プロローグ:進化生物学に生い茂る系統樹


「むかしむかし」
 ...
 おなかにあるおへそがふしぎで
 いつもゆびでさわりながらねむった
 そしてゆめのなかではへびのあめがふり
 わたしはうまれたりしんだりした
 むかしむかしどこかにわたしがいた
 いまここにわたしはいる

 (武満徹 1992 「系図」Family tree,詩:谷川俊太郎)


 本書は、系統推定に関する本です。「系統推定」(phylogeny estimation)とは、生物に関して現在入手できるさまざまなデータに基づいて、それらの生物がたどってきた進化の歴史すなわち「系統発生」(phylogeny)を復元することと私は定義します。私たちは、ごくまれな例外的ケースを除いては、実際の生物進化の過程を目撃し、系統発生の証言者となることはできません。系統発生の歴史について何か知見を得るためには、現存するさまざまな情報をかき集めて、過去の進化史のさまざまな様相を復元するしか方策がないということです。既知のデータに基づいて未知の進化史について推論すること、これが系統推定の本質です。
 経験的データに基づく推定(estimation)や推論(inference)は、単なる想像力に駆り立てられた憶測(speculation)とはまったく異なる次元に属する知的活動です。系統推定にもこのことはそのままあてはまります。Ernst Haeckel がその溢れんばかりの想像力で全生物の「系統樹」(Stammbaum:図0−1)を創りあげることができた時代は、もう再びもどってはきません。話は単純なのです。系統樹が産み出される源泉は、観念の自由な飛翔ではなく、地味な観察データであるということです。つまり、対象生物群に関する観察データから導かれた系統樹はデータの関数としての「推定値」(estimate)にほかならないという基本的な認識がわれわれに要求されているのです。さらに、この系統樹は推定値であるという認識が、系統推定の信頼性を評価するという発想をもたらします。限られたデータからできるだけ精度の高い信頼できる系統樹を推定すること、これが系統学者に科せられた責務といえるでしょう。
 私が本書で描こうとする現在の系統推定論の世界は、きっと読者のみなさんの多くにとっては初めて読まれる内容と形式だろうと予想しています。また、本書では、「分類」(classification)および「分類学」(taxonomy)と系統学との間に明瞭な線引きをします。これまで日本で出版されてきた動物分類学の類書(たとえば、シンプソン 1974[Simpson 1961], 高木 1978, 佐々治 1989, 馬渡 1994)ではどれも、系統推定の問題とならんで、分類群や分類体系に関する説明が重視されてきました。しかし、本書では、系統学の原理については詳述しますが、分類学は系統学とは別の役回りを演じるという見解をとります。その理由は2つあります。
 第一の理由は、分類構築は系統推定とは無縁の行為であるという私の基本的認識です。つまり、分類構築と系統推定とはそもそも相手にしている問題が互いに異なり、思考法もそれに対応して異なるということです。分類群をグループ化するという作業には、その分類群を行なう者によるパターンの「認知・認識」が規準として必要です。しかし、分類パターンの認知や認識は上で言及した推定という行為とはまったく別物です。系統推定では、対立する系統樹間のデータに基づく選択を行なうことにより、推定を行ないます。系統推定が可能である理由は、それが系統樹の持つ樹形や仮想的共通祖先などの未知母数(パラメーター)を設定しているからです。一方、分類構築にはこれに相当する母数はありません。母数がなければ推定は不可能です。
 第二の理由は、現在の比較生物学における系統樹の利用のされ方を概観するかぎり、系統樹そのものについて詳しく論じる方が、分類体系の詳論よりもはるかに役に立つと私が判断したからです。本書の第5章で論じるように、近年の比較生物学では、大方の予想をはるかに越えるスピードで、系統推定の知見が浸透しています。生態学・行動学・進化学の多くの問題が、推定された系統樹の枠組みの中で議論されることがごく普通になってきました。しかし、それらの種間比較研究が要求しているのは、もっぱら系統樹であって、分類体系ではありません。むしろ、分類体系と系統関係とを誤って同一視することに由来する弊害の方が目立つほどです。
 こういう理由により、本書では分類については基本的に言及しません。しかし、なんとも皮肉なことに、本書の中核は、慣習的に「分岐分類学」という訳語が与えられている "cladistics" という系統推定の方法論です。けれども、分岐学における「系統分類」(phylogenetic taxonomy)は、系統樹をそのまま分類体系として直訳したもの−すなわち系統樹の「射影」−にほかなりません。系統樹の「影」であるこの「分岐分類」を、上で対置した「認知分類」と混同しないよう、ご注意ください。
 不幸なことに、日本では、"phylogenetics" や "systematics" の訳語として広く用いられている「系統分類学」というあいまいなことばが、本質的に別種の知的行為である分類構築と系統推定とを誤って混同させる一因になっていると私は考えます。この誤解をあらかじめ封じるために、本書では "phylogenetics" は「系統学」と、そして "systematics" は「体系学」と訳すことにします。ついでに、本書の中心主題をあらわす "cladistics" ということばも、すべて「分岐学」と訳してあります。「必要もなく分類と結び付けるべからず」−これを本書のモットーとします。

 本書の内容構成について少し説明しておきましょう。続く第1章では、系統推定の歴史を振り返り、系統を推定したり歴史を復元したりすることがどんな目的にとって必要なのかについて論じます。さらに、系統推定が分類認知と根本的に異なるという上の私の主張をもっと展開します。第2章では、系統推定法への導入として、系統樹とは何なのか、系統樹のどんな属性を推定対象とするのか、系統推定を行なうための情報源は何かについて説明します。この章では、ウェットな系統樹からドライな分岐図へという議論の場の移行をもくろみます。
 短いインテルメッツォをはさんで、続く第3章では、分岐学がたどってきた歴史を概観し、最近約20年にわたるその理論変遷について説明します。とくに、分岐学がいまもなお変貌し続けていることを読者のみなさんに知っていただきたいと思います。第4章では、分岐学に基づく系統推定の方法について詳細に説明します。ここでは、テストデータとしてDNA塩基配列データを用い、具体的に議論します。要点は、分岐学が「最節約性」(parsimony)という規準に基づいて推定を進めていること、そしてこの最節約的手順は2段階に分けられ、仮想的祖先復元と最節約分岐図のそれぞれが最節約規準にしたがって選択されることです。さらに、得られた分岐図の統計学的信頼性の評価方法ならびにデータの持つ情報量の評価方法について説明します。本章の終わりでは、形質進化モデルを組み込んだ一般化最節約法および網状ネットワークの最節約推定という新しい動向を模索します。
 次の第5章は応用編です。この章では、推定された分岐図を用いた進化生物学のさまざまな応用研究を例として挙げます。とくに、形質進化仮説の検証・分子進化・生物地理・共進化・系統分類体系といういま最もホットな話題について触れ、最後に、かたちの問題を取り上げます。
 現代の系統学では、さまざまな系統推定の手法が提唱されています。1960-80年代にかけては、系統と分類の関係をめぐって学派間で熾烈な闘争がありました(Hull 1988:本書第3章参照)。また、第4章(4−5節)で説明するように、核酸の塩基配列や蛋白質のアミノ酸配列をデータとする分子系統学では、いずれの系統推定法がより優れているかをめぐって今もなお論争が絶えません。系統推定を実際に行なう者の立場に立てば、採用しようとする推定法の長所と短所を見抜く眼を育てなければならないということです。系統推定法はしょせん分析のための「道具」(analytical tools)にすぎません。しかし、その「道具」を正しく用いるためには、系統推定論の正しい理解が必要であることは言うまでもありません。現在われわれが利用している道具箱には、性能上けっして完璧ではないが、使い方によっては十分に役に立つ道具たちが入っているのです。たとえ最良のデータがあったとしても、それを最悪の系統推定法で解析したならば、宝の持ち腐れです。系統推定においては、データが重要であるのと同等に、その解析方法の検討も重要なのです。
 数ある系統推定法の中で、分岐学的方法はいくつかの点で特徴があります。第一に、科学史のさまざまな時代と知的環境の中で、その方法が収斂的に何度も考案されてきたように考えられることです。最節約原理に基づく歴史復元は分岐学の専売特許ではけっしてありません。それどころか、生物の時間的変化なるものが概念化されるずっと以前に、中世のスコラ哲学以降、古典書籍の写本の「文献系図」(manuscript stemma)あるいは言語間の類縁関係の樹形表示という生物学とはまったく無関係の分野で、分岐学的な推定法が用いられてきたようです。このことは、系統学を含むこれらの「歴史科学」−誤解を防ぐために William Whewell (1840) の造語による "palaetiology"(古因学) という言葉を当てておきます−のすべてに共通する歴史復元の一般的方法論として分岐学を位置付けられるのではないかと私は考えます。
 第二に、最節約規準に基づく系統推定の理論は、現代の最先端の数学とも密接に結び付いているという点です。本書を書く上での基本方針として私は数式は用いませんが、現代数学との関連づけは随所で行ないます。系統推定論の理論的論文だけでなく、応用的論文の多くは最先端の数学や統計学の知識を必要としていることは周知の事実です。とりわけ分子レベルのデータが急速に蓄積されつつある今日、手作業で系統推定を行なうことは事実上不可能です。系統解析を行なうためのさまざまなコンピューター・ソフトウェアが開発され、広く普及していることがそれを如実に物語っています。しかし、これらの有能なソフトウェア(付録参照)を使いこなすためには、背景となるコンピューター科学・数学・統計学に関するある程度の知識は必須です。本書をご覧になって、系統学というものに関心をもたれた方は、ぜひこのイデアの世界に入ってみてください。
 同時に、系統学の世界にもすでにインターネットが急速に浸透しつつあります。系統解析に使えるさまざまなデータ・手法・ソフトウェアは、現在ではWWWサイトなどを通じてインターネット経由で入手できることが多くなりました。ニューズグループやメーリングリストなど研究者間の電子ネットワークもあっという間に普及してしまいました。系統学の世界も、他の科学研究分野と同じく、最新の知見をできるだけ早く入手しなければ研究者として生き残れません。本書の付録では、このような情報も盛り込みました。また、参照すべき論文や資料などにも電子化の波は急速に押し寄せています。本書では、「紙」の文献だけでなく、電子文献も同列にそして積極的に引用しました。
 最後に、読者のみなさんに一つだけ言っておきたいことがあります。本書の内容の中心は、1950年頃から今年(1997年)にいたるまでの系統推定論の解説です。私が過去に著わした文章からの借用もところどころありますが、日本語ではまだどこにも書かれたことがない用語・概念・理論が頻出する箇所もあるでしょう。しかし、それらを包括する系統推定の理論枠はごく一部の最先端の研究者だけがわかっていればいいのだ、という理解はおそらく的外れだろうと私は考えます。本書で紹介した用語や概念の多くは、系統学者・進化生物学者・行動学者・生態学者が日常的に目を通す専門雑誌に載る論文では当たり前のように使われています。そういう時代になっているのです。ですから、むしろ「この程度の内容は論文を読むための常識だ」くらいに軽く考えて、読み進んでいただければ幸いです。
 分類学がアリストテレス以来の長い歴史を持っているのと同じくらい、類縁関係に基づく系統学も伝統と歴史があります。しかし、伝統の重みや歴史の長さはその学問分野の生産性やおもしろさとは何の関係もありません。馬渡(1994)は、分類学者の後継者不足に危機感を抱き、日本の分類学を復興させるためにはどのような方策を取るべきかについてさまざまな提案をしています。多様な生物を相手にするという点では系統学も分類学と同じです。最近は、動植物を問わず、とくに分子データを駆使してさまざまな生物群の系統関係を研究している若い研究者が日本でも増えてきています。彼らはきっと系統学とそれに基づく系統的分類体系、さらには生物界の多様性の研究を将来担ってくれるでしょう。
 歴史の復元を目指す系統学とその方法を論じる系統推定論が現代の比較生物学の中で生産的であり続けるためには、そして人々の関心を惹き続けるためには、解かれるべき興味深い問題があることを示し、実際にそれらに対する有効な解答を提示し、さらにそれが将来進むべき方向を指し示す必要があります。一言で言えば、「系統学はおもしろい」と思わせなければならないということです。若い研究者の卵がある学問分野に足を踏みいれるかどうかそしてそこに踏みとどまるかどうかの決断は、その分野の生産性と将来性にかかっています。系統学者は自分の研究が魅力的であることを外に向かってアピールし続ける義務があります。
 私が系統推定論の世界に首を突っ込んですでに15年が過ぎようとしています。研究の道を歩み始めた人間ならば誰もが最初悩むように、選んだテーマが自分にとって適当であるのかどうかの見極めは実に難しいものです。しかし、私にとって、この分野は15年経ってもまだまだ解くべき問題−方法論の問題に限っても−がたくさんあるという研究者として幸せな状況が続いています。おもしろい問題を自分だけで独り占めするのはもったいないですね。一人でも多くの方に「この分野に進もう!」と思わせることができたならば、本望なのです。

 おっと、そろそろ本論に入らないと...。

1997年 9月 1日
三中信宏
電子メール minaka@affrc.go.jp
WWWサイト http://ss.niaes.affrc.go.jp/~minaka/

謝辞:本書の内容に関しては、下記の方々からコメントをいただきました。この場を借りて、心から感謝いたします:−−−−−−。また、分岐学史に関わる未発表原稿をお送りいただいたGareth Nelson博士(アメリカ自然史博物館)とDavid M. Williams博士(大英自然史博物館)に感謝いたします。
 また、必ずしも農林水産業には直接関係しないかもしれない広範囲にわたる文献資料の収集を手伝っていただいた農業環境技術研究所情報資料課のみなさん、ならびにご協力いただいた国内外の大学・研究機関にも感謝いたします。
 私のような国立研究所研究員は、大学などの研究教育機関とは異なり、ともすれば研究上の話し相手にもこと欠くことがまれではありません。日常化した精神的な閉塞と幽閉から脱却するための蜘蛛の糸として、インターネットの恩恵を私は毎日受けています。とりわけ、私が運営している EVOLVE - 進化生物学メーリングリストと BIOMETRY - 生物統計学メーリングリストの会員諸氏からは、多くの情報をいただくとともに、本書の内容に関わるさまざまな意見交換をしました。私が電子メールでメーリングリストに流した文章のいくつかは、そのままあるいは形を変えて本書に登場します。熱心にそしてときには口数多く議論してくれた彼らネッターたちに深く感謝します。
 東京大学出版会の光明義文氏には、本書全体にわたる企画構想はもとより、執筆進捗についての断続的な叱咤激励を含めて、たいへんお世話になりました。この場を借りて感謝いたします。
 最後に、私にとって初めての単著である本書を、私の家族と京都にいる両親に捧げます。

[プロローグ 終了]