統計学史の本.日本でこう言う分野の単行本が出るのはたいへん珍しい.九大出版会はよく出してくれた(拍手).農業統計学という「場」での統計理論の発展をたどっている.奥野忠一『農業実験計画法小史』(1994年10月13日刊行,日科技連,ISBN:4-8171-0380-9)はタイトル負けしているけど,今回の新刊はそういうことはなかった.
フィッシャー理論(と対立するネイマン/ピアソン理論)を,単に数理統計学の「理論」だけでなく,ユーザー現場(農事試験とか品質管理)の中でとらえなおそうという着眼点はいいと思う.数理統計学の近代史のビッグネームたち(ピアソン,フィッシャー,ネイマン/ピアソンら)の思想的なちがいが統計理論の適用現場でのユーザーたちとのコミュニケーションによってかたちづくられてきたという“社会派”の視点は,Jim Moore や Adrian Desmond がダーウィンやハクスリーを対象として進めてきた研究スタイルと相通じるものがあるように感じる.
しかし,ぼくが読んだかぎり,この本は「中間報告」の域を越える出来であるとは思えなかった.せっかくいいテーマをもっているのに「語りが足りない」.記述統計学から推測統計学への流れとともに,確率分布主導型からデータ主導型への流れを著者は指摘している.フィッシャーをめぐる論争のいくつかは現代もなお解決されていないとのことだが,それはなぜなのか,もともと解決できない形而上学に関わることなのか,叙述の歯切れが悪い.少なくともオープンな問題が残されているということは理解できた.しかし,そこから先が模糊としている.統計理論家と対象ユーザーたちは一体となってそれぞれ disjunct な「世界」をつくってしまっていたということなのかな.フィッシャーが勤務していたロザムステッド農業試験場を中心とする,農事試験への統計技法の積極的普及活動のようすはたいへん参考になった.かくあるべきだ.
芝村本を読んで知ったこと:新しいピアソン伝『Karl Pearson: The Scientific Life in a Statistical Age』(2004年,Princeton University Press, ISBN:0-691-11445-5)を書いたTheodore M. Porter の前著(『The Rise of Statistical Thinking 1820-1900』)はすでに翻訳されていた:T.M. Porter『統計学と社会認識:統計思想の発展 1820-1900』(1995年7月刊行,梓出版社,ISBN:4-87262-403-3).
三中信宏(8/February/2005)