日本生物地理学会第59回年次大会ミニシンポジウム

次世代にどのような社会を贈るのか?

オーガナイザー:森中定治(日本生物地理学会会長)・三中信宏(農業環境技術研究所)


日時:2004年4月11日(日)15:00〜17:00
場所:立教大学(豊島区西池袋)
演者・演題

15:00 - 15:15 森中定治(日本生物地理学会会長)
「趣旨説明――蜂須賀正氏から現代へ」

15:15 - 16:00 長谷川眞理子(早稲田大・政経)
人間は環境を変え、環境は人間を変える

16:00 - 16:45 松田裕之(横浜国大・環境情報)
風土・健康・平和とそれらを繋ぐ創意工夫

16:45 - 17:00 総合討論



【趣旨】

科学者は,日々学問をし研究を行なって自然の理を少しずつ明らかにし,それ以外の人も,日々働く.何のためだろうか.むろん自分自身や家族の糧を得,楽しみそして次世代を育てるためである.しかし,それだけではない.私見であるが,日々の営みを通して社会全体がより向上する,つまりより人間らしく生きていくことのできる社会にするためという大前提があると思う.少なくとも,そのことについて意識にあげてみる時が来ていると考える.

昨今,大学卒業に際し,職の決まらない学生の比率が著しく上昇し,その最大の原因は不況とデフレ経済であると言われる.先般,テレビの生番組で,高名な経済学者や経済評論家が集いその解決策について激論が交わされたが,結論らしいまとめすらできなかった.その道を指し示すべき専門家にして答えの得られない,先の見えない時代を迎えたといえよう.

しかし一方で,技術・工学は著しくかつ着実に進展し,人類は様々の場面で強大なパワーをもつに至った.戦国時代,武士と武士が“やあやあ我こそは”と名乗りあって戦をし,その結果何百人何千人が命を落とした. しかし,100年も経てばおのずと元の賑わいに戻った.何故戻り得たのか.人間が生存する基盤,つまり未来の世代までつながる自然環境に対し、有意な影響を及ぼすほどの力をもたなかったからである.

科学・技術が生み出した現代の兵器は,戦国時代と同じくその時代に居合わせた何百人何千人の命を奪う.しかし“国敗れて山河なし”,その地はその後何千年何万年あるいはそれ以上,人の賑わいが戻ることのない死の地となる.我々は,技術の進展によって“破壊”という言葉の意味が変化していることに意を留め,それに応じた人間に成長していく必要があろう.そのためにこそ,学問と科学が必要なのではないだろうか.

日本生物地理学会は,生物地理学という創設時の原点を尊重しつつ,著しく発展し多様化した現代生物学に対応し,人類への貢献を最終目的として主に生物学をテーマとする多様な学問・研究に応じることのできる学会でありたい.その意味において,今回当学会を特徴づけるひとつのイベントとして,人間あるいは高等動物の特に心理上の進化,そして生態とそれを取り巻く環境を研究の主対象とされる方をお招きして,人間社会のあるべき姿についてご自身の構想を,夢を大いに語って頂く意図でこのミニシンポジウムを企画した.

日本生物地理学会のシンポジウムは,“気さく”と“気楽”がモットーである.どうか,リラックスしてお話をお進め頂き,我々もまたリラックスしてお話を拝聴したい.[森中定治]


【長谷川眞理子講演要旨】
一般に、科学技術の発展によって人間が環境を改変し自然が消え、また、さまざまな新しい科学技術が出現することによって、人間を取り巻く環境が変わることによって、人間の未来がどうなるか、ということが論じられますが、そのとき、そのような環境下にある人間自体は変わっていない、ということが前提になっているように思われます。しかし、変化した自然環境のもと、新しい科学技術に取り巻かれて育つことによって、人間自身が、これまでとは異なる人間に育っていく可能性があります。人間のゲノム自体は変わらなくても、発達環境が異なることによって、できあがる人間の性質が変わるかもしれません。道徳感情も、他者との関係の持ち方も、自然に対する欲求も、何を性的魅力と感じるかも、非常に変わるかもしれません。私たちは何を次世代に伝えたいのか、何を伝えることができるのか、できないのか、変化した環境下でどのような人間が育っていくだろうか、という点から考えてみたいと思います。


【松田裕之講演要旨】
私たちは地球という資源を食いつぶしている。自然保護の最大の根拠は、私たちが現在享受している自然の恵みを後世の人々にも残すという「持続可能性」である。けれども、それぞれの絶滅危惧種を守ることがどれだけ「価値」のあることかといえば、明確な答えはない。つぎの根拠は、自然を守ることの科学的根拠が不十分であっても、地球規模の不可逆的影響を避けるという「予防原則」である。地球温暖化と生物多様性保全条約は、この予防原則に基づいている。こうした論理と裏腹に、私たちは大事なことを忘れていないだろうか。最もたいせつなものは、人が他者なくしては生きていけないこと、自然の恵みなくして生きていけないことそのものである。昔の人は、自然が恵み豊かだが同時に恐ろしいものであることを知っていた。安全を追い求めるあまり、自然と死に対する畏敬の念を忘れてはいないだろうか。なぜ、ほんのわずかなリスクを避けるために今まで世話になってきた野菜や牛肉の農家を破産の危機に追いやるようなことをするのだろうか。いちばん大切なのは、自然よりも人間同士の信頼関係である。自然と人間の関係だけでなく、人間同士の関係も複雑で、難しい。生物多様性と同じように、人間の価値観の多様性もたいせつである。身の回りの風土は地域ごとに多様であり、それ自身が人の社会を豊かにするものだろう。自分と違うものと上手につきあうことこそ最も価値あることである。