【書名】虹の解体:いかにして科学は驚異への扉を開いたか
【著者】リチャード・ドーキンス
【訳者】福岡伸一
【刊行】2001年03月31日
【出版】早川書房,東京
【頁数】430pp.
【価格】2,200円(本体価格)
【ISBN】4-15-208341-7


【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

科学が「解きほぐした虹」は詩を語り好奇心を育む

『利己的遺伝子』,『延長された表現型』,『ブラインド・ウォッチメーカー』など進化学での数々の話題作を出してきたドーキンスの最新エッセイ集である.著者の特徴である闘争的な論争スタイルは『虹の解体』でももちろん踏襲されている。しかし、本書の目的は進化学にあるのではなく,もっと一般的な【科学と社会との関係】とりわけ【科学の誌性】への全面的擁護にある。したがって、内容的には「科学論」,より正確には,科学というものの考え方のもつ魅力を社会的に広報することに重きが置かれている。もちろん、著者の専門である進化学はもちろんのこと,天文学・認知科学・確率論をはじめ広範な科学・文学・哲学の話題が散りばめられている。これまでの著作になじんでいる読者にとっては,著者の博覧強記ぶりは心地よく感じられるだろう.

本書のタイトルである「虹の解体」という表現は,英国の詩人キーツの長編詩から取られている(p.66)。ニュートンの『光学』が虹の誌性を奪い去ってしまったというのがキーツの言わんとするところである。しかし、ドーキンスはむしろ逆に「詩人は科学がもたらすインスピレーションにもっと耳を傾けるべきで」(p.36)あると切り返す。すなわち「不可思議なものは、たとえそれが説明されてしまった後もその詩性を失わない」(p.69)と。

近代科学の象徴である「虹の解体」が科学による「詩性」の剥奪であると長らく批判されてきたことに対抗して,著者は「科学のもつ詩的な側面」(p.37)の全面的な擁護を本書で行なう.科学的分析の結果を著者は比喩的に「バーコード」と呼ぶ.続く3〜5章では,それぞれ光・音・DNAを例にして,科学の産物である「バーコード」の魅力を描きだす.つまり,著者は,巷間の批判を逆手にとって「虹の解体が明らかにしたものがもつ詩的な美しさ」(p.96)を明らかにしようとする.

冒頭1〜2章で科学が社会の中でどのように受容されてきたのかに触れた後,著者は現代科学をとりまくさまざまな【反科学的】ないし【似非科学的】な思潮を本書において片っ端から切り捨てている。本書が狙いを定める標的は,現代社会に広がりつつあるさまざまな反科学的思潮−とくにポストモダン科学論,フェミニスト科学論,カルチュラル・スタディーズ,オカルト,心霊,超心理学,占星術など−ならびに,単に人を惑わせるだけの科学思想群−ガイア,複雑系,階層理論など−である.

科学の詩性を擁護する著者は,人を惑わせる言動をする者に対してはことのほか辛辣である.さも科学的裏付けがあるかのように装った思想家たちの知的欺瞞をあざ笑うと同時に,日本でも人気のあるS・J・グールドでさえ「偽りの詩」(p.258)を語る者としてばっさりと断罪されている。著者の科学的思考に対する姿勢の厳しさを感じさせる.

では,現代社会を振り返ったとき,なぜ反科学的あるいは似非科学的な思想がこれほどまでに受容されやすいのだろうか.一言で言えば,それらは人々に安心・平穏・癒しを与えてくれるからだと著者は指摘する(p.194).そこで,著者は一歩踏み込んで,そういう日常感覚が幻想に過ぎないことを「ペトワック」−「本来偶然にすぎないのに,何か関係があるように見える事象の集合」−という新造語によって説明する(p.205).ペトワックの生起確率をきちんと計算してみると単なる偶然でも生じ得るのに,人間はそれにやすやすとだまされて「ありえないことが起きた」とみなしてしまうというのだ.なぜ偶然の一致に過ぎない現象を深読みして「秘められた関連性」をそこに見いだそうとするのか,なぜ写真に映った単なる模様を「顔」と認識してしまうのか−6〜7章で,著者は認知心理学と確率計算を駆使して,「神秘」なるものを次々に「解体」していく.

第8章はグールド・ファンにとっては心安らかではいられないだろう.スティーヴン・ジェイ・グールドの手になる偽りの詩(断続平衡理論,マクロ突然変異,「ワンダフル・ライフ」観)のもたらす弊害が厳しく糾弾される.この章に関しては,ダニエル・デネットの新刊『ダーウィンの危険な思想』にも同様のグールド批判の章がある.ただし、対グールド戦争は本書の中ではひとつのシーンにすぎない.その意味は著者の科学観の中ではじめて理解される.

著者お得意のミーム論および脳におけるハードウェア/ソフトウェア共進化論は後半4章に集約されている。これまでの著作を読んでいる読者は,ドーキンスの放った「ミーム」たちがさらなる進化を遂げていることを知るだろう.本書全体を通して,鋭い筆鋒と容赦ない批判は胸がすく.「利己的遺伝子」や「延長表現型」など数々の流行ミームを生み出した著者ならではの力強いメッセージを本書は伝えている.とりわけ「読んだり聞いたりして楽しいものとしての科学」(p.62)をつくっていきたいという著者の言葉が胸に残った.そういう科学であってほしいものだ.それはまた科学者の責任でもあるのだろう

三中信宏(5/May/2001)

【目次】
序文 7
第1章 日常性に埋没した感性 16
第2章 客間にさまよいいった場違いな人間 33
第3章 星の世界のバーコード 64
第4章 空気の中のバーコード 99
第5章 法の世界のバーコード 118
第6章 夢のような空想に ひたすら心を奪われ 160
第7章 神秘の解体 198
第8章 ロマンに満ちた巨大な空虚 240
第9章 利己的な協力者 279
第10章 遺伝子版死者の書 308
第11章 世界の再構成[リウィーヴィング] 335
第12章 脳の中の風船 377
訳者あとがき:ドーキンス vs グールド 413
邦訳引用文献 421
参考文献 430