● 10月31日(金): 真夜中のバンケットで楽日は灰になる

◆「立て,万国のクラディスト!」 「“輝ける道”を歩め!」 ——


◆ようやく午後10時に始まったバンケットだが,参加者一同はもう相当に腹が減っているようで(その割にはレストランで勝手にセルベサやビノを呑んでいたワルイ連中もいた),次から次へとボリュームのある料理が運ばれてきた.ここはもう百聞は一見に如かずということわざにしたがって,どんどん写真を出していこう.こういう場面では,地元アルヘンティーナのみなさんが隣にいると,いろいろ教えてもらえてありがたい.まずは,先附?の「タマル(Tamal)」から,どーぞ:

「タマル」という名前だけは知っていたのだが,実物を味わったのはこれが初めてだった.トウモロコシの粉を生地にして,その中に肉や果実や野菜をくるんで,トウモロコシの皮に包んで煮るという料理.これはうまいです.前菜にピッタリです.まいうまいう.

つぎは,初日に食べた「エンパナーダ(Empanada)」.今度は中の具がしっとりと汁に浸っていて,いわば「包子」のような状態で運ばれてきた.しかし,どう見てもこれは“餃子”にしか見えないな(すくなくとも“サモサ”的ではない).焦げ具合も食慾をそそり,「おいしいなあ,rico だなあ」と口にしたら,向かい側に座っていたセニョーラが,「じゃ,もっとどーぞ」とさらにくれたのでだいぶ満腹度があがった.

さらに,太いソーセージの「チョリソー(Chorizo)」が運ばれてきた.真っ黒な方はきっと“血”が混ぜこんである「モルシージャ(Morcilla)」なのだろう.色の薄い方は辛めの香辛料が効いていたが,食べようとしたら隣りのアルヘンティーノがさえぎるように,「あ,それはパンにはさんで“チョリパン(Choripan)”にして食べるんです」と教えてくれた.目の前に硬めに焼いたパンが先ほどから並んでいたのだが,そーかそーか,と言われるがままにパンを二つ割りにしてはさんで食べた.でも,これ,すごく腹持ちがすごくよくないですか? 「いつも食べてます」とのことだったが,要するにこちらのファーストフードなのだろう.

ひたすら呑んで喰う一方で,バンケットの出し物がまだぜんぜん出ない.時刻はとうに午後11時を過ぎている.しかし,メインの「アサド(Asado)」はこれからだ.厨房から何やら大皿の上に肉が盛り上げられて,ウェイターが次々に運んでくる.アサドは“バーベキュー”と言うべきなのだろうが,巨大な焼肉料理だ.一枚100〜150グラムはあろうかという巨大な肉塊をぽんぽんと皿に置いてくれる.脂身の少ない牛肉らしい肉で一枚めはとても美味だった.枚数を重ねると苦しくなってくるが,ま,それは当然のことだろう.

食べ終わる頃を見計らって,どんどん肉が運ばれてくる.100グラムの“整数倍”で肉を食うことになる.300グラムほど摂食したところでリタイヤしたが,もっと食べている肉食な人も多かった(さすがだ).十年前のサンパウロでの〈Hennig XVII〉のバンケットが同じような料理を出す市内のシュラスカリアで開かれたことを思い出した.サンパウロのときは“わんこそば”のごとく空いた皿に肩ごしに肉が飛んできたが,こちらの国ではいちおう可否を尋ねてくれるのがありがたかった.

最後にデザートが出されたのだが,これがですね.何というか極限まで甘くって,いやはや.基本はフルーツなはずなのだが,それをたっぷりのシュガーで煮詰めたようなスイーツが何種類もあって,さらにそこに甘〜いジャムが添えられていてトドメを刺されたとはこのことか.真中の真っ白な“練り物”(ひょっとしてケーセか?)がフシギな役を演じていて,甘みはなりむしろ塩味を感じてしまったのだが,きっと舌が麻痺していたのかもしれない.甘くなかったのはこの“練り物”とクルミだけだった.今回のディナーの最終兵器だった.

◆この時点で午前零時を過ぎていた.しかし,バンケットの出し物はまだなにひとつ演じられていない.みんなただただ飲み食いするだけで,場の喧騒度はしだいに高まっていった.ようやく午前零時半になって,Steve Farris から学会賞の発表と受賞があった(抱きつくなよ,キスするなよ).その後,Kevin Nixon が「ヘニック・ソサエティの系統樹」と題して,バンケット・スピーチをした.しかし,スピーチと言うよりは,爆笑上映会だったので,これも現物のスライドをどんどん並べてみよう.まずは,「Farris's Enemies Tree」と「Ernst Mayr Tree」だ:


うう,下品だ…….続いて,「Mr. Bayes Tree」と「Arnold's Tree」だ:


一言,お下劣.Kluge がいくら最近顔出ししてないからって,こりゃないっしょ.ベイズはどーでもいいっすけど(「150%」とか「110%」というのが笑える).次は,「Ward Wheeler Tree」と「Superhuman Tree」だ:


POYしてダイナミックでいいなあ.「Superhuman」の方は末端ノードのラベルをよく見るように.

◆「単なる身内だけのウケねらい」ではないかと叱られそうだが,まさにそれがヘニック・ソサエティの本領なのではないだろうか.David Hullが『Science as a Process』(1988)の中で指摘するように,数ある体系学派の中でなぜ「クラディスト」だけが勝ち残ったかの理由は,同じ目的意識をもつごく小さい緊密な研究者コミュニティとして精力的に動き回ったからと指摘している.二十年前のHullの指摘は今もそのまま当てはまっているように見える.「Willi Hennig - Super Star」というロゴは Hull の本の中でも Steve のTシャツのデザインにあしらわれている.確かに,このコミュニティ(というか「科学政治結社」)のロゴとしてはふさわしいだろう.

◆Kevin Nixon の後を受けて,午前一時過ぎから後半のトークが始まった.弁士は Ernesto Che Guevara じゃなくって,地元ミゲル・リージョ研究所の大学院生 Salvador Arias さんだった.


彼はスペイン語でとうとうとトークし,上のスライドを用いて,中南米にどのようにしてクラディスムが浸透していったのかを論じた(SupraMAPもさっそく使っていた).まだ若いのにこういう弁舌力があるのはうらやましいなあ.コミンテルンになぞらえて「Cladintern」と呼ぶ,中南米のクラディストのコミュニティはサイズがとても大きくなっている.「99% talks using TNT/POY」というのは,確かにこの結社の“成果”だろう.

◆さて,午前一時半を過ぎた.Kevin Nixon はさらに別のヴィデオ映像を流し始めた.ひとつは“人形劇”ならぬ“シルエット寸劇”,もうひとつは“犬神佐兵衛”翁のエンドレスな講話だ.後者のスナップを最後の一枚として出しておこう.


—— うはは,こわ〜.

◆午前二時前,ぼくは“犬神佐兵衛”翁の呪文にかからないうちに,途中で退席させてもらったが,バンケットはまだ続くようだった.午前二時過ぎ,足音がどやどやと部屋の近くでしていたので,いちおうお開きになったのか,と思ったら今度は「ズンズン♪」とパンチの利いたミュージックが響いてきた.やっぱりこれからディスコに変身するわけね.不死身な superhuman たちの不夜城だ.しかし,ワタクシは先ほどから性悪な睡魔に憑かれてもうあきまへん…….

◆今日「31日」の朝日がのぼってから後のことを何一つ書いていないが,燃え尽きた「灰」にキーボードを打つ力はどこにも残ってはいないのだ.それでいいのだ.

◆本日の総歩数=9396歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].


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