【書名】認知考古学とは何か
【編者】松本直子・中園聡・時津裕子
【刊行】2003年12月22日
【出版】青木書店,東京
【頁数】vi+262 pp.
【定価】2,900円(本体価格)
【ISBN】4-250-20335-2







【書評】※Copyright 2004 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

考古学における認知科学:〈分類〉対〈系統〉アゲイン

考古学は伝統的に進化学からさまざまな理論的影響を受けてきた.とりわけ,考古学における〈typology〉すなわち「型式学」の祖とされる Oscar Montelius(1903)には,生物分類学における種概念をモデルとして考古学における遺物・遺跡の分類体系を組み立て,その変遷過程を考察しようとする基本姿勢がはっきりと見られる.生物の時空的変化を跡付けるのが体系学(systematics)であるとするならば,考古学での型式学は非生物である遺物・遺跡の発展過程を系譜学的にとらえるための理論とみなせるだろう.生物学的データを解析する体系学の理論や方法論は,1960年代以降その基盤が再検討され,その結果として大きく変貌を遂げてきた(三中 1997).それと同様の変革が考古学の世界でも生じてきたのはたいへん興味深い.

考古学の現代史は型式学を生んだ〈文化史的考古学〉から出発して〈プロセス考古学〉そして〈ポストプロセス考古学〉という理念的な変遷を目撃してきた.科学としての考古学の理論基盤をどこに求めるか――かつての文化進化論をはじめ,文化相対主義,ポストモダン思想,フェミニズム理論まで,さまざまな主張が闘わされてきた.そういう中から生まれてきた立場のひとつが〈認知考古学(cognitive archaeology)〉である(松本 2000).本書はこの新しい考古学の思潮を初めて一般向けに紹介した本である.

1. 型式学と認知カテゴリー

従来の考古学の理論を超えた認知考古学がなぜいま必要とされているのか――本書は多くの事例を挙げながら問題提起をする.たとえば,第2章「型式・技術・認知」では,考古学を伝統的に支配してきた〈型式論〉への批判的見解が展開される――

分類と認知
型式学というものをつきつめれば,考古資料,とりわけ人工物の分類学のことをさす(横山 1985).分類は人間にとって本質的な営みであるが,その基盤は生物としての普遍的認知能力にあるといっても過言ではない.虫,魚,鳥,哺乳類,そして人類――反応のレベルはさまざまであっても,形や光(色),音,臭いなどをもとに,食物,敵,異性を見分ける.いずれも外部世界を分類しながら生きているのである.文化の多様性が認識されるにつれ,民族によって分類のしかたもさまざまであるという見方が強まったこともあったが,生物を分類する際には民族を超えて属のレベルでかなりの普遍性がみられることがわかってきている.属のレベルは人間が自然環境を利用していくうえで,判断の基準となるもので,視覚的特徴のまとまりもよい.こうした分類は,人類の進化の過程で発達してきた基盤的認知構造であるといえよう.[pp.36-37]

民俗分類学の適確な要約である.生物分類学だけでなく,考古学も素朴分類学的思考の埒外ではありえないということだ――

型式学は,考古学的訓練によって獲得された型式同定能力に支えられ,新型式や細分型式を定義づけ,分類体系としてまとめあげ,考古学的現象を解釈・説明するための基本的な方法論として存在する.[p.37]

認知考古学の基本理念は,いわば考古学での〈分類思考〉の背後にある人間の認知的特性をあぶり出すことにより,従来の問題の立て方では解明できなかった領域に踏み込もうとしているように私には感じられる.生物分類学者の多くは「分類学は認知科学である」という私の主張(三中 1997)に違和感を感じているようだ.しかし,認知考古学者は逆に考古学における「認知」を主たる標的とすることで,新たな研究領域を拓いているのではないか.今後,どのように発展していくのかが期待される.

世界的に見ても,日本では型式学的研究が重視される傾向が強いそうだ.確かに,国によるカラーのちがいは,進化学のみならず考古学にもあるのだろう.日本で型式が重視されるひとつの理由として,西村三郎(1999)は,中国の「正名思想」が連綿と生き続けているために,日本の博物学では昔から現在にいたるまで「個物崇拝」が続いているのだと指摘する.学問の別を問わず〈分類〉に対する基本姿勢に国によるパラレルな同調性が見られるとしたらたいへんおもしろい.

2. 認知科学としての考古学

注目すべき第4章は「考古学者の認知」を正面から取り上げている.たとえば,次の一節――

この分類・同定をめぐる速く正確な判断力を,筆者[時津裕子]は考古学的経験によって研ぎすまされた鋭敏な感覚(認知)にもとづくワザ,つまり認知技能であるととらえ,「鑑識眼 expertise eye」と名付けて研究を行っている〔時津 2000a・2000b; Tokitsu 2001〕.[p.164]

などは,考古学者だけでなく,生物分類学者にも相通じるものがあるだろう.こういう鑑識眼の認知科学的考察を通して,著者は考古学の実践への応用だけでなく,考古学教育にも貢献できると考えている.確かにその通りだろう.さらに,遺物の型式認知に関する心理カテゴリーに関してロッシュのプロトタイプ理論を踏まえた考察がなされている(第5章でも).

認知考古学は遺跡や遺物の〈分類〉から「認知」に進んでいった.では,考古学のもうひとつの要素すなわち〈系統〉についてはどうだろうか.これまたきわめて興味深い進展が最近見られる.それは〈分岐学的考古学(cladistic archaeology)〉の登場である(O'Brien & Lyman 2003a,b).考古学における“系統推定”の方法論を生物学における分岐学(cladistics)に準拠させようという立場である.生物のみならず非生物にも分岐学の理論はいったいどこまで適用可能なのだろうか.分岐学的考古学はこれまで解明できなかった新たな知見をもたらすのだろうか.

私見では,旧来の型式学(日本ではとりわけ盛んだと言われる)に対する,認知考古学的なスタンスは,生物体系学でいう〈分類思考(group thinking)〉と〈系統思考(tree thinking)〉の対置に相通じるものがある.生物を対象として観察するとき,そこにどのような分類群(タクソン)が認知されるか,それらのタクソンがどのような階層性をもつのかが従来的な意味での分類学の問題設定だった.しかし,1980年代以降,そのような〈分類思考〉的な問題設定とは別に,〈系統思考〉と呼ばれる問題の立て方があり得るだろうという認識が広まっている.すなわち,同じ生物を対象とするときに,それらの生物の間にはどのような進化的類縁関係があるのかという問題をまず立てるというのが〈系統思考〉の立場である.

〈分類思考〉と〈系統思考〉の一方が他方よりもすぐれているとか劣っているかという論議は意味がない.それらは単に問題の立て方がちがっているだけである.そして,それらの思考スタイルが有意義な結果を生む「場」が異なっているというだけのことである.

生物学でいう「類型学(typology)」は,進化思想が登場する以前の生物分類観の反映であり,少なくとも上の引用にあるような,明らかにヘッケルの影響を受けたと思われる〈系統学〉的な視点を指すものではない.この点ひとつをとっても,生物学の“類型学”と考古学での“型式学”にはその定義にちがいがあると言うしかないだろう.考古学のそれは,むしろ「系統の学」に近い位置にあるようだ.

3. 考古学における分類と系統

本書における〈分類〉に関する見解には基本的に同意できるが,気になるのは考古学での〈系統〉に関する著者たちの立場だ.明示的には書かれていないような気がする.間接的であれば――

型式系列として認識されるものについて,考古学者はしばしば「系統」や「系譜」などの言葉をもって,背後に文化的連続性を措定してきた.[p.38]

という言及がある.著者たちは型式学ではなく認知考古学の中にそういう「連続性」を発見するツールの可能性を感じているようだ.でも,考古学的系統学の方法論は認知分類の〈外〉にあるべきだとぼくは思う(読みこみがまだ浅いのかもしれないが).

編年図に関する東洋と西洋のちがいの指摘(pp.201-208)は,考古学における“系統樹”の図像史にも言及している.日本の考古学界では編年史を「古いものが上,新しいものが下」というdownwardな書き方をするのがふつうであるのに対し,諸外国では上下が倒立したupwardな書き方をするという.著者はこの現象を日本の考古学者の認知的特性に帰している(p.201).しかし,むしろ学問的伝統の影響とみなす方が無理がない解釈ではないか.たとえば,写本系図学や歴史言語学のstemmaやtreeは共通祖先が上にあり子孫は下に配置されるdownward形式で描かれる.これは祖先からの「崩壊」を意味するものと図像学的にはとらえられているらしい.生物系統学における有根系統樹では同時代的にdownwardとupwardな系統樹が混在する.系統関係のグラフ表示手段としての「樹」や「階梯」はそれだけとっても複雑で深遠な思想史的背後関係を担っている(Barsanti 1992).したがって――

上が古く下が新しいとする認識は人類普遍といえるかどうかはわからないけれども,自然に出てきうる主要パターンであることは間違いなさそうである.したがって,編年図の下に古いものを置く欧米の考古学者のほうが自然状態での認知傾向に逆らっており,考古学的学習により本来の認知特性が修正されているのではないかと思われる.[p.205]

という推論には私は疑念を抱いている.少なくとも現時点では論拠が薄弱であると言わねばならないだろう.

考古学における〈分類思考〉と〈系統思考〉は,それぞれ〈認知考古学〉と〈分岐学的考古学〉という新たな考古学の理論を生み出した.同じ考古学的データを踏まえたこれら二つのアプローチはともに生物進化学に深く根差している.生物分類学におけるまったく同様の思考スタイルとの比較を通すことにより,単に考古学のみに限定されないもっと一般的な観点からの本書の「読み込み」が可能であることが示唆される.たいへん興味深く,また参考になる新刊である.

遺物や遺跡など考古学的データを踏まえて,過去の人間がどのような認知行為をしてきたか,その背後にどのような認知能力が潜んでいるのか――今までであればそのような「あやふやなもの」が研究対象となるとは誰も考えなかっただろう.しかし,認知考古学はあえて考古学の認知科学的の側面に光を当て,そこに解くべき問題を見出そうとする.その視点は明らかに人間進化学に向けられており,最近の「進化考古学」と呼ばれる領域にも通じている.考古学は再び進化学との接触を強めつつあるのだろうか.

引用文献

三中信宏(29/March/2004)


【目次】
序章:今なぜ認知考古学が重要なのか 3

第1章:変化の説明と認知 11
 第1節 人類の認知進化 12
 第2節 農耕の始まりと進化 20

第2章:型式・技術・認知 33
 第1節 型式学を超えて 36
 第2節 石器のかたちはどのように決まるか――石器製作行為をめぐる人間の認知 54
 第3節 石材の「選択」――価値観と指向性 71
 第4節 色調変化からみた九州弥生土器の地域色 87

第3章:世界観とシンボリズム 105
 第1節 縄文時代の埋葬行為にかかわる知識――被葬者の身体と副葬品の空間的関係の分析から 110
 第2節 世界像としての古墳被葬者の身体――死者の身体をめぐる行為と認知 129
 第3節 埴輪の使い分けと古墳のシンボリズム 143

第4章:考古学者の認知 157
 第1節 考古学者の認知技能 161
 第2節 考古遺物におけるカテゴリーの問題――北部九州の突帯文土器を対象として 181
 第3節 考古学的思考の再検討――考古学的解釈・検証のプロセス 197

第5章:認知考古学と認知心理学 221

あとがき 249

用語解説 253
索引 258
執筆者紹介 262