ハンガリー狂詩曲異聞
−第5回国際系統進化生物学会議に参加して−

三中信宏
農水省農業環境技術研究所

 ハンガリーに代表される中欧諸国は,数年前まで社会体制が異なっていたせいもあり,1989年の変革まではおいそれと訪問できる国ではなかったようです.今年1996年は,ハンガリー建国1100年祭と万国博覧会の同時開催ということで,私がブダペストを訪れた8月は国の雰囲気としてハイな状態にありました.私が参加したのは,第5回国際系統進化生物学会議(Fifth Int. Congr. Syst. Evol. Biol.)といいまして,生物の進化・系統・分類・生態・行動などの約500名の研究者がブダペストに集結し,8月17日〜24日まで1週間にわたって開かれた会議でした.この国際会議は5年ごとに開催されており,中欧ではもちろん初めての開催です.日本からの参加者は10名くらいだったかな.もちろん農水省からは私一人.進化生物学なんか農水ではマイナーですからね(プンプン).
 会議の内容については,河田雅圭さんや斎藤成也さんがアカデミックに報告してくれるとのことですから,私は,それ以外の話題を報告いたします.全体は3部構成です.

第1部:パプリカに煙るマジャールの国から

★パプリカは何色?
 旅行先でどんなことに興味をもつかは,多分に旅行者の嗜好に左右されます.私の場合,もちろん「食」.事前に「地球の歩き方」なんて本をしっかり買い込んで(そういえば日本からの参加者はみんなこれをもってたなぁ),ハンガリー料理について一応勉強はしてきたつもりでしたが,現地についてみて初めてわかったことばかり.たとえば,日本にいると香辛料のパプリカ(カレーなんかに入れるでしょ)は「赤い粉」っていう先入観が誰でもあるわけですね.「小麦粉は白,きなこは黄,パプリカは赤」っていう常識.この常識がブダペストでは通用しないんです.もちろん,代表的なハンガリー料理のグヤーシュ・スープ(肉シチューみたいなもの)は真っ赤なパプリカ粉(セゲド産が最高級とか)がなければ,その特有の色も香りもあり得ないわけです.しかし,これは偉大なるパプリカ帝国のほんの一部にすぎなかったのですね.
 会議場に通じるバルトーク・ベラ通りをドナウ川に向かって進むとブダ側にゲッレールト温泉(第2部で登場)があり,そこから自由橋という橋がドナウにかかっています.それを渡ったペスト側にあるのが広大な中央市場.ここはパプリカの天国です.八百屋ごとに店先を彩るのは「黄色いパプリカ」の山また山.そう,生食用のパプリカは黄色いピーマン(みたいなもの)です.もちろん,赤いパプリカ粉を売っている店はありますが,八百屋とはまた別.パプリカ粉屋(?)の店頭はこれまた一目見て真っ赤で,大阪・鶴橋駅下にずらっと軒を連ねる韓国食材店みたいなもんです.
 「そうか,パプリカって黄色いんだぁ」と妙に感動して,その後気を付けていると,ハンガリー料理にこの黄色いパプリカが欠かせないことが納得されました.サラダに用いられるのはもちろん,メインディッシュの付け合わせ,グヤーシュのトッピングなどいたるところに顔を出しています.印象的だったのは,ブダペスト最大の繁華街バーツィ通りの新聞スタンドの兄さん.新聞を買って,ふと奥を覗くと,大きなパンの横に転がっているのが黄色いパプリカ.どうやら,パンをかじりながら,パプリカをナイフで削ってはほおばっていたようでした.
 味ですか? 予想に反してすごくニュートラルで,いけます.日本のピーマンは,青ピーマンはもちろんのこと,ラタトゥイユに使うような赤ピーマンや黄ピーマンでも特有の臭みがあるでしょ.それがブダペストの「黄色いパプリカ」にはまったくないのです.生でかじっても「うへぇっ」っていうことがない.これは発見でした.
 パプリカが幅を利かせている理由の一つは,野菜相が薄いことにあるのかも.中央市場の八百屋でもパプリカ・人参・ジャガイモは山になっていましたが,それ以外の野菜,とくに「緑色野菜」が少ないという印象を受けました.そういえば,私が同伴した女性(かみさんのことですから,誤解のないよう^^)の証言によると,河田雅圭さんの文子夫人があるレストランで野菜を食べようと思って「キューリ」(Cucumber)を注文したところ,キューリのピクルスが山盛りになって運ばれてきたので卒倒したとか.

★ショモロイ・ガルシュカであえなく即死
 全般的に,ハンガリー料理は「量が圧倒的に多い」ことは確かです.それに負けずに十分ついていけた私の消化器系は,それはそれで問題なのかもしれませんが,日常的にこれだけ食べてれば問題じゃないかなというくらい,みなさんもりもりわしわし食べてます.会議場のランチなんかトレーを持つ手がしびれるほどドカッと盛り付けてくれるし,デザートのチーズケーキなんか日本の豆腐一丁くらいあったもん.でも,ハンガリーで「最も悪名高いデザート」といえば,ショモロイ・ガルスカで決まり.バーツィ通りの北の端のヴルシュマルティ広場の一角にジェルボーというお菓子屋さんがあって,有名らしいです(同伴女性の弁).でもって,ここのショモロイ・ガルシュカを賞味したのですが,これが「うわっ」というか「たまらん」状態に直行するわけ.一言で言えば,「チョコレートソースの海に泳ぐ特大パウンドケーキ&生クリーム満載」というものを想像していただければよろしいかと.甘いことはもちろん掛け値なしに甘いのですが,食べているうちにケーキがスポンジのようにチョコソースをどんどん吸って壮絶なことになるのです.同伴女性は半分で降参しましたが,隣のテーブルのイタリア人熟年グループは一人ずつこのショモロイをたいらげていきました(おそるべしイタリアーノ!).
 このショモロイほどではありませんが,グンデル・パラチンタというデザートもあります.観光客も多い英雄広場に連なるアンドラーシ通りに面したカフェで同伴女性がこれに挑戦したのですが,簡単に言えば「チョコレートソースの池に落っこちた大クレープ」です.これもはたで見ているだけで血糖値が上がりそうですが,ショモロイに比べれば大したことないようです.

★チョウザメはいかが?
 ドナウ川は淡水魚の宝庫のようです.ホテルの朝食バイキングにはいつも魚の燻製が出ましたし,魚料理の専門店もあります.マルギット橋のブダ側にあるパクシという店はその一つ.グループで行ったのですが,店の人が「今日はこれがいいよぉ」ともってきたのが,チョウザメ.そう,キャビアの親.統計数理研究所の長谷川政美さんは,チョウザメの口をこじ開けては,「さすが硬骨魚類だねぇ.そんじょそこらのサメとはちがうねぇ」と最尤法的に感心していました.味の方も有意な違いが検出されたのでしょうか? ナマズはどうかという案も出たのですが,「油がすごいですよ」という長谷川さんの忠告でボツ.
 もちろん,サーモンはよく食べるようです.レストランでも常連メニューの一品として載っています.ただし,量が超人的.8月20日の建国記念日に,ゲッレールト温泉のレストランで,同伴女性がこのサーモンのメインディッシュを注文したのですが,ぶっといサーモンのステーキが2枚も皿に乗ってきたので,あえなくノックダウン.

第2部:ゲッレールトの温泉津波で溺死寸前

★のけぞる定番3点セット
 国際会議の定番コスチュームがスーツにネクタイというのは,はっきり言ってウソ.そんな格好はだれもしてないもん.今回の会議で最もきちんとした服装をしていたのは遺伝子重複で知られる大野乾氏.多数派はTシャツ・短パン・サンダルの3点セットで決まり(ここは海水浴場か).私も重いのにスーツを持って行って損した.しかし,そんなことで日和ってはいけないそうです.九州大学の巖佐庸さんは最終日近くに発表があったのですが,発表が近づくとやおらリュックサックからネクタイを引きずり出して締めはじめました.「巖佐さん,ネクタイするんですか? 誰もしてませんやん」と突っ込んだところ,「三中さん,周囲に流されて日和ったらあかん.主義主張は簡単に曲げたらあかんねん」と切り返されて,変に納得しました.でもネクタイ締めることが主義主張とどんな関係があるねん.

 「ヨーロッパは緯度が高いから涼しいぞ」と言われてきたのですが,これは大ウソ.ハンガリーは連日30度を超える気温でした(ほぼ同時期に国際昆虫学会議が開催されたフィレンツェは涼しくて快適だったとか).ただし,湿度だけは超低い.これがくせもの.高温高湿の日本に比べればまだましかと思ったのは私の浅はかさ.高温低湿という体験は初めてだったのですが,やたら喉が乾くのですね.本当に.確かに,街を歩いている人は,かなりの割合で水(viz)または炭酸水(asvanyviz)のペットボトルをぶらさげていました.最初のうちは抵抗があったのですが,そのうち私も必要に迫られてスーパーで1.5リットル100フォリント(100円弱)のペットボトル(ゲッレールトの地下1000メートルから汲み上げたという kristalyviz = ミネラルウォーター)をぶらさげて,会議場に通うようになりました.見栄や体裁などと言ってられなくなるのです.どこでもところ構わずゴクゴク.なんとまぁ,お行儀の悪いことこの上なし.

★打ち上げパーティ:ドナウの乱痴気
 最終日の前日23日は夕刻から打ち上げパーティがありました.事前には知らされていなかったのですが,送迎バスに乗ってアナウンスを見ると,何と1時間半も運ばれてケチケメートというハンガリー大平原の真っただ中のレストランに行くとのこと.ついにハンガリー民族(マジャール人)の深層部分に連れて行こうということでしょうか? ヒマワリ満開の畑を横切って着いたところは牧場の中のイン.野外パーティ形式でした.到着早々,バラツク・パーリンカというアンズ(サクランボ?)のスピリッツを呑まされ,パーティ開始.そーかぁ,グヤーシュっていうのは,たき火の上でバケツで煮るものだったのかぁ.お,河田夫人がチャルダッシュとともに踊ってるぞ(カメラカメラ).「巖佐さん,馬の鞭がありましたけど,買わへんのですか? 論文を書かない学生や院生をこれでしばき倒すとか」「三中さんは,ちょっと僕を誤解してるんとちゃう?」「でも,"巖佐・鞭の部屋" とか "矢原・性の部屋" とか "粕谷・しごき部屋" とか九大理学部に看板出したら学生に受けるのんとちがいます?」「粕谷・矢原ペアやったらそれやるかもしれへんなぁ」..などなどジプシー音楽が生演奏される中(ツィンバロンの生演奏を初めて間近に見ました),思考と行動の脱理性化エントロピーは次第に着実に増大していきました.
 ハンガリーは日没が遅く,夜8時くらいにならないと闇がこないのです.9時近くまで大平原にいて,夜11時頃にホテルのある「王宮の丘」についたら,もうボロボロ.当り前やな.

★幻のセンテンドレ饅頭
 まぁ,ある程度の規模の国際会議ともなると,観光ツアーがいろいろ用意されています.今回も,中日の8月20日が記念日休日でして,会議プログラムもまったくなしのフリーの1日でした.午前にはブダペストの北にあるセンテンドレという観光地にバスツアーがあり,夕方からドナウ遊覧船での花火見物という優雅な予定でした.私はたまたま前日に個人的にトラブッて,警察に行ったり日本大使館に駆けこんだりしていたので,この日のセンテンドレ行はキャンセルせざるを得なくなりました(第3部参照).
 よし,もうこれはドナウ船遊びに懸けるしかないってんで,集合時刻の夜7時前に会議場正面に行ったところ,どこにもバスの姿形なく,参加予定の10人ほどが階段に座り込んでいました.聞くと,「集合時間が6時15分に変更され,もう出発してしまった」とのこと(TENSI Tours はちゃんとアナウンスしてくれぇ).ドナウ遊覧にも見放されたので,同伴女性とともにとぼとぼ歩いていたら,たまたま遺伝研の斎藤成也さんと巖佐庸氏と遭遇し,ゲッレールトで夕食をとあいなりました.ゲッレールトの丘では花火が上がるから,ここだとよく見えるでしょう,というので,レストランの2階に陣取ったのですが,花火の上げ方のポリシーが日本とは違うのです.つまり,花火の残光の余韻を味わうのには程遠く,何というか「マジャールの威信にかけてぶっぱなす」というのが適切な表現かな,やたらに尺玉をドカンドカンとたてつづけに上げるんですね.
 話題がセンテンドレ行になったので,「センテンドレはいかがでした?」と聞いたところ,巖佐さんはすかさず「まだ "最適化" されてない」とぽつり.巖佐理論によると,観光地というものは「饅頭」が売られていてはじめて「最適状態」に達するのであり,センテンドレ饅頭が売られていなかった以上,観光地としてのセンテンドレは「準最適状態」にすぎないとのこと.「センテンドレ煎餅でもあきませんか?」と聞くと,「煎餅はあかん,やっぱり饅頭や」というコメント.

★ゲッレールト温泉の津波
 さて,これまで「ゲッレールト」という地名を何度も口にしましたが,ここはブダペストに数ある温泉の中でもとくに有名な温泉地.遺伝研の斎藤さんは朝10時くらいに髪を濡らして会議場に来たので,「朝風呂ですか」と言うと「そうそう」という返事.僕らもこのゲッレールトの温泉プールに入りましたが,ここには屋内プールと屋外プールの二つがあり,見物は屋外プール.定時的に「波が来る」(正確には「波を起こす」)というので有名なプールとか.ま,波が起きるプールだったら,豊島園にもあるもんねと侮ったのが敗因.サイレンとともにやってきたのは,「さざ波小波」じゃなくって「津波高潮」に匹敵する大波.子供なんかものの見事に波にさらわれて浮遊しているし,大人だって足をすくわれて転がるくらいの大きいのが,頭上からざばんざばんと来襲する.観光客は高みの見物で大喜びするという趣向.土左衛門にならないのが不思議なくらい.しかし,泣きそうになっていたのは観光客だけで,地元の客は半水死体になりながらもそれを楽しんでいる風でした.何とも不可思議な国民性.

第3部:消えた日本大使館,そしてマジャール警察との決死の対決

 人間にとって一瞬のスキが深刻な結果を招くことがたまにあります.私にとって,その「一瞬のスキ」は8月19日の自分の講演時間の最中にやってきました.30分の口頭発表が終わって席に戻ってきたら「パ・ス・ポ・ー・ト・が・な・いぃぃぃ」という重大事態に陥っている自分を発見したわけです.「旅券は海外旅行において命の次に重要な..」とか「日本人はとりわけよく盗難にあう危険が..」などという空虚な言葉は,「盗まれたぁ」という峻厳な現実の前にしてはもはや何の意味もないのですね.学会会場だから大丈夫と思ったのは単なる私の楽観的な思い込みに過ぎなかったなどと解説してみたところで,事実は曲げられません.結局,無事だったのは現金・カードのみ;盗まれたのは,公用旅券・航空券・TC・保険証・トランクの鍵.
 で,その夜から「サバイバルと脱出への格闘」が始まったというわけです.

8月19日(月)深夜の奮闘:
 TCおよび航空券再発行の件で日本へ国際電話で夜が更ける.
8月20日(火)空白の1日:
 建国1100年祭で,すべての会社はもちろん日本大使館・警察(!)も休業.滞在したホテルの近くの交番は,時計博物館および何ちゃらアカデミアと同じ建物の奥まった一室にありました.見事にマジャール語しか話せない警察官相手に,「パスポートがなくなったんだぁ!」とことの緊急性を訴え,「盗難届けがいるんだぁ」と意思表示したものの,「今日はフェスティバルで,その警備に人手がとられているから,明日もう一度来ように」とおじさん警官にマジャール語で静かに諭され,あっさり退却.
8月21日(水)1日走り回る:
 再度,昨日の交番に出向いたところ,今度は見事にマジャール語しか話せない婦警さんがいて,「あのぉ盗難にあって..」「nem, nem..」と首を振る婦警さん相手に,「パスポートがなくなったんだぁ!」とことの緊急性を訴え,「盗難届けがいるんだぁ」と意思表示したところ(前日と同じ^^;),これまたマジャール語で書かれた盗難届け(らしき書類)にサインをして,さぁ次は日本大使館だと,勇んで出かけました.
 でも,ない! 高級住宅街にあるというその大使館の地図に書かれた住所に行ってみると廃屋があるだけ.「なんで大使館が消えるの」とパニクりそうになって,通りがかりの人に「あのぉ日本大使館は?」と聞いても "nem, nem" と拒否される(どうも「英語はダメ」と拒否されたみたい).ようやく,コンピューターの仕事をしているという英語の話せるハンガリー人に遭遇し,事務所に同行して日本大使館の現状について調べてもらってところ,消えたのではなく Zalai ut という別の場所に引っ越ししたとのこと.どうやら,高級住宅地では飽き足らず,ヤーノシュ山中腹にあるブダペストきっての「超高級住宅地」に最近移転したとのこと.
 タクシーに乗って延々行くと,確かに閑静な「超高級住宅地」のひときわ奥まった高台に,日本国大使館と大使公邸がありました.スプリンクラーが回る芝生の庭園を通って,大使館窓口で「これこれこういう災難で..」と申告したところ,若い領事官氏から「え,公用旅券ですかっ,厳重注意ものですよ」と訓告され,帰国証再発行の手続き書類を提出.「これから別件がありますので,明日またおいでください」と言われ,「そうかぁ在外大使館っていうのは忙しいんだぁ」と素直に引き下がったところ,たまたま同じ窓口にきていた旅行会社の人から,「"別件" というのはね "昼食" のことですよ」と言われました(大使館に到達するまでに半日経過していたのです).
 午後は,航空券再発行のため,バーツィ通りのど真ん中にあるルフトハンザ事務所を襲撃.日本の旅行代理店からは「連絡を入れておきました」と言われていたのに,話はまったく通じていない.「大使館発行の証明書がないと航空券は渡せない」と言われ,すごすごと退却.ホテルへ直帰.(学会はどーしたっ)
8月22日(木)配偶者がんばる:
 学会会場へと「現実逃避」してしまった「おっと」を尻目に「つま」は東奔西走してくれました(感謝感謝).午前中,大使館で帰国証の受け取り.午後,TCの再発行完了.航空券は明日発行するとのこと.これで無事帰国だあっ...と気を抜いたのがこれまた失敗のタネ.
8月23日(金)おっと→学会,つま→まち,で夜は farewell party.航空券再発行は機械故障のため,明日に延期.
8月24日(土)最後の仕上げは,盗難届けを出した交番で再発行された帰国証に「はんこ1つ」もらえばおしまい,楽勝楽勝とたかを括ったことは,交番に zarva(closed)という札がかかっていることでもののみごとに裏切られました.そう,ハンガリーは土日祝日は交番が「お休み」だったのです.確か,裏側からも入る門があったはずと行って見たら,門番の老人が "nem, nem" と押しとどめる.やっぱり英語は通じず,向こうも困った様子で第2外国語のドイツ語で "Die Polizei ist geschlossen"(正しい?)と言うだけ.むこうのドアは "zarva" だから "nem" だったと言っても,もう一度そこに行ってみろと門番氏が強く言うので,もう一度戻ってドアを叩き呼び鈴を押し続けたところ,数分後に20代前半とおぼしき婦警さんが「週末は交番はお休みなのよ」とマジャール語で言い訳して(そういうあなたは警官じゃないのかっ),ドアをようやく開けてくれました.
 でも,用件の「はんこ1つ」については,「ここの交番は zarva だからここじゃダメ」の一点張り(でも nyitva(=open) してるじゃない!).「月曜の26日に来てくれない?」「26日早朝の飛行機で帰る予定でして..」.ぼー然とする被害者を横目に,彼女は方々に電話をかけまくった挙句,「ここの警察署に行くように,英語の通訳がいるから」と住所を示しました.仕方なく,言われた住所の警察署を探して,「あのぉ盗難にあって..」「nem, nem..」と例によって言語間障壁に阻まれたものの,所長らしき人が「もう大丈夫ね」とはんこをポンと押してくれました.ここで「はんこ1つ」を求めてのブダペスト放浪はようやく the end. すべてが解決したのは,帰国予定日の前日でした.

 教訓:「現地語を少しは勉強しておこう」,「大きな警察署に盗難届けを出そう」,「日本大使館の最新の所在地を確認しよう」,「事務手続きは平日に済まそう」,そして何よりも「パスポート盗難にはくれぐれも気を付けよう(講演中も)」(^^).

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 音楽好きな人だったら,ブダペストには見るべきポイントには事欠かないでしょう.私も,最終日にリスト・フェレンツ(フランツ・リスト)博物館やコダーイ・ゾルタン博物館を見て回りました(ヴィガドーでオペレッタも見たし).ブダペストに立ち並ぶ文化財的な建築物の連続(単に崩壊寸前の建物もありましたが)は,かえって一様な印象を与えます.石畳の町並みもそれはそれで風情があるのですが,むしろ建物に一歩踏み入った中庭の方が,より印象的でした.

 え,また行きたいかって,そうですね,機会があったら行きたいですよ.私的な災難を別にすれば(空気もちょっと悪いけど),いい街でしたからね.

 以上,波乱含みのブダペスト紀行−ICSEB-V 報告番外篇でした.