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自然を名づける

—— なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか ——

キャロル・キサク・ヨーン[三中信宏・野中香方子訳]

2013年9月3日第1刷刊行
2013年11月28日第2刷刊行
2014年2月7日第3刷刊行

NTT出版,東京,vi+391 pp., 本体価格3,200円
ISBN:978-4-7571-6056-9

版元ページ|正誤表|書評等

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Naming Nature: The Clash between Instinct and Science
Carol Kaesuk Yoon (2009)
W. W. Norton, New York, viii+344 pp., ISBN:978-0-393-06197-0






目次

 第1章:「存在しない魚」という奇妙な事例 3
       [人類普遍である環世界センス(umwelt)が生物分類を支配する.]


自然の秩序 27


 第2章:若き預言者 29
       [リンネの分類理論と命名規約は環世界センスの発露である.]
 第3章:フジツボの奇跡 62 (*1
       [ダーウィンの登場により自然の秩序は “血縁化” された.]
 第4章:底の底には何が見えるか 93(*2
       [マイアーの進化分類学は環世界センスを奥深く温存した.]


直感の輝き 133


 第5章:バベルの塔での驚き 135
       [民俗分類は不文律としての環世界センスの属性を明らかにした.]
 第6章:赤ちゃんと脳に損傷を負った人々の環世界 169
       [共有された生命観の個体発生と病的な分類不能症からわかること.]
 第7章:ウォグの遺産 197
       [どんな生きものでも環世界センスによる分類能力はある.]


科学の重圧 219


 第8章:数値による分類 221
       [数量表形学は数値さえあれば環世界センスは生物分類学には不要だと言った.]
 第9章:よりよい分類は分子から来たる 250
       [分子分類学は不可視の分子情報こそ生物分類学にとって必須だとみなした.]
 第10章:魚類への挽歌 279
       [分岐分類学は厳密な系統推定の論理こそ生物分類学のよりどころだと暴れた.]


直感の復権 315


 第11章:奇妙な場所 317
       [環世界センスは生物多様性を認識するうえで確かに役に立っている.]
 第12章:科学の向こう側にあるもの 337
       [科学によって追放された環世界センスが分類学に再降臨するとき.]

原註 356
謝辞 374
訳者あとがき「環世界センス —— 生物分類は科学なのか身体なのか」[三中信宏] 377-382
索引 [391-383]

  • *1) 第3章の一部は2015年の成蹊大学法学部の入学試験「資料読解力・文章表現力審査」に出題された.
  • *2) 第4章の一部は2015年の千葉科学大学一般入学試験(前期)B方式の国語〈問題2〉に出題された. *new*

口上

人間社会による環境の悪化が地球規模で生態系の変貌と生物多様性の損失をもたらしつつある.生態系の状況をモニターし,必要に応じて生物の保全施策を講じることは,現代の生物学とりわけ生物分類学に期待される大きな責務である.しかし,そのためには生物の多様性が示すパターンすなわち生物分類がどのようにして生物界を把握しようとしてきたかを理解する必要がある.

しかし,本書の著者は,生物の分類体系構築をめぐっては,われわれ人間がヒトとして本来もっている認知心理的なグルーピングの先天的傾向性と科学的な分類学・系統学が支持する結論との間で根本的な衝突が生じていると指摘する.生物の形態や遺伝子をいくら科学的に分析して合理的な分類体系を生物分類学者たちが提示したとしても,それが一般社会にすんなりと受け入れられるとはかぎらないという事実を著者はいくつもの実例を通して読者に示している.

この問題に斬り込むアプローチとして本書が採用するのは,生物としてのヒトが自然界や生物界をもともとどのように理解してきたかを,分類者と分類対象とが一体となって構築する「環世界(ウムベルト)」-ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの造語-からもう一度考えなおそうという観点である.

ヒトにとっての環世界センスは,人間が長い時間をかけて進化してきた過程で自然淘汰によって獲得された,さまざまな認知心理的傾向の産物である.著者は,ヒトのもつ認知的傾向を人類進化学ならびに心理学から分析するとともに,医学的な症例をも挙げて,外界を分類するという行為がいかに人間の生物学的側面と深く関わっているかをわかりやすく説明する.

さらに,本書は,ヒトにとっての環世界センスから見た生物分類観を踏まえた上で,生物分類学の長い歴史の中で,科学としての分類が生きものがどのように分類されてきたかをリンネの時代にさかのぼって再考する.そして,分類学が近代化されるとともに,科学的な分類が環世界センスと矛盾するようになってきたと指摘する.客観的な科学的分類は賞賛されるべき「善の樹(arbor bona)」であるのに対し,環世界センスに基づく直感的分類は葬られるしかない「悪の樹(arbor mala)」なのだろうか.

本書の最後のセクションでは,それまで積み上げた議論を総括して,乖離しつつある科学的分類と人間的本能とをどのように融和できるのか,変わりゆく生物多様性の新たな理解に向けてどのような一歩を新たにふみ出せばいいのかについて著者は問いかけている.

生物の「分類」に着目して生物多様性の理解の本質を問い直す本書は,類書にない内容と魅力があり,難解な専門用語を省いたその平易な語り口は一般読者にも広く受け入れられるだろう.

現代社会の中にすでに広まってしまった「生物多様性」という言葉の背後に潜む分類の「闇」はほかならないわれわれ人間の中にあることを本書は一般読者に向けて明らかにしようとする稀有の本である.だから,翻訳しようと思い立った.

[三中信宏記:2013年8月26日]


Que é pra acabar com esse negócio de viver longe de mim.
Não quero mais esse negócio de você viver assim.
Vamos deixar desse negócio de você viver sem mim.
(Chega de Saudade)


Last Modified: 16 September 2018 MINAKA Nobuhiro