【書名】理系白書:この国を静かに支える人たち
【著者】毎日新聞科学環境部
【刊行】2003年6月20日
【出版】講談社,東京
【頁数】311 pp.
【定価】1,500円(本体価格)
【ISBN】4-06-211711

【書評】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

それでも生きていくサイエンティストたちの姿

「生業(なりわい)」としての科学はけっして平坦な道ではない.うまく仕事が進捗しなかったり,人間関係に支障があったり,研究資金に行き詰まったり,さまざまな不平・不満を抱いたり――これらの点では科学は他のすべての職業となんらちがいがないだろう.ある指揮者が言うように「いちばん好きなことを仕事にしてはいけなかった」という言葉についうなずいてしまいたくなることもないわけではない.

本書は,いまの日本の社会の中でかれら「科学者」が置かれている状況をさまざまな視点から見据えた本である.毎日新聞での長期連載を踏まえ,関係者の証言やインタビュー,そして各種の統計データに基づいて,実像としての科学(者)の姿を総体的に描き出そうという努力が感じとれる.

いま生きている科学者たちを取り巻く環境は,他の職業と同じく,たいへん厳しい.かつてのオーバードクター問題の再来はかねてより予想された通りだし,研究資金を求めての競争,研究ポストの獲得と維持,人事的処遇の問題,科学に対する社会的・文化的な受容のあり方――いずれも,他の職業と同じく,科学もまた実社会の中でさまざまなハードルを乗り越えようとしている.本書の読者は同じ目線の高さで科学者を見ることができるだろう.

しかし,全体を通してみると,本書は新聞記事の「束」以上の内容的な深まりがないように感じる.現代科学の「裾野」を幅広く渉猟している点は評価できるのだが,「頂上」を目指して頑張るという色合いは薄い.科学者個人のエピソードや事例はそれぞれに印象的なのだが,本質的に重要な問題(大学院生倍増計画の結末,国立大学法人化の将来シミュレーション,科学と科学論の関わりなど)については,もっと突っ込んだ考察なり見解が述べられてもよかったのではないだろうか.

幸い,本書の刊行を契機とするシンポジウムがつい最近開催された.毎日新聞の連載もなお続いている.とすると,この本は「最終報告」ではなく,あくまでも「途中経過レポート」なのだろう.そのように読むならば,取り上げられたテーマのひとつひとつがさらなる考察のきっかけを与えていることは確かだ.

最後に,本書では何の言及もされていない「文系」の研究者は疎外されたと嘆くかもしれない.しかし,「理系/文系」という分け方にはもともと何の意味もない.本書はそういう恣意的な分類を越えた「科学者」というものを描いた「研究者白書」と解釈するのが自然だと私は感じる.


【目次】
はじめに 1

第1章 文系の王国 11

報われない理系出身者 12
生涯賃金の格差、家一軒分=五〇〇〇万円 14
霞が関に昇進不文律「技官の出世は局長止まり」 17
理系官僚六割「人事が不満」−−毎日新聞調査 21
政界、財界も「トップは文系」 23
全員理系の中国共産党執行部 27
中枢に理系が不可欠 29

第2章 権利に目覚めた技術者たち 33

「奴隷はもうごめん」 34
億単位の年俸も可能なアメリカ 37
飛躍狙いベンチャー 38
技術者の逆襲 42
報奨金制度で努力に報いる 43

第3章 博士ってなに? 47



実験一日一〇時間 48
「とりあえず大学院」 53
高い専門性は「両刃の剣」 56
四〇歳、まだ武者修行 61
チャンスをつかめ 64

課題を聞く サミュエル・コールマンさん〈文化人類学者〉
−−官僚が国を腐らせる−− 68

第4章 教育の現場から 74

失われる「作る喜び、なぜ? 問う心」 74
昆虫観察に「学問の根本」 76
若者の理科離れ 79
学力低下に強まる不安 80
授業減り、理科細る 85
実験苦手な小学教師 89
「大学入試」原罪論 92
「なぜ?」が知をはぐくむ 95
「出る杭」を育てる 100
科学館に行ったことがありますか? 103

第5章 理系カルチャー 107

科学捨て、追った「真理」−−地下鉄サリン実行役の軌跡 108
オウム中枢の三分の一 112
「優れた能力」利用され 113
ままならぬ「恋愛力」 116
不正生む「ムラ意識」 119
理系とオタク 123
こだわりが開く世界 126

危うい「完結した社会」 128

科学者も市民と共に 132

課題を聞く 常石敬一さん〈神奈川大教授〉
      −−科学者も社会の一員−− 135

第6章 女性研究者 139

「女性教授」門前払い 140
研究の自由侵すセクハラ 142
国立理系教授一パーセント台 145
女性研究者、差別感三倍 148
「女らしさ」の束縛 151
女子の理科嫌い、作るのは親・教師? 154
別居二三年「研究したい、子育ても」 156
研究に男も女もなく 160
女性登用は「特別扱い」? 163

第7章 失敗に学ぶ 167

「大魚」見逃した悔しさ 168
マウスが死んだ? 172
偶然も味方に…… 175
専門性に潜むスキ 177
一万分の一にかける 179
苦い経験が成長の糧 183
教科書に載らない生きた教訓 186
目をそむけず挑戦 189

課題を聞く 田中耕一さん〈島津製作所フェロー〉
      −−失敗を面白がろう−− 193


第8章 変革を迫られる研究機関 195


大学発ベンチャー続々 198
不況で産学連携が「国策」に 202
不可欠な経営手腕、資金 203
「発明」売り始めた大学 205
すれ違う産と学 209
一変する「愚者の楽園」 213
トップ三〇に踊る大学 216
パートタイム教授 223
私立大は生き残れるか 226

課題を聞く 山本孝二さん〈文部科学省科学技術・学術政策局長〉
      −−研究開発にも競争を−− 230

第9章 研究とカネ 233

“狭き門”に研究者殺到 234
真理探究に巨額投資 237
創意縛る「ヒモ付き」研究費 241
企業の研究に「効率」のメス 245
成果求めない投資もっと 248

課題を聞く 倉地幸徳さん〈産業技術総合研究所・ジーンディスカバリー研究センタ
ー長〉−−公正なカネ配分と若手支援を−− 252

第10章 独創の方程式 255

ヒトゲノム計画の「影の英雄」 256
内緒の研究から新分野 260
独創性見極める評価眼を 263
師の「殻」破ってこそ 264

目標を見据えて渡り歩く 268

活力秘める日本型企業 271
とっぴな発想阻む純粋培養 275

課題を聞く 阿部博之さん〈前東北大学長〉
      −−米国追従から脱却を−− 279

第11章 文理融合 283

商品開発に科学の目 284
手法見直し、発想も逆転 287
ものをいう“論理的感性” 289
人材活用を柔軟に−−模索する企業 291
好奇心が壁を壊す 292
かみ合わぬ“男女の仲” 295
めざせ「新・教養人」 299
社長の夢、技術で実現 302

おわりに 307
各分野の理系出身者 308
主な参考文献 310
本文中のコラム一覧 311