掲載:『生物科学』55巻4号(2004年5月1日発行),pp. 229-233.

太田邦昌氏の系統分類学理論

―― 体系学史における位置づけと限界 ――

三中信宏(農業環境技術研究所)



1.はじめに――科学史における個人史の位置づけ

故太田邦昌氏が体系学(systematics)に関して活発な意見表明をした1980年代後半は,方法論のレベルでの学派間論争(分岐学・表形学・進化分類学)がほぼ収束した時期に重なる.太田氏が提唱した【真正分類系統学】は,当時の分岐学(cladistics)に対して反対の立場を取り,私がみるところむしろ進化分類学(evolutionary taxonomy)に近いスタンスだった.特異的なことは,太田氏が分類学・系統学に関するいくつかの基本概念――「ミッチェルの原理」や「情報量」など――を踏まえて,独自の定式化を目論んでいたという点にある.とくに,形質進化の定量的モデルを導入して系統関係の推定をしようという方針は,今日のモデルベースの系統推定法に連なる試みであったといえよう.

本稿では,当時の体系学界での論議を振り返りつつ,太田氏が自らの体系学理論をどのように展開していったのかを跡づけ,あわせて,今日に残された問題点をも指摘したい.生物学とりわけ数理生態学と集団遺伝学の数学的側面に造詣の深かった太田氏は,体系学の立論においても数理モデルを積極的に取り込んでいる.それらの技術的な部分については別稿(三中 2004)を立てることにする.本稿では,太田氏の体系学理論をどのような学問的文脈のもとで解釈するかにとどまらず,ある研究者の個人史的なものにも踏み込んで論じようと思う.

もとより,精密な意味での科学史的記述は今後に待たねばならないが,太田氏と個人的な接点のある著者としては,散逸したり忘却される前にここで書き記しておくべき事柄があるだろうと考える.科学史的な叙述をテストするためには,経験的なデータが必要である.しかし,個別の研究者に関する個人的情報は,没後えてして驚くほど短い期間に失われてしまい,故人とパーソナルな接点のある者(近親者とはかぎらない)の心の中にのみとどめられてしまう傾向がある.太田氏の場合も例外ではない.生前,その過度にポレミックな態度により多くの「敵」をつくった故人は,研究者としての個人史の途上でさまざまな波紋・影響・遺産そして怨恨を残した.われわれがコンパイルした故人の著作目録(鈴木・三中 2004)は太田氏の知的遺産のほんの一端に過ぎないのかもしれない.

現代体系学史を鳥瞰した Hull (1988) が強調するように,研究者コミュニティーを実際に動かしてきたのは,少数の自覚ある指導的研究者に率いられたコンパクトな研究者集団だという.日本の体系学の歴史(三中・鈴木 2002)をふりかえったときにも,同様のことがいえるだろう.しかし,その一方で,いずれの集団にも属さず,いわば一匹狼として活動し続けた研究者はどのように位置づけられるだろうか.太田氏のケースを調べることにより,科学という営為の個人史ベースの記載のあり方にも再考が迫られているのかもしれない.科学者それぞれの個人史を撚り合わせることで科学コミュニティーの科学史は果たして復元できるのか.それとも,科学コミュニティーとは別に個人史は叙述できるのか,という問題だ.

2.太田氏の埋めこまれたコンテクスト――グローバル,ローカル,そしてパーソナル

最初に,グローバルな話から始めよう.太田氏が体系学に関する著述活動をした期間(1988〜1993年)は実は5年あまりに過ぎない.(もちろん,これは研究出力があった期間だけであり,思考していた期間を意味するわけではない.しかし,活動期間の近似としては外れていないだろう.) 太田氏の活動期間が世界の体系学史の流れ(三中 1997 を参照されたい)の中でどのような段階にあったかを記しておこう.

分類学の方法論に関わる論争(1960〜80年代始め)はすでに集結し,系統発生に基づく生物の体系化の基本方針は基本的に分岐学派のもとで進みつつあった.むしろ,体系学の論議の軸足は「分類」ではなく「系統」に移りつつあった.その背景には,DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列など分子レベルのデータの蓄積を背景とする分子進化学の発展と分子系統学の方法論的確立を指摘する必要がある.進化プロセスの数理モデルを用いた記述は分子進化の確率過程をモデル化する上でことのほか有効だった.1980年代末から1990年代始めという時期は,現代体系学史の中でいわば「端境期」にあたる.過去の分類論争がとにもかくにも静まり,次なる分子系統をめぐる論争が始まる直前だったからである.

次に,ローカルな話に移ろう.太田氏はこの期間に下記の論考を公表している:
  • 太田邦昌 1988. [書評]八馬高明著(1987)『理論分類学の曙』(武田書店).昆虫分類学若手懇談会ニュース,(55):1-7.
  • 太田邦昌 1989. 自然選択と進化:その階層論的枠組み II.日本動物学会編『進化学 新しい総合』(現代動物学の課題7)(xii+504 pp.): 123-248.学会出版センター.
  • 太田邦昌 1989. 分断主義者の貧困――G. Nelson氏および三中信宏氏の場合――.昆虫分類学若手懇談会ニュース,(56):1-10.
  • 太田邦昌 1991. 私の系統分類学観. 第1回筑波昆虫科学ワークショップでの口頭発表.
  • 太田邦昌 1992. 計量進化分類学(Quantitative Evolutionary Systematics)派の旗揚げ.昆虫分類学若手懇談会ニュース,(61):31.
  • 太田邦昌 1993. 私の系統分類学観. Panmixia(昆虫分類学若手懇談会会報),(9):1-25.
いずれも分岐学に対する批判的スタンスのもとに代替理論を提唱するという姿勢が顕著だった.とりわけ,結果的に太田氏の生涯を通しての magnum opus となった太田(1989)では,故人独自の代替理論(すなわち「真正分類系統学」)の骨格が示されていた.著者は,太田氏の主張に対して詳細にわたる批判:
  • 三中信宏 1991. 分岐図の科学と行動生態学との接点および真正分類系統学の誤謬――第1回筑波昆虫科学ワークショップ報告:《現代進化生物学への系統学のインパクト》――. 昆虫分類学若手懇談会ニュース, 60: 1-51
を行なった.しかし,太田(1993)には十分な返答がなされないまま,故人の体系学に関する著述は跡を絶つことになった.それ以降,太田氏は体系学に関する公的な出力を残さなかったようだ.ただし,個人的な会話などから推測すると,太田氏は体系学への関心を晩年まで持続していたことがうかがえる.しかし,そういうパーソナルな記憶はあえて当事者が書き留めないかぎり,忘れ去られてしまうことだろう.

3.『進化学:新しい総合』(1989)――その書物史の復元に向けて

書物にしろ論文にしろ,世に出現した「最終産物」のみが公の目に触れる.たいていの場合,われわれ科学者はその最終産物に書かれてある内容のみを見て,それに賛同したり反対したり議論の糧としたりする.しかし,ある研究者の個人史を思いやるとき,主著の成立にいたるまでの「中間過程」がどのようであったのかを検討することは,想像以上に多くの情報をもたらしてくれると著者は考える.それは,個人史の反映であるばかりか,その研究者を取り巻く緩やかな研究者ネットワークのダイナミクスをも写し込んでいると考えられるからだ.太田氏の主著である『進化学:新しい総合』はその格好のケースだと著者は思う.

『進化学:新しい総合』の「最終産物」は1989年に出版された――

日本動物学会編/日高敏隆担当
『進化学:新しい総合』(学会出版センター,1989年,「現代動物学の課題7」)
  • 太田邦昌 第1章 自然選択と進化:その階層論的枠組みI(121pp.)
  • 太田邦昌 第2章 自然選択と進化:その階層論的枠組みII(126pp.)
  • 太田邦昌 第3章 社会性進化の素過程:その階層論的枠組み(117pp.)
  • 宮井俊一 第4章 地理的変異の解析(36pp.)
  • 鈴木邦雄 第5章 動物系統学の諸問題――生物系統学基礎論の試み(68pp.)
しかし,この「最終産物」に到達するまでに,この「本」は企画段階から通算して実に15年もの年月がかかっている.理系の出版物としてこれは尋常なことではない.著者が知り得た情報によると,1970年代半ばに本書の企画と構想(執筆陣など)が立てられた.そして1980年頃にいくつか原稿(太田,鈴木,宮井,他...)が集まったものの,その後,進捗が数年間にわたって頓挫する.この期間に何人かの寄稿者は原稿を取り下げるという事態になり,最終的に当初の企画よりもはるかに少ない寄稿者による「最終産物」が1989年に出版されたということだ.

「最終産物」を手にした読者は,そこに散らばる一種異様なつぶやきに奇異の感を抱くにちがいない:
  • 「本書出版の異常な遅れは言葉に表わしようがないほど残念である」(太田, p.121)
  • 「本書出版の遅延は異常であり,きわめて残念である」(太田, p.365)
  • 「原稿提出後既に満8年以上が経過している.執筆者の中には,この企画の余りの遅延を理由に原稿を取り下げた方もおられたと聞いている.本巻の刊行が甚だしく遅延した事情については編者より説明がなされることと思われるが・・・」(鈴木, p.468)
  • 「編集担当者は私ということになっているが,実際に編集にあたられたのは著者たち,つまり太田邦昌,宮井俊一,鈴木邦雄の御三人であり,私は著者たちの熱意にすべてお任せしていたにすぎない」(日高, p.v)
もやもやした霧の中ではっきりしていることはただ一つ.なぜ本書の刊行がかくも遅延したのかについて誰も何も明らかにしていないということだ.自然科学の研究者・執筆者にとって,研究人生の10年間はきわめて重要だ.とりわけ,まとまった形での論文集は当事者にとっては小さからぬ意味をもっただろう.それだけに,ここで当然の疑問――1980〜89年の間にいったい「何」があったのか?――が湧き上がってくる.

しかし,よほどのことがないかぎり,ある書物の成立史に関する情報を部外者が得ることは困難である.ある意味では「舞台裏」の事情にも通じることだけに,対外的に言えないということもあるだろう.しかし,太田氏の体系学に関する思想の展開を考えるとき,それが『進化学:新しい総合』の成立史と同調していたようだという点は指摘する必要がある.結論を言えば,太田氏は1980年代にわたり,体系学に関する自説を展開しつつ,その出力を逐次的に『進化学:新しい総合』の原稿として盛り込んでいったと推測される.

ここで,著者と太田氏との個人史の絡みをはっきりさせておく必要がある.著者の出身研究室は,太田氏と同じ東京大学農学部生物測定学研究室であり,太田氏が体系学に関する関心を深めていた1980年代前半に大学院生としてこの研究室に在籍していた.初めて個人的に太田氏と知り合ったのも,たまたま研究室で紹介されたのがきっかけだったと記憶している.当時の著者は分岐学の理論体系を博士論文の課題として研究を進めていたこともあり,太田氏からは研究推敲上とても有益なさまざまな情報(文献・著書を含む)を得た.

著者が学位論文(『農業生物の分類における分岐分類学的方法に関する研究』)を書き上げた1985年のこと,太田氏から「いま編集を進めている論文集に寄稿しないか」との申し入れがあった.それがほかならない『進化学:新しい総合』だった.太田氏の当初の話では生物地理学の理論的な話題が足りないので寄稿してほしいとのことだった.事情をよく知らないまま,学位論文の中から体系学と生物地理学に関わる理論的な部分を抜き出し,同年(あるいは翌年はじめ)に「生物分類学と生物地理学:分岐分類学の視点から」(400字詰84枚)というタイトルで学会出版センターに提出した.しかし,結局その原稿は1年ほどして「論文集にふさわしくない」との判断(誰の?)でリジェクトされた.

さて,ここに著者がこの本に携わった期間に,学会出版センターから送られてきた「初校ゲラ」ならものがある.正確な年月は特定できないものの,寄稿者のメモ書きなどから判断して「1984年はじめ」に著者宛に返送されたゲラであると推測される.刷上り予定のページ数を列挙してみる:
  • 太田ゲラ 原稿「自然淘汰の階層性とその枠組み」(78pp.)
  • 太田ゲラ 原稿「社会淘汰の素過程」(55pp.)
  • 宮井ゲラ 出版された章とほぼ同一内容(35pp.)
  • 鈴木ゲラ 出版された章とほぼ同一内容(62pp.)
上で示した完成章のページ数と比較したとき,太田原稿だけが1984〜1989年の5年間で,ゲラ段階の78+55=133ページから,実にその2.74倍の364ページにまで増大していることがわかる.単にページ数が倍増しただけではない.太田氏の担当した章の構成そのものに変更が加えられていることに注目しよう.ゲラの段階では2章構成だったものが,その後の「成長」過程の中で3章に再構成されている.では,なぜ量だけではなく質の点でも変更が不可避になったのか.太田氏はこの変更の理由については明言を避けている:

「本章[第2章]の前半はもともと第1章に入るべきものとして書かれたが,その後,事情が変わり,本章後半部の追加執筆分とともに第2章を構成することとなったものである」(太田 1989, p.247).

しかし,その「事情」はゲラと比較することにより初めて理解できる――最大の理由は「後半部の追加執筆分」すなわち彼の言う【真正分類系統学】の節(70ページ分)が新たに書き加えられたからだと推測される.

4.太田氏の【真正分類系統学】とは何か?

太田氏が当時,主流となりつつあった分岐学派に対抗して,いったいどのような体系学の方法論にたどり着いたのか.1980年代後半の数年間に急成長した彼の思想は,根底原理としての〈Mitchellの原理〉ならびにそれを踏まえた〈真正分類系統学〉として次のように定式化される:

  • 〈Mitchellの原理〉――「われわれがいう〈Mitchellの原理(Mitchell's principle)〉とは,[系統]分岐学(cladistics)の創始者Mitchell(1901,1905)が最初に明確に定式化した原理で(第9節参照),形質の原始性と派生性を手掛かりに一群の種を系統分類する場合,原始形質や多重生起的な派生形質ではなく単一生起的な派生形質を探してその共有性を目印に分類すべきであるという原理である.ここで単一生起派生形質(uniquely derived character:言葉は Le Quesne, 1969)とは一つのクレード内で唯1回生じた特異的な派生形質のことである」(太田 1989: 184)
  • 〈真正分類系統学〉――「近年,Hennig(1950,1966)を宗祖とする“分岐”主義(cladism)分類学者たちは,分類系統学の歴史を驚くばかりにねじ曲げて,この単一生起派生形質の共有を基準とした最近縁種群同定原理についても,その原理の提唱者を強引にHennigとするが,これはまったくまちがったことである.(中略)ここでは,そうした“分岐”主義」とは全然異なる真正分岐学(genuine cladistics)あるいは総合分岐学の立場,さらにはそれを一部として含む真正系統分類学(genuine phylogenetic systematics)である総合系統分類学(synthetic phylogenetic systematics)の立場から,Mitchellの原理をはじめとする系統推定の基本をきちんと理論化しておこう」(太田 1989: 184)
いささか捻じれた表現ではあるのだが,太田氏の体系学理論では,1)系統推定の基準は単一生起派生形質に置くという形質整合性分析であり;2)分類体系では完系統(holophyly)および側系統(paraphyly)による分類群を許容するという進化分類学的スタンスをとる.通常の分岐学の考えかたでは,1')系統推定の基準は派生形質に置かれ;2')分類体系では完系統による分類群のみを許容するわけだから,太田氏の見解は系統推定と分類構築の両面でちがいがあるということになる.

太田氏の系統学的主張は分類学的主張とは分けて考察すべきである.太田氏の系統推定の理論に目を向ける(テクニカルな論議は三中 2004 にまわす)と,太田氏の目標が定量的な確率モデルを踏まえようとしたことにあることがわかる:

「かくして我々の分類系統学はヘニッヒ学派の“分岐”主義とは全然違って確率過程論その他のダイナミクスにしっかりとした基盤を持ち,初めから定量的かつ解析的な接近を許すものとなっている」(太田, 1993: 16)

とすると,太田氏のいう「分類系統学」とは,形質進化の確率モデルとベイズ法に基づく形質整合性分析(クリーク法)を系統推定法として採用したということになるだろう.現代的な意味でのモデル・ベースの系統学(model-based phylogenetics)にごく近いスタンスにあったといってもまちがいではないだろう.

5.おわりに――ごくパーソナルな幕切れ

以上,生前の太田氏が構築を目指した体系学理論の置かれるべきコンテクストをいくつかの視点から論じた.本来ならば,太田理論はもっとパブリックに論議されてもよかっただろう.しかし,現実にはそういう経緯はたどらなかった.運命の『進化学:新しい総合』が出版された1989年からすでに15年が経ち,日本の体系学者の間に太田理論はけっして浸透しなかったし(反論が湧き起こったわけではない),言及されることすらほとんどなかった.なぜだったのか.その大きな理由は,太田氏が自説に対して頑な姿勢をとり続けたために,論議のターゲットにすらならなかったことに帰せられるだろう.三中・鈴木(2002)はこのような姿勢を批判した――

「彼ら[太田邦昌・池田清彦・柴谷篤弘]には,他者の批判を仰ぐための基本的な姿勢が欠如していると言わざるをえない,それは,彼らが,真っ向から批判をされた時の態度に如実に出ている.つまり,彼らは,他者からの批判によって,自説を自省し,必要に応じて修正するという用意をまったくもっていないように思われるのである」(p.99).

別稿で論じるように(三中 2004),太田理論には根本的な問題点がいくつもある(三中 1991で指摘した通り).それは現在もなお解決されているとはいえない.もしも太田理論に対する活発な批判とそれに対する健全な論議の姿勢が保たれていたならば,その理論はひょっとしたら修正なり改訂が加えられていたものと著者は感じざるをえない.しかし――

「系統分類学や生物地理学分野でとくに激しい言葉を使わざるをえなかったのは,一部に歴史と論理と事実を無視する者が現在いるからであった.今後はぜひとも冷静な討論ができることを期待したいものである」(太田, 1989: 217)

――という独善的なスタンスのもとではいっさいの生産的展望はもとより拓かれるべくもなかった.

引用文献

  • Hull, D.L. 1988. Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. University of Chicago Press, Chicago, xiv+586pp.
  • 三中信宏 2004. 太田邦昌氏の【真正分類系統学】再考. Panmixia(昆虫分類学若手懇談会)[印刷中].
  • 三中信宏・鈴木邦雄 2002. 生物体系学におけるポパー哲学の比較受容. 所収:日本ポパー哲学研究会(編),『批判的合理主義・第2巻:応用的諸問題』, pp.71-124. 未來社,東京.
  • 鈴木邦雄・三中信宏 2004. 太田邦昌主要著述目録. 生物科学,55(4): 211-215. →※オンライン版

[了]