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On Abductive Reading
15 Tips for Knowledge Hunting with Books
Minaka Nobuhiro
お手軽に知識を得る道はまちがいなく “地獄” に通じている —— 私たちは本を選ぶ際,無駄に時間を食う “手間のかかる本” を避けて,素早く楽に読めてすぐ役に立つ本だけを手にしたいと思ってしまう効率主義の餌食になりやすい.「なんてったって現代人は忙しいからね」などと小賢しい言い訳はいくらでもつけられる.確かに,世の中には読みやすさ第一を標榜する “流動食のような本” はあふれかえっている.しかし,必要な “栄養素” だけ効率的に摂取できる “流動食” に慣れてしまうと,気が付かないうちにものごとを考えぬくための基礎的な知力が衰えてしまうだろう.本書はそういう世にはびこる「読書効率主義」とは正反対のベクトルを志向する.
読書とはつねに「部分から全体への推論」—— すなわち「アブダクション」 —— である.本の読み手は,既読の部分を踏まえて未読である本全体に関する推理・推論をたえまなく問い続ける.その推理・推論の目的である “全体” とは,その著書から読み取れる著者の主張を解釈することだったり,ある著者が依拠する知識体系を包括的に理解することだったりするだろう.本を読みながらあれこれ考えをめぐらすことは,リラックスして読める本ならばとても楽しい読書体験となるが,根を詰めて学び進めなければならない本だとときにつらい読書修行となる.読みながらものを考えることは,はたして「ユーレカ!」のひらめきをもたらしてくれるのか.それとも「下手な考え 休むに似たり」なのか.部分から全体への推論は首尾よく進められたのか,それとも単なる “誤読” に終わってしまったのか.
一読者にとっては,今の日本で毎年7万冊の新刊本が出ようが,その何百倍もの既刊本があろうが,実際に手にして読もうとするのはその中の一冊だろう.世の中の本のほとんどすべては,読者の知らないうちに出版され,知らないうちに出回って,知らないうちに本の海の中に消え去っていく.それらのおびただしい冊数の新刊や既刊の中から,読者がある本を実際に手に取る確率はかぎりなく小さくなっていく.その確率の試練を乗り越えて私たちのもとにやってきた本は,まさに「一期一会」と言うしかない.
自分が選んだ一冊の本をどのように読むかはすべての始まりであり,次へのステップでもあり,すべての終わりでもある.一冊の本を最後まで読み終えて充実した達成感を満喫できたならアナタは幸せな読者だ.しかし,読了した後も疑問が未解決のまま残ってしまうかもしれない.そんなときでもアナタは落胆する必要はけっしてない.自分がまだ知らない世界,理解できない世界が世の中にたくさんあることは紛れもない真理だから.一読して理解しきれなかった本はおそらく次に読むべき本を連れてきてくれるだろう.友は友を呼び,本は本を呼ぶ.巨大な “本の山” からアナタの耳に “遠い呼び声” が聞こえてくるにちがいない.
[「プロローグ」2021年5月13日原稿から抜粋改訂(2022年1月16日)]
Lego, ergo sum.