日本語版への序文

 科学理論は観察データが支持するときにのみ受け入れるべきであると一般には考えられています。けれども、観察された現象と整合的な科学理論がただ一つではなかったとしたら、どうすればいいのでしょうか。科学者はどのような基準で、それらのなかからもっとも妥当な理論を選んでいるのでしょうか。単純性(simplicity)や最節約性(parsimony)が基準として求められるのは、まさにこのときです。単純なすなわち最節約的な理論ほど、より美しくそしてより真実らしくみえるという意味で、他の対立理論よりもすぐれていると考えられています。
 単純性や最節約性が科学的推論の中で果たしてきた役割はいったい何でしょうか。これは哲学者にとってきわめておもしろい問題を提起します。哲学からの問いかけは、なぜ単純性と真実がむすびつくのかという疑問です。いうまでもなく、単純な理論はしばしばまちがっています。あたりまえのことですが、自然現象は時に複雑で、観察データをうまく解釈できるのは相当複雑な理論だけであるということもまれではないでしょう。けれども、それを指摘したところで、科学的推論の中での単純性基準の権威は揺らぎません。単純性を判定基準として用いることは、自然が単純であることを要求してはいません。単純性が主張するのは、観察データと矛盾しない理論がいくつかあるとき、もっとも単純な理論を選択すべきであるという点です。選ばれたもっとも単純な理論が、観察されたデータを説明しようとしてかなり複雑な理論になってしまうこともあり得るでしょう。要は、データによって等しく支持されているかぎり、さらに複雑な他の対立理論ではなく、もっとも単純な理論を、たとえそれが実際には複雑だったとしても、選ぶべきであるという点です。
 哲学者は、科学的推論に関わるこの問題をめぐって、2つの設問を立ててきました。それは、理論の単純性すなわち最節約性を何によって評価するのか、そして、自然現象についての私たちの信念を導く指針としての単純性や最節約性は、いかなる根拠によって正当化できるのか、という2つの疑問です。これらの問題はどちらも容易ではありません。実際、哲学側からの満足できる回答には今日もなお到達してはいないのです。
 この最節約性の問題に対する哲学からのアプローチの大半は、上の2つの疑問について「一般科学的」(global)な回答を与えようとしてきました。その背景には、単純性や最節約性の果たす役割はすべての科学において同一であるという仮定がありました。生物学での理論の単純性は、物理学での単純性と同じであり、それらは社会学での単純性とも等しいという仮定です。さらに、ある科学分野で単純性が理論評価基準として正しいならば、他の科学分野でも同様に正しいという仮定も置かれていました。これらの仮定が正しいことが明確に示されることはまずありません。それらは、暗黙のうちに、多くの哲学者のこの問題へのアプローチのしかたを制約してきました。
 本書は、このような一般科学的な仮定が成立しないかもしれない、ある科学問題を論じた本です。進化生物学者は、種間の系統関係の仮説を評価する基準として、仮説の最節約性を比較してきました。系統仮説の最節約性は、生物の観察された属性を系統仮説が説明するときに仮定しなければならない独立な進化起源の回数によって評価されます。ここでの最節約性が物理学や社会学での最節約性と同一であるかどうかは、けっして自明ではありません。また、進化生物学の理論において最節約基準を用いることの正しさが立証されたとしても、その立証が他の科学に通用するか否かも自明ではありません。おそらく、いま必要なのは、「一般科学的」(global)ではなく、「個別科学的」(local)な最節約性の説明だといえるでしょう。
 これは、哲学者だけが相手にしていればすむ問題ではありません。実際、進化生物学の中では、1960年代以降、いかなる方法で系統推定を行なうべきかをめぐり論議が絶えませんでした。本書では、この問題についての生物学者の議論の輪に入っていきます。その議論に関わってきた生物学者は、科学と科学哲学をまたにかけてきました。そこでは、科学と哲学の境界線はすでになくなりつつあります。
 この問題は進化生物学の研究にとって重要ですが、人間の知識に関わるもっと広範な哲学的考察にとっても同じくらい重要です。科学的論証は「客観的」であるとみなされてきました。ある理論が他の理論よりもすぐれているというためには、個人の主観的な好みなどではだめで、自然界の真実を求めるすべての人間が満場一致でそれに同意できなければならないと考えられてきました。しかし、科学者が単純性基準にしたがって信じるべきものを決めているとしたら、自然現象に関する彼らの主張ははたして客観的であるといえるのでしょうか。科学において単純性のはたす役割がいまだ未解決の謎である以上、科学者が主張する客観性なるものにも疑いの目を向けるべきでしょう。

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 本書が日本語に訳されたことを、私にとって大きな喜びです。著者ならだれしも思うでしょうが、自分の本が新たな読者の手に取ってもらえるのは、それだけでも光栄なことです。しかし、この日本語訳を私がとりわけうれしく思うもう一つの理由があります。それは、本書の出版後に私が知ることになったある日本人科学者の研究に関わっています。その日本人科学者とは、赤池弘次名誉教授(文部省統計数理研究所)です。赤池学派が行なってきた研究内容は、科学的推論において単純性と最節約性が果たす役割をさらに追究するための深い洞察を与えると私は信じています。この日本語版序文の終わりに、関連する文献をいくつか挙げておきました。このように日本人研究者の数々の研究は、最節約性の問題の解決に大きく貢献してきました。最節約性を論じた私の本が、哲学と科学に関心をもつ日本の多くの読者のみなさんに読んでいただけることを心から願っています。

1996年2月
エリオット・ソーバー

参考文献

  1. Akaike, H. (1973): Information theory and an extension of the maximum likelihood principle. Second International Symposium on Information Theory. Eds. B. Petrov and F. Csaki (Budapest: Akademiai Kiado), pp.267-281.
  2. Forster, M. and E. Sober (1994): How to tell when simpler, more unified, or less ad hoc theories will provide more accurate predictions. The British Journal for the Philosophy of Science, 45: 1-36.
  3. Sakamoto, Y., M. Ishiguro and G. Kitagawa (1986): Akaike Information Criterion Statistics. Dordrecht: Kluwer Academic Publishers. [日本語原書:坂元慶行・石黒真木夫・北川源四郎 (1983): 情報量統計学. 情報科学講座A・5・4. 共立出版,東京.]
  4. Sober, E. (1996): Parsimony and predictive equivalence. Erkenntnis, 44: 167-197.