● 11月1日(土): ブエノス・アイレスにマリアはいるか

◆国外逃亡中に月が変わった(日本では12時間前にすでに変わっている).今日になってやっと「灰」から復帰したので,まずは昨日(31日)のことを備忘メモしておかないと ——


◆前夜(30日)のバンケットが丑三つ時まで続いたにもかかわらず,カナシイことに午前6時半にはもう目覚めてしまった.最初のうちは雲があったが,そのうち快晴になり,風はひんやりしているが日射しは暖かい.こちらに来て初めてアンデス山脈の方角がとてもきれいに見わたせたので一枚:


もっと向こうにはさらに標高の高い山々が連なっているにちがいないが,トゥクマンから見えるのはここまでだ.

◆国外からまたもこまごま —— 「Por favor, no molestar !」といくら思っていても,そんな気持ちとは何の関係もなく,日本からメールに乗って“トド”がたえずトゥクマンに押し寄せてくる:一頭めは,帰国してから神戸トドを撃った翌週に始まる統計研修トド.いくつかの段取りを事前にすませないといけないので,その事務連絡をする.よろしくお願いします./二頭めは師走はじめに大分統計巡業から帰ってきた直後の農環研セミナーでの【種】御祓いのこと.押し寄せてきたのはこれくらいで,あとは日本から連れてきたカマジン本ゲラ読みトドと講談社現代新書トド.でも,神戸トドを撃つ準備の方が優先だろうなあ…….

—— そんなこんなのメール返信を早朝のホテルロビーのエスパニョールなPCを使ってすませる.

◆午前8時の定刻にレストランに行ったが,案の定,朝食に来ている大会参加者はほとんどいなかった.朝日が射しこむ窓際のテーブル席に座ると,前夜のサバトで跋扈した魑魅魍魎どもも掻き消すようにいなくなることだろう.しかし,“犬神佐兵衛”翁だけは誰よりも先にテーブルに着いていた(さすが).

そういえば,朝食の写真をまだ撮っていなかった.喰いもんは四の五の言うよりも写真を一枚見せるのが手っ取り早い.毎朝供されたのはオードブル程度の簡単なものだが,夜遅くしっかり夕食をとる習慣のあるこの国では,朝にたくさん食べるというのは合わないのかもしれない.その割には巨大なケーキだけはずらりと供されていたが.ジュースとフルーツポンチ,そしてハムとチーズを少しばかり,飲み物はブラックコーヒー(café sólo)というのが毎日の定番だった.いつもはパンがつくが,さすがにそこまでの食慾は今はない.

◆食慾といえば,こちらに来て以来,朝食を除けばちゃんとした食事はほとんどしていない.昼食は抜いていたし,夕食も喰い過ぎて高座に差し障りがあるといけないと自制し,昨日のバンケットまでは食べなかった.そんなに食べずによくもったものだと自分でも思うのだが,そのヒミツはコーヒーブレイクで毎回出されていた軽食にあったと推測している.

大会期間中は午前と午後の二回,コーヒーブレークがあるのだが,そのたびに大きなスナック菓子が山盛りに並べられていた.クロワッサンのような“分類しやすい”ものはいいとして,カテゴリー化がとても難しいスナック菓子もあった.たとえば写真のもの.一辺が5センチの立方体の形状をしていて,外はカリカリ,中はしっとりしたパン生地で,ほんのり塩味がついている.いつも焼きたてが出されていて,とても気に入ったのだが,これをマテ茶とともに二つも食べれば,腹持ちがよすぎて昼食や夕食は必要なくなってしまう.

◆大会最終日も午前9時から夕方までしっかり講演が入っていた.帰り支度をしてきた参加者もいて,そろそろ幕引きが近い雰囲気が漂い始める.こういう海外の国際会議に出席して印象に残るのは,前夜どれほど夜中まで飲み騒いでも,ちゃんと朝イチで講演会場に姿を見せる人が多いということ.植物系統学のシンポジウムを聴きつつ,カマジン本ゲラの参考文献リスト(30ページもある)のチェックを完了した.

◆昼下がりの至福のまどろみ ——

自分の発表があるまでは心置きなくくつろぐことができなかったが,今日は許してもらおうということで,午後3時までの昼休みは自室で午睡させていただきました.今日は朝から快晴で,窓を全開にするとベランダから爽快な風が通り抜ける.気温もほどよく涼しめ.これはもう一眠りするしかないでしょ.ベッドに寝転ぶとちょうどトゥクマンの青空がよく見えて,至福のひとときということで.

◆そんなこんなでつつがなく〈Hennig XXVII〉は終った.ぱたぱたと会場や受け付けがリセッティングされた.予期しないことだったが,日本人女性ふたりとホテル内で遭遇した.観光に来たとのことだったが珍しいなあ.何日かぶりで日本語を口にした.

◆レストランでの初めての夕食 —— 今日は午後の軽食をぐっと堪えたので,夕食はレストランですませることにした.午後8時に入ってまずはセルベサ(ハイネケン)を飲み,メニューを頼んだら「食事は午後9時からです」と言われた.やっぱり夜遅く食べるんだ.

1時間ほど本を読んだり,暮れゆくトゥクマンの下界で灯がぽつぽつとともりはじめるのを眺めたりしているうちに,午後9時前,テーブルにメニューが届けられた.ビノ・ティントのハーフボトルに,おつまみはもちろんエンパナーダ(レモンを添えるとは知らなかった),そしてカルネのケーセ・ソースにパパ・フリッタの付け合わせ.大量にカルネが出てきたらどうしようと身構えていたが,実にスマートに150グラムくらいの牛肉の量だったので,安心できた.昨日のアサドでの肉の乱舞はいったい何だったんだろう.

◆アメリカから初めて参加したというふたりの研究者と雑談した.ひとりは,何年か前に福岡で開催された Diptera の国際会議に参加したことがあって,「シマさんとサイグサさんにたいへんお世話になった」そうだ.連夜の深酒はからだにこたえるので,午後11時には部屋にもどった.明日は朝早くの出発なので荷作りをしないといけない.それは寝てからでいいか.


◆さて,月が変わった本日のことに移ろう —— 午前3時半に起床して,荷作りを始める.1時間もしないうちに終ってしまったので,あとは Diario を書いてみたり,今日の帰国予定を確認してみたり.午前6時,外はもちろん漆黒の闇で,市街地の燈火だけがいつものように輝いていた.フロント前には同じフライトとおぼしきワルイ人たちがすでに参集していた.チェックアウト.あ,このカードはダメですか.では,こちらで(これはOK).トラベラーズ・チェックが何の役にも立たないことはこれまでの経験で身にしみていたので,すべて現金で持ち歩くことにしている.それとともに,ときどき日本では大丈夫でも,海外ではダメということがあるので,念のため複数のカードを持ち歩くべきだと再確認.

◆空港行きゴーカート・タクシーに高密度パッキングされる —— 星空がことのほか美しかった.しかし,シアワセだったのはここまで.午後6時半に下界から“悪魔”がやってきた.前日に予約しておいたタクシーが来たのだが,ふつうのセダンに4人の客を乗せるという.もちろん,それぞれが巨大なスーツケースを連れている.いったいどーするつもりかと思ったら.まず最も巨大なスーツケースひとつをトランクに押し込み,次に助手席一人,後部座席に三人を乗せた上で,膝の上の空間に残りのスーツケースをすべて押し込みはじめた.これは初めての経験だ.しかも,こわいことに,数分の格闘ののちに,ちゃんと高密度パッキングできてしまった.かろうじて呼吸ができるだけの“生存空間”だけを残すのみだ.

さて,このぎゅうぎゅう詰めの状態でタクシーは発車したわけだが,運転席以外の空間がひどいことになっているのに,例の調子で「快調」に下りのヘアピンカーブをぶっ飛ばしてくれる.しかも,大音量のサルサだか何だか,スペイン語の巻き舌でまくし立てているBGMの割れた音を,身動きがとれない体勢で,真後ろのスピーカーから強制的に聞かされ続けた.チョリパンの残り香だかクラッチの焦げる匂いが混ざった車内で,これはまさに拷問だ,何かワルイことでもしたか.同乗者も最初は笑い飛ばしていたが,そのうち誰ともなく無言になってしまった(当然だろう).タクシーはさらにさらに快調に飛ばしまくる.

こうして小一時間,トゥクマンの市街地を駆け抜けたタクシーは,世が白みはじめた午前7時過ぎに,トゥクマン国際空港で,縦断に圧縮されたわれわれを解凍してくれた.苦界もこれまでだ.空港はたいそう混んでいて,人出がもともと足りないのか,それとも手際が悪いのか,長い行列ができている.それでも,チェックインと手荷物検査をすませて,ゲートの待合室にてやっとほっこりした.

◆やっと帰路の始まりだ—— 午前8時45分にトゥクマンを飛び立った AR1473 は,低空の雲に覆われたパンパを見下ろしながら,1時間半でブエノス・アイレスの国内線空港である Aeroparque こと Jorge Newbery 空港に着陸した.しかし,まだまだ先は長いのだ.[続く]

◆本日の総歩数=7438歩[うち「しっかり歩数」=0歩/0分].


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