【書名】病原体進化論:人間はコントロールできるか
【著者】ポール・W・イーワルド
【訳者】池本孝哉・高井憲治
【刊行】2002年11月20日
【出版】新曜社,東京
【頁数】x+352+116 pp.
【定価】4,500円(本体価格)
【ISBN】4-7885-0827-3
【原書】Paul W. Ewald 1994.
Evolution of Infectious Disease.
Oxford University Press, New York.



【書評】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
進化こそ究極の治療法――ダーウィン医学としての「進化疫学」

ペスト,インフルエンザ,結核,そしてエイズ――数々の病原体の侵略が人類の歴史を彩り,おびただしい犠牲者の山を築いてきた.しかし,病原体もまた他の生物と同様に「進化」をする.本書は,病原体の「進化」に焦点を当て,進化を踏まえた疫学(進化疫学)が可能ではないかと主張する.病原菌がどのように病原性を獲得し,その分布を拡げていったのかを進化的に考察することが本書のメインテーマである.

疫学的観点からは,ある病原菌が特定の社会や文化において蔓延した原因を探ることが重要だ.本書の最大の魅力は,世界史的な見地に立って,ある伝染病の流行原因とされてきたものの背後に潜むもっと進化学的な因果を暴き出そうという姿勢である.病原体の「媒介手段」を重視するのは疫学ならではの焦点の当て方である.人から人へ病原体を伝播するのは必ずしも蚊のような生物や空気・飛沫・糞便だけではない.院内感染のように,病院の医師・看護者・付添い者もまた「文化的ベクター」として病原体の拡散に貢献することがある.さらに,社会制度や文化水準あるいは戦争のような世界史的事象もまた重要な文化的ベクターと成り得る.

本書では,文化的ベクターを積極的に操作することにより,病原体を押え込むという治療施策の可能性があると提案される(p.135).エイズ治療の具体例を挙げながら,病原体の疫学的特性を把握することにより病原性の進化を操作するという長期的視点が,短期的な薬剤処方をより効率的にすると著者は言う.進化ははたして究極の医療を可能にするのだろうか.

本書の主張は明快で,手堅い論議の進め方をしている.残念なのは原書の出版(1994年)から翻訳出版までのタイムラグが長いという点だ.この分野は急速に進展しており,「いまはどうなっているのか?」という点に本書を手に取る読者の関心が向くのは道理だと思う.詳細な文献や索引が載っていて,読者は本書の背後で支えている個別研究の蓄積をじかに見ることができる.のぞむらくは,本書が描いた「進化疫学」の現在の状況を示すポストスクリプトがあってほしかった.


【目次】
謝辞 i

第1章 なぜこの本を? 1
 伝統との訣別
 進化疫学とダーウィン医学
 なぜ病気の進化を研究するのか
第2章 対症療法(あるいは,いかにして『種の起源』を
『医師のための机上指針』に綴じ込むかについて) 21
 進化における症状の機能
 防御的症状と発熱
 防御に対する治療
 操られ症状とコレラ
 操られと防御の同時作用
 非感染症の症状
 帰無仮説――副作用としての症状
第3章 媒介動物,垂直感染,病原性の進化 55
 動物媒介性寄生者の病原性
 媒介動物への感染
 動物媒介性感染症の防除
第4章 媒介動物によらない悪性化メカニズム 91
 媒介動物の代わりに捕食者を利用する
 媒介動物の代わりに宿主の発育ステージを利用する
 致死的な寄生と宿主の操られ
 媒介動物の代わりに被感染性宿主の移動性を利用する
第5章 水が蚊のように移動するとき 107
 水媒介性伝播と病原性
 地理的パターン
 コレラの起源
 水媒介性伝播,研究,公衆衛生政策
第6章 付添人媒介性伝播(あるいは,いかにして医者や看護婦が
あたかも蚊やナタや流水となるのか) 137
 文化的ベクターとしての付添人
 病院における付添人媒介性細菌
 付添人媒介性伝播と抗生物質
 院内感染症病原体の進化的道筋を変える
 院外での付添人媒介性伝播
第7章 戦争と病原性 173
 生物兵器は慎重に使っても的を外す
 病原体は思いがけない進化をする
第8章 エイズ――どこから来てどこへ行くのか 191
 どこから来たのか
 性交渉相手の取り換えと病原性の進化
 エイズの将来
 エイズの病害とHIVの進化
第9章 エイズとの戦い――生物医学的な戦略とHIVの進化的応答 253
 抗ウィルス薬
 エイズに対する他の戦略
第10章 過去を振り返って 287
 病原体としての内部寄生者
 超生物的スケール
第11章 ……そして,将来を一瞥(あるいは,WHOには
ダーウィンが必要である.) 303
 新興病原体
 進化の道具としてのワクチン
 進化疫学とダーウィン医学の出現

訳者あとがき 343
文献 [19-116]
用語集 [11-18]
索引 [1-9]