【書名】カミング・プレイグ:迫りくる病原体の恐怖(上・下)
【著者】ローリー・ギャレット
【訳者】山内一也監訳,野中浩一・大西正夫訳
【刊行】2000年11月16日
【出版】河出書房新社,東京
【頁数】上巻:486 pp./下巻:462+xxii pp.
【価格】上下巻それぞれ 2,400円(税別)
【ISBN】上巻:4-309-25130-7/下巻:4-309-25131-5
【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
病原菌戦争――最前線からのレポート
本書を読んでいると,かつてヒットしたリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』をすかさず連想する.エボラ出血熱が悪漢として跳梁するその本では,アメリカのCDC(疾病制圧センター)が頻繁に登場した.本書でも,CDCならびのそこに所属する研究者たちがさまざまな場面で活躍する.何よりも,本書のストーリー展開の小気味良さと,「迫りくる悪病」どもはパニック映画を見ているような錯覚を覚えさせる.
しかし,本書は脚色された小説ではなく,分厚いデータによって裏付けられたレポートである.2段組みで上下巻合わせて1,000ページにも及ぶ本文は,詳細な引用文献と図表によって支えられている.脚注まで含めて必要な情報がもれなく翻訳されていることをまずは歓迎したい.微細な活字で組まれた脚注は,拡大鏡なしには読むことすら不可能であるが,これなくしては本文の具体的なイメージは膨らまなかっただろう.
本書を縦横無尽に跋扈する「悪漢」は,エボラだけではない.過去40年間に世界各地の人間社会に突如として登場し,大きな被害をもたらした主要な新興感染症を本書はほとんど網羅している.上巻では,1959年のボリビア出血熱の流行に始まり,マールブルク・ウィルス,ラッサ熱,エボラ出血熱,在郷軍人病(レジオネラ菌)などの流行をたどった上で,都市社会に蔓延してきたさまざまな疾病−とくにエイズ−に焦点を当てる.
マクルーハンの【地球村】(グローバル・ヴィレッジ)をキーワードとして,局所的に分布していた病原菌がどのようにして短期間に世界中に蔓延するにいたったのかを執拗に追っていく「病原菌カウボーイ」たちの活躍ぶりが描写されると同時に,国どうしの思惑のずれとか文化的な摩擦など,疾病それ自体だけでなく,その周辺の事情まで丹念に拾っている.
上下巻にまたがる第11章は,それだけで新書2冊に相当する分量があるが,エイズの出現から現在の蔓延にいたるまでの経緯を克明にたどっている.もともとアメリカのゲイ社会で発見されたエイズが疾病としてどのように社会的に扱われてきたか,そしてHIVがアフリカ起源であることが判明して以来,なかば国際問題・外交問題としての色合いが強まったことが,エイズ対策にどのような影響を及ぼしたかがここで述べられている.
WHO(世界保健機構)やCDCが行なってきた世界規模での対策が必ずしも成功裡に終わったわけではないという事例をいくつも示すことにより,著者は疾病政策そのものへの批判の視点を保っている.このスタンスは下巻ではさらに鮮明になる.
錯綜する病原菌・人間・社会・国家
下巻のストーリー展開は,上巻に比べてはるかに錯綜している.エイズがどのようにして汎世界的に広がり続けているのか,という1点に絞っても,文化的環境や国の貧しさ,国際的紛争などという要因を無視するわけにはいかない(第11章).単に病原菌を追跡して事足れりというわけにはいかない.
このことは,薬剤耐性菌の出現(第13章)にもあてはまると著者は指摘する.新薬を開発するごとに新たな薬剤耐性が進化する危険性が指摘されているにもかかわらず,この悪循環を断ち切るすべがないことが問題であるという.しかも,この悪循環の最終的なしわ寄せが貧しい国にかかってくるという矛盾が次の第14章で指摘される.
この第14章「押し寄せる第三世界化の波−貧困、貧弱な住宅、社会の絶望と病気とが織りなす現実」は,本書の中でも出色のルポルタージュであると感じた.HIVの社会的受容の過程をたどった著者は,そこに次の三つの段階を認識した(p.221).最初は「否定」すなわち現実から目を背ける段階である.次に来るのが「恐怖」すなわち社会的なパニックである.最後は「抑圧」すなわち罹患者に対する差別と迫害である.世界的に共通して見られるこのパターンを踏まえて,疾病に対する施策を続けることが以下に困難であるかを著者は述べる.そして,さまざまな障害により後手後手にまわる処置を振り切るように,エイズ患者は爆発的に増え続けているという:「最悪のシナリオによれば,HIVはまず一つもしくは二つの大陸で常在流行状態に達し,世界のほかの地域に世界的流行として広がり,最終的には地球規模の常在流行の段階を迎え,地球上のすべての社会に永遠に組みこまれることになる」(p.295の注19)
最後の数章は,地球規模で今後も出現するであろう新たな疾病への対策方針を論じる.現在その任を担っているWHOやCDCの組織に対する批判も具体的になされている.
全体を通して,本書は,個々の疾病に対する詳細な記述もさることながら,それらを取り巻く社会的要因・政治的影響・国際関係などにも同等のウェイトが置かれている.この意味で「社会派ルポルタージュ」であることは明白である.ジャーナリスティックな煽り方が鼻につく箇所もあるが,たいへんおもしろいレポートであると私は感じた.
本書の原書(“The Coming Plague”)は1994年に出版されており,750ページある.そして,本書の続編にあたる“Betrayal of Trust”が昨年夏に刊行され,これまた750ページを越える分量があるという.
三中信宏(24/January/2001)
【上巻目次】
献辞 1
序文 9
まえがき 13
第1章:マチュポ−ボリビア出血熱 25
第2章:健康転換の時代−疫病根絶を目論んだ楽観主義の時代のなかで 49
第3章:サルの腎臓と満ちてくる潮−マールブルグウイルス、黄熱、ブラジル髄膜炎の流行 83
第4章:森のなかへ−ラッサ熱 107
第5章:ヤンブク−エボラ 149
第6章:アメリカ建国二〇〇年祭の陰で−ブタインフルエンザと在郷軍人病 223
第7章:ヌザーラ−ラッサ熱、エボラ出血熱、そして、発展途上国の経済政策と社会政策 279
第8章:革命−遺伝子工学とがん遺伝子の発見 317
第9章:微生物を引きつける都市−−都市を中心に広まる病 335
第10章:遠い雷鳴−性感染症と麻薬静注者 373
第11章:ハタリ-ヴィニドゴドゴ(危険-とても小さなもの)−エイズの起源 405
【下巻目次】
第11章:ハタリ-ヴィニドゴドゴ(危険-とても小さなもの)−エイズの起源(承前) 7
第12章:(ほとんど男性が論じてきた)女性の衛生−毒素性ショック症候群 93
第13章:病原菌の逆襲−新薬を開発しつづける人間たち−薬剤耐性の最近、ウイルス、寄生虫 125
第14章:押し寄せる第三世界化の波−貧困、貧弱な住宅、社会の絶望と病気とが織りなす現実 201
第15章:すべてが迅速に−アメリカのハンタウイルス 313
第16章:ヒトと自然−アザラシの疫病、コレラ、地球温暖化、生物の多様性、微生物のスープ 345
第17章:解決策を求めて−備えと、監視と、新しい理解 411
あとがき 453
謝辞 455
訳者あとがき 458
索引 [I-XXII]