訳者あとがき —— 「かみそり」を系統学的に鍛えること



こんにちなお論議されているのは、オッカム自身の「剃刀」の性格もしくは用途に関する問題である。すなわち、オッカムはかれの「剃刀」をふるって何を剃りおとそうとしたのか、余分な諸々の存在(entia)か、それとも不必要な仮説なのかが論議されており、一言でいうと、「オッカムの剃刀」は形而上学的原理であったのか、それとも方法論的原則であったと解釈すべきか、が問題とされている。そして、一般的に言って、オッカムに対して批判的な論者は前者を、オッカム哲学を積極的に評価する論者は後者の解釈をとる傾向がある。(稲垣 [1990, p.72])

 体系学(systematics)とは、生物のもつ属性に基づいて多様な生物界を体系化(systematize)する学問分野です。体系化の規準をどこに置くかは昔から議論の的で、いまなお論争の火種になっています。過去30年にわたる体系学の論争史を知ることは、この学問分野の現在を理解するために不可欠であり、同時に科学史・科学哲学の格好のケーススタディとなっています(Hull [1988])。しかし、この論争史については、これ以上深入りしません。
 体系化の規準として最も有効なのは生物間の血縁関係(系統関係)であると私は考えます。日本ではこの点についていまもなお頑強に抵抗する分類学者がいますが、彼らの反論の論拠は、多くの場合、説得力が欠けています。対象生物群の系統関係をまず始めに推定することから体系化が始まるという考え方は、今日多くの体系学者が受け入れている基本的立場であると私は信じています。その時点で入手できる最良のデータに基づいて系統関係をできるだけ正確に推定することは、狭い意味での体系学者だけでなく、一般生物学の研究者にとっても有用であることが立証されつつあります。
 では、データに基づいて系統関係を推定するとは、いったい何を意味しているのでしょうか。いかなる前提が系統推定の背後にあるのでしょうか。そして、それ等の前提の妥当性はどのようにして示されるのでしょうか。今回翻訳した『過去を復元する』の中心テーマはそれです。現在のデータから過去の歴史を復元するという行為を、生物哲学・進化学・統計学の知識を駆使しながら、解明しようと試みています。とくに、現代の体系学の世界で、系統推定の方法論として広く用いられている分岐学(cladistics)に焦点を絞り、分岐学理論の根幹を支える最節約性(parsimony)の批判的検討を行ないます。
 分岐学は、昆虫学者 Willi Hennig の著作を通じて急速に広まり、いまでは最も有力な体系学の理論として普及しています。形質状態の変化の総数が最小になるように系統関係を推定するという分岐学の理論は、従来から体系学の重要な情報源であった形態データのみならず、近年急速に蓄積されている分子データへの適用も盛んです(Swofford et al. [1996])。本書では、分岐学についての詳しい説明は省かれていますが、すでに教科書が何冊も出版されていますので(Eldredge and Cracraft [1980], Wiley [1981], Nelson and Platnick [1981], Wiley et al. [1991], 三中 [1997])、詳細はこれらをご参照下さい。

 分岐学に基づく系統推定法−−本書では分岐学的最節約法(cladistic parsimony)という言葉で示される−−は、形質進化数を最小化するという最適化規準を設定します。この最適化規準はいかなる理由で正当化されるのか、という一貫した問題を著者のソーバー教授は掲げます(第1章)。
 ある量を最小化するという規準は、単に「純粋方法論的」な仮説選択の規準にすぎないのでしょうか(多くの分岐学者が主張するように)、それとも進化プロセスに関して現象面での仮定を置いているのでしょうか(分岐学への反対者が主張するように)。ソーバー教授は、両者のこれまでの主張を検討する限り、賛成論・反対論はともに論理的な欠陥があったと指摘します(第4章)。つまり、最節約性が純粋方法論的規準であるとする分岐学者の擁護(たとえば James Farris)は、最節約性には現象面での仮定をまったく置かないことをいまだに証明できておらず、一方、反対者の反論(たとえば Joseph Felsenstein)は十分条件を必要条件にすりかえるという論理の誤りを犯しているのでやはり反証とはいえない、と評決します(第5章)。
 最節約性に関する対立するこの2つの見解−方法論的規則かそれとも存在論的原理(形而上学的原理)か−は、最節約性の思想的な源泉とされる14世紀の唯名論者ウィリアム・オブ・オッカムの思想にもやはり当てはまります。冒頭に引用したように、後世「オッカムの剃刀」という誤った伝説化を経験したオッカム自身の哲学が方法論的かそれとも存在論的であるのかは、中世哲学では現在もなお論争の的になっているそうです(稲垣 [1990], 清水 [1990])。
 ソーバー教授は、この問題に対して、まったく新しい視点を導入します。つまり、最節約性に関するこの論争にこれまで決着が付かなかったのは、一般科学的(global)な最節約性を議論していたからであって、もっと個別科学的な(local)な最節約性の検討を行なわなければならない、と彼は言います。つまり、すべての科学に通用する最節約性の可否を論じるのではなく、個々の科学において最節約性がどのような役割を果たしているのかを調べるべきである、と主張したのです。
 ソーバー教授は、最節約性の方法論的伝統と存在論的伝統をディヴィッド・ヒュームにまでさかのぼり、存在論的伝統がなぜ凋落したのかを探ります(第2章)。次いで、最近になって確率論的因果性に関連して議論される共通原因の原理が、その存在論的伝統の復活であること、そして仮説発見のような非演繹的推論では背景仮定の重要であることを指摘します(第3章)。
 本書での個別科学とはもちろん進化生物学です。ソーバー教授は、進化プロセスの確率モデルを構築し、統計学的な尤度(likelihood)に基づく判定規準を前面に立て、系統推定法の比較評価を行ないます。それを踏まえて、分岐論的最節約法が立証されるパラメーター条件を明らかにしようと試みます(第6章)。

 多くの読者は、ソーバー教授の飽くことない捜査と執拗な追究のようすを目の当たりにして、つい息苦しささえ感じてしまうのではないでしょうか。しかし、徹底的に疑うことが哲学の本質であるとしたら、まちがいなく本書は典型的な「哲学の本」です。生物学者がふだん深く考えないような概念・理論・仮定の皮を1枚ずつ剥ぎ取りながら、背景にある哲学的根源を暴く、という本書の基本姿勢は、ソーバー教授の唱導する生物哲学(philosophy of biology)の精神−−生物学に深く根差した哲学を−−の現われであると私は感じました。

 著者のエリオット・ソーバー教授の経歴について紹介します。ソーバー教授は、1948年6月6日生まれで、今年48歳。1974年にハーバード大学で学位を取得後、ウィスコンシン大学(マディソン)の哲学科に移り、現在は同大学のハンス・ライヘンバッハ教授(1989年以降)ならびにヴィラス教授(1993年以降)の地位にあり、哲学科長も務めています。
 ソーバー教授の専門は科学哲学と生物哲学、とりわけ1980年代に入ってからは、進化生物学の哲学的側面を主として研究活動を進め、自然選択理論・系統体系学・文化進化・利他主義・最適化理論など現代進化学の最前線で生まれる問題を科学哲学の観点からアプローチする数多くの論文を発表しています。以下に列挙するように、進化生物学はもちろんのこと、生物哲学や一般哲学の教科書を含む、数多くの著書・編著があります:
  • Simplicity [1975], Clarendon Pr., Oxford
  • Conceptual Issues in Evolutionary Biology [編著 1984, 1994], The MIT Pr., Massachusetts
  • The Nature of Selection: Evolutionary Theory in Philosophical Focus [1984, 1993], Univ. Chicago Pr., Chicago
  • Reconstructing the Past: Parsimony, Evolution, and Inference [1988], The MIT Pr., Massachusetts(本書)
  • Core Questions in Philosophy: A Text with Readings [1990, 1995], Prentice-Hall, Englewood Cliffs
  • Reconstructing Marxism: Essays on Explanations and the Theory of History [共著 1992], Verso, London
  • Philosophy of Biology [1993], Westview, Boulder
  • From a Biological Point of View: Essays in Evolutionary Philosophy [1994], Cambridge Univ. Pr., New York
現在、David S. Wilson 教授との共著で、Altruism という本を執筆中とのことです。

 最節約性に関する彼の研究経歴は長く、最初の著書(Sober [1975])以来、現在にいたるまでこのテーマを研究活動の一つの核に据えています。系統学の分野でソーバー教授の名前を頻繁に目にするようになったのは、1983年以降のことで、本書『過去を復元する』の原書が出版された1988年を含む数年間の間に精力的に研究を進めたことがうかがえます。
 とりわけ、単純性あるいは最節約性というオッカム以来の伝統的哲学問題の延長線上に現代の生物体系学における系統推定問題を見据え、進化生物学という個別科学における最節約性の背景仮定を追究した『過去を復元する』は、進化生物学と科学哲学の両分野で注目を集めました。1991年に、本書に対して、科学哲学界では権威のあるラカトシュ賞(Lakatos Award)がソーバー教授に贈られたことは、本書が科学哲学に与えた貢献の大きさを物語っています。
 最節約原理をその方法論の根幹とする分岐学(cladistics)すなわち最節約法(parsimony method)は、本書で提起されたさまざまな問題点、とりわけ最節約法への支持あるいは批判の論拠にはどちらも欠陥があるというソーバー教授の指摘は、正面から受け止める必要があります。本書に対して、分岐学者はさまざまな反応を示しています(Nelson [1989], Donoghue [1990])。最節約原理の哲学的背景に関する本書の記述は、おおむね歓迎されていますが、最節約性の背景仮定の確率的評価に関しては、考察した仮想例が単純すぎるのではないかと批判されています。
 たとえば、本書では、分岐学的最節約法は共有原始形質には系統学的情報がまったくないとみなしていると記述されています。確かに、本書の仮想例のほとんどを占める単純な3対象問題では、共有原始形質と共有派生形質ははっきり区別でき、最節約法は前者は系統推定に寄与しないと考えます。しかし、一般的に言えば、ある系統レベルで共有原始形質であったとしても、もっと高次系統レベルではその同じ形質が共有派生形質と判定されるかもしれません。したがって、系統学的情報の有無は固定されているわけではなく、系統のレベルとともに変動するとみなす必要があります。
 また、本書では、形質状態は事前に原始的状態と派生的状態が推定されていることを前提にして議論が進められています。しかし、実際には、形質状態の原始性と派生性の区別を分岐分析に先立って行なう必要はありません。とすると、彼のいう形質状態の「一致」(matching)さえあれば分岐学的最節約法は実行でき、得られた無根樹に外群によって根を付けたときはじめて、原始性と派生性が決まると考えた方が適切でしょう。
 さらに、本書では、分子系統学で普及しつつある最尤法(長谷川・岸野 [1996])に関して、統計学的一致性や撹乱変数の処理をめぐる批判的見解が述べられていますが、それで決着が付いたわけではありません(Felsenstein [1991])。
 しかし、これらの指摘は、本書への反論ではなく、むしろ今後さらに考察を進めるべき方向を示唆したと考えるべきでしょう。
 今年はじめの私信で、ソーバー教授は、系統仮説の選択だけではなく、もっと一般的なモデル選択問題にいま関心をもっていること、そして有力なモデル選択規準である赤池情報量規準(AIC)について検討していると書いてきました。本訳書の「日本語版への序文」でも言及しているように、彼はAICに基づく情報量統計学を仮説選択における現代版最節約原理の1つとしてとらえているようです。最節約性の本質への探究はいまも続いているのです。

 著者自身認めているように、本書は内容的に決して消化しやすい本ではありません。一般的教科書ではなく、専門的モノグラフと位置づけられる本書は、むしろ最節約性という難題と格闘した「挑戦の書」とみなすべきでしょう。しかも、これほど格闘し続けてもなお解明し切れない疑問がいくつも残されているのです。単純性問題のもつ複雑さをあらためて思い知らされました。

 本書の翻訳に当たっては、多くの方々のお世話になりました。まずはじめに、5年前に翻訳を思い立ったとき、ぜひ出版するよう励ましていただき、お世話になった太田邦昌氏(松戸市)にお礼を申し上げます。太田氏の励ましがなければ、内容的にこれほどきつい本の翻訳を完成させようなどという野心はきっと起らなかったにちがいありません。また、途中段階の訳稿を読んでいただいたり、さりげなく「まだ出ないの」とか「本当に出るの」と訳者を刺激していただいた直海俊一郎氏・宮正樹氏(両氏とも千葉県立中央博物館)をはじめ多くの方々に感謝いたします。
 原書に散見された、内容の間違いと表記の不統一については、ソーバー教授に確認を取った上で訂正しました。引用文については、極力もとの文献と照合しました。また、参考文献リストについて、補足を付けました。原著者のソーバー教授には、たび重なる質問や依頼の電子メールにその都度ご返事をいただき、さらには日本語版への序文まで送っていただきました。教授のご厚意に深く感謝いたします。
 最後に、この翻訳がようやく完成できたのは、ともすれば停滞しがちだった訳業を絶え間なく叱咤激励し、長期間にわたって見守っていただいた、蒼樹書房の仙波喜三氏のおかげです。仙波氏には、どのように感謝していいのか、お礼の言葉が見つかりません。ほんとうにありがとうございました。

1996年5月
三中信宏
minaka@affrc.go.jp

引用文献

  1. Donoghue, M.J. [1990]: Why parsimony? Evolution, 44(4): 1121-1123.
  2. Eldredge, N. and J. Cracraft [1980]: Phylogenetic Patterns and the Evolutionary Process: Method and Theory in Comparative Biology. Columbia Univ. Pr., New York. (篠原 明彦・駒井 古実・吉安 裕・橋本 里志・金沢 至 共訳 [1989]: 系統発生パターンと進化プロセス:比較生物学の方法と理論. 蒼樹書房, 東京.)
  3. Felsenstein, J. [1991]: (Review). Journal of Classification, 8(1): 122-125.
  4. 長谷川政美・岸野洋久 [1996]: 分子系統学. 岩波書店, 東京.
  5. Hull, D.L. [1988]: Science as a Process: An Evolutionary Account of the Social and Conceptual Development of Science. Univ. of Chicago Pr., Chicago.
  6. 稲垣 良典 [1990]: 抽象と直観:中世後期認識理論の研究. 創文社, 東京.
  7. 三中 信宏 [1997]: 生物系統学. 東京大学出版会, 東京.
  8. Nelson, G. [1989]: (Review). Systematic Zoology, 38(3): 293-294.
  9. Nelson, G. and N. Platnick [1981]: Systematics and Biogeography: Cladistics and Vicariance. Columbia Univ. Pr., New York.
  10. 清水 哲郎 [1990]: 元祖《オッカムの剃刀》:性能と使用法の分析. 哲学, 11: 8-23.
  11. Swofford, D.L., G.J. Olsen, P.J. Waddell and D.M. Hillis [1996]: Phylogenetic inference. Pp.407-514 in: Molecular Systematics, Second Edition. (Hillis, D.M., C. Moritz and B.K. Mable, eds.) Sinauer Ass., Sunderland.
  12. Wiley, E.O. [1981]: Phylogenetics: The Theory and Practice of Phylogenetic Systematics. John Wiley & Sons, New York.(宮 正樹・西田 周平・沖山 宗雄 共訳 [1991]: 系統分類学 「 分岐分類の理論と実際. 文一総合出版, 東京.)
  13. Wiley, E.O., D. Siegel-Causey, D.R. Brooks and V.A. Funk. [1991]: The Compleat Cladist: A Primer of Phylogenetic Systematics. Univ. of Kansas Mus. of Nat. Hist., Lawrence.(宮 正樹 訳 [1992]: 系統分類学入門:分岐分類の基礎と応用, 文一総合出版, 東京.)