● 8月17日(木):ソカロを探しまわってもバッタは跳ねない

◇午前2時頃に突然の頭痛で目が覚める.いやだなあ,異郷の地で病に伏せるというのは,旅行者にとってはもっとも想像したくない状況だ.1時間ほどベッドの上でのたうったが,そのうちぐっすり寝てしまった(ケダモンかいっ).昨夜のバンケットでの食べ物があわなかったのか,それとも連日の徘徊がからだにダメージを与えたのか,原因はよくわからない.ひょっとして,これがあの〈モンテズマの呪い〉だったりするのか.おそるべしおそるべし.※いや,しかしその〈呪い〉は腹にくるのであって,頭ではなかったぞ…….ううむ.

◇次に目が覚めたのは午前8時だった.遅めの朝食に行ったら,早朝には見たことがないような料理が並んでいたり,ライヴ演奏が奏でられていたり,そこはかとなく余裕のある朝の食事の雰囲気だ.トウモロコシの皮に具を包んで蒸した「tamales」という料理を初めて口にした.うまかった.バナナの葉でくるんだ tamales がオアハカ風なのだそうだ.また,この朝,初めてホット・チョコレート(「chocolate con leche」)を味わったが,甘くて美味だ.ミルク抜きの chocolate con agua はもっとさっぱりしているのだろう.

—— 夜中にのたうった割には,よう食べはりますなあ,あんさん>ぼく(汗).

◇今日は,大会最終日だ.「理論の日(第2部)」とのことで,もっとも Hennig Society らしい講演が次々と.「Sociological aspects of taxonomy and determinants of alpha taxonomy」(Joseph Raczkowski and John W. Wenzel).分類群ごとに異なる分類学者の“密度”がどのような影響をもたらすかを論じる.とくに「種概念」は生物多様性研究にとって根幹であるにもかかわらず,保全生物学の世界ではすぽっと抜け落ちていると言う./「Philosophical arguments and phylogenetic methods」(James S. Farris).種個物説(Species-as-individual)派は「クラスであるならば進化できない」と主張して,「だから個物である」と帰結する.しかし,同じ進化学者の中でも G. G. Simpson のように「進化し得るクラス」を主張した論者もいるではないか.この種個物説は,今では形質個物説(Character-as-individual)派としても主張しはじめている.しかし,“クラス”を捨てることは最後まで難しいのではないか — 前半はこんな感じ.後半は,最近 Cladistics 誌に載った論文:Arnold G. Kluge and Taran Grant「From conviction to anti-sperfluity : old and new justification of parsimony in phylogenetic inference」(Cladistics, 22 : 276-288→要旨)への批判.A. Baker による“quantitative parsimony”に依拠した最節約基準の擁護には問題があると Farris は言う.系統推定における e(= evidence)は,形質変化であって,類似性ではない./ 「Popper, systematics, and the combined corroboration metric」(E. Kurt Lienau).同長の最節約分岐図に対して,その合意樹がもっとも corroborate された系統仮説であると主張される.そこで,合意樹の指数(Rohlf's CI)と個々の分岐図の一致指数(CI)との積の総和をもって「CCM(=combined corroboration metric)」を定義する./「On objective support」(Taran Grant and Arnold G. Kluge).データによる系統仮説の「支持(support)」の概念を分析する.客観的な支持とは「relative power of explanations」であると主張する.説明力の比率は「(Shat−S)/(G−S)」と定義できる(S は制約なしの樹長;Shatはある群を欠くという制約を置いたときの樹長;Gは理論的な最大樹長).この観点から見たとき,Bremer support は客観的な支持を与える指数だが,形質集合からの無作為再抽出による parsimony jackknife や relative fit difference はそうではない.

—— ぐええ,すでにお腹いっぱいでございます.Kluge さんは講演中ポパーの青表紙本(『客観的知識』)を手にして振り回していたが,「アレが赤くて小さければ“毛沢東語録”だよなあ」と感じたしだい.ポパーなんか古くって,そんなのにこだわっている systematists は時代錯誤というような,ちゃらちゃらした科学論者の主張がときどきあるが,そんなアホなことを言っているから体系学者からシカトされるんですよ.科学者が科学哲学者に何を求めているのかのマーケッティング・リサーチを考えれば,おのずとローカルな科学哲学の進むべき道は見えてくるはず.

◇ランチはまたまた屋外で.いやあ,シエスタ,シエスタ.

◇午後は,街中に出る.サント・ドミンゴ教会に隣接する〈オアハカ文化博物館〉に入館する.石造りの重厚な建物はとても広大で,近隣のモンテ・アルバン遺跡をはじめ,この地域の先住民族の古代文明の遺跡から始まって,スペインの侵略史,そして現在にいたるまでの時代の流れをたどるさまざまな資料が並べられている.眺望のよいこのミュージアムの中庭に広がっているのが,〈オアハカ民族植物園〉だ.生物多様性の宝庫でもあるこの地域の植物を集めた施設だが,一般の入場には制約があるようで,今回のオアハカ旅行では入る機会がなかった.上層階からの見晴らしはとてもよくて,リフレッシュできる.

◇続いて,サント・ドミンゴ教会のすぐ南側にある〈Amate Books〉という書店に立ち寄る.ここはスペイン語だけでなく,英語のメキシコ関連本がたくさん在庫されているので有名な書店だ.入り口でバッグを預けていろいろと探しまわる:

 〈生命の樹〉のメキシカン・ルーツ —— Lenore Hoag Mulryan『Ceramic Trees of Life : Popular Art from Mexico』(2003年刊行,UCLA Fowler Museum of Cultural History,ISBN:0-930741-96-X).この本は,UCLA の博物館での展示図録だが,メキシコにおける「生命の樹」の系譜をマヤ/アステカの時代にまでたどり,そのイコンがどのように広まっていったのかを陶器として残されたさまざまな「生命の樹」を見渡すことで論じている.確かに,街中の土産物屋に行くと,そこかしこに「生命の樹」グッズがある.サント・ドミンゴ教会の〈生命の樹〉のイコンに,こういうメヒコ的ルーツがあることを,それも古代からの伝統があることをこの本で知った.サント・ドミンゴの〈生命の樹〉が属している系譜がわかって少し安心したりするのは tree-thinker だからかな.

 民族植物園アルバム —— Cecilia Salcedo [fotografia] / Alejandro de Avila [ensayo]『Le espina y el fruto : Plantas del Jardin Etnobotanico de Oaxaca』(2006年刊行,Artes de Mexico[Libros de la Espiral 叢書],ISBN:970-683-157-6).文化博物館の上から見下ろすだけだった民族植物園の写真集.スペイン語と英語,そしてこの地域の言語であるゾパテカ語の対訳で書かれている本ですが,モノクロの美しい写真を見ると,オアハカのもうひとつの顔が浮かび出てくる.

◇「バッタ」を求めて三千里(ウソ) —— サックスの『オアハカ日誌』にはこう書かれている:

オアハカに来てはじめて食べたもののなかで,私はとくにイナゴが気に入っている —— ポリポリしていてナッツのようでおいしく,しかも栄養がある.たいていは揚げてスパイスをくわえて食べる.(p. 145)

 そう,オアハカに来る前から,この「イナゴ」というか「バッタ(chapulines)」については,腹下しの原因だとか,味を報告せよとか,いろいろとやりとりがあった.確かに,オアハカの chapulines はこの地方の「昆虫食」のシンボルみたいになっている.しかし,実際にこちらに来てみると,バッタの顔を見ることがまったくない.食材に混ざっていたとしても,キチン質の表皮できっとわかるだろう.もちろん,長野のイナゴの佃煮のように“原形”が保たれていればさらにはっきり識別できるだろう.しかし,まったく遭遇できないのだ.

 わざわざ〈モンテズマの呪い〉にのこのことかかりに行くのは馬鹿げているかもしれないが,こんなに遭遇できないとなると,かえって好奇心が湧いてしまう.そこで,最終日の夕暮れに,南のソカロから市場のあたりまで歩いて,「バッタ」を探し求めた.ここ数日の反政府デモの影響か,中心部のあるエリアは道路の敷石がはがされて,バリケードが築かれていたりする.確かに,あまり安心して歩けるような雰囲気ではない.それでも,ソカロ近辺には多くの露店や屋台が出ている.ぐるっと一回りしたのだが「バッタ」はぜんぜんいない.厳密には「ぜんぜん」というのは正しくなく,一カ所だけ交差点の角の路上で開かれていた露店には,確かに写真で見た赤い chapulines がごく少量売られていた.しかし,ガイドブックなどには,もっと大量に売られていて,それを買う客もたくさんいるように書かれている.しかし,そういうことはまったくない.アイスクリームや茹でトウモロコシの店はいくらでもあるのに,バッタだけがいない.どうしてか,その理由は定かではない.

[追記(22 August 2006)]2004年暮れにオアハカを旅行された細馬宏通さんからの私信によると,chapulines は広場(ソカロ)ではなく,その南側にある市場(メルカド)で,大量に調理されて売られていたとのこと.色は赤く味は酸っぱいらしい.要するに,広場周辺や教会周りを探し歩いたワタシは,探索空間を誤ったようだ.治安がもう少しよければ,ベニート・フアレス市場とかベインテ・デ・ノビエンブレ市場にも行けただろう.

 ひとつだけ収穫があったのは,ソカロのとあるオープン・テラスのカフェの近くで,「ストリート・マリンバ」のライヴ演奏に出会えたことだ.3オクターヴそこそこの小さいマリンバを二人の奏者が演奏していた.バッタはダメでも,マリンバを見られただけでよしとしよう.

◇夕食はまたまた〈El Topil〉にて.前菜は queso と quessillo が乗ったタコス.メインは,Enchiladas de mole negro con pollo,はい,チキンのモーレ・ネグロね.流しのギターを聴きつつ,オアハカ最後の夜はふけていく.

◇「最後の」と言ったのは,明日は明け方にチェックアウトしないといけなくなったからだ.最初のフライト・プランでは,オアハカ空港を正午に離陸する便なので,午前中は余裕があった.ところが,今朝ホテルの旅行担当者からメッセージが届き,「貴兄のフライトに関して変更があるので,連絡されたし」との伝言.何ごとかと駆けつけたところ,「午前7時に変更になった」との予期しない通知.これで,明け方のチェックアウトが決定になった.行きも帰りもオアハカはたいへんなところだ.

◇ホテルに帰り着いたのは午後9時を過ぎていた.スーツケースにいろんなものを押し込んで,日が変わる頃に就寝する.明日は寝過ごすわけにはいかない.

◇本日の総歩数=16141歩[うち「しっかり歩数」=8720歩/90分].全コース×|×.朝○|昼△|夜○.前回比=未計測/未計測.


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