【書名】系図が語る世界史
【編者】歴史学研究会
【刊行】2002年11月25日
【出版】青木書店,東京
【叢書】シリーズ歴史学の現在8
【頁数】xvi+398 pp.
【定価】3,800円(本体価格)
【ISBN】4-250-20240-2

【書評】※Copyright 2002 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

人文科学としての「歴史学」(要するに【人間の歴史】の研究)では,「系図」は虚構の産物として,これまでその価値が十分に認められてこなかったそうだ.本論文集は,貶められてきた「系図」にあえて焦点を当て,それがもつ価値を再評価することを目的に編まれている.生物系の研究者にはもともと縁の薄いテーマの本かもしれないが,系図というキーワードをめぐる今日的な論議に,多少とも関わりがあるかもしれない.

本書では「系図」という言葉は,「家系に関わる情報に言及がみられるさまざまな史資料の総称といってもよい.そうしたゆるやかな定義のなかで書かれた各論文で扱われた史料は,樹形図,家譜,族譜,教会登録記録,遺言,日記,殺人帳,課税記録等々,きわめて幅広い」(p.xii)と説明されている.系譜情報はさまざまなデータソースに散在しており,それらをまず発掘するというのが重要な作業になっているのだろう.

「人間は,系図を明確に意識し,積極的に関わる」――このことが【人間の歴史】学における基本的認識であると私は感じる.なぜ系図が作られるのか? 本書の各論文はさまざまな時代および社会の制約の中で系図が描かれる文脈を明らかにしている.ひとつには,打算的理由がある.ある家系に属することが社会的・経済的にプラスに作用する場合である(第I部).もうひとつは,他者に対する卓越性を示す拠り所として系図が用いられる場合である.さらに,家系を同じくする同族が結束を固める目的で系図をつくることもある(第II部).

いずれの動機に発しているにせよ,社会の中で系図の利用価値があるかぎり,偽造や捏造による系図の虚構性は回避できない.実際,ありもしない「ご先祖様」をでっち上げたり,証拠もなくある家系の末裔であることを騙るケースは歴史学ではいくらでもあることが本書で示される.

さらに,どのようなデータのもとで系図が作成されているのかという問題もある.この点は,一般の系統推定論と相通じる要素も少なくないようだ(第III部).実際,系図学者たちは系図を制作するにあたって,さまざまな技法を編み出し,さらに描かれた系図の信頼度を評価する基準すら設定している.不十分なデータや作為による歪曲があることを承知の上で,信頼するに足る系図をつくろうと努力してきたようにも受け取れ,たいへん興味深い.

第I部では,社会制度を構成する系図の機能と保持について論じられる.〈中世公家と系図〉の章では,11〜16世紀の日本の公家社会で連綿と受け継がれてきた系図をとりあげる.なかでも,技芸の系図としての「音楽相承系図」は13世紀に初めて書かれて以来,長く伝承した.さらに,公家の系図である「尊卑分脈」は14世紀に成立し,公家社会の根幹に関わる系図として重要視された.系図屏風という新しい表現形式をも生みだしたとか.諏訪の「神氏系図」を論じた〈神を称する武士たち〉の章の著者は,「系図の時代」だった日本の中世を探るための史資料として「系図は固有の形式をもつ一種の歴史叙述」(p.32)とみなす.琉球王朝の系図「琉球家譜」は公文書(p.113)として保管されていたという.

第II部では,中国・韓国から中近東そしてアフリカの社会体制の中での系図の意義を探る.とくに,イスラム世界における系図の役割はたいへんおもしろい(〈旅する系図〉の章).イスラムの宗教的「法脈」を図示する家系図は樹系図(p.215:shajara)として描かれる.第III部では,このイスラム系図の記述法について,その細かい記述用語の定義が説明されている(〈ターリブ家系譜学の専門用語と記号〉の章).とくに,樹系図の枝の様態(嫡子であるかどうか,信憑性の強度,系譜関係の不確定性)についておびただしい数の用語が創出された.「“家系図”というものは虚構性をはらんだものであり,その内容はじつはかなり自在に創り出されうる」(p.292)からこそ,眼前の系図が果たしてどこまで信頼できるのか,そこにどんな意味内容を読み取ればいいのかのコミュニケーションを確保する言語を必要としたということだろう.

イギリスの伝統ある系図学も例外ではない.〈近代イギリス農村家族の家系図〉の章では,中世イギリスの系図学がどのように成立したかが述べられている.系図(pedigree)という言葉は,もともと「pie de grue(=foot of crane)」という系譜関係を図示するための放射状の「鶴の3本足爪」を意味していた(pp.336, 361).樹系図という表現様式が成立するためには,そのような新たなことばの創出が必要であったということだ.

イスラム世界では系譜学は不可侵の地位を占めている――

系譜学は偉大で崇高な学問であり,系譜学者は,系譜の研究に従事し叡智と真偽の判別に至った者にしかわからないような暗号を述べた.(p.293)

思い当たる人はきっと少なくないだろう.

三中信宏(31/August/2003)


【目次】
シリーズ「歴史学の現在」の出版にあたって iii
まえがき xi

第1部 正当性・卓越性の主張

中世公家と系図――『尊卑分脈』成立前後(松薗斉) 3
 1.王朝貴族と系図 5
 2.中世公家と系図 10
 おわりに 22

神を称する武士たち――諏訪「神氏系図」にみる家系意識(中澤克昭) 31
 1.はじめに――日本中世史研究と系図 31
 2.古代・中世の家系意識 33
 3.諏訪の神氏 35
 4.中世的な氏 39
 5.「神氏系図」と京都諏訪氏 42
 6.円忠系諏訪氏と神平貞直流鷹道 47
 7.おわりに――祢津氏と斉頼 53

姓を変えること――中世ジェノヴァのアルベルゴに関する試論(亀長洋子) 63
 はじめに 63
 1.前提/アルベルゴの形態 65
 2.史料にみる姓 67
 おわりに 83

琉球家譜の成立と門中(田名真之) 91
 はじめに 91
 1.王府の家譜編集の意図 92
 2.姓氏の決定と統一 99
 3.家譜の成立と士族門中 106
 おわりに 112

第2部 同族意識の形成と強化

中国の近世譜(井上徹) 121
 序 121
 1.蘇譜と欧陽譜 124
 2.祖先の偽造と収族 132
 おわりに 141

近世朝鮮の氏族と系譜の構築――安東権氏の族譜編纂を通して(吉田光男) 149
 はじめに 149
 1.氏族と族譜 150
 2.安東権氏大同譜における系譜構築 154
 おわりに 176

近代宗譜考――清末民初期の江蘇省の事例を対象に(倉橋圭子) 181
 はじめに 181
 1.譜を通じる 186
 2.民国一九年修譜顛末 195
 おわりに 206

旅する系図――南アラビア,ハドラマウト出身サイイドの事例より(新井和広) 213
 はじめに 213
 1.現在の系図の使われ方 214
 2.ハドラミー・サイイドの歴史と,血統・系図の重要性 217
 3.見せるものとしての系図――「開かれた系図」の発展 220
 4.血統の記録としての系図――「閉じられた系図」の発展 230
 おわりに 235

文字社会化と系譜意識の変化――東アフリカ内陸部の場合(子馬徹) 241
 はじめに 241
 1.ソガ人のクランブック 243
 2.キプシギス人の殺人帳と家系図 251
 おわりに 268

第3部 学問研究としての系図

ターリブ家系譜学の専門用語と記号――用語集史料の記述から(森本一夫) 273
 はじめに 273
 1.史料 275
 2.樹系図 277
 3.用語と記号 280
 4.考察 288
 おわりに 292

モンゴル王統系図『ムイッズル=アンサーブ』諸写本における
チンギス裔系譜情報の異同について(赤坂恒明) 303
 はじめに 303
 1.『ムイッズル=アンサーブ』の諸本と系譜情報の相違 305
 2.バトの子サルタクの後裔 310
 3.シバン裔ヤダクルの子 313
 4.モゴーリスターンのヒズル・ホージャの後裔 316
 おわりに 323

近代イギリス農村家族の家系図――歴史学と系図学の接点(高橋基泰) 331
 はじめに 331
 1.系譜・家系図作成の歴史概観 333
 2.系図学と歴史学の接点 339
 3.検認記録――遺言書の利用の実際 340
 4.農村社会における家系図 345
 むすびにかえて 356

微視的歴史研究としての家系図分析(吉野悦雄) 369
 はじめに 369
 1.ポーランドにおけるある農家の家系図分析 370
 2.微視的家系図分析に方法論的に関連する先行研究 375
 3.変容する複数民族社会における家系図分析 387
 4.ライフヒストリー調査としての家系図分析 392