日本生物地理学会第64回年次大会シンポジウム(→大会サイト

“種”をめぐる諸問題:錯綜する論争と解決への道筋

オーガナイザー・司会:三中信宏(農業環境技術研究所/東京大学大学院農学生命科学研究科)


日時:2009年4月5日(日),10:00〜14:40
場所:立教大学・池袋キャンパス・14号館
   →地図(会場の「14号館」は細長い「10号館」の向かいにあります)

演者・演題:

10:00 - 10:20
 三中信宏
  「趣旨説明:【種】問題とそのおとしどころ

10:20 - 10:55
 中村郁郎・真壁壮・高橋弘子
  「真核生物の分子的な種区分 “ipsum” の提案

10:55 - 11:30
 森中定治
  「“種”とは何か?−側系統群をめぐって

11:30 - 11:50
 【学会賞表彰式】
   受賞者:久保田耕平(東京大学大学院農学生命科学研究科)

       —— 昼食休憩(11:50 - 13:00) ——

13:00 - 13:35
 久保田耕平・久保田典子・乙部宏
  「コルリクワガタ種群における隠蔽種の発見

13:35 - 14:10
 直海俊一郎
  「種問題の解決に向けて

14:10 - 14:40 パネルディスカッション(司会:三中信宏)



講演要旨


【種】問題とそのおとしどころ−趣旨説明に代えて

三中信宏(農環研/東大・院・農生 → website

 「種」をどのように定義すればいいのか? 進化生物学において,この問題はいまもなお活発な論議を呼んでいます.たとえば,生物集団間の生殖隔離を基準として判定される「生物学的種概念」は代表的な種概念のひとつです.しかし,生物学的種概念のほかにも数多くの種概念が提案されていて,今から10年ほど前に書かれた総説によればそのような種概念の総数は二十数個にものぼるといいます.
 生物が進化するという思想はすべての生物が時空的に変化するという見解を受け入れるよう私たちに要求します.ところが,民俗分類のルーツに根ざしたヒトの認知心理のもとでは生物を含む森羅万象はばらばらのグループに分類されます.とすると,もともと連続であるものをいかにして分割するのか?−「種」問題の根源はここにあります.
 チャールズ・ダーウィンはヒトの進化を初めて論じた『人間の進化と性淘汰』(1871)において,錯綜する「種」問題を解決する手がかりとなる示唆を与えています.彼は次のようなたとえ話をしました.ある土地に複数の住居が集まって建てられているとき,「ここには集落がある」という点に異論を唱える人はいないでしょう.一方,その集落が「村」なのかそれとも「町」や「市」なのかはどうでもいいことではないかと彼は言いました.
 生物界を見渡したとき,姿かたちの似ている生物の集団が「ある」ことは分類学者ならずとも誰もが知っています.しかし,生物分類学ではその集団が「種」であるのかどうかをめぐってはてしない論争を繰り返してきました.ダーウィンはそういう論争はこの上なく不毛だと指摘しました.生命の樹という進化的系譜の連続体があるとき,それをどのように切り分けて分類するかは本質的な問題ではないだろうというダーウィンの指摘を現代の私たちは再び見直さないわけにはいきません.
 それと同時に,分類がもつ認知的な役割についても再評価すべきでしょう.満天の星を「星座」として分類することで私たちは地上から見た天体の様相を理解してきました.それと同様に,きわめて多様な動植物の世界を理解するために私たちは「種」などの分類カテゴリーを用意してきました.「星座」の体系が私たちの自然認知にとって貢献しているというのであれば,「種」の体系もまた生物界の認知に貢献していると言わざるを得ないでしょう.「種」が現実に実在するかどうかとは何の関係もなく,「種」の分類体系は私たちにとってたいへん役に立つ.これが「種」問題を解決するためのひとつの落としどころだと私は考えています.


真核生物の分子的な種区分 “ipsum” の提案

○中村郁郎・真壁壮・高橋弘子(千葉大学大学院園芸学研究科)

 「生物には種があるのかないのか」が盛んに議論されている。DNAを詳しく調べれば、生物は個体レベルまで識別できるのが現実である。しかし、「種」という分類単位は生物を研究する上で大変便利であり、リンネの分類体系が生物科学の発展に大きく貢献したことは疑いない。生物進化学が発展するためにも誰でも理解できるシンプルな方法で種を定義することが必要となるであろう。
 DNA配列解析技術の急速な発展とともに生物の全ゲノム配列解析が競って行なわれている。しかし、全ゲノム配列情報を手に入れたところで種の定義や進化機構を解明できるのかは疑問である。すべての生物の種・系統の全ゲノム配列を解析することは不可能であり、全ゲノム情報を解析しないと種の分類ができないようでは現実的ではないと思われる。
 分子情報を利用して種を分類するためには、種内の変異が小さくて、種間の変異が大きな配列を見いだすことが望ましい。すでにリボソームRNA遺伝子やミトコンドリアのCOI遺伝子のDNA配列を用いた手法が実施されているが、DNA配列の場合、何%以上相同であれば種と定義するという事は事実上不可能である。一方、酵素等のアミノ酸配列を用いた分類も模索されてきたが、機能上の制約を受けるために類縁関係と進化速度が対応しないことが知られている。
 本研究では、真核生物においてゲノム当り1個のみ存在するRNA合成酵素I最大サブユニット遺伝子の特定領域のアミノ酸配列(約370残基)に着目した。このアミノ酸 (ptag) 配列は、リンネの種区分とよく対応する変異を示し、原生生物、菌類、植物、動物の全体を同じ方法で比較することが可能である。そこで、ptag配列が同じ集団をipsum (identical protein sequence unit member)と定義することができれば、分子的な種名としてリンネの分類体系を補足する添付資料とすることができると考えられる。
 もしも1個のptag配列で種を定義することができれば、配列解析およびそのデータベースの構築が容易であるので、巨額な研究資金を必要とする少数の全ゲノム解析よりも生物各種の種の同定、種分化の解析、生物多様性の評価などの多数のスモールサイエンスを推進できる基礎となると思われる。また、種の同定を必要とする農林水産業、食品産業、生物防疫、保険医療などにも大きく貢献できると考えられる。


種とは何か? —— 側系統群をめぐって

森中定治(日本生物地理学会)

 カザリシロチョウは東洋区かたオーストラリア区にかけて広く生息し,著しい種多様性を生じたシロチョウ科のひとつの属(Delias属)である.表面はどの種も殆どが単純な黒の縁取りのある白色であるが,裏面は種によって赤,黄,オレンジ,茶,ピンク.白,鮮やかな様々の色彩と模様をもつ.
 何故このような様々の鮮やかな色彩が生じたのか,その発生機構,またそれら著しい多様性が自然界で何らかの意味を持つのか,それともたまたまそういった色彩になっただけなのか,長い間興味を抱いてきた.私は,種そのものを考える専門家ではないが,種の問題とは常に隣り合わせであったと思う.
 近年,生物多様性の減少が注目されるようになり生物種の記載のデータベース化が進展してきた.また,どのように種分化するのか様々な生物において種分化機構が解明されてきた.しかし,依然として種は実在するのかしないのか,種は実体なのかそれとも人間の観念の産物なのか,答えは得られておらず,種の概念についても論争が続いている.
 ここでは,東南アジア島嶼である小スンダ列島に生息するサンバワナカザリシロチョウ(Delias sambawana)とアイリーンカザリシロチョウ(D. eileenae)の種分化を通して,種と個体群の違いに基づいて側系統群の意味について述べ,さらに種そのものついて考察する.


コルリクワガタ種群における隠蔽種の発見

久保田耕平(東京大学大学院農学生命科学研究科)・久保田典子(神奈川県横浜市)・乙部宏(三重県津市)

 近年昆虫では,外見では識別が困難であるものの,交尾器形態や遺伝子情報,生態的分化などから,タイプ標本の所属する種とは別種だと考えられる隠蔽種の発見が相次いでいる。
 コルリクワガタ Platycerus acuticollis Y. Kurosawa (= sensu Fujita 1987)は地理的変異に富んだ「種」とされ,外見の差異に基づいて4亜種に分類されていた。演者らはこの分類群の中にも隠蔽種が存在する可能性を視野に入れて詳細な形態学的解析,特に雄交尾器内袋の形態解析を行ってきた。その結果,この群の中に明瞭に識別できる4種を認め,Kubota et al. (2008)において分類学的改訂を行った。まずユキグニコルリクワガタ Platycerus albisomn とその亜種チチブコルリクワガタ P. albisomni chichibuensis,ニシコルリクワガタP. viridicuprusとその亜種キュウシュウコルリクワガタ P. viridicuprus kanadai を新たに記載した。さらに”Takakuwai”をコルリクワガタの亜種から種トウカイコルリクワガタ P. takakuwai に格上げし,”akitai”と”namedai”をコルリクワガタの亜種からトウカイコルリクワガタの亜種に所属変更し,それぞれキンキコルリクワガタ P. takakuwai akitai とシコクコルリクワガタ P. takakuwai namedai とした。そして,これらの分類群からなるコルリクワガタ種群the acuticollis species groupを提唱した。
 演者らが識別した4種はほぼ側所的に分布するが,従来の亜種区分とは必ずしも一致しない。これは同一種と考えられるものの中にも外見上の地域変異が認められ,逆に別種と考えられる組み合わせの中にも外見上非常に似通った隣接する個体群が存在することを示している。外見上の変異は雪深い東日本の日本海側から西南日本の温暖な地域にかけて一定の方向性を持っているので,少なくとも一部は種を超えた気候適応的な進化である可能性がある。これらの4種は,四国・九州といった西南日本を除き,同一山塊中で(特に分水嶺で)分布が入れ替わっていることが多く,潜在的には長く帯状に分布域の接点があると考えられるが,各種の全分布域の中で交尾器の形態は非常に安定している。また少なくとも1つの組み合わせでは分布境界域に混棲地点があることも確認している。
 これらの分布パターンは過去の低温期に低地に隔離されて種分化がおこり,その後の高温期に各種の分布域が高所に移動して互いに分布を接するようになったものの,生殖干渉等の理由で混ざり合うことができずに対峙しあった状態にあることを示唆するものである。また,これらの種間には一定レベル以上の生殖隔離がはたらいていると考えられるので生物学的種概念にもとづいた場合でも別種として扱うのが妥当だと考えられた。
 演者らは平行してこの分類群の遺伝子解析も行っている。その中間結果はかなり複雑で,核遺伝子とミトコンドリア遺伝子にもとづく解析結果に大規模な不一致が認められ,少なくともミトコンドリア遺伝子では複数回の浸透交雑を仮定しなければ説明がむずかしいだろう。とはいうものの,演者らが認めた種の区分を否定するような結果ではないと考えている。
 生物学における「種」の考え方は多様で,必ずしも種概念にコンセンサスが得られている状況ではない。しかし,少なくとも昆虫のように多くのものが有性生殖で子孫を残すような分類群の場合,生物学的種概念で区別されるものに「分類学的上の種」を当てはめることに異論を唱えられることはほとんどないだろう。コルリクワガタ種群の場合,実際に交配実験を行ったわけではないが,形態の地理的安定性や分布状況から少なくともあるレベル以上には生殖隔離が機能していると考えられるので,分類学的な扱いに迷いがなかったのは幸運だった。一方で交尾器形態に明瞭な地理的変異が存在するものの,各個体群の変異が連続的に認められる場合,移行地帯がある場合には扱いがむずかしい(たとえばキタクロナガオサムシ Leptocarabus arboreus)。植食性昆虫の場合にはホストレースも多数存在するだろう。
 今後とも,隠蔽種やそれに準じる分類群の発見には暇がないと思われる。分類学や生態学といった基礎科学の面でも,害虫防除や保全などの応用上も重要なことなのだが,実態をよく理解しないで扱い方を間違えると,混乱に拍車をかけることにもなりかねないだろう。


種問題の解決に向けて

直海俊一郎(千葉県立中央博物館)

 種とは,生物分類学の基本単位である.それは自然理解のための基本単位であるともいえよう.よって,「何を種とみなすか」,そして,「それをどのように認識するか」については,ダーウィンの時代どころか,それよりはるか以前から,生物学・哲学・体系学の諸分野の研究者によって議論が行われてきた.
 リネー流の分類学のもとでは,種とは類似・差異に基づいて区別される単位であった.ダーウィンにとってさえ,種とは,自然のなかのまとまりではなく,お互いにとてもよく似た生物個体の集まり(つまり,便宜的な単位)であった.その種は,1930年代から40年にかけて提唱された進化総合説を背景とし,生物の進化の過程の担い手,もしくは進化の単位とみなされるようになった.種をそのようにとらえた立役者の1人であるE. Mayr(1940,1942)によると,種とは「相互に交配可能な個体からなる自然個体群の集まりであり,他のそのような集まりから生殖的に隔離されたもの」である.この理念が,いわゆる現代種概念のなかでは最も著名な「種の生物学的概念」である.
 20世紀後半には,進化学的種概念(Simpson, 1951,1961),生態種概念(VanValen, 1976),系統種概念(Cracraft, 1983)をはじめ,20より多くの種概念が提唱されてきた.現時点でも,生物学者間において,どの種概念が最良であるかについてコンセンサスが得られているわけではない.しかし,Mayrの生物学的種概念の提唱から概ね70年が経過し,近年,どうやら種問題にも解決の「兆し」が認められるようになってきたように,私には思われる.そのきっかけになったのは,「種とは何か」というより,「種問題」とは何かについて,研究者間でコンセンサスが得られつつあるということと関係していると,私は考えている.
 いわゆる種問題と呼ばれるものは,少なくとも5つに分けられる.

  1. 種概念問題 Species concept problem
  2. 種の境界設定問題 Species delimitation problem
  3. 種の命名分類問題 Species nomenclature (or classification) problem
  4. 種分類群の存在論的問題 Species taxon ontology problem: individual, class, kind, relation, etc.
  5. 種の用語問題 Species terminology problem: category, definition, concept, taxon, etc.
 本講演では,これらの種の諸問題のうち,種概念問題・種の境界設定問題・種の命名分類問題とは何かを紹介し,それらが混同されてきたことを論じる.そして,どのような形で,これらの種問題が現在解決されようとしているかを,いわゆるリアルな種(real species:ヒトの認知とは独立に自然界に実在する個体群レベルの進化的リニージpopulation level evolutionary lineages)と同定された動植物の実例の紹介を交え,論じることにしたい.


Last Modified: 2 March 2009 by MINAKA Nobuhiro