本書は,2010年4月に勁草書房から同一タイトルで復刊されました(→ 版元ページ).奥付は「2010年4月20日刊行」となっていますが,4月15日には書店配本されることになっています.今回の復刊では,原著者による寄稿「復刊によせて」(2ページ)と訳者解説「余波:〈かみそり〉をさらに鍛えること」(13ページ)を前後に補筆しましたが,それ以外の本文はいくつかの細かい修正箇所を除いては旧・蒼樹書房版と同一の内容です.目次情報はこちらをごらん下さい.今回,復刊が出版されたので,新しいコンパニオン・サイトを開設しました.なお,現時点では bk1 / amazon / 7-net / 復刊.com ですでに販売が始まっています.本体価格は5,000円,ISBN:978-4-326-10194-8です.[15 April 2010]
体系学とは、生物のもつ属性に基づいて多様な生物界を体系化する学問分野です。体系化の規準をどこに置くかは昔から議論の的で、いまなお論争の火種になっています。体系化の規準として最も有効なのは生物間の血縁関係(系統関係)すなわち「過去を復元すること」であると私は考えます。本書は、歴史を復元するという作業の哲学的基盤を、生物哲学・進化学・統計学の知識を駆使しながら、解明しようと試みています。とくに、現代の体系学の世界で、系統推定の方法論として広く用いられている分岐学(→参照:三中信宏『生物系統学(bk1)』)に焦点を絞り、分岐学理論の根幹を支える最節約性(parsimony)の批判的検討を行ないます。
分岐学が設定する形質進化数を最小化する最適化規準はいかなる理由で正当化されるのか、という一貫した問題を著者の著者は掲げます(第1章)。最節約性に関する対立するこの2つの見解−方法論的規則かそれとも存在論的原理(形而上学的原理)か−は、最節約性の思想的な源泉とされる14世紀の唯名論者ウィリアム・オブ・オッカムの思想にもやはり当てはまります。後世「オッカムの剃刀」という誤った伝説化を経験したオッカム自身の哲学が方法論的かそれとも存在論的であるのかは、中世哲学では現在もなお論争の的になっています。著者は、賛成論・反対論はともに論理的な欠陥があったと指摘します(第4,5章)。
著者は、この問題に対して、まったく新しい視点を導入します。つまり、最節約性に関するこの論争にこれまで決着が付かなかったのは、一般科学的(global)な最節約性を議論していたからであって、もっと個別科学的な(local)な最節約性の検討を行なわなければならない、と彼は言います。つまり、すべての科学に通用する最節約性の可否を論じるのではなく、個々の科学において最節約性がどのような役割を果たしているのかを調べるべきである、と主張したのです。著者は、最節約性の方法論的伝統と存在論的伝統をディヴィッド・ヒュームにまでさかのぼり、存在論的伝統がなぜ凋落したのかを探ります(第2章)。次いで、最近になって確率論的因果性に関連して議論される共通原因の原理が、その存在論的伝統の復活であること、そして仮説発見のような非演繹的推論では背景仮定の重要であることを指摘します(第3章)。本書での個別科学とはもちろん進化生物学です。著者は、進化プロセスの確率モデルを構築し、統計学的な尤度(likelihood)に基づく判定規準を前面に立て、系統推定法の比較評価を行ないます。それを踏まえて、分岐論的最節約法が立証されるパラメーター条件を明らかにしようと試みます(第6章)。
徹底的に疑うことが哲学の本質であるとしたら、まちがいなく本書は典型的な「哲学の本」です。生物学者がふだん深く考えないような概念・理論・仮定の皮を1枚ずつ剥ぎ取りながら、背景にある哲学的根源を暴く、という本書の基本姿勢は、著者の唱導する生物学哲学(philosophy of biology)の精神−−生物学に深く根差した哲学を目指す−−の現われであると私は感じました。生物学のみならず、哲学に関心をもつ読者にも本書を手に取っていただきたいと思います。