【書名】検証・なぜ日本の科学者は報われないのか
【著者】サミュエル・コールマン
【訳者】岩舘葉子
【刊行】2002年04月10日
【出版】文一総合出版,東京
【頁数】384+xi pp.
【定価】2,400円(本体価格)
【ISBN】4-8299-0065-2
【原書】Samuel Coleman (1999)
Japanese Science: From the Inside.
Routledge, London.

【目次】
アーサー・コーンバーグによる序文 5
日本語版への序文 10
謝辞 18
凡例 22

第1章:はじめに 26
 成長傾向と輝かしい業績 28
 それでも一流になれない 30
 科学とテクノロジーはどこが違うのか? 33
 テクノロジーが優先される研究資金配分 35
 クレジットサイクルとその意義 38
 現実世界のクレジットサイクル 40
 日本社会で有効なクレジットサイクルを妨げているものは何か? 41
 日本社会の中央集権と職階制――科学界も例外ではない 45
 この研究について 48
 日本は世界の科学のリーダーとなれるのか? 53

第2章:大学の現状 55
 講座のメンバーとその役割 55
 研究費とクレジットの配分に見る講座の階層構造 56
 職階制の下での研究 58
 身分保証はキャリアを保証しない 60
 問題だらけのポスト補充 62
 アメリカではどうなのか? 63
 研究者募集の狭き門 66
 教授に逆らえば就職は望み薄 69
 中身のない履歴書 71
 大学院教育は徒弟制度さながら 74
 医学部の医局をのぞいて見ると 76
 医学部就職はいっそう狭き門 79
 教授の思惑に翻弄される助手のキャリア 80
 医学部における基礎研究キャリアの実像 82
 上下関係に支配される医局の研修 84
 研究者が差別される医学部 85
 同じ医学部でも雲泥の差 88
 独裁的権力による医学部支配の弊害 89
 科研費――灰色の審査基準 91

第3章:政府直属の研究機関 97
 応用研究の使命を担う食品総合研究所 97
 基礎研究への足がかりはあるものの 100
 財政上の制約 103
 採用事情 195
 研究室長の権限 107
 研究に立ちはだかる地方転出の壁 108
 年功序列と業績評価の問題 110
 キャリアと創造性をむしばむ官僚主義 114

第4章:蛋白工学研究所 117
 タンパク工学の実情 118
 PERI設立の経緯とその規模 119
 組織構成と部門 121
 論文こそが業績評価の基準 122
 大学研究員――なぜ大学からPERIなのか? 123
 企業「命令」による研究員派遣 126
 企業派遣研究員の事情 127
 研究テーマの設定 130
 自由になりきれない大学研究員たち 132
 企業研究員は大半が修士――修士と博士の落差 133
 民間企業の博士たち 134
 産業界の取り組み――自家製博士を育てよ 136
 PERIと企業のスタイルのギャップ 138
 会社組織を離れて 140
 研究をめぐる異文化間コミュニケーション 142
 「玉虫」を評価する 145
 籐博幸 147
 政府主導が残した負の遺産 154

第5章:大阪バイオサイエンス研究所と新たなキャリア・パターン 157
 基礎研究に注ぎ込まれる豊富な資源 157
 小さな屋台で大きな改革を目指す 159
 採用の現実 161
 OBIの魅力 165
 ハードワークを促すOBIの雰囲気 167
 基礎科学のキャリアには犠牲が付き物 171
 年度評価の役割 175
 OBIの後にくるもの 176
 1998年のOBI――完全流動化には至らず 179
 業績 181
 近江谷克裕 183

第6章:OBIに科学者と官僚の関係を見る 191
 地方開発の思惑とOBI 192
 幸運も重なって設立へ 194
 出資をしぶる企業 195
 大物の重要性 196
 市の職員たち 197
 いがみあう研究員と市職員 200
 あちらこちらに統制の目が光る 203
 研究者と市職員の距離 205
 国家レベルの問題の縮図 207
 官僚主義的管理の典型的症状 212
 外国人の待遇 216
 官僚が握る助成金と特権 221
 非営利民間センターと政府の癒着 222
 有効な配分システムを作り出すために財団も懐をあかせ 224
 官僚の階層構造に組み込まれる研究者 225
 研究者たちの憤り 226
 縦割り行政下のライフサイエンス・プログラム 230
 研究組織救済の処方箋 231
 OBIは生き続ける 232

第7章:性 235
 ライフサイエンスへの女性参加 235
 女性=臨時雇い 238
 姓が変わるハンデ 240
 研究キャリアへと続く薬学の橋 242
 資格を武器に 243
 OBIとPERIの技術助手たち――あいまいな職業とキャリアの境界線 244
 研究を続ける強い意志 248
 野村みどり 249
 すべてをつかむか,潔く手放すか 254
 男性生物科学者の態度 256
 女性自身が論じる女性の能力 260
 夜に言う「男女差」に根拠はあるか? 261
 体力 264
 女性の地位向上の見通し 265
 民法への反乱 267
 日本科学界は女性のニーズに応えられるか? 268

第8章:変革をはばむもの 271
 不満を抱える科学者たち 271
 世間一般の声 277
 漸進的改革――だが政府は本当に科学者のニーズを理解しているのか? 278
 労働力の流動化傾向 280
 流動性だけでよいのか? 283
 さらなる流動化を受け入れる条件 284
 改革の懲罰的色彩,そして反動の可能性 286
 組合の存在 288
 サポートシステムの袋小路 289
 公募への抵抗 291
 徹底的改革とはどんなものか? 293
 不滅の官僚支配と執拗な抵抗 295
 優れた科学は本当に必要とされているのか? 296
 大学を見れば何が優先かがわかる 297
 創造的な研究力なしに今後の国際経済競争は生き残れない 298
 既存の地位に落ち着くか,借用するか,本気で科学にてこ入れするか 301

第9勝:日本人は特別なのか? 305
 集団を重んじ,礼儀正しく,消極的な日本人 305
 消極性は原因ではない,結果である 307
 ユーモアに乏しい実験室 309
 国民性原因説の魔力 312
 宗教原因論者 313
 日本人の労働観とは? 315
 歴史的に見ると 320
 借用vs創造の力学 322
 ヨーロッパからの距離の悲しい代償 324
 地理的制約からの解放 325
 言葉の壁 328
 科学者の胸にくすぶる憤懣 333
 いま一つの悩みの種――オリジナリティの危機 337
 被害者意識をはね返せ 339

付録 343
・付録1:研究方法と状況の簡単な説明 344
・付録2:PERIの部門構成,およびPERI(1986〜96)と
     BERI(1996〜)の参加企業 348
最新インタビュー――2002年のジャパニーズ・サイエンス概観(市原加奈子) 351
・早石 修:OBI設立当時のチャレンジはいまも続く 353
・中西香爾:国内的にも国際的にも,日本の研究室が人材流動の
      袋小路になりやすい理由 366
・新井賢一:独立した個人を基本単位とするシステムへ抜本的な改革を 377
参考文献 i-xi

【書評】
「日本の科学」が営まれる研究環境のアセスメント報告書

本書を読んで大きくうなずき,溜飲を下げ,そして闘志を燃え立たせる研究者はきっと多いことだろう.学者は天上でカスミを喰って生きているわけではない.大学・研究所・企業の「研究環境」は,生身の研究者が日々の営みをしている地上の「場」にほかならない.日本の研究環境は,国際比較という視点のもとで,はたしてどのような長所・短所をもっているのか,研究者個人がハッピー&アクティヴであり続ける上で何が障害となり得るのかを客観的に知ることは,地上に生きる研究者個人にとってたいへん切実な関心事である.

とりわけ,国立の研究機関や大学の独立行政法人化の方針にともなうさまざまな問題点(研究費,人事,業績評価など)がホットな論議の的となっているいま,日本の科学研究の「環境アセスメント」を行なった本書は,それらの問題に関心をもつ多くの研究者にとってまたとない情報源となるだろう.実にタイムリーに出版されたと思う.まだ本書を手にしていないならば,すぐに書店に走るべきだ.

本書の特徴は,著者が科学社会学における「科学のフィールドワーク」(p.51)の方法に則って,科学者の活動の場に入り込んで「参加観察」(pp.48, 344)を行なった観察データに基づいて書かれたレポートだという点にある.ブルーノ・ラトゥールの言う人類学的手法にも通じるこのやり方は,本書の随所に見られる著者からの科学者への探索のあり方に反映される.

著者が来日して滞在したのは,分子生物学・生化学・医学分野のいくつかの研究機関である.とくに,蛋白工学研究所,大阪バイオサイエンス研究所,食品総合研究所でのフィールドワーク期間が長い.研究の場に入り込んだ著者は,周囲の研究者や研究管理者との会話・質問・観察を通じて,日本の科学者がどのような研究環境に置かれているのかをアメリカ(オレゴン大学への言及が多い)との比較のもとに明らかにしようとする.

第1章では,日本の科学が長足のシンポを遂げたにもかかわらず,なぜ一流になれないのかという問題提起をする(p.30).この問題へのアプローチとして,研究者のキャリア形成における【クレジット・サイクル】――金融業界の用語らしい――に着目する.クレジット・サイクルとは,「研究成果を引っさげて競争に参加し,助成金という形でさらに資源を手に入れ,それを再び研究に投資するという方法で自らのキャリアを築いていく――だから“サイクル”なのだ」(p.38)と説明される.日本の科学界においてクレジット・サイクルがどのくらい円滑に進行しているのか,そうではないとしたらどこに障害があるのかをフィールドワークを通して明らかにすることが,著者の一貫した基本方針である.もともとはラトゥールによるクレジット・サイクル概念が,どの程度の普遍性・有効性をもって現場の科学の解明に寄与できるかどうかは私にはわからない.しかし,本書にかぎって言えば,さまざまな研究機関の研究環境アセスメントの上で強力なツールとなったことは明白だ.

第2章では,日本の大学の講座制がもたらす弊害を論じる(とくに大学医学部の講座制には手厳しい).不透明な人事や研究資金配分は,クレジット・サイクルを極端に制限すると指摘される(p.66).科研費問題への言及も.

第3章は,国立の研究所の研究環境についてである.著者によって観察されたのは農水省(当時)の食品総合研究所.応用志向の中での基礎研究の困難さ,室長のジレンマ,地方転出がいかにクレジット・サイクルを分断するものであるかが詳しく指摘される.組織率の高い労働組合もまた研究者の足を引っ張る要因なのだとも.本書全体にわたって「活きがいい」と感じさせるのは,随所に研究者の生の声が聞ける点にある.ここでも,食総研の研究員のこんな声が――「私たち研究者自身で解決するには問題が大きすぎる.欲求不満が募るよ.私たちは何のために存在するのか? 何のためにここにいるのか?」(p.115)

第4〜6章は,地理的に隣接する蛋白工学研究所と大阪バイオサイエンス研究所が舞台である.政府・地方自治体・企業によって設立されたこれらの研究所では,大学研究員と企業研究員の「研究文化」のギャップ,任期付き研究員の処遇,科学者と官僚とのバトルなど,「国家レベルの問題の縮図」(p.207)が次々にあらわれる.とても他人事とは思えない.研究管理をする側の省庁の官僚がそのノウハウを持ち合わせていない「しろうと」(p.208)であることが,いかに研究者個人のクレジット・サイクルの障害となるかが指摘される.

第7章は,女性研究者の問題である.前から指摘されてきた問題点(地位,処遇,改姓,キャリアの持続など)は,そっくりそのまま本書でも指摘されている.

第8章は,研究環境の改善を阻む組織的原因の追及である.たとえば,任期付き研究員問題についても,人事選考の透明化,業績評価システムの客観性など組織面での改革が伴わないかぎり,「終身雇用のエリート研究者とジプシー研究者という二層構造が生じ」(p.284),「永遠に流浪する下層階級を生みだすばかり」(p.176)と著者は言う.組織改革を阻む官僚側の抵抗は根強いが,「本気で科学にてこ入れ」(p.303)しようという選択肢を選ぶならば,組織のあり方の根本的再考は不可欠と指摘する.

第9章は,科学をめぐる数々の日本人「国民性」俗説を切って捨てる爽快な章である.消極的で,議論を好まず,儒教や多神教の影響下にある日本人という俗説は何の根拠もないのだが,「私が国民性・“文化”原因説の欠陥をどんなに徹底的に暴いてみせたとしても,この説を根絶やしにすることはできないだろう.この説は,仲間どうしのなれあいを黙認するという根深い問題の格好のいいわけになるからだ」(p.312)と著者は言う.もちろん,日本の科学が歴史的にたどってきた経緯や地理的・言語的な固有性,そして国際舞台でのいわれなき差別など科学する上でのハードルはまだ高いのだが,それであきらめたのでは元も子もないではないかと著者は日本の科学者たちにエールを送る.

クレジット・サイクルという評価基準に沿ったアセスメント報告書であり,今後乗り越えなければならない課題の多さにはめまいがする.しかし,問題点の所在を具体的に明確にしてくれた点で,本書はたいへん参考になると思う.盛り沢山の事項を見渡す索引が付いていないのは残念だが,著者のメッセージは私にもう刷り込まれてしまった:「なぜアナタは報われないのか?」

「日本の科学」が営まれる研究環境のアセスメント報告書として心して読まれるべき本だと思う.