SHINKA(進化学研究会)投稿用 6/Oct/98
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サンパウロでの鮮烈な学会体験
−Hennig XVII 報告−

Hennig XVII - The 17th Meeting of the Willi Hennig Society
September 21-25 1998
Universidade de Sao Paulo, Sao Paulo, Brasil

三中信宏
農業環境技術研究所
minaka@affrc.go.jp

 午前5時すぎ、はるか東方の空に鮮やかな朝焼けが小窓越しに見えたのはほんの一瞬だけだった。ヴァリグ・ブラジル機がサンパウロ国際空港に向かって機首を下げ始めたときには、ボーイング747の機体はもう厚い黒雲におおわれていた。中継地ロサンゼルスで乗り込んだときに見た9月17日付けの Jornal do Brasil 紙の天気予報欄に、サンパウロ州は前線停滞のため雷雨と予報されていたことを思い出した。サンパウロは20日の今日も雨だった。夜明けの街の灯を下界に見ながら、定刻の午前5時50分にヴァリグ機は着陸を完了。気温16度の小雨のサンパウロ国際空港に降り立ったとき、成田空港から延々22時間に及んだ私の長旅は終わった。

●9月20日:サンパウロ着
 私が今回参加しにきた学会とは、第17回 Willi Hennig Society 年次大会(以下、Hennig XVIIと略す)である。大英博物館の David Williams [Dave] さんから、「来年、サンパウロで Hennig Society をやるんだけど、3項分析法(three-item analysis)のシンポジウムで一席ぶたない?」と誘われたのが、昨年暮れのこと。分岐学者(cladists)の学会である Hennig Society は毎年大会を開催しており、その開催地は、本拠地であるアメリカのみならず、ロンドン,パリ,キャンベラ、ストックホルム,ケープタウンなど世界各地で開催されている(アジアではまだ)。今回のサンパウロ大会はもちろん南米では初の開催となる。
 中南米出身の分岐学者の活躍は最近とみにめざましく、体系学と生物地理学についての研究成果が数多く出ている。現在、中南米で指導的地位にある分岐学者の多くは若い頃にアメリカやイギリスで研究生活を送っている。彼らが帰国して後進を育てた成果が現在あらわれつつあるのだと私は推測している。今回のサンパウロ大会で事務局を担当している魚類学者の Mario de Pinna [Mario] さんもそういう経歴をたどった一人である。彼は、ニューヨークのアメリカ自然史博物館で学位を取り、シカゴの国立自然史博物館にしばらく在籍した後、現在はここUSPの動物学科で研究と指導に当たっている。Marioは「独力」で Hennig XVII の切り盛りをし、事務運営・宿泊予約・航空券手配などすべての事務仕事をとりしきっていた。
 Mario からの通知では、空港に迎えを出すとのことだった。確かに、そこには Hennig XVII のロゴ入りTシャツを着た、サンパウロ大学の学生らしい数人が待ち構えていた。すでに数名の学会参加者が集合しているとのこと。送迎をしきっていた日系の学生アカマ [Akama] 君に連れていかれた場所には、もう「短パンとスニーカー」グループが集結していた。単純に「南だから暑い」という先入観はサンパウロに降りた時点でがらがらと崩壊する。サンパウロ在住者は軒並み長袖、半袖やら短パンを身につけているのは間違いなく旅行者という色分けである。出迎えてくれた学生さんたちも長袖のシャツの上にロゴ入りTシャツをかぶるという異様ないでたち。その「短パンとスニーカー」集団とは、Edward O. Wiley [Ed], John W. Wenzel, Kark Fitzhugh そして Walter M. Fitch [Walter] (さらにもう一人女性研究者がいた)の5人。
 今回の Hennig XVII は、連日朝8時から講演が始まるというハードなスケジュールで、市内を歩き回れる時間は到着した今日20日しかない。「短パンとスニーカー」集団と私の合計6人は、送迎のマイクロバスに乗って宿泊先まで連れていかれた。車窓から見える風景は、サンパウロが確かにブラジル最大の都市であることを実感させる。しかし、最近の南米経済の不況のせいかそれとももともとそうだったのか、貧富の差が大きいようだ。街中は落書きがそこかしこに書きちらされており、浮浪者の数も多い。夜は出歩けないといううわさもあながち間違いとはいえないようだ。
 私がこれからの5日間宿泊する Ninety Convention & Residence Service は、市の中心区(Centro)から少し離れた Jardim Paulista 地区にある。一人で使用するにはもったいないほど整ったホテルで、部屋は「広すぎる」。住空間に関してぜいたくな5日間が送れそうだ。
 昼食がてら、近くのサンパウロ美術館(MASP = Museu de Arte de Sao Paulo)に足をのばしてみた。サンパウロは地形的に傾斜が急で、美術館にいたる坂道を登るのにかなりの仕事量が必要だった。サンパウロ美術館は残念なことに現在は改修中のようだったが、それでも豊富な所蔵絵画の一端を鑑賞することができた。地階のレストランで昼食をすませ、美術館前の Siqueira Campos 公園で開かれていた「蚤の市」を流して帰還した。アンティーク市としては有名とのこと。
 サンパウロ市内ではどうやらポルトガル語しか通じないようだ。とりわけ、日系ブラジル人が多いせいか、日本人の顔をしているだけで「日系」と誤解されるのか、必ずポルトガル語で話しかけられる。いちおう、ポルトガル語の辞書はもってきたんだけど、そんな付け焼き刃じゃあね...。いささか不安を残しつつ、明日の発表のため今日は早めに就寝。

●9月21日:長い一日

 昨夜は午後10時すぎには寝たのだが、やはり体内リズムがまだずれているのか夜中に何度か目が覚めた。午前4時前にはもう起きてしまって、今日の講演のためのOHPを並べたりして夜明け前の2時間を過ごした。
 朝食は、同じホテルの中にあるイタリア・レストラン"Terme di Caracalla"でのバイキング。朝6:30にはもう朝食に向かわなければならない。なぜって午前7時にはサンパウロ大学への送迎バスが到着してしまうから。サンパウロ大学(USP)は市の中心部から南西に10kmほど離れた「大学都市」(Cidade Universitaria)という地区にある。ホテルからは5kmほどの距離である。学会が始まるのが午前8時だから何もそんなに急がなくてもと思うのだが、昨日空港でアカマ君から聞いた話では、サンパウロでは朝夕の交通渋滞がひどいそうな。片道4車線もある道路なのに、それを上回る車の数が原因とのこと。
 定刻に"Caracalla"に入ったところ、もう数人が席を陣取っていた。その中に体格のいいおばさんが一人いて、席の間をコーヒー片手に歩き回っては話をしていた。そのおばさんが私を見つけて、「あなた、ミナカさんでしょ? 私は Mary。Mary Mickevich よ。論文では知っていたんだけど、きょうはよろしくね」と同じテーブルにすわった(なんだなんだ)。初対面なのにどうしてわかったのと思ったが、日本からのHennig XVII参加者は私しかいないから当然といえば当然のこと。Mary おばさんは、今日午後の「形質コード化」シンポジウムでいっしょに講演をすることになっている。会期中、彼女のおかげで、私は多くの参加者と知り合うことになる。

 気温15度。曇。肌寒い。送迎バスは午前7時20分にホテルを出発。市街地を南下しピニェイロス川(Rio Pinheiros)沿いを右折して、大学都市に入る。本格的な通勤ラッシュ時間帯を外しているはずだが、それでもすでにかなりの交通量がある。8時10分に大学構内に到着。広大な敷地にもかかわらず大学キャンパスへの出入り口(entrada / saida)には必ずゲートと守衛が置かれている。治安上の配慮だろう。
 会場となる Escola Politecnica のホール(Administracao)の入り口では、ちょうどポスターを張り終えたところだった。会場の建物は赤レンガのロの字型の2階建てで中庭がある。USPの歴史を感じさせる、建学100周年(100 anos)のレリーフがそこにあった。前庭ではツツジのピンク色の花がすでに開いている。Mario とはそこで初めて会った。彼は、熊のように大きなブラジル人で、深いバリトンで話す。忙しいはずなのだが、周囲にはそう思わせない。市内ではあまり感じなかったのだが、ここUSPには日系の学生がたくさんいる。もちろん認知的に言えば、もっと多くの「人種」がブラジルにはいるのだろうが。「Enjoy Sao Paulo!」- Mario の言葉に私はうなずいた。
 Maryに、同じスミソニアンの NMNH(Nat. Mus. Nat.Hist)に所属する Lynne Parenti [Lynne] とオレゴン州立大学昆虫学科の Darlene Judd と Andrew Brower(カップルみたい−ホテルでは隣室になった)を紹介してもらった。最終日に生物地理学のシンポをオーガナイズする Lynne から、Christopher J. Humphries [Chris] との共著である"Cladistic biogeography"の改訂版がまもなく出版されると聞いた(Oxford Univ. Pr. - 初版は1986年)。その生物地理シンポのもう一人のオーガナイザーである、ラ・プラタ博物館(アルゼンチン)の Jorge Crisci [Jorge] とは、6年ぶりに再会した。1992年に Jorge が筑波大学に生物学教育の会議で来日した際にはじめて会って以来のことである。
 私が講演をするシンポジウムのオーガナイザーである、大英博物館の David Williams [Dave] とも会場で初めて会った。Dave たちがごく最近改訂版を出した分岐学の教科書(Syst. Ass. Special Vol.シリーズの本 - 初版は1992年)では、formal classification の章を削ったこと。そして、Lynne & Chris の本の改訂版出版を見越して、生物地理学の章も削除したことを知った。もちろん、今日の午後のシンポで中心テーマとなる3群分析(three-taxon analysis)については Dave 自身が書いているとのこと。
 10時30分から Opening ceremony がはじまった。Mario を含めてUSPの重鎮4人が、南アメリカで Hennig XVII が開催されることの意義、そして過去15年にわたるラテンアメリカでの体系学の発展について祝辞を述べた。今回の Hennig XVII への参加者は、昨日のアカマ君の話では120人くらいとのことだったが、Mario の報告では200人にはなるとのこと。これは、Hennig Society の年会の規模としては大きな部類に入る。

 11時40分からバスで昼食に移動する。歩いても10分ほどの距離なのだが、Prefeitura Universitariaというキャンパスの一角に広い森林園(Viveiro de Plantas)があり、その奥にレストラン("Clube dos Professores" - 教職員専用ということか?)が3つある。そのうち2つはステーキ・レストランで、残る1つがバイキング形式のレストラン。ブラジルの植生についてほとんど知識がないのだが、ここの森林園には「竹林」がある。それもぶっとい竹がずんずん生えている。「日本みたい」と言ったら、Mario が「これはここの自然植生ね」と答えた。さまざまな木生シダ類が生い茂るなかに竹林が混じる奇妙な景観は見物。今日も天気は悪く、折あしく通り雨まであった。竹叢にふりかかる雨の音は(たとえ南半球でも)なかなか風情がある。ロシアからのただ一人の参加者である Igor Pavlinov は20時間でサンパウロまで来れたという。やっぱり私がもっとも遠い参加者だ。ランチが終わる頃、Halifax(カナダ)の Mark Ragan [Mark] が駆けつけてきた。空港から直行してきたとのこと。2年前のブダペストでの第5回国際系統進化学会(ICSEB-V)以来のことである。

 ランチ後、心地よく会場に戻ってきた私を待っていたのは「異形の群れ」だった。何かのおまけみたいな赤黄まだらの紙帽子をのっけ、紙を後ろで縛ったサングラスのおじさんが「げひひ」と笑い、そのとなりには同じ紙帽子をかぶったヒゲだるまの太いおじさんがふんぞりかえっている。その群れの中心にいるのが、つなぎのジーンズを太もものところでちょん切ったのをはいている、腹の突き出た巨漢だった。大半がセーターや長袖を着込んでいる中で、場違いな薄着でいることもさることながら、とてつもないだみ声で「わーっはっはっはっ」と轟かせているその彼こそ、今回の「宴」の主役の一人である James S. Farris [Steve] だった。Steve を取り巻く「げひひ」おじさんは国際膜翅目学会の現会長である James Carpenter [Jim] であり、ヒゲだるまは Mark Allard である。彼らを含む一群のパワーは会期中ずっと炸裂し続けることになる。

 午後1時30分から「形質コード化」シンポジウムが始まった。オーガナイザーである Dave が、イントロを話した。Thomas Henry Huxley が悩んだ形質コード化の問題は相同形質に認識に他ならないと論じ、相同の概念を"taxic"と"transformational"に分けた。どちらも「形質共有」を前提とするが、前者は「類縁関係」を含むのに対し、後者は「形質変換」を意味する。Dave はこのシンポジウムの中心テーマである3群分析(three-item analysis)は、taxic な相同性を解析する手法であると主張した。続く Mary は、形質状態の変換系列(transformation series)の決定方法について、形質状態の近隣グラフと樹形との"transformational fit"を計算し、これを帰無期待値と比較すれば、最適形質コード化ができると述べた。Robert Scotland は、相同問題と rooting の問題を分け、無根系統樹でも相同概念を考えることができると述べた。このとき、形質状態の「存在/欠如」がともに相補的(complemental)な相同形質とみなされる。これについては当然多くの反対コメントがあった。Pierre Delaporte [Pierre] は、通常の最節約分析と3群分析とのちがいを総説した。続く Jan De Laet は、3群分析を一般化した4群分析の方法と、逆の2群分析の可能性を論じた。
 さて、私の発表の直前は、Steve による3群分析批判だった。Steve は1991年の Nelson & Platnick によるこの方法の提唱にさかのぼって、それへの支持論拠を逐一チェックし、ことごとく論破しようとした。要するに「3群分析」に理論的根拠はないという結論である。もちろん、Steve 発表後の論議は激しく、30分の予定時間を大幅に過ぎても、終わる気配がなかった。Dave は次の発表者である私をちらちら見ては「もうちょっとだからね」と目くばせしていた。
 Steve の通った後にはペンペン草も生えない。彼は壇上のすべての水を飲み干し、時間を食いつぶしたあげく、ようやく私に番を譲ってくれた。私は、3群分析には形質最適化に関する仮定が暗黙に置かれていること、それは3群分割したトリプレットの仮想祖先が ACCTRAN 復元されているからであることを示した。そして、従来の最節約法と3群分析法の結果のちがいは要するに祖先復元のモードのちがいであるから、祖先復元法の各モードの経験的な妥当性を調べることが両方法の比較には必要であると論じた。Pierre は「3群分析」の進化的仮定を指摘した最初の知見になるのではとコメントした。私の講演時間はすでに午後7時に近く、聴衆はもちろんのことながら、話をする私も疲労していた。Steve が資源を枯渇させてくれたおかげで、30分弱話をして壇上から降りたときには、喉はからから声も出ない状態になっていた。
 シンポ終了後、ロビーでカクテルパーティが催された。学生バンドによるボサノバ(ブラジルではなつメロ扱いとのこと)の生演奏の中、方々で話の輪ができていた。Steve からは、「OK、お前の話はもっと時間をかけてやらないとな」というありがたい?ご神託をいただいた("OK"というのは Steve の口癖で、私の話が"OK"だったわけではけっしてないだろう)。Ed は「君は ACCTRAN の方がいいって言うけれど、DELTRAN が進化的意味をもつ場合だって確かにあるだろう」と反論した。Ed はBPA(Brooks Parsimony Analysis)での DELTRAN の採用を念頭に置いているらしかった。Mark は「君がACCTRAN / DELTRAN と言った時点でみんなだいぶ死んでいたよ」と言っていたけれど、仮にも Hennig Society でそれくらいで死亡率が上がるとは私には思えなかった。実際、翌日以降のシンポでも形質最適化と祖先復元について繰り返し言及があった。
 パーティ終了後、夜10時近くにホテルに戻った。エレベーターの中で Lynne が「今日は長い一日だったわね」と。「はい、最長の一日でした。」

●9月22日:早春のサンパウロ、燃えるUSP!

 Bom dia! 昨日と同じく曇りで肌寒い。まだ、前線が停滞しているようだ。サンパウロは標高800mの高地にある都市なので、この時期は朝晩冷え込む。けさの気温は15度。街行くパウリスタの多くは長袖とかセーターを着込んでいる。私もブルゾンをトランクから引っ張り出した。
 昨日と同じく6時30朝食、そして7時には送迎バスに乗り込む。午前8時前にUSPの会場に入って、開会を待っていたところ、とてつもないご老人−きっと80は越えているのでは?−が、「あなたは日本人のようだが、ショウイチ・サカガミという北海道大学の昆虫学者を知っているか?」と近づいてきた。「面識はありませんが、有名な人ですからもちろん故人の名前は知っています」と答えたところ、「自分は J.S. Moureという者で、サカガミがブラジルにいた頃から共同研究をしている。いまサカガミの伝記をまとめたいと考えている」と言っていました。会期中さまざまな参加者が Moure 教授にあいさつし、VIP なみの世話をしているのを目撃した。私にはよくわからないが、南アメリカではきっと尊敬を集めている人なのだろう。
 さて、今日の午前中は「ウィルスの進化:パターンとプロセス」という分子進化学のシンポジウムがあった。Paolo Zanotto は、HIVのnef(p.27)の遺伝的多様性を最尤χ2乗検定で調べ、遺伝子の機能に基づく自然淘汰の検出を試みた。とりわけ、感染後の時間と分子系統の樹形との関連を見ることにより、HIV進化の共有派生形質が自然淘汰によるものではないかという結論を出した。続く、Paul M. Sharp は、ヒトおよび他の霊長類の分子系統とそれらに感染する免疫不全ウィルス群の分子系統を地理的分布と関連づけ、ガボンが地理的起源であろうと論じた。
 Keith Crandall の統計学的最節約法の講演はみものだった。彼は、分子進化では階層樹形的進化モデルの妥当性がしばしば崩れるため、彼や Alan Templeton が開発した網状ネットワークの推定が必要であると論じた。特に、塩基置換モデルの逐次絞り込みを通して、妥当な分子進化モデルを探索することが要求されると主張した。この方法を用いることにより、彼はHIVの薬剤抵抗性の進化を説明した。Crandallの講演に対する反対は声高だった。"Willi Hennig Super Star"というバッジをつけたハンプティ・ダンプティ Steve は、最後列から「そんなものが最節約法かっ!」と空気が震えるほどの大声で怒鳴った。哲人 Arnold Kluge [Arnold] −"クルーギー"と発音するようだ−は、(事前に用意してあったと思われる)「弾劾声明8箇条」を読み上げた。いわく:「統計モデルの前提を経験的に検証する方法は何か」「モデルの改良とは前提をつねに不問にしているだけではないか」「確率そのものが系統推定と整合的な概念であるのか」「あなたにとって科学的推論とは何を意味しているのか」etc.。Steve と Arnold の反論は後の彼らの講演でもっと詳細に展開されることになる。
 さて、次の Walter の講演は、インフルエンザウィルス HA1(H3N2)のレセプター受容サイトHG(hemagglutinin)の将来進化予測に関するものだった。インフルエンザウィルスは、HGを進化させることにより、抗体の攻撃を免れる。分子系統樹を推定することにより、将来伸びそうな枝(predictive tips)を予測できると彼は主張した。シンポ最後の講演は、Edward Holmes によるデング熱ウィルスと Hepatitive ウィルスのスプリット分割系統樹の話だった。デング熱ウイルスについては、人口爆発とウイルスの系統爆発が時間的に同期している点が指摘された。

 昨日と同じく竹林の中のレストランが待っていた。今日はことのほか肌寒いこともあって、暖炉がたかれている。韓国出身で現在 AMNH にいる Choi Sei-Woong(崔世雄)[Choi]と知り合った。彼はシャクガの専門家でフィンランドで学位を取った後、8月末に AMNH に来たばかりだという。今回は最終日の生物地理学のシンポジウムで発表することになっている。Choi は「韓国には Hennig Society の会員が3人しかいないが、将来的にはアジアで Meeting をやりたい」と夢を語ってくれた。私は「将来といわず早い方がいいんじゃないのか」と焚き付けをしてしまった。日本の Hennig Society 個人会員が何人いるのかもはなはだ不安材料ではあるけどね。同席したコペンハーゲン博物館のHenrik Enghoff [Henrik] は、「来年の meeting はきっとドイツだよ」と予想していた(それは正しかった)。昼食後、Henrik は竹林の根元を「milliped, milliped, ...」と鼻歌を歌いながら掘り返していたが、数分後に長さ5cmあまりのぶっといヤスデをうれしそうにつかまえてきた。そして、ヤスデ(♀)がすごく嫌がっているのに、なぜたりこすったり臭いをかいだりしていた(気持ちはわかるけど変なやつ...)。

 午後いっぱいは一般講演(1)である。最初の Diana Lipscomb [Diana] は、quartet puzzling (QP) は最節約解を導かないという講演をした。テストデータを用いた Diana の解析では、QPは、1)すべての最節約解を発見できない;2)単一最節約解にも到達できない;3)非最節約解を選んでしまう、という欠点があるとか。ただし、Ward Wheeler [Ward] が指摘したように、大規模データでの成績については再検討の必要があると私も思う。A. Tehler et al. は、真核生物1522種についてリボゾームの6369サイトという大規模データの最節約推定を Steve の新しいソフトウェア Jac −Parsimony jackknifing−を用いて解析した。その上で、パフォーマンスを最近テスト版がリリースされた PAUP* と比較した。PAUP* で56分かかる計算が Jac では22.1秒ということである。Tehlerはその結果を「長さ7.1mの巻き物」に出力して Jac の威力をPRしていた。

 一般講演が終了した午後7時すぎから、Steve による基調講演がはじまった。「系統体系学の成功」と題した Steve の講演は、Joseph Felsenstein [Joe] の最尤法の弱点をいま一度さらけだすことに費やされた。Joe およびその後の最尤法は、最節約法が満たさない(と言われる)「一致性」(consistency)を満たす推定方法であると主張する。しかし、最尤法の一致性が達成されるための Wald (1949)の8条件を系統推定における最尤法は満たしていないではないかと Steve は指摘する。とりわけ、尤度のパラメーター変数に対する偏微分が存在するという Wald の条件は、離散的パラメーターである系統樹には絶対にあてはめられないと言う(その通り)。その他、近隣結合法はそのパフォーマンスが parsimony jackknifing に劣るから使う必要がない;PTP検定ならびにTPTP検定(「てぴてぴ」と Steve はからかっていた)は話にならない;「MOTTO: Never believe the PAUP manual!」etc. 実に8時20分まで Steve は吠え続けた。

 疲れ果てて、9時すぎにホテルに帰ってきた。エレベーターの中で Ed が「Steve の講演を聞いたのは初めてだろう。あいつが "vintage Farris" と呼ばれるのももっともなことさ」と言った。さてさて夕食をこれからどうしようかと迷っていたら、Mary おばさんにトラップされ、「これから寿司バーにいくんだから、一緒に来るのよ」と連行された。9時30分に、Ed, Mary, Lynne, Daveたちと、近くのすし屋(サンパウロまで来てなにゆえ寿司をたべなきゃならないの?)に入った。「ああっ、Mary、升酒の塩は中に混ぜちゃダメ」とか「Lynne、ガリはいっぺんに全部たべるもんじゃない」とか、ま、いろいろ微笑ましい情景がひとしきり続きました。その後、Ed や Mary がアルコール液浸状態になるにつれて、Hennig Society 創設にからむ内輪話がわらわらとこぼれてきました。私が David Hull の本("Science as a process" Univ. Chicago Pr., 1988)の分岐学史の記述はどこまで信用していいのかと尋ねたところ、Mary は「自分のこと(彼女の学位をめぐる Robert Sokal との不和とか)についてはまちがいないわよ。でも、Steve はそう思ってないわね」とのこと。

●9月23日:やっと中日

 毎朝6時前には方々の部屋からシャワーの水音が聞こえてくる。ここのところ睡眠時間5時間弱の生活が続いている。時差の効果と「宴」の疲れがじわじわと現れてきた。しかし、疲れているのは私だけではないようだ。

 Hennig XVII はきょうで中日になった。今日は、午前の一般講演と午後の「形質重みづけ」シンポジウムの2本立てメニュー。日本の学会大会では、なまじっか休憩室というレフュージがあるので、サボって逃げ込むという悪癖が発揮されてしまうが、Hennig XVII には休憩室はない(コーヒーサーバーはホール外のテラスに常時置かれている)。したがって、講演会場にいるしかない。コーヒーのある吹きさらしテラスで豪笑している者もいるが、ほとんどの参加者はこの点では実に「まじめ」である。私も、この分だと、すべての講演をもらさず聴くことになりそうだ。実に希有のことである。初めてだったりして。

 Pascal Tassy のグループ(Barriel et al.)は、ゾウとマンモスの分子系統を論じた。cytochrome b (1140bp) の塩基配列から、マンモスがアジアゾウとアフリカゾウのいずれにより近縁であるかを調べた。その結果、マンモスはアフリカゾウにより近いことが報告された。続く Pablo Goloboff [Pablo] & Steve の発表では、parsimony jackknifing における合意樹の高速推定アルゴリズムが報告された。
 続く Kark Fitzhugh [Kark] は、"C(h,be): e≠synapomorphy"といういささか謎めいたタイトルで、Karl Popper の験証度理論における仮説(h)、背景知識(b)、そして証拠(e)との関係を論じた。系統仮説の験証(corroboration)の程度とは、証拠(e)が仮説(h)に与える数値C(h,be)である。しかし、歴史的仮説としての分岐図は、普遍法則を記述する理論とは異なる検証過程を進む。Abduction の観点から系統推定を考えると、歴史的にユニークな事象の系列が証拠(e)すなわち類似度に組み込まれる。したがって、synapomorphy は Popper の理論枠の中での証拠(e)とは同一視できないというのが Kark の結論だった。
 Timothy Crowe [Tim] は、種概念に関して講演した。彼は、判別可能性(diagnosability)こそ種概念の根幹であって、形態・生理・行動などさまざまな情報の帰結一致(consilience)として multifaceted な種の様相が規定できると主張した。かなり phenetic な主張だと私には思われた。次の Igor Pavlinov は、分岐学の「公理化」に関する講演をした。ポスター発表でも関連する発表をおこなった彼は、ロシアでの分岐学の一つの姿を見せた。Andrew Brower は、「進化は分岐学の前提ではない」という挑発的な講演をした。形質・階層・最節約の三つがあれば分岐学は正当化できるというのが Andrew の結論。講演後、Ed は「じゃあ、階層があるかどうかはどうやってテストするのか」と質問した。

 Kark の哲学的講演で頭を大いに腫らしながら、ランチに向かった。今まではわざわざバスに乗って行ったのだが、徒歩でも10分そこそこの距離であることがわかった。USPの敷地の広さにも圧倒されたが、学生と教職員を合わせると人口5万人規模にもなる大学とのこと。この日、ちょうど昼頃から天候が回復し、はじめて南半球の日ざしを浴びることができた。気温も22〜23度くらいまで上がり、森林園の虫たちもそろそろと動き始めた。「パピヨン!」と叫んだ Pierre の方に振り向くと、林間にからみつくように青い金属光沢をきらめかせて大きなモルフォ蝶が飛んでいった。林床をひらひら浮遊するのは擬態で有名な Heliconius(Choi に確認した)属のチョウである。樹上でかたかたと音をさせていた虫?はいったい何だったんだろう。Choi は「cicadaじゃないか」と言っていたけれど。

 午後のシンポジウムでは、「異形の群れ」が勢揃い。Pablo & Jim は、あらゆる形質重みづけに対して反論する Arnold の主張−彼らのいう「クルーギーの嘆き」(Kluge's lament)−に対して、ホモプラシーの程度に従って形質を重みづけしなければならない理由を論じた。もっとも大きい理由は、その重みづけをすることにより、系統推定の過誤率がいちじるしく低下するという点だった。続く Ward は、重みづけするということは、形質は等しく情報をもつという均質性の仮定を捨て、進化のパターンやメカニズム−indels, 形態, ts/tv, コドンバイアス, Goloboff's Kなど−を考慮しようという態度が必要であると論じた。Mark Allard は、系統樹・形質進化・形質独立などさまざまな進化モデルの仮定があって、はじめて形質重みづけは正当化されると論じた。しかし、ステップ行列のコスト設定はなお主観的であると述べた。Alnold は「それがまさに形質重みづけがトートロジーであることの証しではないか」とコメントした。Jan De Laet は、2群言明(2-taxon statement)の観点から重みづけの方法を論じた。回帰的に重み設定を反復することにより、安定に達するまで繰り返すという方法である。

 コーヒーブレークのおり、台湾から来ていた Kwang-Tsao Shao 教授と話をした。Shaoさんは SUNY の Robert Sokal のもとで研究生活を続けた人で、Sokal との共著論文もいくつかある。今回は、学生を連れてきていた。彼の話では、ちょうど彼が Sokal のもとにいた頃、Steve と Sokal との不和が表面化して「それはそれはすごかった」とのこと。うーむ。

 続く講演で、Kevin は "parsimony ratchet" という新しい最節約探索の方法を発表した。Kevin は「やみくもな探索」(mindless search)は労力の無駄であるという基本的信念を述べる。Parsimony ratchet とは、ランダムな重みを各形質に与えては TBR branch-swapping 探索を繰り返すという方法で、とりわけ大規模データに対して効率的に最節約解に到達できるという。現在すでに Kevin の DADA および Pablo の NONA に ratchet が組み込まれている。500 OTU の rbcL データをテストデータとしたところ、ratchet なしの NONA で PAUP* の25倍、ratchet 付き NONA で PAUP* の数千倍の速さが出る。Parsimony jackknifingに組み込んだ JacRatchet はさらに高速である。したがって「IGNORE PAUP*!」というのが Kevin の結論である。
 哲人 Arnold はこれら異形の人々の声高な教宣を相手にしながら、静かに諭し始めた。"To wait, or not to wait? That is the question"というタイトルが示す通り、Alnold は「weight するのは wait しなさい」と述べる。その理由として、Arnold は、1)重みづけとは形質評価の導入にほかならない; 2)個物の系譜はユニークであって確率化できない; 3)確率を導入することは系統を確率化可能な類(kind)とみなすことである; 4)形質重みづけはタイポロジカルな類概念と実証主義的な頻度概念を前提としており認識論的に間違っている、と論じた。
 このシンポジウムの最後の講演で、Steve は、現在のブーツストラップやジャックナイフのソフトウェアは形質の重みの扱いを誤っていると主張した。
 このシンポジウムは、形質重みづけのためのさまざまな方法が、認識論的には問題を抱えつつも、ヒット率向上の手段としてどんどん開発されている現状を浮き彫りにした。

 午後7時前にシンポは終了した。今夜は Hennig Society の理事会のため、一般参加者は解放される。ひさびさ?に早く帰れるのでうれしいはずなのだが、頭だけが変に疲れている気がする。ホテルに帰りそのまま寝た。

●9月24日:最節約原理の国境線での肉池肉林

 5時起床、6時半朝食、7時出発という生活リズムが身についてきた。昨夜の睡眠時間は十分。今夜は meeting banquet があるので、体力温存が必須。外の気温は17度、晴れ。今日は暖かそう。サンパウロではちょうどこの季節に「the spring day」という日が3日間ほど続き、それを境にして「春」がやってくるそうだ。USPの学生たちはそう言っていた。

 午前中は、「分子配列のアラインメントと相同」シンポジウムである。オーガナイザーの Ward は、分子配列のアラインメントと樹形との関係を論じた。分子相同には「base-to-base」と「whole fragment」のふたつの相同が考えられる。しかし、アラインメントを系統と並行的に考察するときには、配列全体にわたる「dynamic homology」すなわち初期配列のアラインメントを含む最適化が必要である。長さの異なる配列があるとき、base-to-base な相同はデータ行列の各コラムが形質とみなされる。しかし、whole fragment 全体を形質とみなすと、ある塩基配列はひとつの形質状態と解釈される。そこで、whole fragment 間の状態変化コストに関する動的計画法による祖先復元を行なわせる方法を Ward は開発した。アラインメントそのものは、"Align" (Ward) や PHAST (pablo)に行なわせられる。しかし、今回提唱する方法は Kevin の "POY "によって実際に計算可能である。
 Mark は全ゲノムからの系統推定について論じた。現時点では、ORFデータから距離を出して、近隣結合法で系統推定するしか方法がないと彼は結論した。続く David Sankoff は数学者らしく?手書きのきたなーいOHPを連発しながら、ゲノム間の系統関係を、breakpoint median による祖先復元から推定するという方法を提唱した。あとで Mark から聞いた話では、「Sankoff の今日の講演はマシだったよ」とのこと。Sankoff は壇上で数分間「沈思黙考した」こともあるそうだ。次の Giribet は、配列のギャップは生物学的に意味があるという主張のもと、これまで除去されたり無視されたりしてきたギャップ部分の情報を系統解析に組み込むための方法を論じた。このとき、ギャップ/コスト比の最適性規準が必要になる。いまのところ、この比は経験的に決定できないから、広い範囲の値で頑健性を調べる必要があるとのこと。
 シンポ最後の講演で、Mark Siddallは、Huelsenbeck & Hillis 1993 (Syst.Biol.)の有名な系統樹シミュレーション実験では、モデル系統樹の枝長配置のパラメーター空間がもともと「長枝相引」(long-branch attraction)へのバイアスをもっていると主張し、4-taxon case について別のパラメーター空間を設定し、「長枝相反」(long-branch repulsion)の効果を調べた。その結果、MLやNJではてMPに比べヒット率が顕著に低くなるパラメータ領域があることを発見し、それを「Felsenstein Zone」のむこうをはって「Farris Zone」と呼んだ

 午後は、Mark Pagel がオーガナイズした「分岐学と比較法」というラウンドテーブルだった。ところが、Pagel 自身が来れなくなったので、司会は Ed がつとめることになった。Pagel の講演時間の空きを埋めるため、Kevin & Jim が"phylogenetic taxonmy"への批判をぶちあげた。いわく、分類の実践を考えるとこれまで用いられてきたさまざまな規約は必要であり、phylogenetic taxonomy なんて言ってる連中は、goofed-up しているだけだ、とのこと。
 さて、比較法のセッションの最初の演者は Arne Mooers である。彼は、マルコフ進化モデルを前提として、祖先形質状態を確率的に最尤復元する方法について論じた。最節約復元では unambiguous であっても、最尤復元では ambiguous になるケースをいくつか挙げた。続く Wenzel は社会性ハチの行動形質の系統的復元について講演した。Mary は、ホモプラシーではなく、共有派生形質からの比較法ができるのではないかと論じた。彼女は、cladogram character を形質進化仮説(H0/H1)のもとで最適化し、帰無分布のもとで検定するというスキームを考えているようだった。

 その後、ポスターセッションが別室で開催され、30題ほどのポスターが掲示された。David Sankoff と話をする機会があった。彼は知り合いがほとんどいないらしく、居心地悪そうだった。ゲノム情報学関係の学会だったらもっと快適と言っていた。Mary は昨日はまる一日体調が悪かったそうな。Walter は夕方にも飛行機に乗るとかで、忙しそうだった。いまはサバティカル中なので、カリフォルニアではなく、ケンブリッジに行くそうな。ポスターセッション後は、Ed の基調講演があり、種をめぐる個体性、自然類の問題などなどが議論された。Steve のにくらべて安心して安らかに聴けた。

 Ed の基調講演が終わった午後8時前に、バンケット参加者は入り口からバスに乗って、バンケット会場に向かった。行き先は、シュラスコ料理の専門店である"Churrascaria South Place"である。約30分ほど揺られて店に着いたときには、疲労と空腹にもかかわらず、かなりボルテージは高かった。話には聞いていたが、焼けた肉の塊りが串に刺して運ばれてくると、条件反射的についつい"sim"と答えてしまう自分がかなしい。Mario のスピーチがあり、別人のようにネクタイ&スーツ姿の Steve が Student prize の発表をしている間にも、いろいろな肉が目の前に並ぶ、私は cupim(牛のコブの肉)を食べた時点でさすがにリタイアした。しかし、参加者の雄叫びはなおあちこちで響き渡る。ぼー然とする他の客。
 バンケットの締めくくりのスピーチは Chris Humphries がする予定だったが、彼が来れなくなったので、Dave が代読することになった。内容の大半は、今年亡くなった Colin Patterson の分岐学への貢献と追憶に関するものだった。「Colin は〜...Colin は〜...」とスピーチが続いている最中に、いきなり Steve が席を蹴って退席してしまった。空気が乱れ一瞬ざわついたが、"founders"たちは事情を知っているようだった(私は知らなかった)。
 Steve は店の入り口のカウンターに座って、Kark と話をしていた。バンケットがお開きになってバスに乗りこんだとき、Steve は「<ファーストネームではけっして呼ばずに> Patterson の言うことを聞いていたら、今ごろ Hennig Society はなかったんだぞ!」と車内で怒鳴っていた。それが理由のふるまいであるようだった。Hennig Society の創設にからむしこりは20年近くたってもなお癒されてはいない。
 バンケットを終えて。ホテルに到着したのは、午前零時近く、ふうーっ。

●9月25日:生物地理学な最終日

 今朝の気温は17度、すこし曇ってはいるが、暖かめ。通行人にも半袖姿がずいぶん増えてきた。昨日は胃薬を飲んで寝たせいか、胃もたれは軽い。でも、しばらく肉の顔は見たくない。定刻通り朝食をすませ、そのままバスに乗り込む。こういう朝の慌ただしさも今日でおしまい。

 予定通り、朝8時から生物地理学のシンポジウムが始まる。「歴史生物地理学:その批判」(Historical biogeography: a critique)というタイトルから予想されるように、今回のシンポは1979年に AMNH で開催された"Vicariance biogeography: a critique"シンポジウムの20年後を意識したものである。オーガナイザーの Jorge もその点をイントロで強調していた。Jorge は、20年前と現在とで歴史生物地理学が置かれている状況がどのように変わってきたかを分析した。彼は外的な変化として、1)分岐学が生物地理学の「ことば」として定着したこと;2)生物地理学に対する認識の変化;3)プレート・テクトニクス理論の発展、の3つを挙げた。さらに、内的な変化として、1)方法論の増殖と多様化;2)科学革命、の2点を指摘した。
 Lynne は、Wallace線に絡む生物地理の問題を Sulawesi の魚類相のデータからアプローチした。続いて Choi は、ユーラシアに分布するシャクガ(Larentiinae)の地理的分布と分岐分析に基づいて、固有地域を発見し、地域間の関係を成分分析を用いて解析した。その際、「仮定0,1,2」の問題が未解決だが、彼は reconciled trees における最節約復元の場合の数が多過ぎる点を指摘した。とくに、仮定2ではこの問題が深刻である(したがって Choi は仮定2を適用していない)。この問題を回避する一手段として Choi は「maximum codivergence」を規準として、最節約復元を絞りこんでいる。
 Henrik は、cladistic biogeography の出発点である taxon/area cladogram から area cladogram を導出する方法を論じた。解析上問題となる広域分布種を除去しながら地域分岐図を導くための WISARD ならびに AWARCS という新たな方法を Henrik は提唱した。
 続く Vicky Funk は、最近出版された"Hawaiian biogeography"で取り上げられたデータを踏まえて、ハワイの生物相の歴史的成立について論じた。彼女は、さまざまな生物群の分岐関係を生物地理学的に考察すると、クレードのprogression と radiation が要因として重要であると結論した。また、進化速度の速さ、移動能力の欠如、島間よりも島内での遺伝的分化が著しいこと、姉妹群がそれぞれクレードであること、など島嶼生物相の特徴をいくつも指摘した。
 Paula Posadas は最節約固有地域分析(PAE:parsimony analysis of endemicity)とその適用について論じた。PAEとは、地理的分布のパターンから固有地域を割り出すための方法である。具体的には、種ごとの地理的分布をコドラートごとに集計し、そのマトリクスを最節約分析することにより、固有地域を推定するという手順をとる。彼女は、この方法を Tierra del Fuego ならびに Chile の生物地理に適用した。
 Frederik Ronquist [Frederik] は、地域と生物の系統関係の対応を「3次元ステップマトリクス法」によって解析するという新しい方法を提唱した。ここでいうステップ行列とは、生物地理学的な要因−重複・ソーティング・絶滅・分断−が生じるときのコストを成分とする行列である。もちろん、具体的な数値として要素が与えられるわけではなく、要素間の条件式を規定することで陰に与えられる。このステップマトリクスをどのように設定するかが、生物地理学の解析的手法によって異なるというのが Frederik の主張である。さまざまな手法をステップマトリクスのちがいとして統一的に比較し、背景の進化仮定を明示化していくやり方はすっきりしている。とりわけ、事象ベース(event-based)な方法論間の比較には威力を発揮すると私は考える。
 P. Hovenkamp は、分断生物地理学(vicariance biogeography)と分岐生物地理学(cladistic biogeography)との間には、目的・方法・解釈に大きなちがいがあると主張する。そして、分岐図からの推定ではなく、地理的分布図から直接的に分断現象を割り出す方法を提示した。これは、地理的分布の代置関係を抽出し、それを分岐図に乗せることであると私は理解した。Ed は、Hovenkamp の方法では、分散と分断の関係が明らかにならないのではないかと批判した。また、Jorge はもっと直裁に「そういうやり方は20年前の Don Rosen に還れと言っているだけで、時代錯誤である」と手厳しく反論した。
 本シンポ最後の講演である Chris Humphries の「固有地域:表形学的概念かそれとも系統学的概念か」は Dave の代読となった。Chris は、Gary Nelson が15年前に出した「Nelson問題」すなわち、地理的分布に広域・欠損・重複があるときの地域関係の推定を取り上げ、解析上の前提として仮定2は必要であると論じた。そして、WorldMap を用いた世界的規模での生物分布の特性を保全生物学的観点から概観した。

 生物地理シンポが午後3時に終了した後、ソフトウェアのデモが同じ会場で行なわれた。紹介されたのは下記の通りである:

1) Pablo - "RATCHET"
2) Ward - "MALIGN" & "POY"
3) J.S. Moure - "ANALISE"
4) Frederik - 3D-stepmatrix method
5) Kevin - "DADA", "NONA", & "CLADOS"

 デモ終了後、Hennig Society 総会が開催され、Mario から閉会の言葉があり、5日間にわたる Hennig XVII は無事に終了した。総会の司会をした Jim から、来年1999年の大会は、ドイツの Goettingen で開催されることが決まったと報告された。また、西暦2000年大会は、フィンランドの Helsinki で開催される予定であるとも聞いた。

 以下は私の感想である。Hennig Society は学会の規模としては決して大きくないと思う。しかし、参加者の平均的テンションはきっとかなり高い部類に入るだろう。Steve をはじめ「異形の群れ」の咆哮はもちろんのことだが、平均的に見て各講演に対する質疑はきわめて活発だった。Ed はほとんどすべての講演でコメントしていたし、哲人 Arnold もまた「一般的質問でもうしわけないが」と言いつつ頻繁に発言していた。応答する講演者の方もなかなか雄弁に反論していたのが実に印象的だった。また、タイムスケジュールに関しても割におおらかで、質疑が10分を超えることがあってもそのまま「言いたいだけ言わせる」という方針が取られていたようである。私が会期中「まったくサボらず」にすべての講演を聞いていられたのは、講演後の活発なコメントの応酬がいつも期待できたからかもしれない。
 私の報告に目を通された読者の中には、Hennig Society の雰囲気に違和感を覚える人もいるだろう。私もはじめて参加してみて、個人的な人間関係がそのまま議論に反映されることに「そこまでやるか?(言うか?)」とたじろぐ場面が少なくなかった。はじめての参加者にすらそこまで気取られるのであるから、常連の参加者はもうすでに「さまざまな事情に通じている」のだろう。しかし、そういう雰囲気が「他の一般の参加者」への排他につながっていないこともまた私は同時に感じ取った。今回、機会を得てサンパウロ大会に参加できたことは、私にとって大いにプラスになったと思う。

 午後5時に送迎バスがやってきた。Mario に最後のあいさつを言い、いったんホテルにもどった。荷物を整理して、チェックアウト。私のフライトはこの日の深夜午前0時20分のJALである。サンパウロ国際空港に到着して、午後11時前に出国ゲートを出たところで、搭乗に向かうライデン植物園の P. Hovenkamp に出会った。それが Hennig XVII の参加者と顔を合わせた最後だった。

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 上記報告の元になった原文は帰国直後に EVOLVE-ML に連続投稿しました。その文章を推敲し、さらに写真などを貼付しました。読者のみなさん、今回の報告をお読みいただきありがとうございました。

Muito obrigado!