● 7月19日(月):夜半の雨と冷たい朝で初日を迎える

◇現地時刻の午前3時頃に目が覚める.こういうときは自然体で起きてしまう.どうせ日光にあたれば体内時計はアジャストされるのだから.

◇雨がざあざあ降る音がする.天候がイマイチよくなさそう.深夜にもかかわらずホテル前にバス停に路線バスが停まったりする.ちゃんと?乗客がいる!(不夜城か...)

ほかにやることがないので,講演準備をしている.「日本で仕事するなんてえらいですねえ.海外に出ないと仕事はできませんよ,ははは」と喝破した某次期会長がいるけど,せっかく環境が変わったんだし,ビュフォンやラマルクも生きているみたいだし(ジョフロワも),仕事しますね.しごとしごと(本来の).

◇そういえば,昨日,植物園の近くで〈ジョフロワ・サンチレール・クリニック〉という医院?があった.すごくきれいに解剖されてしまいそうでやや怖かった.

◇緯度が高いせいか,日の入りも日の出も遅い.午前5時を過ぎてやっと空が明るくなってきたようだ.朝の気温は低い.15度くらいじゃないかな.湿度が低いので,とても爽やか.上空には飛行機雲が何本も交叉している.天気は回復する気配あり.

◇午前7時から地下の食堂にて朝食.セルフサービスというかなんというか,適当に自分でカフェオレとクロワッサンを取って,各自勝手に食べなさいという,個人主義の発現.※シンプルって美しい?

◇いくつかメールを書いたりとかしているうちに,「出勤」の時刻が迫ってくる.大会会場にはメトロ10号線に乗ってセーヌ対岸の Michel-Ange Auteuil まで行く――

―― ホテル近くの Cardinal Limoine 駅から乗って,約20分ほどで下車.セーヌ対岸のパリ16区オーティユ(Auteuil)と言えば,鬼才エクトル・ギマールの建造物がたくさん残っている場所.建築探偵であれば妙にうねうねした線をそこここに発見するのだろう.しかし,駅からすぐの CNRS は通りに面したごく普通のビルだった.

◇午前10時から Auditorium にて〈Hennig XXIII〉の開会.何人かのあいさつがあったのち,セッションの始まり.

◇最初のシンポジウム〈Taxonomic Trends and Travesties〉はアンチ PhyloCode イベント.Rudolf Meier の「DNA barcoding」の発表では,ショウジョウバエの Cox I 遺伝子1390配列に基づく“バーコード化”を検討したところ,誤分類率が23%を越えたとのこと.原因としては,バーコードが1本しかないということもあるが,配列の一致基準の見直しが必要で,従来の「配列一致基準」ではなく,系統樹に基づく「最良一致基準」が提唱された.この改善をすることで誤分類率は3%にまで下げることができたとのこと.続く Diana Lipskomb は Herbert et al.(Biological identification with DNA barcoding. Proc. Roy. Soc., 2003)の言う「DNAバーコード」の利点を批判する.〈バーコード会議〉の内容を紹介しつつ,バーコード化によって「手早く簡単に分類できる」というのはまちがっていると主張する.続く,Alfried Vogler は甲虫のDNA分類をするための自前のシステムをつくろうとしている.DNAデータベース(GenBank)のデータの信頼性には大きな問題があり,そのまま使えるしろものではないとのこと.

―― コーヒーブレイクの後の John Wenzel の講演では,系統樹ユーザーは確かに増えてはいるが,系統学的思考が普及したわけではないと指摘する.ユーザーとしての生態学者たちは対象とする形質を「クラス変数」とのみみなしていて,適当な遺伝子データのもとで推定した系統樹の上で,その「クラス変数」の変化をトレースしているだけだ.それはその形質そのものの進化を論じていることにはならないだろうと彼は言う(その形質系統推定すれば問題なしということか).AToLのような大規模プロジェクトの進展は体系学それ自身にとってプラスになるわけではないという結論だ.Kurt Pickett は Hennig XXIII に先立つ数週間前に同じ場所で開催された〈PhyloCode Meeting〉での“実況中継録画”をオンエアしてくれた.「食べ物とコングレスバッグだけはよかった」との弁.

◇ランチは,Michel-Ange Auteuil駅の真ん前にあるレストラン〈Kanterbräu〉にて.同じテーブルに同席した Pierre Delaporte / Kirk Fitzhugh はひたすら「ポパー論議」(エンドレス).ローストチキン(Coquelet rôti a l'estragon)はエストラゴン風味が効いていた.付け合わせのインゲンとポテトのソテーを食べたら満腹ですな,こりゃ.※ Perrier よりも Badoit の方がうまく感じたのは気のせいか.

◇午後のセッション ―― 〈Methodological Advances in Cladistics〉.Ward Wheeler は「一般形質最適化」に関する講演をした.個々の形質状態を出発点として,配列,染色体,ゲノム,系譜と段階を上げていったとき,仮想祖先をどのように最適化するかというテーマ.要点は最適化のための“コスト関数”の置き方.もちろん計算量の上ではNPハードではあるが,アメリカ自然史博物館のクラスター・コンピュータ(2.8G Xeon を100個つなぐ)を用いるとなんとか計算し切れるらしい.従来は切り捨てられていたさまざまなデータを有効利用することができる.系譜(lineage)の最適化には水平移動(lateral transfer)というイベントが登場する.これは高次系統樹の推定ではおなじみの枠組みだが,形質最適化という視点からも切り込むことができるとは意外.

―― Steve Farris のトークは Felsenstein の nonparametric bootstrapping を標的に据える.ブーツストラップのあるリサンプリングによって複数の最適樹が得られた場合,PHYLIP や そのコードを引き写した PAUP* では,それらの系統樹に“fractional weighting”をかけた上で,各クレードの出現頻度に参入する.しかし,この方式だと,理論上の出現率よりも過大なブーツストラップ値が出る.その原因は PHYLIP / PAUP* ではブーツストラップの過程で zero-length branch がそのまま温存されていることにある.結果としてデータがサポートしないクレードが高いブーツストラップ値をもつという弊害が生じる.回避策は単純で,複数最適樹の合意樹をもってクレード出現頻度を計算していけばいいとのこと.最節約法だけでなく最尤法の場合でも PHYLIP / PAUP* ではまったく同じ症状があるという.※サブタイトル〈The revenge of the cladi〉は正しい!

◇Auditrium 前で自然史博物館の出版物コーナーがあった.日本だと非英語圏の本がなかなか手に入らない.ついつい……

   そして 

……を次々に買い込むということになる.どの本も700ページほどある大著なのに,価格は 40 Euro ほど.Benoît Dayrat『植物学者とフランス植物相:探索の3世紀(Les botanistes et la flore de France: trois siècles de découvertes)』(2003, ISBN: 2-85653-548-8), Claude Blanckaert et al. (eds.)『国立自然史博物館のたどった1世紀(Le Muséum au premier siècle de son histoire)』(1997, ISBN: 2-85653-516-X),そして9月に出版予定の Stephane Schmitt『ある解剖学的疑問の歴史:部分の反復(Histoire d'une question anatomique: la répétition des parties)』(2004 forthcoming, ISBN: 2-85653-556-9).いずれも国立自然史博物館の科学史叢書に含まれる.

◇夕方になって雲が出始め,ホテルへの帰路ではぱらぱらと小雨.夜になって雷雨となり,気温がどんどん下がる.

◇講演準備をしたり,本を読んだりしてシズカに過ごす.窓の下はメインストリートなので交通量はけっこうあるのだけれど.巨大ローストチキンの腹持ちのよさは実証された.これで晩ご飯を食べたら「フォアグラ化」一直線だ.

◇午後10時前に就寝.※時差はあるはずだが,生活リズムが日本と変わらないのはどーして?

◇本日の総歩数=8002歩[うち「しっかり歩数」=2292歩/21分].


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