掲載:昆虫分類学若手懇談会会報 『Panmixia』16号(2005年6月30日発行),pp. 12-19.

太田邦昌氏の【真正分類系統学】再考

三中信宏(農業環境技術研究所)



1.はじめに ―― 残響のフェイドアウト,そして封印

太田邦昌氏が逝去して早くも1年が過ぎた.本誌の読者の中でも,太田と同じ年代の研究者層はこれからしだいに少なくなっていくだろう.太田と個人的あるいは学問的な交流のあった世代は今後確実に研究現場から退場していくだろう.この昆虫分類学若手懇談会が30年あまり前に設立された際に果たした太田の役割について知る人は,現在の会員の中でも最上位の年齢層に属する人たちに限られると思われる.しかし,それはそれで当事者以外には別にたいした問題ではない.個人的に影響(プラスあるいはマイナスの)を受けたとか,研究上の利益(文献,情報,紹介など)を得たという経緯は故人に関わりのあった人それぞれに異なっているだろう.そういうものすべてをひっくるめて,故人に関わる私的な追憶は年月とともに薄れていく.

伝記でも自叙伝でもあるいは追悼記事でもいいが,ある個人に関する回顧が,単に私的ではないもっと一般的な意味合いをもつのは,その記述が当事者(本人とそれを取り巻く関係者たち)がどのような学問上の文脈に埋めこまれていたかが述べられているときだろう.太田がその研究活動の中でやろうとしたことや話したり書いたりしたことを当時の文脈の中に置くことにより,ある研究分野のたどった道筋が初めて見えてくるだろう.さらにいえば,そのような道筋の先端に位置する現在の[若手]研究者世代にとっても,この若手懇談会の「いま」を知るうえで多少なりとも得るものがあるのではないかと思う.

若手懇談会の創立当時に関することは鈴木邦雄氏が別記事として書いている.また,太田の進化理論とりわけ階層的自然淘汰説については粕谷英一氏が詳しく書いている.以下では,太田が関心をもったもうひとつの分野である体系学に関するまとめをしておこう.ただし,太田の体系学に関する理論が1980年代にどのように成長していったかについては別の記事として書いたので(三中 2004),本稿では太田の体系学理論そのものに焦点をしぼることにする.とくに,太田の〈真正分類系統学〉の核心である「単一派生共有形質」を検討を中心に据えたい.

2.理論体系学の近現代史 ―― 数学・統計学・哲学のハードルは越えられたか

太田が生物の分類学や系統学に関してどのような見解を表明していたかを少しでも知ろうとするならば,15年前の彼の主著(太田 1989)をあらためてひもとく以外に道はない.しかし,昔も今も体系学をめぐる理論的論議あるいは哲学的考察が決定的に欠如している日本の学界においては,残念ながら太田のたどった道に少しでも関心をもつ体系学者は,世代を問わず,ほとんどいないのではないかと私は推測する.そういうことは結局は国による学問文化や導入経緯のちがいなのだから,ここでどうこう言ってもしかたがない.

しかし,日本国内の体系学の思想的状況とはまったく無関係に,世界的に見れば体系学の理論や方法は分子系統学が擡頭するはるか以前から活発に論じられてきた.分類体系構築をめぐる1960〜70年代の学派間戦争,1980年代以降の分岐学に関わる哲学論議,そして1990年代の分子系統推定にともなう統計学派の出現と論争,そして最近ではPhyloCodeをめぐる命名規約の議論など,分類から系統にいたる体系学のさまざまな領域で理論的かつ哲学的なやり取りが,世界的に見れば,絶えず生じそして話題と対立と遺恨を残していった.日本の国内がどうであれ,関心をもつ研究者は必要に応じて世界に出て行けばいいわけだし,インターネットの普及した現在では国内外の物理的あるいは心理的隔たりは大きく狭まったといえる.

太田は,研究活動を本格的に開始した1970年代以降,理論生態学をはじめ集団遺伝学や自然淘汰理論など,生態学と進化学の理論面への関心を一貫してもち続けてきた.1980年代後半から見られる理論体系学への太田の興味(たとえば太田 1988, 1992)もその延長線上に位置づけることができるだろう.もちろん,太田の体系学への関わりの萌芽はそれ以前からあった.それを見るためには,理論体系学の歴史を概観しておくのがいいだろう.

論理実証主義が諸学問分野の統一を目論んだ余波は生物分類学にも及んだ.1930年代〜1950年代にかけて,J.H. Woodger や J.R. Gregg らが,記号論理学に基づく生物分類学の「公理化」の研究を進めた.もちろん,彼らが推進しようとした公理論的分類学は,多くの生物学者にとっては著しく可読性に欠ける理論体系だった.同時に,そういう公理化は生物分類学の実践には何一つ寄与しないとの進化分類学派(G.G. Simpson)によって厳しく批判されたこともあり,分類学の理論には実質的な寄与ができないまま終ってしまった.

当時の分類学者の大部分に対して「数学」の素養を求めることはたいへん高いハードルだった.進化分類学者 G.G. Simpson は当時の研究者コミュニティの中では並外れて高い数学的素養があった.それでも,他の分類学者たちの数学レベルの低さをよく知っていた彼は,生物分類学に初めて本格的な数量的方法を導入した『Quantitative Zoology』(G.G. Simpson & A. Roe,初版1939年)の中で定量的方法を導入するにあたって,できるだけ簡単な数式にとどめようとした.しかし,そういう“教育的配慮”は,新興勢力である1950〜60年代の数量表形学派にとってはあらずもがなの障害物にほかならない.実際,数量表形学派の指導者 R.R. Sokal は,もっと本格的な統計学的方法(と操作主義)を分類学に導入すべきであると主張した.現在も版を重ねている生物統計学の名著『Biometry』(R.R. Sokal & F.J. Rohlf,初版1969年)は,上記『Quantitative Zoology』を乗り越える意図をもって書かれたのだという(Hagen 2003).

体系学の「数学化」への方向づけは,単に統計学諸手法の開発とその分類学への適用にはとどまらなかった.体系学を「数学化」するもう一つの方向づけは系統推定の分野で進んでいた.やはり1950年代に,与えられた制約条件のもとで最短グラフ(スタイナー樹)を探索するアルゴリズムが離散数学の分野で開発され始めた.これは数量表形学派が開発し普及させたクラスター分析のアルゴリズムとは発想が根本的に異なっていた.系統関係を表示するグラフを一種の離散構造とみなすことにより,ある形質情報のもとでのベストの系統樹を離散最適化の手法により探索するという基本方針がかたまったのは1960年代の後半になってからだった.1960〜70年代にかけては統計学的方法の進展があったことも無視できない.現在の分子系統学で広く用いられている最尤法の基盤はこの時期に確立された.もっといえば,モデルベースの系統推定の輪郭が見えてきたのもその頃だった.一般化最節約法での形質変換系列のモデルや分子進化の確率モデルを想起されたい.

多くの体系学者がこのような理論的進展をフォローしきれているかどうかとはまったく関係なく,理論体系学の最前線がさらに先に進んでいることは周知の事実である(たとえば,Felsenstein 2003, Semple & Steel 2003 を参照されたい).それと同時に,G.G. Simpson のような“歯止め”がもはやなくなった現状はよく認識されるべきだろう.すでに数年前から応用統計学の雑誌と化した『Systematic Biology』誌やそれと同程度に理論的・哲学的に先鋭化している『Cladistics』誌をざっと見渡すだけでも,これからの体系学者は,数学や統計学を一般常識として身につけなければ,自分に関係する論文を読むことすらできなくなることが感じ取れるだろう.

このように,理論体系学の現代史を鳥瞰すると,数理分類学と数理系統学の2本の柱が見えてくる.太田が自らの主張を定位していく背景には,体系学における上記のような理論的進展が同時代的にあった.数学や統計学に通じていた太田が数理的な体系学理論を構築しようとしたことはごく自然な流れだったと私は思う.

3.〈真正分類系統学〉の開封(1): 「単一生起派生形質」の進化モデルをめぐって

1980年代後半の数年間に発表された太田の著述を読むと,体系学に関する彼の〈真正分類系統学〉思想の根底には〈Mitchellの原理〉がある.〈Mitchellの原理〉について太田は次のように要約する:

「われわれがいう〈Mitchellの原理(Mitchell's principle)〉とは,[系統]分岐学(cladistics)の創始者Mitchell(1901,1905)が最初に明確に定式化した原理で(第9節参照),形質の原始性と派生性を手掛かりに一群の種を系統分類する場合,原始形質や多重生起的な派生形質ではなく単一生起的な派生形質を探してその共有性を目印に分類すべきであるという原理である.ここで単一生起派生形質(uniquely derived character:言葉は Le Quesne, 1969)とは一つのクレード内で唯1回生じた特異的な派生形質のことである」(太田 1989: 184)

ある形質変換系列に沿って複数回の派生的形質状態(apomorphy)が生起するとき,非相同的なホモプラジー(homoplasy)がそこに生じたと認識される.分岐学の理論では派生形質状態は必ずしも単一生起的である必要はない.たとえ,ある派生的状態がホモプラジーであったとしても,その状態を共有する生物群の単系統性は支持されるだろう.

しかし,太田はこの点で単一生起性という厳しい条件を科す.形質整合性分析派(compatibility analysis)と同調する太田は,ホモプラジーを含むような形質は単系統性の証しにはならないと切り捨て,単一生起性をもつ派生的形質状態のみが単系統性の証拠となり得ると主張する.この見解の上に,彼の〈真正分類系統学〉は成立する.しかし,三中(1991)で詳細に指摘した通り,対立候補である他の方法論(たとえばHennig流の分岐学)と比較したとき,太田の言う〈Mitchellの原理〉ならびにそれを核とする〈真正分類系統学〉には理論的にも実践的にも多くの欠点があり,系統推定のための「使える方法論」を与えているとはまったく考えられない.その点は最初の提唱から15年経った今でもそのままである.しかし,対立理論に照らしての相対的な判断の前にするべきことがある.それは,太田の主張を適切な体系学史の文脈の中に配置することである.

太田は自説の独創性を強調するための言論的戦術のひとつとして,自分の主張に「直接的に」関わりそうな既存の研究成果にあえて触れないことがあった.〈真正分類系統学〉もその例外ではない.Hennig流の分岐学に対してアンチの姿勢を取り続けた太田は,彼なりの生物体系学史観を踏まえて〈真正分類系統学〉の卓越性を示そうとした:

「近年,Hennig(1950,1966)を宗祖とする“分岐”主義(cladism)分類学者たちは,分類系統学の歴史を驚くばかりにねじ曲げて,この単一生起派生形質の共有を基準とした最近縁種群同定原理についても,その原理の提唱者を強引にHennigとするが,これはまったくまちがったことである.(中略)ここでは,そうした“分岐”主義」とは全然異なる真正分岐学(genuine cladistics)あるいは総合分岐学の立場,さらにはそれを一部として含む真正系統分類学(genuine phylogenetic systematics)である総合系統分類学(synthetic phylogenetic systematics)の立場から,Mitchellの原理をはじめとする系統推定の基本をきちんと理論化しておこう」(太田 1989: 184)

ここで考えてみよう――太田の〈真正分類系統学〉は,彼が言うほど独自の内容をもつ理論体系なのか.その答えの半分はイエスであるが,残り半分はノーである.それは体系学の近現代史の流れの中に〈真正分類系統学〉を置くことによりはじめて見えてくる.

単一生起派生形質(uniquely derived character)という用語は Le Quesne (1969, 1972, 1974)に帰せられる.彼は形質進化における「不可逆性」を意味する〈Dolloの法則〉という文脈で単一生起性を論じた.そのことは形質進化の「不可逆性」をどのように解釈するのかという点で混乱を招いた.確かに,原始的形質状態0から派生的状態1への遷移確率αが「十分に小さい」(だからこそ単一生起が生じ得る)という点に関してはおそらく同意が得られる.解釈が分かれるのは,いったん派生的状態に達した「後」の行く末だ.これまで提案された解釈は次の二つである(Felsenstein 2003, Chap.7):

  • 1) Dollo model:単一生起派生的状態(1)から原始的状態(0)への逆転の可能性を許容する.しかし,再度 0 から 1 への形質進化は生じないと仮定する.[Le Quesne 1969 や Farris 1977 の形質進化モデル]
  • 2) Camin-Sokal model:単一生起派生的状態(1)から原始的状態(0)への逆転はいっさい許容しない.すなわち,1→0 は生じないものとする.[Camin and Sokal 1965 での形質進化モデル]
Dollo あるいは Camin-Sokal の「不可逆進化モデル」は,分岐図上での形質状態の最適化(最節約復元)に関する制約条件である(Schuh 2000: 116).したがって,最節約分岐図を探索する上での目的関数として用いることができる.

Dollo model のもとでは,任意の形質は任意に与えられた分岐図(rooted)の上で「単一生起派生形質」として祖先復元することができる(それが最節約復元かどうかは問わない).派生的状態の端点をもつという条件を満たす,root にもっとも近い枝の内部分岐点に連なる内部枝の上で 0→1 という形質変化を仮定し,その内部分岐点によって規定されるクレードの中にもし原始的状態(0)をもつ端点があったならば,その端点に連なる枝において逆転 1→0 をアドホックに仮定すればいいからだ.すなわち,Dollo model のもとでは,すべての形質は単一生起派生形質としての祖先復元が可能である.それは ACCTRAN 復元のアルゴリズムによって枚挙できる.もちろん,ACCTRAN 以外の他の祖先復元モード(たとえば DELTRAN)も可能だろう.

しかし,Camin-Sokal model のもとではそれは成り立たない.形質変化の逆転 1→0 を許容しない以上,いったん派生的状態(1)が生じたならば,それは決して失われずにクレード内のすべての内点と端点に保持され続ける.したがって.与えられた分岐図の上で最節約復元するときには,派生的状態をもつ端点またはクレードに連なる枝で別々に 0→1 という形質変化を仮定するしかない.つまり,Camin-Sokal model の採用は必然的に DELTRAN に基づく祖先復元を強制するということだ.進化的に見れば仮定が厳し過ぎることの反映である.たとえば,ACCTRAN 復元ではこの仮定を満たさないケースが生じるだろう.

問題となるのは,太田の言う「単一生起派生形質」が上述のどちらのモデルにより近いタイプの形質なのかという点だ.太田自身にとっては既存の学説は[ごく少数の例外を除いては]すべて攻撃の対象にほかならないので,項目ごとの比較や検討がなされていない.そういう論争スタイルがエキセントリックなのは当然のことなのだが,相対的な比較をしないことには論の進めようがない.

太田(1989)と太田(1993)とを比較してみると興味深いことがわかる.太田(1989)では,あるクレードにいたる枝で生じた単一生起派生形質がその後どのように変化するかについては仮定を置いていない.これは〈Dollo model〉に近いスタンスであると思われる.ところが,太田(1993)では,1989年のモデルに加えて,単一生起派生形質が生じた枝以外のすべての枝では 0→1 変化が生じないという新たな仮定を付加している.この付帯条件は「単一生起」という条件をさらに強化した帰結とみなすことができる.太田のモデルのもとでは ACCTRAN 復元のみが許容される.これは,DELTRAN 復元のみを認める Camin-Sokal model とは逆の意味で厳しい仮定である.

Dollo model の統計学的な取扱いは Farris (1977) がすでにしているので,太田(1989)の統計モデルはオリジナルとは必ずしもいえない.しかし,Dollo model の単一生起条件をより強調した形質進化のモデル化は太田に独自のものかもしれない.しかし,その独自性は決していい意味での特徴ではない.Camin-Sokal のモデルが非現実的であるのとまったく同じ程度に,太田のモデルは非現実的であると私は思う.上述したように,すべての形質は ACCTRAN による祖先復元が可能であり,Camin-Sokalのモデルとは異なり,太田のモデルのもとでは最初から排除される形質はない.しかし,場合によってはきわめて最節約的でない ACCTRAN 復元(Swofford et al. 1996: 421, Fig.5(B))を強要する太田モデルの仮定は厳しすぎて現実的ではないだろう.

Dollo model から出発してベイズ的に樹形推定をする手続きは Farris (1977) に明示されている.さらに,対立分岐図の尤度比検定の方法についてもこの論文に書かれている.太田の知る知らないとはまったく関係なく,競合理論のための土俵が確かにそこにはあった.1980年代に入ると,Joe Felsenstein が形質整合性分析の統計学的な検討を開始している.太田が〈真正分類系統学〉を展開し始めた1980年代は,ちょうど統計学的な系統理論(最尤法をはじめとして)をめぐる論議が盛んになり始めた頃だった.

太田の体系学理論がかたちをなしはじめた1980年代といえば,分岐学すなわち最節約法と最尤法との間でいまなお続く「20年戦争」の狼煙が上がりはじめた頃だ(Sober 1988; Penny et al. 1994; Tuffley and Steel 1997; Steel and Penny 2000; Felsenstein 2003).近親憎悪ともいえるこのやりとりをもし太田がきちんとたどっていたとしたら(1世紀前に錨を投げるのではなく),〈真正分類系統学〉は現代の体系学史の中に着地すべき地点を定位できただろうと思えてならない.分岐学も含めて体系学諸派はこの半世紀の間に十分すぎるほど変容してきた.数学の立場から系統推定法を再検討しようとする太田の姿勢は,現代体系学の「場」の中でうまく鍛えられればもっとちがった産物を生んだだろうと思う.太田の〈真正分類系統学〉は虚空から湧き出てきたわけではない.同時代的な体系学史の論議の土俵を彼が共有できなかったのは不幸なことだった.

太田は独白する:

「かくして我々の分類系統学はヘニッヒ学派の“分岐”主義とは全然違って確率過程論その他のダイナミクスにしっかりとした基盤を持ち,初めから定量的かつ解析的な接近を許すものとなっている」(太田, 1993: 16)

定量的な体系学方法論を構築するという太田の目標設定は正しかった.しかし,そのような目標を立てたのは太田ひとりではなかったこともまた紛れもない事実である.統計学的系統学派はもちろん最初からその方針だった.太田が繰り返し批判し続けた分岐学派でさえ,1970年代以降は定量的アプローチを目指した.太田がそういう動向を知らなかったはずがない.にもかかわらず,太田は自らの〈真正分類系統学〉をそのような論議の土俵から隔離してしまった.その時点で〈真正分類系統学〉が科学理論として生き延びる可能性は閉ざされ,現在にいたるまで10年以上も塩漬けのまま封印されることになった.

4.〈真正分類系統学〉の開封(2)―― 「単系統」の定義をめぐって

おそらく太田(1989)に対する私からの批判(三中 1991)に応えようとしてか,体系学に関する最後の著述の中で太田はこう書き記している:

「勿論,その[真正分類系統学の]完成には未だ距離があり,現状では多くの未解決問題を抱えているのも事実である.しかし,我々は我々の学問の長い歴史が生み出した偉大な伝統とその遺産を土台に常に新しい血を注ぎつつ前進しようとしているのである」(太田,1993: 16)

太田の個人的な思い入れはわからないではない.体系学をどのように理論化すべきかについての着眼点も,同時代的に考えれば,いい線に達する可能性があっただろうと私は思う.しかし,太田は彼の熱意を誤った方向に向けてしまった.競争相手である対立理論や方法は一方的に罵倒される相手としてのみ存在しているのではない.自分の主張は相手のそれと比較したときにどのような点で勝っているのかそしてどこが力不足なのかを知ることは,理論や方法の健全な相対的評価を行なうための前提だろう.何よりも,他者と積極的なやり取りの中でこそ,自らが進むべき道を見出すことができただろうと私は考える.三中・鈴木(2002)が指摘したように,太田はこの点でおおいに問題があったと言わざるをえない.

晩年の10年間に太田が滑り落ちてしまった“トリヴィアの陥穽”(悪名高い「more than」糾弾をはじめとして)は,もとをただせば,単系統/多系統(monophyly / polyphyly)の定義に関わる論議に端を発していた.Willi Hennig は,従来からあった単系統と多系統に加えて,側系統(paraphyly)という新語を導入した.これに反対する太田は,「mono-でなければpoly-であり,poly-で無ければmono-でしかない」(太田 1993: 10)のだから,「1と2以上の整数以外にも正の整数が存在するというごとき数学上の革命的な大定理を新発見したというのでない限り,幼稚園児,小学生にもすぐ分かるほど間違っており,全く馬鹿げている」(同上: 9)といつもの調子で罵倒する.

しかし,Hennigが樹形ではなく形質分布にもとづいて mono / para / poly の区別を導入しようとしたことは最初から明らかであり(Farris 1991),太田もその点は知っていた:「ヘニッヒ〔主義者〕のようにこれ[phyly語群]を形質分布で“定義”してしまうような恐ろしいこと(...〈中略〉...)はせず,あくまでもトポロジカルに定義しているわけである」(同上: 10).太田が何と罵ろうが,恐いもの知らずのクラディストたちは実際に形質分布でphyly語群を定義するという試みをした上で,結果としてparaphylyとpolyphylyの間の厳密な区別は困難だという結論に達したのである(三中 1997: 364-373).しかし,太田はそれらの論議に対して実質的な貢献をしていないにもかかわらず,単に論敵を叩くためにだけこの話題を歪曲してもちだしている.それは耳にうるさいだけで,何一つインパクトがない.クラディストたちは努力した;太田は努力しなかった.それだけのことである.

太田はphyly語群をめぐる攻撃をする際には,決まって Ernst Haeckel の単系統/多系統の定義を拠り所にして,彼が標榜する進化分類学派の綱領に沿った解釈が正しいと信じて疑わない.しかし,Haeckel 自身は「ある共通祖先から発するすべての子孫から成る群」(『自然創造史』1868)が単系統的系統樹を構成すると定義している.つまり,Haeckel自身の定義はHennigのそれに近いのであり,単系統の規定を不当に緩和し「すべての子孫」を含まなくてもよいとする進化分類学派の解釈の方がむしろ新奇的なのだということになる(Farris 1990; Willmann 2003).太田は進化分類学派の綱領のひとつを無批判に受け入れたが,原典をきちんと調べれば,間違いを犯したのはほかならない太田であることは明白だろう.“トリヴィアの陥穽”の源のひとつは太田の自作自演にすぎない.

体系学の歴史をたどることに意味があるという点では,太田と私は同じ見解をもっていた.しかし,歴史的な経緯や事実が現在の科学理論や学説の相対的な優越性と何らかの関わりがあるかどうかという点ではきっと意見が異なっていたのだろうと思う.上述の〈Mitchellの原理〉に則る〈真正分類系統学〉が体系学史的にみて本家本元であるかどうかは(それ自体が検討の対象だが),それが体系学の理論としてどれほどすぐれているかとはほとんど何の関係もない.学説や理論はどんどん変化していき,それとともに対立する諸理論との相対的な比較を通してのみ「使えるツール」であることの証しが立てられる.しかし,太田は論敵を攻撃することには多大なエネルギーを使ったのに対して,自説のもっている欠点あるいは修正すべき箇所を指摘されても(三中 1991がしたように),内容のある反応がほとんど返ってこなかった.このアンバランスぶりは注目に値する.

いくら欠点がある理論であっても,それを用いてしか解決できない問題が現実に存在するかぎり,その理論はいつまでも生き残る.したがって,ある対立理論を倒すためには,その欠点や問題点をいくら指摘してもダメなのだ.それは攻撃をしかける側の一方的な消耗戦に過ぎず,対立理論側はたいしたダメージを受けない.対照的に,自説の欠点を直し問題解決能力をもっと強化できたならば,対立理論はもういらない(安心して捨てられる)という認識がコミュニティーの中に広まるだろう.そのときはじめて対立理論は消え去る.いずれの戦略がより効果的かは論を俟たない.

5.終わりに ―― 昆虫分類学若手懇談会の「若手」へ

私は若手懇談会の規約上もはや「若手」とはいえない年齢になった.入会して20年ともなればいずれそういう時がくるのは不可避である.

若手の会の創立当時の経緯などについては私自身が伝聞でしか情報をもち合わせていない.今回の太田邦昌追悼特集を契機として,30年あまり前のエピソードについて“かつての若手”に訊くのもいいだろう.若手懇談会ニュースやPanmixiaのバックナンバーをひもといてみるという手もある.研究者コミュニティーとしての若手懇談会はすでに長い系譜をもっている.規約上の「若手」構成員がどのような関心を抱いているかは時代によって少しずつ変わっていくと思う(lineageだから変化して当然).しかし,それが必要とされるかぎり,若手懇談会はこれからも存続し続けるだろう.

太田邦昌にまつわる〈神話〉は今後いろいろな変形を受けつつ伝承されていくように思う.しかし,この記事が載るPanmixiaの特集ならびに『生物科学』誌の姉妹特集「追悼・太田邦昌」(55巻4号,2004年5月発行)をごらんになれば,見習うべき点や反面教師とすべき点が混じり合う中で,故人が研究者としてどのような生涯を送ったかが見えてくるだろう.学説の上でも経歴の上でも,研究者は他者との関わり合いなくして生きていくことはできない――おそらく多くの読者が強く感じることだろう.もちろん,これからの「若手」にとっては,国内外を問わず,研究や勉学の上での「他者」とどのような関係を結んでいくのかは自らのこととして考えなければならない.

最後に,このような文章を書く機会を結果としてもたらしてくれた故太田邦昌さんに感謝したい.過去20年にわたって,太田さんとはおびただしい情報と文献をやり取りし,その大部分は今でも活きている.個人的にきわめて多くの恩恵を得てきたことはまちがいない.太田さんの〈真正分類系統学〉をほぼ10年ぶりに「開封」してみて,そのことを強く感じた.

引用文献

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  • Farris, J.S. 1977. Phylogenetic analysis under Dollo's law. Systematic Zoology, 26: 77-88.
  • Farris, J.S. 1990. Haeckel, history, and Hull. Systematic Zoology, 39: 81-88.
  • Farris, J.S. 1991. Hennig defined paraphyly. Cladistics, 7: 81-91.
  • Felsenstein, J. 2003. Inferring Phylogenies. Sinauer Associates, Sunderland, xx+664 pp.
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  • 三中信宏 1991. 分岐図の科学と行動生態学との接点および真正分類系統学の誤謬――第1回筑波昆虫科学ワークショップ報告:《現代進化生物学への系統学のインパクト》――.昆虫分類学若手懇談会ニュース, (60):1-51.
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  • 三中信宏 2004. 太田邦昌氏の系統分類学理論――体系学史における位置づけと限界. 生物科学, 55: 229-233.
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  • 太田邦昌 1988. [書評]八馬高明著(1987)『理論分類学の曙』(武田書店).昆虫分類学若手懇談会ニュース,(55):1-7.
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  • 太田邦昌 1992. 計量進化分類学(Quantitative Evolutionary Systematics)派の旗揚げ.昆虫分類学若手懇談会ニュース,(61):31.
  • 太田邦昌 1993. 私の系統分類学観. Panmixia, (9):1-25.
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付記

太田(1993)には次のような「付記」が付けられている:

「本稿は1991年3月14日に茨城県つくば市農業環境技術研究所にて開催された第1回筑波昆虫科学ワークショップ「現代進化生物学への系統学のインパクト」での話題提供をまとめたものである.終了後,原稿提出を求められ,他の話題提供者の原稿と共に印刷出版される手筈になっていた.しかし,一年余り経過した.最近,問い合わせた所,計画が中止になったとのことで(聞く所によれば,私の原稿の内容や表現が不適切だということも一因であるらしい!)急遽,『Panmixia』誌の場をお借りすることにした」(p.25)

私がこのワークショップのオーガナイザーだったので,事情を説明しておく.当初,今回のワークショップの講演内容(三中信宏・粕谷英一・太田邦昌)とMark Pagel & Paul Harvey の比較法の論文(The Quarterly Review of Biology, 63: 413-440, 1988)の翻訳とを併せて,農環研の出版物(『農環研資料』というシリーズ)として出そうという計画を立て,私が原稿をとりまとめてその年のうちに農環研に提出した.ところが翻訳論文を掲載することに関して農環研側からクレームがあり(翻訳許可は著者と出版社の双方から得ていたのだが),その結果,出版そのものが宙に浮いて立ち消えになってしまった.もちろん,太田原稿の文章表現に驚いたらしい上司のひとりは「これで大丈夫なのか」という懸念を個人的に言ってきたが,それは大きな原因とはいえなかった.

[了]