● 4月11日(月):帰路への復帰 / 読みまくり

◇昨夜はよほど早く寝てしまったのか,午前2時半には目が覚めてしまった.時差がある地域の間を短期間で行き来しているので,ボケる間がない.そのまま読書タイムに突入 ――

3時間ほどで読了:大屋幸世『蒐書日誌 四』(2003年11月25日刊行,皓星社,ISBN:4-7744-0356-3).ヒットしたポイントを列挙:

  • [p. 116]〈荒俣宏の本を見ていると,掲載されている資料,どこから蒐めているのか不思議に思う〉※荒俣宏『大東亜科学綺譚』/[p. 332]〈荒俣宏,いつこれだけの資料を蒐めたのかと思う程,挿絵,写真がおもしろい.いつの間にか,私も荒俣宏ファンになってしまった.澁澤龍彦から乗り換えたようだ.〉※荒俣宏『悪趣味の復権のために バッドテイスト』

  • [p. 121]〈たとえば小泉丹は「発見と発達とは全て違ふ.自然科学の方で,どうも日本の傾向で発見といふことを重んずるのだな.さうして,あまり学問の発展といふことの価値を認めないのだな …… 発見発見といふことに依って根は太くはならん.学問の発展,発展と一つの事ばかりやる縁の下の力持といふやうな学問がなければ根は太くならない.今のやうに発見,発見といふ方に許り向いていったのではそれは太くならんですな.其処は日本人の自然科学の態度に欠点があると思ふ」といった調子で,日本批判がどうどうとまかり通っているのである.〉※『改造』1942年8月号座談会「国家と科学」に関連して.

  • [p. 152]〈私はこの,藝術至上主義ならぬ《結核》至上主義がいやなのだ.俳句での肺患は自己を結核に固定させてしまう.視野が肺患に集中し,《外部》の景が從となってしまっている.肺患を特化しすぎる点に私は耐えられない.〉※石田波郷『胸形変』

  • [p. 204]〈目玉でもあったはずの雨田光平伝は,結局今日の最後の読書になってしまった.〉※雨田光示『竪琴の調べ:父・雨田光平について』

  • [p. 218]〈ずいぶん以前,井之頭線駒場東大駅前の《満留賀》で大盛を注文したら,その盛りの大きさにびっくりしたものだ.それはともかく《薮》や《砂場》などはその出自ははっきりしているが,よく見る《満留賀》というのはどういう系統なのだろうか.〉※吉村正治『日本のそばとうどん 写しある記』

  • [p. 256]〈まだ時間が充分にあるので,椎名誠『全日本食えばわかる図鑑』を読む.…… 時代の食生活の《語り部》的表層の叙述で徹底している.漫画家の東海林さだおにもこの手の喰い物談義の文庫本があるが,こちらは料理そのものを底まで喰いつくそうとする心魂があるが,椎名の方は何か貧しい.いや貧しいことを批判しているのではない.私にしろ,椎名,東海林にしろ同一世代,あの戦後の飢餓状態を知っている者たちだ.…… いずれにしろこれらの書は,五〇年,一〇〇年経てば,いい時代表現の書となるのは間違いない.〉

  • [p. 328]〈現在,フェミニズムの大家となった上野千鶴子と席を同じくしている.その上野千鶴子(俳句時代は上野ちづ子)論である「上野千鶴子,あるいは跡を濁して飛び去った鳥について」は,「あるいは」以後の言葉が示しているように,一種の批判である.〉※江里昭彦『俳句前線世紀末ガイダンス』

―― こうやって“付箋”を付けておかないと,さらさらと流れ去ってしまう.

◇午前6時になってもまだ暗い.近くから鉄道の警笛が響いてくる.昨日のシャトルバスの中ではカントリー調(だろう)の音楽がかかっていた.マリアッチでもカントリーでも,それぞれの土地が音楽を育てるのだと感じる.

◇IOSEB Council Meeting では〈Tree-thinking〉と〈生物学哲学〉に関するシンポジウムをひとつずつ提案した.帰ったらオーガナイザーになりそうな人に打診しないと.Tree-thinking の方はもちろん Bob O'Hara さんに頼むのが順当かな,それとも新しい人材を捜してみるか(Mario は「ノブヒロがやれ」と言っていたが).生物学哲学の方はオーガナイザー・演者ともに苦労はしないと思う.

前回 Secretary General をやった Mary Mickevich さんは来るはずだったのに来なかった.もうひとり Marvalee H. Wake さんも直前に私用でキャンセルだった.全30名の Council Member のうち出席したのは15名だった.出席率は決して高くなかったかもしれないが,かぎられた時間の中での進捗は効率的だったと思う.

◇午前7時にホテル・ロビーにて朝食をすませ,8時前には早々とシャトルバスで空港まで送ってもらう.荷物検査で時間がとられる可能性があるので.さすが超巨大空港,チェックイン・カウンターもエンドレスに伸びている.ここだけでいったい何歩歩かされたことやら.

◇それでも,1時間程の余裕があったので,また書店で淀む ―― 行きにネライをつけておいた Jared Diamond の新刊『Collapse: How Societies Choose to Fail or Suceed』(2005年刊行,Viking Press,ISBN:0-670-03337-5)を買おうと思ってブックスタンドに立ち寄ったら,最後の1冊しか残っていなくて,しかもそれは棚から落とされたためか,装丁が“collapse”寸前だった.だもんで,同じコンコースにある CNN News Stand にて“collapse”していない『Collapse』を買い求める.600ページほどのハードカバー本.物理的兇器度が高いので,投げると危険.

◇成田への帰国便(DL55)が離陸したのは定刻どおり10時15分のこと.これで長い帰還の道のりも最終コーナーだ.アラスカ経由の北回りコースで飛ぶ.

機内は13時間に及ぶ読書タイムと化した(至福の時)――

◇大川玲子『コーランの世界:写本の歴史と美のすべて』(2005年3月30日刊行,河出書房新社,ISBN:4-309-76060-0).※とにかく図版が美しい.とりわけ,「ヒジャージー体」や「クーフィー体」に始まるコーラン(クルアーン)の書体の変遷がきちんとたどられているところがいい.アラビア文字が読めないだけに,いっそうその“装飾性”がつよく印象づけられるのだと思う.ちょうど,ハングル文字のカリグラフィーが“絵”そのものに見えるのと同じ.過度の装飾性という点ではクルアーンの写本は,ケルト聖書『ケルズの書』(たとえば,バーナード・ミーハン『ケルズの書』2002年4月10日刊行,創元社,ISBN:4-422-23018-2)に通じるものがあるのかもしれない.読了.

◇南川三治郎『ウィリアム・モリスの楽園へ』(2005年3月1日刊行,世界文化社,ISBN:4-418-05503-7).※これまたヴィジュアルな本.旅路途中に読むにはふさわしい形式かもしれない.ウィリアム・モリスがケルムスコット・プレスを操業し,「書物装丁」とか「活字創作」の世界に沈潜していったのは彼の最晩年のことだったということがわかっただけでも収穫あり.手元にある William Morris[ed. by W. S. Petersen]『The Ideal Book』(1982年刊行,University of California Press,ISBN:0-520-05625-6)が呼んでいる(って?).

◇本日の総歩数=22887歩[うち「しっかり歩数」=3997歩/33分].


メヒコ記「目次」