日本進化学会第6回大会公募シンポジウム

【6B1】非生命体の進化理論2

オーガナイザー:佐倉統(東京大学情報学環).三中信宏(農業環境技術研究所)


日時:2004年8月6日(金),8:50〜10:50
場所:B会場
演者・演題

徳永幸彦(筑波大学)
人工生命の系譜学と進化学

佐藤啓介(大阪府立工業高等専門学校)
考古学における型式学

矢野環(埼玉大学理学部数学科)
茶道古文書の定量的文献系図

屋名池誠(東京女子大学現代文化学部)
書字方向と書式の系統進化



情報が自己複製し、系統を形成するならば、生命体でなくても進化と呼びうる現象が生じる。そのような非生命体の進化について考察することは、進化の現象やメカニズムについて、より普遍的な理解をもたらしてくれるはずだ。このような理解にもとづき、昨年度の進化学会でシンポジウム「非生命体の進化理論」をおこない、幸い好評をもって迎えられた。今年度はその続きとして、さらに具体的な事象を増やすとともに、理論的な深化をめざす。


【徳永要旨】
人工生命(A-life) とは、人工に作られた生命様システムを生命と認め、現存する生命体を対象に行う生物学(B-life) と同様に、そのシステムを研究対象として探求していく学問形態を言う。A-life のB-life に対する優位性は、対象とする生命体の歴史が、完璧に研究者の手中にあるということである。B-life では進化の道筋は推測に過ぎないのに対し、A-lifeにおいては、最悪の場合は物語的な記述で終わるとはいえ、完璧な系譜(答え)が歴然と存在する。このような考え方に立つとき、人工生命の果たすべき重要な役割は、現存する生命体を模倣することではなく、むしろポストゲノム時代の分子生物学への貢献にある。ゲノム時代の分子生物学は、いわば博物学の大航海時代に相当する。かたや膨大なゲノム情報の中を泳ぎならが、もう一方で人工生命の小さなプールの中で、洗練された解析技術を開発する姿こそ、今日の人工生命が最も本領を発揮するであろう分野である。本発表では、人工の生命体を形作って来た歴史を概観しつつ、人工生命のゲノム科学への貢献の可能性について議論する。


【佐藤要旨】
大量に出土する考古学的資料に相対年代を与える方法として用いられているのが、型式学(typology)である。型式学は百年ほど前、スウェーデンの考古学者O・モンテリウスによってその基礎が形成されたが、当時から、彼はこの方法が「分類論」と「系統論」からなるものだと明確に意識しており、かつ、それが当時の生物学の進化論とアナロジー関係にあると断言している。型式学とは、資料を「型式(type)」に分類し、層位学などの観点からそれらを組列(series)順番に並べていくことで、その型式に相対年代を与える方法(=編年の方法)である。型式学の独自性は、この組列という系統に因果関係があろうとなかろうと、相対年代は判明するという点にある。A-B-C という組列を例にとれば、A よりB が相対的に新しいからといって、必ずしもA からB へと型式が変化したとは限らない。その型式間の変化にどのような因果関係があったのかなかったのか、またあったとすればそれはどのような関係なのか、それを解釈するのも考古学的研究の一つの課題となるが、いずれにせよ、型式学とは資料の年代を測る「ものさし」を作ることがその第一の目標である。


【矢野要旨】
日本における文献学の成果としては、Maas, Greg, Quentin に通暁した池田亀鑑による、『土左日記』のarchetype 推定が著名である。しかし、これは僥倖の産物とも見なされ、又文芸作品等の写本における混態現象もあって、継承されることは無かったと言える。さらに池田没後のDearing 等によるcomputer 処理も日本には殆ど紹介されなかった。講演者は『君台観左右帳記』の整理以降、数理的手法を援用している。本講演では、混態もある『利休百会記』の写本群の整理について、多変量解析とCladistics による手法を両用し、系譜学的にどのような結果が得られるかを述べる。現状ではcomputer 処理のみで系統推定を行うのは危険があり、どうしても写本そのものの微妙な姿を援用する必要がある。また誤写も類別してデータとする必要がある。しかし、古典的な手法のみに依存するのに比べて、大変見通しが良いことは事実である。かつて利休自筆とされていた写本が、系統的に末端に近いこと、また『南方録』に利用された物はさらに末端であり、貞享の頃には写本群が既にかなりの発展を遂げていた事、流布本は意図的な書き込みが多いと判断される、など新しい結果を得た。


【屋名池要旨】
日本語の表記は、縦書き・横書き両用という点で世界的に希有の存在だが、横書きは古来のものではなく、幕末・明治初期に西欧語との接触の結果生まれたものである。異国趣味の意匠として横文字を真似た庶民は、在来の1 行1 字の縦書きにならって右横書きを生みだし、洋学を学んだ知識人たちは横文字との共存をはかって左横書きを始めたのである。異なる書字方向を持つ外国語の影響で、個人の試みとして種々新奇な書字方向が生じることは稀なことではない。しかし、それが社会的な制度として定着することはきわめてむずかしい。制度改変の負担を補って余りある社会的なメリットがなければならないからである。右横書きは、横長の画面には向かない在来の縦書きの欠を補うものとして、縦書きと混用されるスタイルとして旧来の用途に用いられ、左横書きはそれ専用の独立のスタイルとして、文明開化にともなって新たに生じた用途にもちいられるというように、当初は用途と使用者を分担したが、普及とともに、機能と形式を交換した折衷型を生じ、その一つ、縦書きを主体に左横書きを混用するスタイルが主流になって現在に至った。当日は横書きの今後についてもふれてみたい。