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【書名】科学者は神を信じられるか:クォーク,カオスとキリスト教のはざまで
【著者】ジョン・ポーキングホーン
【訳者】小野寺一清
【刊行】2001年01月20日
【出版】講談社(ブルーバックス B1318)
【頁数】167+3 pp.
【価格】800円(本体価格)
【ISBN】4-06-257318-0 (paperback)
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【書名】科学者は神を信じられるか:クォーク,カオスとキリスト教のはざまで
【著者】ジョン・ポーキングホーン

神を信じる科学者が確かにここにいる

三中信宏(農林水産省農業環境技術研究所)

 奇妙な本である.量子力学の研究をきわめた後,いまは英国国教会の司祭をつとめる著者が,科学と宗教が「友好関係にある」(p.156)と主張しているのである.一般読者は騙されてしまうのではないだろうか.自然界を「本当に理解」するためには現代科学だけでなく宗教(本書ではキリスト教)の「両方の助けが必要である」(p.28)という著者の主張に.
 しかし,著者が繰り返し強調する,世界の「本当の理解」なるものに対して,私は懐疑的にならざるをえない.著者の立場では,自然現象の還元論的な説明−生物学者として著者はジャック・モノーやリチャード・ドーキンスの名を挙げる−では「本当の理解」は得られないのだ(p.91).著者の言う「本当の理解」とは「真理」(p.152)あるいは「真の経験」(p.94)を見いだすことであり,キリスト教はまさにそれを見いだすためにあるのだという.したがって,キリストの「復活」という奇跡について,「科学といえども,特別な場合に,これまでは起こり得ないと思われることを神がなし得た事実を否定はできない」(p.127).著者のいう「事実」とは,通常の科学者がその言葉で示そうとする意味からは大きく外れている.
 宇宙を創造した神は,今もなお自然現象に関与し続けているのだと著者は言ってのける(p.63).そして,「真理の探究という意味では,科学と宗教は従兄弟のように似ている」(p.156)と著者は結論する.しかし,私はとうてい同意できない.『開かれた社会とその論敵』の中でカール・ポパーは,科学的探究における可謬主義(fallibilism)を支持して,「真実を求めて,実際に真実に到達できたとしても,それが真実であるという確信をもつことはできない」と述べている.真実への接近に対する批判的態度をもち続けることが経験科学なのだと私は考える.ところが,本書の著者にはこの意味での批判的態度は見受けられない.
 ダニエル・デネットならば,本書のいたるところに,おおっぴらにばらまかれている【スカイフック】の陳列を見て,さぞ喜ぶことだろう.

【目次】
第1章:論より証拠?
 宗教は個々人の幻想ではない
 科学は世界の成り立ちを追究する学問と言い切れるか
 光への飛躍
 宗教と科学の共通点と相違点
 世界を理解するには科学と宗教の両方が必要だ
 世界は驚きに満ちている
 宗教は科学に深い影響を与えてきた
第2章:創造主である神はいるのか
 神の存在を知らせる二つの方法
 科学的な問いには科学的な答えを
 美しい方程式
 われわれが住んでいる特別な宇宙
 「人間原理」という考え方へ
 「人間原理」から宗教的領域へ
第3章:この宇宙では何が起ってきたか
 神のいる場所
 偶然と必然が織りなす宇宙の進化
 「偶然」は自由の徴
 「自由」がもたらした苦悩
 キリストは世界の苦悩を理解する
 「希望」は精巧な神の意志のなかにある
第4章:そもそも我々は何者なのか?
 還元主義者 vs. 反還元主義者
 「意識」の発生
 量子力学の不思議
 バタフライ効果
 世界は,ぼんやりと雲に囲まれている
 神が与えた合理的秩序への洞察
第5章:科学者は祈ることができるか
 「祈る」ことの意味
 神の存在する場所はないのか?
 物質的世界の精妙さ
 認識論は存在論を規定する
 トップ・ダウンの因果律
 「ギャップの神」の存在
 「祈り」は人間の意志と神の意志のコヒーレントな関係
第6章:奇跡をどう考えるか
 キリスト教の中核にある「復活」
 復活は深いレベルの連続性
 復活の証明
第7章:ひとつの終末論
 宇宙の終焉と「希望の神」
 肉体を構成する物質は日々入れ替わっている
 新しく来るべき世界と復活
 「何が起こるかを見ようじゃないか」
第8章:科学者は神を信じることができるか
 科学において信じることの意味
 科学と宗教の共通した思考過程
訳者あとがき
関連図書
索引
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