● 7月1日(日):バーボンヴューはバンケット運命共同体

◇朝刊がドアノブにかけられる午前5時前はまだ真っ暗だ.5時半近くなってやっと明るくなってきた.蒸し暑かった昨日の最高/最低気温は87度/74度(華氏)だった.湿度は71%とのこと.予報では,今日もまた激しい雷雨があるらしい.

◇午前6時に早朝散歩.ぼくのもっているガイドブックによれば,「不夜城」のバーボン通りは朝日が射す頃には「灰」になって死んだように静かだと書かれていた.それは大ウソだ.静寂に包まれているはずのホテル前の通りには,前夜からの大騒ぎの余韻を引きずった酔客がぞろぞろと歩いているだけではない.ジャズ・ハウスのいくつかはこの時間になってもまだ大音量でライヴ演奏を続けているではないか.

そう,実に単純なことで,バーボン通りの「朝」のはじまりはぼくらが考える以上に(あるいは一般の社会常識からみて)もっともっと遅いのだ.午前6時というのは日が改まった「朝」ではなく,前の日の「夜」の続きなのだ.そう考えれば,クダを巻いた老若男女が「明るくなった夜」をまだ楽しんでいるという図式はすっと理解できる.

では,バーボン通りの「朝」はいつ始まるのか.それは「午前6時半」である.

なぜそう言い切れるのかというと,この時刻にバーボン通りの彼方から“downriver”に向かって,漆黒の巨大な散水車がパトカーやゴミ収集車とともに突如出現し,前夜から通りのあちこちに堆積していたおびただしい量のカップやごみ,散乱したビーズ,さらにはへべれけになった人間の残骸などなどを大量の石鹸水(消毒水?)を散水して有無を言わさずすべて洗い流してしまうからだ(その勢いたるや水道管が破裂したかと思うほど).しかし,撒かれるのが石鹸水なので,凸凹した石畳がつるつる滑ってしまう.これだけの“浄化処理”を受けてもなおしっかり「闇」を保っているのは歴史のあるジャズの殿堂 Preservation Hall くらいだろう.

◇長かった「夜」はこれでようやく終わりを告げ,遅まきな「朝」がヴュー・カレにもやってくる.朝日がアイアンレースに包まれた2階バルコニー(gallerie)を照らし,さらに,階下のアーケード(banquette)の歩道が明るくなれば,夜の魑魅魍魎たちはみごとに姿を消す.この時間帯になると,ジョギングする人たちや散策する熟年カップルが見られるようになる.ホテルを出てバーボン通りを“downriver”に進み,トゥールーズ通りを右折して“riverside”に10分も歩けば,そこはもうセントルイス大聖堂からジャクソン広場にかけてのブロックだ.朝日を浴びつつベンチで酔いつぶれているのもまだいるが,昼から夜にかけての喧噪とは無縁で,早くも子ども連れの家族がいたりする.

◇そのジャクソン広場のディケーター通りをはさんだ向かい側にあるのが,超有名な Café du Monde だ.早起きしても開いているのでよかった.午前6時開店と聞いていたが,どうやら24時間オープンしているらしい.古い写真が貼られた天井の高い店内にはすでに何組もの客がいる.チコリ入りのコーヒーが有名らしいが,今日のところはカフェ・オ・レにしましょ.

で,ここ Café du Monde で欠かせないのが「ベニエ(Beignet)」.要するに揚げドーナッツなのだが,四角くて穴がない.揚げてあるドーナッツ自体はとてもシンプルなものだが,問題はその上に山盛りにかけられている真っ白な粉砂糖だ.運ばれてきた時点ですでにこぼれるほどの粉砂糖がかけられているのに,もの足りない客のためにテーブルの上に砂糖ビンまで置かれている.これじゃあドーナッツを喰っているのだか,砂糖を喰っているのだかわかりゃしない.と言いつつ,結局三つも食べてしまったんですけど……(こんな早朝から).店のテーブルから椅子から方々にこぼれた“白い粉末”がかかっているのもしかたないよね.これ↑だもんね.

◇午前7時の時点ですでにいろいろ見聞してしまったのだが,本日の「本業」は午前8時の開始だ.しかし,プログラム通り8時に会場に行ったのに始まらない.どうやら,昨夜の「council meeting」と銘打った VIP たちのサバトがいささか度が過ぎて,起きてこられない御方たちがいるのだという.結局,30分遅れでシンポジウム〈Alignment for Phylogenetic Inference〉が始まった.オーガナイザーはコロラドから来た Mark P. Simmons だ.

◇配列アラインメントの方法には,大きく分けて「逐次的ペア整列(progressive pairwise alignment)」と「同時動的整列(simultaneous dynamic alignment)」がある.前者に属するソフトウェアには CLUSTAL, MUSCLE, KALIGN, DIALIGN2, T-Coffee などがあり,後者には POY や DCA が含まれる.今回のシンポジウムでは,既存ソフトウェアの性能比較とともに,今後どのような方向でアラインメントの方法を改良していくべきかが論じられた.

◇最初の講演:Kevin C. Nixon and Damon P. Little「Information Content and Alignment」では,アラインメントに伴う「情報量」の定義を与え,それが最小になるようなベストのアラインメントを提案する.ペア整列におけるコスト関数は,配列の順序に依存するため,多重アラインメントには適さないと著者は言う.系統樹探索と同じで,ローカルに得られた最適解がグローバルには最適ではないという可能性があるからだ.著者はアラインメントに伴う「情報量(information content)」を次のように定義する.あるアラインメントのもとで推定された系統樹を考える.あるサイトで観察されたステップ数(s)(「幅(width)」と呼ぶ)に対して,理論的な最小値m(= # states − 1)と最大値gが求まる.「情報量」とは「g−m」で定義される.幅と情報量の和を最小化するためにある平方和を計算すればよいと著者は言うのだが,このへんはフォローしきれなかった.

◇続く Mark P. Simmons et al. 「The Deterministic Effects of Alignment Methods to Phylogenetic Inference」は,4-taxon case についてのコンピュータ・シミュレーションを実行することで,どのアラインメント法のパフォーマンスがよいかを比較した.テスト対象は,MUSCLE(progressive),DCA(simultaneous),POY(dynamic),そして DIALIGN2(local)の四つ.モデルツリーとして 1) 等長樹;2) 不等長樹(Felsenstein zone あり);3) 混合ツリーを選び,indels の生起率を変えてシミュレーションした.全体的な傾向としてはもちろん indels 率が高くなると命中率は落ちる.シミュレーション結果を踏まえて彼が推奨する方法は,大域的アラインメントには DCA が向いているということだ.当然,質疑は長くなり30分にも及んだ.

◇続く Gonzalo Giribet「Does Secondary Structure Require Manual Alignment」では,タンパク質の二次構造の情報を組み込むことで,系統樹の全長がより小さくなり,しかも探索時間も短くなると報告した.MARNA(S. S. Backofen 2005, Bioinformatics 21)という二次構造アラインメントのためのソフトがあるらしい.このあとには,もう一つ二次構造アラインメントの講演,そして event-based alignment の理念(reconciled tree method のようなものを考えているらしい)に関する発表も.

◇このシンポジウムは,始まったのが午前8時半で,ランチ抜きのぶっ通しで午後1時半まであったので,後半はほとんど意識朦朧としていた.最後の方の Ward C Wheeler の講演「Complexity-Based Optimality and Sensitivity Analysis」はたいへん興味深い内容だったが,詳しくは明日にまわそう.不覚にも部屋でぐっすり昼寝してしまった.

◇夕闇とともに〈Hennig Decadance〉が蠢く —— 毎年の Hennig Society の最大イベントはバンケットだ.参加者の誰もがどのような出し物があるのかを期待し,主催者もそれを十分に満足させるだけのものを用意している.参加者が百名程度のちいさな研究者コミュニティーだからこそこういうことができるのかもしれない.今年は,バーボン通りに面した2階にある〈Bourbon Vieux〉という店で開催される.ここはパーティ専用のスペースらしく,広いフロアにテーブルが配置され,ギャラリーに出ればバーボン通りが一望できるというたいへんすばらしいロケーションだ.

◇午後7時から始まるというので少し早めに着いたら,ジャズ・トリオがセッティングを終え,すでに音出しを始めていた.編成はピアノとサックスとドラムス.そうこうするうちにバンケット参加者がしだいに増え始める.しかし,開会の挨拶のようなものは何もなく,いきなり方々で呑み始めと食べ始め.毎年こういう感じだ.Ward Wheeler と Gonzalo Giribet がやってきて,「昨日の Council Meeting でお前を Hennig Society の Fellow に推薦したからよろしく」とのこと.そういう大事なことはもっと早く伝えてね.

◇並んでいる料理は地元ニューオーリンズの伝統料理ばかりで,Gumbo Soup(ソーセージ Andouille がスパイシーだった),Crawfish Etouffe(ザリガニのスープ)などなど.野菜サラダにフェタに似た塩味の強いチーズが入っていた.しだいに雰囲気がざわめいてきて,たいへんよろしい.サモサのような揚げ物がビールにぴったり.ローストチキンがどっさりあったが,いろんなマスタードをつけて食べるようだ

◇このバンケットのためだけにウォーキングシューズをもってきた(他は全日程はだしにサンダル).海外の国際会議に行くようになった初期のころは,ジャケットだのネクタイだの革靴だのと“完全武装”して“敵地”に乗り込んだものだが,そのうちあほらしくなって,服装がどんどん「退化」していった.今では,国内の学会以上にええかげんなラフなかっこうで成田を発ち,同じようなかっこうで帰国するようになった.しかし,Hennig Society がさらにヘンな学会なのか,ワタシ以上に異様な風体の人びとがたくさんいるのでまったく気にならないし目立ちもしない.ヘンだよ,ぜったいヘン.この人たち.

◇なし崩し的にバンケットが始まってから1時間ほど経って,ようやくスピーチが始まった.最初に Steve Farris が挨拶し,新しいフェローとしてぼくが紹介され,続いて Student Award の授賞式に移った.毎年多くの大学院生が Hennig Society には参加するのだが,今年はシンガポールから多くの女子院生が参加し,学会賞をもらっていたのは大したものだ.日本からも多くの学生や院生に Hennig Society に来てほしいのだが,あまり「外」に出たがらない率が高いのか,こういう海外の学会大会への参加率は意外なほど低いままではないだろうか.論文を書くのももちろん大事だが,こういう場に「顔を見せる」ことは同じくらい重要だと思う.

◇バンケット・スピーチは Kurt Pickett による「Hennig Decadance」というお話しで,これはもう内輪受けのアラシで,知っている人たちだけが笑い転げるという世界です.今回は来なかった Pablo Goloboff は「ビン・ラディン」とおんなじとか,ちゃんとした英語が書けない Ward Wheeler は「文盲」だとか,direct optimiation をやってるやつは「心を病んでいる」とか(めちゃくちゃ).もちろん,エンジョイできました.

◇外はもう真っ暗で,階下のライヴハウスの音響が床を通じて伝わってくる.バーボン通りの人出はいよいよ増え,あやしい店の客引きやら酔っぱらいのわめき声(ひょっとしたら素面かも),さらにはクラクションで最高潮に向かってボルテージを上げていく.バンケット参加者は手に手にビーズのネックレスをもって,ギャラリーから下を目がけて投げている.通行人もノリがいいので,いろいろとパフォーマンスしてくれるのが楽しい.いかにもアメリカ的?(日本だとないよねえ,きっと)

◇こういうフォーマルな出し物が終わればあとはもう好き放題で —— 書き付けメモいくつか:1) 2008年大会はアルゼンチン(Pablo Goloboff),そして2009年大会はシンガポールと決まった.トリオとともにみごとなジャズ・ハープを演奏した Rudolf Meier が引き受けたのだろう.2) 最後に出された Pecan Pudding は猛烈に甘かった.アタマをがつんと叩かれた心地.3) そういえば今日は雨がぜんぜん降らなかったな.

◇夜の11時,バンケットはまだまだ続く気配だったが,ぽつぽつと人が減り始めたので,ワタクシも便乗して健康的な時間帯にホテルに帰ることにした.明日もまだ大会は続くのだ.

◇本日の総歩数=18145歩[うち「しっかり歩数」=11681歩/106分].全コース×|×.朝○|昼○|夜×.前回比=未計測/未計測.


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