● 8月14日(月):トロピカルにしてコロニアルなオアハカで

◇午前5時半に目が覚める.外は雨がざあっと降っている.気温は引くくて15度を下回っているだろう.6時になったとともに,割に近くから教会の鐘の音が響いてくる(かのサントドミンゴ教会か).しかし,真っ暗で何も見えない.昨夜は真夜中のチェックインだったが,オアハカはまだ何も見えてこない.

◇独り住まいにはもったいない広さの個室にいると落ち着かない.貧乏性なのかもしれない.

◇チェックインはしたものの,朝食が何時からも知らないし,Hennig XXV がこの広大な敷地のどこで開催されるのかもわからない.昨日メキシコシティーでオアハカ行きに乗り遅れなければ,夜の Welcome Party に間に合ったのだが,愚痴を言ってもしかたがない.午前6時半頃に足もとさえ見えない「早朝の暗闇」の中をホテル本館のロビーに行って訊いてみる.朝食は午前7時からだそうだ.

 しかし,午前7時になってもまだ山の稜線がうっすらと曙に染まる程度の薄明にしかならない.いまの季節の日本で言えば午前4時過ぎくらいの明るさだろうか.本館のレストランに再び行ってみると,すでにオープンしてはいたが,まだほとんど客がいなくかった(当たり前か).前夜,一緒にチェックインした Alfried Vogler さんが疲れたようすでやってきた.「私もかなりの長旅でしたが,Vogler さんも旅路の疲れですか?」と訊いたら,「もう思い出したくないくらい長い時間をかけてここまでやってきたのでね……」とのこと.海外からやってくる誰にとっても,オアハカは地の果てにして僻遠の地なのだろう.

 朝食はバイキング形式なのだが,トルティーリャやオムレツはその場で焼いてくれるし,シチューのたぐいもたくさんある.オアハカ名産のチーズも何種類か食べたが,これは熟成させないタイプのチーズね.ギリシャで食べたフェタに似たぽろぽろしたチーズもあり,カテッジチーズみたいなのもあり,マリボーのようなあっさり系のチーズもある.いずれも乳がそのまま固まりましたよという雰囲気なので,そのまま食べるかあるい溶かしてフォンデュで食べるのに向いているだろう.Quesillo というストリングチーズの仲間があって,これはほぐしてからタコスに乗せたり,トルティーリャに巻いたりして食べる.シチューにも入っていた.全般に料理に独特の香りがあるのだが,ハバネロのような暴力的な辛さのペパーには遭遇しなかった.事前にいろいろと[よろしくない]ウワサを聞いていたバッタ(chapulines)もまだその姿を見せない…….フルーツはとてもおいしい.

◇朝食の間にだんだん外が明るくなってきた.雨もあがる気配だ.午前9時から Hennig XXV の初日が始まる.フロントで会場を訊いたら,ホテルへの入り口の隣りにある別棟〈Salon Oaxaca〉を指示される.なるほど,道路に面したホテルの隣りに半地下の入り口があり,Hennig XXV のポスターが貼られている.ロビーの奥に大会会場となる部屋が広がっていた.講演用の部屋ではなく,むしろパーティ用に用意された別棟なのだろう.

 昨日はできなかった大会参加登録をすませて,コングレスバッグがわりのフォルダーをもらう.スパイラルバウンドの要旨集とペン,そしてメモ用紙が付いている.

◇午前9時から Hennig XXV が始まった.皮切りは,Pablo Goloboff 会長の挨拶.本国も含めてスペイン語圏では初の開催であると言っていた.

トークの最後に,「“Cladistics of Cladists” 20 Years on : A Reanalysis」と銘打ったアンケートが今回の100人ほどの参加者に配られた.Jim Carpenter がクラディストの「分岐図」を描いたのは今から20年前のことだった(1987年の Cladistics 誌に掲載).その論文はサイエンス(とサイエンティスト)自身の系統解析を行なったものとしては初めての試みで,“cladogram of cladists”を推定しなければわからなかったことがいくつか報告されていた.今回はそのアップデートを狙ったものだろう.参加者は今日中にアンケートへの回答を提出することが求められている.

◇引き続いて,最初のセッション.「Character sampling」というシンポジウムだ.形態形質の話題提供が多かった.最初の講演は,「Geometric spaces for character sampling and quantitative methods for character state identity」(Efrain de Luna and Brent Mishler).形質状態の“群”を決めるために,形態形質からケンドール形状空間を導出して,その空間の中で多変量解析によって形質の“軸”を導出しようという話.非線形空間を線形統計学で攻めようというのは限界があるように思う.

 2番目はとてもおもしろかった:「Characters as groups : Applying insights from cognitive psychology to improve morphological characters」(Bruce K. Kirchoff).Peter F. Stevens らによって量的形質の認知心理について研究がなされたが,Kirchoff は複雑な質的形質についての同様の研究を進めている(Systematic Biology, 2004, pp. 1-17).質的形質は複雑であればあるほど,多くの小さな形質状態のクラスターを認識する傾向があるとのことだ.複雑な質的形質の先行研究は,認知心理学の分野で進められている.たとえば,顔の認知に関する A. Schwaninger の研究や,Tanaka et al. による花の形状認知に関する心理学的研究(Psycological Sciences, 16 : 145-151, 2004)などがある.Kirchoff は,形質の認知を「クラス」と「個体」の二つのレベルに分け,学生を対象とする実験を行なった.植物の複雑な形状を用いて,trained と untrained の二つの学生サブセットを用意し,形態形質に関するトレーニングが reliability(inter-investigator consensus)と validity(cladogramとの対応)の点でどの程度の向上につながるのかを調べた.プロの植物学者に対する同様の調査をも踏まえた上で,Kirchoff はたった数時間のトレーニングをするだけで,格段の向上が見られたと結論する.

 3番目は「Barcoding, microsatellites and medical leeches」(Mark Sidall).あ,またヒルだ! Hirudo medicinalis のゲノム計画について.

 コーヒー・ブレークのあとは,「The utility of Expressed Sequence Tags as phylogenetic characters」(Alfried Vogler).EST形質をライブラリー化して,系統解析に用いる話.すでに MBE, 23 : 268-278, 2006 や Cladistics [in press] で公表しつつあるとのこと.

 2時間におよぶタコスとサラダのランチの後(シェスタか!),「Indel coding under parsimony」(Kai Müller)と「The relative performance of indel-coding methods in simulations」(Mark Simmons and Kai Müller).Indel データのもつ系統学的情報をすくいあげる手法を比較検討する.Mark Simmons らの先行研究(Systematic Biology, 2000)では,Indel データについて,「simple coding」と「complex coding」のふたつの方法が提唱された.Müller は,ステップ行列を組み入れることにより,後者の方法を改訂した(MPE, 2005).そして,SeqState というソフトウェアを公開した.ステップ行列のコストはぼくが見るところ“ベイズ的”に決めているようだった.Müller 自身の『Applied Bioinformatics』(2005 : オンライン?)でも公開されている.

◇大会会場である〈Salon Oaxaca〉のロビーにはインターネットに接続されたPCが3台用意されていた.ホテルの部屋からはつなぐことができないので,ここでしかメールチェックやウェブを見ることができない.当然のことながらスペイン語のウィンドウズOSだ.スペイン語機はJICAの講義の実習時に使ったことがあるので手も足も出ないわけではないのだが,キーボードの配置がぜんぜんちがうのでときどき凍ることがある.何日かぶりにメールをみたら,膨大なスパムメールの間に挟まって,いくつかの大切なメールが届いていた.

 読売新聞から『系統樹思考の世界』について取材をしたいとの申し入れがあった.もちろんOKとの返事を出した.帰国後の今月後半は,場合によっては China に瞬間移動して,また日本に舞い戻って東京での進化学会大会と9月初めの〈トゥーランドット〉公演など大きなイベントが数珠つなぎに予定されている.その後に取材を受けることになるだろう.

◇午後3時半頃にスコールが降った.不安定な空模様だ.

◇午後の一般講演 —— 「Complex terminals and forest swapping」(Ward C. Wheeler et al.).tangled tree 分析のための新しい方法の提案.系統解析の末端点(terminals)が「群・樹片・複合体」であるとき,仮想祖先(メディアン)をどのように構築するか,そして最適樹のための swapping をどのようにするかを話した.例によって他の演者の2倍の高速早送りトークだった.続く「POY version 4.0」(A. Varon et al.)は,direct optimization(DO)のためのソフトウェア〈POY〉の新バージョンの紹介.Version 3.0 は MP / ML での最適系統樹を探索するソフトウェアだが,計算速度の遅さに問題があった.そこで heuristics として「lazy evaluation」と「vectorization」というふたつの技法を取り入れることにより,version 4.0 は約5倍高速になるという.この新バージョンは最終日にデモされる.次の P. Grandclas らの2講演は,行動的形質(コオロギの鳴き声形質など)を DO によって系統解析したという発表だった.

◇午後5時頃にまたまた激しいスコールが.午後6時からはポスター発表.「Theory」のカテゴリーでのポスター発表はもともと数が少なくて三つしかなかったところへもってきて,ベルギーから来るはずだった Jan De Laet がドタキャンしたようで,2枚だけになってしまった.ぼくらの発表では,ここ数年手がけている最節約法のソフトウェアについてのアップデートとユーザー・インターフェイスの完備,そして生物資源探査への応用について発表した.当然来るべき人はやってくるわけで,Pablo Goloboffさんは「T.N.T.に勝ったか?」との質問(「ごめん,まだ勝てない」と返したら,「I'm happy〜」だと.くそー).Ward Wheeler さんは「binary dataでの速度についても比較テストしてほしい」とのこと.いくつかの反応を受け取ったので,帰国したら共同発表者に報告しないといけない.

◇1時間のポスター発表を終え,今回の海外出張の「お仕事」はこれにておしまいとなった.昨夜の到着から発表まで18時間の間にとてもたくさんのことをしてしまったように感じる.発表が終わるまでは疲れることすらできなかったのだが,ようやく疲れてもいいよね.

—— ということで,オアハカの中心街に繰り出す.ホテルのある場所は市街地の北なのだが,ソカロを中心とする地区には徒歩で30分以内の近さだ.まずは,何よりもサント・ドミンゴ教会に行って,かの〈生命の樹〉を拝んでこないといけない(それが主目的だったりする).15分ほど石畳の市街地を歩いて教会に到着.民芸品を売る人,路傍でバンドネオンを奏でる人,そして多くの観光客.行き交う人たちを眺めると先住民族率の高さが実感できるが,さすがに有名な観光地なのか外国人もたくさんいる.

 サント・ドミンゴ教会に立ち寄った.この「黄金な内装」はいったいどうしたことか.頭上を見上げるとすべて金ぴかになっている.入り口の真上に,その〈生命の樹〉は大きく枝を広げていた.なるほどこれか,この樹かとしばし見入ってしまった.しかし,ここでうっかり写真をばしばしと撮るわけにはいかない.「フラッシュ禁止」という掲示が出されているし,何よりも礼拝の途中らしく,賛美歌が響き渡る中,シャッター音さえはばかられる雰囲気だった.胸でクロスを切って出入りする信者に迷い込んだ“異教徒”は機会を改める必要がある.

◇サント・ドミンゴ教会の南側に〈Hostería de Alcalá〉という立派なつくりのレストランがあったので,ここで夕食.まずは黒ビールの「Negra Modela」をぐいっと.そして,前菜にオアハカ特産のストリングチーズ Quesillo を溶かして焼いた一皿を注文する.ビールにとても合ってしまうなあ.「Montejo」を1本追加してしまう.メインは,もちろん「Mole Negra」のチキン煮込み.チョコレート風味で辛味が少し混ざるというこの不思議な真っ黒ソースは言葉ではとても表現できない.オアハカには他にも数種類の「Mole」があるという.ぜひ食べたいという人はオアハカに来て食べるべし.味わいのある料理だ.異文化な食体験.

◇ホテルに帰り着いたのは午後9時半だった.スコールが降ったせいで湿度がやや高めかな.方々で爆竹がバンバン鳴るのだがこれって何かの示威行為か,はたまた遊びか.夜の静寂に「ヒー,ホー」としめやかに唱和する鳥たちがいたのだが,その正しい名前をワタシは知らない.だからと言って朝まで寝ないわけにはいかないので,即ご就寝.たいへんお疲れさまでした.>ぼく

◇本日の総歩数=11336歩[うち「しっかり歩数」=5935歩/57分].全コース×|×.朝○|昼△|夜×.前回比=未計測/未計測.


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