三中信宏『進化思考の世界』目次


あとがき —— かき消せない進化



音楽とは生命であり、かき消すことはできない。
Musik er liv, som det uudslukkelig.
(Carl Nielsen 1925, Levende musik, København)

 古生物学者グールドの処女作は、ヘッケルの「生物発生原則」にいたる発生生物学の歴史を論じた大著『個体発生と系統発生[Ontogeny and Phylogeny]』(一九七七)だった。その冒頭には「私は本書を一個の生きものとみなしている。六年このかた、私はこれと生活をともにしてきた」(訳書、九ページ)と書かれている。グールドにとって「本を書く」という行為は生きものを育てるのに等しかった。書いては消しさらに修正を重ねることにより、一冊の本であってもたしかに成長し進化する。

 本書『進化思考の世界』は、前著である『系統樹思考の世界』と『分類思考の世界』に続く三冊目の「思考本」である。私が本を書くときは前作の延長線上にビジョンを描くので、この三冊は明らかに「姉妹本」であると断言できる。しかし、さらに遡るならば、これらの本のルーツとして私の処女作である『生物系統学』(三中一九九七)を挙げることは自然な流れだろう。その本を書くのに私は約五年を費やした。この点に関してはグールドと同じく本を育てたという自負がある。

 対象を生物にかぎらない「普遍的な系統学」があるのではないかという推測を私はその本を書く前から感じ取ってきた。体系学を構成する分類学や系統学は、形式方法論的にいえば、たしかに対象には限定されない普遍性を有している。しかし、科学史を遡ったときにその推測を支持するような実例をどれほど蓄積できるのかが前世紀末にはまだ心許なかった。

 『生物系統学』以降の私の「思考本」たちは、本書を含めて、いずれもこの問題意識を共有しつつ書かれてきた姉妹本である。この意味で、私はなお未完成の単一仮想本を今も連綿と書き続けているのかもしれない。装幀と造本の上では確かに個別分割された別個の書物であることは否定しようもない。もちろん、本書だけ単独で読んでもらえるようにはなっている。しかし、内容のつながりからいえば、私はこの一〇年あまりをかけて一冊の仮想本を書き続け、なおそれは完結しそうにないという夢想すらしてしまうことがある。

 進化思考はデネットが『ダーウィンの危険な思想』で喝破したようにとても危険な「万能酸」なのだろう。ダーウィン理論のもつこの危険性は実はダーウィンにはとどまらないのでないかと私は見ている。進化思考を内的に支える「体系化の精神」は分類思考あるいは系統樹思考という形をとって、人間社会の中に長く存続してきた。認知心理学の生得的基盤を考えるならば、外界の多様性をこのように体系化する性向はもって生まれたものと考えても過言ではない。そのような生得的性向が生物にかぎらず万物に作用するとき、万能酸としての進化思考は際限なく世界を溶かし続けるにちがいない。

 本書を手にする読者は古今東西のさまざま話題が乱舞する内容に面食らうかもしれない。しかし、進化思考という大物を相手にするためには、これだけの舞台装置を用意した上で初めて相手の演技が十分に鑑賞できるのではないか。そのような弁解を私は密かに用意している。

 なお、本書に掲載した図版のほとんどについては、私の個人蔵書から杉山久仁彦氏(株式会社DWH)がスキャンし、みごとな画像処理を施していただいた。ここに深く謝意を表するとともに、近い将来出版される予定の『系統樹曼荼羅』(二〇一一年刊行予定,NTT出版 → 趣意書目次案)の成就を心から願っている。それもまたあの仮想本のもうひとつの枝になることが期待されている。いったん芽吹いた「本の樹」の生命は書き手の興味と関心が尽きるまでかき消すことはもはやできない。

 最後に、本書が出版されるまでのたどたどしい道のりを考えるならば、自らの心が痛まないといったら嘘になる。飛ぶように軽やかに文章が書ければいいのだが、世の中そうはうまくいかない。担当編集者である井本光俊さんには、度重なる原稿対面執筆など、ご迷惑をかけてたいへんもうしわけなかった。この場を借りてお詫びとお礼を申し上げたい。

二〇一〇年八月 三中信宏   

Last Modified: 23 September 2010 MINAKA Nobuhiro