【書名】中国出版文化史:書物世界と知の風景
【著者】井上進
【刊行】2002年01月30日
【出版】名古屋大学出版会,名古屋
【頁数】x+370+16 pp.
【価格】4,800円(本体価格)
【ISBN】4-8158-0420-6
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【目次】
はじめに

――前編――
第1章 書籍の成立
第2章 帝国の秩序と書籍
第3章 帝国の黄昏
第4章 自己主張する「文章」
第5章 貴族の蔵書とその周辺
第6章 新旧の相克

――本編――
第7章 印本時代の幕開け
第8章 士大夫と出版
第9章 民間の「業者」たち
第10章 特権としての書籍
第11章 朱子学の時代
第12章 出版の冬
第13章 冬の終わり
第14章 書籍業界の新紀元
第15章 書価の周辺
第16章 知のゆくえ
第17章 異端,異論と出版
第18章 出版の利用をめぐって


あとがき
図版出処一覧
索引

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【感想】
二千年以上も前から「書籍」が存在していた中国での,本の出版と流通,そして蔵書を通じての文化形成を論じた労作.西欧がまだ揺籃期(インキュナブラの時代)にあった頃,中国はすでに成熟した書籍文化をもっていたと著者は言う(p.ii).確かに,本書を読むと中国の出版文化がいかに深い懐をもっていたかがわかる.

「前編」は10世紀までの写本時代を,そして「本編」はそれ以降の刊本時代を扱う.

中国における最初の「本」は紀元前6世紀の春秋戦国時代にまでさかのぼるという(第1章).そのインキュナブラ・シニカの時代に「書籍」は急速に社会の中で定位置を占めるようになり,「蔵書」が早くも出現するにいたる.紙ではなく竹や絹に記されたこれらの蔵書は,時には当時の国家と対決することもあり,いわゆる「焚書坑儒」という事件に連なることになる(第2章).紀元前2世紀に出現した印刷媒体としての「紙」は,本の携帯性を高めることになったが,竹の本(竹簡)はその後も長く紙と共存したという(第3章).このあたりの分析は,当時の中国の文化的背景をうかがわせ,興味深い.

本を出版するという行為の意義について,著者はこう指摘する――「“文章”,著述はこの時代[三国時代]になって,はっきり自らを不朽にしてくれるもの,と意識されたのであった」(p.46).すなわち,本は後世に残る名誉であるという認識は,その一方で本のたしなみが音曲や飲酒と同じレベルの「趣味」の世界に属し,本を読む学問は「好き不好き」の問題であるという意識を植えつけることになった(p.58).書籍と蔵書の心理的深層をあばこうとする著者の姿勢が強く感じられる.

唐の時代に印刷術が発明され刊本が出まわるようになってからは,書籍を出版したり販売するという業者が職業として定着することになった.唐代にあっては科挙試験の対策のために大量の受験参考書の出版されたり(第8章),あるいは元代の朱子学隆盛の時代のように書籍や読書が低く見られたり(第11章),明代に入って再び出版・販売業が隆盛を迎えたものの(第14章),清代にいたって中国の出版業が長い停滞期に陥ってしまったという(第18章).

中国の長い歴史を「本」をキーワードに読み解いていく本書は私にはたいへん新鮮に感じられた.きっと専門書なのだろうが,もっと幅広い読者層に受け容れられる内容だと思われる.