【書名】恐竜を発見した男:ギデオン・マンテル伝
【著者】デニス・R・ディーン
【訳者】月川和雄
【発行】2000年12月30日
【出版】河出書房新社,東京
【頁数】490pp.
【価格】3,800円(本体価格)
【ISBN】4-309-25133-1



【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
未発表の資料(書簡・日記・ノートなど)を駆使した伝記は読み応えがあり、本書もその例外ではありません。ギデオン・アルジャノン・マンテル(1790-1852)の古生物学者としての、とりわけ「恐竜」化石の発見者としての経歴を、19世紀前半のイギリスの科学者社会の文脈の中で描いた本書は、イギリス国内だけでなく、彼の子孫に引き取られて現在ニュージーランドにある膨大なマンテル関連資料を踏まえて書かれています。

著者の問題提起は、「後世に広まった、歪んだマンテル像をいかにして壊すか」にあります。実際、本書に詳細に述べられているマンテルの足跡を読み込むと、200年も前の古生物学の黎明期に活動したマンテルをはじめ、同時代の歴史的人物−キュヴィエ、オーウェン、ライエル、バックランドら−の相互関係が鮮明に浮かび上がってくるようです。もちろん、マンテルは、チャールズ・ダーウィンが公に登場する時代よりも少しだけ先がけていたため、当然のことながらこの伝記の中ではダーウィンへの言及は少ないです。

むしろ、私の関心を惹いたのは、研究に対するマンテルの積極的な姿勢、とくに敵対するリチャード・オーウェンとの長年にわたって繰り広げられた論戦の数々でした。両者の論争史は第12章に簡潔にまとめられています(pp.365-385:さらに pp.273-290 にも述べられている)。マンテルの名を一躍世に広めたイグアノドン化石にまつわる論争を皮切りに、キツネ論争・白亜紀鳥類論争・ベレムナイト論争・テレルペトン論争と矢継ぎ早に闘わされたマンテル対オーウェンの対決は、科学的なそしてしばしば感情的な衝突にいたりました。最初は我慢していたマンテルでしたが、後には「このあわれな男は気が触れているにちがいない」(p.374)とまで言うようになります。マンテルの死後も、オーウェンは誹謗中傷を止めなかった(pp.395-396)というのは、オーウェンのエキセントリックな性格を考えれば「さもありなん」でしょう。

生物進化に関するマンテルの見解は最後まで揺れ動いていたようです。最初はキュビエ的な激変説に加担したのですが、1840年代には、やや転成説(transmutation)になびくものの、同志チャールズ・ライエルとともに個別創造説も捨て切れないという内面的な葛藤をマンテルはずっと抱え込んでいたそうです(pp.307-310, 318-319)。

「公正に見れば、ギデオン・マンテルは恐竜の最初の発見者で最初のデザイナーだった」(p.290)−マンテルによるイグアノドンの復元(古環境の復元も含めて)は、当時の古生物学界の中では先駆的かつ画期的だったとのこと。本書に所収されているタイプの復元図(pp.191, 258など)は、現代の読者にはなじみ深いものだが、当時としては「恐竜の外観とその環境を復元する最初の試み」(p.191)だったそうである。

生涯にわたって影響力のある多くの論文と著作を出し続け、また王立協会メダルなどの栄誉にも輝いたマンテルでしたが、本業である外科医としての仕事は決して順調ではありませんでした。彼の故郷であるイギリス南部のルーイスからはじまって南岸のブライトン次いでロンドンへと転居を重ねるとともに、彼の生活時間に占める医業と古生物学とのバランスがしだいに崩れていったようです。彼が集め続けた多くの化石コレクションが結局は大英博物館に譲渡されるにいたった(1838年:pp.253-267)のも、彼の陥った深刻な経済的苦境の帰結であったわけです。

原資料をふんだんに使った伝記にはありがちですが、本書もまた詳細な注や引用が随所にあり、その多くが一般読者にはアクセスできない未発表資料です。幸いこれらの注などはすべて本訳書に訳出されており、この点で今回の翻訳の資料的価値は高く評価できます。

同時に、このタイプの詳細な伝記は、ともすれば読者を【ディテールの迷路】に追い込む危険性があるのですが、適切なことに「訳者あとがき」の中で、マンテルの年譜と彼をめぐる時代的背景が簡潔に与えられています。本文に取り込む前に、まずこの「訳者あとがき」に目を通すのがいいように私には感じられました。

全体として、本書はダーウィンが登場する前夜の19世紀前半におけるイギリス古生物学史を一人の古生物学者の経歴を軸として叙述したものであり、日本語で読める類書が乏しいだけに貴重な訳書であると思われます。フランスにおけるキュヴィエ対ジョフロワの論争(1830年)を描いた生物学史の本:

Appel, T.A. 1987.
The Cuvier-Geoffroy Debate: French Biology in the Decades before Darwin.
Oxford University Press, New York, xii+306pp.
翻訳:西村顯治訳 1990. アカデミー論争:革命前後のパリを揺がせたナチュラリストたち. 時空出版, 東京.

が、時代的には本書と重なっており、マンテルが頼りにしていたキュヴィエの「大陸的生物観」をさらに知る上で役に立つ参考書になるでしょう。

マンテルにしろ、彼の論敵だったオーウェンにしろ、その思想的ルーツはヨーロッパ大陸の【哲学的生物学】(先験論、観念論、Naturphilosophie)にあったわけで、今回訳されたマンテル伝は、そういう生物学思想の史的な広がりを感じさせる本であると私は考えます。

【目次】
凡例 6
1.キャッスル・プレース 7
家系/徒弟時代
2.発掘学 35
目標に向けて/ロンドンへ向けて/ロンドンにて/層序学
3.『サウス・ダウンズ化石誌』 61
ライエル/最初の著作/反響
4.イグアノドン 87
歴史的背景/メガロサウルス/イグアノドン/奇跡の年
5.サセックスの地質 133
余波/『サセックス地質図譜』/歴史的な意義/
ギデオンの博物館/研究仲間たち
6.ヒラエオサウルス 165
爬虫類と選挙法改正/新種の恐竜/出版業者たち/新たな著作
7.オールド・スティーン 195
ブライトンの魅惑/新たな博物館/講義/
メイドストーン・イグアノドン/気違いホーキンズ/
化石魚類/ライエルの権勢/リチャード・オーウェン/
地質学の論争
8.地質学の驚異 233
新たな協会/前兆/予言/六回の講義/応急処置/
『地質学の驚異』
9.クレセント・ロッジ 263
別離/回復/マンテルとオーウェン/
オーウェン化石爬虫類を論ず/オーウェン恐竜を論ず
10.創造のメダル 291
新たな論題/巨鳥モア/『創造のメダル』/進歩をともなう変化
『創造の自然史の痕跡』/家さがし
11.チェスター・スクェア 323
ワイト島/ルーイスへの散策/チャールズワースのジャーナル/
『地質学の驚異』第六版/復元されたイグアノドン
12.化石とその教え 353
ペロロサウルス/『化石図録集』/最後の著作/
マンテルとオーウェン/テレルペトン論争
エピローグ:ノーウッド・パーク 387
謝辞 401
編集上の覚え書 407
ギデオン・マンテル年譜 410
訳者あとがき 413
注 [480-427]
索引 [490-481]


=======================
気付いた点(2/Jan/2001)
=======================
・p.84:「会報[トランスアクション]」→[トランザクション]
・p.307:「別個の創造」→「個別の創造」
※同様の表記箇所:pp.308, 310, 317, 319
・p.317:「転成[トランスミューテーション]」→初出はもっと前にある(少なくともp.309には「転成」という言葉がある。ルビは初出に付けるべし)
・p.428:「Quarterly Reviewer」→「Quarterly Review」
・p.439:「Cainozoic」→「Caenozoic」(じゃないかな?)
・p.451:「N. Rupke, RO, Victorian Naturalist」
→「N. Rupke, Richard Owen, Victorian Naturalist」
・p.466:「H. De la Besh」→「H. De la Beche」ではないですか?
・p.479:「GM, Geology of the South-Rast of England」
→「GM, Geology of the South-East of England」
・p.486:「転成 317」→初出はもっとさかのぼる(少なくともp.309までは)