【書名】インフォアーツ論:ネットワーク的知性とはなにか?
【著者】野村一夫
【刊行】2003年01月22日
【出版】洋泉社,東京
【叢書】新書y,079
【頁数】192 pp.
【定価】720円(本体価格)
【ISBN】4-89691-695-6
【備考】目次とあとがきは http://www.socius.jp/info/shinsho-y.html に掲載.

【感想】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

ネット社会のいわば【考現学】を目指す本書は,200ページ足らずの新書の中に,インターネット論・コミュニティ論・「情報科」教育論・市民的公共圏など多くの論点を詰め込んでいる.社会学の観点からこれらのテーマにアプローチしようとする著者は「インフォアーツ」という新しいキーワードを提唱することにより,これからのネットワーク世界を乗り切るための航海術をつくりだそうとしている.

「インフォアーツ」とは,従来的な意味での「情報技術(IT)」――著者は「インフォテック」と呼ぶ――に由来する文化への対抗文化としての概念である.もちろん,両者は排他的なのではなく,むしろ,インフォテックをその一部分として包含するより広範な技芸(アート)としてインフォアーツは構想されている.それは,著者が冒頭で明示するように,「リベラルアーツ」との精神的なつながりを特徴とする.

本書の基本的なスタンスは,高所からネット社会を見下ろすのではなく,むしろ「中」に入っていこうという姿勢である:「ネットのありようを考える上でも,この原点に立ち返る必要があるように思う.この雑踏の中で生起する問題も魅力も,雑踏の中でこそよく見える」(p.12).著者はそれを社会学的というが,ぼくにはそれは考現学的に見える.

実際,著者は現代のネット社会のさまざまな「場」に入り込み,そこから見えてくるものを本書で報告している.ウェブサイト・掲示板・メーリングリストなどおなじみのネットコミュニティはもとより,それらのベースとなる(あるいは今後そうなる可能性のある)社会集団――学会・学校・PTA・生協・地域コミュニティなど――をも射程に入れている.

第一章では,インターネット先住民文化の掲げる理念が,「ガバナンス原理」(自発的にボトムアップでつくり上げようとする姿勢)をモデルとしていたと指摘される.それは一種の市民主義的文化を形成してきた.続く第二章では,その「文化」がどのようにして浸蝕されていったのかをたどる.ガバナンス原理がここ数年の間に崩壊してしまった原因として,著者は,(1)匿名性の増大;(2)統制主体の欠如;(3)圧倒的な大量性の3点を挙げる.

一方ではマス・メディア化,他方では「流言」化しているかに見えるネット社会のさまざまな社会学的現象――気まぐれな極論が支配する「リスキー・シフト現象」(p.63),少数の声高の見解が残り多数の沈黙をもたらす「沈黙のらせん現象」(p.66)[「電柱の影」現象と言った方が通りがいいかな?],特定のスレッドを立てることによる「議題設定機能」(p.70)など,メーリングリストでもおなじみのできごとが例に取られており,たいへん参考になる.

古い考え方をもったまま新しいネット社会はつくれない(p.78).ガバナンス原理が大海の中の「孤島」と化し,ネット社会が「市民」としての教育能力を失いつつある現在,新たなネットワーク教育が求められていると著者は言う(p.80).続く第三章では,いま進められようとしている高校の「情報科」教育の基本方針を俎上に上げる.著者は,それが狭い意味でのインフォテック教育に終始してしまうのではないかと危惧する.第四章では,インフォテックに対抗する原理として著者が目指すインフォアーツが,ネット社会を生きていく人間にどのような「ネットワーカー的情報資質」(p.111)を素養として育んでいくのかが述べられる.著者はインフォアーツを通じて「眼識ある市民」(p.133)を期待している.

第五章では,インフォアーツを実践するためのいくつかの具体的提案がなされている.「苗床集団」(p.138)への「正当的周辺参加」(p.139)というヴィジョンがその核にある.基本的に著者は,インフォアーツ教育の場と苗床集団には「対面集団」がふさわしく,比較的小さく必要に応じて参加者がいつでも対面できるネット社会――たとえば,大学であれば授業クラスごとのML開設やWWWサイトあるいは掲示板など――が望ましいと考えている.この点は確かに納得できる.それ以外にも,労組・生協・PTA・NPOなどローカルな活動コアが「ネット着地(p.148)」地点として使えるだろうという.これらローカルな苗床集団での活動を具体的にどのように実践していくかは,今後いろいろな試行錯誤を積み重ねるしかないだろうが,当面の目標としてやれそうな気がする.

最後の第六章では,日常的にはネットに顔を出したがらない「専門家」の果たすべき役割についても言及されている.社会科学系ならではの感想かもしれないが,著者は「ネットでの積極的活動は専門家集団における“逸脱”とみなされる可能性が依然として高い」(p.167)という.そういう“打ち壊し”的な「インターネット不要論」をどのように克服していくかを模索する上で,インフォアーツ的な考え方が役に立つと著者は考えている(p.171).今後ますます迫られる研究活動の社会的公開を考えるとき,専門家自身がマス・メディアを介さずに科学ジャーナリズトとしてネット活動していくという選択肢があるということだ(p.172).

顔の見える,ローカルな,小規模なグループを「苗床」としてインフォアーツに利用するという著者の構想は,実行してみる価値が十分にある.もしそれらの苗床がきちんと機能するようになれば,次にはそれらの間のネットワーク化をはかることが期待できるだろう.苗床集団の連携化の先に見えるのは「つながる分散的知性」(p.187)である.

新書サイズにはとうてい収まりきらないほどの話題が本書には盛り込まれている.ぼくはMLを運営する立場から本書の価値を見出したが,他の読まれ方もいろいろあるだろうし,それぞれの切り口ごとに本書は異なる輝きを見せてくれると期待される.Thought-provoking という点で前評判を裏切らなかった本書は,きっと多くの読者を獲得するだろうと思う.

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【目次】
はじめに 1
 ネットを語る資格
 社会学サイト「ソキウス」の経験
 法政大学大原社会問題研究所公式サイト OISR.ORG の経験
 オンライン書店「ビーケーワン」の経験
 研究活動のネット化
 情報教育の経験
 オプションを思考する

第一章 大公開時代――自我とネットと市民主義 25
 一 大公開時代を回顧する 25
  大公開時代の始まり
  公開の市民文化(市民的公共圏)
  ネットが市民を育てる
 二 自己言及の快感とシティズンシップのレッスン 30
  個人サイトの社会学的意義
  自己言及の快感
  論争の泥沼状態による市民化
  ネットにおける大人のなり方
 三 市民主義文化の源泉 38
  ネット先住民文化
  ガバナンス原理
  インターネットの歴史とネット先住民文化
  RFCとW3C
  オープンソースとハッカー倫理
  自我とネットと市民主義

第二章 メビウスの裏目――彩なすネットの言説世界 47
 一 〈インターネットの導入=市民主義的転回〉構図の崩壊 47
  ネット先住民文化の孤島化
  ガバナンス原理の裏目
  共有地の悲劇、あるいは銭湯的民主主義の社会的ジレンマ
  極端な並列性
  メディア論に立ち還る
 二 即興演奏されるニュース 58
  可視性に優れた流言
  問題解決のコミュニケーション
  なぜ極論に流れるのか
 三 マス・メディア化したネットの影響力 64
  オーディエンスの多さがネットをマス・メディア化する
  沈黙のらせん
  ネット世論はなぜ偏向するのか
  議題設定機能
  第三者効果
  賢明な市民ゆえに落ちる陥穽
 四 民衆ジャーナリズムとしてのネット言説 74
  調査報道、内部告発、ちくり
  メディア・ホークス
  彩なすネットの言説世界

第三章 情報教育をほどく――インフォテックの包囲網 81
 一 高校情報科という節目 81
  再生産モード
  情報教育は理科教育か?
  情報処理教育への収束
  ないないづくしの情報教育
  情報教職課程の問題点
 二 インフォテックの政治と経済と教育 90
  だれが「情報」の専門家なのか
  インフォテックの政治
  インフォテックの経済
  インフォテックの教育
  情報教育という名の植民地化
  巻き返しとしての情報工学的転回
  セキュリティと情報教育
 三 すれちがう情報教育と台無し世代 100
  情報教育の矮小化
  台無し世代の学生文化
  情報科目の外で
  学生文化と技術的管理の悪循環
  問題としての情報教育、転機としての情報教育

第四章 ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ 109
 一 対抗原理としてのインフォアーツ 109
  ネットにおいて凡庸なこと
  リベラルアーツからインフォアーツへ
  インフォアーツは対抗原理である
 二 さまざまなインフォアーツ 116
  メディア・リテラシー
  情報調査能力
  コミュニケーション能力
  シティズンシップ
  情報システム駆使能力
 三 メディア・リテラシーの先へ 124
  精神のデータ処理モデル
  メディア・リテラシーの考え方
  情報システムを疑うこと
 四 ネットワーク時代の人間的条件 129
  現実の構成要素としての理想状態
  知識と人間の三つの関係
  民主主義の前提
  眼識ある市民とインフォアーツと情報倫理

第五章 着地の戦略――苗床集団における情報主体の構築 137
 一 状況に埋め込まれた学習 137
  情報主体の構築問題へ
  正統的周辺参加
  インターネット・コミュニティ
 二 苗床としての中間集団 143
  苗床集団での育成
  情報教育という場所
  ネットの着地
  拡張された情報教育
  苗床集団としての生協運動
 三 着地の思想 152
  出会うこと
  「リアル対ヴァーチャル」二元論をやめよう

第六章 つながる分散的知性――ラッダイト主義を超えて 157
 一 共有地としての情報環境 157
  インターネットは共通のメタ言語
  それでもネットは社会化する
  インフォアーツ支援情報環境の三つの核
  「私有地の平安」としての情報の囲い込み
  ナヴィゲート構造の対抗的構築
 二 専門家の役割 165
  なぜ専門家はネットに出てこないのか
  インターネットは図書館ではない
  出版物とネットをシンクロさせる
  議題設定と科学ジャーナリズム
  研究組織の支援
 三 眼識ある市民の役割 175
  社会問題の構築
  眼識ある市民の役割
  苗床集団の力
  語られる社会と文脈編集力
 四 セクター組織の役割 183
  組織による公共サービスの役割
  セクターとしての役割
  分散的知性をつなぐ

あとがき 189