自己組織化と呼ばれる現象を目にすると,驚嘆を通り越してむしろ衝撃すら覚えます。きわめて複雑でかつ高度なつくりをもつ構造が,トップダウン的な影響をまったく受けずに,完全にボトムアップ的に生じるという学説は,一見すると私たちの直感とまったく相いれないように感じられるのも無理はありません。しかし,自己組織化は,森羅万象を見る私たちのものの見方を変えただけではありません。それは,いつでもどこでも生じ得るからこそ,生物学にとって無視できない重要な現象なのです。本書が革命的であるとしたら,その理由はまさにここにあります。
自己組織化が直感的に信じられないのはなぜでしょうか。たいていの場合,私たちが初めて経験する組織化された構造とは,人間社会に見られる集団です。そして,そのような集団では,組織の大部分は階層的な構造をもっていて,しかもその構造を維持する情報や指令は大所高所に立つ指導者から下々の人間に向かって発せられています。本書での問題提起は,生物界を広く見渡すと,適応の観点から見たときに重要な意味をもつ高次のパターンは,集団のメンバーの間に働く純粋に局所的な相互作用によって生じるということです。自己組織化がもたらす利益の1つは,情報を得るのに最適な位置を占めているたいてい局所的に存在するエージェントであるということです。しかし,彼ら局所的エージェントはシステム全体を見渡しているわけではなく,また彼らが従事している作業が「大域的」なパターンのどの部分に貢献しているのかを知っているわけでもありません。
自己組織化に関する理論的研究は,ベロウソフ−ジャボチンスキー (BZ) 反応に始まります。この有名な反応は,最初は誰もが疑ってかかりました。実際,BZ反応が発見されてからそれが発表されるまでには,何年もの年月が必要だったのです。BZ反応では,分子の混合物が互いに反応することによって,大域的パターンが時空的に形成されていきます。このBZ反応が確かに生じていることが受け入れられると,一人の先駆者がこの反応 (および関連する他の現象) に関する理論的研究を開始しました。その先駆者とは後年ノーベル化学賞を受賞した Ilya Prigogine でした。自己組織化についてのこれら先行研究が後に生物学に適用されるようになったのですが,そこでの真のパイオニアと呼べるのは Prigogine が指導した最後の大学院生 Jean-Louis Deneubourg でした。
動物の社会に見られる自己組織化は見事なものです。そこでは,多くの局所的な相互関係を実際に目撃できるので,比較的容易に定量的な分析を実行することが可能です。さらに,アリやハチのような生物群では実験的な操作を行うこともできます。群全体をあるいはその一部分をばらばらにして,別の条件のもとで再び合体させるという操作ができるということです。これらの特徴をうまく活かした一連の実験と数理モデリングを行うことにより,説明仮説の仮定と予測をともに厳密にテストすることが可能になります。このようにして,採餌システムの構築や最短路の探索,軍隊アリの襲撃パターンの形成,そして群レベルでの同期化や温度調節,さらには建設行動の制御などさまざまな生物現象が自己組織化の観点から研究され,局所的な相互作用からどのようにして集団レベルのパターンが生じるのかがより詳しくわかってきました。
自己組織化を踏まえたこのアプローチは,別の観点からの関心をも惹きつつあります。それは,自己組織化がある種のロボティクスとみなせるだろうという見解です。きわめて多くの自律的なロボットは,たとえ一つひとつのもつ情報獲得能力が局所的に限られていてしかも高性能ではないとしても,ロボット集団として見たときにある作業を遂行しています。このことは,伝統的なロボティクスの理論ではうまく説明できませんでした。なぜなら,これまでのロボティクスの理論は,すべての作業を各ロボットが完全に遂行できるという高性能かつ万能のロボットを前提としていたからです。
本書の著者の一人として,この翻訳書を手にするすべての日本人読者のみなさんが,本書で述べた生物学の事例とそれを記述する数理モデルからインスピレーションを得ることを期待しています。そして,自己組織化という新しい,魅力ある,そして進展の著しい科学領域のおもしろさをぜひ分かち合いましょう。
ナイジェル・R・フランクス(Nigel R. Franks)/ブリストル大学生物科学部教授