【書名】楽しき挑戦――型破り生態学50年
【著者】伊藤嘉昭
【刊行】2003年03月30日
【出版】海游舎,東京
【頁数】xviii+378 pp.
【定価】3,800円(本体価格)
【ISBN】4-905930-36-7

【書評】

もうひとつの〈無法松の一生〉

いま,つくばの国際会議場エポカルで開催されている最中の日本生態学会大会で,たまたま本書を手に入れ,たまたまその場にいた著者にサインをもらってしまった.厚さ400ページ,価格4000円という,近年まれに見る自叙伝の大著である.たまたま私の手元にある,四半世紀前に同じ著者が書いた別の自叙伝:

【書名】一生態学徒の農学遍歴
【著者】伊藤嘉昭
【刊行】1975年12月25日
【出版】蒼樹書房,東京
【頁数】228 pp.
【定価】1,400円(本体価格)
【ISBN】不明

※蒼樹書房は,その長年にわたる生態学関連書籍の出版活動の功績により,
今回の大会で生態学会からの感謝状を仙波喜三元社長が受けた.

が,当時の社会的・政治的状況をもっとダイレクトに反映したいわば「論争の書」であったことと対照的に,今回出版された自叙伝は回顧的な色合いが強いように感じる.

本書に描かれているのは,著者のたどってきた(たどらされてきた)人生航路――「型破り」という生易しいものではなく,むしろ私は「無法松」を連想したが――におけるエピソードの数々である.よくぞここまで細部にわたる記憶と記録を残しているものだと感心する箇所も随所にある.相手が誰であろうが――物故していようが存命中であろうが,駆け出しであろうが権威であろうが――おかまいなしに切り込んでいく著者の攻撃の姿勢は印象的で,若い頃からなにひとつ変わっていないのだそうだ.

農林省の研究所に就職して間もない二十過ぎにデモに参加した「メーデー事件」で逮捕され休職,そして実に17年間にわたる裁判闘争の末にようやく無罪になり復職という経歴は,やはりただごとではない.さらに言えば,被告人という身分にありながらも研究と執筆に没頭し続けたというのはただものではない.当時の全農林労働組合の力強さをそこに感じつつ,著者の意志の強さとエネルギーに圧倒されてしまう.研究者人生にとっては臥薪嘗胆(月並みな言い方)であったはずのその時期をも「楽しき挑戦」と言うのは,いささか意地っ張りかなとも思うのだが,それはきっと著者のパーソナリティなのだろう.

無罪獲得後に復職し,その後,沖縄への出向(ミバエ撲滅事業),名古屋大学への転出,進化生態学・社会生物学への関心,定年退職,沖縄大学への再就職と退職,自然保護への関わり――場所こそ日本中(海外もか)に散らばっていっても,行く先々で自分の興味と関心をそのまま実現していくオルガナイザーとして実績の数々に読者は印象づけられるだろう.

生態学会会場で本書を手にした何人かは,まずはじめに巻末の「人名索引」にクギ付けになった.そう,有力な若手までを含む「伊藤スクール」そしてその対立スクールの面々の人間模様がそこに読み取れるからだ.

本書はいろいろな意味で貴重な記録を提供している.日本における戦後の生態学のたどってきた道のりをそこに読み取ることは容易だろうし,研究者としてどのように生きるべきなのかという動機を感じ取ることもできるだろう.また,国内外を問わず研究者どうしの結びつきが科学にとって重要だというメッセージも見えるだろうし,何よりも研究者個人のキャラクターが第一義的なのだという解釈もできる.

いずれにせよ,本書はきっと多くの読者を獲得することになると思う.ただし,この本を第三者的に書評できる人は生態学界ではごく限られるのではないかな.著者が長らく在職した西ヶ原の農業技術研究所の末裔がたまたま私の現在の職場(農業環境技術研究所)であり,休職中の著者を支え続けた同じ職場の配偶者が在籍した物理統計部・調査科の直系子孫にあたる研究室がたまたま私がこのメールを書いている環境統計ユニットであるという以外に,私は著者と研究上あるいは個人的なつながりを何ももたない.

昨日,本書を手にしてから読了するのに一日を要しなかった.確かに文体にクセはあるし,書かれてある内容に異議を唱えたい人は少なくないだろう(推測だが).にもかかわらず,本書を手にした読者はつい引き込まれて読みこんでしまうと思う.それが〈オルガナイザー〉たる由縁.

〈無法松〉はどんなに暴れようが愛すべきキャラクターだった.


【目次】
まえがき v
1章:特異な記憶二,三――第二のまえがき 1
2章:昆虫好きになるまでの道 7
3章:東京農林専門学校時代 19
4章:農業技術研究所へ入る 26
5章:内田・森下両先生との邂逅と処女論文発表 34
6章:メーデー事件で逮捕・投獄 38
7章:休職中の農研での仕事――
野外研究・博士論文・『比較生態学』と『動物生態学入門』の執筆 58
8章:アメリカ・カナダに出張 90
9章:枯葉作戦とのかかわり 117
10章:沖縄への赴任とウリミバエの根絶 124
11章:沖縄・ミバエ以外の虫 152
12章:沖縄時代の国外への旅幾つか 166
13章:名古屋大学時代前半 194
14章:パロ・コロラド島紀行・『狩りバチの社会進化』英語版を作る 244
15章:オーストラリアのアシナガバチ類の調査 265
16章:名大後半期の国外への旅幾つか 288
17章:名古屋大学時代後半 303
18章:沖縄大学に勤める 320

共産主義・社会生物学・9・11――あとがきにかえて 343

謝辞 348
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