『分類思考の世界』コンパニオンサイト


「分類思考」

—— 飽くなき好奇心の果てに見る人間性の淵源 ——


私たちは,汚れなき好奇心に導かれるかのように,生まれながらにして「ものを集める」ことがとても好きである.それだけでなく,苦労して集めたものをきれいに「分けて」整理したいと考えるのもまた人の性【さが】である.なぜ人間は「分類」という行為に耽る普遍的習性があるのだろうか.身のまわりのものがぜんぜん片付けられないという人は少なくない.しかし,社会生活上いささか問題のあるそういう人でも,少なくとも頭のなかではちゃんと自分の周囲のものを「分類」しているにちがいない.そうでなければ日常生活を送ることができなくなるからだ.

「分類」について考察するときに直面する根源的な悩ましさは,われわれ人間があまりにも深く「分類」に関わりすぎているからだろう.誰もが日常生活のなかでさまざまなものを分類しながら生きてきた.それは,食卓の野菜や果物だったり,庭に飛んでくる蝶や蜂だったり,あるいは趣味で集めている切手やフィギュアだったりする.生活者としてのヒトは万物の「分類者」にほかならない.そして,「分類者」でないヒトはどこにもいない.

ところが,誰もが「分類者」であるがゆえに,「分類とは何か」を客観的に問うことがかえって困難になる.ジョルジュ・ペレックは「私は分類する前に考えるのか、考える前に分類するのか。考えることをどうやって分類するか。分類しようとするとき。どう考えるのか」(『考える/分類する』ニ〇〇〇年,法政大学出版局,一一九ページ)と自問自答する.自分で自分を分析するのはいつでも難しい.それでも,「ワタシはいかに分類しているか」を知りたいワタシがここにいる.

このたび出版した現代新書『分類思考の世界:なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』では,人間であるかぎり誰もが直面するこの「分類」の様相を,ヒトが生得的に有する思考様式すなわち「分類思考」という観点からいくつかの問題群に光を当てた.三年前に同じ現代新書から姉妹本である『系統樹思考の世界:すべてはツリーとともに』を出版した.前著が「系統樹」という歴史の視点(すなわちタテの視線)から世界を見ようとする考えを呈示したのに対し,『分類思考の世界』では「分類」というヨコの視線で万物のありさまを理解するスタンスがあることを説明しようとする.

生物分類学という学問がある.地球上に存在する(あるいは過去に存在した)生きものたちを分類することがその使命である.サイエンスとしての分類学は「分類」のための概念装置を何世紀にも及ぶその長い歴史のなかで培ってきた.その代表が「種(species)」という概念である.現在でも人跡未踏の地域から「新種」の生きものが新たに発見されたという報道が新聞の紙面を飾ることがある.「種」は単に科学者の独占物ではなく,一般社会の中でも関心を集める題材である.

では,「種」とはいったいどのように定義されるのだろうか.新たに発見された生きものが未発見の新しい「種」であるとはどういうことなのだろうか.「種」にまつわる諸問題(総称的に「種問題」と呼ばれる)は現在の生物学においてもまだ最終的な決着にいたってはいない.「種」をどう定義するかという基本中の基本についてさえいまだに研究者の間でコンセンサスが得られてはいない.『分類思考の世界』では,私は「種」の問題はヒトの心理の問題であるという基本的な立場を貫いている.つまり,「種」は自然界の中に実在するのではなく,われわれヒトの脳の中でつくられる認知的な集合にほかならないというスタンスである.

「分類」の問題,とりわけ「種」の問題に取り組むには,生物学だけでなく,認知心理学や文化人類学,さらには哲学や形而上学にまで踏み込んだ議論が必要になる.近代分類学を築いたカール・フォン・リンネはヒト属の特徴を記載する代わりに「己を知れ」と書き残した.生きものとしてのヒトが自分自身を知るためには,狭い学問の壁の中に閉じこもっていたのではどうしようもない.

分類の問題はしょせん「種」の名前をどうつけるかだけのことではないかという冷ややかな意見もあるだろう.しかし,万物を分類して命名するという目標はわれわれ人間にとっては困難なハードルとなる.実際,中世の西洋社会では「記憶術」という魔術的な分類技法が編み出されたことがあった.日本を含む東アジア地域でも,「正しい名前」をつけることにより対象物の「本質」をとらえられるという「正名思想」がかつて広がっていた.洋の東西を問わずみんな分類には苦労していたのだ.陰陽道でも「正しい名前」を言い当てることにより相手を操れる呪術が登場する.陰陽師ならばこう言うにちがいない:

「種【しゅ】とは呪【しゅ】なり;その力侮るべからず」

われわれは,「分類」や「種」を通して,ヒトであることの冥い淵源を覗き込む.


本稿の修正版は『』2009年10月号(pp. 52-53)に同タイトルで掲載された.


Last Modified: 20 September 2009 MINAKA Nobuhiro