エドワード・O・ウィルソンは,1975年に出版された大著『社会生物学』の著者として,その後の20年間に及ぶ「社会生物学論争」の中心(標的)であり続けた.日本にも社会生物学とその論争の“洗礼”をさまざまな程度で受けた世代の研究者たちがいる.本書は,現代進化学における一大事件であるこの論争の全体像を当事者たちへのインタヴューやさまざまな内部資料を踏まえて描き出した労作である.その頁数と価格に怖じ気づく読者はきっと少なくないだろう.しかし,少なくとも社会生物学を中心とする現在の進化生物学のある領域のたどった歴史を知る上で本書は〈必読書〉であると確信する.ほかの本を読んでもけっしてわからない「内々の個別的事情」とか「底流としての人間関係」がこの本には書かれている.だから読むしかない.
全体は三部に分かれている.第1部「社会生物学論争で何があったのか」は,社会生物学論争の歴史叙述(historiography)である.そして,この歴史をふまえて,第2部「社会生物学論争を読み解く」では,長年にわたる論争を支えてきた科学者たち深層動機,そして科学が動くしくみを探ろうとする.さらに第3部「科学をめぐる闘いの文化的な意味」では,社会生物学論争から一般化できる,「科学」との関わり方についての著者の見解が述べられる.
まずはじめに,第1章「真理をめぐる闘いとしての社会生物学論争」では,全3幕構成“オペラ”に見立てた論争の経緯の脚本とキャスティングが示される.
第2章「社会生物学をめぐる嵐」と第3章「衝突に突き進む同僚」は,E. O. Wilson が大著『Sociobiology』を出版した1975年直後に勃発した闘いを記述する.とくに,著作のもつ政治的意味合いに関して極度に鈍感だった Wilson と,対照的にそういうことに関して極度に敏感だった〈人民のための科学(SftP)〉グループ(とくに中心的役割を果たした Richard Lewontin)との間の緩衝なき正面衝突について詳しく書かれている.例の「水掛け事件」も登場する.30年前のこの論争が始まった頃は,ぼくはまだ大学入学直後で,農学部に進学してから初めて『Sociobiology』輪読会に参加した.あの敷石のように四角くて重い本を抱え歩く光景が日本のいたるところで見られたと聞いている(思索社からいささか時期遅れの翻訳が出る前のこと).もちろん,SftPの活動も聞き知っていて,『Biology as a Social Weapon』という本のコピーをもっていた(セーゲルストローレ本でも言及されている初期のアンチ社会生物学文献).SftPの実質的指導者が Lewontin だったことを本書で再認識した.
第4章「英国派とのつながり」を読み進む.William Hamilton が包括適応度の論文を Journal of theoretical Biology 誌に載せるまでの悪戦苦闘ぶりが描かれている.彼は,群淘汰説礼讃の当時のイギリス生物学界の中で,徹底的に冷遇され続けたとか.生物系であるにもかかわらず,なぜLSE(London School of Economics)の社会科学研究室に在籍しなければならなかった理由とか,その後に移籍した University College の Francis Galton Laboratory(あのJTB論文はここの所属から書かれたと記憶している)でも机ひとつもらえなかったこととか.E. O. Wilson の『Sociobiology』の最大の功績のひとつは,埋もれた Hamilton をよみがえらせたことにあると著者は書いている.
William Hamilton のJTB論文(1964)は,その独特の数式の「表記に用いられる白丸と黒丸の区別がはっきりつかないタイプライターを使っていた」(p. 106)ので,査読した John Maynard Smith は放り出しそうになったそうな.Hamilton 論文を一度でも見たことのある読者ならば,著者が言わんとしていることがよく理解できるだろう.あの論文を第1部と第2部に分割するように指示したのは Maynard Smith らしいが,そのあたりの事情はすこし微妙なものを含んでいるようだ.Hamilton のケースは確かに不遇ではあったのだが結果的にはハッピーエンドだったのかもしれない.それに比べると共分散公式で知られる George Price の場合はもっと天才的かつ悲劇的なケースだったのだろう.木村資生の中立説本の出版にあたっては Maynard Smith がケンブリッジ出版局に対して強力にプッシュした話とか(p. 103),Karl Popper は社会生物学のテスト可能性に関してほとんどボケたような返事しかよこさなかった話とか(p. 125),第4章はエピソードにこと欠かない.
ここまでのところ,よく訳してあると感じるが,雑誌誌名まで翻訳してしまうのはやり過ぎだろう.〈理論生物学雑誌〉(p. 90)はすぐ同定できるからいいとして,たとえば〈季刊生物学評論〉(p. 92)とか〈行動科学と脳科学〉(p. 46)という誌名が,それぞれ〈The Quarterly Review of Biology〉と〈Behavioral and Brain Sciences〉に対応していることが即座にわかる人はあまりいないんじゃないか.そういう翻訳方針で徹底するなら,〈Science〉と〈Nature〉も,同様に,〈科学〉とか〈自然〉と訳してあるのかといえば,これはカタカナ誌名のままだし(不徹底).本書の想定される読者層は決して一般読者ではなく,むしろそれなりの背景知識をもった読者だろうということを考えると,誌名(そして書名)を悩ましく訳されるくらいだったら原語のままの方がむしろよかったと思う.
続く第5章「社会生物学の秘められた背景」は,E. O. Wilson と同時代に活動を始めた Robert Trivers が主役を演じる.Maynard Smith の血縁淘汰理論とTrivers の互恵的利他主義が当時の動物行動学の研究者コミュニティーの中で「雪崩」のごとく思想的転向を押し進め,結果として「集合的過程」(p. 145)とも呼べる現象が社会生物学を一気に前面に押し出したと著者は言う.この章では,1970年代の『Sociobiology』出版前後におけるアメリカとイギリスにまたがる進化学の流れの趨勢を総括する.とくに,結果として『Sociobiology』の起こした衝撃波に消し飛んでしまった同時代の近縁著作(たとえば,Michael T. Ghiselin『Economy of Nature and the Evolution of Sex』1974 など)にも言及されていて,Wilson ただひとりが「総合」を成し遂げたわけではないという点が強調されている.
本書が描き出そうとしてる「学問の流れ」のオモテとウラを論じることは,何よりもまず情報源にアクセスできるということがもっとも重要なことなのだろう.著者は,社会生物学が立ち上がりつつあった(そして論議がもっとも沸騰していた)1980年代はじめから,関係者に対する個人的な接触を通じて,この学問分野の系譜をずっと「観察」してきた.そのスタンスのもちようは,体系学の現代史と体系学者の抗争を記述した David L. Hull の『Science as a Process』に通じるものがある.もちろん,実際に「身をもって体系学してしまった」Hull に比べれば,あくまでも観察者としての身分を堅持した本書の著者は体温差があるのかもしれない.しかし,ここまで読んだ範囲では社会生物学の三十年に及ぶ歴史が生き生きと描かれていて,この分野の成り立ちに少しでも関心をもつ読者にとっては必須文献のひとつと言わなければならないだろう.
Lewontin や Gould らによる猛反撃は次章以降のテーマだ.次の第6章「適応主義への猛攻:遅ればせの科学的批判」では,社会生物学にバクダンを投げた Gould & Lewontin (1979)の有名な〈スパンドレル論文〉をめぐる大騒ぎを鑑賞する.そのバクダン:S. J. Gould & R. C. Lewontin 1979. The spandrels of San Marco and the Panglossian paradigm(Proceedings of the Royal Society of London, Series B, 205: 581-598)は,ダイレクトには当時の the adaptationist program に対する攻撃だったわけだが,それに重なるように,公的なインパクトを狙っての演技からごく私的なレスポンスを含意する主張まで,幾層もの衝撃波が伝播していったと本書の著者は指摘する.この〈スパンドレル論文〉のもつ種々のレトリック的要素については,400ページの論文集:Jack Selzer (ed.) 1993. Understanding Scientific Prose(A Badger Reprint, The University of Wisconsin Press, Madison, xvi+388 pp., ISBN:0-299-13904-2)まるまる1冊がその分析に当てられているほどだ(こんな事例は他に聞いたことがない).しかし,本書の著者は〈スパンドレル論文〉のテクストがもつ修辞テクニックそのものよりは,むしろその論文が同僚科学者たちによってどのような科学的内容をもつペーパーとして読まれたのかという点に注目する.個人的には,著者は健全なスタンスを堅持していると感じた.Gould & Lewontin がレトリックとして存分に駆使した,王立協会のモットーたる〈Nullius in verba〉の解釈をめぐる弁舌,そして〈パングロス〉を戯画的に演技させるその脚本は,それに先立って Gareth Nelson が使った手でもあったと以前 Systematic Zoology 誌の誰かの論文で見た記憶がある(詳細は失念してしまった).確かに,1996年に自費出版した three-item analysis に関する小冊子はまさしく『Nullius in Verba』というタイトルが付けられていたのだが(G. Nelson 1996. Nullius in verba. Published be the author, 24 pp.).
第7章「淘汰の単位と,文化との関連」および第8章「批判に適応する社会生物学:『遺伝子・心・文化』」を読了.第7章の中心テーマである〈unit of selection〉論争に関連して,著者はアメリカの[とくにハーヴァードの]全体論(holistic)的な思潮の影響が大きかったという点に注目する.確か,半世紀前のシカゴ大学の生態学派も全体論的という特徴を共有していたそうだが,それと関係があるのかしら.淘汰単位は遺伝子だけではなくもっと階層的に複数の単位があり得るという multi-level selection の話題は,現代ではシンプルに自然淘汰の対立モデル間の選択に関わる論議(model selection)として表面化している.しかし,社会生物学論争が沸き立っていた頃は,もっと哲学的・政治的な文脈のもとで階層的淘汰理論が論じられていたわけで,ルウォンティンやグールドそしてレヴィンスの立論基盤もそこにあったのだろう.エルンスト・マイアのいう「unity of genotype」(「遺伝子型の単一性」[p. 231]と訳されているが,「遺伝子型の統一性」の方がいいかも)もまたこの全体論的思潮に沿っているという指摘は新鮮だ(確かにそうだったのかも).グールドがアンチ社会生物学の文脈で,さらには彼とエルドリッジが断続平衡理論を提唱するときに,繰り返しマイアの「unity」概念を引き合いに出してきたことを思い起こせば,納得できる指摘だ.
続く第8章は,けっきょく和訳されなかったラムズデン&ウィルソン『Genes, Mind, and Culture : The Coevolutionary Approach』(1981年,Harvard University Press, ISBN:0-674-34475-8)をめぐる話.いくつかの書評では徹底的に叩かれたが,文化遺伝子(「カルチャージェン」[p. 272]ではなくって,「クルトゥルジェン」ですね)が提唱された本だった.文化進化モデルをめぐるウィルソンとルウォンティンの「科学的知識」観のちがいが鮮明にあらわれ,モデルを立てることが重要なのだとみなすウィルソンに対して,「科学は証明ずみの知識に基づくものだ」(p. 286)と信じるルウォンティンは徹底的に反論する.それはけっして解消され得ないことが明白な〈メタ〉な信念対立であるだけに,当事者にしてみれば消耗戦だったのだろう.
第9章「道徳的/政治的対立はつづく」は,1970年代の“嵐”の時代が過ぎ,続く1980年代に論議の構造がどのように変貌していったかをたどる.ウィルソンは〈社会生物学〉の最前線から身を引いて,今度は新たな時代を画することになる〈生物多様性〉の大波を作り出すべく尽力することになる(p. 305).社会生物学がらみの論議の舞台は,グールドとウィルソンとの論争に場面を移す.彼らの「長々しいデュエット」の歌詞は本筋から少しずつ的を外しつつも,一般からの注目を集めることになった.
論争が生産的?な山場を越して,退廃期に向かうにつれて,一見「周縁的」な挿話的現象が眼につくようになる.たとえば,当時ぼくもそのウワサを聞いたことがある【Isadore Nabi】の話(pp. 318 ff.).1981年の Nature 誌に載った,ある社会生物学批判レターを書いたとされる【Isadore Nabi】なる人物はいったい誰だったのかという「事件」.書いたとされる本人(Isidore Nabi)からの反論が載ったり,ウィルソンが糾弾したり,偽名を使ったと疑われた[実際には真犯人だった]ルウォンティンの否定発言が掲載されたりという一悶着があった.結局,セーゲルストローレがルウォンティンから「真相」を聞き出し,「事件」の全容は解明された.ここで,注目されるのは【Isadore Nabi】という名称が,現代数学の【ブルバキ】と同じ役割を果たした生物学者の匿名集団だったという事実だ(pp. 321-322).1960年代はじめに結成されたこの“地下集団”には,ルウォンティン,レヴィンズ,レイ・ヴァン・ヴァーレン,L・B・スロボドキンとともに,ロバート・マッカーサー,そして他ならないエドワード・O・ウィルソンが含まれていたという.このエピソードは,ぼくにとってのいくつかの積年の疑問を解決するのに役立った.先立つ第3章で,ウィルソンは著者のインタヴューに答えて,こう語っている:
このグループが【Isadore Nabi】だったのか! ウィルソンは,後に『The Theory of Island Biogeography』(1967年,マッカーサーと共著)という有名な本を書き,その後もジョージ・オスターとの共著で昆虫の社会制進化の理論書,そしてラムズデンとの共著で文化進化に関するモデル本というように,数理生物学者とタッグを組んで本を何冊か書いたわけだが,その基本スタイルの発祥は【Isadore Nabi】にあったと考えていいのだろう.なあるほどねー.
―― この第9章をもって上巻は終わる.この巻を構成する第1部「社会生物学論争で何があったのか」は要するに historiography だ.30年に及ぶ社会生物学論争の経緯を上巻でまずたどったのちに,下巻での「解読作業」に入ろうということだろう.読者によっては,上巻に描かれた historiography さえ読めばそれで十分かもしれないが.
第2巻に突入.第二部〈社会生物学論争を読み解く〉の第10章「批判者たちの心のうち」と第11章「科学の庭園における攻防」読了.60ページほど.社会生物学の批判者たち(「人民のための科学」グループ)の批判の理念と戦略についての論議.とくに,彼らが陥った「道徳主義的誤謬(moralistic fallacy)」が描かれていて興味深い.道徳的・政治的な誤りは必然的に科学的にも誤っているにちがいないという先入観が批判者側に犯させた過誤.とくに,社会生物学者を「プランター(植える人)」,それに反対する批判者を「ウィーダー(抜き取る人)」と性格づけることにより,著者はウィーダーに割り振られた“消防士”的役割あるいは“警察官”的役回りをあぶりだす.
第12章「社会生物学論争の中のハムレットたち」と第13章「伝統の衝突」では,第1部での historiography を踏まえた第2部は,なかなか読み応えのある章が多い.第12章では社会生物学論争の中で“微妙な”立ち位置にあった研究者たちのエピソード.続く第13章では,一方の社会生物学推進派が「ナチュラリスト」的伝統を背景に,現象に関するモデル化や仮説づくりのもつ発見的意義を積極的に認めようとしたのに対し,他方の社会生物学批判派がむしろ旧来的な「実験主義」的伝統をバックにしてナチュラリスト的「ええかげんさ」を叩くという構図が見られたと指摘する:
著者が指摘するこの「ナチュラリスト的アプローチと実験主義的アプローチの対立」(p. 463)は,社会生物学をめぐる推進派と批判派との間に,ほとんど認識論的な断絶に近い状況を生んだ:
第14章「科学の本性についての対立する見方」と第15章「論争につけこむ」は,とてもおもしろい.前章に続いて,社会生物学批判派(ならびに反IQ運動)を率いたルウォンティンの科学観をさらに分析する.実験科学的な方法こそ「善き科学」の本来のあり方だとみなす彼の(そして批判派の)立場からすると,進化生物学や行動遺伝学で実行されているモデルに基づく立論やさらには統計学的な推論まで含めて「容認されざる行為」という判決を下されることになる.これは,事実関係のレヴェルでの違いなどではなく,認識論のレヴェルでの断絶があったのだと著者は言う.
グールドもまたこの点ではルウォンティンと同じ歩調を取る.『The Mismeasure of Man』の中で,彼がIQに反対する論拠の核心は:
グールドがここで批判している,統計手法としての因子分析(あるいはその延長線上にある共分散構造分析)は,潜在因子に基づく統計的モデリングの手法であって,それぞれの因子が「物象化(reification)」されるかどうかはどうでもいいことだとぼくは理解している.しかし,グールドはそれこそが問題であると言う.統計学を知らないはずがない(というか,大学院生の頃から因子分析に通じていたはず)の彼がそういう発言をする真意がよくわからなかったのだが,ルウォンティンの(ならびに批判派に共有されていた)科学観の文脈のもとであらためて考えてみれば確かによく理解できる(というかそれ以外の反論の立て方はなかったとさえ言える).もちろん,ここで批判された心理学者アーサー・ジェンセンが当然の反論をしていることを著者は見逃さない:
批判派は「真の因果関係」(p. 488)を見いだすことに科学の目標を置いたと著者は指摘する.単に,モデルづくりや統計分析では相関関係はわかっても,因果関係には到達できないだろうという見解である.本章の後半で論議されている「還元主義(reductionism)」をめぐるごたごたもまた,批判派が方法としての「還元主義」を存在論としての「還元主義」と同一視したという事実を軸に理解することができると著者は考えている.確かにそうかもしれないね.
第2部の最後にあたる第15章は,社会生物学論争を通して,「最適化戦略家」たる科学者たちの動機づけと収穫物を探っている.推進派にしろ批判派にしろ,科学者たちはその論争を通して「何を得た」のかという点について,著者は推進派は「科学」の領域で利益を得たのに対し,批判派は「道徳」の領域で社会的認知を獲得したと結論する.
この大著の最後にあたる第3部「科学をめぐる闘いの文化的な意味」では,長きにわたった社会生物学論争の意味と意義について,科学社会学の観点から総括する.「社会生物学オペラ」もいよいよ再終幕となった.とくに,科学論争における「道徳的論議」が重要であるという著者の見解が末尾で展開されているのが注目される.単に,1970〜1980年代の「社会生物学」だけでなく,それをとりまく現代進化学の“その後”(たとえばウィルソンの「生物多様性」論の起源とか)を視野に入れた立論がなされている.錯綜したストーリーを無理に解きほぐすのではなく,それでいてこの社会生物学タペストリーを紡ぎだした縦糸と横糸を明快に指し示す著者の力量はたいしたものだと思う.
第16章「社会生物学者とその敵:二五年後の棚卸し」−−この章では,20年に及んだ社会生物学論争の「その後」の知的状況の変化をたどる.1990年代以降のもっとも特筆されるべき変化は,人間そのものを進化的に考えるという観点への「抵抗」がしだいになくなってきたことだと著者は指摘する:
一九八〇年代の終わりに向かうにつれ,科学的発展と歴史社会的発展の両方の影響によって,顕著な風潮の変化がすでに現われていた.人間行動を生物学的に説明することに対する世界大戦後のタブーは破綻したように思われた.(p. 535)
人間行動の説明に生物学的な制約をもち込むことへの文化的な抵抗も比較的弱まっていった.…… 長きにわたった文化主義者と普遍主義者の闘争は,普遍主義者にとって有利な形で解決してしまったように思われる.(p. 536)
推進側を後押しする生物学における知的変化と同時に,批判側にとって不利な政治的要因が二つ重なったことも同時に考えなければならない:
いくつかの歴史的な出来事もまた,批判者たちの立場を弱体化させるのに力を貸したかもしれない.一九八九年[ベルリンの壁崩壊の年]以降,中心的な批判者の一部に見られたマルクス主義的立場は政治的により危ういものになってしまったようで ……(p. 537)
若い世代のポストモダン的関心に照らしてみれば,急進的な社会生物学批判者は,今や時代遅れの真理の擁護者として退けられてしまう危険があった.(p. 537)
つまり,マルクス主義そのものの危機とともに,ポストモダン科学論の擡頭が結果として社会生物学批判者の足を引っ張ることになったと著者は言う.この点については次の第16章で詳述される.
批判派がこのようにぐらつきつつあったようすを横目に,ウィルソン自身は社会生物学を推進した頃の〈Wilson I〉から,生物多様性への愛を伝導する〈Wilson II〉へとさらなる「進化」を遂げた(pp. 538 ff.).この移行は大成功で,政治的にまちがった〈悪い Wilson I〉と比べれば,政治的に正しい〈良き Wilson II〉は急速に学界と社会に受け入れられるようになったという.しかし,それはウィルソンが社会生物学から「転向」したことを決して意味せず,むしろ新たな次元での社会生物学的統一を目指していたのだと著者は言う.その現れが第17章の中心テーマである彼の著書『コンシリエンス[知の挑戦]』(訳書『知の挑戦:科学的知性と文化的知性の統合』)だった.
これらの次なるステージに進む前に,著者は「ウィルソンは何を成し遂げたのか」という疑問に答えて,彼は社会生物学という「分野」を一挙に構築したのだと結論する:
この第16章の中で,ぼくが関心をもったのは,社会生物学を批判してきたルウォンティンと当時新たに発展しつつあった生物学哲学との関わりだ.遺伝子淘汰説に対抗する立場としての提出された Sober & Lewontin (1982) 「Artifact, cause, and genic selection」(Philosophy of Science, 49: 157-170)は,因果過程としての自然淘汰の単位は,必ずしも遺伝子だけでなく,それよりも上のレヴェルにも作用し得るという群淘汰(複数レヴェル淘汰)を主張した.この論文はエリオット・ソーバーがルウォンティンのもとで研究していたときの出力のひとつだ.後に,ソーバーの『The Nature of Selection: Evolutionary Theory in Philosophical Focus』での論議の核になる「selection for」と「selection of」の区別は,もともとルウォンティンとの共同研究が出発点となって結実したものだということに注目したい.同様に,「社会生物学に対する最も厳しい批判者」(p. 550)だったフィリップ・キッチャーの『Vaulting Ambition』(1985年,Cambridge University Press)もまた,ルウォンティンのもとで彼が研究を進めていた時の著作だと言う(p. 551).ルウォンティンには「後進をうまく育てる」力量があったのだ(p. 545).
群淘汰(複数レヴェル淘汰)をめぐる論争には表層と底流のふたつの「流れ」が潜んでいるようだ.この点については,第19章で再び論じられる.※何ともフクザツなことでして.
ポスト社会生物学論争(1990年代)を見渡すこの章には,ほかにも人間行動進化学会(HBES)設立の経緯とか,グールド/ドーキンスの踊る“タンゴ”とか,数多くのトピックスが詰め込まれていて,まとまりが悪い気がする.しかし,それだけ多くの「泡」が生まれ続けた時期でもあったということなのだろう.
第17章「論争による真実:社会生物学論争とサイエンス・ウォーズ」:社会生物学論争と「サイエンス・ウォーズ」との関わりについて論じる.ウィルソンは,グロス&レヴィットの反ポストモダン科学論本『高次の迷信』(1994年)に同調して,科学を擁護する発言をしていたが,社会生物学を推進してきたウィルソンの立場と,反ポストモダン陣営との間には無視できないズレがあった.というのも,反ポストモダニズムはグールドを自分たちの陣営に引き入れたからだ(ルウォンティンは無視された).一方,ポストモダン科学論を推進してきた左翼から見ると,グールドやルウォンティンは「古い世代のマルクス主義者」と見られ,距離を置かれたという.このごちゃごちゃしたストーリーは何とかならないのかな.著者の意図とは裏腹に,社会生物学論争と「サイエンス・ウォーズ」は絡めて論じない方がむしろよかったのではないか.
第18章「啓蒙主義的探求の解釈」は,ウィルソンの著書『コンシリエンス[知の挑戦]』をめぐる話題を集める.諸学問の「統一(unification)」を求めるこの本は:
ヒューウェルにとって,コンシリエンスが異なった科学分野からのさまざまな説明の結合を意味したとすれば,ウィルソンにとってコンシリエンスは,それ以上のものを意味した.それは,知の単一性,それも,とりわけ特定のタイプの単一性を意味した.ウィルソンは普遍的「コンシリエンス」すなわち,知の統合に向けての探求をはるか遠く啓蒙主義の時代にさかのぼって跡づけた.(p. 608)
という.著者は,ウィルソンの主張に沿って,『コンシリエンス』の意味を説いているが,もっと至近的に,それは近代の「統一科学運動(the Unification of Science Movement)」の一環だったという解釈もあり得たのではないか(V. B. Smocovitisのように).動機づけはともかく,ウィルソンが進化学を中核とする諸学の統一を目指していたことは明白だった:
『コンシリエンス』は,実際に,さまざまな形で,自然科学と人文科学が進化生物学の信条のまわりで統一することを強く説いていた.(p. 633)
著者は,ここにウィルソンの社会生物学が目指していたものと「統一科学」との連続性を見いだす.
続く第19章「科学的真理と道徳的真理の緊張関係」では,著者の見解が前面に出されている.著者は科学理論のもつ“道徳的影響”を重視してきた:
自然主義的誤謬といった事柄についてのおしゃべりは学者にとってのもので,自らの生き方の指針を必死になって探し求める人々にとってのものではない.進化生物学が,少なくともこうした種類の推論から身を守る訓練を受けていない人々,あるいはそれに代わるべき確固とした道徳的枠組みをもたない人々にとって,暗黙の道徳的/政治的メッセージをもっていることは疑問の余地がない.(p. 648:訳では「道徳的/道徳的」となっているが間違いだろう)
この認識の上に,著者は進化生物学の戦略を三つに分ける(p. 652):1)科学を価値から切り離す;2)科学を積極的に価値と結びつける;3)望ましい社会的価値をもつような科学をつくる.そして.第3の選択肢の例として,著者は最近の群淘汰モデル(具体的には Sober & Wilson『Unto Others : The Evolution and Psychology of Unselfish Behavior』)を挙げる:
ソーバーとウィルソンの群淘汰への忠誠心は,科学的真理と道徳的/政治的真理の結合というハイパー啓蒙主義的探求の好例かもしれない.(p. 666)
??? 本当にそうか? 最近の「群淘汰」理論の復活が,結果として一部の人々に「大きな慰め」(p. 664)を与えているのは事実かもしれない.だからと言って,それを目指しての理論構築というのはおそらく深読みし過ぎだろうとぼくは思う.しかし,全体として本章には傾聴すべき論点がいくつもある.たとえば,本章で呈示される
科学の潜在的な意味合いをめぐる道徳的/政治的論争をすることがとるべき唯一の方策かもしれない.(p.676)
という主張は,次の最終章での基調となる.
最終章である第20章「魂を賭けた闘い:そして科学の命に懸けて」は,社会生物学論争の全体を「道徳的/政治的」な関心(懸念)をめぐる論争だったと総括する.それは決して否定的意味においてではなく,むしろ積極的意味において述べられている点が著者の見解の特徴だ:
社会生物学論争は,道徳的/政治的懸念に満ちあふれていた.…… しかし,まさしく,道徳的懸念が含まれていたという事実が,社会生物学に有益な効果を及ぼしていたかもしれない.それは,この発展中の分野を,まっすぐな狭い道に保つことはなくとも,少なくともある種の引き綱に−−方法論的・認識論的に−−つなぎとめてきたのかもしれない.(p. 704)
私は,道徳的/政治的懸念が,解消されるべき障害というにはほど遠く,実際には,この分野における科学的主張の創出と批判の両方における原動力であり,そのゆえにこの分野はよりいいものになったということを,主張しているのである.(p. 707)
社会生物学論争の「勝者」はいったい誰だったのか?――著者の言葉は実感が込められている:
社会生物学論争における真の勝者は進化生物学そのものかもしれない.(p. 544)
この大作「社会生物学オペラ」の結末を飾るモノローグとしては実にふさわしいセリフだとぼくは思う.(嵐のような拍手.果てしなく続くカーテンコール,……)
公刊された論文や著書だけでなく,著者自身が関係者から個人的に訊き出したさまざまな内部情報を踏まえて本書は書かれている.「過程としての科学」を生き生きと叙述するために科学論研究者が用いるこの方法はつねに「諸刃の剣」であることを当の科学者たちはよく知っている(本書が「モデル」としたであろう David Hull の『Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science』が“役者”である体系学者たちからさんざん批判されたように).公開されていない情報は,当然のことながら,さまざまな主観的バイアスや意図的選択を受けていることは確実で,そういうことをきちんとわきまえた上で,本書の描き出す“オペラ”の舞台上演のようすを想像することが読者側の姿勢として求められるだろう.オペラの総譜は必ずしも舞台初演と一致しているわけではないのだから.
最後に,これだけの大著をわれわれが日本語で読めるのはほかならない翻訳者の労苦のおかげである.どうもありがとうございました.マイナーなミスがいくつか散見されますが,全体の中で言えばまったく気にならない程度でした.
三中信宏(24/March/2005)