● 2011年8月4日(木): サンパウロからパリへは帰国の前半戦

◆夜のサンパウロを飛び立ってからいつの間にか何時間か寝たようだが,大西洋上で目がさめてしまった.まわりの乗客はまだぐっすり寝入っているようだ.11時間も寝続けられるはずがないので,あっさりあきらめて起きることにする.

◆機中読書の深夜 —— 読書灯をともして機内読書開始:平出隆『鳥を探しに』(2010年1月24日刊行,双葉社,東京,本体価格3,800円,ISBN:978-4-575-23685-9 → 版元ページ).自伝的な小説.主人公は「左手」家の三代「種作→森一→私」にわたる系譜.対馬に住み,Naturforscher にして画家しかもエスペランティストというとらえどころのない左手種作の生涯を復元していく旅.その旅路は,ペルリンに留学している「私」とその父親「森一」との関わり,絶滅が懸念されているキタタキをはじめ,さまざまな鳥類学の経験を積んできた祖父・種作の話,さらに種作が翻訳したアラスカ探検記や北極圏のナチュラルヒストリーの著作内容が「平行世界」のように描き出されていく.フランシス・ゴルトンの「超音波鳥笛」の話題が取り上げられていた.ちょっと調べてみよう.詩的な印象を受ける本だが,内容的にはかなり突っ込んだ自然誌の話が出てくる(北極海の海獣のこととか).生物好きならば意外と本書に惹かれるかもしれない.

—— 660ページもある分厚い本で,途中までは昨年5月にハワイで開催された Hennig XXIX への往復機中で読み進めたのに,帰国後は読了しないまま放置し,また一年が経ってしまった.同じ Hennig Society の旅の伴として大西洋上でやっと読了したのも何かの縁かもしれない.

◆科学の lingua franca としての「英語」について —— 世界中を旅する先々で「ことば」の環境が大きく変わるのはあたりまえだが,たとえ自分の知らない言語でアナウンスされたり話しかけられたりしても,たいして気にならなくなってきた.度胸ができたというか,何語で話そうがしょせんはホモ・サピエンスなんだから,そんなに突拍子もないメッセージ伝達がありようはずがない.今回も,ポルトガル語以外まったく通じない土地に一週間弱滞在したわけだが,スペイン語圏の大会参加者とってもポルトガル語は「未知の言語」らしく,空港でのアナウンスが流されるたびに「何言ってんだかわかんない」と言っていた.

もちろん,科学の世界では「英語」が lingua franca なので,強制的にそれで読む・書く・話すができないとかなりつらいことは当たり前なのだが,それ以外の言語にも並行して関心をもつことは研究の上できっと役に立つだろうと考える.最近では「第二外国語」や「第三外国語」をとらない若い世代の学生が多くなってきた.言語世界の狭さは知的アンテナの小ささに直結する.ウンベルト・エーコが『論文作法』の中で,見知らぬ言語で重要な研究がなされていないと頭から仮定できないだろうという指摘にうなずいて以来,多言語主義への共感が高まっている.

「英語ができてから他の言語を手がけて」などと悠長なことを言っていると一生がすぐ終わってしまう.どうせネイティヴではないわれわれには限界があることをあっさり認めて,完成度「60%」くらいで他の言語をどんどん吸収していった方が,全体としての最適化が目指せるのではないか.さらに言うなら,「英語ができてから」なんてとてもおこがましい言い方でいささか傲慢すぎやしないかと言いたくなる.母語である日本語ですら「できている」とはだれしも言えないだろう.もっと目標は低く置いた方が精神衛生上いいに決まっている.日本語だって完全じゃないんだから,ましてや英語がそれ以上にできるはずがない.

それよりも,日本語でも英語でも他言語でも,プレゼンテーションとしての「噺」をするスキルの方がはるかに重要だろう.とても上手な英語で下手なプレゼンテーションをしてしまった事例はいくらでもある.言語スキルの完成度とは別にプレゼンのスキルの高さがあって,両方を足しあわせたところに,「噺」全体の評価が定まると思う.日本語での講演が下手なのに,英語で見違えるほどいいトークができるはずがない.Hennig Society Meeting では英語を母語としない発表者のプレゼンを繰り返し聴く機会がある.とても勉強になる.英語を母語とするスピーカーを目標にするのは,非英語母語者にとっては根本的なまちがいではないだろうか.科学の lingua franca としての「英語」は母語/非母語とはちがう次元に存在しているから.

実例を一人挙げるとするなら,〈T. N. T.〉の開発者である Pablo Goloboff かな.彼はアルゼンチン出身でスペイン語が母語だが,長くアメリカ自然史博物館での研究生活を経た後に,母国のトゥクマンに帰国して,中南米圏での分岐学派の中核となっている.Hennig Society Meeting に参加するたびに彼の「英語」での講演を聴くのだが,単語の発音やイントネーションがどう考えても「スペイン語」にしか聞こえない.でも,そんなことは彼の「噺」にとっては何の関係もなく,WHS 特有の長々しい質疑をその“スペイン語的イングリッシュ”で堂々とこなしている.ワタクシが海外の国際学会で英語でのトークをするときのひとつの手本は Goloboff のスタイルだ.

対極的なのは〈POY〉の開発者である Ward Wheeler だ.本人自身が「両親から『お前はしゃべりすぎる』と何度も言われた」と語っているように,WHS年会では掛け値なしの「弾丸トーク」をいつもする.あんなスピードで講演されるとほとんどの聴衆は,英語話者にとってさえ,毎度のようにおいてけぼりにされる.「ネイティヴな英語を流暢に」などという(非英語圏の人間の)理想は,彼のトークを一度でも聴けば絶対に口が裂けても言えなくなる.つまり Wheeler 的な英語の流暢さを自分の理想としてはいけないのだと考える.そんなことに時間と手間をかけるくらいだったらもっとほかにやることがあるだろう.

補足するなら,Pablo と Ward の会話はなかなか興味深い.日本的に言えばボケとツッコミの漫才コンビ(会話内容は専門的だが)を髣髴とさせる.講演や会話を成立させる上で,個人のもつ「癖」としての言語スキルはほんとうに多様でありえるのだと思う.

—— 十年以上前に書いた記事「実践プレゼンテーションテクニック−講演はショータイム!−」は,日本語でも他の言語でもそのまま通用すると考えている.原稿を読まない・聴衆に語りかける・演者は壇上の主役 etc. いくつかのポイントを守ることで,演者の言語スキルとは別に,いい「噺」をすることができるにちがいない.

◆大西洋からイベリア半島を横断したエールフランス機が,パリのシャルル・ドゴール空港・第二ターミナル(CDG2)のFに着陸したのは午後2時過ぎだった.機中は意外に空いていたのでゆっくりできた.雲が広がるパリは雨こそ降っていないものの空気がじっとり湿っていて,南半球の乾いた冬の空気とはぜんぜんちがっている.パリから成田へのフライトは19:25発で6時間も待ち時間がある.往路にパリに立ち寄ったときは市内中心部までRERで移動したのだが,今回はその元気がないので,空港内でゆっくりとおみやげを買おうと思う.本務を終えた帰り道は観光客になりきるということだ.

とりあえず,フランスに入国してしまったものの,パリの観光名所をまわるわけでもなく,ただターミナルをうろうろしているというのは,たとえCDG2みたいな巨大なウツワであってもそのうち飽きてくる.MacBook Air と携帯電話の充電が終わった午後5時過ぎに,再び入国して搭乗ゲートの近くまで行くことにした.といっても,ここはCDGきっての免税品店街で,これまた足を棒にして歩いてもキリがない.ブラジルで何も買わなかった分,フランスで買っておこうということで,フロマージュやらワインやらをしこたま買い込んだら,かなりの重さになってしまった.カベクーやサヴァランが安く買えたのは幸運だった.観光客してるなあ.

サンジョゼ・ド・リオプレト空港の小ささとシャルル・ドゴール空港の巨大さとは対極的.CDG2は自分が今どこにいるのかがぜんぜんわからなくなるときがある.配布されているガイドマップにしたって,ターミナルごとに分かれているほど.リオプレト空港にはマップなんかもちろんなかった.

◆成田への帰国後半戦の始まり —— 次なるフライトは19:25発のエールフランス/JAL共同運行機だ.ぎっしり満員ではなくほどよく席が空いていたので,ここはラクをさせてもらうことにしよう.外は小雨が降り出していたが,気温は低くない.南半球とはだいぶちがう.さて,いったん乗ってしまえばもうあとはすることがないので,日録を書いてみたり,本を開いてみたりしている.そのうち睡魔が降臨するだろうからみだりに抵抗せずに降伏しよう.時間があるので日録の字数がじりじりと増えてきた.

◆本日の総歩数=5991歩[うち「しっかり歩数」0歩/0分].



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