【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【監訳】山口泰司
【翻訳】石川幹人・大崎博・久保田俊彦・斎藤孝
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京
【頁数】757+40 pp.
【価格】4,800円
【ISBN】4-7917-5860-9
【原著】Daniel C. Dennett (1995)
"Darwin's Dangerous Ideas: Evolution and the Meaning of Life"
Simon & Schuster, New York.

【目次】
はじめに 11

第1部 中間からのスタート
 第1章 「どうしてかしら」 21
  聖なるものなど、何もないのか? 22
  何が、どこで、いつ、なぜ−またどのように? 30
  精神が第一だとするロックの「証明」 34
  ヒュームの接近遭遇 38
 第2章 一つの思想が生まれた 47
  種のどこがそんなに特殊なのか? 48
  自然淘汰−とても信じられないような話 54
  ダーウィンは種の起源を説明したのか? 58
  ある種のアルゴリズムのプロセスとしての自然淘汰 65
  アルゴリズムとしてのプロセス 71
 第3章 万能酸 85
  初期の反応 86
  宇宙論的ピラミッドへのダーウィンの攻撃 90
  デザイン集積の原理 96
  研究開発の道具:スカイフックかクレーンか? 103
  誰が還元主義を恐れているのか? 113
 第4章 生命の系統樹 119
  生命の系統樹はどのように視覚化したらよいのか? 120
  系統樹の種を色分けすること 128
  回顧的戴冠:ミトコンドリア・イヴと姿の見えない起源 134
  パターン、過渡期の単純化、説明 140
 第5章 可能的なものと現実的なもの 145
  可能性のグレード 146
  メンデル図書館 150
  ゲノムと生態の複雑な関係 156
  自然化された可能性 163
 第6章 デザイン空間における現実性の織り糸 171
  デザイン空間におけるドリフティングとリフティング 172
  デザインゲームにおける不可避の一 178
  デザイン空間の統一性 187

第2部 生物学におけるダーウィン流の思考
 第7章 ダーウィンのポンプに呼び水を入れる 203
  ダーウィン時代の未開拓地に戻って 204
  分子進化 213
  ライフゲームの法則 223
  永遠回帰(永久反復)−土台のない生命? 246
 第8章 生物学はエンジニアリングである 253
  人工的なものについての科学 254
  ダーウィンは死んだ−ダーウィンの永遠なれ! 258
  機能とスペック 265
  原罪と意味の誕生 270
  チェッカーをするコンピュータ 279
  人口品の解釈学、あるいはリバースエンジニアリング 285
  メタエンジニアとしてのスチュアート・カウフマン 295
 第9章 質を求めて 307
  適応主義的思考のパワー 308
  ライプニッツ主義パラダイム 319
  制約のもとでプレーする 333
 第10章 がんばれカミナリ竜 347
  オオカミ少年? 348
  スパンドレルの親指 355
  断続平衡説:前途有望な怪物 373
  ティンカーからエヴァースへ、エヴァースからチャンスへ
   −バージェスー頁岩のダブルプレー・ミステリー 396
 第11章 控えめな論争 415
  無害な異説たち 416
  三人の敗者:ティヤール、ラマルク、方向を持った突然変異 425
  誰のためになるのか? 430

第3部 心、意味、数学、そして徳性
 第12章 文化のクレーン 443
  サルの親戚がミームに出会う 444
  身体の乗っ取り屋の侵入 352
  ミーム学は科学として成り立つのか? 465
  ミームの哲学的重要性 476
 第13章 ダーウィンに心を奪われて 489
  知能における言語の役割 490
  チョムスキー対ダーウィン:四つのエピソード 507
  数々のナイト・トライ 519
 第14章 意味の進化 531
  真の意味を求めて 532
  ふたつのブラックボックス 547
  抜け道ふさぎ 555
  未来への安全な移住 559
 第15章 皇帝の新しい心などの寓話 567
  王様の剣 568
  トウシバ図書館 579
  幻の量子重力コンピュータ:ラップランドからの教訓 589
 第16章 徳性の起源 601
  多より成る一? 602
  フリードリッヒ・ニーチェのなぜなぜ物語り 614
  貪欲な倫理学的還元主義の若干の変種 623
  社会生物学:良いと悪い、善と悪 644
 第17章 徳性をデザインし直すこと 663
  倫理学を自然化することは可能か? 664
  公募の審査 672
  道徳的応急手当への手引き 679
 第18章 ひとつの思想の未来 689
  生命の多様性をたたえて 690
  万能酸:取扱注意 705

註 707
付録 743
監訳者あとがき 747
参考文献 (15)
人名索引 (9)
事項索引 (1)

【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット

「万能酸」ダーウィン理論は言説をも溶かす?

三中信宏(農林水産省農業環境技術研究所)

 生物進化思想の人間そのものへの適用に対しては,ダーウィンによる『種の起源』そして『人間の進化と性淘汰』以来,激しい議論の火種を提供し続けてきた.2段組みで800ページ近い本書は,その分量もさることながら,論議されているテーマの広さは目くるめくばかりである.しかし,著者の基本的なメッセージはしごく明快である.本書全体にわたって復唱される「ダーウィンの危険な思想」というスローガンは,“自然淘汰”という「心を欠いた,機械的な−アルゴリズムによる−プロセスによって」(p.82),人間を含む進化の産物はすべて説明できるのだという立場を表わす.この「危険な思想」は,“万能酸”として作用し,「伝統的な概念をあらかた浸食しつくして,その後に一つの革新的な世界観だけを残していく」(pp.88-89).だからこそ,この思想の危険性に気付いた批判者たちは,なんとかこの“万能酸”による浸食を力づくで封じ込めようとしてきた.しかし,そういう批判はすべて無駄なあがきなのだと著者は言う.
 本書で標的にされる「批判者たち」は多岐にわたる.章を割いて批判されている有名人には,言語学者ノーム・チョムスキー(13章)や物理学者ロジャー・ペンローズ(15章)が含まれるが,とりわけ古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドに対する手厳しい批判は注目される.日本でも人気のあるグールドは,適応主義批判・断続平衡説・バージェス動物相などをめぐるネオダーウィニズム批判の論陣を張ってきた.しかし,著者に言わせれば,彼の主張は「結局は,正統派に対してはせいぜいのところ穏やかな修正にすぎなかったのだが,外部世界への言葉の上での衝撃は,巨大で,事実を歪めるものだった」(p.349)と断罪される.
 グールドのネオダーウィニズム批判は,進化はアルゴリズムであるという点をまさに攻撃しているのだと著者は言う(p.353).では,グールド(およびその他多くの批判者たち)は,どのような代案を出してきたのか?−それは【スカイフック】(p.105)である.ある現象が機械的なアルゴリズムでは説明できないと反論するためには,何か特殊な能力のある要因の登場を待つしかない.それが,グールドの場合は,バウプランとか断続平衡とか歴史的偶然性というスカイフックなのだと著者は指摘する(10章).
 スカイフックとは反還元主義のスタンスであり,ダーウィンに危険な思想が指し示す還元論的なスタンス−著者は【クレーン】(p.105)と名づける−に対立するとされる.しかし,この対立図式はまちがいであり,貪欲な還元主義(スカイフック)と良き還元主義(クレーン)があるだけである.そして,スカイフックはえてしてクレーンが結果として正しいことを示してしまう.もちろん,著者は,「ダーウィンの危険な思想」がもつ言説としての危険性,すなわちもっともらしい進化的説明のでっち上げがきわめて容易であることを十分認識している(p.706).だからこそ,この万能酸は「取扱注意」であると言わねばならなかった.
 このような大著の訳出には,相当の苦労があったことがうかがわれる.しかし,あえて欲を言えば,生物学関連用語の訳語には再検討の余地がかなりある.また,日本語訳された書籍を文献リストに示さなかったのは,明らかに方針の誤りである.しかも,文中に出てくる原著の訳タイトルが実際の訳書のタイトルと一致していないケースがかなりあり,読者はきっと混乱するだろう.
 原書の出版当時大きな話題を呼んだ本書は,たいへん内容の濃い論争書である.人工知能に関わる心身二元論や生物哲学の最近の話題である種概念・淘汰単位論争など,他にも議論を引き起こす多くの主題が盛り込まれており,著者の主張に賛同するかしないかを問わず,じっくりと読んでほしい本である.

---
<Review> D.C. Dennett 2001 『ダーウィンの危険な思想』青土社(preliminary)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研← PPP from 高崎)です。

※ 昨年暮れから仕込み始めたカレーが今日ようやく食卓に運ばれます。よかったよかった。

[7880]で紹介した新刊(日付の上ではまだ出版されていないはずなのに、先月下旬からすでに方々の書店に並んでいる)の書評に進みましょう。

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【監訳】山口泰司
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京
【頁数】757+40 pp.
【価格】4,800円
【ISBN】4-7917-5860-9
【原著】Daniel C. Dennett (1995)
"Darwin's Dangerous Ideas: Evolution and the Meaning of Life"
Simon & Schuster, New York.
---

本書は、まちがいなく「今年」の念頭を飾る、進化学関連新刊書の【目玉】です。

【万能酸】として取扱い注意の「ダーウィンの危険な思想」が、われわれの世界観と人間観をどのように変えていくのか−この大きなテーマをめぐるさまざまな議論が本書では展開されます。

もちろん、ビッグネームであるスティーヴン・グールドやノーム・チョムスキーは、デネットの「標的」として徹底的に粉砕されます。

「スカイフック」対「クレーン」の対比など、印象的なアナロジーがふんだんに出てくるので、読者もうかうかしてはいられません。おまけに、訳文にいささか難があるので、読みながらそこのところもクリアしなければならないという翻訳書特有の【愉しみ】も読者に残されています(^_^;;;)。

さて−−−
2段組で800頁におよぶ分量の本を前にして、みなさんはどのような【読破術】をもっているでしょうか? 「静かに本を閉じて瞑想に入る」という究極の読み方もあるでしょう。しかし、著者はそういう選択肢を封じるかのように、各章の最初と最後に、隣接する章の内容を要約する一節を付けてくれています。ですから、まずはこの「要約」だけを読み進めば、わずか10分ほどで、この膨大な本書全体の骨格がつかめるという仕組みになっています。(→有髄神経内を跳躍伝導するインパルスみたいに!)

本論については追って書評文を流しますが、参考文献表(pp.[15]-[40])について一言。本書では、日本語訳された文献はいっさい示さず、「Webcatで調べよ」という手抜きをしています。もちろん、<http://webcat.nacsis.ac.jp/>にアクセスできる読者は【原理的】には調べられるのでしょうが、ちょっとねぇ...。

---
<Review> D.C. Dennett 2001『ダーウィンの危険な思想』青土社(1/3)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研← PPP from 高崎)です。

第1部(pp.18-200)を先ほど読み終えました。この上なく饒舌かつ非最節約的で、朝からもう満腹ですぅ(まだ全体の1/3なのに...)。

第1部では、ダーウィンが進化過程を「アルゴリズム」として提示したこと、そのためダーウィンの思想が「万能酸」としてあらゆるものを腐蝕していくという「危険性」をもつにいたったこと、さらに批判者たちが「ダーウィンの危険な思想」を力づくで封じ込めようとしてきたことを明らかにします。

第1章:「ダーウィンの危険な思想は、ダーウィン理論の見識ある擁護者の多くが今なお身をもって認めているよりずっと深くまで、私たちのもっとも根本的な信念の織物を切り裂いてしまう」(p.23)−その「深さ」を実感させることが本書全体の目的です。

「なぜ」という疑問に対するアプローチは、西洋では伝統的に「神」と結びつけられて因果的に論じられてきました。因果学(etiology)の一つである目的論に基づく説明の連鎖は、最終的には「神」に帰することにより終結します(p.32)。それまでの西洋的世界観では、「初めに精神をともなった何物か...が存在したのだ。...これを否定することなど、おそらく考えることさえできないだろう」(p.37)。これに対して、「ダーウィンの一番の根本貢献の一つは、“なぜ”という問いの意味を私たちに新しく了解させてくれる道を示している点にある」(p.33)と著者は言います。

第2章:ダーウィンは、最初は、ごく控えめに「種 species」の問題の解決を目指しました(p.48)。種ならびに分類の問題に対する本質主義的アプローチは生物学の歴史にしっかりと絡みついていて、「生物の自然体系を支えるもろもろのカテゴリーのなかには発見されるべき実在的本質が存在するのだという一般原則」(p.52)を信奉する博物学者がほとんどでした。「ダーウィンが本質主義を転覆させたということは、今日でも完全に理解されているわけではない」(p.53)−とすると、ダーウィンによるこの「転覆」がいかにして実行されたのかを見極める必要があります。

この実行計画は「種の進化」と「自然淘汰」という二本柱に沿って進められました。分類群の階層構造の由来を因果的に説明するために提唱された自然淘汰は、結果として「種」概念そのものに対して揺さぶりをかけます。つまり、「ダーウィンは種という概念の“原理的な”定義を見いだそうとする私たちの努力に水をさす」(p.62)。種問題への考察は後ほどさらに詳述されます(第4章)。

自然淘汰が“アルゴリズム”−「それが“作動”ないしは実地に適用されれば必ず−論理的には−ある種の結果を生みだすものと期待される、ある種の形式的プロセス」(p.68)−であるという著者の主張はたいへん明快です。アルゴリズムとしての自然淘汰の特質は、基質中立(素材の特性に依存しないこと)・無精神(智恵や判断を要求しないこと)・結果保証(作動すれば必ず結果を生む)の3点です(pp.68-69)。このアルゴリズム的解釈は、自然淘汰が【力】であることを別の言い方で表現したものと私は理解しました。

「ここにはダーウィンの次のような危険な思想がある。すなわち、アルゴリズムのレベルこそが...自然界の...すべての驚異の的をもっともうまく説明してくれる〈のだ〉という思想が」(p.81)。無精神的アルゴリズムとしての自然淘汰を提唱することにより、ダーウィンは西洋の伝統的世界観をくつがえしたということです。

なお、この第2章の訳文はとりわけ絶悪です。

第3章:再帰的アルゴリズムは、第i段階から出発して第i+1段階にいたる手続きを明示します。つまり、ある「中間段階」の生物から始まる因果的プロセスがダーウィンの言うアルゴリズムとしての自然淘汰であると著者は説明します(p.86)。この戦略はきわめて堅実であり、ダーウィンの思想が生物学に限らす周辺諸科学に止めどなく広がり続ける【万能酸】−「非常に腐食性の高い液体で〈どんなものでも〉浸食していく」(p.88)−でありえたのは、この堅実さゆえでした。

批判者はこの【万能酸】による無制限の浸食を食い止めようとして「力づくの封じ込め政策」(p.89)をとってきました。とりわけ、スティーヴン・ジェイ・グールドによる封じ込めは有効であり、著者は後の第2部で彼の「封じ込め政策」を徹底的に粉砕しようとします。

無精神的なアルゴリズム(あるいは blind watchmaker)に頼って精妙な自然現象を説明するというアプローチを批判する側は、結局のところ【スカイフック】を探し求めているのだと著者は言います。【スカイフック】とは deux ex machina と同根で、「困難な環境から手に余る対象を持ち上げて、あらゆる種類の建築プロジェクトをスピードアップするのが大得意な、あったらすばらしい物」(p.105)と定義されますが、著者の見解では「スカイフックが存在することはありえない」(p.105)。

では、【スカイフック】に対抗する立場とは何か−それは【クレーン】です。【クレーン】は、「すでにある手持ちの日常的なパーツからデザインされて組み立てられなくてはならず、実在する大地という堅固な基盤の上にしつらえられなくてはならない」(p.105)。「もの」としての【クレーン】の例として、著者は有性生殖(p.107)とボールドウィン効果(p.108)を挙げます。

【スカイフック】対【クレーン】の対立は、そのまま【反還元論】対【還元論】の対立と結びつきます(p.113)。しかし、著者は、この対立図式は不毛であり、「好ましい還元論」と「貪欲な還元論」があるだけだと指摘します。進化理論の文脈の中で言うと、「貪欲な還元主義は、物事はすべてクレーンなしでも説明できると考え、好ましい還元主義は、物事はすべてスカイフックなしでも説明できると考える」(p.115)。このあたりの議論は、「還元主義」にまつわる生産的でない論議を一掃処分する上で役に立つと私は感じました。ダーウィンの危険な思想は好ましい還元主義の権化(p.115)と描かれます。

第4章:「種問題」への再訪です。種に関する著者の見解ははっきりしていて、私は全面的に同意します。「問題を解決してくれる隠された事実や本質など何もない」(p.132);「プラグマティックな考察か審美的な考察のどちらかに依存するしかない」(p.130);「本質主義者のやり方で線を引く必要はない」(p.132)。要するに、唯一無二の種概念は「ない」ということです(p.133)。

第5章:デザイン空間(生物のゲノム空間とか人工物のデザイン空間などを包括する)の中で、可能性がどのように実現するのかに論は進みます。生命の系統樹を生物界の前提とするとき、空間内のある位置に実現した生物は系統樹の上で「アクセス可能」だったのだと言えます(p.167)。

第6章:引き続きデザイン空間における歴史的「偶然」とそれが後に科す「必然」を論じます。歴史的次元を導入したとき、現在から過去への歴史的推論が可能になります。生物だけでなく、言語やマニュスクリプトの系図もまた歴史的な推論で、いずれもデザイン空間の中での話です。著者のユニークなところは、「デザイン空間はただ一つしか存在せず、そこでは現実のどんなものも他のあらゆるものと結びついている」(p.187)という認識です。生物・人工物はもちろん第3部で論じられるミームもまたこの単一デザイン空間に属しているという主張を著者は進めます。

デザイン空間の単一性と、その中にさまざまなツリーが枝を張っているというイメージを私は描きました。

ということで、第1部は終わりです。

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京

はじめに 11
第1部 中間からのスタート
 第1章 「どうしてかしら」 21
 第2章 一つの思想が生まれた 47
 第3章 万能酸 85
 第4章 生命の系統樹 119
 第5章 可能的なものと現実的なもの 145
 第6章 デザイン空間における現実性の織り糸 171

---
<Review> D.C. Dennett 2001『ダーウィンの危険な思想』青土社(interlude)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研← PPP from どっこい高崎)です。

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京
---

デネットの本には、フリードリッヒ・ニーチェへの言及が頻繁にあります。ダーウィンに敵対しながらも、ダーウィン的に振る舞ってしまうという複雑な役回りを演じたとデネットはとらえています(pp.246-247 ならびに第16章第2節「フリードリッヒ・ニーチェのなぜなぜ物語」)。

ニーチェはダーウィン自身の著作に触れたわけではないそうですが、19世紀後半のドイツ的ダーウィニズムの洗礼はたっぷりと浴びたとのこと(p.247)。

「ニーチェは、進化は正しい世界像を提出しているが、それは悲惨な世界像だと考えた。彼の哲学は、ダーウィニズムを考慮しつつもダーウィニズムに無効と宣告されることのないような、新しい世界像をつくる試みであった」という R.J. Hollindale からの引用が第7章第4節「永遠回帰(永久反復)−土台のない生命?」の冒頭にあります(p.246)。

そういえば、アーサー・C・クラーク原作,スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968)の冒頭のテーマミュージックは、リヒアルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトストラはかく語りき」でしたね。黎明を思わせる金管セクションの主題旋律の炸裂の後、パイプオルガンの最強奏が響き渡る中を、【骨を叩きつける猿人】から【地球をながめおろす宇宙船】まで一挙に「進化」が進んでしまうという印象的なシーンを記憶されている方は多いと思います。

今朝の朝日新聞朝刊に、佐倉さんの記事「人間は進化しているのか」(*)が掲載されていました。『2001年宇宙の旅』をベースにした文章でしたが、いま読んでいるデネットの本の後半部分と通い合うものがあるように感じました。

なぜ『2001年宇宙の旅』のBGMはニーチェだったのでしょうね。(やっぱり「哲学」的な映画だったか)

*)佐倉統 2001. 人間は進化しているのか. 朝日新聞朝刊 2001年01月05日号
(27面).

---
<Review> D.C. Dennett 2001『ダーウィンの危険な思想』青土社(2/3)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研)です。

第2部は「論争の書」です.とくにスティーヴン・ジェイ・グールド批判の章(10章)は,読み応えがありました.

第7章は,生物進化の中間段階ではなく,その出発点すなわち系統発生のルーツを論じます.ダーウィン自身は,この原初状態はしょせん憶測の域を出ない「危険領域」(p.205)であるとして,心して踏み込まないようにしました.もちろん,この原初生命の出現に対しても,スカイフック的な救済を求めるのではなく,一連のダーウィン的クレーンの蓄積による説明が提示されます.

第8章では,以下の議論で頻出する著者の視点,すなわち「エンジニアリング」ないし「リバース・エンジニアリング」という視点の有効性が説明されます.スカイフックがある種の「奇跡」(p.256)による説明をするのに対し,クレーン的説明はデザイン空間の中での「知性のないだけに気長でもある」(p.256)プロセスの重要性を強調します.ステュアート・カウフマンは自己組織化という考えのもとに進化プロセスを論じたが,それはメタエンジニアリングに相当するものだと著者はみなします.

第9章では,前章で導入したリバース・エンジニアリングについて,適応主義とのからみでさらに論議を進めます.工学で言うリバース・エンジニアリングでは,「設計者が何を考えたか」を推論することが重要です(p.310).生物のリバース・エンジニアリングでも,同様の設問が過去の進化過程の復元に有効であると著者は言います(p.313).「生物学者は,この推論形式を〈適応主義〉と名づけて」(p.318)おり,それは「進化生物学における核心であり魂である」(p.319)と著者は言い切る.
 この【魂】を踏みにじったのが,ほかならないグールド&レウォンティンの「スパンドレル論文」(1979)であり,それに対する全面的反撃が以下の部分(pp.319-345)で詳細に展開されます.適応主義が just-so story をもたらす「パングロス」であると非難したスパンドレル論文は,適応主義そのものが論駁されたという誤った観念を社会にまきちらしたと著者は言います(p.321).著者の考えでは,適応主義には何も問題はなく(というか不可欠の思考態度),その使用法に善し悪しがあるだけだと主張します(p.323).この部分で,適応主義思考がなければ,相同性も判定できないとまで言うのは,おそらく筆が滑ったかな.
 予想されるように,just-so story づくりに対しても,著者は冷淡ではありません.むしろ,リバース・エンジニアリングの練習として,適応仮説をまず立てることが先決であり,テストについては後で考えればいいと言います(pp.327-328).仮説を立ててはじめて,研究が進められるだろうという考えです.逆に,グールドやレウォンティンは適応主義に代わる「代案」を何も提示していないではないかと著者は切り返します(p.331).

続く第10章では,グールドに照準を絞ってさらに反撃を続けます.著者に言わせれば,グールドの主張は「結局は,正統派に対してはせいぜいのところ穏やかな修正にすぎなかったのだが,外部世界への言葉の上での衝撃は,巨大で,事実を歪めるものだった」(p.349)と一言のもとに断罪されます.かのスパンドレル論文の象徴となったサンマルコ大聖堂のスパンドレルも建築史的に見れば「適応」にすぎないし(p.364),彼がおもむろに出してくる「バウプラン」とか「exaptation」もよくよく突き詰めれば「蒸発してしまう」(p.372)ような代物だからです.グールドは要するに何が不満なのか?−彼は「進化が結局のところアルゴリズムのプロセスにすぎないというまさにその思想に反対している」(p.353)と著者は指摘します.
 グールド&エルドリッジの断続平衡説も著者の標的から免れません(pp.373-395).系統漸進説を乗り越えて断続平衡を説明するためには,あらたな大進化プロセス(種淘汰など)を「スカイフック」として提案したのだが,結局それは「クレーン」によってしか説明できないことがわかりました(p.394).
 さらに,バージェス動物相をめぐるグールドの一連の主張(『ワンダフル・ライフ』参照)は,文字どおりこてんぱんに叩かれます(pp.396-412).グールドはバージェス動物相に基づいて,進化の根源的な「偶発性」−不運多数死decimationという表現によく現われている−を重視したわけです(p.405).彼がバージェス動物相の分岐分析はできないと言ったのも−Simon Conway Morris らがそれを後に否定した−,グールドの偶発性への傾倒ゆえであったのかと私は納得しました.しかし,彼が言うような偶発性は,しょせん既存の進化理論でも十分に説明可能な−つまりクレーンによって説明できる−ものにすぎず,あえてスカイフック的なものを出してくる意義はないと著者は結論します.

第11章では,パンスペルミア説・獲得形質遺伝・directed mutationなど,相対的に「無害」な異説を掃除した上で,淘汰単位論争というちょっとやっかいな問題に言及します.著者の見解では,淘汰単位に関する論議は,確かに解決が容易ではないが,切迫した問題ではなかろうとのこと.

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京

第2部 生物学におけるダーウィン流の思考
 第7章 ダーウィンのポンプに呼び水を入れる 203
 第8章 生物学はエンジニアリングである 253
 第9章 質を求めて 307
 第10章 がんばれカミナリ竜 347
 第11章 控えめな論争 415
---
<Review> D.C. Dennett 2001『ダーウィンの危険な思想』青土社(3/3)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研)です。

【万能酸】進化思想の人間観への波及を論じた第3部では,第2部と同様に,ビッグネームたち−言語学者ノーム・チョムスキー(13章)や物理学者ロジャー・ペンローズ(15章)他−を批判した上で,スカイフックなしの−クレーンだけの−進化思想を徹底させようと著者は主張します.

第12章では,ドーキンスの「ミーム」概念を導入した上で,遺伝子的視点だけでなく,ミーム的視点(p.477)を取ることが人間の進化を考える上で重要だと述べます.この主張は,脳や心を「スカイフック」化しようとするいろいろな反動的見解に対抗する橋頭堡として用いられます.

続く第13章は,チョムスキー批判の章です.チョムスキーは「心」は科学的研究の対象ではないとみなしました(p.510).そして,言語は生得的な mental organ であると言いつつ,それが自然淘汰の産物であることを一貫して否定してきました(p.514).では,チョムスキーは言語の由来をどこに求めるか−彼はそれが生物学的ではなく,むしろ物理学的な構造であると言うのですが(p.521),著者はそれは一種のスカイフックであると言います(構造主義生物学者 Brian Goodwin との共通性を指摘しつつ).

第14章は,生命の「意味」を探ります.ダーウィンの危険な思想は,生命の意味は,それ自体としては意味をもたないアルゴリズムとしての進化的プロセスによって生みだされることを示唆します(p.564).これにどうしても同意できない者は,別のスカイフックを持ちだしてくる−それがゲーデルの不完全性定理であると著者は言います.

「人間の心の本章について何か重要なことを証明するのに,ゲーデルの定理を使おうという長年の試みには,とらえどころのないロマンチックな雰囲気が漂っている」(p.568).物理学者ロジャー・ペンローズは『皇帝の新しい心』の中で,まさにこのスカイフックを持ちだしてきたと著者は続く第15章で批判します.人工知能の不可能性に絡めたペンローズの主張もまた,スカイフックなのだと著者は言います(p.590).

第16章では,徳性(morality)を論じます.利他行動に関わる淘汰単位論争を概観した上で(pp.602ff.),著者は進化倫理学における「自然主義的誤謬」に論を進めます.「である」イコール「べし」とみなすことは,悪しき「貪欲な還元主義」であり(p.623),それが誤謬であるという指摘そのものはまったく正しいと著者は認めます.自然主義を短絡的に誤用することが間違いなのであって,「人間性についての考察を基に,人間にとっての良き生活の根本的側面のいくつかを策定しようとする」(pp.623-4)自然主義は,「少しも間違いなどではない」(p.626)と見解が示されます.このスタンスに立って,人間の生物学的研究とくに社会生物学と進化心理学に対する基本的擁護がこのあと続きます.次の第17章は,関連する倫理的意思決定を論じます.

最後の第18章では,本書全体の締めくくりとして,遺伝子とミームを含むデザイン空間における「ダーウィンの危険な思想」の万能酸としての溶解力を認めつつ,そのプラス面とマイナス面を清濁併せ呑むように注意しています(p.706).

全体を通して,著者の物言いは全体として明快であり,時として楽観的すぎるようにも感じられます.しかし,グールドやチョムスキーら批判対象との見解の違いを浮き立たせるように自らの主張を述べていることがよくわかります.Behavioral and Brain Sciences 誌で1980-90年代に闘わされた論争をベースにして書かれた記述も多く,臨場感が感じられました.

たいへん大きな著作で,まだ書評も見かけませんが,すでに読破されたみなさんはどのような感想をもったでしょうか?

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京

第3部 心、意味、数学、そして徳性
 第12章 文化のクレーン 443
 第13章 ダーウィンに心を奪われて 489
 第14章 意味の進化 531
 第15章 皇帝の新しい心などの寓話 567
 第16章 徳性の起源 601
 第17章 徳性をデザインし直すこと 663
 第18章 ひとつの思想の未来 689
註 707
付録 743
監訳者あとがき 747
参考文献 (15)
人名索引 (9)
事項索引 (1)
---
<Review> D.C. Dennett 2001『ダーウィンの危険な思想』青土社(補足)
EVOLVE reader 諸氏:

三中信宏(農環研)です。

最後まで読んで一言:

本書の訳のレベルは「どうにも話になりまへんな」

もちろん、チェスから人口知能、ミームからバージェス頁岩、系統樹からリバース・エンジニアリングと目くるめく変転する主題に追い付くだけでもたいへんだろうし、そういう大著を日本語で読めるだけでも「よかったぁ」と訳者に感謝しています.

しか〜し!!

今回の翻訳は、いたるところ【手抜き】がみえみえ。

なぜ、参考文献中に、すでに翻訳されている書籍を明記するくらいのことができないのか? わざわざ「邦訳書の検索には国立情報学研究所のWebcatホームページが便利である」(p.[15])なんて書いていながら、訳者本人がその「便利」なはずのツールをまったく利用していない(要するにその手間を惜しんでいる)のが透けて見えてしまう。証拠はいくつもあります:

p.207:デントン『進化:危機に立つ理論』(→邦訳題は『反進化論』)
p.350:グールド『めんどりの歯』(→渡辺・三中訳の『ニワトリの歯』やったらありまっせ!)
p.509:チョムスキー『デカルト主義的言語学』(→邦訳題は『デカルト派言語学』)
p.627:ウィルソン『人間性について』(→邦訳題は『人間の本性について』)
etc...

手間を惜しんで適当に訳すから、こういうズレが出てきてしまう。(言行不一致だぞ)

また、生物学の基本用語に関してまったく【無知】であるのは、致命的。

本書の訳語       |原著(きっと正しい訳語)
−−−−−−−−−−−−+−−−−−−−−−−−−−−−
連結遺伝子座 |linked loci(連鎖遺伝子座)
同族関係 |homology(相同)
派生文字 |derived character(派生形質)
カタストロフ主義 |catastrophism(激変説)
自然のもうし合せ |natural arrangement(自然の配列)
etc...

細かい文章表現(「遺伝子瞰図」と書かれて gene's eye-view と理解できる読者は少ないと思う−「遺伝子の視点」でいいじゃないか!)を言い出せばもうきりがない。

..ってなわけで、翻訳のレベルはかなり低いです。(「ベック先生」の格好の餌食になってしまうぞ)

---
【書名】ダーウィンの危険な思想:生命の意味と進化
【著者】ダニエル・C・デネット
【刊行】2001年01月10日
【出版】青土社,東京
---