● 8月15日(火):サントドミンゴの「生命の樹」に参拝する

◇午前3時半に眼が覚めてしまう.外は漆黒の闇夜だ.本を読んだり日録を書いたりしているうちに,午前6時の教会の鐘が鳴る.でもやはり暗い.

◇「腸内革命」について —— 昨夜からずっと「トルティージャ臭」がぷんぷんとしている.不思議だったのだが,今朝になってその“臭源”が判明した.それはワタシ.あらまあ,そんなにたくさん食べた覚えはないのだがとつらつら思い起こしてみると,主食としてほとんど毎食喰っていたもんなあ.しかたがないか.腸内菌相もきっと“メキシカン”になっているんだろうなあ.

 2004年の暮れにロサンゼルスからこの地を訪れた細馬さんの『Oaxaca Diary』には「腸内バクテリア革命」という報告が載っている.メキシコ革命ならぬ腸内革命か.こちらに来る前に「細馬オアハカ日記」を再度読み直しておいたのだが,連日のトルティージャ大量摂取がもたらす“下腹部の革命状態”に関しては実に的確な記述であることを当地で確認した.数少ないものの日本人観光客もちらほらと見かけた.彼らもひとりひとり“腸内革命”を経験しているのだろう.

◇6時半になって突如として方々から“火災報知器”のようなけたたましい目覚まし時計の音が聞こえてきた.Hennig XXV 参加者が7時からの朝食に間に合うようにセットしたのだろう.あの音量だと目が覚めてしまうのはきっと両隣の部屋にかぎらないにちがいない.薄明の中,朝食に向かう午前7時.Vogler さんとまた同席.旅の疲れがまだとれないとのこと.「きのう Steve Farris は日がな一日プールサイドで寝転がっていたぞ」とのこと.さもありなん.

 Hennig Society の年次大会は,パラレル・セッションを置かず,全参加者がつねに同じひとつの会場に集まる.しかもたいてい100人そこそこの規模での開催なので,いるかいないかはわかってしまう.それでも,会場の後ろやロビーでたむろしていたり,トンズラして街中に散っていったり,あるいは Mark Simmons のように部屋のマクラを会場にもちこんで,最前列の床に寝ていたりする(そういうお行儀の悪いことはふつうしないぞ!).

◇昨日の大会は「理論の日」だったが,二日目の今日は「植物の日」だ.うう,聞いたこともない中米の植物があれやこれやと…….参加者名簿を見ると,オアハカ大会にはとうぜんメキシコからの参加者が多いわけで,この地域の動植物相の研究発表が割合として多くなるのは十分に予想できる.今回の大会のホストを勤めた Helga Ochoterana さんは,メキシコ国立自治大学の女性研究者だが,彼女のところの学生・院生が大会運営に携わっている.

◇植物の系統発生をテーマとする午前のセッションの総括では,Kevin Nixon(「Current understanding of seed plant phylogeny」)が,進化速度の推定に関わる方法論的な問題を取り上げていた.〈r8t〉もチクリチクリと.

◇今日のランチは,庭園の木陰に設けられたテーブルにて.いやあこれは優雅な時間だ.シエスタだ.雲一つない快晴だし,気温は30度近くあるのだろうが,湿度が低いので不快ではない.午後は街中に出てみよう.「参拝」もしないといけないし.ごめんなさいごめんなさい.

◇メキシコシティーでも感じたことだが,この国は全般に自動車の運転が荒っぽいようだ.歩行者は,とくに交差点をわたったり,道を横切ったりするときに「身の危険」を感じることがある.もちろん,地元の人たちはそんなことにはおかまいなく,飛ばしてくる自動車の合間を縫ってうまく横断している.しかし,一介の旅行者はそのタイミングがつかめずに,いつまでも路傍で呆然としている.

 しかし,自動車の排気ガスとクラクションのダブル攻撃も,自動車が締め出されている街の中心部には及んでこない.時と場所をわきまえずに鳴り響く爆竹はどうしようもないが.

◇サント・ドミンゴ教会は,行事があると観光客をシャットアウトするが,何もなければ自由に出入りできる.しかし,照明は落とされているので,仄暗い中を眼を凝らして見上げることになる.昨日はそそくさと退散したのだが,今日はもう少しじっくり見ることができた.

 オアハカの最大の観光ポイントであり,たくさんの旅行者が訪れるこの教会は,その絢爛豪華な(実際にライトアップされていると黄金色に輝いていた)内部のつくりが見物だと言われている.しかし,ぼくにとっては入り口の頭上に大きく広がる〈生命の樹〉を鑑賞するのが主目的だった.

 キリスト教の“聖者たち”の系譜を樹のかたちで現わしたものだが,薄暗い中で見上げると威圧感がある.しかも,入ってすぐの低い天井に描かれているのだからよけいそう感じる.実際,遠目に見ると,〈生命の樹〉が頭の上から覆いかぶさってくるような錯覚さえ覚えてしまう.参拝する信者たちへの心理作戦としては成功しているように思われる.フラッシュなしで全体を撮るのはなかなかたいへんだったのだが,写真画像で見直してみると,この“おどろおどろしさ”には格別なものがある.うまいたとえが見つからないが,「胎内めぐり」のような気色悪さというか,「はらわた」の中に入ったような息苦しさというか.映画〈エイリアン〉にこんなシーンがなかったっけ.

 詳細に見てみると,この〈生命の樹〉の枝には布教に貢献した“聖者たち”の「顔」がひとつひとつ“実って”いる.世界中にある同様の「樹」あるいは「talking trees」のイコンのあらわれなのだろう.この図形言語が信者に語りかける「ことば」が何であるのかは,信者ならばわかるのだろう.しかし,異教徒(というか無教徒)にとっては,ことばとしての「樹」の形式が何であるのかがもっぱらの関心だ.以前見せてもらった,アルゼンチンのコルドバ大学に展示されている.キリスト教布教の「phylogeographic tree」は布教の時空的広がりを図像化した樹だった.一方,サント・ドミンゴ教会の〈生命の樹〉は枝ごとに「顔」がある.同じ形式のことばでも意味と意図が異なっているはずだ.

◇大会が終わった夕刻,再び街へ出る.今夜は,サント・ドミンゴ教会の南にある食堂〈El Topil〉で夕食.ここは,いかにも「街の食堂」の雰囲気で,料理をつくるセニョーラふたりとウェイトレスをしているセニョリータだけでやっている店だ.まずは Corona Extra とともに,Nube Sola を.これは,quessillo(ストリングチーズ)をフォンデュのように溶かして,豆のソースをつけあわせたものだ.オアハカの queso(チーズ)や quessillo はどれもはずれがない.この系統のチーズに慣れている人にはなじみやすいと思う.メインは,もちろん Enchiladas de mole negro ね.今日は,オアハカ特有の牛の薄切りステーキ(tasajo)のモーレ・ネグロ.美味でしかも安い! ビール2本をつけて計180ペソ,ということは日本円で2000円もしない!

◇午後9時半にホテルへの帰路の途中,評議員会を終えた Hennig Society の VIP たちとすれちがう.彼らはこれからオアハカで最高級のホテル「Camino Real Oaxaca」でパーティをすることになっている(こんな時間からかよっ).

 ホテルに帰り着いたときにはもちろん真っ暗闇で,虫が鳴いていた.オアハカの季節の移り変わりがどのようになっているのかわからないのだが,日本風にいえば「秋の気配」といったところ.その静寂を真夜中に破ったのは,傍若無人な Hennig Society の酔っぱらい VIP たち…….

◇本日の総歩数=11159歩[うち「しっかり歩数」=3851歩/36分].全コース×|×.朝△|昼○|夜×.前回比=未計測/未計測.


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