139,ISBN:4-00-600139-8)からの引用 —

経験主義の立場を堅持する限り,過去の出来事の記述に意味を与えることには多大の論理的困難が伴うからである.例えば,過去に関する命題を「経験的」に,すなわち現在の知覚によって検証することは不可能であろう.もしできたとしても,それはあくまでも過去の痕跡に関する現在の知覚の記述であって,いささかも「過去」の出来事の記述ではないからである.[p. 87]

“過去”への推論に関して,著者はとても悲観的なスタンス(ぼくには理解できない)をとっているように見える.その「救済」として〈物語〉を出してくるというのが,本書の基本的な戦術だ:

物語を特徴づけるのは何よりも「起源の不在」である.物語は,今現在の話者によって語り伝えられた姿でしか存在しない.「起源」は幾重にも折り畳まれた歴史的経験の重層性の中にすでに姿を消しているのである.物語の伝承は,喩えて言えば「原文のない翻訳」ないしは「楽譜のない演奏」になぞらえることができる.そこには作者や作曲者は存在せず,ただ翻訳者と演奏者のみが存在するのである.[p. 76]

物語り論(narratology)の背後に「歴史悲観論」があるのだとすると,その支持者たちは歴史的推論に対して極度に厳格な(あるいは狭隘な)見方しかもちあわせていないということになるのではないか.それが,歴史学の流れによるものか,それとも戦略的な意図によるものかはさだかではないが.

— 読み進むたびに,そういう箇所がさらに見えてくる.

◇本日の総歩数=15154歩[うち「しっかり歩数」=8851歩/75分].全コース ×|×.朝○|昼△|夜○.前回比=+0.4kg/−0.4%.


15 mei 2005(日) ※ 丹沢の二日目

◇あったま,いたたた.午前4時に目が覚める.とても起きる態勢になれず,さらにまた寝る.午前6時半まで惰眠する.雨はあがり,晴れ間が見えてきた.

◇午前7時から朝食.まだ頭痛が…….まわりのテーブルも席がまばらにしか埋まっていない(そりゃそうだろ).最終組は午前3時近くまで宴会場でねばっていたとのこと.にもかかわらず,ちゃんと「屋台」を組み立て,雨の中をナイターしたそうだ.雨が降ろうが蛾は飛んでくる.※えらいぞ.

―― 朝食後に集合写真撮影.下を流れる渓流を探索に行った連中は,軒並みヒルに攻撃されたらしい.シカが多いせいか,ヒルも結界を張って“待機”しているのだそうだ.そこに足を踏み入れたらもうおしまいとのこと.いままさに塩で退治されている何匹かを観察する.ニコチンでうまく迎撃できるという話を聞いたことがあるが.なんにせよ,いやだいやだ.すねを這い上がり,靴に潜り込む.ヒルにひるむ(なんちゃって).※清澄山と丹沢山系は「ヒル要注意エリア」だ.

◇午前9時にチェックアウト.また雲と霧がかかり,雨粒が落ちてきた.岡島カーで東京農大の昆虫研を見せてもらうことになった.壁際にずらりと並ぶ学生たちの机,書棚には図鑑・モノグラフ・分類関係の雑誌などなど.いかにもいかにもでした.

◇本厚木駅から小田急に乗り,逆コースでJR東京駅に到着.いま,北口のスターバックスにて,メールチェックと日録書き.常磐高速バスの待ち時間つぶしに.※丹沢では当然のことながら携帯電話は通じず,モデムも使えず.とても「静かな」一夜だった.

◇天気が変.晴れては曇り,ざーっと降ってはまた明るくなる.午後4時過ぎに帰宅.

―― 車中にて野家啓一『物語の哲学』(2005年2月16日刊行,岩波現代文庫・学術139,ISBN:4-00-600139-8)の残りの諸章(第II部と第III部)を読了.違和感は増すばかり.

文生書院から封書が届いていた.とても大きな古書コレクションの話.これが市場に出れば,すごいインパクトだと思います.ばらばらではなく,どこかの機関がどーんとまとめて購入した方が後々のためにはいいでしょう.せめてカタログだけでも見せていただきたいですね.

◇お,『のだめカンタービレ・12』(2005年5月13日刊行)が出たぞ.すぐ買わないと.

◇夜になってぐったりしてきた.タイムラグ付きの二日酔いかも.弱る.

◇本日の総歩数=8253歩[うち「しっかり歩数」=2183歩/21分].全コース ×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=未計測/未計測.


14 mei 2005(土) ※ 丹沢の初日

◇午前5時起床.晴れ,久しぶりの朝歩き.同伴本はこれ:野家啓一『物語の哲学』(2005年2月16日刊行,岩波現代文庫・学術139,ISBN:4-00-600139-8).※第1部(第1〜3章)を読了.190ページほど.思わず立ち止まって殴り書き込みをするほど(“太田憑き”状態),ぼくには同意できない主張が乱発されている.歴史学の「物語り論」ってもう終わっていると確信する.こんなんじゃダメです.話にならん.本書後半もきっと笑いながら読むにちがいない.この本をマジメに読んでいる読者っていったい何者?

◇午前10時前にひたち野うしく駅プラットホームに佇む.11時半には八重洲地下街に到着.リカーズ・ハセガワをぶらぶらして,向かい側のスターバックスにて軽食とメール書き./これから新宿に向かい,午後1時新宿発の小田急に乗る.

車中にて,とある原稿を読む.たいへんおもしろいです.“日本のセーゲルストローレ”はアナタをおいて他にいるはずがない! ※コメントは週明けに郵送します./その余勢?を駆って,別件の査読もほぼ完了.だいぶよくなったが,一部分になお問題があるかも.※週明けにレポートを作成しよう.

―― 秦野に着いたのは午後2時過ぎ.意外にも大きな駅前ロータリーでヤビツ峠行き14:45発の路線バスを待つ.事前のアナウンスによると,ヤビツ峠行きのバスは朝2本と午後2本しか便がないそうだ.丹沢に入る登山客を念頭に置いたダイヤなのだろう.町並みを過ぎるともう山道,それも大型バスが入れるはずもなさそうな林道(舗装はされている)をぐんぐんと登っていく.

半時間ほど乗って,終点のヤビツ峠.標高761mらしく,とても寒い.雲だか霧だかがかかっていて,天気は下り坂.バッグからコートを引きずり出す.ほどなく,送迎マイクロバスがやってきた.同乗してきた東京農大の“蟲屋”たちとともに,さらに宮ヶ瀬方面への道を下っていく.途中で左折し,突き当たりが今夜の宿である〈丹沢ホーム〉.渓流を見下ろす崖際にある民営国民宿舎だ.時刻はもう午後4時になるところ.

◇宿に着いたと思ったら,岡島さんをはじめ,先陣組はもう呑み始めているではないか.それもいきなり日本酒に焼酎という shortcut な雰囲気が漂う.フォーマルな新歓は午後6時からのはずだが,それまでに“できあがる”か.その前に客員教員の辞令をふんだくったりとか.今回の新歓採集会には30名あまりの参加が見込まれているという.フライング気味の学部1年生が5人参加,「正規の新人」である学部3年生は十数名も来るそうだ.昆虫資源学研究室は大世帯.※どこからそんなにたくさんの蟲屋が湧いて出てくるのかフシギだ.

◇ここ丹沢ホームはハイカーの拠点としてだけではなく,渓流釣りの足場にもなっているらしい.食堂にみごとな疑似餌が額で飾られていた.蜉蝣を模したフライだという.※左が本物の蜉蝣の標本.右はそれをモデルにして“ベーツ擬態”したフライ.

◇午後6時から夕食(〜8時半まで).その後,離れに場所を移して二次会.外は冷たい雨が降り始めた.大きい部屋のはずだったが,のんべたちを30人も詰めこむと人口密度が高い.強めのお酒を飲みつつ,しだいにぐずぐずと崩れていく感覚.OBたちの回顧話によると,以前は旅館の床を踏み抜いたりする猛者がいたということだ.おそるべし.今回も多くの参加者は捕虫網を片手に,毒瓶だの,ナイター準備だのと「武装」している.呑んでは虫を捕り,騒いでは獲物を整理するというのは蟲屋にとってはきっと至福の時間なのだろう.

―― 何時に部屋に戻ったのか記憶がぜんぜんない.気がついたらふとんの上に寝ていた.

◇本日の総歩数=17810歩[うち「しっかり歩数」=10803歩/94分].全コース ×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=0.0kg/−0.2%.


13 mei 2005(金) ※ ひとつ書いては〜のため

◇丑三つ時ならぬ午前4時半に起床.曇り.気温9.4度.※日に日に最低気温が下がっている気がするんですけど.

— 早朝,進化学会の事務連絡メールあれやこれや.朝まだきの「勤行」みたいなもので.

◇昨夜の読書メモ — Victor A. Albert (ed.)『Parsimony, Phylogeny, and Genomics』(2005年,Oxford University Press, ISBN:0-19-856493-7)の編者序文に,Farrisの開発した数量分岐学の理論の中で,とくに最節約法の離散数学的な部分に編者は感銘を受けたと書かれてある(p. v).確かに同意できるのだが,形質計量空間に関する〈Farris変換〉(Farris transform)と〈Gromov積〉との関係は,Semple and Steel『Phylogenetics』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-850942-1)の7.2節ですでに導出されているので,あえて Andreas Dress et al.「Δ additive and Δ ultra-additive maps, Gromov's trees, and the Farris transform」Discrete Applied Mathematics, 146: 51-73, 2005(→abstract)を参照するまでもないのではとぼくは考える.

◇またまた進化学会関係で — ニュースにセーゲルストローレ『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた(1|2)』の書評を載せてもらうことになった.この書評だけで刷上がり12ページになるそうだ.[この件,完了]

◇ぐがぎげ …… 先月の IOSEB Mexico Meeting の議事録が届いていた.40ページもあるぞ! 仕事あれやこれや,積まれている.

◇査読にそろそろケリをつけませうね.>ぼく[報告書を書くべし]

◇曇り空の歩き読み — 池谷伊佐夫『神保町の蟲:新東京古書店グラフィティ』(2004年11月9日刊行,東京書籍,ISBN:4-487-79935-X)を読了.神保町に古書店をオープンしないわけにはいかなくなる書きぶり.新しい未開拓店がいくつかある.

昼休みの気温がなんと「12.6度」! 先月のうちに長袖を全部しまいこんでしまったので,ガマン大会のように半袖を着ているのだが,どこまで耐えられるかな.

◇お,麗面人ご夫妻が来日したか.竹園ハウスにチェックインしたとのメールあり.※いったい何度目の来日になるのだろう.

◇明日から日曜にかけて丹沢に向かうので,その準備を少し.一泊だけなのだが,原稿と書類を抱えていくというスマートならざる荷物が.あ,PowerBookG4 も忘れずに.

◇夜,クール直送・讃岐うどんの食い過ぎ.とてもうまい.しかし,侮るべからず.炭水化物摂取過多.

◇午前0:16に震度3のひと揺れ.

◇本日の総歩数=14984歩[うち「しっかり歩数」=7477歩/64分].全コース ×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=+0.5kg/+0.2%.


12 mei 2005(木) ※ 〈御札〉をゲット!

◇午前5時起床.曇り.午後は雨の予報.気温9.9度.※どーしてヒトケタなの?!

◇朝からこまごま ―― 進化学会関連の連絡メール数通.※仙台大会のシンポ企画依頼が“きんた”君から届く(どうしようか).|某氏は“青葉山シンドローム”でシンポ企画を提案し,大会委員会からもちろん全会一致のリジェクトを喰らったあげく,毎年恒例のアレとともにめでたく「自由集会」にまわされるというビジョンをお持ちのようだ.とてもわくわくする.学会大会はこうでなければ./東京農大へ人事書類の問合せメール.辞令をまだもらっていなかったりする……(モグリちゃうのに).※今週末は丹沢にて新歓採集会./今年度の業績評価結果通知書が手渡される:評定「S」.※「shabby」の「S」ではなく./統計関連学会連合大会(→大会サイト)の形態測定学シンポジウムの人選をさくさくと進めないと.今月16日から講演オンライン登録開始(来月13日まで).

◇〈魔除けの御札〉―― 昨日届いていた Molecular Phylogenetics and Evolution 誌の最新号(Vol. 35, no.2, May 2005)から.Sibyl Rae Bucheli and John Wenzel「Gelechioidea (Insecta: Lepidoptera) systematics: A reexamination using combined morphology and mitochondrial DNA data」 (pp. 380-394) の一節:

Readers of this journal are familiar with several competing methods of phylogenetic analysis, and it is relevant to validate our approach. While Bayesian analyses may be capable of analyzing both morphological and molecular data, we choose not to use this method of analysis because an increasing body of evidence suggests that it is deeply flawed as implemented today. The posterior probabilities of Bayesian analysis are excessively high (Cummings et al., 2003; Pickett et al., 2004; Simmons et al., 2004; Suzuki et al., 2002), and flat prior probabilities do not model accurately a bias-free calculation (Picket and Randle, 2005). It is also shown that under circumstances of site-specific rate heterogeneity (a condition that is both common and nearly impossible to demonstrate), both maximum likelihood and Bayesian analysis become strongly biased and statistically inconsistent, whereas parsimony consistently better under a wide range of conditions (Kolaczkowski and Thornton, 2004).

References

  • M.P. Cummings et al. 2003. Systematic Biology, 52: 477-487.
  • B. Kolaczkowski and J. W. Thornton 2004. Nature, 431: 980-984.
  • K. M. Pickett et al. 2004. Cladistics, 20: 92-93.
  • K. M. Pickett and C. P. Randle 2005. Molecular Phylogenetics and Evolution, 34: 203-211.
  • M. P. Simmons et al. 2004. Molecular Biology and Evolution, 21: 188-199.
  • Y. Suzuki et al. 2002. Proceedings of the Academy of Sciences of the United States of America, 99: 16138-16143.

系統推定で最節約法を使う場合は,上記の〈御札〉を“マテメソ”にペタッと張り込めば御利益がある[かもしれない].当面は“魔除け”としての効き目があると思う(ただし悪魔のようなレフリーに当たってしまうとダメかも).※〈御札〉の内容よりもむしろその戦法を学ぶべきだろう.

個人的には,キバガ上科(Gelechioidea ※→ List-MJTree of Life)の系統関係がこの研究でどのように推定されたのかにも関心がある.

◇昼になっても曇りがちで肌寒い.さて,歩き読みに出発 ―― 池谷伊佐夫『神保町の蟲:新東京古書店グラフィティ』(2004年11月9日刊行,東京書籍,ISBN:4-487-79935-X).最初の70ページほどを読む.古書買いのためのガイド.店主に叱り飛ばされる話,はいはい,身にしみます.その昔,神保町にあった数学専門古書店の〈四方堂書店〉(※いまはインターネット販売のみだそうな)に,とある微分方程式の本を探しに行ったとき(マスターに入ってすぐだったと思う),勝手がわからずうろうろしていたら,奥に座っていた老主人に「探してわからないんだったら,どうして訊かないっ!」とどなられたことがある.ちぢみあがりましたです.小さくなって待っていたら,確かにあっという間にブツは見つかりました.ありがたいやらコワいやら — L. Collatz『The Numerical Treatment of Differential Equations, Third Edition』(1966年,Springer-Verlag,Die Grundlehren der mathematischen Wissenschaften Band 60,ISBN:なし).思い出深い Springer の黄表紙本だ.

— 午後1時の気温は16.1度.曇ったり晴れたりしている.

◇学会の事務仕事を少し.※ほんとはたくさんあるのだが.

◇進化考古学センターの情報 — 岡山大学の松本直子さんから教えていただいた:イギリスの〈CEACB〉こと AHRC Center for the Evolutionary Analysis of Cultural Behaviour.考古学を含む人間社会・文化に関する進化研究を行う拠点とのこと.代表者の Stephen Shennan は,『Mapping Our Ancestors: Phylogenetic Approaches in Anthropology and Prehistory』や『The Evolution of Cultural Diversity: A Phylogenetic Approach』などの系統学的考古学の論文集にも寄稿しているようだ.要チェック.

◇『本とコンピュータ・第二期14号』(2004年12月10日刊行,トランスアート,ISBN:4-88752-192-8)の特集〈日本人の読書習慣:消えたのか? 変わったのか?〉をぱらぱらする.ピン留めセンテンス —

平出隆「私の読書習慣 — あるいは読むことの純潔さについて」
  • 七〇年代の終りから七,八年,澁澤龍彦の家に通うことになったころ,私はこの稀代の読書家の読書ぶりをそばで眺める機会をえて,とても安心したことを覚えている.澁澤さんは一種の特殊な能力をもって,その本のエッセンスへと,まっすぐに視線の先をもっていく.このとき,最初のページから最後のページまで追うとはかぎらず,視線は驚くべき効率のよさで,ある本と別の本とさらに別の本とのあいだを,それらの核心のあいだを行き交うのである.[p. 47]

  • たとえ私がある本を最後まで読まなかったとしても,すべては「軽快さ」とともに,「無責任」のうちに,また「純潔さ」さえもって,「達成」されているのである./このように見るとき,書評のための読書というものは,「軽快さ」を失い,「責任」を負い,「純潔さ」から遠く離れている.[p. 48]

そーかあ,書評のための読書は「純潔」ではない,と(汗).

もう一カ所 —

狐「書評者に“名前”なんか要るでしょうか」
  • 私は,そもそも書評には評者の名前など要らないと考えているのです.[p. 78]

  • 書評者は伝達者だと思う.肝心なのは本を閉ざして自己主張することではなく,本を開いて,そこに書かれていることを伝えることのはずです./伝える.実に単純なことです.しかし,書かれていることをどうとらえ,どう伝えるか,それが思いのほかにむずかしい.もしも伝えるべきことがうまく,十全に,いきいきと読者のもとに届いたならば,それが書評者にとっての幸せというものでしょう./そしてそのとき,書評文からは評者の名前などきれいに消えて,どこを探してもみあたらないはずなのです.それで,それだけで,いいのです.[p. 79]

揚げ足をとるわけではないのですが,書評記事を読者に開かせるためには「匿名」ではなく「顕名」が必要ではないでしょうか.皮肉なことですが,“狐”という「顕名」があればこそ,この人の書評なら読んでみたいという気になるのだとぼくは思います.

◇夕刻,ピーターパン吾妻店にて Flocken Sesami Brot を半ブロック.

◇本日の総歩数=16675歩[うち「しっかり歩数」=6942歩/58分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=−0.3kg/+0.5%.


11 mei 2005(水) ※ 新宿徘徊

◇5時起床,曇りときどき小雨.気温11.2度.肌寒い.GW前は夏日だ真夏日だと騒いでいたのに,いったいどーしたことか.

―― 朝から所用にて東京へ出奔する.スーツきついっす.気温が低めだからまだいいようなものの.常磐線の人になる.

◇Claude Dupuis 論文(1978)の車中復習.とくに1974-1975年の Mayr-Hennig-Sokal による三つ巴乱闘のあたりを(pp. 22-25)./その後,口直しに石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』(2005年2月28日刊行,新宿書房,ISBN:4-88008-333-X)に移行.明治から昭和にかけて,後世にその名を残すブック・メイキングをした書肆の伝記.創業者・金尾種次郎伝である以上に,書店の伝記であるところがいい.荒畑寒村も一時期ここに雇われていたそうだ.今も残る法蔵館と今は亡き文淵堂が創業者の血縁の上では“姉妹書店”だったとは.行きの車中で,第2章まで100ページ弱を読了.

◇待合せ時間までの余裕 ―― 印刷博物館にて開催中の〈プランタン=モレトゥス博物館展〉へ.グーテンベルク42行聖書はもちろん,コンラート・ゲスナーの博物学書とか,ヴェサリウスの解剖学書などなど,木版・銅版の本がたくさん展示されている.オランダ語だらけ(至福).教会による禁書目録(LIBRORVM PROHIBITORUM INDEX)をつい読み込んでしまう.図録:『プランタン=モレトゥス博物館展 — 印刷革命がはじまった:グーテンベルクからプランタンへ』(2005年4月25日刊行,印刷博物館,ISBN:なし).展示会期は4月23日〜7月24日.

◇雨の予報だったが,しだいに晴れ間がのぞくようになった.気温はやはり低め.午後1時前にJR新宿駅に到着.待ち合わせて西口某所の高層ビルに進撃.午後2時から某オフィスにてプレゼン.医学・創薬・サプリ業界に「系統樹を“売る”」ことについて.業界内の力関係とか,今後のビジネス展開について2時間あまりディスカッション.するどい指摘がびしびしと挿入される.外資系製薬会社は別として,国内の製薬会社と大学医学部とは「犬猿の仲」になっているとのこと.外資系[らしき]オフィスが入っているビルというのは,とてもきれいで肩が凝る.疲れました.

◇午後5時前に〈丸の内オアゾ〉の丸善で,探していたボールペンのレフィルを入手.ついでに4階にて探書:Jan Sapp『Genesis: The Evolution of Biology』(2003年,Oxford University Press,ISBN:0-19-515619-6).※やっぱり単著で本を書いていたわけね.Microbial phylogeny の章も立てられている./Peter J. Richerson and Robert Boyd『Not by Genes Alone: How Culture Transformed Human Evolution』(2004年,University of Chicago Press,ISBN:0226712842).※文化共進化の新刊./Jotun Hein, Mikkel H. Schierup, Carsten Wiuf 『Gene Genealogies, Variation And Evolution: A Primer in Coalescent Theory』(2005年,Oxford University Press,ISBN:0-19-852995-3 [hardcover] / ISBN:0198529961 [paperback])※今年はじめに見た近刊予告では,『Sequence Variation, Genealogies and Evolution: A Primer in Coalescent Theory』というタイトルだったが,変更されたようだ.Coalescent theory の教科書./Victor A. Albert (ed.)『Parsimony, Phylogeny, and Genomics』(2005年,Oxford University Press, ISBN:0-19-856493-7).※おお,Steve Farris に献呈されている! 系統学における最節約法だけの論文集.2002年の Hennig Society Meetings(ヘルシンキ)での講演をベースにしている.

◇帰路,『金尾文淵堂をめぐる人びと』の後半200ページを読了.大学の研究紀要に発表された論考が初出なので,細かい出典が書かれているのが痛くて楽しい(?).金尾文淵堂を倒産に追い込んだ望月信亨(編)『仏教大辞典』の出版をめぐる経緯(第3章)と20年もの間まったく原稿をもらえなかった徳富蘆花との関係(第4章)がとりわけ印象深い.諸橋轍次(編)『大漢和辞典』が苦節数十年という個人大事業だったのと同じく,望月信亨の『仏教大辞典』も30年もの長きにわたって編纂され続けたのだという.金尾文淵堂が潰れ,別の出版社に移管されてからもなお遅々としてアウトプットが出なかったという進捗ぶりは,70年かかったOEDの出版事業を思い起こさせる(参照:サイモン・ウィンチェスター『オックスフォード英語大辞典物語』2004年8月20日刊行,研究社,ISBN:4-327-45176-2).第7章で論じられている与謝野晶子は,『源氏物語』本を含め金尾文淵堂から多くの著書を出していただけでなく,同郷の金尾種次郎とも個人的な関わりが深かったという.本書のようにていねいに掘り起こされた伝記は通り過ぎてはいけない.

◇午後7時前にひたち野うしく駅に到着.ごろごろしてしまう./夜,UPUにいた田柳さんから20年ぶりのメール連絡をいただいてしまう(びっくり).1日の日録をたまたま検索ヒットされたとのこと.※長年にわたって音信不通だった人を探すにはウェブ日記に“実名”を書きましょうね.

◇本日の総歩数=14245歩[うち「しっかり歩数」=2964歩/26分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.4kg/−1.0%.


10 mei 2005(火) ※ 板書計算死

◇午前5時起き.曇り気味.気温13度台.日中はまだしも,明け方は冷気が残っている.BGMにショスタコーヴィッチの〈4番〉.クラくやかましい.

―― うっかり忘れていた「はてなアンテナ」なるサービスを試してみる(ずるずると深みにハマりつつあるともいう).

◇晴れ渡る.強い風にホコリが舞い上がる.空気が乾き,痛いほどの静電気が飛び散る.

◇分岐学伝記(メモ)――

  • Claude Dupuis 1978. Permanence et actualité de la systématique: La « systématique phylogénétique de W. Hennig » (historique, discussion, choix de références). Cahiers de Naturalistes (Bulletin des Naturalistes Parisiens), N. S., 34(1): 1-69.
  • Claude Dupuis 1988. Permanence et actualité de la systématique II: La taxinomiste face aux catégories. Cahiers de Naturalistes (Bulletin des Naturalistes Parisiens), N. S., 44(3-4): 49-108.
  • Claude Dupuis 1992. Permanence et actualité de la systématique III: Regards épistémologiques sur la taxinomie cladiste. Cahiers de Naturalistes (Bulletin des Naturalistes Parisiens), N. S., 48(2): ページ不明.

マスター1年(1980年)の夏に,宝ケ池の京都国際会議場で第16回国際昆虫学会議(ICE)が開催された.大学院に入って初の夏休みでもあったので,帰省のついでに参加した.もちろん自分で発表することなど何もなく,初めての大国際会議ということもあり,単に好奇心だけでいろいろな会場を覗いてまわった記憶がある.たまたま昆虫分類学のセッションで講演していたのがパリ自然史博物館の Claude Dupuis 氏だった.百人あまりいた(と思う)聴衆に英語のハンドアウトを配った上で,講演と質疑は一貫してフランス語で通したというのがとても強いインパクトだった:「The Hennigo-cladism: A reappraisal of the taxonomy, born in entomology」(1980年8月5日配布,4 pp.).

学部4年の終わりに,ちょうどその頃リプリントが出たばかりの Willi Hennig『Phylogenetic Systematics』(1966[1979],University of Illinois Press,ISBN:0-252-00745-X)を齧り始めていたのが聴くきっかけだったのだろう.Dupuis 氏が,ICE に参加する直前に分岐学の現代史をレビューした長文の論考(Dupuis 1978)をパリ自然史学会の機関誌 Cahiers de Naturalistes に掲載していたことをこのトークで知った.もちろんフランス語はぜんぜん読めなかったのだが,えいやっと別刷を依頼する手紙を出したところ,年が明けて手紙が添えられた別刷が送られてきた.よく考えてみると外国の研究者から別刷をもらったのはこのときが初の経験だった.70ページに及ぶレビューはたいへん informative で,その当時までの分岐学の学問的状況が時代を追って述べられていた.膨大な数のレファレンスを探しつつ,体系学の「理論」の世界にそろそろと入っていったのがマスター2年のときだった.

別刷に添えられていたフランス語の手紙を辞書片手に読んでみると,「日本における分岐学の状況についてぜひ教えてほしい」との依頼.ああ,もうしわけない.そういう情報提供ができるほど当時のぼくは知らなさ過ぎた.しばらくして接点ができた,同じ研究室の太田邦昌さんとか越中の「殿」のようなワルイ虫屋たちを通して,徐々に朱に染まったのであった.いまだったら Dupuis 氏にまとまった返事ができたのに,と思ったら,この分岐学史考は続編がふたつもあったことに今になって気がついた.このジャーナルはどうやら国内には所蔵されていないようなので,すぐには情報が得られないのだが,近いうちにまとめてゲットしよう(The British Library に複写依頼するか).

◇気温21度の昼休みに歩き読み ―― ナイルズ・エルドレッジ『ヒトはなぜするのか』(2005年3月11日刊行,講談社インターナショナル,ISBN:4-7700-2790-7)の後半200ページを読了.エルドレッジが標的とする“ウルトラ・ダーウィニスト”って誰のこと? ドーキンスだけなのであれば,反論例の取り上げ方に違和感はあるが,そこそこに妥当なものいいであるかもしれない.しかし,それ以外の進化学者も射程に入っているのだとしたら,エルドレッジの反対論は明らかに「誤爆」あるいは「暴発」に近いものがあると感じる.遺伝子だけで進化現象が説明できるとみなしている進化学者ってふつういないから.戯画化されたターゲットを設定している本書は,「俗受けする反ドーキンス本」と評するのが適当だ.※これで,書評記事の骨子は書けたようなもの.

―― 本書のバックグラウンドにあるエルドレッジの「二元階層論」については,20年前の本:Niles Eldredge『Unfinished Synthesis: Biological Hierarchies and Modern Evolutionary Thought』(1985年,Oxford University Press,ISBN:0-19-503633-6)とそれを踏まえた続編 Niles Eldredge『Macroevolutionary Dynamics: Species, Niches, and Adaptive Peaks』(1989年,McGraw Hill,ISBN:0-07-019474-2)を参照.それから,未見だが,Marjorie Grene との共著:Niles Eldredge and Marjorie Grene『Interactions: The Biological Context of Social Systems』(1992年,Columbia University Press,ISBN:023107946X)もある.

◇午後1時から〈統計学〉セミナー ―― データの location 尺度(Chapter 3)をすませ,dispersion 尺度(Chapter 4)に入る.標本分散の不偏性の証明をホワイトボードに書きまくる.久しぶりなので,とても疲れた.

◇明日の年休届を提出./研究推進費での外国出張申請がはねられてしまう(涙).別途資金調達しないと./もう1件の某書類も愉しみがなくなってしまった./進化学会の用事など.

◇今日は打率の低い一日だった.明日は新宿にて所用あり.

◇本日の総歩数=16446歩[うち「しっかり歩数」=7645歩/65分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=−0.1kg/+0.8%.


9 mei 2005(月) ※ 押せ押せ,押す押す

◇午前4時半起床.くもり.12.2度.涼しい.ショスタコーヴィッチ〈7番〉と〈8番〉の連続炸裂.

―― 早朝質問:large tree の viewer をどうにかしないと困ったことになりそう.TreeView は1000 OTU を越えるとダメらしい.PAUP は数千OTU までは大丈夫とのこと.MacClade は?(要確認).

◇InterCommunication ゲラをファクス返送する.修正点は数カ所だけ.

◇某学会の学会賞候補者の選考レポートを作成.隣接しているはずだが畑違いの分野の論文を“評価”せよというのは.

◇晴れた昼休みのプチ歩き読み.気温21.2度 ―― ナイルズ・エルドレッジ『ヒトはなぜするのか』(2005年3月11日刊行,講談社インターナショナル,ISBN:4-7700-2790-7).※ 第2章まで読了.50ページあまり.genealogocal hierarcy と economical hierarchy とを“並立”させて議論を進めるというこの著者のスタイルは本書でも踏襲されているようだ.でも,なんだか方々で「崩れて」いるような廃墟感が漂うのはなぜ.一般向きの本だから?

◇午後1時から〈系統学的考古学〉セミナー(第3回).今回は表形学(phenetics)が中心.考古学の本とはとても思えない,スタンダードな生物体系学風の記述.体系学について多少とも知識があればいいが,すっぴんの考古学者が読んでわかるのかな.午後3時まで.後手後手で講義サイトを更新したりとか.

◇年貢(其の壱)―― 「18日」までに納めることになった(汗).

◇年貢(其の弐)―― 「今週中」に納めることになった(大汗).

◇夕方,学会賞候補者選考レポートを返信する.ある発表の“内容点”とか“将来性”はまだしも,“アピール度”になるととても難しい.「賞」のもつ対外的宣伝効果を考えれば不可欠な要素なのだが.

◇お,進化学会仙台大会関連の雑用が突如発生.暖かくなってくるこの時期には毎年あることなんですけどね…….

◇本日の総歩数=15014歩[うち「しっかり歩数」=4368歩/38分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.7kg/0.0%.


8 mei 2005(日) ※ “神の食べ物”,それは……

◇5時起床.雲が多い空模様.気温は11度台で涼しい.早朝の研究室にて,Ernst Mayr 関連の文献をごそごそ探す.この長命な研究者は方々にその足跡を残していた.

◇この日録にはときどき個人メールでレスポンスがあるのだが,人によって応答基準に個性があるようで.昨夜,広尾の Théobroma に関してメールをいただいた MM さま、どーもです.通りに面した席でいただくアイス・チョコレートがとても美味でございました.ゲヴルツには同郷のよしみでマンステールを,というのは月並み?(ウォッシュ・タイプではなく,シェーヴルでもOK?)

―― 米国科学財団(NSF)がその財力をどの研究分野に配分するかによって,科学研究の動向は大きく左右されてきましたが,生物学分野での NSF の影響を科学史的にたどった本があります:

  • Toby A. Appel (2000), Shaping Biology: The National Science Foundation and American Biological Research, 1945-1975. Johns Hopkins University Press, Baltimore, ISBN:080186321X

この本は未見ですが,調査のスコープをさらに現代に近寄せれば,分類インベントリとか保全生物学そして現在進行形の全生物系統樹プロジェクトも当然含まれてきたでしょうね.※なお,T. Appel は,19世紀初頭の Cuvier-Geoffroy 論争を描いた『The Cuvier-Geoffroy Debate: French Biology in the Decades Before Darwin』(1987年,Oxford University Press,ISBN:0195041380/西村顯治訳『アカデミー論争:革命前後のパリを揺がせたナチュラリストたち』1990年,時空出版,ISBN:4-88267-004-6)の著者.

◇昼のNHKニュース ―― 第二次世界大戦のドイツ終戦60周年記念日の演奏会で,ワレリー・ゲルギエフがショスタコーヴィッチの〈レニングラード〉を指揮したとのこと.演奏時間1時間を越える交響曲だが,金管パートが“倍加”されている点を除けば,基本的には“3管編成”のオーケストラですむ.圧倒的な演奏効果を考えると意外なことだが,シンバル一発で100人くらいのオケは軽く吹っ飛ぶことを考えれば納得できるだろう.いま総譜を見ていてわかったのだが,第1楽章の「戦闘シーン」では金管の主旋律と小太鼓のリズム以外の全楽器が四分音符を杭のようにオスティナートし続けている部分がある.視覚的にも好ましい.※バルトークが〈オーケストラのための協奏曲〉でこの交響曲をからかった理由がいまひとつよくわからない.

◇寝読み ―― 三戸祐子『定刻発車:日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』(2001年2月3日刊行,交通新聞社,ISBN:4-87513-099-6 / ISBN:4-330-68301-6)の後半200ページを読了.日本の鉄道に特有の正確無比な技術がどのように培われていったのかがしだいに明らかになっていく.要するに,より正確であれと社会が求めているからこそ,それに応える技術なりシステムが造りあげられたのだ:

運転士も,車掌も,駅員も,保線員も,非現業部門の社員も,乗客も,代替輸送機関も,マスコミも日本中が一丸となって得られた定時運転である.(p. 252)

ここまで書かれるといささか「予定調和」的に解釈しすぎかとも感じられるが,著者の言わんとする意図はよく理解できる.

何もそこまでやらなくても,と思うかもしれないが,そこまでやるのが日本の鉄道だ.(p. 216)

何の抵抗もなく“すとん”と納得できる.そして,次のくだりは本書の要約だ ――

この国民にして,この鉄道.(p. 160)

もしそうだとすると,今回のような事故を契機として鉄道のあり方について考えるときには,必然的にその矛先は「鉄道会社」だけでなく「利用者本人」にも向けられるということになるのだろう.事故以来の新聞報道が事故原因やその対策という実質的に重要な案件ではなく,どう考えても瑣末的なこと(宴会をしたかしなかったか等々)をほじくり出しているのは,社会一般にとって「鉄道」が企業活動のひとつとして第三者的にとらえられているのではなく,むしろ“家庭内”の身内のしでかした事件のように感じられているからなのではないか.あの事故の遠因はひょっとしたら“自分”にあったのかもという意識の攻撃的反動がJR西日本に向けられていると考えるのはきっと過剰解釈ではないと思う.

◇午後も雲が多く,気温は上がらず.15:06に地震あり(体感震度2くらいか).

◇夜,InterCommunication 原稿ゲラのチェックをする.タテガキに組まれるといつもと調子がちがうなあ.

◇本日の総歩数=3550歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=−0.6kg/−0.9%.


7 mei 2005(土) ※ 雨のち晴れの週末

◇午前5時に目覚めたものの,6時前までごろごろしてしまう.小雨が降り続く.肌寒い.一挙一動の動きがにぶい.

◇進化学会のあれこれ事務が遅れつつあるぞよとの〈殿〉のメール.※不死身か…….おそるべし./続いてハーバードからも遠隔操作っ.ひー.

◇いまになって20年も前のこの本を再び開くことになろうとはね ―― 日本科学者会議(編)『オーバードクター問題:学術体制への警告』(1983年12月1日刊行,青木書店,ISBN:4-250-83039-X→目次).※この本が出た当時はまだドクターコースにいたので,危機感をもって読んだ記憶がある(書き込みをたどると「1984年3月13日」にイッキ読みしたようだ).もちろん,その時代に“オーバードクター問題”が深刻化していたことは同世代ならば誰でも知っていたことだ.だからといってお手軽な解決策があるはずもなく,予想されたコース通りぼくも5年半の“オーバードクター”を経験することになった(いまハーバードにいる某学会長には,「みなかさん,短くてよかったですねー,ワタシは6年やりましたよ」と慰められた?のですが).

当時の“オーバードクター問題”と,いま遅まきながら表面化しつつある“オーバーポスドク問題”では,問題状況(「母集団」の規模,大学院教育政策のあり方,法人化に伴う変化)が大きく異なっているので,いちがいに同列の論議を進めることはできないだろう.ただし,この本にはさまざまな“統計データ”が載っており,それらを踏まえた論議なり提言は説得力があった.いまの“オーバーボスドク問題”に関して,本書のように議論のための基礎情報を含む資料は出版されているのだろうか? ここ数年,国内で出版されている新刊情報はほぼ漏れなくチェックしているが,新聞や雑誌での報道以外でそのようなオーバーポスドクをめぐる“社会問題”をテーマとする本に遭遇したことはまだない.

1980年代に学生や院生だった世代は,もしうまく大学で生き続けていれば,その多くは現役の教員として後進を指導している立場にいまあるだろう.いまの“オーバーポスドク問題”をどのように解消していくのかは別として,少なくともかつての“オーバードクター問題”を身近に経験した〈語り部〉として,当事者あるいは関係者あるいは傍観者だった自らの経験をいまの学生や院生に語りつぐ必要(あるいは義務)があるだろうとぼくは思う.

◇午前いっぱいは降ったり止んだりしていたが,低気圧が通り過ぎた昼前には晴れ間が広がってきた.気温はなお低めに推移.

◇USBカードリーダーを入手(SANWA ADR-MSDU2) ―― 携帯電話の miniSD からパソコンに画像を転送するため.USBメモリースティックと同程度のサイズなので携帯性よし.

◇夜,『InterCommunication』誌のゲラがpdfで届く.明日中にチェック.

◇本日の総歩数=4013歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|×.朝○|昼○|夜○.前回比=−0.3kg/+0.8%.


6 mei 2005(金) ※ とっても〈灰〉な金曜日

―― そのまま6日に突入.いやはや.学生や院生だった頃は“徹夜”などということは1度もほとんどしたことがなかったのに,勤め始めてからはこういうことがたまにある.作業量は増えているのに,処理能力は逆に低下しているからだと理解しているのだが.まあ,朝まで寝ないというのは生体リズム的にほぼ不可能なので,夜中のどこかの時間帯に“仮眠”するという手をいつも使っている.今夜は1時半までとりあえず原稿を書き,そのあと4時まで瞬間爆睡.また起きて午前7時まで原稿を書く.

◇いったん帰宅.気温12.4度.曇って肌寒い.風呂に入ってから,9時過ぎにまたピストン出勤.※何やってんだろーねえ,ワタシ.

◇気温13度台.ほとんど上昇していない.風が冷たい.

◇また原稿書き ―― 正午前にやっと擱筆.テキストファイルで19KBあまり(400字詰にして25枚ほど):三中信宏「新たなる〈系統学革命〉の波:普遍的思考としての生物進化について」,InterCommunication,No.53(2005年5月27日発売予定).早田文蔵の動的分類学と多次元ネットワークに関する文章はあとで使えるだろう(「第4章」に).

NTT出版の編集部に原稿と図版をメールで送り,とりあえず一件落着し,ワタシは〈灰〉になって,風に飛ばされる…….実際の作業時間で割り算すると,400〜450字/時という平均執筆速度になってしまうなあ.※なかなか「流れるがごとく」という境地には達しません.淀みっぱなし.

◇今日はもう仕事になりまへんなあと油断した一瞬のスキを突いて,次なる督促メールが届く.※ひょっとして共謀してるんちゃうやろねえ???(ぎしんあんき)

◇ちょっとだけ現実逃避っ ―― 河合良訓監修・原島広至著『脳単(ノウタン):語源から覚える解剖学英単語集』(2005年4月15日刊行,エヌ・ティー・エス,ISBN:4-86043-075-1).※また出たかっ! 昨年出たシリーズ前著2冊『骨単(ホネタン)』(2004年3月22日刊行,エヌ・ティー・エス,ISBN:4-86043-050-6)と『肉単(ニクタン)』(2004年9月30日刊行,エヌ・ティー・エス,ISBN:4-86043-060-3)に続く濃い本.S. L. Tuxen の昆虫ゲニタリア本(『Taxonomist's Glossary of Genitalia in Insects』,1970,Munksgaard)もこんな感じにしてくれれば,もっと覚えやすかったんとちゃう?(ねえ) ちなみに,第4弾は『臓単(ゾウタン)』だそうな.ホネ→ニク→ノウの次はハラワタですね.ほー.

黒田龍之助『羊皮紙に眠る文字たち:スラヴ言語文化入門』(1998年12月20日刊行,現代書館,ISBN:4-7684-6743-1).※キリル文字の歴史.はい.とても楽しいです.

本とコンピュータ・第二期14号』(2004年12月10日刊行,トランスアート,ISBN:4-88752-192-8).※特集〈日本人の読書習慣:消えたのか? 変わったのか?〉/『本とコンピュータ・第二期15号』(2005年3月10日刊行,トランスアート,ISBN:4-88752-193-6).※特集〈出版再考:このままでいいのか,わるいのか.それが問題だ!〉.『本コ』は第一期からすべて揃えているが,あと1号で終わるというのはちと寂しい気がする.

◇曇り空で風が強め.雨の予報だったが,午後3時の時点ではまだ降り出していない.

―― しかし,午後4時前には冷たい雨が降ってきた.今日は半袖だとやや寒い.

◇来週末に予定されている東京農大・昆虫資源学研究室の“新歓採集会”(いいねえ)に参加を申し込む.場所は〈丹沢ホーム〉.季節的にもよさそうだし,こういう機会でもないと研究室の面々に接することがないだろうし.

◇日本動物分類学会和文誌『タクサ』に寄稿する原稿用の資料を準備.〆切までまだマイナス17日もある(汗).同誌で故 Ernst Mayr 追悼特集を組むということで,1960年代〜1980年代にかけての進化分類学と他学派との「20年戦争」について総括してほしいとの依頼.体系学の近現代史については,科学史からの新しい研究成果がいくつか発表されているので,この機会に利用させてもらおう.Ernst Mayr についてはこれから“山”ほど記事や伝記が出るにちがいない.

◇寝不足でゆらゆらするので,早々に退散〜.

◇夜,いくつか論文を読む.1990年代の「系統学革命」について,David Hillis は Science Citation Index の検索機能を利用して,1989年を境にして〈phylogeny〉あるいは〈phylogenetic〉をタイトルに付けた論文が急増したと書いている ――

  • Hillis, D. M. 2004. The tree of life and the grand synthesis of biology. Pp.545-547 in: J. Cracraft and M. J. Donoghue (eds.), Assembling the Tree of Life. Oxford University Press.

Hillis が得た結果では,1990年から2001年の間でヒット論文数にして「ほぼ20倍」の増加があったという.3月に静岡であった植物病理生態研究会で講演したとき,上の記事を引用して「系統学革命」について講演の最後で言及したのだが,急増した「内容」の分析が必要なのではと思っていた.どういう分野で〈系統〉というキーワードが流行ったのかという点だ.

きのうたまたま目にした進化発生生物学史の論文に関係しそうなことが書かれていた:

  • Holland, P. W. H. 2004. The fall and rise of evolutionary developmental biology. Pp. 261-275 in: D. M. Williams and P. L. Forey (eds.), Milestones in Systematics. CRC Press, Boca Raton.

Holland は 上の Hillis とまったく同様に Science Citation Index で〈(evolution* OR phylogen*)AND (development* OR embryo*)〉というキーワードでタイトル検索したところ,やはり1990年を境にして,ヒットする論文数が急上昇していることを示した(p. 265, fig. 11-1).1990年と2001年で年間ヒット数を比較すると「4倍強」という伸び率だ.発生生物学でこの倍率なのだから,“系統樹汚染”がもっと広く深く浸透しているはずの生態学業界で倍率がさらに高いだろうと推測される.実にめでたいことだ.

◇本日の総歩数=10730歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|○.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.2kg/+0.1%.


5 mei 2005(木) ※ お籠り連休最終決戦

◇午前5時前起床.雲が多い.気温14.7度.研究所へ.昨日の続きを.

場所を変えて,地下書庫に潜入.蔵のごとく真っ暗な書庫の一隅で PowerBook を開く.なごむ.※けっして和蝋燭を灯したわけではない.

【欹耳袋】 ―― 昨日の『創作童話:博士(はくし)が100にんいるむら』の元データに関するメモ→〈「博士が100人いるむら」のオチはマジなのか?〉.※id:contractioさん,情報ありがと.

◇地下蔵で2時間ほどごそごそしていたが,古書にまつわり憑いたアヤシいものどもが近寄ってきそうなので(きゃ),居室に戻る.なお書き続ける.※いつ終わるん?>ぼく

―― 午後6時にいったん退却〜.※夜は長いぞ(T_T).

―― 午後9時半に今日3回目のご出勤.直前に督促あり(憎たらしいほど good timing).

◇夜なべ原稿を書きつつ,日が変わった.[0:02]

◇本日の総歩数=11146歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|○.朝○|昼−|夜△.前回比=−0.2kg/+0.5%.


4 mei 2005(水) ※ お籠り連休後半戦

◇5時半起床.爽やかな晴天.研究所にて原稿書き.※遅れてすみません.

◇お昼にいったん帰宅.気温は20度をすでに越えている.ぽかぽか.

【欹耳袋】 ―― わ,なんというブラックな …… 『創作童話:博士(はくし)が100にんいるむら』.どことなく“小小作品”みたいなキャラクターたちがストーリーの冥さをよりいっそう際立たせている.

おとといの読売新聞記事(〈博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難〉)は反響がとても大きいですね.関係者・関心者は,みんな,早晩こうなるだろうということを予想していたわけだけど.

◇午後,再びお籠り中.まだ終わらず…….

◇クニエお姉様,「UPU」追加情報,感謝至極にございます.

◇強い西日が居室に差し込む夕刻近く,室温は28度に達しそう.東に面している向かい側の別室に避難し,原稿書きはなお続く.まだ続く.もうすぐ午後6時.

◇夜も書く書く.

◇本日の総歩数=5413歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].全コース×|○.朝○|昼○|夜△.前回比=+1.2kg/−0.6%.


3 mei 2005(火) ※ ふらり広尾へ

◇5時起床.薄曇り.研究室にて,貸し会議室メーリングリストの期間延長処理とか,登録アドレス変更とか,まあこまごまと.※原稿〜(汗).

◇所用にて東京にふらりと ―― Chaource を買いに広尾のナショナル麻布マーケットまで.Saint Moure のシェーヴルもついでに.半額だった Brin de Paille (Lanquetot)とか.Théobroma のオープン・テラスでチョコレートを味わったりとか.

◇行きの車中にて,日垣隆『売文生活』(2005年3月10日刊行,ちくま新書523,ISBN:4-480-06223-8)を読了:第3章「標準としての夏目漱石」/第4章「トップランナーたちの憂鬱」/第5章「貧乏自慢もほどほどに」/第6章「現代日本の原稿料事情」/終章「お金も自由も」.立花隆のはちゃめちゃ文筆経済のことなどエピソードはふんだんに盛られているのだが,全体として誇張も粉飾もない等身大の「書き手」の人生設計みたいなものについて知ることができる.

◇からっと晴れ上がる五月晴れ.

◇帰りの車中にて,岡崎武志『古本生活読本』(2005年1月10日刊行,ちくま文庫,ISBN:4-480-42043-6)を読了.小川文代『みみずの観察』(1944年,創元社)という古書への言及がある(pp. 153-156).みみずを研究した女性科学者といえば,『ミミズのいる地球:大陸移動の生き証人』(1996年4月25日刊行,中公新書1298,ISBN:4-12-101298-4)の著者である中村方子さんがすぐに思い浮かぶ.研究上の直接的なつながりはなかったようだが.蚯蚓に惹かれる女性たちとは,いったい?

◇明日,明後日はひたすら原稿書き.

◇本日の総歩数=11303歩[うち「しっかり歩数」=2373歩/25分].全コース×|△.朝○|昼○|夜△.前回比=−0.3kg/−0.3%.


2 mei 2005(月) ※ 煮詰める……

◇午前2時半に起床.昨夜からの雨は降り続いている.気温17.6度.研究室に閉じこもる.こういう状況では,鬱屈した(させられた)ショスタコーヴィッチの交響曲第4番が実にふさわしい.※おお,炸裂する6管編成(マーラー並みに巨大過ぎ……).Skorskiから出ている総譜をさっそく買わないと.

◇煮詰める明け方.雨はもうあがった.朝イチで歯医者(治療完了).

◇日が昇るとともに湿度が増す.歓迎されざる天気.晴れたり曇ったり.

◇新刊メモ ―― 『18世紀ドイツビールの博物誌:完全なるビール醸造家』(2005年近刊,関西大学出版部,ISBN:4-87354-411-4).※こういうテーマの本は見逃せない./吉田和彦『比較言語学の視点』(2005年4月刊行,大修館書店,ISBN:4-469-21295-4).※前著『言葉を復元する:比較言語学の世界』(1996年3月1日刊行,三省堂,ISBN:4-385-35714-5)を読んだのはもう10年前か./船曳建夫『大学のエスノグラフィティ』(2005年4月刊行,有斐閣,ISBN:4-641-07698-7).※駒場本がまた1冊.「駒場」って“大学劇場”の舞台として定着しつつあるのか.

◇わけあって,Simon Conway Morris『Life's Solution: Inevitable Humans in a Lonely Universe』(2003年,Cambrodge University Press,ISBN:0-521-82704-3 [hardcover] / ISBN:0-521-60325-0 [paperback]).ヒトは進化の“偶然の産物”などではなく,限られた「解」への収斂進化(convergence)の結果として必然的に生じたものだという主張.収斂進化のさまざまな事例がコンパイルされている(巻末には他のインデックスと並んで「収斂進化索引」までついている).本書は〈CHOICE Outstanding Academic Titles 2005〉を受賞したという.※講談社から翻訳が出版されることになっている(今年中に).

◇天気は回復したが雲が多く蒸し暑い.正午の気温25.1度(夏日).昼休みの歩き読み ―― 三戸祐子『定刻発車:日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』(2001年2月3日刊行,交通新聞社,ISBN:4-87513-099-6).※あのような大きな列車事故が起こってしまったいま,おそらくもっともタイムリーな読書だろう.ぼくはハードカバー版をもっているが,このたび文庫にも入ったということなので(2005年5月新刊,新潮文庫,ISBN:4-10-118341-4),しばらくの間は書店店頭のよく目立つ平台に並べられるのではないだろうか.

第4章まで読み進んだのだが,日本の鉄道運転技術の正確さ(とそれを支える上から下まで一貫したシステム)は“すごい”のひとことに尽きる.とくに,第4章「驚異の運転技術」に引用されている旧国鉄運転士の証言は,単に機械的なテクニックだけではない,国鉄一家相伝のワザの伝承をうかがわせる:

「運転区間は東京〜新大阪間で,停車駅の名古屋・京都・新大阪はプラスマイナス五秒以内,停車位置はプラスマイナス一センチ以内の許容しかなかった」……「一見したところ大変きびしいようであるが,運転士はつねに速度・時間・次駅までの距離を計算しながら運転しているので,通常でも特別な事情がない限り,誰でもほぼこの範囲内で運転している」(p. 119)

さらに印象に残るくだりがある――

運転士になるためには,運転理論の習得や,微妙なブレーキ扱いの修得など,越えなければならない大きなハードルもあるが,新人の育成にあたる研修センターによれば,脱落者は四百人に一人程度と稀である.そこでは「一秒違わぬ」運転を目指して“地獄の訓練”をしているのでも,“スパルタ教育”をしているのでもない.先輩から後輩へと,誰もが当たり前のように,精緻な運転技術を身に付けてゆくのだ.(p. 128)

単に「上から命令された正確さ」ではなく,かつての工場生産ラインにおける〈QC運動〉を髣髴させる「下からの自発的な改善」による運転技術の加速度的向上と維持が保たれていたということだろう.本書に記録されている数々の伝説的エピソードは世界的に見て驚異的な運転技術が日本ではごく当然の日常的風景であったこと,そして社会一般がそれを当然のものと期待していたことを再認識させる.

◇午後,姫路工業大学兵庫県立大学の美濃くんがふらりと来室.いろいろと話や情報を仕入れる.三田での“元祖 Flying Professor”のこととか.

◇やっと Mac 版の R 2.1.0 の実行ファイルが配布開始となった.さっそくダウンロードする.Windows 版よりもハードルが低かった.

◇本日の総歩数=18314歩[うち「しっかり歩数」=8402歩/71分].全コース×|×.朝○|昼○|夜△.前回比=+0.2kg/0.0%.


1 mei 2005(日) ※ カンヅメな月はじめ

◇5時半起床.晴れのち曇り.花水木が満開.|昨日の続き.うーむ…….

◇ごそごそと研究所に出向き,メーリングリストに月例メッセージを送ったりとか,いろいろと.※誰が見ても「現実逃避」な行動パターン.

◇〈EUREKA SEVEN〉―― 子どもは好きかも.むしろ,〈仮面ライダー響鬼〉の方がいいなあ.とくに BGM の打楽器アンサンブルがね.5オクターヴのマリンバ2台(ときどきヴィブラフォンも)の掛け合いパッセージは心惹かれるものがある.映像とかストーリーはどーでもいいけど,音響効果は注目.ほとんどオタクな楽しみ方.※あ,やっぱり「逃避」している.

◇雲がかかる蒸し暑さの中,逃避的歩き読み:日垣隆『売文生活』(2005年3月10日刊行,ちくま新書523,ISBN:4-480-06223-8).序章「私的売文生活入門」/第1章「原稿料とは何か」/第2章「幸せな黄金時代」まで読み進む.これだけあからさまに“お金”の話をされるとスッキリする.原稿を書いてお金をもらったことのある人は必読です.

―― 思い起こせば,ぼくが最初に「原稿料」というものをもらったのは,1985年(27歳)のときだった.学位をとってぶらぶらしていた頃,何の前触れもなく『AIジャーナル』なる雑誌の編集部からいきなり連絡があり,「生物分類学に関する連載をお願いしたい」との執筆依頼.ちょうど『生物科学』への総説記事(1985年)が掲載された直後で,書くべきネタはまだまだあったので即OKした.担当編集者の方(田柳恵美子さんというお名前だったと記憶している)が研究室に来られていろいろと打合せを進める中で,「いったいどなたの紹介で私に声がかかったのでしょうか?」と訊いたところ,「柴谷篤弘先生からご紹介いただきました」とのこと.おそらく直前に出た『生物科学』の記事を見たのがきっかけなのだろうと推測している.「おそらく」という表現をつかったのは,ぼくは現在に至るまで“柴谷篤弘”という人と実際に会ったことは一度もないからだ.どこの馬のホネとも知れない院生に原稿仕事をまわしてくれたビッグネームに対する感謝の念はいまも忘れてはいない.

結局,『AIジャーナル』には〈生物分類学の復権〉というタイトルで,隔月6回の連載を書かせてもらった.個人的には「え!」というほど多額の原稿料が銀行口座に振り込まれたときは小躍りしたものだ.毎回400字詰にして10枚ほど書いて,3〜4万円くらいの稿料だっただろうか.単価にして3000〜4000円/400字ということになる(『売文生活』に書かれた“相場”からいえば,けっして破格ではなかったことを知ったのだが).

ちなみに,この『AIジャーナル』という雑誌は今はもうないが,発行元の「株式会社UPU」は,柴谷さんが主催した〈構造主義生物学に関する大阪会議〉の運営にも深く関わっていた.この会議のプロシーディングズは吉岡書店から出版されている(『生物学にとって構造主義とは何か』1991年,吉岡書店,ISBN:4-8427-0238-9).

◇午後,心機一転の剃髪散髪.刈られつつ読了:志賀夘助『日本一の昆虫屋:志賀昆虫普及社と歩んで,百一歳』(2004年7月10日刊行,文春文庫PLUS,ISBN:4-16-766077-6).渋谷の青山通りに面している志賀昆虫普及社には,駒場にいた頃はときどき行ったことがある(微針を買いに).意外なことに,創業者・志賀夘助は,幼い頃は昆虫採集などをしている余裕がまったくない経済状態だったと書いている.生活のために東京に出て,いくつかの職業を渡り歩き,昆虫標本商のもとで修行したことが「昆虫」への開眼だったそうだ.少なくとも20世紀前半は,「昆虫採集」という行為が“殿様生物学”と密接につながっていたと著者は言う:

食べるのが精いっぱいだった時代です.虫ごときに大金をかけて集めるなんてことは,一般の人たちには考えられなかったと思います.
 一般の人たちの虫けら扱い
 一部の人たちの貴族趣味
そのギャップは非常に大きく,私にはなんともはがゆいものでした.(p. 112)

昆虫普及のための会社を設立する動機はここにあったわけか.

―― またまた思い起こせば,実家がまだ深草にあった頃,勧進橋の近くに親戚(父親の姉)がいて,その連れ合いが剥製や標本を製作する仕事を長くしていた.小学校に入る前に何度かその家に行ったとき,たくさんの剥製標本そして貝殻のコレクションを見せてもらったことがある.こういう仕事が世の中にはあるのだとわかっていたのかいなかったのか.後に,その貝殻コレクションの一部はぼくがもらい受けて,宇治の実家に保管されている.

◇夜になって,雨がざあざあ降り出す.うっとおしい.

◇物理的カンヅメになると,精神的脱出をはかってしまう....

◇午後10時過ぎに早々と就寝.明日は超早起きの予定.

◇本日の総歩数=8674歩[うち「しっかり歩数」=4273歩/37分].全コース×|×.朝○|昼△|夜○.前回比=0.0kg/+0.4%.


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