日本生物地理学会第61回年次大会シンポジウム

生物学哲学からみた生物の進化と系統

オーガナイザー:三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学大学院農学生命科学研究科)


日時:2006年4月9日(日)13:00〜15:00
場所:立教大学(豊島区西池袋)

13:00 - 13:05 三中信宏(農環研/東大・院・農生)
科学哲学と個別科学:進化学の武器としての生物学哲学について

13:05 - 13:30 森元良太(慶應義塾大・文・哲学)
進化論における確率概念を巡る哲学的問題

13:30 - 13:55 南部龍佑(上智大・哲学)
いかなる世界像を系統樹は描くのか:系統樹と科学的説明

13:55 - 14:20 直海俊一郎(千葉県立中央博物館)
進化する生物学的実体と「進化の結果」としての種

14:20 - 14:45 松本俊吉(東海大・総合教育センター)
科学哲学と進化学のインターフェイスは可能か?

14:45 - 15:00 総合討論


趣旨

進化学(evolutionary biology)ならびに体系学(systematic biology)のターゲットは過去に起こった現象であり,その視点から現在見られる多様な生物のあり方を論じる.したがって,直接的な観察や実験によって結果を得るというような典型的な“自然科学”のイメージを押し付けることはできない.むしろさまざまな証拠から妥当な説明や仮説を絞りこんでいくという意味では,“歴史科学”に近い性格をもっているといえるだろう.これまでの科学史や科学哲学は,典型科学としてたとえば物理学などの実験科学を念頭に置いて論じてきたが,そこで得られた科学に関する見解は進化学や体系学にそのままでは適用できない.進化学や体系学の現代史を振り返ると,どのような科学方法論に依拠すべきかをめぐる論争が繰り返され,それがこれらの個別科学の推進力のひとつになってきた.今回のシンポジウムでは,近年の生物学哲学(philosophy of biology)の進展をふまえて,いまいちど進化学・体系学と科学哲学の関わり合いについて議論する場を設けたいと考える.[三中信宏]


科学哲学と個別科学:進化学の武器としての生物学哲学について

三中信宏(農環研/東大・院・農生)

【要旨】進化学や体系学などの個別科学には,それぞれの学問系譜の伝承に由来する学問的性格と個性がある.同時に,それらの個別科学を推進するのは研究者コミュニティである.過去半世紀の歴史を振り返ると,現場の科学者が科学という行為をする際に,科学に関する知識(科学方法論,科学哲学,科学社会学などひとくくりにして「科学論」と呼ばれている研究領域)が「武器」としてきわめて有効だった.科学論が個別科学の武器としてどれくらい有効であるかという視点から見たとき,鳥瞰型グローバルな科学論ではなく,地域密着型ローカルな科学論であることが科学哲学がもつべき望ましい属性とみなせるだろう.科学そのものが進化する知の系譜であるならば,科学論もまたそれら個別科学とともに生きる道を歩んでほしいと思う.少なくとも進化学・体系学に関わる生物学哲学はその道を歩んできたと私は考える.


進化論における確率概念を巡る哲学的問題

森元良太(慶應義塾大・文・哲学)

【要旨】サイコロを投げて3の目の出る確率は何でしょうか.この問題に対し,大半の人は1/6と答えるでしょう.実際,確率の教科書にはそのように書かれています.では,1/6という確率は何を表わしているでしょう,と聞かれると,どのように答えるでしょうか.ある人は,極限頻度の定義から1/6という確率を求めることができるので,その確率は極限頻度を表わしている,と答えるでしょう.これは誰が計算しても同じ答えが出るという意味で,客観的な確率の解釈です.また,別の人は次のように答えるかもしれません.サイコロのある目が他の目より出やすいことを確信する根拠がない,つまりこのサイコロ投げの状況に対して私たちが無知であるので,私たちは各目の出る可能性を同じとみなす.すなわち,その確率は主観的な無知を表わしていると解釈します.このように,同じ出来事が起こる確率に対し,客観的と主観的という対極する解答が考えられます.これは「確率概念の解釈の問題」と呼ばれる哲学の問題の一つです.確率は進化論の数学モデルに必須の概念であり,この確率概念の解釈を巡り,哲学者の間で活発な議論が展開されています.本講演では,進化論における確率概念を巡る哲学的問題を取り上げ,生物学への哲学的アプローチの一例を紹介することを目的とします.


いかなる世界像を系統樹は描くのか:系統樹と科学的説明

南部龍佑(上智大・哲学)

【要旨】「われわれは書かれた系図を持っていない。つまり、われわれは何らかの種類の類似によって由来の共通性を描き出さねばならない」(『種の起源』第13章)。系統樹のアイデアを示すこのダーウィンの宣言には、なにか少し厭わしいものがあるように思われる。というのも、この「類似するゆえに、それらは共通祖先を持つ」という主張が正しい根拠が明確に示されているとは思えないからだ。そもそも「共通祖先」とは何なのだろうか? 「祖先種」のことなのだろうか? 「祖先個体」なのだろうか? それとも「祖先関係」なのだろうか? いったい系統樹は何を表し、何を説明しているのだろうか? なぜ類似性から共通の祖先の存在を導けるのだろうか? 本講演では、このような疑問を哲学者のあいだで議論されてきた「共通原因の原理」を鍵として解きたいと考えている。相関する複数の事象から共通の原因が存在することを主張する「共通原因の原理」は、系統推定に強い関わりを持つ。このことを踏まえて、系統樹が生物の世界の構造についてどのような描像を与えるのかという点について議論したい。また系統樹はどのような種類の科学的な説明なのかという点も合わせて考えたい。


進化する生物学的実体と「進化の結果」としての種

直海俊一郎(千葉県立中央博物館)

【要旨】私たちが生物を研究する場合,「生物は進化する」という大前提のもとに行う.ただし,生物分類学では,定義形質で定義するという進化論より前に提案された古典的な手法によって,種が定義・記載されてきたし,現在もそうである.その種が,皮肉なことに,生物の進化研究において基本単位となってきたし,今でもおおむねそうである.このような状況のもとで,理論的意義,操作性,適用可能性などを考慮して,よりよい種概念を求める努力が多くの研究者によってなされてきた.ところが,生物進化の過程(process)とパターン(pattern)などの研究者による異なった解釈が,伝統,学派,立場,見方,信条などの要素と絡まりあって,多種多様な共約不可能な種概念を生んできた.現在,一方では種は実体そのものであるとも,進化の単位ともいわれているが,他方では種などない,という意見がある.両極端な意見の混在に,種問題の解決の困難の究極をみる.種問題をここまでもつれさせている理由の1つには,もしかしたら,種をとにもかくにも実体とみなそうとする西洋の伝統が,「種が実在することを前提として」種問題を解決するように研究者を駆り立ててきた,ということがあるのかもしれない.いずれにせよ,種問題を取り巻く状況は,このように混沌としている.もし生物学的種概念や系統学的種概念などの既知の種概念が,よりよい自然理解に相応しいものではないとすると,現代の進化生物学・生物哲学・体系学といった学際的分野で有用な種概念とは,上の文脈の混沌のなかに何らかの秩序を見出すというかたちで形成されるものであろう.


科学哲学と進化学のインターフェイスは可能か?

松本俊吉(東海大・総合教育センター)

【要旨】科学哲学という学問分野は20世紀の初頭、論理実証主義の台頭とともに形成され、以後主に物理科学をモデルとして発展してきた。60〜70年代のパラダイム論争を契機としてその一部は科学社会学や現在のSTS運動などへと分岐していったが、一方で物理学や数学や生物学の基礎論として、個別科学の哲学の地道な研究も活発になされている。特に近年の生命科学の隆盛や70〜80年代の社会生物学論争を機に、「生物学の哲学」と呼ばれる分野が急速に成長し、米国のPSA(科学哲学会)などでも、物理学の哲学を上回るほどの発表者数を数えるまでになっている(ただし日本ではいぜんとして非常にマイナーである)。さて、私が理解するところの「生物学の哲学」―あるいはより限定的に「進化論の哲学」―の基本スタンスを一言で述べれば、「進化生物学の提起する問題のなかには、単に実証科学的研究だけでは決着のつかない、概念的・原理的な考察を必要とするものがある」というものとなる。本報告では、私が現在関心を持っている自然選択の単位の問題、適応主義論争の哲学的意味、社会生物学における人間文化の説明といった事例を取り上げつつ、哲学者たちが何にこだわり、こうした問題にどのようにアプローチしようとしているのかということの一端をご紹介したい。その結果として、「進化学と哲学の実りあるインターフェイス」が実際可能か否かという点は、会場の方々のご判断に委ねたい。


参考文献[進化学・体系学の哲学]

  • Jody Hey (2001a), The mind of the species problem. Trends in Ecology and Evolution, 16(7) : 326-329→DOI:10.1016/S0169-5347(01)02145-0.
  • Jody Hey (2001b), Genes, Categories, and Species: The Evolutionary and Cognitive Causes of the Species Problem. Oxford University Press, New York, xviii+217 pp. →書評・目次
  • 松本俊吉 (2004),進化生物学と適応主義.日本哲学会編『哲学』第55号,pp. 90-112→pdf (1.3MB) | doc (140KB).
  • 松本俊吉 (2005),進化と人間存在の偶然性.湘南科学史懇話会通信 第13号,pp. 23-36→pdf (1.7MB) | doc (600KB).
  • 三中信宏 (1997), 生物系統学. 東京大学出版会,東京,xiv+458 pp. →目次.
  • Ryota Morimoto and Yosaku Nishiwaki (2006 forthcoming), Probabilistic Reasoning in Evolutionary Theory, Keio University Press Proceedings→pdf (80KB).
  • 直海俊一郎 (2002), 生物体系学. 東京大学出版会,東京,x+337 pp. →書評・目次
  • Alexander Rosenberg (1994), Instrumental Biology, or the Disunity of Science. The University of Chicago Press.
  • Elliott Sober (1984), The Nature of Selection : Evolutionary Theory in Philosophical Focus. The MIT Press, Massachusetts, xii+383 pp. →目次
  • Elliott Sober (1988), Reconstructing the Past : Parsimony, Evolution, and Inference. The MIT Press, Massachusetts, xviii+265 pp.[翻訳:エリオット・ソーバー『過去を復元する:最節約原理・進化論・推論』(三中信宏訳),1996年刊行,蒼樹書房,ISBN:478913055X(絶版)→目次情報].
  • Elliott Sober (2000), Philosophy of Biology, Second Edition. Westview Press, Boulder, xviii+236 pp.

Last Modified: 6 April 2006 by MINAKA Nobuhiro